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43. ゲスト編16-1「すべては美瑛から。『日本で最も美しい村』連合の創設秘話を元北海道美瑛町長 浜田哲氏に聞く(前編)」
2025-06-15 37:53

43. ゲスト編16-1「すべては美瑛から。『日本で最も美しい村』連合の創設秘話を元北海道美瑛町長 浜田哲氏に聞く(前編)」

▼ゲスト:浜田哲さん

元北海道美瑛町長 、「日本で最も美しい村」連合創設者。


▽「日本で最も美しい村」連合15周年:浜田哲氏インタビュー動画

https://utsukushii-mura.jp/news/2261/


▽日本で最も美しい村連合ホームページ

https://utsukushii-mura.jp



▼番組概要:

人口1万人以下の農村で暮らす3人が、地域の魅力を掘り下げながら、日本の未来を考える番組。暮らし、伝統、歴史を学び、今の日本を100年後に残すためのアイデアや方法を考えます。


▼毎週日曜 更新


▼番組へのお便りはこちら:

ask.hitokoto@gmail.com


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▼番組ハッシュタグ:

#ヒトコト


▼MC:

👤服部大地(はっとり だいち)

1992年、北海道生まれ。鶴居村の「Heart’n Tree」シェフであり、「The Royal Express」最年少シェフ。地元食材を活かした料理に定評があり、2023年「RED U-35」でブロンズエッグ受賞。現在は食材ハンターやノマドシェフとして各地でポップアップを開催中。

https://www.instagram.com/hattori.daichi/

https://note.com/nomad_chef


👤内田将大(うちだ まさひろ)

1990年生まれ、東京都出身。株式会社ムラシゴト代表。ゼネコンで約7年間、都市開発案件を担当した後、2022年から長野県原村(はらむら)に移住。「日本で最も美しい村」連合専任の地域おこし協力隊として活動する傍ら、2024年に起業。裂織(さきおり)ブランドの推進を日々行う。

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👤長屋詠一郎

1993年生まれ、岐阜県関市板取出身。20代前半は海外で暮らす。6年後、日本のことがもっと知りたいと思い、長野県木曽町に移住。写真や動画を撮りつつ、木曽谷の手仕事と日本で最も美しい村連合の繋がりを活かした一棟貸しの宿「玄草」を準備中。

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▼番組概要:

https://murashigoto.jp/2025/02/13/1617/


▼音声編集:

Eiichiro Nagaya


▼運営:

株式会社ムラシゴト


▼後援:

