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好きな家で音楽とコージーな暮らし
こんにちは、たけいひろねです。 この放送は、夫との音楽活動や趣味のウクレレ弾き語り、
それから家系ブロガーであり、エッセイオンラインの公式ライターをしている私の家作りのことや日々の気づきなどをのんびりコージーにお送りします。
今日は山戸由紀さんが作られたライフデザインノート、大切なあなたに効くノートについてお話をしたいと思います。
こちら、製作者は山戸由紀さんで、友人でもあるので、デザインを今回お手伝いをさせていただきました。
それでですね、今日お話ししたいのは、このライフデザインノートを実際に私も両親に使ってみたので、
使ってみたって言い方はどうかな?インタビューしてみたので、そのお話をシェアできたらなぁと思います。
どんなふうに使うかとか、使ったらどうなるかっていうようなことをですね、もしイメージしていただけるきっかけになれば嬉しいです。
ではですね、まずこのライフデザインノートのことについて知らない方もいらっしゃるかもしれないので、ちょっと簡単にご説明させていただきますね。
このノートは、現在も介護の現場で働く山戸由紀さんが、ずっとあればいいなって思っていたことをまとめたノートになります。
どういうことをまとめたらよいかということなんですけれども、
これはですね、親子でまたはパートナーの方と対話するきっかけになる、インタビューできるノートが欲しいなって思ってらっしゃったようなんですね。
エンディングノートとかいっぱいね、インタビューノートっていうのもあるそうなんですけれども、実際それを親自身が書いているかというと、書いていないことが介護の現場で見ていても本当に多いということでした。
でだったら、子ども側が、もしくはパートナー側がインタビューしてはどうかなっていう発想から生まれました。
中はですね、ページの中身で13ページ、表紙と裏を合わせて16ページぐらいの、とても薄い軽いノートです。
この薄いっていうのも由紀さんの中でとてもポイントだったんですよね。 デザインも男女問わず使える心の和む色のもので作っているので、とても誰にとっても手に取りやすいような感じになっています。
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中身の方は聞く側も聞きやすいように質問の例とかもたくさん載せているので、とてもライトな感じで、まず第一歩を踏み出す、介護に向けての準備をぼやっとしたいなって思っている気持ちがあったなら、一歩踏み出すときに一番いいのかなと思います。
このノートで、由紀さんがこれを使う方にやってもらいたいっていうのが、聞くきっかけを作るっていうことなんですよね。
私も実際このノートをね、今年の1月3日に実家に持って帰って、こういうのを作るのに関わらせてもらったんだけど、ちょっとインタビューさせてっていう感じで話をしてみました。
母はすごくノリノリで答えてくれました。
父はね、あんまり答えたくない様子もあったんですけれども、でも本当に嫌だったら結構すぐいなくなっちゃうんですけど、ずっと同じテーブルに居続けていたので、やっぱりちょっと興味があったんじゃないのかなって思います。
今私の両親たちは、祖母の介護がなかなか大変な状況にあって、自分たちでもエンディングノートを書かなきゃねと話していたそうなんですね。
父は母が準備したらやると言っていて、母も興味はあるけれども、いっぱいね、でも商品っていっぱいあるから選びきれなくて、なかなか日々忙しいし、介護もあるしっていうところで後回しにしがちだったっていうことでした。
だから、こちらから聞くっていうのはその時間が確保されるじゃないですか。だからすごくいいきっかけだったっていうふうに言ってました。
では実際にここからどんな話を聞けたかっていうお話をしたいと思います。
まずこの中身、またね、ヨキさんのチャンネルで詳しく載ったり、あとインスタグラムの方では中身の画像も実際に見れるので、それも参考にしていただけたらなと思うんですけれども、
最初にその相手の方の情報ですね。ちなみにこれは一人に一冊っていうつもりで作ってあります。
なのでこの前だった母だけのライフデザインノート一冊、父だけのライフデザインノート一冊って使うのがいいんですけれども、ちょっとその時は一冊しかなかったので、
同時に2人に質問するような形になっちゃったんですけれども、まずこの最初のページっていうのは基本的な名前とか住所とか生年月日とか連絡先、
過去にかかった病気、治療中の病気、かかりつき、アレルギー、その他を書くところがあります。
