第352回)26/7/28の散歩録
2026-07-29 10:03

第352回)26/7/28の散歩録

毎日、配信予定。前日収録。

散歩をしながらのひとりごと、
ただの雑談でございます。

メンタルブロック、
心理的盲点ー「スコトマ」外しに、ご活用ください。

#声日記 #メンタルコーチング

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

今朝の散歩は霧に包まれ、涼しい田舎の様子から始まる。都会と田舎の生活を比較し、どちらが良いというよりは個人の価値観とバランスの問題だと語る。日本国内でも都会と田舎では生活様式や考え方が大きく異なり、国や職業といった既存のカテゴリー分けの限界について考察し、ライフスタイルで分類することの重要性を提唱する。

朝の散歩と気候
お世話になります。 拙者の拙)こと、パフォーマンス・メンタルコーチハンゾーでございます。
今日は2026年7月の28日ですね。 時刻は5時53分ということで、今日はですね、
いつもの時間をオーバーしてしまいました。 50分ですね。
オーバーしてしまいました。 いつもの散歩コースです。 今日はね、ちょっと霧ですね。
霧冷めというより、霧ですね。完全に霧。 ちょっと視界が悪い状態でございます。
なんかね、涼しい。 涼しい。もう寒いね。 寒い感じなんで、気温はですね、だいぶ下がってんだね。
ちょっと温度計、見るの忘れちゃったんですけど。
都会と田舎の比較
ということで、昨日は東京にいたんで、ちょっとわからないですけど、
でも爽やかな、もう全く昨日いた世界とは違うところにね、いると。
そんな感じですけど、やっぱりどっちがいいかって言ったら、なんかこっちの方が落ち着きますね。
もうなんか、少し前までならあっちの方が落ち着いたかなって。
でも落ち着いたわけじゃないんだよな。しょうがないからって。 まあでもそうでもないな。
いろいろ刺激があって楽しいですよね。 でも実際ね、ただ刺激があるっていうだけで、
刺激がない方が刺激だって、まあ人間結局ね、どっちがいいとかないですよね。
もうどっちもどっちなんですよね。 自然が良ければね、そうやってたまに都会に行って、刺激をもらって、
一方で都会で暮らしている人は自然で、たまには自然に触れてみたいなね。
ただ、どっちをウェイトを上げるかっていうだけの話かな。
説は、ちょうどだから、生まれてから育ったのがこっちなので、それとは逆のところで成長して、
酒と一緒で戻ってくるみたいなね。そんな感じですかね。
日本国内の多様性
ただ、言えるのはね、やっぱりね、向こうで生まれ育った人と、こっちで生まれ育った人とはもう全く違いますよね。
考え方とか感覚が違うんで。言語がね、同じだから。
言語っていうのはNHK言葉が同じだから、教科書、学校の教科書が同じだからですけど、
正直全然生活とかが違うから、
もうなんかね、別のエリアにした方がいいんじゃないかなっていうか、思いますけどね。
もう別の国ですよね、完全にね。
国っていうのもカテゴリーがちょっと難しいよね。前昔からなのかな。
全然だって、違う生活スタイルっていうか、生活スタイルが違うよね。
食べ物だって全然違う。全然とは言わないけど、でも、
それこそ韓国と日本とか中国と日本の差ぐらいの差はありますよね、多分ね。都会で生きてて。
フランチャイズのジャンクフード、フランチャイズの食べ物屋さんを食べてれば別に一緒ですけど、
普通になんかね、生活してたら食べ物変わりますよね。
だって、物価とかが違うもんね、全然ね。
だから、スーパーで売ってるものとかも似てるけどちょっと違うよねって感じがしますけどね。
どうなんでしょうね。
カテゴリーの再考
まあ基本的にもう、だからあれですよね。
ナショナリティとか、国とか、なんかもう意味がないっていうか、もうそのカテゴリーで分けてると、
分けてるからおかしい話になっちゃうんだよね、多分ね。
いいスポーツの人と、普通の運動、普通のリアルスポーツ、リアルスポーツっていうのか分かんないけど、
リアルスポーツの人が同じスポーツ選手っていうカテゴリーにしてたら、なんか違いませんって思うんですよね。
それもなんかそういうことなんじゃないのかな。
だからもう国とかではなくて、生き方とかライフスタイルでカテゴリーしないとダメなのかな。
もう職業っていうのもね、職業の分け方が違うよね。
単に自営業っていうのとも違うし、お勤めだからといって自由業みたいなお勤めの仕方してる人もいるだろうし、
もうその辺ね、ちょっといろいろ変えなきゃ。
まあでも変える必要もないのか。もうだから、世の中が結構そういう風になってるってことだよね。
あとはそれを自覚するかどうかっていう話ですかね。
縛りからの解放
まあもうね、今更じゃないんですよね、多分ね。
昔からカテゴリーに属さない人なんていっぱいいて、世間はカテゴリーに属していることを前提にできてるから、
結局、それにいないとなんか気持ち悪いっていうだけな感じで。
国籍的なものとかもそうですよね。
たぶん、二重国籍とか持ってる人たちにしてみたら、別に日本にいるときは日本人でいいし、アメリカにいるときはアメリカ人でいいし、みたいな。
ただそれだけの話ですよね。
一方で、国籍、二重国籍はダメだって、日本がそう言ってるだけで別に他の海外では別にそれ認めてたりするところもあるわけだから、
どこに問題ないわけですよ。
ただ、日本という国はその二重国籍を認めない、まあ認めないんですよね。認めないからこそ、そういう縛りになってるけど、
別に縛られない、縛りがあっても別に縛られなければいいだけの話で、
みんなそういうことだよね。
何でもそうだけど、何かこうしなければいけない、しなければならないっていう縛りがあるけど、別にそれに縛られる必要なんか全くなくて、
あ、そうなんですねっていう、そういうことですよね、たぶんね、何でも。
ただね、色々とね、社会生活を、文化生活を営む上でそういうカテゴリーが必要になるので、
まああえてそのカテゴリーに、表向きはそのカテゴリーに合わせていけばいいのかなと、そこがポイントですかね。
別にカテゴリーが何だとかいちいち腹立てる必要がないだろうし、そこはうまくやった人がちですかね。
国というシステムの限界とまとめ
ということで、何か、同じ日本っていうね、縛りというか括りで、
ちょっと東京生活とこっちの田舎生活をですね、語るのはちょっと辛いなと。
もちろんそれは日本だけじゃないと思いますよね。アメリカとかでも、ニューヨークとサンフランシスコと、
あとはなんか、すごい、田舎のほうとですね、全く同じじゃないですよね。
でも、国というシステムを、国が無理やり作っちゃって、
まあ税金システムでしょうね。税金のシステム作っちゃったから、変な話になっちゃったけど、
まあそろそろ、そういうのもですね、考えなきゃならないのかなっていうのの一方で、
まあそういうのを別に気にしなくですね、気にしないで抜け出した人勝ちなのかなと、
思ったりもするわけでございます。
やっぱでも、こっちのほうが、説はリアリティがあるっていうのは、こっちにずっといるからだよね。
向こうにいたときは向こうが、向こうにリアリティがあったわけだからね。
ということで、まあとにかく人疲れ、人疲れする、いるだけで人疲れ、広告疲れする、
そこから抜け出して、今日は田舎に戻ってまいりました。半蔵でございました。ありがとうございました。
10:03

コメント

スクロール