NPO法人「日本で最も美しい村」連合


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00:00
みなさんこんにちは、hitokoto Radioです。 この番組では、人口1万人以下の農村で暮らす3人が、地域の魅力を掘り下げながら、日本の未来を考えます。
こんにちは、長野県原村の内田です。はい、長野県木曽町の長屋です。よろしくお願いします。お願いします。はい、私と長屋さんは今、原村のIBBで撮っているんですけど、八ヶ岳ブルーボックスですね。
はい、今日はビッグゲストが実はリモートでつながっております。ということで早速お呼びしたいと思います。北海道の美瑛町の前町長でありますですね、浜田さんお呼びしております。
あとですね、二宮さん、副会長の二宮さんもお呼びしております。よろしくお願いします。お願いします。お願いします。
副会長二宮から浜田さんの紹介をしたいと思います。ぜひよろしくお願いします。本日副会長二宮、比叡町に来ております。何をしに来たかというと、本日10時スタートでマラソン大会がございまして、私この6月1週目の日曜日のマラソン大会、今日2週目ですね。ごめんなさい、8日ですけれども、マラソン大会も何回続けて出てますかね。
一番いい季節に美しい景観の中を走れるということで、毎年10キロに参加して、クォーターマラソンって言うんですけどね。それで、浜田さんの奥様がいつもボランティアでママさんフードエイドをしてくださってて、いつも寄ってちょうだいなと言ってくださって、私がお寄りすることができなくて、
今日やっと浜田さんのお宅にお邪魔しまして、全庁長の浜田さん、せっかくですのでお話を聞きたいと思って、ご自宅の方に寄らせていただいてます。浜田さん、2005年に日本でも美しい村連合設立にご尽力されました浜田比叡町全庁長浜田さとしさんです。
よろしくお願いいたします。いただいて大変嬉しく思ってます。こちらこそです。嬉しいです。
ありがとうございます。今日早速なんですけども、マラソンをゴールしますと、その比叡のお母さんたちが心を込めて作ってくださったおにぎりであるとか、桜餅、おはぎ等々私は購入しましたし、今浜田家では早速トマトを切っていただいたり、ソーセージを出していただいておるんですけれども、
実は比叡町は豚肉の産地でございまして、町民の方が好きなハーブを入れて加工できるようにという加工所もございます。設立時のこともあるんですけれども、浜田さんは比叡町の食の魅力をすごく向上させることにご尽力しております。
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そのようなところからちょっと始めてもいいでしょうか。
ぜひぜひ聞いてみたいです。
あとは小学校の跡地のビブレのことであるとか、比叡産公務員の活用であるとか、聞きたいことたくさんあるんですけれども、ちょっとそのあたりをお話しいただけますでしょうか。
20年30年のスパンで昔のことですから、あまりよく覚えていないところがいっぱいあるんですけれども、民間の企業で仕事をしていたんですけれども、ひょんなことから町会議員になりまして、37歳の時かな。
町会議員を4年、もう一期8年行っていたんですけれども、なんかこう、私の目から見て町づくりがこれから、あの頃はとても寂しくて、何かこういろんなことをやっても人が集まらないとか、
ビエオもこれからどうなっちゃうんだねっていうのは、そんな時期だったもんですから、そこで、じゃあ前町長、水上町長さんが辞めるときに、辞めるという話を聞いたもんですから、
若い連中の方々と話をして、やってみようかと、出てみようかと、出ても仕方ないねと、とりあえず一回だけの勝負してみようということで町長に手を挙げて、ひょんなことから受かったんですね。
受かってみると、町づくりに取り組んでいくんですけれども、特にちょっと肌が合わないんですね。何か前を見て前に進もうという思いで町長という仕事に当たるんですけれども、後ろを見たら誰もいないんですね。
役場の運営をしてて、一番感じたのは、役場の組織論っていうのがあるんですね。組織論。役場の組織論の中の一つの仕事の規範だとか、役場財政の運営とかあるんですけれども、それしっかりしてるんですね。もう何年も歴史かかって。
ただ一つ、抜けてるものがあると、この抜けてるものがあるたびに将来の姿を描くことができない。つまりずっと同じ規範の中で問題に対処する、課題に対応していくということで、その未来の姿を描ききれない。何が足りないんだろう。
私は小さな会社の経営に当たってましたけれども、経営じゃないかと。資源とかいろんなもの、歴史とかそういうものがたくさんありながら、それを絡めて、そして関係性を作ったりして、将来に向けてどんなことをやっていこう、どんな町を作っていこうという、その姿を描くことが経営論がないためにできないんだというふうに思って。
