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3. 【自己紹介】スーパーゼネコンを辞めて地域おこし協力隊に。株式会社ムラシゴト代表 内田将大
2024-11-17 36:08

3. 【自己紹介】スーパーゼネコンを辞めて地域おこし協力隊に。株式会社ムラシゴト代表 内田将大

▼今回のトーク内容:

人口1万人以下の農村で暮らす3人のパーソナリティが地域の魅力を掘り下げながら、日本の未来を考えていきます。 今回はパーソナリティの紹介その3として、長野県原村の内田将大が登場。スーパーゼネコン時代の話や地域おこし協力隊となった理由、原村に住んでぶっちゃけどう?など、楽しくお話ししていきます!

▼番組概要:

人口1万人以下の農村で暮らす3人が、地域の魅力を掘り下げながら、日本の未来を考える番組。 生き方や暮らし方、伝統や歴史を学びを受け継ぎ、今の日本を100年後に残すためのアイデアや方法を考えます。

▼番組ハッシュタグ:#ヒトコト

▼番組への感想やMCへのメッセージは以下までお寄せください: ⁠ ask.hitokoto@gmail.com

▼MC: 服部大地(はっとり だいち)

1992年、北海道生まれ。鶴居村の「Heart’n Tree」シェフであり、「The Royal Express」最年少シェフ。地元食材を活かした料理に定評があり、2023年「RED U-35」でブロンズエッグ受賞。現在は食材ハンターやノマドシェフとして各地でポップアップを開催中。 https://www.instagram.com/hattori.daichi/ 

▼内田将大(うちだ まさひろ)

1990年生まれ、東京都出身。株式会社ムラシゴト代表。ゼネコンで約7年間、都市開発案件を担当した後、2022年から長野県原村(はらむら)に移住。「日本で最も美しい村」連合専任の地域おこし協力隊として活動する傍ら、2024年に起業。裂織(さきおり)ブランドの推進を日々行う。 https://www.instagram.com/uchimasa07/ 

▼長屋詠一郎 (ながや えいいちろう)

1993年生まれ、岐阜県関市板取出身。20代前半は海外で暮らす。6年後、日本のことがもっと知りたいと思い、長野県木曽町に移住。写真や動画を撮りつつ、木曽谷の手仕事と日本で最も美しい村連合の繋がりを活かした一棟貸しの宿「玄草」を準備中。 https://www.instagram.com/eiichiro_nagaya.jp/ 

