で、兄がそこの美術系列みたいな美術をやったので、自分もそこの学校を知ってたっていうことで、自分は音楽のほうに行ったみたいな感じですね。
4人しかいませんでした。4人で、2年生は。
4人?
そうです、班みたいな感じで、4人と先生で授業をする。
すごいな。
そんな感じの高校時代でしたね。
なんか結構先進的な高校ですよね、そんな専門的なのがあってってなると。
今は結構総合学習みたいなこととか、総合学科っていうことが増えてきてると思うんですけど、当時は多分岐阜の中でも2つとか3つぐらいしかなくて、
なかなか、もともとなんかそういう合併した学校だったから、そういうのができたっていうのもあるかもしれないですね。
じゃあその高校生を終えて、就職活動とか進学とかあるじゃないですか、どういう選択を取られたんですか?
なんか僕、音楽やってて、バンドとかもやってて、その音楽をずっとやっていきたいなっていうふうな気持ちはあったんですけど、
それがですね、高3の文化祭らへんで、彼女ができまして、それがちょっと楽しすぎて、なんか音楽どうでもいいって思うぐらい楽しくなっちゃって。
噂の彼女ですね。
噂のね、噂のね。
ごめんなさい。
気づいたら1月だったんですよ。卒業手前もう2ヶ月前みたいな1月で何も決まってなくて、
なぜ決まってなかったっていうかというと、音楽を進む道もあったし、地元のところ結構国際交流が盛んで、
ずっと島海外行きたいなっていうのが思いがあって、たまたまその時にいとこがアメリカにいたので、
来てもいいよみたいなふうにおじさんも言ってくれてて、でも音楽も興味があったし、
なんかどういうふうにしようかなっていう迷ってたら気づいたら1月だったんですね。
みんなだいたい高3って8月ぐらいに決まってるじゃないですか。
自分はそんな感じ決まってなくて、でもなんかちょっとこう決めなきゃいけないなということで、
たまたまその学校に来てたハローワークの人がなんか名木市場みたいなのあるよみたいな。
名木って例えば一枚板とか大黒柱とか。
もともと自分は木のある場所で育ったからすごい木も好きだったんで、
じゃあちょっとやりたいことわかんないなら自分でとりあえずお金稼いで、
お金稼いだ後に決めてもいいなっていうので、じゃあそこ行こうってなったって感じですね。
そうなんですね。なんかてっきりこう決めて、もう結構計画的な方なのかなっていう印象がもともとはあったんですけど、
そんなことないんですね。
いや結構僕ね真面目そうにめっちゃ見られるんですけど、初めて会った人に。
そんなことなくて一番チャランプランだし、結構流動的に生きるのが好きだし、
もちろん計画するねメリットも知ってるし、計画した方がいい場合もあるじゃないですか。
でもなんか自分のテーマ的に、人生のテーマ的になんかその偶発性というか、
その偶然が生んだものってめっちゃ面白いなっていうのがあって、
っていうのがもしかしたら根本から、小さい頃からあるのかもしれないんですけど、
だから結構なんだろうな、いいなと思ったらパーって行っちゃうし、
っていうのでたまたま木材市場に行くってなったって感じですね。
木材市場に行ってすごく面白かったんですか?どんな感じだったんですか?
木材市場は結構その若い人が少なくて、ペアで動くんですけど、
そのペアの人が10歳ぐらい上で、本当によくしてくれて、ご飯たくさん連れてってくれたりとか、
そこの市場自体が社長さん、経営者たちが作った場所なので、
来る人たちは社長たちばっかりで、そういう人たちも紹介してくれたりとか、
いろんな社会人とはみたいなのを教えてくれたんですよね、そこの先輩が。
ただやっぱりずっとこれをやっていくのかなってふと考えたときに、
なんかちょっと違うよなと思って、これを変えるために何かするんだったら、
180度違うことやらないと人生変わらないんじゃないかと思ったのが20歳のときで、
それだったら行きたいところに行ったりとか、やりたいことやってみようっていうので、
じゃあ海外行こうかってことで、パスポート取って、ビザも取って、
ニュージーランドに行っちゃったみたいな感じですね。
すごくないですか、その行動力めっちゃすごいですよね。
木材市場にいて急に行こうって思うの、なんかもう決まってたわけじゃないですもんね、
心の中でもうここ海外ニュージーランド行くぞみたいなわけではなく、
結構さっき言った空発的な考えの下を動いたって感じですか?