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経営という部分を町づくりにすると会社とは違いますからね。何が必要なんだろうということで、いろいろ探りを入れて活動していたんですね。
そうすると、町づくりをどういうふうに、いろいろ当たっては来るだけ、当たっては来るだけ、短期間のうちに集中的にいろいろしたんですけれども、あるとき、私も企業ですから経営という部分からすれば、経営者の方々にも町づくりに参加をしていただくということが本当に重要なことじゃないかと。
私は小さな会社の経営にメンバーとしていたけれども、全くその経営論という部分をしっかりしているわけではないので、それでいろいろ人脈を見ていたら、米町はジャガイモを作っていて、そのジャガイモを活用してポテトチップスなどを提供してくれるカールビーさんという会社に行き当たったんですね。
カールビーさんに企業の方々に地域づくりに応援していただけないかということで、その頃の松尾さんという社長さんにアポートと会うことができませんかという話をしたら、いいよと話しに来るんだと言ってくれたんですね。
これでカールビーさんの会社に行って、今のような話をしたんですね。松尾さんは経営者もまさに大きな会社の経営者ですから、そういう部分では経営論というのはものすごく厳しいんですね。
つまり、ただ単に私が経営論、経営をと言っても、じゃああんたの言う経営論、経営ってのは何だとか、そういうことを結構厳しく聞かれるんですね。
で、私自身が考えていた、その比叡町の経営の部分に、実は前町長、水上町長さんが、丘の町比叡というテーマを町の中に取り込んだんですね。
それは前田信蔵さんという写真家の先生が、比叡で写真を撮り始めて、比叡のいろんなものを紹介してくれて、それがフラノーとかそういう景色との相まって、比叡のが少しずつ流し入っていったというのがあると。
ただ、そういう景色はあるんだけど、町は寄って写真は撮っていくんだけど、何かそこに生まれているものはそんなにないと。
09:03
で、私自身が考えたのは、会社の経営も中小企業なんかもそうなんですけども、何か強みを持っていかなきゃいけない。技術だとか、例えば作っていくプログラミングだとか知能だとか、何か強みを持っていかないと中小企業というのはどこかに入り込んでいけないんですね。
ただ、なんとか竹林ではいけないんで、比叡協も中小企業だというふうに考えたら、比叡の強みは何だと考えていて、これが景観だと。つまり、比叡にしかなくて、比叡が世の中に打って出てくるものは景観じゃないかという、その部分を柱に考えていたんです。
松尾さんに、松尾さん、実はこういうふうに考えてますって言って、今みたいな話をしたら、松尾さんが襲うかと。そういうことならと言って、すくっと立ち上がって、自分の机のところに戻って資料を持ってきてくれて、君、こんなものがあるよって言ってくれたのが、フランスの売っている最も美しい村連合の資料だと。
松尾さん、私もドイツだとか、持続可能な地域づくりだとかっていうのを勉強しに行ったりしたんですけども、いまいちピンとこないんですね。要するに農林水産省が仕切るだとか、総務省が仕切るだとか、そういう縦の流れの中で物事が行われているので、これでは経営論という部分は通用しないと、組織論で終わっちゃうと。
経営論というのは弱い者が弱いなりに活動できる、そういうマネージをするということですから、それで松尾さんの美しい村の資料を見せていただいて、実はサッカーのJリーグの立ち上げに松尾さんも関わったんですって。
その時にヨーロッパの方に行っていろんなことを話したり視察したりしたときに、こういう資料はあったんで俺が持ってたんだと。これを見てみろということで、その場でトントントンと話をしてて、どうだと。今度あんたはフランスに行ってみるかという話に松尾さんに話をして。
私は職員と2人で、私の年上なんですけど、私の信頼する職員と一緒に行っていたものですから、その場で分かりましたと言ってみますと言ったら、うちの職員がびっくりして、そんなこと決めていいんですかって。
でもそういうふうになって、そこから美しい村というテーマに巡り合ったというのが実態でした。
そして松尾さんがヨーロッパの方、フランスの方にきっと連絡を取っていただいて、もともと松尾さんと一緒に仕事をしていた大企業で仕事をされた方がカルビスさんにおられて、その方も一緒に行ってあげると。
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2人で松尾さんの部下の人と私と2人でフランスに渡るということになりました。
それでうちの職員も一体ちょちょは何するんだいというようなところで、あまり言ってくるんですか?みたいなことがあったんですけども、そこでベルギーの方の女性で秘書を前にやっていた方、松尾さんの部下の秘書をやっていた方がベルギー人の人がおられまして、その人と3人でフランスに乗り込みました。