▼後援: 「日本で最も美しい村」連合

感想 1

高見知英
高見知英 Silver Member Top Listener トップリスナー
1週間前
お昼ご飯どうするの?家帰るの?と聞かれたときはわたしも衝撃でした。「え?帰るって選択肢あるんですか?」みたいな。 うちは職場まで徒歩2分でした
00:00
hitokoto Radio 人の物語を語る時間。この番組では、人口1万人以下の農村で暮らす3人が、地域の魅力を掘り下げながら、日本の未来を考えます。
こんにちは、パーソナリティーの永谷英一郎です。 今回は、長野県原村の地域おこし協力隊の内田さんをゲストに。
ゲストというか、一緒にパーソナリティーなんですが、いろいろとお話をしていきたいと思います。 よろしくお願いします。
はい、これが第3回目のエピソードになるんですが、一緒にやっていくというか、この hitokotoRadio を進めていくパーソナリティーのご紹介をしたいなと思って、今回はいろいろと掘り下げたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、じゃあ、どこから始めようかということで、
ちょっと、現在原村に地域おこし協力隊になって移住をしているということなんですけど、なぜそういうふうになったかというかですね、そこの前の東京時代のこととか、ちょっと軽く自己紹介をお願いしてもいいですか。
はい、まず内田と申します。内田雅博と申します。
私は元々東京の出身でして、ずっと東京で暮らしておりました。
ただですね、幼少期4年間ぐらい、英国のロンドンに滞在していたことがありまして、なんかその時に地区数百年の古い家に住むことが、なんか当たり前の文化っていうのに感銘を受けて、そこから建築を学ぶというような道をまいられました。
それで、大学院ではですね、東日本大震災もあって、都市計画、まちづくりの勉強をしてきて、その2年間大学院で勉強した後は、東京のゼネコンで都市開発の仕事を約7年間やってきました。
その後ですね、やっと今の話に戻るんですが、2022年の9月から長野県の原村っていうところに夫婦で移住して今に至ります。
いいですね、このあのういういしさみたいなのが、多分あの100回とかいろいろやった後に聞き直すと、あ、こんなかたかったんだみたいな感じになると思うんですけど。
めっちゃ謙虚してますね。
これ結構声から伝わってくると思うんですけど、なんかその東京時代、都市開発に携わってたってことなんですけど、なんかそれはどういったことを具体的にやってたんですか?
そうですね、具体的な話はあまりできないんですけど、例えばエリアで言うと渋谷だとか、そういった大きなエリアで、私の場合は商業施設をやっておりました。
かなり大きい商業施設で、デパートがあって、その上に別の用途が乗っているような200m弱の建物をやってたんですけど、
そういった建物を作るときって、もちろん職人さんとかも何百人と来ますし、設計する方でも何百人、何百人もいいすぎか、たくさんいるんですけど、
私の場合はどちらかというと、行政の方とか、あとお客さんと交渉しながら、そもそもどういう用途にしたらいいのかだとか、
03:07
あと行政さんとはですね、どこまで高い建物を出られるのかだとか、そういう交渉役としての役割を担っていました。
これが営業に近いだと思うんですけど、建築の知識もあって、行政の知識もあって、いろんな知識を複合的に頭に突っ込んでから、いろんな交渉をするので、
かなりレベルの高い仕事をしていたんだなというのは、改めて辞めてからは思っております。
なるほど。僕の中で内田さんはそういうイメージがあるというか、いろいろ話す中で、いろんな人と東京で関わってやってきた人みたいなイメージが僕の中ではあって、
そんな内田さんが東京から原村に移住するって、なかなか人生の中で見たらすごい変化というか、かなり変わるタイミングというか、ターニングポイントになったと思うんですけど、東京時代から原村に移住するっていう中で、どういう感じの流れだったんですか?
そうですね、かなり一大決心でしたね。もともと出身が原村というわけでもなかったんですけど、まず2つ大きな理由があって、1つが原村にですね、親戚がもともと別荘を50年ぐらい前から持っていて、別荘って言ってもすごいボロボロなので、よくすげーとか言われるんですけど、そんなことなく、
そんなボロボロの家にずっと家族で、夏だけ来てたので、なんとなく原村はとてもいいとこだなと。山も綺麗だし、雰囲気も美味しいし、ご飯も美味しいので、なんか心の奥底にすごい良いところで、将来的には住みたいなみたいな、本当に老後にみたいな雰囲気を持っていたというのがまず1つありますね。
