1. ママが自分を取り戻すラジオ
  2. 506.義母の行動にモヤモヤ案件
気持ちと行動は別な時もあるってお話。
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・長男の田植えと私の小学校
・お便り紹介《義母へのモヤモヤ》
・私が義母だった場合の妄想
・ミシンでズボンだけ縫いたい
・良かれと思ってのすれ違い
・おばあちゃんとホストシスター


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ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育て真っ最中の私が、イライラが止まらないお母さんたちに向けて、自分を知り、自分を取り戻すことで、子育ても夫婦関係も楽になる考え方をシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
我が家の長男がですね、今日学校で田植えをするらしく、前の日のね、昨日の寝る前よ、寝る前に、あ、田植えの準備せなあかんとか言って、スリッパないかとか、なんか汚れてもいい服はどれ持って行ったらいいかとか、タオルはどれを持って行こうかとかね、もうごちごちごちごち言ってました。
なんでこんな時間に言うのって思ってたんですけど、もうちょっと早く言ってよって思ってたんですけど、まあもう正午なので、自分でそういう準備はしていただいて、それなりにこうわたわたしながらやってましたけど、ただ、スリッパを持っていかないといけないんですよね。
でももう長男、もう日に日に足の大きさがどんどん大きくなってきていて、もちろん去年のサンダルなんてもう履けたもんじゃないんですよ、サイズ的に。だからスリッパどうするってなって、結局私がもう10年間ぐらい履き続けているギャップのBさんがあるんですけど、それを持って行ってもらいましたね。
もうね、これやったら履けるやろって言って、しかもそんな田植えに使うようなやつやからボロボロでも大丈夫やろって言ってもこれもてきーって言って、私のBさんを渡しました。まあできてるかな、雨持ってるから今頃ドロンコになりながら田植えしてるんじゃないかなと思いますけど。
私が小学生の時も、しかも小5の時だったと思うんですけど、田植えの授業あったんですよね。私が通っていた小学校はもう本当に田舎の小学校だったので、学校の敷地内に畑もあったし田んぼもあったし、敷地と言わずとも畑と畑の間のあぜ道みたいなところが通学路だったんですよ。
家から学校まで一個も信号なかったし、熊とか出るから学校のカバンにね熊よけの鈴とかをみんな配布されてつけて行ってたんですよね。めっちゃいい音が鳴る鈴。
でも幼いながらに、そんなもんこんな鈴一個で私の命って守れるんかなっていう疑問をずっと6年間抱き続けてたんですけど。でももうそれしかないから、もう鈴つけるしかないから、鈴をカバンにつけてリンリン鳴らしながらね、学校に行ってました。
懐かしい。でも覚えてますね。野外活動、臨艦学校行ったこととか田植えしたこととか、長男がそうやって学校で経験するまではすっかり忘れてるんですけど、やっぱり子どもたちが同じように臨艦学校行ったりとか田植えしたりとか、社会でこういうの習ったとかっていうのを聞くと思い出しますね。当時のことはね。すごく懐かしい気持ちになっておりました。
はい、今日はお便りを一つご紹介したいと思います。これはお便りと言いますか、私が運営しているオンラインコミュニティの中で出ていた案件なんですけども、ご紹介します。
子どもの服に関するモヤモヤ
長年、数年、答えの出ないもやもやです。義理の両親が徒歩一本のところに住んでいて、日頃から育児も手伝ってもらっています。いろいろもやっとはあるのですが、書くと長くなるので一つに収めておきます。
子どもの服についてです。義母がみしんが得意なため、子どもの服をよく作ってくれたり、買ったものをくれたりします。私のもやもやポイント。一つ目、作ってくれるものが私の好みではない、子どもの年齢的にもそろそろ厳しい。
キャラものの柄を部分使いしたり。二つ目、ズボンのみを作ってくれる。タンスがズボンであふれている。三つ目、買ったものは封を開けて記名してからくれる。
