私も、なんだろう、私は人のお話を聞きに行くのが仕事なんだけれども、
例えば病室でその方がベッドに寝ていらしてね、その病室に入らせていただくんだけども、大さんと同じことやってる。
要は、その部屋の前で泊まって、今そのお部屋の中がどういう波動なのかっていうのと、自分を合わせる時間を持ってる。
だからその波動と会うと、そこにドアを開けて、こんにちはって入って行っても波が立たないじゃん。
自分の持ってるもので、いきなりジャバジャバって入って行っちゃうと、うわーって波が立っちゃうじゃん。
そうすると、お話ができないの。
だからどんな波動の、またどんな温度の、どんな空気感のお部屋なんだろうっていうのを、ドアの前で自分を合わせるね、やっぱり。
なるべく波を立てないように、すっとその中に入っていくっていうのを心がけてるかな。
だから大さんがちょっと離れたところで、そのグループの波動を読んでっていうところは、ものすごくわかる。その感覚。
多分それしてるから、してるとお客さん側からしてもさ、なんでいきなり入ってきてっていうのがないはずなんだよ。
スーッと入ってきてくれるから。だから結果的には受け入れてもらえるだろうからね。
そうですね。
目的は暗殺じゃないけど、結局成功率が上がると思う。
そうですね。もちろん100%ではないけど、自分の中でね、やっぱり何も考えずにただただ機械的に声をかけるよりは、
そうだね。
なんかその方が僕はいいなっていう。
つまりそれは、その時大さんはもう自分主体じゃなくて、相手主体で動いてるんだよ。
自分主体だと自分の波動で自分のタイミングで、自分のやりたいようにこんにちはってやっちゃうじゃん。
相手のこと全く考えてないから、受け入れてくれる率っていうのはすごく下がるよね。
でも自分を捨てて、相手の主体で、相手の方々が今どんなリズムなのか、どんな感覚なのかを主体で言ってるから、もう画を消してるわけだよね。
そうすると成功率高いよね。
そうですね。
確かに難しいのは、パフォーマンスってやっぱり自分をアピールしていったりとか、キャラクターが売り物になってるとか、芸が売り物になってるっていう、自分が自分がっていうところもどうしてもあるんですよ。
そこがいつもね、難しいって言っちゃうと良くないんだけど、何でもかんでも難しいって言っちゃうと良くないんだけど、バランスを考えなきゃいけないとこだなって思っていて。
この間たまたま、僕は結婚式の司会の仕事とかもするわけですけど、司会の事務所の方と仲良くなって、そこの事務所にお世話になるっていうことになったんですね。
契約して何か仕事があったら現場に行くっていうことになったんですけど、その事務所の方が、僕マジシャンでもあるから、マジックを見てもらったりした時もあったんですけど、
なんか珍しいタイプですよねって言われましたね。なんかもっと私が私がって、マジシャンがというよりパフォーマーとか芸人さんとかっていうのは、自分をもっとバンバン押し出していくっていうのが普通なんだけど、
あんまりそういう圧を感じないって言われて、それはどうなんだろう、いいんだか悪いんだかって思っちゃうことは正直あるんですよね。
ただ宮井さんが今言ってくれたことがもしあるんだとしたら、それこそ適当なんですよ。
その場にいるお客さんによって変わっていくというか、あまり決め打ちで押し付けないというところ、何かそこは感じてるのかな。
それはそれで、芸風じゃないけど第三らしさなんだと思うよ。
俺が俺が、私が私がっていう人、パフォーマーに多いって言ってたけど、そういう人って一時受けはすると思うんだよ。
でも受けその人を受け入れるときに、これ見てよとか入ってくる人って一時はみんな見るよ。
でもその見るときに、受け手側からすると受け手側である自分のどっかを我慢してるんだよね。
自分を返帳させないとその人に合わせられないわけじゃん。
だからそれは一時はいいけど、ずっとですかって言うとずっとじゃないかも。
やっぱりね、そこは僕もまだまだできてないところなんですけど、パフォーマー側のエゴなんですよね。
要は自分を見てほしいとか、もしくは何て言ったらいいのかな。
場合によっては褒めてほしい、称賛してほしいみたいなところが出ちゃうんだけど、目的はそこじゃないだろうと究極言えば。
