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2025-08-23 20:24

「暮らしの中に羊がいる世界」のヒントがここにはある


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サマリー

このエピソードでは、羊飼いのセーターの特別な意味や、羊と人とのつながりの重要性について語られています。羊毛を通じて得られる感動や人々の協力が、より豊かな暮らしを生むことが強調されています。

羊飼いのセーターの魅力
はい、お疲れ様です。羊飼いのまるおかです。
人と羊が繋がることをテーマに活動しております。よろしくお願いいたします。
今日は、私が着ているセーターでね、羊飼いのセーターっていうのがあるんですけれど、
これのね、メンテナンスをしてもらいましたという、まあそんな日でございました。
えっとね、これってなんか、何て言うんだろうな、すごいよね。
すごいなあと思うんだけど、なんか、あんまりやっぱり聞かないかな。
他の人でやってる人ってあんまり聞かないから、やっぱり普通じゃないのかな。
何なんだろう、何て言えばいいんだろうな、特別なことなのかなって思うんだけど、
えっと、この羊飼いのセーターっていうのはね、私が育てた羊たちの毛が、まあいろんなパーツごとにね、分かれて、
つなぎ合わせて一つのセーターになっているんだけど、
これはね、私が作っているわけではなくて、私の羊の毛からね、糸を紡いで、
それで作品を作っている羊毛作家さん、ニッターさんとかスピナーさんとかが、
それぞれ持ち寄ってね、提供してもらって、私のために作ってくれたっていう、そういう一枚になるんですけど、
あの、何て言うんだろうな、もうこのセーター自体がね、私にとって宝物だっていうのはもちろんだし、
私にとってはもう多分これを着て最後館受けに入るんだろうなっていうぐらいの、
まあそれぐらい私にとっても特別な一枚だし、これを超えるセーターはまず現れないだろうし、
私はもうこのセーターがあるから、もう大丈夫っていう、そういう一枚なんですよね。
私にとってはもう、何だろう、一つの自分のパーツが埋まるというかさ、
そういう感覚なんですよ。
自分の人生のまだ埋まっていないピースが色々あると思うんだけど、
その中の一つがパチッとはまったような感覚っていうぐらい結構重要なものになるので、
それに関してはとても嬉しい、大事にしたいものになるんです。
人とのつながり
これってやっぱ普通じゃないよなっていうか特別なことなんだよね、やっぱりっていうところでさ、
今日はそんな話ちょっとしてみたいなと思ってるんですけど、
なんかあれよね、自分というか私たちの周りではそんなに特別なことっていう感じでもないような気もするんだけど、
これってなんでこんなことになってんだろうなっていう風に思うんですけど、
だって普通、他で全然聞かないからね、そういう話って。
他の羊飼いさんってどうなんっていうところでいくとさ、あんま聞かないよねっていう。
多分あれなんだよ、羊飼いが自分で作る、自分で糸紡いで服作るっていうのはあるかなと思うんですよ。
じゃなくてね、私じゃなくて、私の周りで、要は勝手に集まって作ってプレゼントしてくれるみたいなことなんで、
そうなんだよね。
で、これって、何て言うんだろうな、なんかこう与えてくれるという、私のためにっていう感覚もあるとは思うんだけど、
なんか私の感覚というか肌感でね、思うに、多分皆さんそれぞれ作りたくなったのかなっていう感覚。
これ着てほしいというかさ、私に自分の育てた羊を身に着けてほしいみたいな、
なんかそういう、何だろうな、要望というかさ、こう出会ってほしいみたいな感じが結構やっぱあったんだろうなっていうのは思うんだよ。
で、私もやっぱそこはすごく、自分でも思ってたからさ、やっぱ自分で育てた服というか、その時も私いろんなウールでできたもの、Tシャツとかセーターとか着てたけど、
自分が育てた羊じゃないんだよねっていうところでね。
で、自分が育てた羊の毛はさ、みんなもう手元になくってね、皆さんにお渡ししてるので、自分の手元にはないし、なおかつ私はそういう編み物とか糸紡いだりとかはしないって決めてるんで、決めてるので、
だからもう自分で作る余地がないんですよね。
ってなってくると、じゃあしゃーない作ってやるかっていう感じになってくれたのかなと思うんだけど、
そう、やっぱそんな感じなのかな、すごいありがたいことだし、
僕の中では誰かが自分が育てた羊の毛でね、セーターとか帽子とかそういうの作ってる人がいたら、それを買わせてもらおうかなっていう感じではずっといたんだけど、
