hitokoto Radio. 人の物語を語る時間。この番組では、人口1万人以下の農村で暮らす3人が、地域の魅力を掘り下げながら、日本の未来を考えます。
はい、こんにちは。パーソナリティの永谷英一郎です。 こんにちは、パーソナリティの服部大地です。よろしくお願いします。
はい、ということで、 hitokoto Radio 第1回目なんですけれども、
hitokoto Radio とはという、まあ皆さんの疑問プラス、こいつらは何者なんだというね、皆さんの疑問があると思うので、
あと、なぜこれが始まったのかっていうことを、今回このエピソードで語っていければいいなと思います。皆様よろしくお願いします。
します。はい、じゃあざっくりですけど、はい、あの、何者なんだこいつらはということをちょっと解明するために自己紹介をお願いします。
わかりました。えっと、僕の名前は服部大地って言います。 北海道の鶴井村っていう小さい村出身で、
今は料理人をやってるんですが、ひょんなことからいろんな各地の生産者周りをしたりだとか、
地域の生産者と巡り合わせていただいて、いろんな思いを詰まった料理を作っていきたいなと思って活動しています。
現在はノマドシェフっていう、いろんな地域に行って、そこの生産者だとかと一緒にポップアップのレストランをやったりする計画をしてますので、
そんな何かちょっと変わった料理にやってますので、よろしくお願いします。はい、素晴らしい自己紹介ありがとうございます。じゃあ僕はですね、
今、現在長野県の木曽町というところで地域お越し協力隊をやりながら、
幻想という名前の一等賀しの宿を準備しています。あとはフォトグラファーとかビデオグラファーをやったりしてまして、
海外からですね、6年、海外で6年生活した後に日本に帰ってきまして、今こちらで住んでいるということで、じゃあなんでその僕とその北海道の鶴井村の大地くんがこう、
フォトキャスト始めたの?みたいな、なんで?みたいになると思うんですけど、どうですか?きっかけというか。
そうですね、きっかけはやっぱり去年、今年かな?1月ぐらいにあったそのU35、アンダー35っていうのがあって、
それが何かっていうと、日本で最も美しい村連合の村民、町民を35歳以下の人たちで集めて、未来創造会議みたいな、未来に何を残せるかみたいな話をしたんですけど、
その時に長屋さんとお会いしたり、その時の同志たちにお会いして、みんな同じような悩みを抱えていたりしたので、何かできないかなっていうので、
紛争が始まりまして、いろんなことをやっていく中で、本当に面白い方に出会う機会が多くてですね、
長野県の基礎に伺った時も、すごく面白い生産者の方だとか、その町の方にお話を伺って、これは面白いねっていう話になっていって、
本当に自然の中で生まれ育ったみたいな感じってことですよね?
そうですね、本当に圧倒的に僕は都会に憧れてたので、小さい時は。
都会に憧れてた?
そうなんですよ、都会に行きたくて行きたくて、テレビで見るものが僕にとってのエンターテインメントだったので、
それが全部都会にしかなかったんですよ。
ドラマも見ても全部都会だし、バラエティーとか見ても、笑える部分と笑えない部分があって、
都会に住んでたら笑えるんだろうなっていうのが結構あったですね。
それは結構そう思ってたな。
じゃあ結構昔から小さい頃から東京行ってみたいなというか、
思いで鶴井村で育っていったみたいな、幼少期みたいな感じなんですか?
そうですね、何もないなってその頃は思ってたんですよ、簡単に言えば。
じゃあそこから中学校行って高校行って、その後は進路がいろいろ考える時期じゃないですか、
その時鶴井村に残ろうみたいなことはあまり思ってなかったんですか?
一切思ってなくて、本当に不純な理由なんですけど、学力で北海道側に出るのが無理だったんですよ。
頭そんな良くなかったんで、ってなるとうちの母が料理人なので、
料理の道に進むと言えば絶対に送り出してくれるって思ってたんですよね。
それがあって、はい。
なるほど。料理をやるよって言えば東京かどこか行けるんじゃないかみたいなことってことですよね?
