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はい、こんにちは。四柱推命ライフコーチの最強のパートナーはなです。
今日はゲストの方をお呼びしまして、私のプロフィールのインタビューをしていただけることになりましたので、ちょっとご紹介したいと思います。
山口さん、自己紹介お願いいたします。
はい、こんにちは。優しいトレーナー育成コーチ山口哲也です。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
この前、きなこさんと3人で新年会で盛り上がらせて、我々ですごい楽しかったなって話をしていて、それとは別件でコラボしましょうということで、
今日収録の話をさせていただいてたんですけど、
山口さんの方がね、私の公式LINEからプロフィールに飛べるようになってるんですけど、
その中にある花年表っていう、これまでの人生をずらずらずらってノーションに書いてるやつがあるんですけど、
それをぜひ深掘りして聞いてみたいっていう、むちゃくちゃ嬉しいご提案をしていただきまして。
これはちょっと個人的にもね、その人の人生を聞くのがなんか趣味というか、
はいはいはい。
絶対欲求があるっていうのがあるんで。
うんうんうんうん。
そのね、僕の欲求を満たす意味でも。
いやー、むちゃくちゃ嬉しいですよ。
はい、なのでね、今日はその年表を見ながら、このお話をインタビューしてもらう側としてお話できたらと思います。
なかなかないパターンですよね。
いや、初めてかもですね。
ほんとこの年表自体作ったのが、多分去年ぐらいなんですよ。
あ、はいはい。
去年の中頃ぐらいに、公式LINEのメニューを新しくして、
その時に今まであちこちに書いてたプロフィールを全部人生年表としてまとめようと思って、
幼少期からずっとずらずらずらっと書かせてもらってたんですけど、
まさかそこに目をつけてくださると。
いやー、まずこの花さんと対談するにあたって、よりちょっと花さんのことを知りたいなと思って、
ノートの記事とか見てたんですよね。
はいはいはい。
で、その中で一番花さんのことを書いてる自己紹介みたいなものをたどっていくとここに生きていて、
はいはいはい。
で、見てて、
いやー嬉しい。
いや、めちゃくちゃなんか面白い人生。
まあ、実感的に見ると。
03:00
うんうんうん。
これをね、体験してきてる側からしたら、いろいろ大変なことがたくさんあったと思うんですけど、
いやいやいや。
これはちょっと聞きたいなと思って。
うんうんうんうん。
そんな感じで提案させてもらったんですけど。
わー、ありがたいですね。
えー、そうですね。えっと、じゃあ、
まずはこのラジオを初めて聞くよっていう方とか、
あとはこれまでの私のプロフィールとか見たことないよっていう方に向けて、
ちょっと1分ぐらいでどんな感じの人生だったかを喋ってみようと思うんですけど、
はいはいはいはい。
えっと、1985年に生まれまして、
まあ、小学校ぐらいから占いには興味を持っていて、
高校生ぐらいの時にちょっと人生最大の低迷期みたいなのがあって、
その時にスピリチュアルとか森塩とか風水とか、
そういうところにどっぷりはまった時期があって、
その後18歳ぐらいの時に今の旦那さんとなる人と出会って、
そこからの22年目の付き合いになるんですけど、
その時にスピリチュアルの世界から割と、
旦那さんが現実志向なので現実に戻してもらったというか、
っていう時期もありつつ、
専門学校を出てホテルマンとかジムの仕事とかをしながら、
25歳で結婚して、その後子供が生まれるタイミングで旦那さんと脱サラして、
奄美諸島の離島に移住をして農家をしたんですよね。
農業をして子供2人産んで、四国の方に戻ってきて、
そこから営業の仕事をしたりしながらも体調を崩して、
自分には合わないなというあたりで、
30歳ぐらいの時にHSPとか他人塾とかADHDっていうのを知るようになって、
そこから2019年からネット企業を始め、
ライター、ブロガー、デザイナー、イラストレーターとか動画編集とか、
いろいろ経って、ライフゴーツとか今市町水名鑑定士っていう感じに、
ざっと言うとこんな感じで。
