こんにちは、つぼけんです。
いやー、テーマ、評価って必要ですかの収録が終わってですね、ゲストの皆さんが帰ったところなんですけれども、
本当にこう、ほぼ教らしい、カオスな回と言いますか、俺もほぼ教らしさだと思うんですけれども、
すごくこう、それぞれの立場でぐっちゃぐちゃになって、でも本質だけは忘れずに、すごくいい方向に向かっていった、いい回だったなぁと思う。
今収録を終えて一人で思っているところです。
ただ結構カオスなので、事前にちょっとこうですよって背景をお伝えしておいた方がいいなぁと思って、
終わった後ではあるんですけれども、頭につける音声をとっているところでございます。
まずですね、僕とだいちゃんは今日は東京江東区にあります、かえつ有明中高という学校に行ってきました。
ただ視察、見学というだけではなくて、高校1年生、2年生と一緒にすごくいい場を持てて、すごくお話が素敵で、
テーマが一挙だったんですけど、それぞれのチャレンジみたいなのを話してくれたりして、いや幸せだったなぁ、めっちゃいい学校だったなぁって思ってましたと。
で、その時に居合わせて行ったのが何人かいらっしゃいまして、本当に有名な先生もいらっしゃってましたし、っていう感じだったんですけど、
じゃあ僕とだいちゃんでこの後収録あるからってなった時に、何それ面白そうって言ってくれた人が3人いたわけですね。
なので行き当たりばったりで僕とだいちゃんともう3人ですね、5人で収録しようってなったのがこれからながす会でございます。
で、その3人ちょっと途中でも紹介してるんですけれども、事前にお伝えさせてください。
まずお一人目、だてちゃんですね。だてちゃんといえば、ほぼ今日第1回ご出演いただいたゲスト中立さんなんですけれども、今は卒近代というですね、これまたほぼ今日のゲストにも出ていただいた鈴川先生、鈴木寛さんの思いである近代を脱近代ではなくて卒業して卒近代として次の新しい時代を生きようじゃないかという卒近代という言葉があるんですけれども、
それを楽しく広げていく卒近代の庭師として今活動している方です。そんなだてちゃんがもう1回出てくれるんだったらもちろん特別ゲストにというふうに思うんですけれども、なんか行き当たりばったりでだてちゃんも出てくれてとっても良かったなというふうに思っています。
そして2人目、小林雅樹先生です。こちらほぼ今日初登場なんですけれども、稲城の稲城小学校って知ってますかね。稲城小学校って結構学校教育に関する人だったら、あの稲城をね行ってみたい、どんな学校なのっていうふうに思うような学校なんですけれども、成績表がないって有名だったりしますね。
しかもそれがいわゆる短期休学習として最近なくなったわけではなくて、60年前70年前から実はもともとなかったっていう学校でして、いろんな映像作品とかでも有名な学校です。その稲城小学校の先生からテーマ、評価って必要ですかを聞けるっていうのはとっても面白いことだなと思ってまして、小林雅樹先生一緒にお話をしています。
そしてもう一人、オグちゃんということで、一人現役の先生をお呼びしています。こちらはですね、現役の先生ということで、学校名伏せさせてもらってます。もう伏せたからこそ本音が出てきたり、ご自身の思っている辛さやったり思うことっていうのを思う存分お話いただけたかなというふうに思っているので、オグちゃんの言葉にも耳を傾けてもらいたいなというふうに思っています。
なのでその辺を全部すっ飛ばして楽しくお話をしているといういつもながらのほぼ今日のカオスな回ではあるんですけれども、最後の最後は本当に本質に触れながら、いやーいい話できたなと思って本当に心がホクホクしていて、しかしながらちょっと補足もしないとなと思って、ちょっとツボケンボーイスとして頭につけさせてもらいました。
ぜひぜひ聞いてもらいたい回になったので、これからちょっと長い時間ではあるんですけれども、ぜひ楽しんでもらいたいと思っております。それではスタートです。どうぞ。
それでは本編です。今回のテーマは評価って必要ですか?ということで、お便りフォームに届きました現役の先生の質問にお答えしようというふうに思っております。大体よろしくお願いします。
これはね、難しいテーマなんだよね。僕らだけだと炎上して危ないから、お助け。スケットが来てます。
はい。炎上を5つに分散させようと。
炎上の割り算っていうね。
炎上の割り算。質の掛け算。炎上の割り算。ということで、かえつ有明中高に一緒に行ってたまたま引っ張られた3人をお呼びしたいと思います。
第1回ゲストでもありますだてちゃん。
