ふれあいの定義と世代間の違い
はい、お疲れ様です。羊飼育員のまるおかです。
人と羊が繋がることをテーマに活動しております。よろしくお願いいたします。
さあ、今日は、えーと、今日はね、ちょっとね、あのー、まあ、今日は運転しながらなんですけど、
うーんと、しゃべりたいなーというか、うーん、たぶんね、前もしゃべったことあると思うんだけど、なんか、もう一回なんかしゃべりたいなーって、
今、なんかそんな、そんな感じなので、しゃべりたいんですけれど、うーんと、
なんていうんだろうな、もう、ざっくり、ざっくり、えーと、ふれあいというか、動物を使ったふれあいについてですかね、うーん、そう、
まあ、いろんな、いろんな考えがあるので、あくまで私の今の考えっていうところで、えー、聞いていただけたらなと思うんですけれど、
そう、えーとね、まあ、私結構このふれあいっていう言葉がね、あのー、難しいなーって思うんですよ。
そう、うーん、まあ、やっぱね、世代によって意味が全く違ってくるっていうところも、あのー、あったりするんですよね。
そう、これがねー、そう、まあ、しょうがないっちゃしょうがないんだけど、うーん、やっぱそういう時代で生まれてきたっていうところが、まあ、あるからさ、
あのー、それが当たり前っていうところにはなるからね、うーん、要するにまあ、今でいう年配の方たちっていうのは、うーん、やっぱりね、あのー、
言い方は悪いかもしれないけど、要はちょっとやっぱ雑なんだよね。その扱い方がどうしても、そのー、配慮がちょっと足りないというか、その動物目線がやっぱ若干ね、欠けてしまうんですよ。
そう、うーん、ね、ねっていうところ、そう、なので、あのー、うーん、まあ、私がね、私の要は先輩にあたる人、うーん、私のそのー、えーと、今の牧場のさ、触れ合い施設を任されてるわけだけど、
あの、20年くらい前に任されたんですよ。で、その時の、当時の、うーんと、そこを管理してたおじいちゃんがいるんですが、まあ、あのー、なかなかな、あのー、扱い方をされていたんです。
そう、うーん、もう普通に、うさぎは耳を持って、うーん、こうすれば大人しくなるぞっていう風に、あのー、私に教えてくれたんですよ。っていうぐらいの、まあ、時代がやっぱあるので、そう、やっぱね、扱いが、その、知らないんだよね。
そう、やっぱそこまで、うーん、だって私、その、その当時ね、えーと、うさぎに水をあげるっていうことすらあんまりなかったんです。
その、要はキャベツを与えとけば、そこから水分を取るっていうことなんだけど、うさぎは水に弱いから、で、水をあげちゃいかんみたいな、そういう時代だったんです。
そう、っていうぐらい、全然、こう、知識とか、そう、飼育の技術もそうだし、そう、あのー、まだ、えっとー、ね、そこまで、えー、動物について知らないことが多かった時代だから、動物に対してこれが良い悪いっていうのも、やっぱ間違った情報を、あのー、
伝わって育ってきているっていうところがあるからね。うーん。で、それを今の時代でもまだ、あのー、続けてしまっている、そう、そういうもんだと思ってしまっている方が多いのも、うーん、まあ、しょうがないっちゃしょうがないよなっていう、まあ、今はもう変わるタイミングだからさ、切り替わるタイミングだから、ね、その両方が、あのー、混在してしまうっていうところなのでね、うーん。
そう、で、まあ、そこがちょっと難しいなーって、今日ちょっと思ってさ、そう、うーん。で、まあ、どうしていくのが良いのかなーっていうのをちょっと今、ね、やっぱ考えるわけなんだよ、そう、えー、やっぱ年配の方は、そのー、動物を触って、触らないとそれ、ふりあいとは呼べないよね、みたいな、そう、満足しないんですよ。
触れ合いにおける関係性
やっぱりそこで、うーん、そう、っていうところが、まあ、あるからさー。
あのー、まあ、じゃあどうするのっていう話にもなったりもするんだけどさ、うん、あのー、なんか、ふりあいって何だろうなっていうところをね、うーん、やっぱずっと私は考えていたりするんです、そう、でー、基本的になんかこう、上層教育っていうのがさ、
うーん、まあ、あったりするから、そのー、ぬくもり、うーん、体温を感じるっていうところをすごくこう強調するというか、うーん、あの人と同じ心臓の音とかさ、ね、それを聞いて、あのー、ああ、生きてるんだーみたいなのを実感するみたいなのがあるじゃないですか。
ね、実際、あのね、これも私ちょっとよくわかってないんだけど、実際、その心臓の音を感じて、あ、生きてるんだって感じましたってよく聞くじゃん。あれ、本当にそう思ってんの?って私ちょっとね、うーん、ちょっと半信半疑です。