このもやもやを掘り下げてみると、服をくれるのは助かる。ただ、どうせいただけるのであれば欲しいものを欲しいタイミングで欲しい。くれるものに偏りがあるため、ズボン、下着、靴下がタンスに入りきらないほどある。ただでさえ、4人の子どもたちの服の管理ができないのにあふれている。
私の性質として、3着服があれば生きられるので、服があふれて在庫管理ができないことがストレス。開封してからくれるので、どのサイズで誰のものか管理が困難。前に布を渡して、これでこういうものを作ってほしいと、こちらの好きなものを作ってもらおうと思ったら、パターンがないとできない。
夫にやんわり言ってもらおうと何度か試したが、夫の仲介が下手くそすぎて、どっちも余計モヤモヤして終わるという感じです。ごめんなさい、ただのガス抜きになってきた。
ついに昨日、「お母さん、服なんですが、もうタンスいっぱいなので、とりあえずストップで大丈夫です。ありがたいんですけど、いっぱいで。」と言ってしまった。
モヤモヤ悩んだわりにうまく言えなかった。解決策というか、杉部ちゃんならどうするのか知りたいので、ここに書きました。お願いします。」というメッセージをいただきました。
この義理の良心問題、特に近くに住んでる場合ってありますよね。
今後の関係もあるじゃないですか。ちょっと伝え方を間違えちゃったりしたら、今後の関係のこともあるから、思ってることをストレートに言うのも難しかったりとか、それこそ言葉選びとか伝え方が難しかったりとか、
あちらがどういう方かっていうところにも繋がるから、めちゃくちゃ難しいし、だからこそすごいモヤモヤする内容でもあるのかなと想像してました。
ただ、当事者になるとモヤモヤするんですよ、絶対。私も絶対モヤモヤすると思うけど、ちょっと客観的に見ると、全員の気持ち想像できますよね、これ。義理のお母さんの気持ちも想像できるし、メッセージくださったご本人の気持ちも想像できるし、何なら旦那さんの気持ちも想像できる。
ということで、今日はこのメッセージをいただいて、私が感じたこと、考えたことっていうのをシェアさせていただきたいなと思います。
気持ちと行動は別物
テーマは、「気持ちと行動は別物」というテーマでお話をしたいと思います。
ちょっとこれタイトル変えるかもしれないけど、でもそういうことなのかなと思ったんですよね。
まず、私が妄想したお母さん、義理のお母さんのお話をしてもいいですか?
私、もちろんお会いしたことないんですよ、この義理のお母さんにね。
なのに、勝手に妄想して想像して本当に申し訳ありませんという感じなんですけど、私がちょっとお母さんだった場合っていうのを考えてみたんですよね。
考えてみたときに、私もね、ミシン上手じゃないんですけど好きなんですよ。
しかも、ズボンを作るのが好きなんですよ。めちゃくちゃわかる。
私の場合はズボンとコップ袋を作るのがすごく好きなんです。
そしてTシャツとかね、そういうのは難しいから作れないんですよ。
ただ、ズボンとかは本当に曲線縫うだけで、何ならちょっとゴムをぺって入れたりとかするだけで、
比較的簡単にできるし、それこそパターンとかがなかったとしてもできるから、だから作っちゃうんですよね。
作っちゃって、作りたいという気持ちはあるんですよ。
たぶん作ることが好きなんですよ。
作ったものって物として、物質として出来上がっていくじゃないですか。
そうしたら、作ることが好きなんだけど、それをそのまま出来上がったものを捨てるっていうのはもったいないなという気持ちにもなるわけなんですよね。
だから、どうせ好きなことをするなら、どうせミシンで何かを作るなら、誰かのために何かを作りたい。
そしてそれを使ってもらえたらなお良し、みたいな気持ちがあるんですよね。
だから、もったいない。
私の場合はね、せっかくできたズボンができた、コップ袋ができた、これをそのまま捨てるのはもったいない。
だから子供に使ってもらおうとか、子供に履いてもらおうという感じで、
私の場合はですよ、私の場合はもったいないを子供に託してたんですよ。
で、今はね、お兄ちゃんお姉ちゃんとかも大きいし、私が好きで作った布のズボンとか絶対履いてくれないんですけど、
