1. hitokoto Radio - 人の物語を語る時間
  2. 5. 恋と挫折と農村!イギリス..
5. 恋と挫折と農村!イギリス帰りの2人が見つけた新たな生き方。
2024-11-24 24:54

5. 恋と挫折と農村!イギリス帰りの2人が見つけた新たな生き方。

▼今回のトーク内容:ヒトとコトを語る hitokoto Radio。今回のテーマは「恋と挫折と農村!」。恋人を追ってイギリスへ飛び込んだ長屋と、幼少期のイギリス滞在経験が忘れられず海外駐在キャリアを目指したが挫折した内田。そんな2人がなぜ、いま日本の農村にいるのか?美しい村連合を通じた世界とのつながりから、ローカルで叶えるグローバルな働き方まで。意外な答えが見つかる30分、ぜひお楽しみください!
▼番組概要:人口1万人以下の農村で暮らす3人が、地域の魅力を掘り下げながら、日本の未来を考える番組。暮らし、伝統、歴史を学び、今の日本を100年後に残すためのアイデアや方法を考えます。▼毎週日曜日17時更新▼番組ハッシュタグ:#ヒトコト▼番組への感想やメッセージは以下までお寄せください: ask.hitokoto@gmail.com▼MC:👤服部大地(はっとり だいち)1992年、北海道生まれ。鶴居村の「Heart’n Tree」シェフであり、「The Royal Express」最年少シェフ。地元食材を活かした料理に定評があり、2023年「RED U-35」でブロンズエッグ受賞。現在は食材ハンターやノマドシェフとして各地でポップアップを開催中。https://www.instagram.com/hattori.daichi/👤内田将大(うちだ まさひろ)1990年生まれ、東京都出身。株式会社ムラシゴト代表。ゼネコンで約7年間、都市開発案件を担当した後、2022年から長野県原村(はらむら)に移住。「日本で最も美しい村」連合専任の地域おこし協力隊として活動する傍ら、2024年に起業。裂織(さきおり)ブランドの推進を日々行う。https://www.instagram.com/uchimasa07/👤長屋詠一郎1993年生まれ、岐阜県関市板取出身。20代前半は海外で暮らす。6年後、日本のことがもっと知りたいと思い、長野県木曽町に移住。写真や動画を撮りつつ、木曽谷の手仕事と日本で最も美しい村連合の繋がりを活かした一棟貸しの宿「玄草」を準備中。https://www.instagram.com/eiichiro_nagaya.jp/▼後援: 「日本で最も美しい村」連合

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:00
hitokoto Radio. 人の物語を語る時間。この番組では、人口1万人以下の農村で暮らす3人が、
地域の魅力を掘り下げながら、日本の未来を考えます。 こんにちは、パーソナリティーの内田です。
こんにちは、パーソナリティーの永谷です。 今回のテーマは、ローカルとグローバルです。
なぜこのテーマになったのかと言いますと、前回vol.3が私のインタビューであったんですけど、
話していて、永谷さん、そして僕、両方ともイギリスに行ったことがあるということが共通点だと気づきました。
そういったことで、お互いそこでどういった生活をしていたのか、そしてなぜ今逆にローカルの方にいるのか、
そういったことを深掘りしてみたいと思います。 では早速ですが、永谷さんはいつイギリスにいて、どういった目的でいたのかなっていうのを教えてもらえませんか?
はい、僕がイギリスにいたのは25歳、26歳ぐらいの時に、ワーキングホリデービザというビザを使って、
ロンドンから30分ぐらい南のサリーっていう地区なんですけど、浄化町とか、
自然が豊かな感じのとこにいて、これなぜかと言われると、当時付き合っていたイギリスの女の子がいたんですけど、その子に会いに行きました。
僕はその子に会いに日本からイギリスに行きました。 なるほど、すごいもう恋人に会いに行ったってわけなんですね。
愛のために、国を越えて行きました。
なるほど、それはアーホリか何かを使って行ったんですか? そうですそうです、ワーホリですね。で、イギリスって当時、今はちょっと僕も調べてないんでわからないんですけど、
1000人しか枠がなくて、しかも抽選なんですよね。 だから逆に言えば抽選で選ばれないとその枠に入れないので、
例えば行きたいってなって、抽選に受からないってなると、来年とか、もしかしたら再来年まで待たないって感じになる可能性があったんですけど、
僕は本当に運がいいことに応募したその年に、抽選に受かってというか、行けることができたって感じですね。
いやーすごいな、少しだけはアーホリのことを調べたことがあるんだけど、なかなかイギリスに行くのって大変って、今言ってた通りだと思うんだけど、
本当に一発で通ったのはすごいなと思うんですけど、 ちなみになんですけど、英語はその時はできてたんですか?
