心の未熟さと近視眼的な捉え方
笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いします。
人は心が未熟だとですね、つい感情や本能的になって、また反応、反射してくるんだよね。
そうしちゃうわけですよ。で、まだ近視眼的にもなるんですね。 だから出来事とか物事とか、目の前の人の態度や言葉に対してもですね、
表面的にしか受け取れないし、そのね、捉え方とか解釈も限定的なんですよね。 だからこう、結果的にですね、本人の幅、器もですね、広がらないんですよ。
精神的成熟への道筋
でね、それらはですね、そのまんまですね、今後の決定ですね、今、今、今もそうなんですけど、未来のね、決定選択になるわけですね。
だから、原子能による反射や反応を疑うこともなくてですね、 かつて身につけてしまった心の防衛規制とか、未解決の感情とか、そういう潜在意識からの反応ですね。
そのまんまですね、この自分なりの認知、これ歪んでるんですけどね、認知の歪みなんですけど、この歪みを継続するわけですね。
で、これらの人たちが精神的な成熟、成熟ね、自立ですね、本当の自立に向かった時ですね、向かったりとか、心成長させるためにはですね、まあ衝撃ですね、まずですね、自分が不幸な理由は自分にあったとかっていうね、衝撃、あとはもう不都合な真実とかね、信じ切ってた世界がね、大嘘だったとかね、こういうやつですね、こういう衝撃、それからあとは自分の位置、立ち位置を知るということですね。
あ、こんなに大バカ者だったんだ、みたいなそういうやつですね。で、一応、本当の、あとは本当の自信をね、ちゃんとつける、自信をつけるというよりはですね、これ段階ですよ、段階なんですけど、段階としては最初は目標を持ったり夢を持ったりしてそれに向かって、それを叶えるために頑張るのがいいんですよね。
そうするとですね、まあ一応自信みたいなものはついてきますからね。で、でもその後、それを全部外すっていうですね、こういう作業がありますけども、でも一番最初だから何かというと心の檻ですね。だから洞窟の中から出る必要性があるなというふうにも思うんですよ。でもですね、疑問もあるんだよね。この心の檻っていうのは価値観とか思い込みとか自分の信念とか、これ疑問を持って取り払うと。
心の成長と心の檻の関係性
これが先なのか、心の檻から出るのが先なのか、洞窟から出るのが先なのか、それともですね、心が少し成長するからこそ、その檻っていうのはですね、少し外れていくのか緩むのか。だから思い込みはまだ続くけどさ、視野視点が広がったりとか、許しが少し増えた分だけ少なくとも、今までよりも狭くて苦しい価値観ではなくなっていくと。
これどっちが先なのかなということなんですけどね。これね、実はですね、鶏と卵のような関係なんですね。どちらも正しく、どちらも間違ってない相互作用、同時進行型だと、最近の心理学ではですね、これ証明されてるんですよ。現実のほとんどのケースで見られるパターンっていうのはですね、小さい行動とか経験の変化ですね。これやると視野が少しだけ広がるわけですね。
だからこの檻の鉄格子が一本外れるとか、少し緩むとか、その結果少しだけ違う、今までと違う感情とか解釈が生まれるわけですね。これ、心がほんの少し成長したということですね。
で、成長した分だけ、自分のこれまでの思い込みとか信念だとか、そういったものに疑問を持つ余裕が生まれてくるということですね。で、お次が信念にちゃんと疑問を持ち始めると、自分が信じ込んでたものに疑問を持ち始めると、そうすると、この心の檻の扉が今度開いてくるんですね。
で、すると、さらに新しい行動とか経験だとか価値観だとかって、また視野が広がってきて、このループですね、という感じですね。つまりね、心の成長もですね、この洞窟、檻からの脱出もですね、どちらかが完全に先立つと、こういうことよりもですね、小さい成功体系をちまちまちまちま積み重ねながら、少しずつ少しずつ押し広げ合う形でですね、進むのが、これ圧倒的に多いんですね。
小さな積み重ねによる成長
多いと、こういうふうに言われてるわけですね。だから、ほんのちょっと認め難いものを認めていくだとか、全然違うな、あの人の考え方みたいなので済まさないとか、こういったことをですね、少しずつ少しずつやっていくことが結果としてですね、自分に許しを与えて自分が楽になっていってっていうようなところに繋がってくると、本日はそういうお話でございましたということで、
今日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。また明日お会いしましょう。それでは、バイバイ。