もう1つは、そもそもなんでゼネコンを辞めたのかってところになるんですけど、確かに刺激的な毎日ではあったんですけど、とにかく忙しかったというのと、あとその東日本大震災で建築を作ることへのちょっとした疑問みたいのを少し感じていた時期もあったので、
ずっと大学院で学んできた地域づくりのキャリアに、このタイミングで住もうかなというのがちょうど2年前だったので、そういったことと原村に住みたいというのがちょうど重なった。さらにちょうどその時、地域おこし協力隊の募集を偶然していて、直感で応募したって感じですかね。
内田さんの中で花粉の存在みたいなのが結構、心の拠り所みたいな感じになってたみたいな感じですかね。
そんな感じですね。
確かにそうですね。東日本大震災の時にいろんな人の人生とかもいろいろ変わったりとか、いろんなことが日本でも変わりましたけど。
06:01
その協力隊っていうのを発見した時に協力隊のイメージみたいなのがあったんですか、こういうのをやるのかなとか、協力隊に対しての思いというか、どういうことをやるんだろうみたいなのを想像して原村に来たみたいな感じですか。
なるほど。どちらかというと結構協力隊に希望を持ってくる方が多い中で、私もともと大学、大学院の時にどちらかというといろんな地方に行かさせていただいて、町づくりをしてたんですね。
となるともう確実に各地の協力隊の方と合流するわけで、当時は今と違って給料面でも少し今よりも低かったり、いろいろと整備がまだできてなかったような時代だったので、結構皆さん、本土の方が大変だとかつらいとか、結構いろんなギャップを感じるっていう話を受けていたので、協力隊にはなりたくないなっていうのは正直最初の印象です。
ただですね、一番やりたいっていうことを実現するには、いろいろ考えて協力隊っていうのを選ぶべきなのかなっていうことを自分なりに考えて選んだ感じなので、ある意味希望を持ってというよりは協力隊にしようかなぐらいの感じの温度感ですね。
おもしろいですね。ちなみに僕も今、長野県の基礎町地域ようこそ協力隊をやってて、僕は基礎町に来る前まで協力隊っていう制度を知らなかったんですよね。
僕はイギリスからコロナのタイミングで、ビザも切れる前だったっていうのもあって、日本に帰ってきて、基礎町に来た時にたまたま僕が泊まらせてもらっていた家の人が協力隊だったから、地域よこし協力隊っていう制度、その仕組みを知ったんですけど、
あんまり普通に生きてたらというか、普通に暮らしてたらあんまり接する機会だったりとかないじゃないですか。
だけどそこでたまたまというか、内田さんの場合は大学の頃とかそういう地域づくりとか町づくりみたいなことに関わってたから知ってて、こういうオプションもあるんだみたいな頭の中、そこら辺とかにあったってことですよね。
そういうことですね、確かに。
なんかそれ多分結構珍しいパターンじゃないかなと思って、なかなか協力隊、なんか名前聞いたことあるけど、実際こうやってる人と関わったことがある人そんなにいるのかなってわかるんですけど、僕はそういうタイプだったというか、そういう風に人生送ってきたから協力隊のイメージあんまなかったんですけど。
なるほど、じゃあ東京からその原村へ地域おこし協力隊として移住して、どんな第一印象でした?その着任当時というか、最初の印象みたいな。
2年前ですからね、そうですね。
元々知っていたエリアではあったので、特にこう、始めましてって感じではなかったっていうのはあるんですけど、なんかそもそも原村に住めるような家って実はあまりなくて、実は私最初来たとき、仮で2ヶ月別の場所に住んで、その後アパートに引っ越したこともあったので、何だかひたすらバタバタだったなっていうのは思ってますね。
09:17
まあ結構なんかあるあるですよね、その地域おこし協力隊だけじゃないかもしれないですけど、この日本の農村に移住をするっていう時のすぐ住める家ない説みたいな結構ありません?
それはどういう風に見つけたんですか?最初役場の人にあっせんしてもらったみたいな感じですか?
それはもともとこの月から住めるよっていうのは言われていて、だったので2ヶ月は一応仮で住むみたいな決まっていたので、一応この11月のどこから住めるよっていうのが決まってたから、まだ安心感はあったんですけどね。
僕それで言うと協力隊が決まって、3月の30日に移住をしますみたいな、4月の1日から着任だったんですけど、3月25日に電話がかかってきて決まってた家が住めませんって言われて、急いで秋山担当の人に探してもらったんですけど、
東京からだけじゃなくてもまた別の場所から別の場所に移動するとき、例えば東京はそれなりの人の杯というか、もう多いですしアパートとか住むところも結構あると思うんですけど、