こんにちは。だてちゃんでーす。
だてちゃん久しぶりなのにありがとうございます。
久しぶりです。
急に巻き込まれてよろしくお願いします。簡単に自己紹介お願いします。
改めまして、卒近代の庭師と最近名乗ってます。だてちゃんです。
今日は炎上案件だということで、さらに油を注ぎに来ました。お願いします。
だてちゃんとはもっとじっくり話したかったけど、ちょっとね、これは一家制のものとして楽しく参加してもらいたいと思っております。
そして、小林正樹先生です。
こんにちは。小林正樹です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
簡単に自己紹介お願いします。
長野県にあります稲市立稲小学校で教員をしております。小林正樹と言います。
今日かえつさんに一緒に行かせていただいて、そこで1時間ほどたっぷり話したんですけれども、ここでもまだまさかの話をさせていただけると。
喉がカラッカラの状態ですけど、頑張りたいと思います。お願いします。
よろしくお願いします。
だいちゃん、稲小学校の先生だよ、だって。
最高だね。
こんな雑に読んじゃダメ?
しかも出てって言ったのに10分前くらいだからね。ひどいよね、俺ら。
ぜひちゃんとゲストで出ていただく回がありますので、それをお楽しみにしてもらいたいと思いますけれども、ひとまずは今日ちょっとだけゲストということで小林正樹先生です。
そして、オグちゃんお願いします。
オグちゃんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。オグちゃんは言える範囲で何者なんですか?
教員をしております。
そこまでにしておきましょう。現役の先生でいらっしゃいますね。
かえつ有明中校いかがでしたか?
初めて伺ったんですが、新鮮なものがたくさんあって、学ぶって楽しいって思える時間を過ごさせていただきました。
いいですね。そんな楽しい時間を過ごしたらいつの間にかポッドキャストに出るという不思議。
ありがとうございます。
ありがとうございます。ではそんな僕も含めて5人でお便りにお答えしていきたいというふうに思っております。
それではお便りフォームに届きましたお便り読ませていただいてもよろしいでしょうか。
では、神奈川県の先生ラジオネームASさんから届きました。読ませていただきます。
評価って必要ですか?
小学校教員です。
最近学校で様々なお子さんがいる中で、学級に何かしらの困り感を抱えているお子さんが約9%増えてきたと学びました。
そこで様々な多様な子供がいる中で、ユニバーサルデザインや合理的な配慮、インクルーシブ教育など、昔の教育から変わりつつあるのかなと思っています。
しかし保護者は学習面が不安という声をよく聞きます。
この背景にあるのは、高校や大学は内進点が関わってくるからこその不安なのではないかなと思ってしまいます。
括弧すべてではないと思いますが。
また評価があることで、子供も評価を気にしすぎる声もよく聞かれます。
さらに子供の中での上下の関係があるなど。
うまく言葉では言えませんが、本当に一人一人の評価は必要なのでしょうか。
評価が子供を苦しめていたり、保護者を苦しめていたりすることもあるのではないかと考えるようになりました。
そこで坪けんさんとだいちゃんにフォームを通じてお送りさせていただきました。よろしくお願いいたします。
神奈川県の現役の小学校の先生から来ました。評価って必要ですか。
ですけれども、まずだいちゃん印象はいかがでしょうか。
この先生僕知ってるんですよ。
この人ね、授業改善とか質の高い授業とかをかなり目指して勉強されてるんですね。
なるほど。
子供たちと向き合っていて、その姿素晴らしいんですよ。僕実際見たことあるんです。
子供の姿も見たことあるんだ。
見たことあります。
それでこの問いが出てきたってところが結構僕今回の価値だと思っていて、
そもそも問い直して、どういうあり方がいいのかを模索してるからこそ見えてきた。
放棄したいとかじゃないっていうのが結構素敵なんじゃないかなって思ってます。
ありがとうございます。では、巻き込まれた皆さんたちに、
本当に短くでいいんで、今ちょっとよぎっているワードでも答えとかなんでもないです。
今思っていることちょっとだけ一言教えてもらってもいいでしょうか。
今窓から公園を遠い目で眺めている伊達ちゃん。
これ悩むしですよね、評価ね。
評価って聞いていい気持ちはしないなっていう、そういう経験をずっと積み重ねてきたので、