これはすごくプロフィールの方には細かく書かせていただいているので、
それをヤサトレさんが気になったところを、
ぜひ深掘りしてもらえたらなという感じがありますね。
個人的だね。興味関心のままに。
このパラレルワーカーに至った流れっていうのを見ると、
なんとなく見えてきますよね。
確かに確かに。
ブロガー時代ぐらいから。
06:02
はなさんの興味関心のままにやって、
それを仕事にしていくみたいな。
っていうのがそれにつながっていったんだなみたいな。
確かに確かに。
普通の会社で普通の仕事をすると体調を崩すっていうのを何回か繰り返して。
その結果、好きなことを好きなタイミングでやらないと体がもたないんだな、
みたいに思ったのがありますね。
だからこの辺のネット企業開始からの、
やってることのこの多様性。
はいはいはい。
なんかすごいっすよね。
確かに確かに。
なんとか時代なんとか時代だよ。
2019年から。
大阪。
そうなんです。
そうなんですよ。
ブロガー時代ライター時代っていう、
デザイナー時代とか。
うんうんうん。
でもやっぱこれがあるからいろんなことができるようになってるっていうところですよね。
うんうんうん。確かに確かに。
なんか本当ネットとかパソコンで何かをするっていう作業は、
結構好きでハマった部分があって、
なのでその延長みたいな感じでこの枝分かれみたいな感じで
ブロガーとかライターとか動画編集とか、
そういうところに広がっていったのかなという気がします。
うんうんうん。
ですね、なんかその辺が目に留まったけど、
結構最初の方から行きたいなと思うんですけど、
はいはいはい。
さっきね、始まる前の雑談でもちょっとお話したんですけど、
うんうん、はいはいはい。
小学生の頃、
両親が家に友働きであんまりいなくて、
お姉さんに育てられたって書いてるんですけど、
そうですね。
どういう状態ですかね、お姉さんに育てられて。
4つ上って書いてるから、
そんなに大きいわけでもないですよね、お姉さんも多分。
確かに。4歳上ではあるんですけど、
朝は両親がいてたんですけど、
多分10時くらいから夜の10時くらいまで働いてる両親だったんですよね。
はいはいはい。
で、飲食店してたので土日も働いてて、
月曜日だけ休みでみたいな感じだったので、
はいはいはい。
なので、小学校、私が1年生の時とかに、
小学校4年生だったお姉ちゃんがご飯を作ってくれたりとか、
お風呂とかは一緒に入ってたりとか、
はいはいはいはい。
で、多分寝る直前くらいには帰ってきてたのかな。
ちょっとあんまり、そこの記憶は薄いんですけど、
でも、ずっとお姉ちゃんにご飯を用意してもらっていて、
09:03
はいはい。
っていう感じがあったので、
大人だったらまだ余裕があると思うんですけど、
やっぱり小学校4年生、5年生って、
思春期の状態の中、自分の妹を見るっていう状態だったので、
余裕はそんなになかったんだろうなとか、
しっかりしなきゃとか、
そういう気持ちが強いお姉ちゃんだったんだろうなっていう気はしますね。
はいはいはいはい。
今の時代絶対アウトだと思うような教育環境って書いてるんですけど、
はいはいはいはい。
今、話せる範囲で振り返った時に、
どういうエピソードがあるんですか、この当時の。
そうですね。今の言葉で言うと、
独養屋とか言うじゃないですか。
はいはい。
あそこに近い感じのジャンルではあったかなと思います。
それがお姉ちゃんだったっていう感じで。
はいはいはいはい。
なので、お父さんお母さんは仕事で忙しかったから、
その現場を見ていないというか、
っていう感じだったので、
今の時代ではちょっとないだろうなっていう感じの、
環境ではあったかなっていう気がするんですけど、
でも、たぶん、楽観主義だったと思うんですよね、私自身が。
楽観主義だったし、適応能力が高かったと思うんですよね、その当時から。
なので、そんなもんだと思って全部受け入れてたところがあって、
反発心とかがなかった感じですね。
大人になって改めて、
あの環境は結構やばかったんだなっていうのを、
自分の中でも消化し終わった時に改めて知ったみたいな感じでしたね。
その当時は別に苦しいとか大変とかそういうのはなかった?
