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2. 【自己紹介】巡り巡って辿り着いた、日本の農村。玄草 / 長野県木曽町地域おこし協力隊 長屋詠一郎
2024-11-17 30:48

2. 【自己紹介】巡り巡って辿り着いた、日本の農村。玄草 / 長野県木曽町地域おこし協力隊 長屋詠一郎

▼今回のトーク内容:
hitokoto Radioの2回目のエピソード!人口1万人以下の農村で暮らす3人のパーソナリティが地域の魅力を掘り下げながら、日本の未来を考えていきます。

今回はパーソナリティの紹介その2として、長野県木曽町の地域おこし協力隊 / 玄草の長屋詠一郎の生い立ちから現在の活動まで、楽しくお話ししていきます!

▼番組概要:

人口1万人以下の農村で暮らす3人が、地域の魅力を掘り下げながら、日本の未来を考える番組。 生き方や暮らし方、伝統や歴史を学びを受け継ぎ、今の日本を100年後に残すためのアイデアや方法を考えます。

▼番組ハッシュタグ:#ヒトコト

▼番組への感想やMCへのメッセージは以下までお寄せください: ⁠ask.hitokoto@gmail.com⁠ ⁠

▼MC:

服部大地(はっとり だいち)

1992年、北海道生まれ。鶴居村の「Heart’n Tree」シェフであり、「The Royal Express」最年少シェフ。地元食材を活かした料理に定評があり、2023年「RED U-35」でブロンズエッグ受賞。現在は食材ハンターやノマドシェフとして各地でポップアップを開催中。

https://www.instagram.com/hattori.daichi/

▼内田将大(うちだ まさひろ)

1990年生まれ、東京都出身。株式会社ムラシゴト代表。ゼネコンで約7年間、都市開発案件を担当した後、2022年から長野県原村(はらむら)に移住。「日本で最も美しい村」連合専任の地域おこし協力隊として活動する傍ら、2024年に起業。裂織(さきおり)ブランドの推進を日々行う。

https://www.instagram.com/uchimasa07/

▼長屋詠一郎 (ながや えいいちろう)

1993年生まれ、岐阜県関市板取出身。20代前半は海外で暮らす。6年後、日本のことがもっと知りたいと思い、長野県木曽町に移住。写真や動画を撮りつつ、木曽谷の手仕事と日本で最も美しい村連合の繋がりを活かした一棟貸しの宿「玄草」を準備中。

