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こんばんは、ほかひびとラジオのTaitoです。
今日はゲストに、高橋くんがいます。
キリン新聞の編集部です。
どうも、高橋です。
えっと、キリン新聞…
ちょっと外向きに話すのやめよう。
「動詞的な在り方」とは何か? 宴における存在論
要は、動詞でまとめたいっていうのは、どういう意味かっていうと、
なんか、ああやって、
2日とかさ、昼夜生活を共にしつつ、
晴れっていう場所を作るときにはさ、
ある程度、準備とかしたりする人が必要があるし、
やっぱり参加する側も、
準備に、手伝いますって言った人の方が、
共同体としての一体感というか、
参加してるっていう楽しみ方が豊かになるんですよ。
その時にやっぱり、初めての人からさ、
なかなかこう、自分で仕事を見つけるのが難しいです。
役割を見つけるのが難しいみたいなのがあるじゃん。
俺最初に行ったときは、まさに役割がなくって、
なんか、要は、
どう言ったらいいんだろう、自分は、
あの空間にっていう気持ちにもなったりしたの。
みんなこう、あ、彼やるんだったら、僕これやりますよとかって、
動ける人たちはさ、
体育会系のノリとかも、もともといろいろ、
キャンプとかやってる人は動けるじゃん。
でも、
例えば、割と一人の時間に本を読んでるのは、
自分のペースがあるからさ、
自然の中で本を読むとかって、俺結構好きなタイプなんだけど、
とはいえ、みんなで一緒に焚き火組んだりとかした方がいいよね、
みんながいるとこに一緒にいた方が面白いよね、
みたいなのがあって、
その宴の期間中の、佇まいっていうか、
どう存在しているかっていうものを、
役職より大事にしたいなと思ってる。
だから、要は、
食材係とかってさ、
役割があるわけだけど、
俺これできねえなとかっていろいろあったらさ、
どういるかっていうことだけ、
この人はこういたんだ、座っていたんだとか、
寝転がっていたんだとか、
いることを肯定するなっていう気がして、
毎回俺、名前忘れるんだけど。
なんか結構さ、
いることがそもそも、
そもそもすごいじゃん。
なんかね、なんて言えばいいんだろう。
別に何もしなくてもいいわけじゃん。
言ったら言うてもさ。
だからそこ、何もしてないんだけど何もしてないわけじゃない感じって、
結構ああいう場としては、
やっぱりより強く出るわけじゃないですか。
結構なんか、
ああいう祭りごとってどうしても
なんて言えばいいんだろう。
やっぱなんかメンスとかに、
結構包括されるのかなって勝手に
思ったりはするんですよね。
なんか人とか。
人とか焚き火とかになっちゃいがちなんだけど。
なんかあと、なんて言えばいいんだろう。
おー珍しい。
祭りっていう概念化された名詞とか。
そういったものとかに結構フォーカスされるわけだから。
結構民族がその気はなんとなく
個人的な感じで、
名詞化しちゃうみたいな。
でもなんかそれじゃない動詞っていうところが
まあおもろいなって思った次第でして。
身体知能と自然との繋がり:鈴木大拙と禅の教え
そこのインスピレーションが
まさかの鈴木大説っていうところが
なんかタイトーさんっぽいなって。
俺っぽいって言われるの嬉しいな。
でも俺やっぱ身体感覚っていうものを
すごく頭で捉えたいから。
もっと、要は
すぐできちゃう人っていると思う。
俺割と理論化しちゃう。
それが運動神経なんだろうね。
たぶんそれが運動神経なんだろうね。
見たらできちゃうみたいな。
俺そこはある種、
現代人が失われたのって一つ身体知能と言われてる。