例えば用意しておいた演目であるとか、マジックとかあったとして、それが予定通りできることが目的になっちゃう。
エゴを通さざるを得ないんだけど、いいから見て、いいから僕の言う通りに進行させてくれと。
僕の好きなタイミングで拍手をしてほしいみたいな。
じゃなくて究極言ったら目的って何だろうって言ったときに、その場が楽しくなることじゃないですか。
それだったら究極言したら、その予定した芸をやらなくたっていいぐらいのつもりで最近はいますので、
大体の場合やるんだけど、でも行ったときにその場で、その場のムードとかその場にいる方々の作ってきた空気感で、
ただ喋って時間が過ごすこともあってもいいと思ってますね。
確かに。
それはもう本当に、その柔軟さというか、臨機応変なんていうことも言うけれども、
相手主体にできるっていうところがやっぱり究極なんじゃないかなっていう気がするけど。
みよゆうさんは人に話を聞きに行く仕事をされているときは基本そうですよね。
相手が何が出てくるかっていうのがあって。
こちら側から何かをしようっていうのは全くないから。
だからある意味気楽っちゃ気楽よね。
そこにいることがまずは。
第一の仕事っちゃあれだけども。
スピリチュアルケアのお仕事、話で言うとそういうふうにいろんな境遇の方がいらっしゃると思うんですけど、
中にはもっとアクションを求めてくる人とか。
そうそう、いろいろ。
こう思うんですけど、何かアドバイスくださいとか。
あるある。
ありますよね。
あるある。
だから呼んでるんですみたいな。
そうなのよ。現代人ってって言っちゃうとまた語弊があるけど、
私たちってずっとちっちゃい頃から答えのあることを習ってきたって言われてるじゃない。
答えのないことは習ってないのよ。なぜかっていうと教えられないから。
○×つけてお点をつけなきゃいけないわけだから、点数つけなきゃいけないから。
教える側からすると明確に答えがあることを教えやすいわけ。
私たちは明確に答えがあることを教わってきたから、答えあるだろうと思っちゃってるわけ。
その考えがスライドすると、どうしたらいいですか教えてください、答えをくださいっていう話に当然なってくる。
だからお話の中でも多いよ、それは。どうしたらいいか教えてっていうの。
でもその時にどうしたらいいか教えるのがスピリチュアルケアじゃないから、本当は言いたくないわけ。
だって、所詮私がこうだと思うようなのは私の考えになっちゃうからさ。
だからのらりくらりとはぐらかすじゃん。
うーんとか言ってんの。でもそうすると怒っちゃう人もいるわけ。
へー、そうなんだ。
だってでも逆の立場だったら怒るよね。どうしたらいいか教えて、どうしたらいいか教えてって言ってんのに全然教えたくなくて、うーんとかさ。
で、あなたはどう考えてるのとかさ、聞かれたら、いやそうじゃなくてって。
こたちを教えろって言ったら、なるでしょ、いらつくじゃん。
その人たちってやっぱり今苦しさを感じてるから、余計余裕がないわけ。
うん。だからそういう時は、やっぱり答えは言わなきゃダメ。
うん。
スピリチュアルケアでも。で、ただ答えを言ったって答えを知ってるわけじゃないんだから、
うん。
だからその時に、こそくな手段だけど、私はね、世の中的にそうだよっていうんじゃなくて、私はこう思います。
うん。
だからね、私個人の考え方になっちゃうよって言うけども、そのいわゆるその方が求めているようなことを出さなきゃいけないし、
うん。
でもそれは出した時って、私はボールを投げたわけじゃない。
そしたら絶対キャッチボールだから、相手から今度投げ返してもらわなきゃダメなのよ。
うん。
だから私はこう思います。で、終わっちゃうと、相手からボールが返ってこない可能性があるから、
だから私は拷問ですけれども、あなたはどうですか?っていう風にもう一回ボールをもらうキャッチミットを見せなきゃいけない。
うん。
でもそういう風なのが必要な時もあるけど、やっぱり答えを求められる、答えを求めているっていう気持ちに答えないといけないね。
なるほどね。
うんうんうん。
多分、今の話聞いてて思ったのは、そうやって病友さんが私はこう思いますよって仮に言ったとしても、その人も、あ、じゃあそれがもう絶対的に唯一の正解だってきっと思ってないと思うんですよ。