なんかどうしようかなって迷ったときに、
中学校3年生のときの先生が、他人の先生が英語の先生で、
その時にその先生がワーキングホリデー、ビザっていうのを使って、
ニュージーランドに行ったよって話を聞いてたんですよね。
ずっと多分それが頭に残ってて、
20歳のときに先生に会いに行こうと思って連絡したら、
会ってくれて、なんかもう行ったらいいよみたいな言われて、
じゃあ行くかみたいになって、ニュージーランド行っちゃったみたいな、そんな流れですね。
めっちゃおもろいじゃないですか。
で、どうなんですか、ニュージーランドって全然違うと思うんですけど、
どんな感じだったんですか、結構大変でした?
いや、なんかそれ僕も初めての海外だったんで、いろいろネットで見るじゃないですか、
ネットでパーカー着ちゃダメみたいな書いてあって、
要はパーカー着てるとなんかギャングって思われるみたいな。
で、僕パーカーすごい、今も着てますけど好きで、
パーカーダメなんだってちょっとショックで、パーカー持ってかなかったんですよ。
で、持ってかなかったんですけど、空港着いたらめちゃくちゃみんなパーカー着ててなんじゃこりゃみたいな。
そこでやっぱ思ったのが、やっぱ人の噂とかネットに書いてあることってやっぱ全てじゃないし、
自分で見たことをやっぱ信じようってそこで僕は学んだんですよね。
で、ニュージーランドに行ったときは最初1ヶ月ぐらい語学学校に行って、
友達とか作るというか慣れる期間が欲しかったんで、
で、そこから仕事したりとか、ハイクしたりとか、バイキング行ったりとか、
いろんなことチャレンジしたみたいな感じですね。
いや、なんて言うんですかね、ニュージーランドに行ってすごいパーカー事件があってて、
なんかすごいですね、だいぶあれですよね、主人公みたいな動きですよね、
いろんなことが起きるというか。
確かに、でもいろいろ自分がなぜ海外に行ったかっていうと、
やっぱ英語が話したかったっていうのもすごくあるし、
なぜかというと中学校の時のALTの先生がアラスカの人で、
すごい本当に良くて、めっちゃ優しくしてくれたっていうのも大きいのかもしれないですけど、
あとまあやっぱ話すのも好きだし、いろんな人と会えたらいいなと思って、
世界中にこう友達作りたいなっていうのがやっぱあって、
じゃあまあちょっと海外行こうって言って、
でもギターも持って行ったし、バックパック背負って行ったんですけど。
そっか、そこでちょっとあれ高校で音楽やってたの聞いてくるんですね。
そうなんですよ、それがめちゃくちゃ良くて、
音楽ってやっぱすごいなって思ったのが、ギター持って歩いてたらすぐ友達できるんですよ。
そうなんだ。
なんか言語があんまいらないじゃないですか、別に英語を僕は話せたわけじゃないから、
むしろ話せないから話せるようになるために行こうと思って行ったけど、
やっぱ当時はね、最初全然喋れなかったんで、
だけどギターだったらなんかこうね、弾けるじゃないですか。
それですごい仲良くなって、結果的にその英語も続いてきたっていうのは、
もしかしたらあるかもしれないですね。
そうなんだ、いやでも僕もやっぱ小っちゃい時から外国人がいる環境、
先週聞いてくれてる方は分かってると思うんですけど、だったんですけど、
ちょっと恐怖心あるじゃないですか、その外国人の場に。
それでニュージーランド終わって、次はこう、どこ行こうとか思ってたんですか?
なんかもう本当にニュージーランドの生活が楽しすぎて、
何だろう、もう日本に帰りたいとか、ホームシック全くなかったんですよ。
もう本当に楽しくて、旅もたくさんしたし、いろんな人にも会ったし、
このまま帰るのちょっともったいないなと思って、
それだったらちょっとオーストラリアも近いから行こうと思って、
でもそのまま日本に帰らずオーストラリアに行っちゃったって感じですね。
いやなんかあれ何でしたっけ、ニュージーランドかオーストラリアか、
というかそのコロナがあって、ちょうどそのみんなが動きづらくなりそうなタイミングと、
ビザが入れるタイミングがいろいろこう重なって、じゃあ日本にちょっと帰ろうってなって、
帰って実家にいたんですけど、その次の動きみたいなことが自分の中であんまりイメージがなくて、
それこそじいちゃんとスローライフみたいな、たけのこ掘ったりとか野菜作ったりとか、
みたいな暮らしをしてたんですけど、さすがにこうなんかね、自分の中でも何かできてないもやもや感みたいなのがあったんで、
もうちょっとなんか前に進めるといいなと思って、たまたま本当自分が写真もその時好きでいろいろ趣味で撮ってたんですけど、
もうちょっと上手くなりたいなっていうのがあって、なんかTwitter、当時のTwitterなんですけど見てたときに、
なんかインターン募集してますっていう話があって、たまたまその後インターン募集してますという人が、
自分がすごい尊敬しているフォトグラファーさんで、自分もすごく好きな写真を撮ってたので、
なんかこの人にちょっと教わってみたいなっていうのがあって、インターンをさせてもらうことになったんですね。
で、わざわざその車で迎えに来てくれたりとか本当に優しい人で、たまたまこう泊まったのがこの場所だったみたいな。
2週間ここに滞在して、その時に木曽町っていう場所を初めて知るっていう感じですね。
あれですよね。そこで初めて知って、今協力隊員として木曽町にいるってなったじゃないですか。
じゃあその経緯あるんですか?そこからじゃあもうここにしようって決めた理由はあるんですか?
