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子どもの姿に、つい意味を探してしまう人へ #103
2026-08-26 36:34

子どもの姿に、つい意味を探してしまう人へ #103

「飽きっぽい」はネガティブな言葉に聞こえますが、90歳の画家・横尾忠則さんは「やり切ったからこそ飽きる。飽きるからこそ変化できる」と言います。子どもの遊びの見え方と、意味付けに悩む毎日が少し軽くなる回です。


今回はチロ先生が『飽きる美学』(横尾忠則/実業之日本社)を紹介します。


▼今回の話の流れ

今年90歳、現役の画家・横尾忠則さん/「飽きる」は、やり切ったのと同じこと/飽きるからこそ変化して、次へ進める/今の子どもは、飽きる前に次の刺激が来る/それは飽きたんじゃなく、気が散ってるだけ/コンテンツの飽き・創作の飽き・仕事の飽きは別もの/わかった気になった瞬間は、まだ入り口/「考えない力」──意味を求めすぎない/熱中して遊ぶ子どもに、意味付けで水を差さなくていい/考えてるようで「言葉にしたいだけ」かもしれない/遊びを「処理か、考えるか」で見分けてみる/天才の「何も考えない」を真似すると火傷する/人生はずっと遊び──大人こそ熱中する姿を子どもに


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サマリー

このエピソードでは、90歳の現役画家である横尾忠則氏の著書『飽きる美学』を基に、「飽きる」という概念について深く掘り下げています。一般的にネガティブなイメージを持たれがちな「飽きる」という言葉を、横尾氏は「やり切ったからこそ飽きる」「飽きるからこそ変化し、次へ進める」とポジティブに捉えています。現代社会では、子どもたちが遊びに集中する前に次々と新しい刺激に触れてしまい、真の意味で「飽きる」という経験が少なくなっている現状が指摘されています。これは、コンテンツの飽き、創作の飽き、仕事の飽きといった異なる種類の「飽き」についても考察し、特に子どもたちの遊びにおいては、意味付けに悩みすぎず、熱中する姿をそのまま受け入れることの重要性が語られています。また、現代人が「意味を求めすぎ」「考えすぎ」ている傾向に触れ、「考えない力」や「意味を求めすぎない」ことの大切さを説き、保育者や大人自身が「人生はずっと遊び」と捉え、熱中する姿を見せることが、子どもたちへの良い刺激になると結論づけています。

番組紹介と横尾忠則氏『飽きる美学』の紹介
こんにちは、保育園看護師のチロ先生こと佐藤です。 新規事業の力で日本を開国せんとす合同会社黒船の基礎です。
私、黒船のカワジです。 はい、僕たちは高校の同級生3人で、保育業界向けの新規事業を作ろうということで日々頑張っております。
はい。 このラジオではですね、週代わりに我々がいろんな本を持ち寄って、
ぜひ保育士の皆さん、保育者の皆さんに読んでほしいなっていう本を紹介しながら、
保育について考えたり、いろんなことを考えたりしながら、ちょっと知見を深めていこうというそんな、そんなコンセプトのラジオです。
はい。 というわけで、本日はですね、私佐藤から
をご紹介させていただきます。 お願いします。
お二人はご存知でしょうか。 横尾忠則という芸術家の
飽きる美学という本を今回は紹介させていただきます。 面白そう、横尾忠則。
飽きる美学、かっこいい、知らない。 横尾忠則はね、あの画家なんですけど、
結構僕は好きで、面白いなと思っていて。 グラフィックデザイナーの人か。
そもともとはグラフィックデザイナーだったけど、ひょんなことから画家になり、もう様々な作品を作り続けて、今年約90歳ですかね。
今年ちょうど90歳。
っていう方の書いたこの飽きる美学っていうところからちょっと保育についても考えていきたいなと思ってますので、ついてきてください。よろしくお願いします。