農村、日本の地方に行くと結構そういうすぐ住める家があんまりないっていうのは結構大きな問題じゃないかなっていうのを今改めて思いましたが。
確かにそうですね。
あとは働く面ではどちらかというと都心で働いていたので、結構カード面は整備されていた状況だったんですけど、まず原村役場というところにまず着いて、最初にこうやるんだよって言われたのが、タイムカードを切ってねって言われたのが結構衝撃で、
初めましてのタイムカードで、これで勤態管理してるんだ。
今は変わったんですけどね。
そこも一つの面白いカルチャーショックだったかなと思います。
東京で働いてというか、もともと東京出身で東京で働かれて、今カルチャーショックみたいな言葉があったと思うんですけど、他にありました?
原村来て、別荘というかあったとはいえ、実際に暮らしてみるといろいろ見えてくるものがあるじゃないですか。
いい面もあると思うし、悪い面というかどうだろうって気になる部分とかも出てくると思うんですけど、そういうカルチャーショックみたいなのはありました?
そうですね。いっぱいあるんですけど、一個だけ挙げるとすると、まず住んでる場所と役場が基本的に近いんですよね。
というのも車で通うことになるので、だいたい5分とか遠くても10分みたいな方が多いんですよね。
そうなると役場のお昼ご飯の時に一旦みんな家に帰る。これはかなり衝撃的でしたね。
12:05
そして東京だとまず家から1時間とか、多い人は2時間かけて電車で通って、
会社の近くにあるご飯屋さん、もしくは車食でご飯食べてっていうのが普通だったので、
家に帰るんだってめちゃくちゃ驚きましたね。
確かにそれは結構面白いですよね。僕はもともとすごいちっちゃな岐阜県の村出身なので、
そういううちはじいちゃんが建設の会社をやってて、お昼に帰ってきたりするじゃないですか。
それが普通なのかなと思って暮らしてたら。だからそれって結構レアなことなんだなというか。
岸町も結構そういうお昼ご飯食べに帰る人も多いですし、確かにそれ面白い点ですね。
それが一つかなと思いますね。
実際に暮らしてみて、環境の変化がだいぶあったじゃないですか。
東京でたくさんのビルがあったりとか、いろんなお店がある中で原村に移住して、
こういう原村に来てよかったなとふと思った瞬間とかっていうのはあるんですか。
まず原村自体がすごい晴天率が高いんですね。いつも晴れの日が多いエリアでして、
あった時に毎日毎日周りに見えている風景が違うっていうのが驚きですかね。
東京に住む時は本当に電車と会社の往復ではあって、電車ってもちろん地下鉄だと外の風景も見えないじゃないですか。
なので今雨降ってるのか、暑いのか寒いのか、それぐらいの軸だったりとか、
今日は空が澄んでるなとか、今日八ヶ岳の浜田岳まで見えるなとか、
あとはそうですね、今日は北アルプスの方が見えるから空気が澄んでんだなとか、
そういう今まで感じたことがないような、五感を刺激するような毎日っていうのが大きな違いだと思いますね。
それ面白いですね。確かに東京に自分も半年ぐらい住んでたことがあるんですけど、
情報がありすぎて、あとその四季の変化みたいなのに気づきにくかったような気がするんですけど、
今、長野県の木曽町に住んで、すごい谷底なんですよね。
御滝山と木曽駒畑に挟まれてる場所なんで、
すごい自然が近くて、近すぎて驚くこともあるんですけど、
山、ほんと立ってみたときに、じゃあ春から新緑になって、
夏っぽいすごい濃い緑の木々に変わって、今紅葉してますけど、
冬になって、さっき五感って話がありましたけど、
ただ目だけじゃなくて、匂いとか、確かにそういう暮らしに変わったのはありますね。
協力隊になっていろいろ活動をしていると思うんですけど、
15:00
協力隊のメインの活動みたいなのはどういったものになるんですか?
そもそもまず原村の紹介を簡単にさせていただいてもいいですかね。
確かに。原村とはみたいな。
簡単に説明しますと、長野県の中でも一番山梨、東京寄りに位置するような村で、
特徴としては、まず東京からの近さ。
大体中央線で2時間、2時間半かければ都心から着いてしまうような、
遠からずっていうような場所にある。
もう一つは標高がすごく高いエリアに居住域が広がっていまして、
私今住んでいる家は1,006メーター。
高いところでは1,600メーターに位置して住む人もいます。
ちょっと脱線しちゃうんですけど、長野県あるあるで、
自分の住んでいるところの標高がメーター単位で語れちゃうっていうのも、
また面白いかなと思っています。
確かに。
それで木曽松山とはまた違う環境で、
どちらかというと山裾に広がるように居住域があるので、
あまり山、谷みたいな感じではなくてですね、
かなり開けたというような印象が大きいかなと思います。