https://www.instagram.com/eiichiro_nagaya.jp/

▼後援: 「日本で最も美しい村」連合

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00:00
hitokoto Radio. 人の物語を語る時間。この番組では、人口1万人以下の農村で暮らす3人が、地域の魅力を掘り下げながら、日本の未来を考えます。
こんにちは、パーソナリティーの服部大地です。 こんにちは、パーソナリティーの長屋詠一郎です。
先週は、僕の自己紹介の回になりましたが、今回はパーソナリティーである長屋さんの自己紹介を、僕がインタビュー形式で質問していきたいと思います。よろしくお願いします。
まず初めに、長屋さんとはあんまり長い付き合いではないんですが、ちょっと老いたちというか、どこ出身なのかお聞きしてもいいですか?
僕はですね、岐阜県の関市板取という小さな村で育ったんですけど、最近はそのインスタグラムでモネの池とかって調べてもらえれば出てくると思うんですけど、
山に囲まれた田舎で生まれ育ちました。
で、そこから高校行きました。 岐阜の方の高校に出て音楽を勉強してるっていう感じの、学生時代というか子供の頃みたいな感じですかね。
あれ、子供時代、じゃあ結構、なんか印象的に思ったこととかあったんですか?この田舎に生まれて、なんて言うんですかね。
僕の場合だと、あんまり好きじゃなかったんですけど、長屋さん的にはどんなふうに思ってたんですか?
なんか多分、好きとか嫌いみたいな感情が多分ないというか、その田舎すぎて、なんかそれがこう普通だから、その外の世界がどういったのかあんまり分かってなかったっていうのは正直なところで、
人口もそんなに多くなくて、ある意味どん月みたいな場所で暮らしてて、で、その信号も中学校の前の1個しかなくて、その信号もほぼ変わらないんですよ。
要はその信号って何ぞやみたいな、教えるためにあるだけで、そんな場所で育ったから、なんだろう、田舎が好きとかその場所が好き嫌いみたいなのは特にはなかったですね。
めっちゃ面白いですね。そんな田舎なんですね。
そこまで田舎なんですよ。
中学校の頃とかは、もう校長先生がさわの水で歯磨きしてたりとか、
鹿が降りてきて、なんか鹿出た、鹿出たみたいなとか、ほんとそんな感じの場所で生まれ育ちました。
最高ですね。すいません、ちょっと取り乱しましたけど、高校の時はなんか音楽とかやられてたという話を伺ったんですけど、そこら辺ちょっと詳しくお願いしてもいいですか?
そうですね。僕は田舎で育って、ずっと音楽が小さい頃から好きだったので、音楽勉強できるとこないかなっていうので、岐阜にそういう総合学科っていうところがあって、
1年生はこの同じものを勉強するんですけど、2年生と3年生は専門家に進んでいくみたいな、ちょっと特殊な学校があって、
03:08
で、兄がそこの美術系列みたいな美術をやったので、自分もそこの学校を知ってたっていうことで、自分は音楽のほうに行ったみたいな感じですね。
4人しかいませんでした。4人で、2年生は。
4人?
そうです、班みたいな感じで、4人と先生で授業をする。
すごいな。
そんな感じの高校時代でしたね。
なんか結構先進的な高校ですよね、そんな専門的なのがあってってなると。
今は結構総合学習みたいなこととか、総合学科っていうことが増えてきてると思うんですけど、当時は多分岐阜の中でも2つとか3つぐらいしかなくて、
なかなか、もともとなんかそういう合併した学校だったから、そういうのができたっていうのもあるかもしれないですね。
じゃあその高校生を終えて、就職活動とか進学とかあるじゃないですか、どういう選択を取られたんですか?
なんか僕、音楽やってて、バンドとかもやってて、その音楽をずっとやっていきたいなっていうふうな気持ちはあったんですけど、
それがですね、高3の文化祭らへんで、彼女ができまして、それがちょっと楽しすぎて、なんか音楽どうでもいいって思うぐらい楽しくなっちゃって。
噂の彼女ですね。
噂のね、噂のね。