私、子供の頃もさ、うーん、なんかそういう話聞いてたけど、あ、生きてるんだーって実感、あ、私と同じで生きてるんだーっていう実感が湧いたことがね、1ミリもなくって、うーん、私がおかしいのかなーって気もするんだけどね、普通は多分そこでね、はっとするのかもしれないんだけど、別にそれ聞く前から普通に命っていうのはわかってたし、
なーっていうかさ、うーん、むしろなんかもうちっちゃなアリ、アリンコウみたいなね、アリさんとかも命っていうのはわかってるし、ね、アリのね、心臓の音なんか聞けないけどさ、うーん、動いてるからまあ一緒だよな、生きてるよなーってね、なんか食べてるし、みたいな。
ねー、だからなんかこう、なんかそれを言っちゃったら何?植物は生きてないんですか?みたいな感じになるじゃん?で、私の目から見たら植物も生きてるんだよ。うーん、ね。
そう、ね、その辺飛んでるハエとかさ、カモさ、生きてるじゃないですか、でもガイジュウガイチュウ扱いでね、サチュウダイプショウって平気でみんなやるじゃないですか、まあ私もやりますよ、やりますけど、でもそれは命とわかった上でやってるんだよね、うーん、でもなんか、もう、ガイチュウガイジュウはもう命と見なさないみたいな、もう、抹殺するぐらいのさ、なんかね。
もう絶滅すればいいみたいな感じの人もいたりするじゃないですか。その辺がね、なんかもうよくわからんってなってる、じゃなってて、そう、何基準なんだろうってちょっとよくわかんなくてさ、私、うーん、なんかそう、うーん、なんで、ね、そう、そこでしかなんか測れないのかなというか。
うーん、なんかよくわかんないんですよ、私。そう、で、触れ合いでさ、そういうところをなんか強調するのもなんか教科書じみてて、うーん、しっくりこないんですよ、私は。そう、うーん、ね、まあ、うーん、ちょっと話が脱線しとるけど、ちょっと私も今ダラダラ喋ってるからさ、あれなんですけど、
あのー、なんだっけな、触れ合いか、触れ合いを、なんかこう、自分の中でこう、こういうもんだよねっていうのをね、なんか、なんか、うーん、うまいことを表現できないかなって思っておるんですよ。
そう、ねー、まあ、触るみたいな、触れるから触れ合いじゃないですか。そう、だからなんか、うーん、どうしても触れるっていうことに、こう、焦点がね、合ってしまうというか、そこにどうしても行き着いちゃう気がするんだけど、結びついちゃう。
そう、で、まあ、それでいくなら、触れることが触れ合いっていうのであれば、えー、そうだね、あの、触れるのを許してくれる関係が触れ合いだと思うんですよ。わかりますかね、あー、たとえば、えーと、まあ、あのー、公園でね、遊んでる、
子供たちがいるとするじゃないですか、えー、全くこう、で、私はもう、えー、別にね、よそから来た、えー、全く部外者というか、全くそこの地域に関係しておりませんと、で、部外者です、完全に部外者です。
男の人が、えー、公園に、えー、ね、入って、うん、で、子供たちが遊んでますと、で、その子たちに、こう、急に、その子供たちは急に触り始めると、ね、触れ合おうって言って、触り始めると、やばいじゃないですか、そう、ね、で、子供たちも多分嫌でしょ、怖いでしょ、何あなたってなるじゃないですか。
急に来て何ですか、触れ合おうってちょっと怖いんですけどってなるでしょ、で、そこで、あのー、逃げるのが普通でしょ、で、それを追いかけて捕まえて、抱っこみたいな感じで、こう、子供を持ち上げてさ、高い高いってしてたらもうほんとやばいでしょ、そう、あのー、そんな感じに私は見えるのよ、その動物の触れ合いに対しても。
ちょっとやめてってなるじゃん、そう、でもそれを触れ合いでしょ、これが触れ合いなんだからって言ってる人たちがすごく私は気持ちが悪い、そう、言い方が悪いけどさ、そう、あのー、で、だから、触れ合いっていうのは要するに、その子供たちとまず、あのー、始めまして、
と、私はこういうものですと、あのー、怪しいもんではありませんと、えー、まずはお友達になってもらえませんか、みたいなね、まずは、なんていうの、子供たちに、あのー、許可を得てと言うかさ、子供たちの意思で、こう、一緒に、こう、遊んで楽しくなって、で、こう、ね、一瞬で仲良くなれるかどうかね、まあ、あれだけど、
あのー、もし慣れたとしてさ、あ、この人危ない人じゃないんだっていうのがもし、ね、分かって、で、まあ、周りの人もね、あの人は安全だよっていうのが分かった上でさ、うん、親が認めてくれたら子供も多分、あのー、安心するじゃないですか、そう、ね、っていう感じで、あのー、大丈夫だよ、あの人、あのー、おかしい人じゃないよ、大丈夫だよっていうのが分かれば、あのー、