「飽きる」ことのポジティブな解釈と現代の子どもの遊び
よろしくお願いします。
簡単にね、横尾忠則さんのプロフィールを紹介するんですけど、今高谷さんが言ったとおり、グラフィックデザイナーとしてちょっと働いた後、
古典を開いたり、画家になったりして、で割と近くに住んでいらして、正常にアトリエがありまして。
そうなんだ。
そう、彼はすごく精力的に作品を作ったりしているんですけど、なんか単純に作品がどうこうっていうよりは、すごい彼の柔軟な考え方というか、
芸術家とは思えないような、すごくいい意味でこだわりのなさというか考えてなさというか、そういうところにとても興味があって、なんかね、ずっと頭の片隅で知ってたんだけど、
ついこの間、実は別のYouTubeのほう、チャンネルでインタビューされてる動画が上がってて、それぜひね、お二人にも皆さんにもぜひ聞いてもらいたいなと思うんですけど、
それが結構僕は好きでしたね、そのインタビューの内容というか、その90歳のバリバリ芸術家としてやってきた人が、今この現在の世の中、いろんな意味を考えすぎてるよね、意味を求めすぎてるんじゃないみたいなところから、
まあご自分のエッセイというか、飽きる美学っていう本は割と彼の反省をこう遡りながらというか、反省を遡ってるわけじゃないか、なんつーか彼がいろんなテーマについて考えながら自分の過去のことを考えたり、自分の考えをこういろいろと書いてくれてるようなそんな本なんですけど、
で、ぜひホイクレッシャーに読んでもらいたいなって思った理由の一つ目は、飽きるっていうことに対して、なんとなくネガティブなイメージがね、言葉としてはあるかなと思うんだけど、
そうだね、なんか続けられることが美徳みたいな、しかもなんとなく内在化してるよね
もうね、僕これ、その横尾さんの文を読んで、すごいわかるなって思ったところがあって、こうやりきるぐらいまで、そのとことんそれについてやりきると、まあ飽きるのよ、
飽きる、すごい、なんか俺飽きるって、やりきったとほぼ同義な感じがするね、自分の中で、
面白いね、なるほど
なんとなく、本当に僕割とハマるとちゃんとそれをやり続けるというか、とことんその世界に入り込むタイプの人間なんですけど、
例えば学生時代に、あの居坂幸太郎の小説にすごいハマったときに、とにかくそのある居坂幸太郎の小説を全部買ってきて、ひたすら読み続けるとか、
例えばカルディで新作のお菓子が出たときとかに、うわめっちゃおいしいと思ったら、なんかとりあえずもう食いたくねーやと思うまで食べるとかね、
なるほどね
僕割となんか自分がそんな感じのことをしてきてる人生で、で、なんかまさしくそれで急に飽きる瞬間があるのよ、そう、
で、横尾さんもよくもう絵に描くの飽きたってしょっちゅう言ってたりとか、なんならその前職のグラフィックデザイナーのやる前、
なんならもう3歳とかそのぐらいからずっと絵描いてて、全然仕事にするつもりなくてなんもなかった、なんなら郵便局で働こうと思ってたのに、
まあでもひょんなことからいろんなことが重なって、まあ新聞社で勤めながらなんかこう絵を描くお仕事になって、気づいたら画家になっててみたいな、
で、なんかもうしょっちゅう飽きた飽きたって言ってるんだけど、なんか嫌いになって辞めるとかではなくて、もうずっとやってきたからこそ飽きるという感覚が初めてあるんだっていうところに横尾さんの飽きる美学がやっぱ詰まってて、
なんかこう、その中でも変化変化、変化をし続けるっていうところがなんかね、すごい面白い解釈だなと思っていて、
これやっぱ飽きる悪いこととして捉えてるのじゃなくて、飽きるからこそ次のステージに行けるというか、飽きるからこそ変化していく、でまたそれについてとことんやっていくみたいな感覚が彼の中にあって、
で、これって割と僕は保育の中でもなんというか、子供たちがね、最近やっぱ子供たちが遊び込むみたいな瞬間を、僕はあんまり感じれてないなって思うことがあって、
はまりきるみたいなこと?