そうです、本当に。うちの母が大阪の調理師学校に行ってて、
そこは絶対進められるってもう分かってたんですよ、その時から。
だから急に高校3年生の秋ぐらいに、それまで大学目指してたんですよ。
北海道のどっかの大学に行こうと思って勉強してたんですけど、
このままじゃ嫌だなと思って、父親が確かショートケーキか何か買ってきたんですよ、よく分かんないけど。
そのタイミングに合わせて、いや俺これだわって言い始めて。
俺これやるわって言って大阪を目指すという。
そのショートケーキから大阪を行くわみたいな感じですね。
それでその大阪行くわみたいなっていうか、
まあそのショートケーキから北海道出るよみたいな、行った時どんな家族の反応だったんですか?
いやまあうちの母はそんな甘い世界じゃないっていう話を最初にぶつけられて、
本気なの?みたいな、本気ならいいけどって言われて、
勢いなのに僕は本気だと言いましたね、その時。
勢いのまま。
まあでもやっぱお母さんもその料理をやってきて、自分がやっぱ経験してるからこそ、
じゃあずっとテレビとか見て、東の都に行きたいと、
このキラキラした憧れの街に行きたいと思って行ったけど、
実際いろいろ体感とか体験してみて、家族のこととか考えたら、じゃあ戻るかと。
で、その後すぐ東京から戻ったんですか。
そうですね、結局それで戻って結婚して、その後1年ぐらいして子供も生まれて、
何年ぐらい、2年ぐらい経ってから、今度イタリアに留学するんですよ、半年間。
そのイタリアに行こうと思った理由とかあるんですか。
その1回東京から北海道に戻って、イタリア行こうかなというか、イタリア行きたいなみたいなきっかけみたいなのがあったんですか。
きっかけはちょっと遡っちゃうんですけど、
僕の家が、実は僕は小学生ぐらいの時からずっとホームステイを受け入れてて、
なんかUUFとかそういう仕組みがあるんですけど、UUFホストだったんですよ、うちが。
だからそのいろんな外国人の方が来てて、すごくなんかいろんな文化に触れる機会はもうもともとあったんですけど、
なんかいよいよこの家庭を持って子供を育てている時に一つ疑問があって、このままだとなんか世界見ないで終わるなと思ったんですよね。
だから結局それも北海道の未来チャレンジ基金という基金があって、
それに採択されるというか、選ばれるとちょっとお金出してもらえるみたいな制度があって、
それに運よく選んでくださっていくことができたんですよね。
その世界見ておきたいなみたいなのはどこからあったんですか。
やっぱそのUUFの人とかが世界から来てて、触れるきっかけはあったってことですよね。
だけど、その人たちが暮らしているところとかいろいろ見てみたいなって思ったってことですか。
そうですね。憧れと一緒で、東京に憧れているのと一緒で、やっぱり見たことない世界って結構キラキラ見えてたんですよね。
田舎料理っていうものに特化していこうというわけじゃないですけど、田舎に帰ってきているので、
やっぱりスローフードの発祥であるイタリアはちょっと行ってみたいなっていう思いがあって、行かせてもらったって感じですね。
なんかその時子供もいたってことですよね。奥さんとかどんな感じだったんですか。
いやー、うちの奥さんは結構そこらへんは寛大な方だったので、
よく言うんですけど、本当に結果を残してくるならいいっていうタイプなので。
でも不安はあったと思うんです。いろいろやっぱり心配かけた部分は多かったので、
本当にそこらへんはもうちょっと今思えば配慮してあげればよかったなっていう部分はすごい思います。
奥さんはね、僕まだ会ったことはないんですけど、聞いている限り寛大さん?
すごいですよね。なんかもう行っておいでみたいな感じで。
すごい、まだどっかのタイミングで会いたいなとは思ってますけど。
ぜひぜひ、本当に面白い妻というか、はい、なのでぜひ。
で、その後にイタリアに後半年間住んで、どんな感じでした?イタリアの生活というか、暮らしというか。
イタリアは全然人柄とかも違いますし、文化も違うので、すごい刺激的ではあったんですけど、
やっぱり1年もいないので、僕半年間だったので、1年間の行事に全部参加したわけでもないですし、
長い旅行に行ったみたいな雰囲気になっちゃったんですよね。
それは良かったと言えば良かったんですけど、なんかすごい良い経験をさせてもらいながらの、
もうちょっと長くいても良かったなっていう思いが残った感じでしたね。
そのイタリアの暮らしの中でさっき言ったスローフード?