なんかもう初日にいろんなこう、岐阜から木曽に来るときに木曽駒がめちゃくちゃ輝いてて、もう夕方ら辺だったんですけど、
太陽が真っ赤に燃えてて、ああいう風景ってあんまり岐阜ではなくて、すごいかっこいいなと思ったりとか、
あとは木曽町に来たときにいろんな人に会って、僕はこれ最初本当に高齢の方しかいないと思ってたんですよね。
人口もそんなに少ない、多くないなと思ってたら、若い人めちゃくちゃいて、いろんなイベントがあったりとか、
物事が起こってて、ここってすごいパワーのある場所だなって思ったんですよね。
写真を勉強したいっていうのもそうでしたけど、町づくりというか地元に合併していろいろできなくなったのを見てて、
町づくりちょっと勉強したいなっていうのがあったんで、その時たまたま泊まらせてもらったのが、
今現在マタリハウスっていう名前のゲストハウスがあるんですけど、そこのアナさんっていう方に泊まらせてもらって、
いろんな人紹介してもらったりとか、地域お越し協力隊っていうのがあって、
これめちゃくちゃ面白いかもしれないって思って、
あと空気感ですかね、ここにいたらちょっと気持ちいいなというか、高原というか標高が高くて空気カラッとしてて、
ここなら自分の今までやってきたことっていろいろ活かせそうだなと思って移住を決めたって感じですね。
そうなんだ、それからあれですよね、もう2年ぐらい経って今だと思うんですけど、
やっぱり今でも基礎の魅力とかってすごい感じます?
本当に僕6年ぐらい海外に行っていろんな旅したりとかしてたんですけど、
ここの生活がすごい旅以下に似てるというか、
毎日毎日新しい学びがあったりとか、いろんな人も来るし、いろんな人にも出会えるし、
日々旅してる感、だけど日本の農村で、日本の伝統とか文化とか歴史もすごい深い場所なので、
そういう学びもあるし、何ですかね、本当普通に楽しいというか、
こんな楽しくていいのかなとたまに思うぐらいなんですけど、
でも本当そんな生活させてもらってますね。
本当に人がいいですよね、僕も一度お邪魔しましたけど、
本当に素敵な方が多くて、あれ何でしたっけ、土とテーブルの何さんでしたっけ?
土のテーブルさんのちなみさん?
土のテーブルはごめんなさい、毎回間違います。
本当に毎回お世話になってるんですよ、僕は。
本当素敵ですよね、品のあるというか、本当に品のある方で、
すごい長谷さんがまだ来たばっかりの頃から面倒見てるのよとか、
笑いながら話してるんだけど、すごい繋がりを感じる、ほっこりするっていうか、いいなと思って。
そうですね、本当なんか僕がやっぱり地域おこし協力隊とか、
移住者って何者か最初分かんないじゃないですか、
そういう時も僕はこういうことやりたいと思ってるんです、みたいなことをお話しした時に、
すごい応援してくれてて、本当に毎回応援してくれる。
応援してくれる人がいるっていうだけで、すごい頑張れるじゃないですか。
そういう人がいるのはありがたいなっていうのは思いますね。
それで、先週も話しましたけど、ひとことラジオっていうのを今回始めたじゃないですか。
これ長谷さんが結構実はキーパーソンで始まったり、
いろいろ考えてもらったと思うんですけど、
どんな思いでこのひとことラジオを始めようと思ってたんですか?
実はというか、僕が地域おこし協力隊に初めてなった時に、
キソラジっていう名前のポッドキャスト、もう一人の協力隊のことをやってたんですね。
今ちょっとやってないんですけど、その時にいろんな人に会って、
実は語らないけど、1時間ぐらいお話したら、
そんな人だったのとか、こんなめっちゃ面白い経験してるのみたいなことに出会えたというか、
学びがたくさんあって、
この前みんなで長野県研修みたいな形で中川村っていうところと、