必要ですか、イエスかノーでは答えられないですけど、大変苦しめられてきたなって思ってます。
それはされる方もそうだし、する方もそうだし、苦しかったなっていう経験の方が多いですよね。
なるほど、先生としても苦しい。
なんかすごいわかる気がする、今の苦しめられたって。僕は子供の時苦しめられたんで。
苦しめられたってワードが出てきたのは伊達ちゃんらしいなと思って。
それでは小林先生と思うんですけれども、小林先生と言いますと、というか伊那小学校と言いますと評価の話題にやっぱりなりますよね。
よく質問をしていただきます。
簡単に伊那小学校の特徴を本当に簡単に教えてもらってもいいですか。
分かりました。今の観点で言うと通知証がない、70年以上前から通知証がない学校というふうに言われているので、
イコール評価をしないって思われがちなんですけれども、それはちょっと違います。
私たちは記号とか定数だけでその子やその子の学びを保護者の方やその子に渡すっていうことをやめただけなので、評価自体はやっているんですよね。
なのでさっき伊達ちゃんが言ってたように、やっぱりその子にとってそれがどう届くかっていうことは僕すごく大事だなって思っているし、
教員からすれば保護者以上にその子を大事にするっていうことなのかなって。
そういう評価概念みたいなもの、評価に対する大切にしたいものがその方にあればきっとそこにおける評価って、
一般的な評価とは違った温かいものが生まれるんじゃないかなって僕はちょっと伊達ちゃんの話を聞きながらちょっと思っちゃってました。
ありがとうございます。まだまだ聞きたいんですけれどもちょっとバトンタッチで、じゃあ奥ちゃん。
これまでのお話を伺っていて少し変わってしまうかもしれませんが、私が考える評価は評価をするとその時に自分のこれまでの目の前にいるお子さんと関わってきたのか、
これからこのお子さんの成長に向けて自分はどう寄り添っていったらいいのかっていうところを見直すための一つの手段かなと思うことが最近あります。
そんなことを考えて評価をするとこの子を紹介するための評価っていう評価ももちろんまだありますが、
日常的にしている評価っていうのは大事にしたいなと思うところがありました。
なるほど。お三方の話を聞いていると、その子自身をもっと頑張れとか背中を押すって意味での評価だったらなんか良さそうって思いますけれども、
じゃあ通知表で良化とかABCとか20とか、そういうのはもしかしたら先生も生徒も苦しんでいる部分が見えてくるのかも?みたいな感じはちょっとありますね。
背中を押すっていいですね。確かにそもそも評価ってなんだっけって考えたら、今なんか今オグちゃんの話聞きながら山登り場面がすごい今出てきて、
なんか子供たちが山を登るとして、なんかそこの登りたくなるようにとか、ちゃんと山頂に行けるようになんか励ましとか背中押しをするっていう意味の評価であれば、
なんか苦しまないですよね、伊達ちゃんね。そうなんですよ。なんかね評価がその人の価値のようにねペタって張られる。
それがさっきまさきさん言った点数だったり記号だったり、それがすごいやっぱ苦しかったんだろうなーってそう感じますね。
いわゆる評定をこの突きつけるみたいなね。あなたはBですよとか、あなたはCやでみたいなのを多分保護者も多分そこを一番評価ってイメージから想起していて、子供も。
そうするとやっぱ苦しいとかそういう認知になるのはありますよね。なんか機械とか物ってほらランクが決まったりするじゃないですか。A評価B評価みたいなね。
なんか僕たちってそれですかみたいな。でも当時ちっちゃい頃はそうはわかんないからなんかやたら評価されて苦しかったっていうところだけは残ってるんですけど。
なんか大人になってあれ僕ら物でしたっけっていう。なんかそんな感じですよね。
そうですよね。自分自身は自分の子供たちは通知症のある学校に通っていてそれ自体も全然否定はしないし、先生方も本当に魂を込めてつけてくださってるなってわかるんですけど、
逆に自分が通知症のない学校にいてそこに対してあまり今一歩踏みとどまって考えているからこそ子供の通知症を見る観点が二十丸何個とかそういうのはあんま見ないんですよ。
そうすると子供も見たくなってくるんですよ面白いことに。それが自分が子供の頃は二十丸を数えてた姿と今あの子たちが何もしない姿。
もしかしたら子供よりも大人が気にさせていることの方が多いのかななんてことをちょっと親になって最近思い始めちゃいました。
僕?僕ねありがとうございます評価していただいて
評価しました今のは嬉しいですか?