フランスに乗り込んだらですね、最初にびっくりしたのが、昼に日本から来たのかいって言って、視察に来ました、見に来ましたって言ったら、長いテーブルに2,30人くらいいたかな、夫婦の方々が外で長いテーブルでなんかこう昼食の会合をやろうとしてるんですね。
そこで座れ座れって言って、わかりましたって言って、そこでワイン飲んだり話したんですけど、とっても何食べても美味しいんで、日本ですとね、お客さん来たらこういろんなものを取り寄せたりなんかしてテーブルの上揃えるんですけども、その飾りっ気はないんだけども、とっても一つ一つが美味しいんですね。
私が聞いたんですよ、これはとっても美味しいですもん、例えばパンだとか野菜ですとかそういったもの、ワインもそうですし、これは美味しいですねって言ったら、日本から来たお客さんって、我々はあなたたちが今回来るって言うことを聞いて非常に嬉しく思っていると、大事なお客さんだと思って迎えていると。
大事なお客さんだからこそ我々の地域の手作りのもの、地域の材料を使ったものをここでみんなで提供して食べてるんだよってそう言われてね。そこで一発ね、頭の中がクローンと回りました。
こんなことを言うんだと、こんなことをやって地域づくりするんだ、こんなことをやって人生を楽しむ、埋める、そういう地域っていうものを彼らは持ってるんだっていうことが、頭の中でクロクロと回ってしまって目が回るようにね、すごいなと。
こんなことをするんだと言って、そこからですね、さっき井上さんが言われた食っていう部分の意味、食の持っている意味をね、ああそうなんだと、食は人を迎えるための大切な材料で、そして美しい村っていう部分があるかないか別として、
フランスなんかではこれがもう本当に当たり前のように地域で人を迎えるあれになってるんだなと、そんなことを感じて始まったんですよ。それでね、食っていう部分については非常にこだわりを持ってね、その後地域づくりに取り組むことになりました。
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私も初めて聞いた話でちょっと今びっくりしてます。松尾雅彦側の話ばっかり私しておりまして、おかげさまでカルビーポテトチップス発売今年で50年なんです。
当時JAからしか生のジャガイモは買えなかったんですけれども、毎日値段が変わるもので加工食品を作るのは難しいということで、直接農家さんから買わせていただくということを50年前ですね。タブーですよね、当時はね。
お菓子で買ってたと。米町も非常においしいジャガイモが採れますので、お願いしてポテトチップス専用品種を契約農家さんに植えていただいて買わせていただくということをやっておりまして、やっぱり米町はお見えになった方はご存知だと思うんですけれども、
おかの風景に林作をなさってますので、こっちは小麦、こっちは天菜、こっちはジャガイモというふうに、あと豆類ですよね。隣の畑と違う作物が隣り合っているということでパッチワークのおかという、前町長さんがおっしゃってたおかの町、美江まさに。
遠方にはですね、十勝三景の山が美しく見えるという、大変美しいところでございまして、今日そこ私マラソンで走ってきたんですけど、途中走るのをやめて写真撮る人がいっぱいいました。
こんな綺麗なところで作ってるジャガイモでポテトチップスを作っていますということで、取引先をですね、美江町にしばしば連れてきてたんですよね。今の濱田さんのお話にありましたように、町づくりということと、松尾がカルビーの社長として美江町を愛していたということで、このような美しい村連合の設立が始まったんです。
どういうことなのかと思って、また今日も本当にお話を聞いて、それで今、経営というお話が出ましたけれども、やはり行政というものは住民の税金化が成り立っておりまして、住民の生活の利便を追求するところですけれども、やはり企業というのは稼いでなんぼというところもございますので、やはり日本で最も美しい連合の設立に際しましては、
行政ということと民間の企業ということの両輪で良い活動をしていこうということで、このような団体は非常に稀ではないかなと思っておりまして、自治体側は当時美江町町でいらっしゃった濱田さんが7町村を集めてくださって、
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あとはそれを支援するスポンサー企業としては、松尾がカルビーをはじめ、他のいくつかの民間企業を呼んで、こんな活動を支援してくれよということで集まって始まった団体です。
ありがとうございます。
そして会合をちょっとそこでその中で飲んだり食べたりしながら会ったんですけど、さて会議をやるよということになったんですね。会議をやるよってなったら村の外に出ますって言うんですよ。村の中に大きい会場がないんで外に出ますと。