全然なくて、そんなもんだと思ってました。
それがあった日もあり、みんなも一緒だと思っててっていう感じだったので。
たぶんよっぽど、結構内静する方なんですけど、
周りと自分を比べてというより、
自分の目に見える範囲のことだけで内静するみたいなことを、
たぶんその当時からしてたから、
他の家がどうとかっていうのにあんまり興味がなかったんだろうなという気がしますね。
ある意味受け入れながら、そんなもんだと思いながら生きてたので、
乗り越えるこんなにも、それが普通だったっていう状態です。
そう考えると、一般的な子供っていうイメージとちょっと違った目線で見えてたのかもしれないですね。
確かに確かに。本当に今その瞬間だけを生きてたって感じかもしれないですね。
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そう考えたら、よく仏教とかで、今を生きるとか、今この瞬間に意識してるみたいな。
それがもうナチュラルにできてたみたいな感じなんですかね。
確かに確かに。そうかもしれない。
あの時代の時に、もし視野が広かったりとか、
他の人の一般的な普通みたいなのを理解してたとしたら、
だいぶ苦しかったと思うんですけど、
ある意味それを理解してなかったので、
無意識に乗り越えられてたみたいな感じかもしれないですね。
なるほどっすね。
面白いな。改めて自分でも整理ができるので面白い。
面白いし、結構、知らなかったって言ったらそれまでだけど、
たっかんしてる子供ですよね。だから。
たしかに。たっかんしてるのかな。たっかんの魔力な気がするな。
そうか。何も分かってない。
何も分かってなかったからこそ、
あの、あれですよね。
象さんかなんかで、象だったっけ犬だったっけ忘れたんですけど、
鎖で幼少期からつながれてたら、
大人になったら鎖外せるのに外さない象の話あるじゃないですか。
なんかそれに近いというか、
もうそんなもんだって受け入れてたみたいなところがある気がしますね。
なるほどっすね。
で、そっからね、小学校で一人で過ごす時間も長かったということで、
結構占いにね、興味関心が向いてったっていうところで、
9歳の頃って書いてるんで、
実際その占いを仕事に使ってるわけじゃないですか。
はいはいはい。
これなんていうかもう、実錐の占い師っていうか。
そうです。
たっかんしてる。
30年以上ずっと占いの、なんだろう、
知識というか占いの考え方みたいなのも、
結構浸透してしまってる部分もある気がしますね。
はいはいはいはい。
だからなんかその、最近多分市中睡眠、また再開して、
深められてるじゃないですか。
うんうんうんうん。
でもその間も、子供の時にそういう自分が読んでたものとかが、
ベースとしてあって生きてきてたというか。
はいはいはい。そうですね。
そこに関して、占いってハマりすぎてると、
自分の意思がなくて占いで何もかも左右されてしまうような人って思われるのが嫌だった時期があって。
はいはいはいはい。
15:00
なのでその、占いにハマりすぎてはいけないんだって思ってる自分がいたんですよね。
何十年かって。
それを再建になって全部解き放ったというか、
はいはいはい。
無意識に信じてしまうし、無意識にこっちだとか思うし、
しかもそこの自分の観点に対しても、間違ってるんじゃないかっていう不安って1ミリもなくて。
うんうんうん。
なんかその辺りっていうのは、もうそれをする側の人なんだなって再建受け入れるようになったんですけど。
へー。
それまではずっとそれに抵抗を感じてたというか、
現実社会できていくためには占いにばっかり頼ってたらダメだみたいな感じで抑えてたに近いかなって。
あーなるほど。
ずーっとその9歳くらいからずーっとあったものをずーっと抑えてた感じのが、
最近、いいんだって出しちゃっていいんだっていうので動かし始めたっていう感じがあります。
へー。
結構じゃあそのブロックみたいなものがなくなったみたいな感じ。
あーそうですね。
へー。
なんか占いを信じすぎちゃってる自分だったら、人と繋がれないんじゃないだろうかみたいなブロックがあった気がしますね。
あの人は変なやつだとか、あの人は占いにハマってるやつだみたいな感じに思われて人と繋がれないのが悲しいから、
いや全然そんなことないよみたいな感じで過ごしてたんだろうなーって。
そっかー。もうこれね、聞いていただいてる方は多分みんな知ってると思いますけど、
多分その後のこの支柱睡眠コーチとしてのこの、なんていうの?飛躍?