僕はイギリスに行く前にオーストラリアとニュージーランドに住んでたので、イギリスに行った時点ではかなり普通に、
かなりペラペラというか、日常会話は問題ないくらい。 逆に内田さんはどこら辺にいたんですか?
というか、どれぐらいの時期というか、何歳ぐらいの時期にいたんですか?
そうですね、私は子供の頃なんですよね。年齢で言うと10歳から14歳、ちょうど小学4年生の夏から中学1年生の春までいまして、
03:13
これ完全に親の仕事の都合ですね。
結構でもその思春期というか、この感受性豊かな時に海外で住むって、どんな感じなんですか?
逆に僕はそれを経験したことないんで、なんか今思い返すとどんな感じですか?
難しいこと聞きますね。
なんだろうなぁ、でも最初はもちろんだけど、地元その時は神奈川に住んでいて、神奈川の地元の友達もいた中で、
いきなり夏に行くぞという話になって、最初めちゃくちゃ反対していたかなぁと。
神奈川って言ってる時点でも横浜ではないんですけど、英語も全然できず、
本当にアップルから始めたみたいな、リセイズアップル、アンアップルみたいなところから始めたので、
すごく抵抗感があったなぁと、ただやっぱ住んでいた場所が、ロンドンから、ロンドン中心部から西にセントラルラインっていうのを乗って、
とことこ行くと、アクトンっていう駅があって、ウエストアクトンっていう駅が最寄り駅でしたね。
で、その駅というのが近くに日本人学校があって、ほとんど周りに日本人が多く住んでいるっていうようなエリアでしたね。
環境的には、イギリスには住んでるけど、日本語の環境みたいなのはあったみたいな感じですか?
そうそう、もちろんちょうど2000年だったので、とても危険な時期だったんですよね。
北アイルランド独立戦争というのがとてもあったので、本当に一人では歩けないような時代でしたね。
だったので、毎朝学校行くときは親と一緒に行くか、もしくは一緒に日本人の人と一緒に何人かで行くっていうのが決められていたので、
なんか普段からずっと日本語を使っていたかなと思いますね。
そうなんですね。僕とは結構真逆ですね。自分の周りは本当に日本人がいなくて、どっちかっていうと去り行って、
でも本当なんだろう、基礎町っていう感じはちょっとないですけど、もうちょっとこう松本とか、
なんかちょっとこう町、大きな町というか、地方の大きな町みたいなイメージぐらいの規模のとこだったので、あんまり日本人がいないというか、ほぼ一回も会ったことないですね。
へー、長野の松本みたいってことですね。
そうです、長野の松本ですね。そうですね。
長野県に二人ともいるから、共通言語で喋っちゃいましたが、長野県の松本みたいな感じですね。
全然違ったんですね、そうすると。
そうですね、環境的にはお互いイギリスにいたって言っても、その多分住んでる年齢とか、あとはその時代、時代の背景というか、かなり違う感じですね、今話すと。
そうですね、イギリスはなんだかんだで、10歳から14歳で行ったのと、学生の一番最後の時に就職前にも行きましたし、つい最近も実は旅行で家族で行ったりしたので、結構イギリスは通ってまして、やっぱり大人になって気づくのは、パブでお酒飲むのが楽しいというのが。
06:20
確かに、フィッシャーズの時代。
そうそう、子供の頃はどうしてもパブのカウンターに子供が近づくことができなかったんですよ。めちゃくちゃ怒られましたね。
それは初めて聞きましたね。
そうなんですよね。
なので、もちろんお酒も飲まないですし、やっぱりあの文化に触れるのは20歳を超えてからだったので、幼少期とはまた違う鮮明な記憶はあるなと、今思うとありますね。
幼少期というか、かなり感受性豊かな青春時代にイギリスに住んでたことが、仕事をしてる中で、将来海外で仕事したいなとか、インターナショナルな環境で僕なんかしたいんだみたいな、そういうところに繋がったりとかっていうのはするんですか?