そうそう、我々の時ってさ、やっぱコンテンツは今ほど多くなかったし、遊ぶものとかその幅みたいなものも、まあある程度限定はされてたじゃない、
で、自分たちの頭で考えて何かこう、何かを作ったりもそうだし、なりきって遊ぶもそうだけど、なんかもっとこう、それをやり続けられたなっていう感覚がちょっとある、なんとなく、そこにはまってそれができたというか、
そうだね、逆に言うと他にすることがないというか、選択肢があんまりなかったからね。
そうそうそうそう、まあある種この横尾さんの思うような飽きるっていうところまで、あの、やれてたなっていう気がするんだけど、まあそれこそドパ楽器の川尻さんはよくご存じの通り、
もう飽きる前にもう次のドパ、次のドパ、次の刺激、次の刺激っていうのが今当たり前にあるじゃないですか。
そうだね、今のコンテンツってやっぱ飽きさせないっていうところでかなり重きを置いてる感じはしちゃうだろうね。
そうそうそう、なんかそこがまあ子供たちの遊びにもなんとなく反映されてるとか影響があるのかなっていう気がしていて、
うん。
こう、なんていうの、一つの遊びに、こうなんというか、集中しきれてないって言うとあれだけど、なんかちょっとやってやめて、ちょっとやってやめてって、
なんか表現するのはそれは飽きたからやめて次いってるみたいな感じで思いがちなんだけど、それは飽きてるんじゃなくて気がつってるだけなんじゃないかなみたいな。
興味深いね、飽きるときが。
それちょっとおもろいなあと思って。
千尋の言い振りがその、いやそれはそれで飽きたじゃないのって思ったのが正に千尋から言われて、飽きる美学は千尋なりの解釈をすれば、やりきった、やりきる美学ってことなんだね、言い換えると。
そうそうそうそう。
そこでいう飽きる美学っていうのは。
なんとなく。
面白いね。
飽きるまで、そう。
飽きるまで遊べてなさそうだよなあってちょっと思って。
なるほどね。
なんかぜひお二人にもそのことを一緒に考えてもらいたいなあと思って。
確かにその子供、お一個目一個とかを見てると、お一個が最近はもうyoutube禁止ねみたいな感じになってて、なぜなら辞められないからっていう。
飽きるじゃなくて、時間とか別の用事という別タスクが滞るから、外部的な要因で辞めるってしないと辞められないっていうのは、まさにその、止まりはしないってことだよね、ずっとね。
そうそうそう。
それは確かにあるね。
確かにyoutubeとかって気が散り続けているとも言えるよね。
ずっと新しいコンテンツが。
そうなのそうなの。
なんかすごい、これって難しい、現代社会の課題というか、闇な部分というかね、こういったいろんなコンテンツがある中での負の側面というか。
うん。
なんかそこに子供たちの遊びにも影響しているものがちょっとあるのかなあってちょっと感じたなあっていうところで、
もうなんかこう、飽きるっていうそのもの、その言葉の意味というか感覚をちょっと変えて世界を見れると、なんというか、面白いかなっていうのがまあ一つ目の保育士さんに読んでほしいと思った理由です。
「飽き」の概念の複雑さと大人・仕事における飽き
うん。
なんか今の話だけ聞くと、飽きるっていうことはいい、まあ子供に向けてで言うとちょっとまず難しくて、外部環境的にそれが成り立ちにくいよねっていう話があるっていうのが懸念だよねっていう懸念の問題と、
これを大人にした場合、大人は意外と飽きるまでそもそもやらないし、飽きたとしても辞めない、辞められないこともあるよねみたいなのがあるじゃないですか。
そのコンテンツと仕事はまた違うじゃないですか、多分。
そうだね。
多くの大人にとって。
うん。仕事飽きたから辞めようってなかなかならない。
そうそうそう。
そうね。
で、だけど横尾さんは多分どちらかというと仕事でも飽きたら別のことをする、はあってもいいんじゃないかっていう。
スタンス。
メッセージ、スタンスなのかな。
なんだろうね、なんかまあとはいえずっと、だから1個の作品を書くまで、すごいすごいペースで書いたりとかしてんの、なんか1年半とかで102点とか書いて個展出したりとかするぐらい。
でも自分の中ではその1枚の絵にこだわりすぎてないというか、もうほんと2、3日ぐらいでその1枚の絵を仕上げる。
でもある人その1枚に向き合って飽きるとこまでやって、もういいやと思ったらそれが完成とは思ってないんだけど、もうそれでその絵は終了みたいな。