小さい頃は私が作った総ひまわり柄のズボンとか長男履いてたんですよね。
その頃は喜んで履いてくれてましたけど、それは完全に私の作るのが好きだとか、
これを捨てるのはもったいないというのを長男に託してましたね。
で、そういうのがあるのかなと思ったんですよ。
このズボンのみを作ってくれるっていうのも、
未信されない方からしたら、なんでズボンだけやねんみたいな、
もうズボンも作れるんやったらTシャツも作れるやろとか、
その布で作れるんやったらこっちの布でも作れるやろとか思われるかもしれないんですけど、
確かにこの布やったらできるけど、この布はちょっと難しいなとか、
パターンがないと無理やなっていうのはある気がするんですよね。
個人的な経験ですけど。
だから、ズボンのみっていうのもすごいわかるし、
この布でっていうのも若干わかるなっていうのは思いますね。
ただこれが自分の子供とかではなく、
息子のお嫁さんに渡すっていうのが、
ちょっとこのことを複雑にしているっていうのもありますよね。
あとこれ、買ったものは布を開けて記念してからくれるっていうのも、
ギリのお母さん、旦那さん、そして仲介役としての立場
絶対に良かれと思ってるわけじゃないですか。
この布開けて名前書くのめんどくさいやろ。
もう忙しいし、子供も4人もいるし、
みんなの名前書くのめんどくさいやろ。
保育園に預けるときにみんな名前書いてないとあかんやろ。
その手間を省いてあげる。
こっちでやってあげるっていう気持ちで書いてくれてるわけですよね、きっとね。
だからありがたいことなんですけど、
しかも良かれと思ってなんですけど、
こちらが受け取る側からすると、
いやいや、布開けてあったら何センチかわからへんやんかとか、
自分が買ってないからね。
自分が買ったらこれは誰のために買ったって記憶もあるから、
仕分けしやすいですけど、
自分が買ってないからこれは誰の服なのか何センチなのか、
肌着なのか肌着じゃないのかもわからへんみたいなことも起きるわけですよね。
すれ違っているというのをめちゃくちゃ感じますよね。
それが私の勝手にギリのお母さんのことを想像したことなんですよね。
旦那さんのことを想像すると、
まあまあめんどくさいですよね、間に入るっていうのはね。
間に入るのはめんどくさいし、
どちらとも大事な人だから、お母さんも大事、奥さんも大事。
大事な人と大事な人の間の仲介をするってすごく労力もいるし、
大変なことだし、エネルギーもかかるし、
うまく振る舞えないっていうのはあるんだろうなと思いますね。
気持ちと行動の分離
うまく振る舞える人っているのかな、逆にこれ。
我こそはお母さんと奥さんの間でうまく振る舞えますぜという方はね、
ぜひその方法を伝授していただきたいですよね、世の中の仲介役の方々にね。
いろいろギリのお母さんのことを想像したり妄想したり、
旦那さんのことを想像したり妄想したりする中で、
結局はね、みんな良かれと思ってしていることがただふれ違っている。
良かれと思っていることって言ってしまえば愛情だと思うんですよ。
そのズボンを作ってあげたいとか、
ふうごを開けて名前を書いておいてあげたいとか、
っていうこととか買ってあげたいみたいなのも全部愛情なわけですよね。
でもこれがストライクゾーンに入ってないという感じですよね。
きっと受け取る側のストライクゾーンを大幅に外してボールを投げてしまっているみたいな感じなんだろうなと思いました。
私がこのメッセージをくださった方の立場だったらどうするかというと、
私も多分ねめちゃくちゃ最初にもやもやするし、いろいろ考えると思うんですよね。
だけど私この状況になったことないから実際にやったことはないし言ったことはないんですけど、
どうしたいかというと、
気持ちと選択、行動っていうのを分けたいなと思ったんですよ。
どういうことかというと、
いただいている、作ってくれている、名前を書いてくれている、
それに対しては感謝の気持ちがあるから、
もうありがとうございますという感じじゃないですか。
だけど、これはもう我が家はズボンいっぱいですとか、これは履かないですとかっていうふうに言ってしまえば、
それこそストップもされてますけど、ストップして断るっていうこととか、
あとは名前書いてくれるのはすごいありがたい。