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ここの治療中の病気とかについては話に聞いたりとかすることもあると思うんですが、
アレルギーが結構、私の母も年齢が上がっていくにつれてアレルギーが増えたということを言っていて、今結局何個アレルギーがあるんだろうっていうふうにちょっと思っているんですけれども、
それをね、例えば果物が昔は食べれてたのに何歳かのタイミングから白糖とか果汁が多いものはすごい痒くなっちゃう。
内側から痒くなっちゃうんですって、そういうアレルギー反応が出るようになっちゃって食べれなくなったんだみたいな話は、
過去にチラッと聞いてたんですけれども、それが今もひどいのかどうなのかみたいな話もちょっとできました。
そういうのって何か差し入れを持っていくっていう、手土産を持っていくっていう時にもちょっと配慮するポイントでもありますよね。
だからこういうところを先に今のタイミングで聞けるとってすごく役立つなと思います。
その次が年表のページなんですけれども、このノートで由紀さんが実現したいって強く言われていたのが、
その人の生きていた時代のイベントがあって、その隣にその時に自分はどんなふうに過ごしていたかっていうのを書けるページを作りたいって厚く言われてたんですね。
それが実現したのがこの年表のページになります。
この時代にどう過ごしていたとか、結婚したのはどの頃だったとかね、そういうことを聞くような感じになっています。
この1954年からあるんですけれども、その後高度経済成長が来て、東京オリンピックがあって、大阪万博があってみたいな、
オイルショックとかバブルが弾けてとか、そういう感じで書いてあるんですが、私はここで結構意外な話が両親から聞くことができました。
テレビとかで大阪万博ってよく出てたと思うんですよ。
家族でテレビをよく見てたので、ご飯を食べながら見てたり、それ以外の時もテレビのネタをきっかけに話すってことはあったはずなんですけれども、
大阪万博に2人とも行ったことがあるっていうことを今回初めて知りました。
今まで行ったことあるっていうことをなんで言ってくれなかったんだろうって思うぐらいびっくりしました。
聞いたらですね、母と父、ちょっと年の差があるんですけれども、父は中学生、中学1年生ぐらい。
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母が小学校2年生だったのかな、ぐらいだったらしいんですけれども、その時は父は今も住んでいる岡山に住んでるんですが、
その当時新幹線もなかったんですが、友達2人と一緒に大阪に引っ越して行ったお友達の家に泊まりに行って万博に行ったって言ったんですよ。
中学生でその新幹線ない時代に電車で行ったのってすごいびっくりして、結構こう割とフットワークが軽いというか自立してるなとは思ってましたけど、
中学生の時からそんな風なことをしてたんだっていうことで、なんか意外でびっくりしました。
母はその時は名古屋に住んでたんですけれども、やっぱり大阪の母の祖母の知人のお家に遊びに行って、兄弟で万博に行ったっていう話をしてたんですね。
人間洗濯機とかそういうの見たのとかっていう話をしたら、どうだったかなーみたいなすごいニコニコしながら2人で話をしてて、
とってもね、そんなに行ってたんだって。母も父が万博に行ったこと知らなかったし、
じゃあ万博で会ってたのかもみたいな感じでちょっと盛り上がりましたね。
あとこの年表で、この年表が一番今回の話の中で盛り上がったんですよね、私たち家族は。
盛り上がったというか、意外なことを知れたのが、そうそうオイルショックですね。
第一次オイルショックとかあとバブルとかね、この辺ってお金の関わってくる話じゃないですか。
子供だったのもあって、両親たちからそういうお金の話って特に聞いたことは当時もなかったし、
特になんかその自分、それでなんかすごく困窮したっていう思い出もなかったんですけれども、
この時って実際今大人になってお金のことが分かってきたが、この時って実際どうだったのみたいな話を聞けたんですよね。
で、なるほどっていうことで、我が家の場合は田舎なので、どっちも影響はなかったって言ってました。
さらに公務員でもあったので、そういうバブルが崩壊した時とかっていうのもあんまり影響を感じなかったけど、
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でもそうか、影響がなかったのって公務員だったからかみたいな感じで、なるほどみたいな感じで、
お父さんありがとうみたいな感じの話をしてました。
こういうちょっと大人になったからこそ対等になって聞ける話とかっていうのもあるんだなって思いました。