うん。
永遠と繰り返してるような。
なるほどね。
なんかその感じの難しさは、なんかもうちょっと切り分けるといくつかあって、コンテンツ摂取としての飽きと、クリエイティブを出すということに関しての飽きと、仕事に関しての飽きっていうのは多分、なんかやや違うんだろうなっていう感じというか。
そうだと思う。
一段階抽象化すれば、やり切る、熱中することがまずは大事だっていうメッセージとして捉えれば共通点はあると、それにどこまでやるかというか、結局その熱中するも主観なので、
本人にとっては3秒でもめちゃくちゃやり切ったって言ったらやり切ったよねって言われるかもしれないっていう、その客観的時間軸ではわかり得ないもの。
難しいね。それこそ気が散るのとどう違うんだぐらいの。
その対象への興味を失うってことは主観的な話だからね、結構。
なんでその外により魅力的なものが現れたのか、その対象自体に本当に興味がなくなったのかって微妙に違うんだよね。
わかんないけど、じゃあそのショート動画っていろんな動画をわちゃわちゃわちゃわちゃ見続けちゃうから、1本あたり少ないよねっていう感覚もあると、
ドパが来たる僕から言わせれば、あれってその3時間見ていくことでつかめるトレンドっていうのもあるんだよね、みたいな話とかもあるわけよ。
だから相対として捉えてるんだよね、その一個一個。
YouTubeショートというものの構造はこうなっているんだなとか、YouTubeショートとしてはこういう動画を上げていて、こことここは近いアルゴリズムになっていくんだなっていう。
そういうものをある種学べると考えれば、こいつがなんですよ、脚論というか。
別の動画に飽きるのと、YouTubeショートで飽きるのにしようと。
全く思わないんだけど、そういう捉え方をしたら別に、何ていうか、注意を奪われ続けてはいるが、飽きるまで突き詰めてもゆるとも捉えられるところになっていくので、
この主観性もあるし、今言った横尾さんの話は確かに僕もちょっとわかるというか、動画1本出すのってこだわろうというのがいくらでもこだわれる。
作品はそうだよね。
この間とかをもう全部切ったりとか、何ならここ気に食わないから言い直したりとか、やっぱり撮り直そうとかしたって言うんだけど、
でももう毎週出すって決めてるから、いろいろもうこれ以上見ないって決めて。
どっかで落としどころというか、自分の中の決めの問題だもんな、そこは。
みたいなことをしないと次に進まないよねっていう。
クリエイティブみたいなものを出すときはそうだし、仕事ってなったときに飽きるまでやったんだぞって言い切れるほどやるって結構簡単じゃないじゃん。
そうだね、環境的にも難しいよね。仕事の内容にもよるし。
そう、たぶん聞いてる人もちろん大木さん君もわかると思うんだよ。なんとなく新人、ダニング・クルーがこうかって言ったりするのさ、
全てわかったみたいになった瞬間って実はまだ何もわかってないみたいな。
やっとね、入り口だよね。
そうそう、そこで飽きたと感じて次行ってたら結局何もならないよねみたいな話とかもあったりするから、
なんかその飽きっていう単語表面で捕まえることが言いたいわけでもないんだろうなっていう感じが今聞いていてちょっと思ったとかね。
理学だからね。
そうそう。
その主張はもうちょっと知りたいな。
「考えない力」と意味付けに悩む保育者への視点
これぜひ皆さんにも本読んでもらいたいなと思うんですけど、本読むだけじゃなくて、
俺この最近上がったyoutubeのインタビューぜひね聞いてもらいたいなと思うんだけど、なんかその中でね、今の話につながっていくとことして、
彼は本当に俺は何も考えてないんだみたいなことをねすごい繰り返し言ってて、みんな現代人は意味っていうものを捉えようとしすぎてるというか、
それはアートの世界もそうで、コンセプシャルアートっていうものが今流行りというか、
そうだね、まあ現代美術はだいたいそうだよね、コンセプチュアルだよね。
なんというか、やっぱ意味をそこにどう見出すかみたいな、そこにこういうふうに絵を捉えるとか作品を捉えるみたいなとこにすごくフォーカスが当たっているんだけど、
横尾さんの作品、てか自分がのやり方みたいなものって本当意味なんて何もなくて、何なら空っぽな状態からただこう、ただ描いてみたみたいな、
解説をするようにやってるわけだね。