ありがたいんだけど、袋のままで置いておかないとサイズがわからなくなって、
余計に朝とか時間かかっちゃったりするから、
できれば袋のまま欲しいですみたいなことを言うかな。
なんかはっきり言う、結構はっきり言うっていうのが、
結局は長い目で見たときにお互いのためになるんじゃないかなと思うんですよね。
ここでじゃあなんでそれが言いにくいのかっていうところを考えたんです。
なんで断ることっていうのが難しいのか、はっきり言うことが難しいのかって考えたときに、
断るイコール拒否とか拒絶とか否定とか批判っていうふうにそこをイコールにしてしまっていると、
こちらも断るのが難しかったり、
断ることの考え方
逆に誰かから断られるっていうことに対してもちょっと苦手意識があったりもするのかなと思うんですよね。
なので断るっていうことはそれ以上でも以下でもないし、
それイコール拒否でも拒絶でも否定でも批判でも何でもなくて、
選択の一つ、行動の一つでしかないっていうのを思っておきたいなと思いますね。
感情もあるわけじゃないですか。感謝してるっていう感情もあって、
それはありながら行動として選択として断るっていうところを一緒に持っててもいいんじゃないかなと思いますよね。
このメッセージを読んだときにすごい思い出したのが、我が家のおばあちゃんの話なんですね。
我が家のおばあちゃんもすごく物をあげたがる人なんです。近所の人にもいつも物を配ってますし、
私も一人暮らししてからたまに実家に帰った時とかに、
これ美味しいなーみたいな言ったお菓子とかを帰る時にめちゃくちゃいっぱい渡してくれたり、
なんなら1回美味しいなーって言ったお菓子を何十年もに渡ってくれ続けるみたいなことをするんですよ。
あとね、私の実家ってちょっと海に近くて、トロロ昆布とかが、美味しいトロロ昆布とかが手に入るんですよ。
まあまあ高いんですよね、そういうトロロ昆布とかって。
私、ちっちゃい頃からトロロ昆布大好きで、トロロ昆布ご飯とかすごい食べてたんですよね。
で、おばあちゃんは私のちっちゃい頃のトロロ昆布ご飯を美味しそうに食べてたのを見てて、
あーあんたトロロ昆布好きだよなーってわかってるから、もうさ、30歳超えてもトロロ昆布送ってくる。
もうトロロ昆布ってそんな日常使いしないんですよ。
お味噌みたいな感じで毎日使ってたらすぐなくなるけど、
トロロ昆布って1回目使う量も少ないし、そんなに日常使いするもんじゃないからトロロ昆布なくならないんですよね。
だけど、もう何か送ってくれるたびにトロロ昆布隙間にクッション材みたいな感じでトロロ昆布挟まってますし、
実家に帰ったら帰るときに絶対トロロ昆布を渡されるんですよね。
だから、ありがたくもらってたんですけど、ずーっと。
それこそずーっと。好きだし。何本あっても困りませんからねと思ってもらってたんですけど、
だけど、やっぱりもういらんってなってきた時があったんですよ。
もう家にめちゃくちゃあるみたいな感じで。
もう前の前の前のやつとかもまだあるみたいな感じになってきて、
おばあちゃんごめんやけどもうトロロ昆布いらんわって言ったんですよね。
そしたら、あ、ほんまかみたいな。これ高いからなみたいなね。
もういらんのやったらもうええわみたいな感じで一旦ストップしたことがあったんですよ。
でも、それを言ったからっておばあちゃんが傷ついたかって言うと全然そうではなくって、
あ、ほんまかみたいな。そうやったかみたいな感じだったんですよね。
これは私とおばあちゃんの関係っていうこともあるから、
物をプレゼントされた場合の受け取り方
やっぱりギリのお母さんと嫁の立場だったらまたそこのもういらんわっていう言い方が難しかったりもするのかもしれないんですけど、
でも、これは言ってよかったなお互いにと思うんですよね。
もう一個、高校留学してた時にホームステイをしていて、
いつもホストファミリーが外食に連れてってくれたりとかご飯作ってくれたりとかするから、
私もたまにはご飯作ろうかしらと思ってハンバーグを焼いたんですよね、家で。
玉ねぎを中に結構みじん切りにして多めに入れてたんですけど、
我が家のホームステイ先のホストシスターが玉ねぎ嫌いだったんです。