いいこと言いますね。
風がこっちから来てるとか、音があっちから聞こえるとか、
そういう森に
分け入ってたとか、
どこに何があるかを直感してしまう能力みたいなものは
昔の人間には携わっちゃったと思うんだけど、
そういうものを忘れていたってことを
思い出すんだよね、自然にいると。
確かに。
三つ子の魂100までだと思ってて、
それの最たる例でそれな気がしてて。
やっぱり
都会で育つみたいなと、
田舎で育つみたいな。
幼少期ね。
結構大きいポイントなのかなって。
虫ばっかりいるとこで育つ。
それは虫の音を聞く耳になってるわけじゃないですか。
ただそことあったら
コンクリートの上を走る車の音を聞く耳になるかみたいな。
シャットダウンする耳になるかね。
それが18歳の捉え方とかも
変わってくるのかなと思うし、
自然の方がやっぱり
聞こうっていう気になるし、
その感じもすごくあるんじゃないかなとは
思っていて、
それを解放する、
解放したんだみたいな意識を
そもそも持てるってこと自体は結構恵まれてるんじゃないかなって
個人的に思うっていうところなんですけど。
僕も結構その気になっている。
鈴木大哲の
写真集はさ、
あの人めちゃくちゃいろんなとこ公演行ったりとかしてて、
要は善のマスターであるんだけど、
めちゃくちゃ英語上手いわけ。
場所の俳句とかを
海外にこれでも買ってくらいの解像度で説明する。
英語力も持ってるし、
エリートだからってさ、
金沢とかの武家系の
一つなんだよね。
本当に金沢の城のふもとにあって、
水がポチャンって、
定期的に噴水がファって沸き上がって、
水面だけに波紋が広がっていくだけの庭みたいなのがあるんだけど、
善なのよ。
俺さ、鈴木大哲は善って本読んだのよ。
2回くらい。
何言ってるか分かんないけど、分かるって。
何時は何とかでみたいな。
何時って何?って思って。
でもなんか分かる、言いたいことはみたいな。
それに結構最初に触れたのは、
僕は結構鈴木大哲でした。
善とか。
なんか、ジョン・ケージ分かる?
ジョン・ケージってブラックマウンテンカレッジっていうところで、
アメリカの。
鈴木大哲から授業を受けて、
鈴木大哲が教団に立って、何を最初にしたかっていうと、
20分間黙ったんよ。
20秒間だったか分かんない。
とりあえずすっげー黙って、そこに馬鹿インスピレーションを受けて、
4分33秒っていうモーニング曲を作るんだけど。
鈴木大哲ってヤバくて。
当然海外、グローバル行きながらも、
その横でずっと秘書をやってた人が女性の方がいて、
その人が彼の本質みたいなものっていうのを、
姿勢上のカタズマイスがあるんだっていうことで、
プロでもなんでもないんだけど、
写真を残してたっていう写真集が。
それが話すとか、
鈴木大哲、
なんとか勘で読んで。
でもさ、
全然さ、よく四股ただって言葉がある。
相当集の。
一番なんか、全集の中で一番厳しい四股派で。
その相当集とかでよく言われるのは、
四股ただ座るだけっていう意味なんですけど。
それが禅の基本ですみたいな話なんですけど。
でもそういうことなのかなって思うし。
姿勢が。
大事だし。
発作っていう姿勢が乱れたら、
パパをパンって叩くやつ。
確か発作って言うんですけど。
みたいなことで、より姿勢を正すみたいな。
ところがやっぱり、
禅は特に大事になってくるんじゃないかなっていう。
なんかわかんないけどさ。
脱力と摩擦の軽減:東洋的な美学と人間関係
なんか、
テケテンスクテレスクテンスクテンっていう曲があって。
15万。
2回くらいタゲで流したんだけど。
どのくらいの費用したの?