ごめんなさい。
気づいたら1月だったんですよ。卒業手前もう2ヶ月前みたいな1月で何も決まってなくて、
なぜ決まってなかったっていうかというと、音楽を進む道もあったし、地元のところ結構国際交流が盛んで、
ずっと島海外行きたいなっていうのが思いがあって、たまたまその時にいとこがアメリカにいたので、
来てもいいよみたいなふうにおじさんも言ってくれてて、でも音楽も興味があったし、
なんかどういうふうにしようかなっていう迷ってたら気づいたら1月だったんですね。
みんなだいたい高3って8月ぐらいに決まってるじゃないですか。
自分はそんな感じ決まってなくて、でもなんかちょっとこう決めなきゃいけないなということで、
たまたまその学校に来てたハローワークの人がなんか名木市場みたいなのあるよみたいな。
名木って例えば一枚板とか大黒柱とか。
もともと自分は木のある場所で育ったからすごい木も好きだったんで、
じゃあちょっとやりたいことわかんないなら自分でとりあえずお金稼いで、
お金稼いだ後に決めてもいいなっていうので、じゃあそこ行こうってなったって感じですね。
そうなんですね。なんかてっきりこう決めて、もう結構計画的な方なのかなっていう印象がもともとはあったんですけど、
そんなことないんですね。
いや結構僕ね真面目そうにめっちゃ見られるんですけど、初めて会った人に。
そんなことなくて一番チャランプランだし、結構流動的に生きるのが好きだし、
06:04
もちろん計画するねメリットも知ってるし、計画した方がいい場合もあるじゃないですか。
でもなんか自分のテーマ的に、人生のテーマ的になんかその偶発性というか、
その偶然が生んだものってめっちゃ面白いなっていうのがあって、
っていうのがもしかしたら根本から、小さい頃からあるのかもしれないんですけど、
だから結構なんだろうな、いいなと思ったらパーって行っちゃうし、
っていうのでたまたま木材市場に行くってなったって感じですね。
木材市場に行ってすごく面白かったんですか?どんな感じだったんですか?
木材市場は結構その若い人が少なくて、ペアで動くんですけど、
そのペアの人が10歳ぐらい上で、本当によくしてくれて、ご飯たくさん連れてってくれたりとか、
そこの市場自体が社長さん、経営者たちが作った場所なので、
来る人たちは社長たちばっかりで、そういう人たちも紹介してくれたりとか、
いろんな社会人とはみたいなのを教えてくれたんですよね、そこの先輩が。
ただやっぱりずっとこれをやっていくのかなってふと考えたときに、
なんかちょっと違うよなと思って、これを変えるために何かするんだったら、
180度違うことやらないと人生変わらないんじゃないかと思ったのが20歳のときで、
それだったら行きたいところに行ったりとか、やりたいことやってみようっていうので、
じゃあ海外行こうかってことで、パスポート取って、ビザも取って、
ニュージーランドに行っちゃったみたいな感じですね。
すごくないですか、その行動力めっちゃすごいですよね。
木材市場にいて急に行こうって思うの、なんかもう決まってたわけじゃないですもんね、
心の中でもうここ海外ニュージーランド行くぞみたいなわけではなく、
結構さっき言った空発的な考えの下を動いたって感じですか?
なんかどうしようかなって迷ったときに、
中学校3年生のときの先生が、他人の先生が英語の先生で、
その時にその先生がワーキングホリデー、ビザっていうのを使って、
ニュージーランドに行ったよって話を聞いてたんですよね。
ずっと多分それが頭に残ってて、
20歳のときに先生に会いに行こうと思って連絡したら、
会ってくれて、なんかもう行ったらいいよみたいな言われて、
じゃあ行くかみたいになって、ニュージーランド行っちゃったみたいな、そんな流れですね。
めっちゃおもろいじゃないですか。
で、どうなんですか、ニュージーランドって全然違うと思うんですけど、
どんな感じだったんですか、結構大変でした?
いや、なんかそれ僕も初めての海外だったんで、いろいろネットで見るじゃないですか、
ネットでパーカー着ちゃダメみたいな書いてあって、