そうですかって言ったらとても立派なしっかりした会場、要するに集まりもできるような大きさの会場があったんですね。
これ立派な建物ですねと。どうしてこれは町の近くにないんですかと。いや、この建物は町の姿に合わないんだと。
町の姿に合わない。我々はこの我々の町づくりを知っている中で、その町の景色、町の姿っていうのは大変重要してる。だから町の中で建物をこういう建物あるよって見せてくれるんですけども、ちょっと小綺麗にした建物があったんですけども、あれはっていうか綺麗にしてますね。あれが一番ダメな建物なんだって。
その外側を綺麗にしてるのを全く良しとしない。だからそういう集会場みたいな立派な建物はこれはもう町の中に入ることはないよっていうことで。そんなところで会合を始まって、それもまたですね、例えば我々の中では新しい建物ができたらこんな建物ができたってみんなにお披露目するんですけども、彼らがお披露目するのはその村や町の歴史なんですね。
彼らが見せたいのは村や町の歴史であり、彼らが愛してる町や村っていうのは何なんだっていうことを見せたいんですね。
はっきりと知っていて、はぁーって思って、それもまたあれなんです。会合をやってて、急にゾワゾワって、日本からの挨拶って言うんで、外国語なんか当然できないんで、日本語と英語の混ざりみたいなのでベルギーの女性が通訳してくれてやって、あざこざやったんですけどね。
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そこにワイワイって言われたようになって、お客さんですって言って来たんですけども、前のフランスの大統領、ディスカルディスさんが、誰もガードマンいないんだよね、タッタッタッタッと入ってきて、前の大統領来ましたとか言うんですね。
はぁーって本当に言ってたら、タッタッタッタッとみんな今度会合に出た人が円卓になって、丸山になって、その真ん中に一人立って喋りだしたんですね。
なので、誰も椅子に座る中じゃなくて、こうやって話を聞いてて、誰が話しかけてもいいよっていう風にやってるんだよね。
話が終わってから、私も挨拶をさせていただいたり、サインしてもらったりしたんですけども、そういうまた雰囲気も、例えば日本の総理大臣が、辞めた総理大臣でも、あんたがどっか行って、あれするったら車座なんかなんて考えられないでしょ。
で、それがいいか悪いかはね、それぞれ国の文化ですからあれなんだけども、でもね、美しい村で面白いこといくつもあった中でもそれも一つがやっぱり面白いことですね。
それとそこで今度会話が始まって、夜の部分がさあ、宴会だって今度は、宴会また今度行ったらですね、外でやるって、村の外でやるって、今度はどこであそこでやるのかなと思ったら、ビニールハウスを作ったんですね。
音質みたいな、ビニールハウスの中で今度ね、何十人も集まってやりだすんですね。
そしてさあ、食べようや、飲もうやと言って、あれだ知らせたら、まあ音楽をやったりして、私もこういうタイプですから、これはちょっと私もなんか、あんたで踊りに出たり、わいわいといろいろ騒ぎに一緒に去りに来たんですけども、夜中の12時ぐらいまで。
私、とっても印象的なことがあるんですけれども、実は日本で最も美しい村連合は、世界の美しい村連合会に所属しておりまして、2010年に美英町において世界総会を開催していただいたんですよね。
今浜田さんのお話があったように、皆さん配偶者を伴って、だからご主人は奥様、奥様はご主人を伴ってご出席されるという、ヨーロッパの様子を見てこられておりますので、その総会に来る。
その時、日本で最も美しい村連合の総会も同時開催ということで、各町村の首長たちに浜田さんが呼びかけて、是非奥様もお連れくださいとカップルで来てくれということをおっしゃられて、もちろん浜田夫人も和服で大変美しい方でいらっしゃるんですけれども、ご同伴くださって。
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やっぱりそのテントの思い出があるのか、駅前に本当に臨時の宴会場を設営してくださいまして、大変野外でと言いますかね、オープンイベントの中で配偶をしてくださった、いろいろ美英の美味しいものを出してくださったというのが非常に印象に残っております。
ありがとうございます。そんな始まりで、その夜の会が終わったら、さあもう10人過ぎで、いよいよ最後、もう私が帰ったら20時頃だったんですけれども、帰る頃に、朝9時から朝から会合があるから来てください、来ておいでよって言われたら、えーと終わったんじゃないかと。
俺もフランスの視察は終わったんじゃないかと思ってたんですけど、まあそれでも来いって言うので9時に行きました。そうすると正式な美しい村の会合がセットされてたんです。フランス、イタリア、ベルギー、あれだけカナダは来てなかったけどね、そうやって集まってて、その正式な会合、それをオブザーバーとして見なさいということで席を用意してくれて。
