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ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは子育て真っ最中の私が、子育てを通して自分を見つめ直す方法や、母親として過ごす中での気づきや学びをシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。夏休みのストレスから解放されようというか、現実逃避をしようと思って、すごく軽い気持ちで、昔やっていたゴシップガールを見始めてしまったんですね。
ゴシップガールがやっていた当時っていうのは、高校生か大学生ぐらいの頃で、私のリアルライフが忙しい時期だったので、ちゃんと見れてなかったんですよ。
なんとなく飛び飛びで見ていって、でもしっかり話は終えてないっていう感じだったんですよね。
で、あの今回ね、ちょっとなんか新しいゴシップガールも始まるみたいやし、netflixでもおすすめに出てきたし、とりあえずちょっと見てみようかなみたいな感じで、見始めたらちょっとね抜け出せなくなっておりまして。
であれシーズン5ぐらいまであるんですよね。しかもその後ファイナルシーズンとかもあって、今私ファイナル、違うわ、今ねシーズン2なんですよ。
先が長すぎてね、でもやめれないっていう、ドハマリしております。
で、高校生とか大学生の頃に見てたゴシップガールとか、OCとかっていうのはもう完全にね、主役である高校生、大学生の気持ちなんですよね。
その気持ち、その視点で見てるんですけども、今見るとね、お父さんお母さんの立場で見ちゃうんですよ。
で、あのゴシップガール見たことがある方はわかると思うんですけど、ブレイクライブリーが演じているセリーナっていう主役のね、ブロンドの女の子がいるんですけど、
天真爛漫というか、すごくいい子なんだけども問題もすごくたくさん起こすんですよね。
でそれに対してそのセリーナのお母さんが言ってた言葉があってね、セリーナは100日間怪物でいてもう101日目には私の天使に戻る。
辛いけど自分の育て方を信じるのっていうセリフがあったんですね。
でもうこれもう本当に子育てずっとそうやなっていうのをね、思ってるんですよね。
で子育ての正解とか母親のあり方に正解がないからこそ、何か子供が問題を起こしたりとか悩んでいたりとか困ったことがある時って、
何か、育て方これで合ってるのかなとか間違ってたのかなとかっていう不安とかっていう気持ちがね出てくると思うんですよね。
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そうだけど最終的にお母さんが自分自身のことを信じて自分のしてきた子育てを信じれるかどうかにかかってるなっていうのはね、改めてこのセリーナのお母さんの言葉を聞いて思いました。
我が子たちはまだまだ小学生と何歳とかなので、これからね、思春期に入っていって大きくなっていくと、今とはまた違う悩みとか問題とかっていうのがたくさん出てくるんだろうなぁって思うんですよね。
どんどんこう悩みの種類が変化したりとか複雑になったりしていくんだろうなと思っております。
えーっとですね、今日のテーマなんですが、今日のテーマは、器用貧乏に苦しんでいたというテーマでお話をしようと思います。
器用貧乏っていう言葉聞いたことありますか?
私はちょっと語彙力が乏しいもので、器用貧乏っていう言葉に出会ったのは結構最近なんですよね。ここ数年前なんですよね。
ただこの器用貧乏っていう言葉を聞いた時に、これ私やって思ったんですよ。
器用貧乏っていうのは、器用にいろいろなことがこなせるために、かえって体制しないことっていう意味なんですね。
この言葉ってちょっと自分で自分のことを言う時に気をつけないといけないというか、ちょっと自慢っぽく聞こえる可能性もあるなとは思うんですけど、あえてこの言葉を使いたいなと思ってます。
自分がね、私が自分自身のことを器用貧乏だなって気づいたのは、我が家の息子を見てって気づいたんですね。
我が家の長男、翔さんの長男は、結構ね何でもある程度こなせるタイプなんですよね。
勉強もスポーツも、いろんな遊びとかも、めちゃくちゃ上手いとかではないんですけど、でもある程度すべてのことを教えてもらったりすると、
見よ見まねで上手にできたりとか、意外とできるやんっていうところまではできる子なんですよ。
で、その長男を見ていると、そういえば私もそうかもしれないなって思ったんですよね。
ただちょっと球技だけはものすごく苦手なんですけど、でもそれ以外のことは結構何でもめちゃくちゃできるわけではないけど、ある程度できるタイプなんですよね。
ただ、何でもできる、何でもある程度できるっていうところが良い面だったとすると、それに対して悪い面もあって、ただ続かないっていう悪い面があるんですよ。