要はパーカー着てるとなんかギャングって思われるみたいな。
で、僕パーカーすごい、今も着てますけど好きで、
09:02
パーカーダメなんだってちょっとショックで、パーカー持ってかなかったんですよ。
で、持ってかなかったんですけど、空港着いたらめちゃくちゃみんなパーカー着ててなんじゃこりゃみたいな。
そこでやっぱ思ったのが、やっぱ人の噂とかネットに書いてあることってやっぱ全てじゃないし、
自分で見たことをやっぱ信じようってそこで僕は学んだんですよね。
で、ニュージーランドに行ったときは最初1ヶ月ぐらい語学学校に行って、
友達とか作るというか慣れる期間が欲しかったんで、
で、そこから仕事したりとか、ハイクしたりとか、バイキング行ったりとか、
いろんなことチャレンジしたみたいな感じですね。
いや、なんて言うんですかね、ニュージーランドに行ってすごいパーカー事件があってて、
なんかすごいですね、だいぶあれですよね、主人公みたいな動きですよね、
いろんなことが起きるというか。
確かに、でもいろいろ自分がなぜ海外に行ったかっていうと、
やっぱ英語が話したかったっていうのもすごくあるし、
なぜかというと中学校の時のALTの先生がアラスカの人で、
すごい本当に良くて、めっちゃ優しくしてくれたっていうのも大きいのかもしれないですけど、
あとまあやっぱ話すのも好きだし、いろんな人と会えたらいいなと思って、
世界中にこう友達作りたいなっていうのがやっぱあって、
じゃあまあちょっと海外行こうって言って、
でもギターも持って行ったし、バックパック背負って行ったんですけど。
そっか、そこでちょっとあれ高校で音楽やってたの聞いてくるんですね。
そうなんですよ、それがめちゃくちゃ良くて、
音楽ってやっぱすごいなって思ったのが、ギター持って歩いてたらすぐ友達できるんですよ。
そうなんだ。
なんか言語があんまいらないじゃないですか、別に英語を僕は話せたわけじゃないから、
むしろ話せないから話せるようになるために行こうと思って行ったけど、
やっぱ当時はね、最初全然喋れなかったんで、
だけどギターだったらなんかこうね、弾けるじゃないですか。
それですごい仲良くなって、結果的にその英語も続いてきたっていうのは、
もしかしたらあるかもしれないですね。
そうなんだ、いやでも僕もやっぱ小っちゃい時から外国人がいる環境、
先週聞いてくれてる方は分かってると思うんですけど、だったんですけど、
ちょっと恐怖心あるじゃないですか、その外国人の場に。
それでニュージーランド終わって、次はこう、どこ行こうとか思ってたんですか?
なんかもう本当にニュージーランドの生活が楽しすぎて、
何だろう、もう日本に帰りたいとか、ホームシック全くなかったんですよ。
もう本当に楽しくて、旅もたくさんしたし、いろんな人にも会ったし、
このまま帰るのちょっともったいないなと思って、
それだったらちょっとオーストラリアも近いから行こうと思って、
でもそのまま日本に帰らずオーストラリアに行っちゃったって感じですね。
いやなんかあれ何でしたっけ、ニュージーランドかオーストラリアか、
12:00
すごい友達ができて一緒に何ヶ月も一緒にいたみたいなのなかったでしたっけ?
そうですね、そのニュージーランドでたまたま会った、
このストーリー長いけどちょっと短くしよう、頑張って。
キュッとしてください、すいません。これでもめっちゃ気になるんで聞きたい。
ニュージーランドで出会ったチリ人の子がいて、
その子がたまたま僕がオーストラリアにシドニーにいたときに、
その子もニュージーランドから来るってなって、
その子がチェリーピッキングって言って、
さくらんぼ狩りをする仕事が結構稼げるんですね。
そこ行くから一緒に行こうよってなって、
そういう話をしてたときに、
たまたまシドニーのホテルみたいなのに泊まってたときに、
金髪の女の子がいて、
僕ら4人ぐらいでご飯食べてたから、
そういうときってみんな誘うんですよ。
一緒にご飯食べようよみたいな。
その子が一緒にご飯食べようってなったときに、
イタリア人の子が独特の言語を喋るみたいなのを言ってて、