はいはいはいはい。
クッションも殺到して。
うんうんうん。
やっぱ大きいですよね、そのブロックがなくなったって。
いやーほんと、いやほんとそうですね。
うんうんうん。
占いを信じきって言っても、それを必要としてくれる人がいるんだっていうことへの喜びが大きい気がしますね。
うんうんうんうん。
あのヤサトレさんもそうですけど、その支柱睡眠鑑定させていただいて、
ヤサトレさんこういう星持ってますよーとか、そういう話をした時に、
ヤサトレさんの悩みを占いを通じて解決できるっていうのは、私にとってはむちゃくちゃ喜びであって、
そこで誰かと繋がれていくっていうのは、繋がれるっていうのが、
多分この9歳ぐらいの私からずっと願ってたことだろうなって。
あー。
そう考えたら本当に幼少時代の花さん、小さい花さんの夢が叶ってる状態なんですね。
うん、確かに確かに。
本当ね、その時ではやっぱりネットの世界もないし、しかも田舎の小学校とかだったので、
クラスは2,30人いる感じの3クラスとかではあったんですけど、
やっぱりその中から同じ価値観の人と出会うのってすごい難しい時代ではあったので、
そうと出会えなかった人たちにネットを通じて、
18:03
でもヤサトレさんなんて北海道だからリアルで出会うほうが難しい人なのに、
こうやって出会えてるっていうのは、むちゃくちゃいい時代になったなと思いますね。
いやー本当にね、占いの話してるとき、集水明の話してるときとかの、
花さんの生き生き加減っていうか、
目の色が変わるっていうかも。
それ誰かにも言われたな。
なんか別人のようにも。
みたいですね、占いの話すると人が変わるって言っていただいて。
僕は集水明コーチング受けたので、初めて花さんと直接お話したんで、
基本的にはそれが花さんだと思って入ってるじゃないですか。
はいはいはい、確かに。
でも結構いろんな発信してるスタンドFMとか、
ノートとか見ていったり聞いていったりすると、
また違いますよね、占いモードじゃないときの花さん。
はいはいはい、確かに。
多分その時その時でいろいろ悩んだりとか、考える部分があったりとか、
その占いスイッチ入ってないときの花さんのほうが、
何ですかね、より人間くさいというか。
はいはいはいはいはい。
そういうのを感じて、その辺のギャップ、
そこも花さんの魅力なんだろうなっていう。
わー、めちゃくちゃ嬉しいですね。
占いスイッチ入ってるとき、マジでなんかもう、
ガンガン答えを覚えてくれるみたいな。
はいはいはい、確かに。
むっちゃ早口になるイメージあります。
そうですかね。
この前のヤサトレさんとケナコさんと、
3人の新年会のスタイルを改めて聞いたときに、
はいはい。
いや、むっちゃ早口になってると思って。
そもそも観点モードに入ったんでしょうね。
そうっすね。
やっぱその時の花さんが、すごいやっぱ表情もいい表情してるし。
うん。
嬉しいな。
自分の持ってる特性みたいなのを活かせてる時間なんですよ。
嬉しいですね。
それもやっぱこの小学校の。
ヤサトレさん、前の新年会のときも思ったんですけど、
やっぱり考察したものを言語化して伝える能力は、
すごい高いなって思いますね。
相手を褒めるにあたって、むっちゃ具体的に褒めてくれるので、
21:00
すごい気持ちがいい。
分析されるのが。
結構あれかもしれないですね。
パーソナルトレーナーやってるから、
クライアントさんの変化、体の変化とか、
ちっちゃい変化を伝えるっていうことを大切にしてる部分あって、
それって結構具体的じゃないと、
なんとなく良くなりましたねとか言っても伝わんないから。
確かに。
そういう癖なのかもしれないですね。
めちゃくちゃ嬉しいと思いますよ、そのクライアントさんも。
それでね、またモチベーション上がったりしてくれたらいいなっていう感じで伝えますね。
やっぱでも、小学校時代に占いのルーツがあるっていう感じだった。
そうですね。
でも占いの本はね、お姉ちゃんが持ってた本なんですよね。
そうなんですね。
お姉ちゃんの机の本棚にあった本を、
その当時ってゲームとかもないですし、
お友達で遊ぶことはあったんですけど、
一人で過ごす時間が多い時に、
お姉ちゃんの本を勝手にこっそり読んで、
読んだことがバレないように元に戻すみたいなことをしてて。
その時に読んだ本が、今でもやっぱりそのページのイメージとか、
タイトルまで覚えてないんですけど、
結構覚えてますね、印象に残ってるというか。
同じ本を何回も何回も読んでた感じでした。
それを実際ね、友達関係で悩んだ時に使ったりとか。
