hitokoto Radio. 人の物語を語る時間。この番組では、人口1万人以下の農村で暮らす3人が、
地域の魅力を掘り下げながら、日本の未来を考えます。 こんにちは、パーソナリティーの内田です。
こんにちは、パーソナリティーの永谷です。 今回のテーマは、ローカルとグローバルです。
なぜこのテーマになったのかと言いますと、前回vol.3が私のインタビューであったんですけど、
話していて、永谷さん、そして僕、両方ともイギリスに行ったことがあるということが共通点だと気づきました。
そういったことで、お互いそこでどういった生活をしていたのか、そしてなぜ今逆にローカルの方にいるのか、
そういったことを深掘りしてみたいと思います。 では早速ですが、永谷さんはいつイギリスにいて、どういった目的でいたのかなっていうのを教えてもらえませんか?
はい、僕がイギリスにいたのは25歳、26歳ぐらいの時に、ワーキングホリデービザというビザを使って、
ロンドンから30分ぐらい南のサリーっていう地区なんですけど、浄化町とか、
自然が豊かな感じのとこにいて、これなぜかと言われると、当時付き合っていたイギリスの女の子がいたんですけど、その子に会いに行きました。
僕はその子に会いに日本からイギリスに行きました。 なるほど、すごいもう恋人に会いに行ったってわけなんですね。
愛のために、国を越えて行きました。
なるほど、それはアーホリか何かを使って行ったんですか? そうですそうです、ワーホリですね。で、イギリスって当時、今はちょっと僕も調べてないんでわからないんですけど、
1000人しか枠がなくて、しかも抽選なんですよね。 だから逆に言えば抽選で選ばれないとその枠に入れないので、
例えば行きたいってなって、抽選に受からないってなると、来年とか、もしかしたら再来年まで待たないって感じになる可能性があったんですけど、
僕は本当に運がいいことに応募したその年に、抽選に受かってというか、行けることができたって感じですね。
いやーすごいな、少しだけはアーホリのことを調べたことがあるんだけど、なかなかイギリスに行くのって大変って、今言ってた通りだと思うんだけど、
本当に一発で通ったのはすごいなと思うんですけど、 ちなみになんですけど、英語はその時はできてたんですか?
僕はイギリスに行く前にオーストラリアとニュージーランドに住んでたので、イギリスに行った時点ではかなり普通に、
かなりペラペラというか、日常会話は問題ないくらい。 逆に内田さんはどこら辺にいたんですか?
というか、どれぐらいの時期というか、何歳ぐらいの時期にいたんですか?
そうですね、私は子供の頃なんですよね。年齢で言うと10歳から14歳、ちょうど小学4年生の夏から中学1年生の春までいまして、
これ完全に親の仕事の都合ですね。
結構でもその思春期というか、この感受性豊かな時に海外で住むって、どんな感じなんですか?
逆に僕はそれを経験したことないんで、なんか今思い返すとどんな感じですか?
難しいこと聞きますね。
なんだろうなぁ、でも最初はもちろんだけど、地元その時は神奈川に住んでいて、神奈川の地元の友達もいた中で、
いきなり夏に行くぞという話になって、最初めちゃくちゃ反対していたかなぁと。
神奈川って言ってる時点でも横浜ではないんですけど、英語も全然できず、
本当にアップルから始めたみたいな、リセイズアップル、アンアップルみたいなところから始めたので、
すごく抵抗感があったなぁと、ただやっぱ住んでいた場所が、ロンドンから、ロンドン中心部から西にセントラルラインっていうのを乗って、
とことこ行くと、アクトンっていう駅があって、ウエストアクトンっていう駅が最寄り駅でしたね。
で、その駅というのが近くに日本人学校があって、ほとんど周りに日本人が多く住んでいるっていうようなエリアでしたね。
環境的には、イギリスには住んでるけど、日本語の環境みたいなのはあったみたいな感じですか?
そうそう、もちろんちょうど2000年だったので、とても危険な時期だったんですよね。
北アイルランド独立戦争というのがとてもあったので、本当に一人では歩けないような時代でしたね。
だったので、毎朝学校行くときは親と一緒に行くか、もしくは一緒に日本人の人と一緒に何人かで行くっていうのが決められていたので、
なんか普段からずっと日本語を使っていたかなと思いますね。
そうなんですね。僕とは結構真逆ですね。自分の周りは本当に日本人がいなくて、どっちかっていうと去り行って、
でも本当なんだろう、基礎町っていう感じはちょっとないですけど、もうちょっとこう松本とか、
なんかちょっとこう町、大きな町というか、地方の大きな町みたいなイメージぐらいの規模のとこだったので、あんまり日本人がいないというか、ほぼ一回も会ったことないですね。
へー、長野の松本みたいってことですね。
そうです、長野の松本ですね。そうですね。
長野県に二人ともいるから、共通言語で喋っちゃいましたが、長野県の松本みたいな感じですね。
全然違ったんですね、そうすると。
そうですね、環境的にはお互いイギリスにいたって言っても、その多分住んでる年齢とか、あとはその時代、時代の背景というか、かなり違う感じですね、今話すと。
そうですね、イギリスはなんだかんだで、10歳から14歳で行ったのと、学生の一番最後の時に就職前にも行きましたし、つい最近も実は旅行で家族で行ったりしたので、結構イギリスは通ってまして、やっぱり大人になって気づくのは、パブでお酒飲むのが楽しいというのが。
それがすごく魅力的だなと思うし、
自分たちが魅力的って感じてるだけじゃなくて、
海外の人から見てもこれってすごい面白いよねって、
感じてもらえる可能性があることってすごくあるかなと思っていて、
なかなかそういうこう、
あともう一個がそういう場所に出ていくのも大事ですよね。
僕らがただただここで暮らすっていうのも一つですけど、
やっぱりその魅力を誰かが伝えていく、
そうやって伝えられる場所に足を踏み出していくっていうのもすごく大事かなと思いますね。
うんうんうん、なるほどね。
今のがもしかしたら答えかもしれないけど、
ぜひ今後、世界と日本の農村のつながりの可能性について、
もうちょっと話したいなと思っていて、
確かに今一つ、こっち側にいるだけじゃなくて、
逆にこっち側に向かってアクセスして話すっていうのも大事だというのもあったんですけど、
どうですかね、他に今感じている可能性って長谷さんありますか?