それがドルミテっていう町の上の方のラディーンっていう言語なんですけど、
ラディーンって聞いたことあるなとか思ったら、
ニュージーランドにいたときに、
僕が知り合ったイタリアの女の子もそれ喋るみたいな。
これめっちゃ面白い。
例えば鶴井村の独特な言語を喋る人と、
アメリカで会うみたいな。
その人が実は別の人の知り合いだったみたいな、
すごいパターンになったんですよね。
すごい強いっすね。
すごい偶然。
そうなんですよ。
その子も、イタリアの女の子も仕事探してるって言ったんで、
僕とその知り人の男の子と、
イタリアの女の子3人でヒッチハイクしながら、
オーストラリアの田舎の方にチェリーピッキング、仕事しに行くみたいな。
めちゃくちゃいいっすよね。
ごめんなさい、これ俺聞きたくて聞きましたけど、
めっちゃいい話ですよね。
すいません、端ちょっと骨折りました。
オーストラリア編お願いします、ごめんなさい。
そこから本当、それこそ今もずっと繋がってるフランスの子で、
ギターを弾いてる子がいるんですけど、
その子と出会うことになったりとか、
結局そこで出会った人たち5人ぐらいで、
タスマニア島行ったりとか、
4ヶ月ぐらいそこでハイキングしたり仕事したりとかして、
旅してたり、働いたりとか。
そこで学んだのは、これでもいいんだなって思ったというか、
やっぱ日本にいて、2年間自分が木材市場で仕事してた時に、
やっぱそこでしか社会経験したことなかったから、
それがイコール正解というか、
これが社会かって思ってたけど、
仕事を例えば午前中6時から10時までして、
そっからハイキング行きますとか、
農場の目の前でパカラパカラって馬が走ってる前で、
テント張って生活するとか、そんな生活したことなかったから、
15:00
自分の中での、自分の人生の許容の範囲みたいなのが広がったというか、
それがすごい良かったですね、オーストラリアは。
そうなんですね。でもオーストラリアの後、
結局ワーキングホリディーって言ったら、
何年?2年?1年でしたっけ?
終わったらどっか行かなきゃいけないじゃないですか。
そうですね。
その後はどうしたんですか?
ニュージーランドとオーストラリアに3年ぐらいいたんですけど、
その後ビザが切れるってことで、
1回日本に帰ってきて、3年ぶりに帰ってきて、
その後東京にちょっといたんですけど、
その時契約社員とかやってたんだけど、
なんかこうあんまり都市部にいるのが、
もともと田舎出身っていうのもあって、
僕はあんまり都市部への憧れとかなかったので、
どっちかというと自然が多いところがいいなと思って。
本当これもやっぱご縁で、たまたまそこの東京に行った時に、
今すごい親友で、それこそ北海道にいる子と出会って、
その子も次どうしようかみたいな考えてたタイミングだったんで、
じゃあ行くならちょっと、
あんまり行かないとこ行きましょうよって話になって。
で、イリウモテ島、仕事探してたらイリウモテ島ガイドみたいなの出てきたから、
これしかないみたいな。
で、イリウモテ島行ってガイドをちょっとやってたって感じですね。
マジでいろいろやってますよね。
長谷さんの人生って結構右を曲折というか、
いろんな場所でいろんなことやってるイメージあるんですけど、
このイリウモテ島終わると今度どこ行くんですか?
イリウモテ島が終わると、
その時に遠距離で付き合ってた子がイギリス人で、
で、行こうっていうことと、
あとは僕はすごいイギリス英語が好きで、
イギリス英語を勉強したいなっていうのもあって、
一回その、実は長野県に来てて、イリウモテ島の後は。
で、そこで長野いいなっていうのがあって、
冬山に登ったりとかしてたんですけど、
ちょっとビザも取れたっていうことでイギリスに行って、
2年間ぐらいそれは住んでましたね。
そうなんだ、だから結局海外にはニュージーランド、オーストラリア、イギリスに行ってたんですか?
そうですね、まあ暮らしたのはそことか、
あと台湾に行ったりとかベトナム行ったり旅行とかはしてましたけど、