じゃあ、握手しましょうかとかさ、ね、なんか一緒にこう、な、なに、あのー、なんかあるかな、えー、なんか体を触れて遊ぶような、なんか、遊び、なんかあるかな、ちょっとよく分かんないけど、あのー、えーと、なんかあるかな、じゃんけんは体触れないな、
うーん、腕相撲とか、よく分かんないけど、うん、なんかそう、体に触れるようなさ、あのー、遊びをしても、別にそれは嫌じゃないでしょ、うん、ね、そう、お相撲とかさ、相撲を取るとかさ、ね、なんかそんなことになっても楽しくできるじゃないですか、うん、そう、っていう感じで、まず、
相手が受け入れてくれる状態が整って初めてそこで触れ合いだと私は思うので、そう、だったらいくらでもね、いくらでもってわけじゃないよ、その向こうが嫌だって言ったら、やめなきゃいけないんだけど、そう、そうだね、あのー、嫌、嫌だっていうことが、えー、伝わる関係性かな、うん、
触れ合いの重要性と注意点
触れ合いで大事になってくるところって、そう、そうやね、そんな感じかな、相手がストレスを感じてたらもうそれは触れ合いじゃないですよ、と、うん、ひょっとしたらセクハラかもしれないし、ね、そう、やめてって言ってるのに触ってくるっていうのはそれはもう明らかにアウトだから、
いくら、何、顔の知ってる人でも仲の良い人でも、ね、相手が嫌がってたらそれはもうダメじゃないですか、そう、なので、うーん、そこかな、触れ合いで大事なのは多分その辺なんだよね、そう、だから私、動物と触れ合うときって基本的に動物がフリーな状態にできるだけ持っていて、
動物の意思でこう、触ってもいいかどうかっていうところを、あのー、動物がこう、行為に出せる状況、自分の態度で示せる状況をできるだけ作るようにはしてるんですよ、そう、嫌だったら逃げれるよっていう状態は必ず確保するようにはするし、
それができないんだったらもう触れ合わせない、間にフェンスとか柵とか壁を一枚挟むっていうことをやるようにはするんです、じゃないとやっぱそれは触れ合いとは呼べないからさ、ね、
うーん、っていうところがまあ、私にとって大事な線引きかなーっていうところだねー、そうだねー、よいしょ、うーん、なので、まあなんだろうなー、そう、あのね、子供たちにどうやって伝えるのがいいのかなっていうのをね、今悩んではいるんです、うーん、
で、触ること自体が、動物とね、初めてっていう子もやっぱいるじゃないですか、ね、小さい子はさ、そう、ってなってくると、そんなに相手が、あのー、相手のことを思うだけの余裕はないんですよ、と思います。
触ることでドキドキしちゃうっていう、そういう時期じゃないですか、そう、だからまずは、慣れてる動物、ストレスを感じづらい動物さんに頑張ってもらって、そこは、うーん、で、ちょっと練習、触る練習っていうところを、触れ合いの練習ができる場所、うーん、あー、そうだね、
そういうのがいいのかな、そう、もううちも目指すはそこなんですよ、触れ合いの練習場所、初めての触れ合いで、あのー、触れるような場所が提供できたら、うーん、いいなって思いますね、そう、そうだね、そういうことだよな、うーん。
なんかお金を払えば触らせてくれるんでしょうって、言葉だけ聞くとちょっとキモくないですか、怖くないですか、そう、でもそれが触れ合い施設ですよね、動物の、うーん、お金払ってるんだから触らせてよっていうね、抱っこさせてよっていう、うーん、じゃなくって練習できる場所ですよ、みたいな。
なんかそういう、うーん、感じに持っていけるといいな、ね、うーん、目指すはそこかな、そこかな、うーん、どうやってやるのがいいのかな、なのでこういうことをすると、動物は嫌だよって、
うーん、サインが伝わるといいのかな、うーん、モルモットがキーキー言ってたらそれは怖がってるよっていう合図だったり、近寄ってこないってことは怖がってるよっていうことかなー、そう、餌やり、餌やりってのも、あのー、ね、
公園で遊んでる子供に、おいしい、おいしいお菓子あるよって渡してるのと同じだから、うーん、別にね、あのー、あれよ、どうこしようっていうわけじゃなくて、普通においしいと思って、よかれと思ってあげてるわけなんだけどね、よかれと思って、餌だよってあげてるんだけど、うーん、
まあ、動物もね、ほいほいついてっちゃうからいけないんだけどさ、うふふふ、甘いお菓子に目がないので、ほいほいついてっちゃうんだけどさ、ねー、そうなんですよー、な、餌もね、本当は、あの、コミュニケーションツールの一つとして、あのー、なんか機能するといいんだけどなーと思うんですよ、うーん、