お経みたいな曲なのよ。
昔の人ってお経ってこんな風に
スーって言葉が入ってきたんだってくらい、
現代っぽくされてるけど、
言い回しとかめちゃくちゃ考えられてる。
陰謀踏んでるみたいな。
聞きやすくするにはやっぱり。
肩のに下ろさなきゃ。
肩のに下ろしてやらなきゃやられる。
山の理っていう。
山の理っていう文章があって、
それすごいよくて。
山の中で生活って絶対必須でさ。
生き延びるためには頑張んなきゃいけないんだけど、
肩のにを下ろして、
この巻き割りはここまでだな、
明日もやるんだから。
明日も田植えするんだから、
今日はここまでだなっていう、
その脱力みたいなものが生活を支えてるみたいな。
歌詞なんだけど。
脱力だねって。
俺が最近水泳にハマってるのもそうだし、
キリン新聞をめちゃくちゃ楽にやっていこうっていうのも、
脱力なんだよね。
僕の脱力は結構人生のテーマだよね。
井上陽水を敬愛してるタッチなんで、
言わずもがなだよね。
脱力の天才じゃないですか。
田森とかももちろんそうじゃん。
脱力じゃん。
でも民族がやってきたことって、
そういうことっていうか、
マジで摩擦を減らしていくっていうことだけ。
武道とか合気道とか全部にも通じることだけど、
戦わないときは戦わないみたいな。
喋る必要がないときは喋らないみたいな。
俺とんかつ屋さんとか夫婦でやってるとこ行ってさ、
二人がマジで黙って、
ずっと作り続けてるパーキュレーションみたいなのが
めっちゃ美しいなって思ったところがあって。
俺と職場の近くにあったんだけど。
それとかマジで、本当に
一つの世界を二人で作り上げたら、
言葉っていらねえんだなみたいな。
分かるやん。
なんかめっちゃ東洋っぽいなって思った。
東洋医学とかさ、そんな感じじゃん。
病気になる前に
予防するみたいな。
ちなみにキリン新聞は、
10年経ったら
壮大リサーチして、
アジアを回りたいですね。
チベットとか行きたいもん。
中国、俺タイトって名前なんだけど。
タイ山。
絶対そうだと思う。
もっと上の方だと思う。
場所忘れちゃったけど。
ほぼチベットみたいな。
タイ山は行きたいなと思って。
私も十字架に点々の都なんですよ。
やばいんですよ。
この地って。
やばい地だと同時にしょうもない地でもあるんだよ。
そう、それもいい。
小さい測り用。
測りの単位でもあるっていうのがすごい。
だって情けないじゃん、ビジュアル。
弱々しいよね。
でも潔いしね。
結構気に入ってるんですよね。
分かる。
人って書くじゃん、みんな。
人とか。
でもあのね、
一生一度館の音は。
小堀の古着みたいな。
最高ですね。
小生ちゃんの古着みたいな。
俗学ね。
安いの置いてるよ、俺は。
実感ですね。
宴はだいぶ実感したね。
何を実感したかわからないくらいいろいろ実感した。
さっきの動詞の話の続きで言うと、
例えば、くべるとか
っていう動詞ってほぼほぼ使わないじゃん。
滝をくべる、薪をくべる。
みたいなの使わないけど、
ひびきさん新しい所住んでるんだけどさ、
あそこ風呂がさ、まじ焚き火巻きになる。
だからそれ毎日やんなきゃいけないよ。
って考えたら刀に下ろさないといってもまじで無理じゃん。
やる気が湧かないから、
まじで燃えやすいなこっちの方がみたいな。
そんな感じでくべ方を上手くやった。
それこそひびきさん最初に
平林さんやってもらった時に思ったのが、
焚き火がバカ上手いんだよね。
山の風とかを受けてこうやって酸素が入るんだみたいな。
空気の通りとか。
すげえ小さい所から始めた。
俺結構最初大雑把にガンガンガンガンって組んだんだけど、
火の粉って小さく上がるから、
小さい部屋を作っていって、
それを少しずつ広げていって大きくなるのがキャンプファイヤーだから、
要は理論は一緒で、真ん中に向けて、
固めていって小さい部屋を大きくしていって、
風の通り道をたくさん広げていくみたいな。
こうやって日本家屋的な感覚もあるっていうかさ、
空気を入れていくっていう感じで、
昔の茶屋とかがさ、