いや、もうまさに言おうと今思ってたんですけど、海外駐在のキャリアは進みたいとは思っていて、本当に私の親父がやっていたような海外に住んで、4年くらい住んで、現地の人と英語でバリバリ仕事をするというのを絶対やりたいなとは思ってましたね。
それはやっぱり、お父さんがそういうのをやってて、目の当たりにしているというか、そういう環境が周りにあったから、自分もこういうのできたらいいなみたいなのはあったっていう感じですか?
そうですね。とても楽しいだけじゃなくて、とても苦労していた姿を見たので、あれでその親父も少しこう、人肌剥けたみたいなところがあったと本人も言っていたので、そういったキャリアを踏みたいなとは思ってましたね。
実際どうだったんですか?
いいこと聞きますね。実際は、挫折しましたね。
挫折。どんな感じだったんですか?その挫折というか。
具体的に話すと、前職、前年婚の時代なんですけど、海外に行く制度というのももちろんあって、応募しようかとか、いろいろとトライしたんですけど、どうしても私のいる部署だとそこに該当しないと言われてしまったり、
あと一番根本的なのは英語力がないというところですね。
なんとなくあの伏線があるんですけど、日本人学校にいたっていうことが大きくて、英語は確かに日常会話話せます。
ただビジネス英語やれって言われた時に全然喋れないっていうことがもう露呈したので、行きたい行きたいと言っても確かに強く言えない自分もいたので、勉強はしたんですけど、ちょっとなかなかうまくいかなかったってことがありますね。
それは、なんかその、どんな心境だったですか?なんか気持ち的には行きたいじゃないですか?気持ち的には行きたいけど、なんか現実問題こう、なんだろう、行けないってなった時、どんな気持ちだったんですか?結構きついですよね。
09:06
いやめちゃくちゃきついですよ。絶望してましたね。
なんかその後はなんかこう、どう切り替えたんですか?なんかもっとこう、例えばなんだろう、英語を勉強して、もうまたちょっとチャレンジしようかなみたいな感じに動いたのか、
まあその海外で働くことっていうのを諦めたというか、その時点ではこう、ちょっと辞めようかなみたいな、どんな感じになったんですか?
なんかもう自分の中でクイリをつけて、英語は確かにめちゃくちゃ勉強して、英語教育とかなんかそういったことでグングン点数も上がってきたんですけど、
仮にその全職で海外に行ったとって、自分のやりたい仕事がそもそもできるのかっていうのを改めてちょっと考えた時に、あれちょっとできないんじゃないかなということを思って、
で、そのタイミングで結局今のローカルの地域おこし協力隊のキャリアに進んだんで、一旦そのグローバルの道はパッと切ったって感じですかね。
その東京から原村に移住をして、実際のとこどうなんですか?実際のとこどうなんですかというか、そのローカルに日本の農村に移住をして、
グローバルで働いていく、グローバルな環境を構築していくというか、関係性を作っていくみたいなところって実際どうですか?なんかあったりするんですか?
それがまさに農村に住みながら世界と仕事ができるっていうのを今感じてますね。
あーなるほど。それは具体的にどんな感じに感じてます?