でも基本的にすごい、なんか自分はそんなに短期で、
例えば1日とか2日わーって細かく回るのがあんまり好きじゃなくて、
長い間というか中長期的にその場所にいた方が分かることもたくさんあるっていうので、
長めの旅というか、ほぼ暮らすに近いような旅みたいなのをしてたって感じですかね。
それでイギリス編が終わって、いよいよ、いよいよじゃないですか、いよいよどうするってなった時に、
どうなったんですか?どういう選択したんですか?
そうですね、ちょうどイギリスの時に付き合ってた彼女と別れることになったのと、
18:01
というかそのコロナがあって、ちょうどそのみんなが動きづらくなりそうなタイミングと、
ビザが入れるタイミングがいろいろこう重なって、じゃあ日本にちょっと帰ろうってなって、
帰って実家にいたんですけど、その次の動きみたいなことが自分の中であんまりイメージがなくて、
それこそじいちゃんとスローライフみたいな、たけのこ掘ったりとか野菜作ったりとか、
みたいな暮らしをしてたんですけど、さすがにこうなんかね、自分の中でも何かできてないもやもや感みたいなのがあったんで、
もうちょっとなんか前に進めるといいなと思って、たまたま本当自分が写真もその時好きでいろいろ趣味で撮ってたんですけど、
もうちょっと上手くなりたいなっていうのがあって、なんかTwitter、当時のTwitterなんですけど見てたときに、
なんかインターン募集してますっていう話があって、たまたまその後インターン募集してますという人が、
自分がすごい尊敬しているフォトグラファーさんで、自分もすごく好きな写真を撮ってたので、
なんかこの人にちょっと教わってみたいなっていうのがあって、インターンをさせてもらうことになったんですね。
で、わざわざその車で迎えに来てくれたりとか本当に優しい人で、たまたまこう泊まったのがこの場所だったみたいな。
2週間ここに滞在して、その時に木曽町っていう場所を初めて知るっていう感じですね。
あれですよね。そこで初めて知って、今協力隊員として木曽町にいるってなったじゃないですか。
じゃあその経緯あるんですか?そこからじゃあもうここにしようって決めた理由はあるんですか?
なんかもう初日にいろんなこう、岐阜から木曽に来るときに木曽駒がめちゃくちゃ輝いてて、もう夕方ら辺だったんですけど、
太陽が真っ赤に燃えてて、ああいう風景ってあんまり岐阜ではなくて、すごいかっこいいなと思ったりとか、
あとは木曽町に来たときにいろんな人に会って、僕はこれ最初本当に高齢の方しかいないと思ってたんですよね。
人口もそんなに少ない、多くないなと思ってたら、若い人めちゃくちゃいて、いろんなイベントがあったりとか、
物事が起こってて、ここってすごいパワーのある場所だなって思ったんですよね。
写真を勉強したいっていうのもそうでしたけど、町づくりというか地元に合併していろいろできなくなったのを見てて、
町づくりちょっと勉強したいなっていうのがあったんで、その時たまたま泊まらせてもらったのが、
今現在マタリハウスっていう名前のゲストハウスがあるんですけど、そこのアナさんっていう方に泊まらせてもらって、
いろんな人紹介してもらったりとか、地域お越し協力隊っていうのがあって、
これめちゃくちゃ面白いかもしれないって思って、
あと空気感ですかね、ここにいたらちょっと気持ちいいなというか、高原というか標高が高くて空気カラッとしてて、
21:01
ここなら自分の今までやってきたことっていろいろ活かせそうだなと思って移住を決めたって感じですね。
そうなんだ、それからあれですよね、もう2年ぐらい経って今だと思うんですけど、
やっぱり今でも基礎の魅力とかってすごい感じます?
本当に僕6年ぐらい海外に行っていろんな旅したりとかしてたんですけど、
ここの生活がすごい旅以下に似てるというか、
毎日毎日新しい学びがあったりとか、いろんな人も来るし、いろんな人にも出会えるし、
日々旅してる感、だけど日本の農村で、日本の伝統とか文化とか歴史もすごい深い場所なので、
そういう学びもあるし、何ですかね、本当普通に楽しいというか、