そして他のページのところについても、あなたが大切にしている言葉とか、現在契約しているもの、お金をかけているもの、仲の良い友人、親戚とかね、
そういうところのお話もしました。
そうですね、母は結構話したがりなのでノリノリで答えてくれるんですが、
父は割ともともと昭和の男というか、寡黙なので、現実的で下手なことは言わないというか、思っていないことは言わないみたいな感じなので、
もしもとかの話とか、大切にしている言葉とかも、そんなんねえわみたいな感じで一括されちゃったりとかあったんですけれども、
でも私の結婚式の時に送ってくれた言葉あったよねみたいな、なんじゃったっけみたいな感じで話をね、思い出話に花が咲いたりとかもしました。
そうですね、好きなものとかいう話もしてたんですけれども、
そうですね、この辺もやっぱり話すのが好きな人はすごく楽しく話せると思います。
母もね、すごい生き生きしていろいろ教えてくれました。
食べ物とか、季節とか、好きなテレビのジャンルとかね。
好きなテレビのジャンルは2人ともドラマだったので、実際一緒にドラマを見たりして、後で感想を言い合ったり、そういえばしてたねみたいな、
2人もそういえばお互い好きだねみたいな話を認識してましたね。
私が思うあなたの良いところや、あなたがくれた嬉しい思い出っていうところは、ちょっとここは飛ばしています。
ここはね、またユキさんとのお話の中でもまたいずれ話せたらなと思うんですけれども、
実はここは聞く側に書いてもらえたらいいなと思って作ったページだったので、
質問はせず、こういうページも作ったんだよっていうところを見せたんですけれども、
今、母は自分の実の母親の、私にあたっては祖母にあたる人の介護を結構ね、今本格的にしているんですけれども、
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その中で、このページすごくいいねっていうふうに言ってもらいました。
私がこのノートに関わりたいなと思ったのも、身近で結構母がそれで泣いていたりとか悩んだりとかしている姿を見ていたからこそ、
ユキさんのお話しされていたことがすごく実感を伴っていて、
なので、祖母から言ったら子供は私の母なので、母の支えになるようなところもなったらいいなというような気持ちで作ったのもあるんですよね。
今、介護で苦しい思いもしている母が、ここのページをいいなって言ってくれたことはすごく嬉しかったです。
話をまたノートに戻すと、その次、あなたと私の価値観のところなんですけれども、
ここもちょっとセンシティブな話題になるページが最後に来ています。
インタビューする私と相手の方、あなたとの価値観の違いを知っておこうというところなんですけれども、
ここも、母はノリノリでいっぱいいろいろ、これに対して私はこう思うというような感じでいろいろ話を教えてくれました。
一方、父はあまり答えてくれなかったというか、答えれなかったのかな、わからないんですけれども、
もしもという話をしたがらないので、意外というか心に残ったのが住まいの部分なんですけれども、
引っ越して住まいに帰ることが嫌かどうかという質問に対して父は、私にはそんな選択肢はなかったと一言言ったんですね。
それもそうだったんですよ。
父の家は自営業で、大学生の頃に祖父を亡くしたので、父は大学生の時に後を継ぐかどうか選択を迫られたんですね。
もし自分がその道を選ばなかったら、祖母も家を追い出されてしまうという状況だったから、それを継ぐという決断をしたんですけれども、
そこを軌跡に人生を彼は選んできたんだと思うんですよね。
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なので、住まい居住地について自由がなかったというのは本当事実なんですよね。
だから今後がどうしたいかというところについては、複雑な思いがあるのかなというふうにも思いました。
だからかふと気づいたんですけれども、父って基本的に好きにしたらええと言われることが多いんですよ。
それって自分が父なりに選択がなかなかなかったからこそ思うところがあったのかなってちょっと切なくなりましたし、
子どもたちに対して選択させる道を残す言葉をかけてくれていたのかなということに気づきまして、
ありがたかったなというふうに思いました。
ただここのページでちょっと失敗したなって思ったのが、
父が答えたがらなかったときに母がガンガン質問するんですよね、父に。
なんか責めるようにちょっと質問するっていうか、なんかあるでしょみたいな感じで。
その答えによっては否定的なことを言うからちょっとやや喧嘩っぽくなっちゃって、
本当になんかこれ使ったリアルな感想なんですけれども。
母がちょっと最後、これは夫婦でやると喧嘩が起こるかもって言ってたんですけど。