具体的には、長谷さんも一緒に言ったと思うんですけど、美しい村連合が日本だけではなくて、もともとの橋はフランス、今はフランス、イタリア、スイス、ドイツなどいろんな国があるんですね。
その世界総会というものが毎年各国であるんですけど、ちょうど去年2023年が京都の稲町というところで開催されました。
もちろん私も長谷さんも担当だったので現場に行って、現場でやってたのが結構フランスが多かったので、同時通訳でやってたんですけど、
やっぱり原村に来て、本当に半ば諦めかけてたグローバルのキャリアが、あれと、なんで今ローカルにグローバルのことやってんだろうみたいなことはあって、めちゃくちゃ嬉しかったなと思いますね。
なんかローカルとグローバルって、なんだろう、僕どっかで見たんですよね。で、今年から来年にかけて自分の目標ってローカルとグローバルだなと思っていて、
自分も海外になんだろう、6年生活していて、で、今町と町に移住をしたんですけど、本当に海外の人がすごく多くて、本当に今日もカナダの人がたまたま自分が勤めてるフラットキスというコワーキングスペースがあるんですけど、
ここはなんだみたいな、コワーキングスペースですみたいな話をして、ここにコワーキングスペースがあるんだ、すごいねみたいな話になって、
12:01
で、なんでここに来たのっていう、僕すごい気になるんですよね。要は京都とか東京とか大阪とか、ザ観光地みたいな、日本の観光地みたいなとこに行くじゃないですか、
例えば僕らだったらロンドン行くとか、オーストラリアだったらシドに行きますみたいなイメージがあるんだけど、なぜこの奇想というエリアに来ているのって聞いたら、逆にそういうとこは行きたくないって言ってて。
面白いなと思って、でも逆にその、なんだろう、どこからその情報を得てるのって聞いたら、やっぱ中専道っていう江戸から京都につながっているところを歩くっていうツアーとかあったりとか、
海外ではそういったのが今有名になっててみたいな話して、あーすごいなっていうのが今日あって、ローカルとグローバルのこと全然ありえるし、
その日本の農村に住みながら暮らしながら海外の人たちのやり取りができるっていうのはなんか興味深いなというか、面白いなって思いますよね。
いやーめちゃくちゃ面白いですね。なんだかこう、永谷さんよくこう、外国の方にエンカウントしてるなってイメージがあるんですけど、
なんか友達を呼んだりとかそういうこともやってるんですか?
どうですかね、なんか友達は来たい友達もたくさんいるし、過去コロナがちょっと開けてきた頃から来たりとかっていうのもあるんですけど、
本当に木曽町で本当に今めちゃくちゃ歩いてるんですね。特にこう春と秋でツアーもたくさんありますし、
自分がコワーキングスペースにいる関係でいろんな人が入ってきたりとか話しかけてくれたりとかっていうのがあって、
案内するのも好きっていうのがあるので、日常で結構な確率で海外の人と会って話してますね。
なるほど、なんだかこうグローバルで活躍するっていうのが、例えば日系の企業で海外に行ってその場で仕事をするというイメージしかなかったんですけど、
確かにこう日本の観光地にいれば逆にこう外国の方がいらっしゃるので、その方対応するのはもちろん日本語だけじゃなくて英語からいろんな言葉があるから、
むしろこうローカルにいた方がグローバルに近づけんじゃないかっていうのは確かに長谷さんの例だとめちゃくちゃ感じますね。めちゃくちゃ面白いですね。
あとなんかもう一個感じるのが、その日本の農村にすごく興味があるっていう人って、そこの場所の伝統文化だったりとか、食文化、あとは歴史にすごく興味があるんですよね。
で、そういった人たちってなんだろう、その方々の国で面白い仕事をしてたりとか、医者ですとか、弁護士ですとか、本当にいるんですよ。
コロナが開けた時に、なかなかその時期って来れる人って限られてたじゃないですか、その時もシンガポールから歩きに来てた人がいて、
15:03
なんか私たち夫婦両方とも弁護士なんですみたいな、えーみたいになったりとか。で、案内してたまたま会って案内してあげると、
なんかもうシンガポール来たら案内してあげるから連絡先ちょうだいとか、全然そういうのが結構頻繁にあって。
だから逆に今って日本農村にいると、そういうこう面白いような海外の人に会えるのかなーってちょっと思ったりはしてます。
あーなるほど。寄贈町に行かれる外国の方、確かに感度が高そうですからね。