方角とかちゃんと考えられて作られてるからね、
ちゃんと空気を入れ替えるみたいな。
ああいう感覚とか、
焚き火にすげえすべて詰まってるなって感じがあって、
それをずつとかがさ、
焚き火師みたいな感じですよね。
めちゃくちゃ上手くなってる。
いろいろ教えてもらったんだけど、
こうしないとダメだとか、
飯に浸かるんだったらこれぐらいの炭の量が必要とか、
今のうちに火つけておいた方がいいとか、
夜中にずっと燃焼して終わるぐらいで、
みんなの眠気とか計算して、
これぐらい置いとけば最後は見てるだけでOKだなみたいな。
消さなくていいみたいな。
そういうのをコントロールしていくのが焚き火師っていう感じなんだけど、
あれが後輩の花歌の子たちが受け継いでって言ってさ、
何問とか再生されてるのにマジ入れてる。
焚べるってことだけでもこんなに深められるんだっていうのは、
マジで要は名刺的な肩書きじゃないっていうか、
これを俺はやるんだっていう。
確かに。
焚べるやつみたいな。
井戸くんとかもさ、飯っていう。
誰が、どれぐらいの人数が空腹を感じててみたいな。
たぶん計算してさ、
トルティーヤ焼いたりするじゃん。
ざっくりだと思うけど。
井戸さんは計算してないと思う。途中から。
作るやつみたいな。
あれもすげえもてなしっていうか茶屋っぽいっていうか、
みんなが自分の行動を通じて
提供できるものを場に置いていくって感じがする。
ああ、わかる。
あれが居方なんだよ。
どうやって面白くなってきたかっていう。
演劇的な生き方と「今」を生きる:自然体な人間関係
自然な行動って大事だなって思ってまして。
そいつがそれやるんだってあるじゃないですか。
変な意味でね。
それに馴染むっていうのが
結構宴出てたよね。
みんなさんっていうか。
自然な感じというか。
俺片手にさ、本持っててて。
福田常理っていう人の
人間、この劇的なるものっていう本なんだけど
劇的っていうのがドラマチックっていう意味じゃなくて
演劇家のように生きるっていうことなんだけど
演劇って常に現在で
過去のことを考えてもなければ
未来のことも考えてもなく、ただ現在を進行させるんだけど
そこには必ず必然性があると。
誰かに復讐されたんだったら
親を殺されたんだったら復讐するみたいな感じで
例えばハミレットとか
例えば宴の空間もどういるかっていうのは
常に現在進行形で
たまたまトイレ行きたくなったついでに
こっちのグループが盛り上がったんだったら
さっきのグループ外れてこっちに混ざってみるかみたいな
意外とその身体的な感覚から
ナチュラルに接続して、切断してっていう感じで
俺らは丸人的にさ
小集団がさ、繊維していく
あれってなんかすごい演劇っぽいっていうか
スリープのマーティー
ニューヨークのみたいがあるんだけど
ホテル
元々ホテルだった場所を
何回かあるんだけど
インプロじゃない?
インプロではないな
インプロ的な要素もあるけど
観客が存在しないっていうことを証明する
グラスみたいなのかけて
ニューヨークで一番
一番最高の100ドルの使い方っていう
スリープのマーカー
ハムレットのやつを下敷きにしたやつなんだけど
キャラクターが
バーテンにいるキャラクターがいたとしたら
急に思いついたように外に飛び出したりするの
そしたら恋人と待ち合わせしたりしてて
そこで人を殺されたりして
ついてって見に行く最後
しょうもない脇役キャラについていっちゃうこともあれば
ハムレットを見つけることもあれば
主人公を見つけることもあれば
最終的に一番最後に山に集まって
山が動き出すみたいな
一つの場所に集合するっていう
どうやったって集合するっていう作りになってた
自然体でずっと空間に存在し続ける
みたいなことをすごい考えさせられる
暇なときずっと曲作りしてる
今日だって図書館行ってた
何読むの
ちょっと考えたんですけど
大人になってからの友達って
すごいなって思って
能動的に集まるわけじゃないですか
学校みたいに自動的に作れないから
ってなると自分で選択していくわけじゃないですか