永谷さんも来た時に多分感じたんじゃないかなと思います。
そうですね、木曽松は本当に谷底っていうことが本当に似合うんですけど、
花村に初めて行った時に、なんだろう、気持ちがいいっていう感じですね。
なんだろう、空が広いし、
なんかこれがこう、長野県というか、
みんなが多分イメージするような長野県の感じ。
山が高くて、ちょっと広い感じというか、
高原っぽい感じ。
すごく居て気持ちがいいなっていうのはありましたね。
ありがとうございます。
あとは観光と農業がメインなので、
それだけ覚えていただければと思うんですけど、
観光で言うと、私ペンションビレッジっていうのが約50年ぐらい前から有名で、
特にその世代の方、70代ぐらいの方にはとても人気で、
もう寿司詰めのような状態で寝ていたぐらい、
人が来ていたって話もあります。
あと農業については、セロリという分ですけど、
いわゆるセロリですね。
これの夏場の生産額が日本一ということで、
やはり高原のこの環境を生かした観光、そして農業っていうのが有名な村です。
ありがとうございます。
これを聞いた方は原村とはみたいなのがイメージできたんじゃないかなというふうに思うんですけど、
でも本当に気持ちがいいですね。
なんだろう、初めて行った時に、僕イギリスに住んで、
そうか、内田さんもそうですよね。
そうですね。
ちょっとイギリス感みたいなのないですか?
森の中とかドライブしていると、
ちょっとあんまり整備していない、自然のままの小川みたいなのが、
チロチロって流れてたりとか、
ちょっとそんなイギリス感みたいな感じますよね。
18:00
やっぱりそうですね、標高高いからだと思うんですけど、
植生がわれわれヨーロッパ、北欧とかイギリスとかにちょっと近いところが多くて、
確かにイギリス好きな方がここに移住して、
イギリスのB&Bを推したようなペンションを作ったりだとか、
あと北欧を思わせるようなロッチを作ったり、そういう方が多いので、
長屋さんも私もそうですけど、共感する人が多いような村だと思いますね。
確かにそんな感じはすごいありますね。
ありがとうございます。
じゃあ原村のことがわかったところで、
じゃあ内田さんはその原村で何をしているんだという、
みんなが気になるポイントでいけたらなと思うんですけど、
どんなことをメインにやられてるんですか?
まずそうですね、協力隊のミッションと呼ばれるものが、
日本で最も美しい村連合の推進ということがミッションになっています。
これは今回のラジオのメインでもある美しい村連合の
1000人の担当者というのを協力隊でつけると。
実はこれ私が着任した当時は、
おそらく全国で私しかいなかったんじゃないかなってぐらい、
とてもレアなミッションだったので、
そこに私が食いついたということもございますね。
具体的に何やっているので、大きくは2つなんですけど、
1つはまず損害へのPRですね。
この美しい村、約58の自治体が全国で今入っているんですけど、
その58の自治体との交流でしたり、
全国の会議というのが、
ワンシーズンもしくは数ヶ月に1回行われるので、
その場に顔を出して、原村はこんなことやってますよと、
こんなことを連携してできませんかといったようなことを、
自治体さんでしたり、あと来ている企業さんにお話をして、
ぜひといった連携を推進するということが、
まず1つのミッションにはなりますね。
もう1つは損、ない、ない分に向けてなんですけど、
そもそもこの美しい村連合に入っているということの知名度が、
現在においてもあまり高くないんですね。
これは損ない外ともにです。
そういったこともあって、
今損ないの方に向けてですね、
原村ってこんなに美しい自然があって、
こんなに素晴らしい地域資源があるんですよということを、
私が活動することで、
皆さんに共感を得たいなということをやっております。
ありがとうございます。
そもそもなぜこれが始まったかというところに、
これはかなりつながってくるとは思うんですけど、
日本で最も美しい村連合に基礎マッチも入ってまして、
その中でいろいろ交流する中で、
やっぱり発信というか、
どういったものがあるんだろうとか、
どういった人がいるんだろうとか、
やっぱりそこの地域に暮らす人、暮らしている人たちが、
魅力的だよねということで、
一言ラジオもその人にフォーカスしたりとか、
物事にフォーカスしたりとかっていう、
この番組が生まれたわけなんですけど、
21:00
東京にいた時とかって、
日本で最も美しい村連合っていうのは知ってました?
知ってたんですよね。
知ってたんですか?すごい。
どういうあれで知ってたんですか?
それこそ学生の時にいろんな地域行った時に、
どこか忘れたんですけど、