そうですね。わざわざやっぱり自分で選んで発見してきてるので、
本当に知りたいとか本当にこの自分で見てみたいっていう人が多いので、面白い人は本当に多いですね。
あとこの興味津々の人がすごい多いです。
いや羨ましいです。あの原村、残念ながら外国の方がほとんど来られない。
まあなかなかアクセスがしづらいっていうのがあるんで、そこは課題ではあるんですけど、
福島連合を介して私も東京で宣伝したことがあるんですけど、グローバルプロボノサミットというプロボノと呼ばれる、
プロのいろんな仕事でいろんな能力を持った方がボランティアをやるというものがあるんですけど、
それの世界サミットがまたこれも去年偶然東京で開かれていたので、
私何したのかというとですね、先折り、前回話した先折りで小さいブローチを何個かな40個ぐらい作って、
その場で配らせてくださいと。で、その代わり私がやっている取り組みを話させてくださいということで、
あの久々に英語でプレゼンをしました。
結果的にはですね、
久々にめちゃくちゃ緊張したのと、後半もうボキャベラリーがなくなって、
グーツとかグレートしか言えなくて、めちゃくちゃ笑われましたけど。
でも反応はとても良くてですね。
そうですね。
反応はめちゃくちゃ良かったっていうのが良くて、やはりその日本に興味があるって方と、
まあそうではない方もいたんですけど、
やはりこう先折りのこの柄の綺麗さもあれば、
作ってる背景も話したことで、
なんかそのローカルエリアで頑張ってるっていうのは全然長野っていうのも知らなかったと。
だけどめちゃくちゃ心に響くものがあるし、
今のアップサイクルに本当に近いものがあってめちゃくちゃ応援するよっていうのを、
ケニアの方に言われて、
その方めちゃくちゃかっこよかったなと思ってます。
なんかその今の内田さんの話から思うことで、
僕もすごく感じてることなんですけど、
その日本の農村だったりとか、
あまり人口がいないような地方のところって、
すごく独特な文化だったりとか、
ある意味これって回り回って超最先端じゃないみたいなことって結構あるじゃないですか。
18:00
それがすごく魅力的だなと思うし、
自分たちが魅力的って感じてるだけじゃなくて、
海外の人から見てもこれってすごい面白いよねって、
感じてもらえる可能性があることってすごくあるかなと思っていて、
なかなかそういうこう、
あともう一個がそういう場所に出ていくのも大事ですよね。
僕らがただただここで暮らすっていうのも一つですけど、
やっぱりその魅力を誰かが伝えていく、
そうやって伝えられる場所に足を踏み出していくっていうのもすごく大事かなと思いますね。
うんうんうん、なるほどね。
今のがもしかしたら答えかもしれないけど、
ぜひ今後、世界と日本の農村のつながりの可能性について、
もうちょっと話したいなと思っていて、
確かに今一つ、こっち側にいるだけじゃなくて、
逆にこっち側に向かってアクセスして話すっていうのも大事だというのもあったんですけど、
どうですかね、他に今感じている可能性って長谷さんありますか?
そうですね、僕が今幻想っていう名前の一等賀市の宿を準備してるんですけど、
そういったこう、僕のコンセプトは奇想谷の玄関になり得るような場所、
要はその家に来た時に、
こういう、例えば奇想日の木があったりとか、こういう作家さんがいたりとか、
こういう暮らしがここにあるんだねってすぐ感じてもらえるような場所、
あとはそこで蕾打ち体験をしたりとか、
その文化に触れられるような場所を作っていきたいなと思っていて、
こういうコンセプトを海外の人とかに話すと、
すごい興味がられるというか、
じゃあ次来た時にそこ泊まってみたいとか、
あとはその、なんだろうな、
あんまりそのガイドのツアーのブックとかに書いてないような場所を紹介してあげると、
それすごい行きたいとか、
連れてってほしいとか、写真撮ってほしいとかっていうのがあって、
だからなんか可能性って自分たちがまだまだこう知らないところで、
逆にこう教えてもらう、そのまた別の目線。
僕はまあその移住者じゃないですか、だからその目線もあるんだけど、
また国が違う人からの、
文化とかが違う人からまた教えてもらえることってたくさんあるんだなと思っていて、
だから農村の魅力とか可能性って本当にまだまだこれからなんじゃないかなっていうのはすごい思うんですよね。
いやいいですね。