そこに結構自分の中の責任みたいなのが生じるわけじゃないですか
だから故に友達になる人って結構
付き合っていいかどうかみたいな
自分の中のフィルターが絶対にあるわけじゃないですか
だからそれをクリアしたってことは
むしろいい関係を築きやすいものにはなるじゃないですか
って考えたときに
あの宴ってそれの集大成な気がして
それの集大成かつ
これからもっと友達になりたいなっていう人がいっぱいできるし
だから要は友達の友達は友達みたいな
いっぱいって言ってもそんな人数いないんだけど
俺の中では
この人よりもっと知りたいってめっちゃ思う
それすごく感じたな
楽しみだよね
踊り、バランス、そして循環:宴での体験と学び
あとなんか宴行ったみたいな
あの場行ったんだみたいなテンションにもなるじゃん
それもいいよね
生活の中であって
俺さ
DJのときにさ
結構本格的にずっと踊ってたじゃない
俺あの時間すっごい良かったな
マジで
みこしかスイレンと同じ
一体感覚を得るっていう
男の子だったら一緒にスマブラしてるときで
互いのこと何も考えてないけど一つのことやってるみたいな
それが体使ってやってる感じがすげえいいなって
DJ良かったな
あそこにいたよなっていう感覚って
一つの共同体意識だよなって
あれってさ踊っちゃうじゃん
踊るっていう
しかも踊りにも癖が出るっていう
なんて言えばいいんだろうこの感覚
なんかね
体中の血液それですみたいな
感覚っていうか
リド君がさ言っててさ
これめっちゃ分かるんだけどって思ったんだけど
たけびの場ではみんな踊ってなかったからか分かんないけど
何言ってんのみたいな感じになったのが
人生は
踊ってて思ったんですけどね
横乗りと縦揺れをバランスよくコントロールしないと
多分持たないっすよ
いいこと言うと思って
上がってくタイミングで上がってくためには
サボるタイミングでサボんないと
踊り続けらんないじゃんみたいな
そりゃそうだよね
バランス感覚
ある人って大事だと思う
水泳最近
今日初めてさ
右の方が呼吸得意なの
左苦手なの
右クロールだと
でもどう考えても均等に割ったほうがいいなと思って
バランスなんだ
体のねじれって均等であったほうが絶対いいから
やばいちょっと待って動詞が決まんねーな
そろそろ一旦いいかも
ありがとうございました
二重の振り返り会でした
ココタンなんかある?
何が?
踊ってどうだった?
ココネです
うちが踊って感じたことは
短めね締めだから
うちは細かいところまで
ビートまで感じて踊ってたけど
ひびきさんは全体を感じて
気持ちよくやってたし
人それぞれの音楽の感じ方が
めちゃくちゃ出ててよかったです
ひびきさんの話でめっちゃいい話があったの
ひびきさんいろいろさ
引っ張ってるじゃん
宴の構想とかもいろいろ全部バーって考えてるわけよ
ずっとあそこにほぼほぼ反映中しながらさ
ステージがやべえと思って俺知らなかったよ
こんなの作ってんだみたいな
プログラムもめっちゃよくてさ
ずっと起きっぱなしだったりとかしてるからさ
めっちゃ宴のために気合い入れてるからさ
うわーって上がってんだけど
途中でうわーって帰った
竹火のところで座ってるときに
それこそツッツーに教えた竹火を
花歌の後輩に教えてって感じで循環して
花歌のアカペラグループの男の子たちが
ずっと竹火をやってて夜中に
で、その時に暑いってくらいわーって燃えるんだけど
いろいろな角度から見ながら竹火作ってるからさ
その男の竹火師たちがさ
座ってる人たちの前に立つの
あーそういうことかね
それで響さんの前に立ったときにさ
暑かったのが急にふわーって涼しいー気持ちいいーってなって
あの響さんが
響さん前に人が立ってくれることの涼しさよ
って言ったの
なるほど
これ見開きだなーと思って
なんかおじいちゃんに見えてきて
あなたもついにクールダウンしたんですか
みたいな感じだね
バランスだね
村長って感じがしてよかったな
バランスがね
そんな可愛いもんじゃないかも
今回はこんな感じですありがとうございました