そしてそういう会議をしてて、まあ何言ってるかよくわかんないなと思いながら見てたんですけど、会が終わる頃に、実は日本から来てて、我々もこの美しい村の連合、世界的なレベルを見つめてると。今回日本からこうやって来てくれる、せっかく来てくれたんだから、日本では何かできるかという話になったんですね。
で、日本でできるかと言われても、私自身の街づくりの方向はあれだし、それにフランスやイタリア、ベルギーのような古い歴史のある建物の部分は日本には少ないですし、北海道なんか特に開拓の地ですから、歴史なんていうのはまさにアイルの人の歴史の方が長いんでね。
そうすると、あなたたちの基準とはなかなか沿ったことはきっとできないと思うと。あなた何ができるっていうふうにイタリア、フランスの人が言ったんで、私が考える美しい村としてもしやれるのであれば、先ほど言った美しい景観だとか、日本は今合併なんかで小さな街や村がまるで捨てられるようになくてもいいよということを言われてると。
でもあれは絶対違うと。歳が大きくなればなるほど大きなものの代わりに小さいものがちゃんと残って、それでバランスをとらなかったら国はそんな良い国にはなっていかないと。そのことを思いをその場で言わせてもらったんですね。
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そしたらイタリア、フランスの方々が分かったと。日本は日本の伝統文化歴史があるから、そのことで美しい村というテーマでやれるかどうか検討してみるかっていう話を向こうから言ってくれました。
もしそういうことであれば、できるかどうかわかんないけども、2年間の猶予をくれと。私は今何も準備してないんで、1年間の猶予をくれないかと言って、そしてそこから帰ってきました。
あといろんなところでこのフランスのいろんな文化をちょこちょこ見せてもらって帰ってきたんですけども、役場に帰って役場の職員に動きの早そうな職員を何人か呼んで、実はこういうことなんだと。
こういうことを私はやってみたいという、そういう1年の約束で帰ってきたので、やってみたい、動いてくれないかということで、役場の職員はね、方向指示こういうことをやりたいっていうことを言ってくれれば、その作戦というのは練ってくれるんですね。
これは私のなんかにずっと上で、もうネットワークを使ってそういう地域がどこにあるとか、いろいろ探してくれて、そして準備をしてくれるんですけど、今回の部分はですね、北海道から地域の組織をつくろうということ、それから自治体の組織をつくろうということは、非常に人とは北海道という信頼物から物を仕掛けをするということの難しさと。
それからもう1つは、地方自治体の組織って実は総務省だとか農水省だとか、そういう縦の系列の中で仕切られてできるという組織がほとんど基本的なんですね。
お金も国からとか道からとか県とかそういうところから通じて流れてくるという組織があったので、こういう団体、企業とかそういった方々との連携の中から組織を論ずるというのはまさに入れ中の入れで、うちの職員が本当にいろいろ手を尽くしてくれたんですけども、
5月にフランスに行って帰ってきてますから、もう飽きすぎて冬近くになってかな、うちの役場の職員がちょちょお手上げですと。どこも動いてくれませんと。どうかと、やっぱり無理かと。
で、どういうあれでやったんだって言ったら、いやこういうリストアップはしたんですけども、全くそこの部分に動けない。じゃあさて、もう少し作戦を考えようということで、それで今度は私が直接動くと。
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私が直接動くと、そのあなたたちが用意してくれたそういうデザインを、私は今度はプレイヤーとなって、その仕掛けてみるということで、その話を職員にしました。それからもう一つはフランスの方に、残念ながら1年では駄目だったと。
で、もう1年だけくれと。もう1年だけくれて、それで駄目だったら、私は今回の話については諦めると。縁がなかったということで、そういう連絡もしました。それで冬から始まって、今度は私自身が電話をかけたり、直接会ったりして、声をかけ動き始めて、少しずつね、1つ2つだとか3つだとかね、動きが出始めたんですね。
それで松尾さんといろいろ情報交換しながら、松尾さん、何個かの目処がついたんで、これで少しでも動きをやってみたいって言ったら、いくつできたとかって言ったら、いや、今のところ5つですとか6つですとか、まあ、しゃあないなということで。
それで10月に、その翌年の10月だね。1年半かかってるんだけど、松尾さんとこのカルビーさんの会社の事務所で集合場所にして、10月に集まれと。その10月っていうのは町村会の会合が全国大会。