動いてるからこそ出る言葉なんだなと思いますし。
やはりその基礎待ちという場所の力もあるかなと思うので、
なんか私の話をすると、
原村の場合はなかなか外国の方が来れない、アクセスしづらいっていうのがあるので、
どうしてもここで何かやるっていうのがまだ今の活動としては、
個人としてはまだ早いかなって思っているので、
今やっているのはもう本当に東京にとかだけじゃなくてですね、
海外にもう自分からアプローチしていくってことをやっていますね。
具体的にはオーストラリアのビクトリア州のとある雑貨店に先売りのブローチを置かせてもらう。
21:06
これも美しい村連合の副会長の二宮さんという方のご紹介で出させてもらっていて、
まだちょっと反応の方は待っているところなんですけど、きっといい反応をもらえるんじゃないかなって思ったりしますし、
またいろんな海外の展示会にも出していこうかなと思っていることで、
その展示会だとか今言った雑貨店さんに出させていただいたことで、
逆にそこで原村っていうのを宣伝して、
行ってみようかなみたいなことをちょっとずつ種をまいていこうかなって思っているので、
多分私の活動が実るのは5年後とか10年後なんじゃないかななんてことは思っています。
今、種植え時期っていうのもあると思うんですけど、
でも実際僕からすると、原村で受け継がれてきた文化が、
内田さんが原村に入ってきた、入ってきたというか移住したことで、
もちろん二宮さんのサポートもいろいろあると思うんですけど、
やっぱりその最初のきっかけというかいろいろ動き出したことによって、
新たな価値を見出してオーストラリアで販売してますみたいな、
僕それすごいなと思っていて、
それってすごく日本の農村の可能性を感じるところでもあるし、ある意味モデルになっていく。
やっぱりその売る場所が違うと反応も違ってくるし、
その日本だけで販売するっていう頭じゃなくて、
いや海外もこの目線の先あるよねというか、
そういうこうなんだろうな考え方だったりとか思ってると、
意外とこれからなんじゃないかというか、
まだまだ全然可能性あるよねって本当に感じるんですけど、
実際そのどうですか、原村の方が先織りされてる方が、
オーストラリアにこの先織りのものを販売してるよって、
知った時というか聞いた時ってどんな反応なんですか?
自分とのおばあちゃんは、えーみたいな感じですね。
そうですよ。
そんなすごく遠くに出してるんだっていうのはありますね。
そういう人が大事だなと思っていて、
そのなんだろうな、作ってくれる人、作る人も大事だし、
その魅力を感じてそれをまた別の人とか、
別の場所に届けていく役目もすごく大事だなと思っているんですけど、
まさに内田さんがやっていることかなとは思っていますが。
ありがとうございます。
そのうちバンバン出していくうちに、
それからおばあちゃんたちも慣れてきて、
次はあそこの国出さないの?とか言ってくるんじゃないかなって。
それめっちゃいいですよね。
なんかその自分たちまだまだやれるぞみたいな可能性感じてるんだよねって、
思ってくれるのってすごい嬉しいですよね。
それを期待してどんどんどんどん海外に逆輸入みたいな形で、
どんどんハラマラの先よりも広げていきたいななんてことは思っています。
いや素晴らしいですね。
ローカルとグローバルってなんやねんっていうことだったと思うんですけど、
でもこれすごく関連性がないようで、
24:01
実はめちゃくちゃあるんじゃないかという、
これ話にまとまった感じですかね。
まとまった感じですね。
ローカルに来たらグローバルになんだかアプローチできちゃったというのが今回の話題になります。
ありがとうございます。
すごいいいエピソードだったんじゃないかなというふうに思います。
なんかあれですか、内田さんも第2回目録音してちょっと慣れてきた感じですか。
そうですね、マイクを慎重しまして、
おかげで少しだけ声はクリアになったかなと思ったのと、
心も少し上がってきたので頑張っていきたいなと思います。
はい、ありがとうございます。
じゃあ今回はローカルとグローバル、
農村に住みながら世界と仕事ができるよっていうお話だったんですけども、
次回はどんなお話を聞けるのか楽しみにしてます。
ありがとうございます。
はい、ということで今回のエピソード終わりたいと思います。
引き続きよろしくお願いします。
24:54

コメント

スクロール