全然、だから絵なんてどう見たっていいんだっていうのが彼の主張としてもともとあって、
だから現代のそのコンセプチュアルアートっていうものに、なんかちょっと意味求めすぎじゃないみたいな、
現代人は考える力、考える力って考えることばっかりにすごく力を注いでるけど、
自分としては考えない力を身につけよう、考えないっていうことをちゃんとした方がいいよぐらいなことを言っていて、
確かにそれって、現代のそれこそ教育とか、保育もそうだと思うんだけど、
もうすべての事象に意味を見出そうとして考えて考えて何とかしようっていうことが生活の種じゃない、なんとなく。
その中で考えるなって言われた時にどうしようってなる人が多いと思うんだよね。
でもこの意味を求めない、意味を求めすぎないっていうところはすごく保育には大事だなと思っていて、
っていうのも、我々はもちろん仕事的にその質を担保するために狙いをもともと作って計画をして狙ってやっている仕事ではあるんだけど、
本当にそれがなんというか、保育の質として重要なのかなみたいな前提を疑いたくなっちゃうなってちょっと思って。
だって子供がただ熱中して楽しく遊んでいたら、その遊びを成立させて後付けでもなんでもいいから、
ああだったこうだったって言うでもいいじゃんってちょっと思っちゃうんだよね。
最初から狙ってましたぐらい顔をしたっていいじゃん、別に狙いと外れてたっていう。
もちろん職業的に質を担保するためには計画は絶対に必要なんだけど、
なんか子供がただただ面白く楽しく熱中してやっていることに水ささなくてもよくない、
なんかやっぱ人間というかこう難しい、難しいというか感情的になっちゃうなって思うんだけど、
それこそ2歳3歳が使ってる言葉なんてさ、意味もわからず言ってるようなこといっぱいあるのに、
なんかちょっとひどいこと言ったかってそんなこと言っちゃダメでしょみたいなめっちゃ怒るみたいな、
自戒も込めてですけど、そんな意味わかって言ってないんだよ、意味なんてないよって、
なんかその子供に意味をこう見出そうとしすぎてしまっているなっていうね、
もっと子供は自然な存在でもうそれをただただこう表現してるだけで、
なんか分析とかじゃなくそれをそのままありのまま受け入れて許してあげりゃいいのにぐらいだ、
ただ面白かった、そうだよな面白かったよなでいいじゃんっていう瞬間が自分にも結構あって、
だからある種保育しながらその意味付けだったりあれはなんだったのどうしたんだろうみたいなところに苦しくて悩んでるような保育者の先生たちに、
ちょっとふと肩の力を抜いてもらえるようなアドバイスとまではいかないけど視点の切り替え方を、
横尾さんのこの飽きる美学から摂取できるのではっていうところで紹介したいなっていうのが二つ目の理由です。
現代社会における「考える」ことと「処理」することの違い
なるほどね、考えすぎ、意味を求めすぎないってことだよね。
そうそうそう。
なんかなんで今そういうふうに意味をさ、求めるというか考えすぎる社会になってんだろうねって考えるとさ、何なんだろうね。
なんか考えることって多分さ、昔は哲学者の仕事だったわけじゃん。
それは暇な人というか、
そうだね。
そう、空に困らず考えることで人生を過ごせる人たちがやってたんだけど、
今確かに最低限空に困らない世の中になりつつ、だからある種昔に比べれば暇になったはずなのに忙しくしているし、
だけど考えなきゃいけないしって。
確かにね、個人的には意味を求めたがるっていうか、もうちょっと違って言葉に従るんだなっていう感じのほうが近いなあ、そうな人いて。
確かに確かに。
言うほど考えてないと思うんだよね。
そうかもね。
考えてはなくて言葉で言いたいとか、制度化したいとか、仕組み化したいとか、再現性を持たせたいとか、工業的なんだよなって思う。
あれだと説明が必要な社会なんだよね。
そうそうそうそう。
説明責任じゃないけどさ、保育園なんて咲いてあるものじゃない。
そうそうそう、そうなのよ。
なんなら説明できるためだったら考えなくていいような振る舞いをするっていう感覚が僕は近いんだよな。
確かにね。
考えがない説明をしてるなっていう感じがするのかな。
あんまり考えてはないんじゃない、言葉にしたいだけなんじゃないっていう感覚のほうが僕は、真の意味ではあるかもしれない。
確かにな。深い思考を必要とするような仕事がそんなに多いわけではないって言ったらあれだけど、