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私はね、この続かないっていうところにすごくフォーカスしていて、続けられない、継続できない自分はダメなんだとか、
仕事に帰る時も、次こそは一生続けられる仕事を探したいみたいな感じで、どんどんどんどん自分のこれかなあれかなどれかなみたいな感じでいろんなことに足を突っ込んできたんですね。
本当にこれまでいろんなことをしてきて、仕事だけじゃなくてもですけど、自分の興味としては英語が好きだったりとか、これが一番長いんですけどね。
英語だったりとか、あとアパレル業界だとか、ヨガのインストラクターの資格を取るために学校に通ったりとか、あとはウェブデザインの勉強をするためにレッスンを取ったりだとか、
あとは英会話の先生になってみたりだとか、色彩検定を取ってみたりだとか、保育士の免許を取ろうとしてみたりとか、インテリアコーディネーターの勉強してみようとしたりだとか、
ベビーマッサージの勉強したりだとか、言ってるだけでもちょっと笑えてくるぐらい、本当にたくさんのことをやってきてみているんですよね。
しかもすごく資格みたいなものにこだわっていたというか、資格を気にしていて、
今思うとね、その資格を取って自分に自信をつけようとしてたんだなっていうのを振り返ると思うんですよね。
ただ、何かしら資格とかコースを終えたとしても結局他の悩みが出てきたり、他の不安っていうのが出てくるわけなんですよね。
そうすると資格を取ってつけたと思っていた自信が一気になくなるんですよ。
で、その時にまたこれも違ったのかなぁみたいな感じでね、行ったり来たりいろんなところに入ってみたり出てみたりっていうのを繰り返してました。
ただ、今思うと、私はその自分の外側の鎧みたいなものをガチガチに固めようとしていて、自分の中に全くフォーカスしてなかったんですよね。
フォーカスしていたとしても、それは自分の悪い部分とか嫌いな部分とか直したい部分だけを本当に見てました。
そしてそれを変えないといけないっていうのを思ってたんですよね。
でも、私は私で変わらなくって、無理やり変えるっていうのは本当に難しくて苦しいことなんですよね。
って思うと、今までは継続することとか積み上げることが良しとされてきた社会だったから、そこに自分を合わせていかないといけないと思っていたけれども、別に社会に自分を合わせる必要ないんちゃうん?って思ったんですよ。
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で、社会ってどんどん変わっていくし、特に今とかはね本当に社会がガラッと変わっていく瞬間であったりもするので、
なんか自分の悪いところにフォーカスしてそこを直すためにエネルギーを使うよりも、自分のその良いところとか良い面っていうところを見てそこをうまく使えるようになりたいなっていうのを思ったんですよね。
これはね多分私自分自身をひたすら見ていてもわからなかったことで、子供たちを見て気づいたのが本当にね衝撃というか、
子供を通して自分を見つめるっていうのはこういうことなんだなっていうのをね感じた瞬間でもありました。
我が子を見ていると、自分と似てるところも似てないところもありますし、もともとは本当に別の人格なので自分と重ね合わせすぎるのも良くないとは思うんですけど、
ただやっぱりあの遺伝子としては同じ血が流れているのでね、だから子供を見て観察することでちょっと自分自身を客観的に見るような感覚になれるなぁとも思ったんですよね。
これは息子の幼稚園の先生に言われたことなんですけど、息子はね結構こう与えれば与えるほど吸収しやすくて、しかもそれがすんなりできてしまうから、そういう子はお母さんたちが結構あれもやらせよこれもやらせよっていう風に与えすぎてしまう傾向があるっていう風に言われたんですよ。
なぜならできるから、できてしまうから、どんどん与えてこれもしたらこれもしたらっていう風に与えちゃうんだけれども、そうすると本人がすごく疲れるし疲れているということにも気づかない可能性があるから、たくさんのものを与えすぎたりとか見せすぎたりとか詰め込むのはちょっと気をつけてくださいねっていうのを言われたんですよね。
それにもこう、なるほどなぁと思って、それ私も一緒やわって思ったんですよ。
どんどんどんどん詰め込んでいる時ってその時はアドレナリンが出て、もっと知りたい、もっとしたいってなるんですけど、ちょっと時間が経つとすごく頭がものすごく疲れていたりとか体が疲れたりとかねするので、そういう風にやっぱり客観的に自分のことを見たり、
第三者に自分のことを見てもらって助言してもらうっていうのはすごく大切なことだなっていうのを感じました。
今日のテーマは起用貧乏に苦しんでいたというテーマでお話をしました。最後まで聞いていただきましてありがとうございます。
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では今日も素敵な一日になることを願っております。