そうですね、僕が今幻想っていう名前の一等賀市の宿を準備してるんですけど、
そういったこう、僕のコンセプトは奇想谷の玄関になり得るような場所、
要はその家に来た時に、
こういう、例えば奇想日の木があったりとか、こういう作家さんがいたりとか、
こういう暮らしがここにあるんだねってすぐ感じてもらえるような場所、
あとはそこで蕾打ち体験をしたりとか、
その文化に触れられるような場所を作っていきたいなと思っていて、
こういうコンセプトを海外の人とかに話すと、
すごい興味がられるというか、
じゃあ次来た時にそこ泊まってみたいとか、
あとはその、なんだろうな、
あんまりそのガイドのツアーのブックとかに書いてないような場所を紹介してあげると、
それすごい行きたいとか、
連れてってほしいとか、写真撮ってほしいとかっていうのがあって、
だからなんか可能性って自分たちがまだまだこう知らないところで、
逆にこう教えてもらう、そのまた別の目線。
僕はまあその移住者じゃないですか、だからその目線もあるんだけど、
また国が違う人からの、
文化とかが違う人からまた教えてもらえることってたくさんあるんだなと思っていて、
だから農村の魅力とか可能性って本当にまだまだこれからなんじゃないかなっていうのはすごい思うんですよね。
いやいいですね。
動いてるからこそ出る言葉なんだなと思いますし。
やはりその基礎待ちという場所の力もあるかなと思うので、
なんか私の話をすると、
原村の場合はなかなか外国の方が来れない、アクセスしづらいっていうのがあるので、
どうしてもここで何かやるっていうのがまだ今の活動としては、
個人としてはまだ早いかなって思っているので、
今やっているのはもう本当に東京にとかだけじゃなくてですね、
海外にもう自分からアプローチしていくってことをやっていますね。
具体的にはオーストラリアのビクトリア州のとある雑貨店に先売りのブローチを置かせてもらう。
これも美しい村連合の副会長の二宮さんという方のご紹介で出させてもらっていて、
まだちょっと反応の方は待っているところなんですけど、きっといい反応をもらえるんじゃないかなって思ったりしますし、
またいろんな海外の展示会にも出していこうかなと思っていることで、
その展示会だとか今言った雑貨店さんに出させていただいたことで、
逆にそこで原村っていうのを宣伝して、
行ってみようかなみたいなことをちょっとずつ種をまいていこうかなって思っているので、
多分私の活動が実るのは5年後とか10年後なんじゃないかななんてことは思っています。
今、種植え時期っていうのもあると思うんですけど、
でも実際僕からすると、原村で受け継がれてきた文化が、
内田さんが原村に入ってきた、入ってきたというか移住したことで、
もちろん二宮さんのサポートもいろいろあると思うんですけど、
やっぱりその最初のきっかけというかいろいろ動き出したことによって、
新たな価値を見出してオーストラリアで販売してますみたいな、
僕それすごいなと思っていて、
それってすごく日本の農村の可能性を感じるところでもあるし、ある意味モデルになっていく。
やっぱりその売る場所が違うと反応も違ってくるし、
その日本だけで販売するっていう頭じゃなくて、
いや海外もこの目線の先あるよねというか、
そういうこうなんだろうな考え方だったりとか思ってると、
意外とこれからなんじゃないかというか、
まだまだ全然可能性あるよねって本当に感じるんですけど、
実際そのどうですか、原村の方が先織りされてる方が、
オーストラリアにこの先織りのものを販売してるよって、
知った時というか聞いた時ってどんな反応なんですか?
自分とのおばあちゃんは、えーみたいな感じですね。
そうですよ。
そんなすごく遠くに出してるんだっていうのはありますね。
そういう人が大事だなと思っていて、
そのなんだろうな、作ってくれる人、作る人も大事だし、
その魅力を感じてそれをまた別の人とか、
別の場所に届けていく役目もすごく大事だなと思っているんですけど、
まさに内田さんがやっていることかなとは思っていますが。
ありがとうございます。
そのうちバンバン出していくうちに、
それからおばあちゃんたちも慣れてきて、
次はあそこの国出さないの?とか言ってくるんじゃないかなって。
それめっちゃいいですよね。
なんかその自分たちまだまだやれるぞみたいな可能性感じてるんだよねって、
思ってくれるのってすごい嬉しいですよね。
それを期待してどんどんどんどん海外に逆輸入みたいな形で、
どんどんハラマラの先よりも広げていきたいななんてことは思っています。
いや素晴らしいですね。
ローカルとグローバルってなんやねんっていうことだったと思うんですけど、
でもこれすごく関連性がないようで、