これはね、質問を聞く側がやっぱり配慮というか、聞くに徹する姿勢でいるのがいいんだろうなって思いました。
私はその中で、まあまあまあ、自己中山をする役を今回したんですけれども。
1対1の方がやっぱりこれっていいなって思うんですよね。
このノートをするっていう方は基本的に聞く姿勢を持って望まれる方だと思うので、
そういう気持ちでない方がそこにいるとちょっとね、やっぱり言いたくなくなりますよね。
なんか父がちょっとかわいそうだなって思ったんですよね。
なので、しっかり相手の話を聞くっていうつもりでこのページをやられると、
これからされる方はやれるといいんじゃないかなと思いました。
はい、という、これ最後ですね、という感じですかね。
でも、やってみて、結構ね長いこと、2時間ぐらい話をしたかなと思います。
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母はいっぱい話ができて嬉しかったっていうふうに言ってくれてました。
なかなかね、普段自分の考えや思いって誰にでも言えるものではないし、
私も別のところに住んでいるので、
家、昔よりは距離が近くなったとは言ってもそんな頻繁に行けるわけでもないので、
話を聞いてもらえるっていう時間、聞いてもらえると、
その時って結構子どもたちもいるし、夫もいるしでバタバタしてて、
どっか出かけたりとかね、そういうので実際ゆっくり話をしてないんですよね。
母は母でみんなのご飯用意してとかっていう感じになったりするから、
だからこのノートを開いて話をするっていうのは、
相手と向き合うっていうことじゃないですか。
だから、以前本で読んだんですが、聞いてもらえるっていうことで、
一番の愛情だって書かれてたんですよね。
だからこの喜んでる姿を見て、これをする時間を作るっていうことが、
一つの親孝行になるのかなっていうふうに思いました。
このいろいろ問いがありますけれども、
父も割と寡黙なタイプであんまり普段から自分や自分から好みや考えのことを話さない中で、
いくつかでもそのことについて、今回聞けたこととかね、
答えられないものがあったとしても、きっと意識するきっかけになってもらえるのかなって思うと、
1回で答えが出なくても、また今度ね、
それに対して時間を置いて聞けるっていうことがあっても、
あったときはもっと言葉が出てくるのかなっていうふうに楽しみでもあります。
ちょっとでも相手を知るきっかけとして使えてもらえたらっていう記者は言われてましたけど、
本当に相手を知るいいきっかけのノートになるなって実際に使ってみて思いました。
なので本当にいろんな方に使っていただけたらなって思います。
そうそう、うちの父と同じような寡黙なタイプで、
あんまり自分から好みとか考えのことを話さない方はですね、
結構過去の経験とかだったら答えやすそうだったので、
そこから話を展開していくといいかもしれないです。
もしこれからされる方で聞く相手の方が、
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ちょっとそういううちの父みたいなタイプの方はぜひご参考になさってみてください。
このノート本当に私もちょっとずつにはなりますけれども、
何度でも聞いて、介護が必要となってしまったとき、
もし何か起こった時にですね、この記録がお守りになる気がしています。
それはユキさんもおっしゃってましたが、
しっかり認知力もあって話せる今しかないって思うんですよね。
それは私は今祖母を見ていてすごく思います。
今の状態でこのノートを使って祖母から話を聞くっていうことは、
きっと難しいと思うんですよね。
もうちょっと認知症も始まってますしね。
考えたら本当にこの元気なうちにというか、
今すぐにでも話を聞けるっていうことが本当に大事なんだろうなって思うんですよね。
見た目もライトで、薄さもライトなんで、
内容もそんなに重い質問もなるべくない感じで作ってありますので、
本当にぜひぜひ使ってみてください。
このノートですね、ユキさんはモニターも募集中です。
4名までなのでまだ募集されてたと思います。
案内については概要欄にその放送のリンクを貼っておきますので、
ぜひご覧ください。
そして、そんな製作者の大和ユキさんと、
デザインを担当した私ヒロネで、
今週の金曜日の夜21時にライブをします。
これは人生はグラデーション、ライフデザインチャンネル2で行います。
ぜひ遊びに来てください。
作品への思いとか、どんなふうに使ってもらえたら嬉しいかというようなお話などもしていきたいと思います。
では長くなってしまいましたが、最後まで聞いていただきありがとうございました。
今日も良い1日を。