そこで集まってくれと。時間が終わって集まってくれと。そしたらね、集まってくれたのが町長村長で集まってくれたのが2人いたかな。それからあとは職員です。で、だいたい話を聞いてみましょうっていうぐらいのとこだったんですけど、その町長村長さんの集まってる中で、私がこういろいろ話したりして、1人、これはいいねって言ってくれた人は町長がいたんです。
それが南大国の河津町長さん。河津町長さんが、美苑の町長さん、同じ年なんですね。同じ時に町長になってる。これやろうよと。北海道と九州でやろうよっていう意気地を統合したんですね。
それと両側で攻めるもんですから、少しずつ周りの方も、まあそうですかみたいにね、動いていって。で、松尾さん、これ少し動き出ますよっていう話だった。松尾さんがですね、おいちょいちょいだけよって、これいくつになりそうだったら、今のところ6つですって言ったら、6つはちょっと風水が悪いんだと。
こんな時に風水言うかよって。松尾さんは松尾さんの経営論理があるから、分かりましたと。で、河津町長さんと南大国の町長さんと、どうするこれと。これだけ頑張って6つなんだよって、1つ入れるのも大変だよなって。
33:01
河津町長が、じゃあ俺ちょっと声かけてみようかって言うんで。それで、そんな人いるんだらよろしくお願いしますと言ったのが、白川村の谷口さんっていう村長さん。
谷口さんは人がいい人ですから、本当に人の温かい気持ちの大きな人ですから、河津さんから申し出ていれば、うーんって言うわとは言えないね。だけどまあ、今度浜田町長と一回会ってくれって話になって。
で、私の方からアポとって、じゃあ会いましょうということで、新橋の、もう私も東京そんなにあっちこっち行ってるわけじゃなくて、新橋の汽車のところで待ち合わせましょうと。そして汽車のところで待ってたんですけども、そしたらなんか来たんですね。
で、会ってきて、そして2人だけで会ったんですよ。そしていろいろ話したんですけど、白川村さんはもうその時世界遺産。世界遺産だから地域づくりのことでね、いろいろ話をして言ったんですけども、うちは世界遺産っていう部分ではそういうね、組織のどうかなーって悩むんですから。
で、そしたら私がね、ちょっと気合い入れたんですよ。あの新橋の汽車のところでね、通ってる人が振り向くくらい大きな声でね、この白川村村長さんって、あなたはその世界遺産っていうその地域の中で、あなた自身の方向性は見据えてると。
だけどねって、町や村がこんだけ疲弊して合併して亡くなってもいいというような時代に、あなたは自分の町のこと自分の村のことしか考えられないようなそんな人間なのかと。そんな人間が村長をやるのかあったんですよ。
で、それをやっちゃったんです。ただ、村長、田中さん、わかったわかったわかったって。で、7つ決まったんです。それで町夫さんに、町夫さん7つになりました。
初めて聞く話です。白川村さん、あの最初の7村なんですけれども、ちょっとその後ご事情があって、残念ながら白川村は我々のメンバーではないんですけれども、あの今本当に、ああそうだったかと。
で、あの白川村さんでも世界総会やっていただいて、ごめんなさい、だからさっき言ってたことが間違ってますね。2010年が白川村の世界総会で、その後2015年ですかね。美英町でやっていただいたのはね。4年前ですね。
もうその時はフランスの、当時のフランス協会の会長のシャペルさんもお見えになってて、プリミさんはお見えじゃなかったかな。
プリミさんもね、美英でやったときに来たけど、あっち側に来てたんですか。
そうですね。
いや、イタリアも来てた。
お見えになってたんですかね。
あの、まあその世界総会もですね、フランスは44年の歴史がありますし、ベルギーも30年の歴史がありますので、その濱田さんとさっきの世界で会った方たちはまだ現役で会長なさってるんですよね。
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ぜひね、このようにパッションを持って始まった連合がですね、今年日本の日本で最も美しい村連合20周年を迎えますので、それを機会に濱田さんもね、10月に東京に来ていただいて、お話をしていただく機会がございますので、ぜひぜひ良い会になるといいなと思っておりますけど。
そんないきさつで始まったんだよ。
素晴らしいです。
ありがとう。熱くなりました。
なんか私たちはね、もうもともとあったものとしてでしかなかったので、その中でどうパフォーマンスを出すかしかなかったのに、7つっていうのは元々存じ上げたんですが、なんとなくこう、なんとなくこう簡単に7つが揃ったみたいな感じでもう最初に受け取っていたので、こんなこう裏にこう全長長の情熱によってこう成し遂げられたんだなっていうのにすごい感動しました。
やっぱり組織の最初の苦しみをこう長々自らやられたっていうのは大変びっくりしました。
それでは次のエピソードもお楽しみに。またお会いしましょう。
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