なんかタイミング見てね、いいのがあったら買いたいなっていうふうに思ってたら、まさか向こうからこれ着てってプレゼントしてくれたんで、嬉しいな、ありがたいなっていうところなんだけど、
なんかやっぱこういう空間が私はすごく好きだし居心地もいいなとも思うからね、
だから私もなんかできるだけお返ししたいなというか、何かできることはないかなっていうのを常に考えるようになってくるんですよ。
なんかあれだよね、お互いに商売として羊を私が育てて羊毛を販売してみたいな、それを仕入れて作品作ってみたいなそういう関係なんだけど、
それだけじゃないものがね、広がってるっていうのはやっぱ嬉しいし、そこをやっぱ大事にしていかないと、やっぱこういう活動というかさ、大事なところなんだろうなって。
なんか今日改めて思いましたね、どうすればできるのっていうのはちょっとわかんないけど、再現性があるのかないのかちょっとよくわかんないんだけど、
私から言えることで言ったら、そうだな、何でもかんでもやらんほうがいいよっていうところかな、少なくとも多分私が糸つむげたりセーター編めたりとかさ、できてたら多分こうはならないんですよね。
そう、ならないと思う。だって、余計なことしちゃうかしらって多分なっちゃうよね、向こうとしても。ひょっとしたら自分でやりたいって思ってるのかもしれないしってなるとさ、なかなかプレゼントしづらいじゃん。
それはそれでね、自分でやるっていうのも一つの楽しみだとは思うけど、そうなんだよね。
なんか私はやっぱみんなで羊を育てるというか、そもそも本来の姿がそうだと思うからね。
羊飼いさんはあくまで羊の面倒を見て、羊を安全な環境で見守る人だよね。
羊飼いを支えるのはその周りの村人というか、なんかあったら低下すよみたいな感じだよね。
毛刈りするときは手伝うし、刈り取った毛は私たちが糸にするしみたいな。
羊飼いは羊を元気で健康で安全な環境で見守ってくださいと。
それぞれの役割分担っていうのが多分あると思うし、そこをあまり手を出しすぎずにね、羊飼いが。
暮らしの中での羊
お互いのその役割っていうのを尊重し合いながら、自分の役割を精一杯全うしていくっていう。
で、みんなで羊を楽しむというかね、羊と共に暮らしていくっていう、そういう流れ、スタイルが秘訣なんじゃないのかなっていうところですかね。
そうだね。
まぁなんだろうな。
やっぱ羊が身近になると、暮らしの一部というかさ、理想を言えば、職業ってない方が本当はいいよね。
っていう極論ね、極論行き着くと思うんですけど、
うーん、なんて言えばいいんだろう。
例えば、病院とかさ、お医者さんとか、職業としてすごく大事じゃないですか。
でも、ないならないに越したことはないというか。
要は、お医者さんがいなくてもみんな健康っていう世界。
みんな健康だからお医者さんいらないよねみたいな、そういう世界が本当は理想じゃないですか。
警察官がいなくても犯罪が一つも起きないし、みんなが助け合うみたいな、そういう世界観が本当は理想でしょ。
それと一緒でさ、羊飼いも、羊飼いっていう職業がなくても、みんなそれぞれ、自分たちの羊は自分たちの羊がいてさ。
みんなで交代しながら面倒見るとかね。
生活の一部として一家に一羊みたいなさ。
昔はそうだったじゃん。自分たちの着る服は自分たちの羊カラーみたいなさ。
なんか、極論なんだけど、今となっては極論だけど、それぐらい身近でさ。
生活の一部として羊がそばにいるっていうところが目指すんであれば、やっぱりそういうスタイルだよね。
みんなで、それをやっていくうちに、その羊を通してさ、人と人が今繋がってるじゃないですか。
みんなで支え合ったりとか、私の生誕がボロボロになったら、みんなが集まってきて。
今日もそうでしたけど、みんなでワイワイ。
別に私の生誕を直すためっていうよりも、みんなで一緒に生きていこうと思って、
名目上は私の生誕を直すんだけど、それはきっかけであってあくまで。
どっちかというと、みんな集まってワイワイしたいねっていう方たちが集まったりするわけなんで、
そういう感じで、人と人が繋がってさ、家族みたいな感じで一つになっていくっていうのがいいよねって思ってます。
そういう感じで、みんなで一緒に生きていこうと思って、
そういう風に日本の人にとっては、
生きていくのも、この羊が一つになっていくって、
日本の人にとっては、
って思いました っていう
そんな話でございます はい
さあ よっこらしょ
明日 明日 私はあれですね
あの えーと
羊さんの毛で フェルト
あれは何を作るんだろう 家族で
娘と一緒にフェルト工作を明日 ちょっとやっていこうかなと思って
ますので 明日は家族サービスで
ゆっくり楽しみたいなと 思っております
はい さあ 今日は以上です
ではでは
20:24

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