多分ね、聞いている人でスローフードって何?みたいな、多分もしかしたら思っている人もいると思うんですけど、
なんかちょっとその解説を若干してもらえると嬉しいですね。
スローフードって、ファストフードってあるじゃないですか。
ファストフードってマクドナルドとか、ピザハットじゃないな、ピザーラ、分かんないですけど、
簡単に言えば早く出てきて早く食べれて、
油とか人間の潜在的に欲しているものっていうのを吸収したりする食べ物のことを
早く出せるものっていうことでファストフードって言われているんですけど、
それの反対でスローフードっていうのが本当にゆっくり時間をかけて食べたりもそうですけど、
ゆっくり時間をかけて育てられたとか、生産者の顔が見えたりだとか、
本当に逆の意味なんですよ。
すごい気を使ったり、食っていうものに対して考える時間が僕は長いことをスローフードだと思っていて、
そこら辺を勉強させてもらいましたね。
なんかあれですよね、その季節のものを食べたりとか、
生産者さんの話を聞いたりとか、思い聞いたりとかみたいな、
東京じゃなくてアメリカのアリスウォーターさんとか。
そうですね、アリスウォーター、はい。
なるほど、じゃあそれを学びに実際行ってその半年間、
いろんな暮らしをしながら、多分料理のこともかなりいろいろ学んだと思うんですけど、
もっといろんな生産者がいるし、
いろんな人に会いたいなっていう思いがどんどん強くなったっていう感じですね。
じゃあ結構そのロイヤルエクスプレスのシェフに選ばれたことが、
その料理に対するとか、
生産者さんにもっと会いたいっていう気持ちに結構強く影響して、
今こうやっている、最初に自己紹介の時にやったような、
ロマンドシェフみたいな形とかに繋がっていったみたいな感じなんですか?
そうですね。本当に漠然と、近くの生産者にお会いしていた時に、
ふとその生産者の人が、地元の食材はもちろんなんだけど、
日本にはもっと面白い食材がたくさんあると。
それを1回絶対に見た方がいいっていう話を、
まだ若いからっていうこともあるとは思うんですけど、
見た方がいいよっていうことを言っていただいて、
本当にいろんな、でもチャンスがなかったんですよ。
それまで結局、その言葉をいただいてたんですけど、
北海道外の生産者にお会いするって、
何かつてもなければ、こでもないですし、
どうやって会っていったらいいんだろうって思った時に、
ちょうど最初に話した、日本で最も美しい村連合の
アンダー35の会議があって、
同じような境遇というか、田舎の出身の村民だとか町民に
お会いするきっかけになって、そこから本当にいろんな、
じゃあここ行ってみようとか、ここ行ったら、
こういう生産者いるんですよとかっていうお話もいただいて、
本当に広がりましたね。
かなりアンダー35の東京でのこの会議というか、
懇親会とかも含めて、あれがかなり大きかったですよね。
自分は日本で最も美島連合っていう、
その連合の関わりに2年前かな、3年前か関わり始めて、
去年そういうつながりがあってから、やっぱり一気に若い人というか、
各地のこれからを担っていく人とか、
いろいろ取り組んでいる民間の人たちにたくさん会えて、
そこからすごくつながりも増えて、やれることも増えたし、
あとはこういう活動とかをサポートしてくださる方もたくさん
ありがたいことにいたりとか、というのがいいなというふうに
思いますよね。
本当そうですね。あれをきっかけにノマドシェフっていう
各地でポップアップレストランをやったりだとか、
その勉強会、生産者にお会いする勉強会をしたりとか、
っていうのをやっていこうっていう思いになったのは間違いなく
あそこで、あそこは本当にすごくキーポイントというか、
僕にとっても大切な会議というのが、タイミングでした。