基本は誰かに説明できることの重要性が過去に比べてましたっていう可能性はあるよね。
そうだね。
あとは比較対象が多いっていうのがそうなのかな。考えるきっかけになる、比較しちゃうみたいなこともその一つだと思うんだけど。
なんかある種、子育てもそうだし保育もそうだけど、もっと感覚的だっただろうになみたいな場面がやっぱ多くて。
まあそういう原始的な社会はそうだろう。
そうそうそうそう。で、もっと直感に従っていいのにみたいな、直感的で良いのにと思う場面は多々あるのよ。
で、やっぱり今お二人が言ったみたいに、なんていうかどうにかこうにか言葉に変えなくちゃ、共有ができないからみたいな。
すごい難しいんだけど、なんていうかその。
説明責任の世の中だったな。
そう、肌感覚で、本当感覚で、フィーリングでコミュニケートしきれないような感じ。職員同士も。
子供とは多分できるっていう、子供とはなんとなく感覚的につながっているんだけど、
だからそれをやっぱ説明できないし、共感共有できないような場面が多いから、
本当に保育だって、それこそ再現性を本当は持たせたいのに、あの先生としかこうできないとかさ、この先生とは寝るけど、あの先生とじゃ寝ないとかさ。
相性的なものがあると。
人が変わると再現できないみたいなことが多々ある中で、それが何でなんだろうみたいなその意味を考えようとして、やや無駄な時間を過ごしがちみたいなね。
そうだね。考えるのが好きなんじゃなくて、情報が多いから情報と比較したり、再現性を持たしたり、工業化したり、制度化したり、一般化したりするのが好きというか正しいというか、
そうね。
そういう感覚値があるからっていう方なんじゃないかなっていう気はするな。
言葉で説明できることが正義みたいな論調というか風潮が強い感じはするからね。
だからその、教養チャンネルが好きとかってやっぱ説明できるようになると楽しいっていう。
ある種分かった気になるというかね、形になる。
教養さんの意味を見出すとかもさ、いやこの絵にはこういう意味があってって言った方が味わえる感じがするから嬉しいっていうものを演奏であって、考えてるわけじゃないと思うんだよね。
確かにね。考えるって何なんだろうな。
考えるって多分本当の個別化とか観察とか対抗に向けての一般化しない思考っていう方が僕は感覚値近い。
なるほど。
一般化した情報をもとに分析するはなんか思考とは違う、処理とか面白い。
そういう感覚に近い。
パターン化とか統計的なことはその処理に近いってことなのかな。
問題を解いてるのと作ってるのは違うじゃん。
そりゃ明確に違うね。
作るのの方が僕は考えるっていう感じがするなと思って。
それ言うと多分横尾さんとかはさ、作る側じゃん。アートとか制作をしてる人ってのは本来考えてる人じゃん。
でもその考えてる人が考えてないって言ってんでしょう。
これはね、俺横尾さんが悪いと思う。天才のその。
「作る」ことと「処理」すること、遊びの捉え方
なるほどね。
それは知らないんだけど、できる人はいると思うんだけど、それに憧れて何も考えないで作るんだって言って失敗するクリエイターの方が絶対多いから。
なるほどね。そこに屍が。
それは確かに確かに。
僕は横尾さんを否定したわけではないけど、横尾さんに憧れて何も考えない方がいいんだって思ってクリエイトするのは怖いよってちょっと思っちゃう。
さすが。いいね。現実的で。
こんな何も考えないで出したって言って受けるみたいなことはさすがにちょっと。
確かそうだね。
言ってないことがありすぎる。横尾さんはいろんなインプットが原化しないだけで存在して、それがなんとなく出ているっていうのの結果でしかないので、じゃあもうあれまでいいんだは絶対違うと思う。
うん。
なるほどね。
確かに。
いやー面白い。川尻らしい。
いや、なかなか現実的な視点でめっちゃ面白い。
ほんとにほんとに。
なるほどねって思ったわ。
おもろいわ。
確かに。
そうだね。考えてないと思うよ僕。あんまり人、この人考えてるなって思うことより処理してるなって思うことがやっぱ多いから。
まあ生活する上では考えることより処理することの方が必要だからな。
そうそうそう。
仕事とかで。
考え、自分もそうですね。自分もそんな処理した方が楽だし早いからしてるけど、考えるってやっぱりそのない問題を作っていくかって、それこそ哲学だと思っているから、どうでもいいこと考えてる時でもやっぱ考えてるなっていう感じするもん。