なんだこのロゴはっていうのを見たことがあって、
それで調べたら美しい村連合で、
全国数十の自治体が入っていますよというのがあって、
なんかその世界遺産だとかそういうのは知ってたんですけど、
こんな素晴らしい連合があったんだっていうのを、
学生の時知ったぐらいですかね。
なるほど。僕は知らなかったんですよ。
基礎町に来るまで知らなくて。
で、僕は協力隊になってから、
2年目に関わらせていただけることになったんですけど、
初めての印象は、
これめちゃくちゃ面白いなっていうのがすごくあって、
その自治体同士のこの、
例えば姉妹都市とかは全然あるじゃないですか。
だけどその姉妹都市というか、
その連合に自治体が入っているプラス、
その事業者さん、
そのスポンサー企業という形で企業の方々が入っていたりとか、
個人で入っている方も見えますし、
そこにプラス、
国を超えた繋がり、
フランスだったりとか、
スペインとかイタリアとかありますけど、
そういった繋がりがある、
この団体ってすごい可能性があるなっていうのが、
僕の最初の印象だったんですよね。
いろいろマルチに出たりとか、
イベントに出る中で若い人も増えてきてっていうので、
こうなったというか、
現在ポッドキャストを撮っているわけですけど、
協力隊のミッションとして、
その美しい村に関わる中で、
発見したこととか、
この団体ってこういう魅力があるよな、
みたいなことって何かありますか?
でもまさに長谷さんが言ったことなんですけど、
いろんな横の繋がりが得られるのって、
すごいなと思ってまして、
どうしても地域づくり、
特に農村地域で地域づくりをしていると、
どうしても考えがこもってしまったりだとか、
広がりがないんじゃないか、みたいな感じで、
だんだんちょっと悶々としちゃう部分があると思うんですけど、
いろんな東京、北海道から沖縄まで、
いろんな自治体が入っていて、
私こんなことやってますよ、というだけで、
とてもいいですねって言ったような、
共感してくれるようなところもあって、
幅が広がるっていうことは、
本当に素晴らしいなと思ってますね。
本当まさにだと思います。
自治体、例えば人口1万人以下で、
アイデアを考えるときとかって、
新しい物事を生み出すときもそうですけど、
やっぱり凝り固まっていって、
本当はもっといいやり方だったりとか、
仕組みがあるかもしれないけれど、
それが前に進みづらいというか、
進めづらくなってしまうこともあると思うんですよね。
だけど、美しい村連合に関わってから、
直接別の自治体で、
こんな取り組みやってるんだっていうのを、
担当者の人から聞けたりとか、
24:01
あとはこういったうちは授業やってますよっていうのを、
企業さんから聞けたりっていうのがあって、
個人として、
なんて言ったらいいんですかね、
成長できる学びがたくさんあるかなっていうのが、
すごい感じますね。
ということで、
実際原村で美しい村連合の活動を、
されていると思うんですけど、
何か他に活動とかはやってたりとかするんですか?
そうですね、主な活動が、
原村に地域資源が3つあるんですけど、
そのうちの1つが、
柿織り、ボロバタ織りと呼ばれるものがあります。
これは旗織り、手で織る旗織りではあるんですけど、
いわゆる昔、
服がなかなか買えなかった時代ですね。
もう本当にボロボロになるまで着て、
でもボロボロになって捨てるのではなくて、
それを手で帯状に裂くんですね。
裂いたものを横糸として、
新しい布に変えるんですね。
その技術をボロバタ織り、
柿織りと言ってまして、
これって新しい布を作る時に、
ギュギュッと詰めながら作るので、
かなり厚みがあって、
温性がある布なので、
こういった寒いエリアでは、
こたつ掛けだとかハンテンとかで使われるぐらい、
本当に合理的な技術で、
合理的な知恵でといったことが、
この時期でもありました。
当時は本当にもう、
それこそ布がないからとか、
そういう理由だったかもしれないんですけど、
今でもこれを追っている方が多くいまして、
現在では本当にアップサイクルに通じるような、
サステナブルな文化だなってことを今思っていて、
これの推進をしていますね。
具体的には、
例えば役場の立場からやりますと、
美しい村のロゴがあるんですけど、
ぜひ皆さん、ロゴを調べていただければと思うんですけど、
このロゴの形を模した、
先折りのでっかいタペストリーを作ったりだとか、
作るにあたっても地元の中学生さんとか、
地元の住民の方と一緒に作るというようなワークショップを開いたり、
これは役場の立場で、
実は私、自分の会社をこの機会に立ち上げまして、
その会社ではこの先折りを使った、
オリジナルのプロダクトを作るということを、