こんな楽しくていいのかなとたまに思うぐらいなんですけど、
でも本当そんな生活させてもらってますね。
本当に人がいいですよね、僕も一度お邪魔しましたけど、
本当に素敵な方が多くて、あれ何でしたっけ、土とテーブルの何さんでしたっけ?
土のテーブルさんのちなみさん?
土のテーブルはごめんなさい、毎回間違います。
本当に毎回お世話になってるんですよ、僕は。
本当素敵ですよね、品のあるというか、本当に品のある方で、
すごい長谷さんがまだ来たばっかりの頃から面倒見てるのよとか、
笑いながら話してるんだけど、すごい繋がりを感じる、ほっこりするっていうか、いいなと思って。
そうですね、本当なんか僕がやっぱり地域おこし協力隊とか、
移住者って何者か最初分かんないじゃないですか、
そういう時も僕はこういうことやりたいと思ってるんです、みたいなことをお話しした時に、
すごい応援してくれてて、本当に毎回応援してくれる。
応援してくれる人がいるっていうだけで、すごい頑張れるじゃないですか。
そういう人がいるのはありがたいなっていうのは思いますね。
それで、先週も話しましたけど、ひとことラジオっていうのを今回始めたじゃないですか。
これ長谷さんが結構実はキーパーソンで始まったり、
いろいろ考えてもらったと思うんですけど、
どんな思いでこのひとことラジオを始めようと思ってたんですか?
実はというか、僕が地域おこし協力隊に初めてなった時に、
キソラジっていう名前のポッドキャスト、もう一人の協力隊のことをやってたんですね。
今ちょっとやってないんですけど、その時にいろんな人に会って、
実は語らないけど、1時間ぐらいお話したら、
そんな人だったのとか、こんなめっちゃ面白い経験してるのみたいなことに出会えたというか、
学びがたくさんあって、
この前みんなで長野県研修みたいな形で中川村っていうところと、
24:01
大鹿村っていうところ行った時にも、やっぱこっちのめちゃくちゃ面白い人いるなというか、
魅力的な人、こだわりとか思いを持って暮らしてる人がいるなと思って、
やっぱこういうのって知ってもらいたいなというか、
なんか発信できたらいいなと思って、
じゃあまあちょっとポッドキャスト好きだし、話すのも好きだから、
やるかって感じで、やりましょうみたいな。
でもかなり軽いノリだった気がする。
そうですね、めっちゃ軽いですけど、
長谷さんの声、めっちゃくちゃいい声してるじゃないですか。
今ね、超ガラガラの風邪感であります。
今でも全然聞いてたい声ですよね。
本当に毎週お願いします。
ガラガラ声早く直したいんですけど、
でもそう言ってもらうのはすごい嬉しいですね。
本当に長谷さんの今のところの自己紹介とかしてもらったんですけど、
やっぱり今後目指していく方向性とか、
こういうのやっていきたいんですよね、みたいなのがあればぜひお聞きしたいです。
さすがスムーズな、今ボールが流れてきたんで。
そうですね、基礎に移住して今4年目になるんですけど、
その中でいろんな作家さんだったりとか、
思いを持ってものづくりをしている人とか、
いろんな人と出会う中で、
自分が本当にいいと思うものだったりとか、
この人のものとか、この人の作品とかを知ってもらいたいなっていう気持ちがすごく強くなってきて、
同時にゆっくり滞在できるような一等賀しというか、
そういったところってまだこっちにはそんなに多くないっていうのがあって、
じゃあちょっとそれを100%こだわり出しましたみたいな場所をちょっと作りたいなと思って、
去年の冬夜から動き出してるんですけど、
幻想という名前の玄関の玄に腐って幻想で、
これはその玄の証拠っていうその薬草の和名なんですけど、
2年ぐらい前からその薬草のことを自分で先生に教えてもらいながら勉強していく中で、
そういった、幻想って玄関の玄、きっかけとか扉ですよね、人が入ると。
その玄の証拠って玄の証拠、現在の玄の証拠って書くんですけど、
すぐ感じるもの、すぐ効果が出るものみたいな、
その幻想に来た人が奇想とか美しい村蓮子のこともたくさん関わりを持てるといいなと思ってるんですけど、