そしたら細かく切っていっぱい入ってる玉ねぎを食べながら一個ずつ一個ずつほじくり出して、それを避けてるんですよ。
最初はせっかく作ったやつをこんなにほじくり返して、何やってんのって思ったんですよね。
なんで私が作ったハンバーグそんなにほじくり返してんのみたいな。
なんか避けてやってるから。
なんなんて正直ちょっとイラッとしたんですよ。
私やったら我慢して食べるわみたいな。
私ホームステイ先で出されたものとかも結構何が出てきても食べてたから美味しくないなって思ったこととかも何度もありますけど、
正直ね、そう思うけど我慢して食べてたんですよ。
これはせっかく出してくれてるんだから食べないといけないみたいな感じで。
だけどそのホストシスターは玉ねぎ避けて、
私がどうしたの?みたいなふうに聞いたら、玉ねぎが嫌いだからこれは食べないみたいなふうに避けてるんですよね。
それを見たときに私はイラッとしたけど、
感謝の気持ちと行動の分け方
これは私がもらったものは受け取らないといけないとか、
作ってもらったものは全部食べないといけないっていう思い込みというのかな、
そういう価値観の中で生きてたんだなっていうふうに思ったんですよね。
だけど彼女は作ってくれたことはありがとう。
これもすごくおいしい。
だけど私は玉ねぎが嫌いだから玉ねぎは食べないっていう選択をしたわけなんですよね。
だからすごく感謝の気持ちと行動を別々にしている人もいるんだなっていうことに気づいたんです。
だからこのメッセージを読んでいたときに、
私のおばあちゃんトロロ昆布事件と留学していたときのホストシスターが
私のハンバーグから玉ねぎをほじくり出していたときのことを思い出して、
やっぱりもらったら全部受け取らないといけないって私自身もすごく思っていたなとか。
でもそこって本当は分けてもいいんだよね。
分けた方がお互いのために健康的な関係を築けるんじゃないかなっていうことを思い出してましたね。
ちょっとこのお洋服のお話からトロロ昆布になったりハンバーグになったりとんでもないところまでとんび散らかしましたけど、
こんなふうに思っておりました。
なので杉部ちゃんならどうしますかということでしたけど、
感謝の気持ちは伝えるし、ありがとうございますということは言うけど、
でももうこれは要らないとか、袋を開けないでほしいとかっていうのを
そのままシンプルに伝えたらいいのかなっていうふうに思いますね。
伝え方も難しいですけど。
でもそれでもくれる場合ってあると思うんですよ。
それでもなおくれる場合。
その時はもうそれは何かしらの形で処分をしてしまってもいいのかなと思いますね。
物は。
気持ちと選択、行動は別物
それをずっと持ってもやもやしておくぐらいなのであれば、
もう処分してしまうっていう選択をしてもいいのかなと思いました。
はい、ということで今日のテーマは
気持ちと選択、行動は別物ということについてお話をしました。
最後まで聞いていただきましてありがとうございます。
メッセージたくさんいろいろなところからいただいておりまして、
すべて読ませていただいております。
ちょっと全部紹介はできないんですけど、
みんないろんなところでいろんな思いを抱えながら頑張ってるなと思って、
私も頑張ろうと毎回思わせてもらっておりますので、
ぜひメッセージもこれからもいろいろといただけたら嬉しいなと思っております。
概要欄に公式LINEのURLが貼ってあるので、
そこからご登録いただいてメッセージを送っていただくことができますので、
どうぞよろしくお願いいたします。
明日6月9日の夜21時30分から、
アナログゲームマスターの足立先生という方とインスタライブを行います。
久々のインスタライブ。
平日の昼間に軽くインスタライブを1回やったんですけど、
すごく楽しくてインスタライブいいなと思ってたので、
これからも不定期ではありますけどやっていこうかなと思ってます。
6月9日はコラボのインスタライブなので、
ぜひぜひ遊びに来てください。
そしてコメントもいろいろしていただけたら嬉しいなと思っております。
ということで、今日も素敵な1日になることを願っております。
23:52

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