ギリであってもいいですよね。
ギリのお母さんもご自身が作っている存在と考えていますよね。
だからこそ、どう考えたらいいのかということなんですけれど、
まずは、今書いてくださっている漢字で、
何かと細かく、いちいちうるさく、
何かと細かく、いちいちうるさく、
何かと細かく、いちいちうるさく、
何かと細かく、いちいちうるさく、
私に対して厳しいところがある。
ルールを押し付けているような感じなのかね。
ねばならないっていう。
だから、いちいちうるさく、自分のルールを、
これが当たり前でしょって押し付けている。
押し付けられているっていうことなわけですけれど、
そうすると、このご質問者のお母さんが、
この義理のお母さんではない方に、
そういうことを誰かにしていることはないですかね。
これまでの、今もそうだし、これまでの人生も含めてですね。
何かこう、いちいちうるさく、
自分のこれが当たり前でしょっていうのを押し付けているって。
そんなところってないかなっていうことをまず考えていただけたらなと思います。
現在意識は守護がないので、
ご自身がこうやって〇〇されたって思っていることがあるとすると、
この〇〇されたっていう〇〇を、
実は自分がしてきているわけなんですよね。
だからこそ守護を変えて、
今度は自分がされる側になってしまっているっていうことなので、
まずはそこを点検していただくのが一番最初かなと。
どうですかね。
この続きのお答えがあればぜひ教えていただきたいなと思うんですけれど。
そうですね。
何となくですけれども、
もう一個ここも点検されたらどうかなっていうふうに思うのは、
根がならない感じが嫌ですって書いてくださっているんですけれど、
私たちって、その現実的には、
今大人の自分が考えると、こんなお母さん本当に嫌だよ。
なんでこういう細かく言ってきて、私に対してすごく厳しいの?
もう本当に嫌っていうふうに思っているんですけれども、
でも、私たちのコントロールできない範囲というか、
想像していない範囲での大きな先代意識というところで、
私たちのコントロールできない範囲というか、
想像していない範囲での大きな先代意識というところで、
何か、その今の方がメリットがあるからその現実がやってきている
というふうに考えていけるといいんですよね。
例えばですよ、私の過去のことで考えたら、
私はすごく病気を絡めていたんですけれど、
特に右目の病気をしていたときなんか、
12歳、14歳、18歳って手術、で体炎性。
で体炎性、また再手術、で体炎性、みたいな。
本当にラックリそんな10年間というか、
そのくらいだったんですよね。
なんですけれど、それって何が嬉しいのかっていう。
そんなのは絶対嬉しくないんですけれど、
結局は私たちのひねくれた感じで幼心が、
自分が本当に欲しいものを得ようとしちゃっているところがあるんですね。
今のさっきの私の話だったら何か。
現実から考えていくといいので、
現実的に私は、
父に毎朝大学病院の予約に行っていただき、
そして母は私の看病をすごくしてくれた。
なんでこれがメリットなんですよ。
いやー、みたいな。
そんなのでこんなに視力が悪くなってしまって、
っていう感じなんですけれど、
つまり今得ているメリットが、
私たちのこの幼心のある意味率直な、ある意味ひねくれた、
そういう気持ちがそれを現実化させてしまうところがある。
そしたら、
っていう風に考えていくと、
ぽぽさんはどうですかね。
鬱陶しいギリのお母さんを作る人もいるし、
全然構われないギリのお母さんを作る人もいるじゃないですか。
じゃあ、この2つの差って何なのかっていうと、
1つの考え方としてなんですけれど、
自分で責任を取りたくない、
責任は嫌だっていう気持ちがあると、
どういうことかというと、
自分で決めなくていい状況を作っちゃうんですよね。
自分で決めなくていい状況を作っちゃうんですよね。
この自分で決めなくていいっていうのは、
つまり、ギリのお母さんが丸々しなきゃダメ、丸々するべきでしょって、
ルールを押し付けてくるような現実を作っちゃうことにも、
つながりますよねってことですね。
なんか、すごく嫌だけど、
でも、そのルールの中にいれば、
自分でルールは決めなくてもいいわけじゃないですかね。
だから、自分で責任を取らなくていいんですよ。
何か自分に不都合があったときに、
だって、私をこうしろって決めた、
お母さんのせいじゃんってできるわけなんですよ。
この、責任を取りたくない、誰かのせいにしたいっていう気持ちが、
ルールを押し付けてくるお母さんとか、
細かく自分を何としても、
コントロールしてくるっていうか、