そういったのがすぐ感じれるような場所というか、
玄関みたいな場所ができたらいいなっていうので、
そういったのを作ってるのと、
あと写真とか動画もやっているので、
そういった表現とか何かの思いを持っている人のことを、
いろんな人に知ってもらえるようなきっかけ作りができたらなっていうのは、
一言ラジオも本当そうですよね、
27:00
誰かの思いとかそういったことを伝えられるといいなと思って、
そんな感じでやってます。
いやー、幻想いいですよね。
僕もちょっと1回お邪魔しましたけど、
すごいこだわってて、
できたらノマドシェフとして行きますんで、
ぜひお願いします。
北海道で有名なシェフが。
そうなんですよ、北海道で有名なシェフなんですよ。
これ毎回言わないといけないですかね。
これ毎回みんなにすり込んでいかないと。
決まり文句ですけどね。
でもなんかただただ泊まるっていうよりも、
いろんなこと体験したりとか、
いろんな人と触れ合えるような場所は作っていきたいですし、
昨日もちょうどそういうお話をしてたんですけど、
ただいまって来れる場所いいなって思ってて、
ただただ泊まるっていうよりも、
敷居を感じたいなって時に来てくれたりとか、
1年に1回でもまた来たよっていう関係性ができる、
自分はやっぱり細く長くっていうのがすごく自分の中のテーマなんですけど、
あんまりガッといきなり変化せずに、
ゆっくりゆっくり成長できるようなね、
年齢経営というね、本を出されている塚越さん、
観天パパの塚越最高顧問のお話もありますが、
年齢のようにゆっくりでかくなっていけるような、
人生になったらいいなっていうふうには思ってます。
いやすごいなんか素敵すぎてちょっと年齢不詳ですね。
同い年なので。
永谷さんがちょっと年齢不詳ですが、
ちょっと僕がすごい幼稚に見えてるかもしれませんが、
本当にこのポッドキャストというか、
一言ラジオでは本当にいろんな方のインタビューだとか、
本当に人にフォーカスしたり、
物事にフォーカスしたりしていくラジオになっていますので、
ぜひこれからも聞いていただきたいと思ってます。
勝手に締め始めましたが、
永谷さんから最後にちょっと一言、
リスナーの方に向けていただければと思います。
お願いします。
ありがとうございます。
そうですね。
一言ラジオを聞いてくださる方もそうですけど、
パーソナリティの僕らも学びながら、
いろんな人の話を聞きながら、
一緒に成長というか、
学びというか知識を深めながら、
いろんな生き方ってあるよねというか、
いろんな暮らし方ってあるよねっていう、
知識が深まっていけばいいなっていうのと、
あと何か実際に一言ラジオを聞いて、
ここ行ってみたいなとか、
この人に会ってみたいなっていう、
きっかけ作りができればいいかなというふうに思ってます。
その一言ラジオだけじゃなくて、
一言サミットっていう形で、
いろんな場所で料理だったりとか、
いろんなことを学ぶ企画も、
今現在進行形で、
いろんな人にサポートしてもらいながら進んでますので、
そういった情報も流していければなと思ってます。
ありがとうございます。
30:00
本当に一言っていうテーマにいろんなことやってきますので、
今後もというか、
今日も聞いてくださって、また来週もっていう感じで、
どんどん続いてくれれば嬉しいと思います。
本日はゲストが、
パーソナリティなんですが、
永谷さんの自己紹介になりました。
来週はあれ決まってるんでしたっけ?
来週は長野県原村の地域おこし協力の内田さんを、
メインのパーソナリティの一人なんですが、
ゲストというかね、
どんな人生を送ってきたのかみたいな話をね、
できたらなと思ってます。
めっちゃ楽しいです。
内田さんの会になるそうなので、
皆さん来週もお楽しみに。
ありがとうございました。
お話を聞いてくださってありがとうございます。
またよろしくお願いします。
はい、ありがとうございます。
30:48

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