今どんどん取り組んでいます。
例えば1個例に挙げると、
副職の専門学校さんで、
大量に捨てられるシーチングという、
すごい薄い生地があるんですけど、
それ、仮縫い段階でどんどん捨てられてしまうということを聞いて、
それなんか使えないのかなといったことを考えて、
それを横糸に再利用して、
新しいプロダクトというのを作っていたり、
そんな感じで、今までなかったような発想だとか、
協力者を巻き込みながら、
でも昔ながらの伝統文化を推進するといったことを、
自分の会社で、そして役場の立場でやっているという感じですね。
ありがとうございます。
なんかそれすごい面白いなってずっと思ってて、
外から移住者として入ってきた人が、
27:01
そこの地域にある資源だったりとか、
受け継がれてきた伝統とか文化みたいなのを、
また新しい形で、
今までの価値も活かしながら、
新しい形に変えていけるようなことをやっているのは、
すごくいいなというふうに思っているわけなんですけど、
実際に会社を起こしてみて、
いろいろプロジェクトが進んでいると思うんですけど、
実際にそれをやってみて、
どんな感触というか、どんな感想ですか?
そうですね。
いい話で言うと、
意外と応援してくださる方が多いなというのは感じてますね。
例えば、いろんな販路を開拓していただける方もいれば、
いろんな援助をいただける方もいれば、
あとはもうちょっと尊大に目を向けると、
私も追ってみたいという方がどんどんどんどん増えたりということが、
やはり自分が一つ動くことで、
それに共感をしてくれる人がどんどん増えてきて、
いい循環ができてるなと、
動くのって大事だなというのを、
会社を作ることで思ったのかなと思いますね。
悪い面で言うと、なかなか儲かるって難しいですね、
というのが感じます。
やっぱりあれですよね、
自分でビジネスをやっていく大変さみたいなのも感じますよね。
僕も本当にそれは感じてるんですけどね。
だけどやっぱり、今お話の中で言った、
自分が動くと、
実は自分もそれやってみたいと思ってたけど、
ちょっと一人じゃできないって思ってた人とか、
なんか興味はあるんだけど、
なんかきっかけが欲しかったなっていう人とか、
そういう人たちが一緒に和になってというか、
動けるような体制を作っていくのも一つ、
街づくりの面白さというか、
その場所の価値だったりとか、
その場所の文化を外からの目線で見て、
一緒にこの中の人とやっていけるって、
すごい面白いことだなと僕は思ってるんですけど、
実際にどうですか?
そのいろんな世代の人たちのつながりみたいなのはあるんですか?
その先折りをやる中で。
いや、まさにやってますよ。
やっぱり折り手さんが限界もあるんですね。
そのご高齢というのもあれば、
手で折っていくので、
本当に一日にできるメーター数ってかなり限られてるんですね。
なのでどんどんどんどん、
折り手さんを増やすことがこの使命ではあるんですけど、
それこそ折りたいって人は確かにいるなっていうのを感じて、
一回ですね、折りたいっていう方と、
折っているって方をつなげるような、
食事会というか交流会を開いたことがあって、
それがすごく良かったですね。
下はですね、お子さんが小学生から、
上は最高齢が80代の方で、
年齢差70歳みたいな回だったんですけど、
これがめちゃくちゃ良かったというか、
30:00
元々をやった理由は技術を伝承するためだとか、
担い手を発掘するためにってことを念頭に入れてやったんですけど、
なんだかすごく楽しかったんですよね。
お子さんはビリビリ削るのがすごい楽しいって言って夢中になって、
いくらでももう削いてましたし、
40代ぐらいの本気でやりたいっていう方は、
本気で技術を学ぶっていう、
目をすごい見開いてやっていたり、
それを見て80代のおばあちゃんは逆に刺激を受けて、
もっと頑張らなきゃってなっていたのを見て、
全然意図しなかったんですけど、
この先寄りをツールとする繋がりっていうのが、
意外と地域づくりに近いヒントなのかな。
地域づくりのゴールに近いヒントになってんじゃないかなっていうのも、
やりながら思いましたね。
今のめっちゃ良いですね。
地域の魅力を掘り下げていった結果、
コミュニティみたいなのが出来上がって、
楽しみも生まれて、
それすごく良いなと思っていて、
先寄りという文化を後世に伝承していくというか、
伝えていくという真の部分があることで、
予期してなかった追加の面白さとか、
追加の楽しさみたいなのがあるのがすごく良いなと思ってて、
多分このポッドキャストとかもそうなんじゃないかなと思ってて、
いろんな人とお話したりとか、
いろんな人の人生とか、
今回内田さんの人生みたいなのを語ってもらってると思うんですけど、