なんか、こう、動物が心を、なんかこう、許してくれるというか、まあそれもそれでどうなんかなって気もするけどね、餌で釣るっていうのもね、うーん、まあでも、一番手っ取り早かったりもするからね、それが、他になんか方法あればいいけど、ねー、その辺がちょっと難しい、まあ、課題だな、
そう、だから餌やり自体がいいとは思っちゃダメで、他に方法がないかっていうのをね、探すっていうのはすごく大事だと思うんですよ、そう、もう絶対に餌やりか触れ合いだっていう風に、あのー、頭からね、決めつけてしまうっていうのが一番危なくって、そう、
触れ合いって餌をあげることでしょ、っていうのはちょっとやめたいんだよなー、
餌をあげることが触れ合いだと思っている人って、ほんとね、ごめんね、あのー、もうずっと言葉を選ばずに言ってるけど、あのねー、タチが悪い、タチが悪い、ほんとに、あのー、餌をさ、片手に、動物をさ、こう、釣るんだよ、そう、で、それで遊ぶのね、それで遊ぶんだよ、
あのー、餌欲しいんだろ、みたいな感じで、こう、パン食い競争みたいな感じでさ、餌を高いところに持って行ったり、届かないようにしたりだとかさ、ね、あのー、んー、すっごい意地悪なことするの、んー、なんで?って思うんだけどさ、んー、遊ぶんだよねー、そう、
で、なんかすごく、上から目線にもなるしー、で、食べない動物がもしいたとすると、餌あげて、これ食べるかなーって思ってあげたら、食べなかったと、ってなったときの、その対応ね、こいつはダメだって言うんすよ、こいつダメだ、食べないわ、じゃあ次行こうって行くんですよ、
どういうこと?って思うんだよね、ダメってどういうこと?って思うんだけど、ねー、でも、ね、目の前にね、来てくれてさ、餌あげるってなって、んー、ね、で、近くまで来てるのに、食べなかったからこいつダメだって言って、次のところに行く、みたいな、
餌をあげることが目的になっちゃってる、んー、っていうことがね、よく見かける、で、これほんとね、一番多いのが親御さんなんですよ、そう、子供が一生懸命こう、ね、動物さんに餌あげようと思ってやるじゃないですか、でも食べなかったってなったときに、
あ、この子はダメだね、次行こうって、子供をね、そ、次の動物のところに連れてこうとするんですよ、とにかく食べてほしいから、とにかく子供が一生懸命あげてるから、それを食べてほしいんです、っていうので、あのー、なるんです、そう、で、これは、そりゃそうだよって話でね、子供が一生懸命あげようとしてるのに食べてくれないのに、そりゃ悲しいじゃないですか、
だから、食べてくれるところに、食べてくれる動物さんのところに導いてあげたいのは、もう、親心としては当然なんだよね、そう、だから別にそれが間違ってるとは思わないけど、むしろ間違ってるとしたら、餌やりっていう行為を触れ合いとして導入してしまっている私たちにあるんで、そう、なので、あかんのですよ、餌やりっていうのも、
これは、触れ合いとしてカウントするべきではないんだよね、そうじゃどうするって話ね、もうずーっとこの繰り返しだね、さあ、さあ、どうするかな、よいしょ、よいしょ、よいしょ、さて、何かな、こういうことが話せる、
餌やりに関する考察
こういうことが話せる人と私は出会ったことがないから、ちょっと難しいんだけど、えーとね、そうだな、一応私の中で、そういう考えでいるっていうことをちょっと、なんか言葉にしたいなと思ったので、ちょっと今日はそんな感じでしゃべってみました。
もしなんか、私はこういう考えですよっていうのがあれば、コメントなりなんなりいただけると嬉しいなと思います。
ね、難しいね、難しいね、なんか答えがあるべきかどうかで言うと、別にね、そういうもんでもない気もするんだけどね、これが触れ合いだよみたいな答えがあっても、それはそれでなんか気持ち悪いからさ、ね、ねって思うんだけど、
そうだよな、まあ、えーと、なんていうの、上層教育?思いやり?思いやりの心を持ちましょう、だよね、要するにそこだよね、だから相手が嫌がることはしちゃダメよっていうのもそういうことだよね、だよね、そう、
まあ、そんな感じでちょっと、小学校のね、子供たちにね、なんて説明しようかなってもう、ずっと考えてる、ずっと考えてるんだけど、なんかこうしっくりこないというかさ、どう伝えようかなっていうところね、
はい、なのでちょっと色々とつらつらとしゃべりましたが、まとまりがなくて申し訳ないけど、ちょっとお付き合いいただきありがとうございました、はい、今日はなんかそんな感じで終わります、ではまた