うんうんうん。
それでいいと思っていて、あ、そういう視点もあるのね、そういう違う角度があるのねって思えた瞬間に、その人の発想ってもうちょっと三次元的に広がっていくじゃないですか。
うんうんうん。
だから逆にやっちゃいけないのは、やっちゃいけないってこともないけど、その人たちがどうしたらいいと思いますか、私はこう思うんですけどって言ったら、いや、もう全部あなたが言う通りだと思います。以上ってやっちゃうと、もしかするとその人の考えが広がらなかったり。
そう言ってくる人って、私はこう思うんですけどどう思います?って言われた時に、違う角度を言ってほしいっていう願望がもしかするとあるのかもしれない。
そうだね。
うん。
そうだからね。
そうそう。
だから試作の旅に出るための第一歩を与えてるというか。
うんうんうん。
そりゃあそうですよね。イエス・オア・ノーつってスカーンとノーですとかイエスですって書いてきたらこんなかわかりやすい世界はないんですけど。
そうだよね。
うん。
そこはだから、私はこう思うってアイメッセージにするっていうのは一ついい方法なんでしょうね。
そうなの。でもだからといって、じゃあいつでもそれをやるかっていうとそうじゃなくて、その人が十分に力があって、ご自身の中で大さんの言うところの試作の旅に出ようとしてる時の問いかけってこともあるわけよ。
その時には私はこう思ってるっていうのはもう邪魔でしかない。
うーん。
邪魔でしかないよ。だからどういう状況で今のこの問いかけを言っているんだろうかというのを見極める、感じる必要があると思うんだよね。
私たち、話を聞く側のレパートリーっていうかな、としていくつもいくつもパターンを持ってて、それこそどのパターンが今のこの方に合ってるのか適当なのかよ、それこそ。
うん。
適当なのかというのを見極めて出せるかどうかなんだと思う。
うん。
だから一個しか自分に手札がなくてさ、毎回毎回私はこう思うんだけどあなたはどうですかっていうのを、毎回誰にでもそのカードを切ってるんだったら、それはもうあかんわけよ。
うん。
だからいかに自分の、だから大さんになってそうでしょ?
そうそうそうそう。
マジックさ、一個しか持ってなくてさ、どの場所に行ってもそのマジックやってたんだったらさ、もうダメじゃない。
そうですね。実はね、一緒なんです、僕は。やってる内容は。
内容は?
内容は一緒なんだけども。
内容は一緒なんだけども持ってる?
持ってます。持ってますけど、基本的にほとんど9割方同じことをやっていて、リピーターの方とか、あとまあ気分が乗ったら変わったことをやることもあるんですけど、同じマジックをやってるんだけど、違うんですよ、毎回。
何を変えてる?
間とか。
なるほど。
セリフとか、あとお客さんが、やっぱそれこそエネルギーの流れとしか言いようがないんですけど、エネルギーの流れをデザインしようって意識はあって。
具体的に言うと、例えばトランプが、お客さんが名前を書いてくれたトランプがあって、それをトランプ一組の中に戻しても何回指鳴らしても毎回上に戻ってくるっていうマジックがあるんですけど、
それをやるときに、例えば親子連れとか家族連れをやるときには、やっぱお子さんにフォーカスして、お子さんがちゃんと理解できてるかっていうところに重きを置いて丁寧にやることもあれば、若者がわーって豪光みたいに盛り上がってるテーブルでは、そのエネルギーの中での表現になるっていうか、
上がってくることでわっしょいってなるように思っていくとか、
はたまた老夫婦のお二人が飲んでゆっくりご飯食べてるときには、そういう贅沢な時間を過ごしているってことを楽しみましょうよっていう枠組み自体が変わってくるというか、やってることは物理的にそんな変わってないんですよ。
逆にそこを楽しんでるところは僕はあるかもしれないですね。
そっか、そういう意味では本当に一緒だね。
いろんな引き出し、第3の引き出しの中にいろんな今言ったようなパターンがあって、パターンっていうかさ、それをどれを今出していこうかというのを相手様のご状況に合わせて、自分の状況じゃなくてね。
やってるってことね。