これを聞いた人が、
そういう生き方もあるんだとか、
そういう働き方もあるんだみたいな、
こうなんだろうな、
ことも全然あり得るわけじゃないですか。
ちょっとハラムラ行ってみようかなとか、
全然あると思うんで、
何か芯が通っていることをやっていると、
思い、何だろうな、
描いてたこと以外のプラスアフラのことが出てくるみたいなのが、
今回すごい伝わったというか、
伝わったらいいなというのはありますよね。
いいですね。
これが今回のテーマなのかもしれない。
隠れテーマみたいなのがあるかもしれないですけど、
これからやっていきたいこととか、
これからチャレンジしてみたいことみたいなのありますか。
まさに今言った話につながるんですけど、
いない手さんを作るというときに、
一番最初に話した内容を覚えてますかね。
ハラムラ住みたいなのに住めない、
家がないという状況があったので、
人をもし呼んでくるとしても、
住む場所がなければ全然実家勢がしないなと思ったので、
実は今、秋山をいい話があったので、
そこを一つ、
旗織りの方法、
そして旗織りの方のためのシェアハウスとして、
私、改築しようかななんてことを今考えてまして、
そういった皆さんが楽しく元気よく活動できるような
インフラ作りというのを、
今年、来年かけていろいろやりながら、
どんどんこの場を広げていきたいということをやりたいと思ってますね。
ここでやっと今まで、
私のキャリアだった建築を活かせるようになってきたので、
33:02
なんかこうぐるっと巡って、
いいことになってきたかななんてことは思ってますね。
本当それ、僕もすごく感じることだし、
すごい賛成することで、
なんか昔やってたことが、
将来どう繋がるかはわかんないけど、
取り組んでたことが、
後で巡ってって言葉が出ましたけど、
本当巡り巡って、
このタイミングでここに来るんかい、みたいなのあるじゃないですか。
それがすごく面白いなって思いますし、
農村に暮らしているから、
できるできないこといろいろあるかもしれないですけど、
その中で価値を見つけて、
自分たちなりの楽しい暮らしを作っていくみたいなのもすごく面白いし、
東京時代やってたことが、
原村でも生きてきて、
それがまた新しい形を作っていくみたいな、
そんな内田さんに注目ですよというお話なんですけど。
ありがとうございます。
時間も短くなってきましたので、
何か内田さんから、
これを聞いている人に伝えたいこととかってありますか?
どんな人がこのポッドキャストを聞いているんだろうって、
今段階では分からないですけど、
何か東京から原村に移住して感じたこととか、
こういうこと伝えていけたらいいな、みたいなことってあります?
一番はこういうポッドキャストを聞くと、
話し手さんって本当にすごい人なんだなって思って私も聞いてたんですけど、
私自身全然すごくなくて、
本当に巡り巡って今の道にいるんですね。
なので本当に地域づくりやりたいんだって心差しを持って、
ずっとやっていたわけでもなく、
ふとその場面場面で思ったことで、
フラフラフラとやっているから、
自分自身何で今ここにいるんだろうっていうな、
それぐらいでもあるんですけど、
でもなんだかんだ今原村で活動しているのが、
たぶん人生で一番楽しいんじゃないかなってぐらい息としていて、
本当何が起こるかわからないんですけど、
やっぱりやりたいとか楽しいとかいう気持ちを大事にすることが、
人生の中で大事なんだなっていうのを、
改めて今気づいているって感じなので、
もし今なんかこう違和感があるっていう生活をしている方は、
一歩こう踏み出してみるのもいいかなってことを思っています。
素晴らしいメッセージをいただきました。ありがとうございます。
今後は僕とですね、
あと内田さんと、
あと北海道の鶴井村の鳩大地君の、
3人がメインのパーソナリティーになって、
いろんな人たちにお話を聞いたりとかですね、
なんかこういろんな聞いている人の学びになったりとか、
なんかこう考える時間というかですね、
なんかそんなポッドキャストになったらいいなというふうに思いますね。
これからやっていきましょう。
たぶん内田さんも最初の緊張が若干解けたんじゃないかなと思いながら、
これは後からね、
後から聞いたらたぶんめちゃくちゃ面白いと思うので、
なんかこれも楽しんでいけたらなと思います。
ということで、一言ラジオ人の物語を語る時間ということで、
36:01
今回じゃあエピソード3を終わります。
ありがとうございました。またよろしくお願いします。
ありがとうございました。
36:08

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