嬉しいです
なんで嬉しいんだろうね今のね
確かにね確かにでも意味は今が今の質問75点って言われたら何もないのにやめてよそれどうしたら90点になるのってなっちゃうかもしれない
ここら辺でなんか稲生の評価のあり方とかなんか感じるものあるんですか今のやり取りとか
もちろんテストもやるので75点とか80点とかそういうのは子供たちは受け止めるんですよね
だけどそれが悪いって言ってるわけじゃなくてどう届くかがすごく大事なのかなって思ってるんで
例えば80点の時にすごく悔しい思いをしている子がいて
それはその子にとってすごく意味がある悔しさなのか支えたくなる悔しさなのかそれを知っているのはきっと教師だけなのかなって思うからこそ
もしそれを感じたならばその届け方をもう一回一緒に考えればいいのかなって
点数を届けた後にどんな言葉で届けるのかっていうのをすごく大事にした方がいいと思うんですよね
ただ僕が言ってる今の話っていうのは教師から子供に届けるっていう評価
さっき坪川健さんも言ったんですけど自分から自分に届ける評価もあるじゃないですか
だからそれを2つもとっても大事にしたらいいのかなって思うんですよね
その子にとってこの評価はどういうものなのかって考えたいなって僕はいつも思っています
今すごいなんかいい新たな視点出してくださったと思ってて評価ってこれあれですよ
学術的に言われてるわけじゃないけど3つあるって言われてるんですよ
それが学習の評価これが一番認知されているABCとか評定とかね
あなたはこれぐらいできてますとかが学習の評価って言って
これちゃんとした言葉で言うと総括的評価って言われるんですよ
一旦総括してなんか料理で言うと一旦ラーメンを食べてもらって美味しかったかどうかみたいな段階が総括評価なんですね
それが1個目ね
2個目が指導のための評価っていうのがあってこれは教師自身とかこの教員側が行う評価で
多分ちゃんとした言葉だと形成的評価って言うんですけど
なんか料理で言うと味見
味見して今みんなどれぐらい美味しいって思う料理になってるのかなとか
今どれぐらいみんなできてるのかなっていうのを授業の途中とかで
あるいは授業と授業の間で評価するっていう評価もあるこれは2個目
3個目が今まさにまさきさん言ってくださった自己評価なんで学習としての評価って言われるんですけど
これがまさに自分で自分に届ける評価
自分は今どれぐらい勉強できてるのかとか今の学びに対して自分がどれぐらい向き合えてるのかなどを自己評価するというのも評価であって
こうやっていくつかあるんだよね
そこの解像度が話しながら上がってきて焦りされたなって思った
さすが大ちゃんだね3つ出てきたね
95点
うぜーこれだねこれですね
あとどうやったら5点上がるのかなってなんないわ今のは
でも今坪けんに大ちゃんそんなさポンポン出てきてすごいねって自分の中でさ
大ちゃんの言語価って何点って聞かれて
まあ95点すかねって自分で言って
で坪けんが俺に5点ってどうやったら上がるのって言われたら違ったかもしれない
これ深いっすね