なるほどねー。
まあ、甲斐がないものを探すっていう行為がある所考えるってことなのかな。
だからそういうものを子供に与えてあげた方がいいかもねっていうのはいいかもしれないよね。
多少処理ではなくね。
そうだ。
YouTubeなんて一番処理なんだからね。
そうだよな。
その動画一緒に作ってみようよとかの方がよっぽど考えるな。
そうなんだよな、結局おもちゃとかもさ、いろんなものができていく、それこそ処理なおもちゃがいっぱいあって、
おもちゃなんか使わずにでも遊びなんていくらでも展開できるのに、なんかおもちゃがないから遊べないみたいなさ、なんかおもちゃちょうだいって言いに来るみたいなのって、ややちょっと危険信号だなって思っちゃうっていう。
工夫の不足だよね。
だから僕はマイクラってすごいなと思ってて、あれは結構工夫の余地がある。
そうだね。
賛同発覚的というか、自分でお城を作るのをレベル100みたいなことができるもんね。
ある種バーチャルのレゴみたいなもんだもんな、あれは。
そうだね、あれは完全にそうだね。
で、コミュニケーションツールにもなるから、それは世界で一番売れるゲームになるよなって思ってる。
そうね。
なるほどね。
その、そういうなんか切り口からいろんなコンテンツだったりゲームだったり、おもちゃとか遊びを考えるっていうのも、なんかお二人の目から見てこれってどうなのかみたいな、すごい楽しそうだなって今思ったのと。
そうだね、チャリソーとか最悪なんじゃない?やっぱ。
処理でしかない。
そうそう、あれ処理でしかない。
処理でしかない。
処理でしかない。
あれ考える、ある種考えないでできる。
考えはない、そうそうそう。考えはないよ。
良くない考えないができる。
そうそう。
想像性は別にないよね。
あれらしいやっぱドパガキ第一世代。
そうだよ。
フラッシュゲーム全盛期のおかしな。
あれはあれ、ドーパミン出しまくってるね。
糸通しとかね、やってたよね。
あ、懐かしいね。
そうそうそう。
あれやっぱドパガキ第一世代。
処理だなあれは。
処理ゲーム。
確かにね、面白いね。処理か処理じゃないかで見る遊びの世界ちょっと面白い。
面白いね。
「人生はずっと遊び」と大人の役割、自己実現
最後遊びっていうところでもうこれで終わりになるんですけど、
なんかその飽きる美学って小説小立てが7個ぐらいに分かれてて、
第7章が人生はずっと遊びっていう題名で入っていくんですよ。
カージさんが言った通り横尾さんはおそらく天才の部類なので、
なかなかねこれをこう人がやるのは難しいだろうと思うんだけど、
でもやっぱ子供たちには遊びなさいと言っときながらも、
大人は全然遊んでないじゃんねみたいな感じのことがなんとなく書いてあって、
お二人はねどちらかというと遊べると思うんですけど、
遊んでるし仲良すなってね。
まあそうだね、俺はその人生遊びっていうのに全面同意だけどね。
だからなんかそのなんとかやっぱ遊びとまあ余裕とも言い換えられるかもしれないけど、
なんと余白というか余力というか、
やっぱ保育士さんはわりかし真面目な方が多い印象なので、
もっともっと自分の好きなこととか趣味でもいいしなんでもいいんだけど、
なんか自分が楽しく遊んでいるっていうところを子供たちに見せていった方がいいよなってちょっと思っていて、
なんかその仕事に一生懸命でとか目の前の子供のことに一生懸命でも素敵なんだけど、
そうじゃない先生自身がもう心から熱中できる、もう飽きもせずやり続けられることでもなんでもいいし、
なんなら飽きてもさらにそこから変化してもう形を変えてずっと続けているようなことでもいいし、
なんかそういう生き生きとしたこと表情だったり行動だったりを子供たちに見せることで、
それは何かいい刺激になるんじゃないかなっていう気がするので、
だからねなんとなく高休みは子供が寄ってくるんだよ、こんなやべえやつなのにっていう。
スタンスが子供のままだからだろうねそれは。
そうそうそう、どこか共感、共鳴するものがあるんだろうねっていう気がするんだよね。
子供ってそういうのを見極める能力がなぜかあるので、やっぱり遊べって楽しい何かを感じる人に生きがちなので。
確かに楽しく生きてるよね。
ちょっとなんかその先生たちの保育館みたいなところ、自分の遊び館みたいな、
をなんかちょっと一段深めるっていう意味でも読んでみたら面白いかもなって思いました。
ある種より良い保育をするために自分自身のその遊び方っていうかね、楽しみ方というかに向き合うのも確かにいいかもしれないよね。
そう、なんかもっと言えばその子供たちには是非自己実現をしてほしいみたいな感覚があったとしたら、
自分自身が自己実現していない人間にそんなこと言われてもなっていう感じがどっかにあると思うから、
なんか自分自身の自己実現のために遊ぼうぜっていう感じの、そんなメッセージにも捉えられるかなと思って腹割って話しました。
いやもう割ってないよ。
割ってないね。
これは割ってない。
全然割ってない。
別にケイターと同じ派閥ではないんだけど、これは割ってないね、別に。
良かった。
「飽きる」ことへの新たな気づきと本への誘い
良い着地が思いつかなくて腹ばったり逃げましたね。
でも飽きるっていうテーマ自体はめちゃくちゃ面白いなって思った。
うんうん。
確かにねっていう。
そうだね。
飽きる。
うんうん。
なんか飽きっぽいってすごいマイナスなニュアンスで語られがちだけど、それだけ新しいことを始める機会があるって捉えられるし。
そうだし、なんかほら三日坊主ってさ、なんか三日で飽きちゃうみたいなイメージあるけど、なんか違くて三日でもう悟っちゃうから。
そうだね、見切りをつけたというかね。
そうそうそう。三日でできちゃいますみたいな。
意味あるじゃん。なんかちょっとそれにも通ずるなって思いまして。
確かに。
なるほどね。
なんかこの横尾さんの作風にめちゃくちゃ似てる人で、田並圭一さんって人がいて、そっちは俺かなり好きで、
それこそあのオフィスに作品があるんだけど、なんか横尾さんのその作品とか今パッと調べて、
ああかなり似てんなと思って調べたら、まあ別になんかその人たちに接点はないけど時代感が一緒だったりとか。
ああそうなんだね。
そうそうそうっていうのがあって、おおって思って、すごい興味が湧いたので本を買いました。
ぜひ。ああ早い、さすが。
はい。
早い。
そう、気になったことは早い。
横尾さんね、ちょっと高谷さんにハマりそうな感じがちょっとしてほしい。
ハマりそうだね。あの調べたらさ、その今千尋が今回紹介してくれてる飽きる美学の次というか最近出た本で、運命まかせみたいなテンションが出ていて、すごいよね、運命まかせ。
そう、なんかね、だからもうかわ字が嫌いな天才です。
それはあなたが天才だから。
嫌いって言ったら理解しがたいというか、真似しちゃいけないなって思ってるっていう感じ。
やけどするぜっていうことだよね。
そうそうそう。
それを鵜呑みにすると。
嫌いじゃない、再現性がなくて自分にはできないなって思うだけ。
なるほどね。
そうそう、だからある意味で親切ではないよね、そういう意味でね。
そうそうそうそう。
詐欺と一緒。
嫌いじゃん。
でも確かにね。
詐欺好きだから。
確かに。
運命見させてあげててすごいね。占いと一緒ね。
そうだね、なんか私はこんな風になれましたって言って、
だからあなたもこうしたらってそれを迂闊に真似すると情報商材にはまるみたいな、そういう構造に近いかもしれない。
なんかこう、なんというか、この本もここから何か意味を見出そうと思って読むのではなく、
なんかとりあえず眺めてみて感じたことをそのまんまに保育に生かしてみてねっていうところで。
そうだね、っていうか、よくも悪くも飽きてもいいんだなっていうぐらいでゆるく捉えるぐらいがいいよね。
飽きるって別にネガティブな要素だけじゃないぞっていう気づきがあるだけでも僕は面白かったので。
確かに。
ちょっと興味持ったらぜひ読んでもらえたらなと思いました。
僕が紹介した本の割には割としっかり話せたんじゃないかなと思います。
エンディングとリスナーへの呼びかけ
普通に内容が面白かった。
なのでぜひ皆さん読んでみてください。
はい、というわけでこんな感じでいろんな本紹介しながら3人でおしゃべりしていきたいなと思ってますので、
感想、質問等々ございましたらぜひコメントでもGoogleフォームの方から送っていただくでも良いので、ぜひぜひお待ちしております。
はい、というわけで以上です。OKですかね。
急に今ね、頭が回らなくなりました。
締め方忘れちゃいました。
はい、ありがとうございました。
ありがとうございました。
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