そうそう。
そうなんですよ。
その当時ってプロフィール帳って、
さとれさんの時にもありました。
なんかわかるかもしれない。
クラスの方にルーズリフみたいな感じの、
名前とか趣味とか書くやつがあって、
それクラス全員に配ってみんなに書いてもらうみたいなのがあったんですけど。
なんかあった気がする。
女子やってたけど。
男子に渡すときちょっと照れがあったりとか。
それで書いてもらった青年月日を元に、
結構その、なんかこう仲良くなりたいけど仲良くなれない子とか、
愛称占いだったりとか、
誰それさんと誰それさんはどんな感じなんだろうとかっていうのを、
全部青年月日で星座占いで判断してて、
なので誕生日聞いたら、
だいたい星座は今でもわかるんですけど、
今でも小学校の時の友達を思い出したら、
この子は10月3日生まれの天民座の誰それさんみたいな感じの、
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星座と名前と青年月日がセットで思い出せますね。
よっぽど分析してたんだと思う。
本当ですね。
それぐらい花さんの中で友達関係とか、
学校での人間関係っていうのはかなり大きかったんですね、
ウエイトとして。
そうかもですね。
それだけ分析してたってことは、
多分それほど繋がりたかったというか、
仲良くなりたかったとか。
基本的に一人はあんまり好きじゃなかったので、
その当時から。
なので友達との関係性をうまくするために、
コミュニケーションをとって仲良くなるっていう方法が、
多分そんなに上手じゃなかったと思うんですよ、
家庭環境的に。
なので人と喋ることに慣れてないという感じがあったので、
それを分析して、
仲良い子のところに近づいていくみたいな、
相性が良い子のところに近づいていくみたいなことをしてました。
やっぱり占いで相性が良いなっていうことは、
自然とうまくいくんですか?
うまくはいくんですけど、
でも今思えば、
その当時私が見てたのって、
星座占いでも十二星座の占いだけだったんですよね。
今ホロスコープってさらに進化してて、
普通の星座だったら、
ヤサトルさんはオヒツジ?違う、オオシザ?
双子座ですね。
あ、双子座になるんですね。
じゃあヤサトルさんが、
星座としては双子座だけれど、
でも月星座は別の星座だよね。
金星座とか土星座とかみたいな感じで、
いろんな種類の星座があるんですよね。
なのでその辺の知識までを入れたとすると、
単純に双子座だから相性が良いとか、
そういう感じでの判断だけでは、
情報量が薄かったかなって今は思いますね。
なるほど、今のプロの占い師としての立場から考えると。
その当時は私水亀なので、
双子座とは相性が良いんですよ。
ただオオシザとかサソリ座とかだと、
その星座だけ見るとそんなに相性が良くなくて、
でも中学生の時の彼氏はサソリ座だったりしたので、
なのでその辺だけで見ると、
本当に甘い感じで分析して、
その星座だけ見ると、
この子のことすごい好きだけど、
でも相性は悪いしなって勝手に落ち込んだり、
みたいなことをしてたんですけど。
今思うとそれはそんなにあってなかった、
官邸師としてはあってなかった感じだと思いますね。
まだまだ甘っちょろい官邸だったと思いますね。
27:02
さすがにね、そこでビシビシなんかそれで、
めちゃくちゃいい人間格で作り上げてても、
ちょっと怖いですけどね。
初学校時代から仲良くて、
未だに会うような女友達とかは、
やっぱりその相性の良い友達、
星座的にも相性の良い友達だなっていうのがあったりするので。
そっかそっか。
なんかハンハンな感じは。
役立ってはいた感じだったんですね。
そうですね。その当時の私にとっては、
お守りにはなってたかなという気がします。
なるほどな。
さっき冒頭の紹介でも
お話いただいたんですけど、
高校生の時にスピリチュアルにはまってました。
はいはいはい。
もうこのはまりぐらいはひどかったですね。
えはらさんの本を読んだんですね。
そうですそうです。
えはらさんの本を学校帰り、
その時高校か専門学校かですけど、
高校3年ぐらいだったと思うんですけど、
学校帰りに
駅前の本屋さんに行って、
そこでたまたま
自己啓発系の本のところにたまたま行って、
何の本読んだか覚えてないんですけど、
えはらさんの本を読んで、
その文章を読んだ時に、
その時にすごい必要な言葉だったんですよね。
それでもその場で泣いてしまうぐらいな感じだって。
でも高校生だから
一応見て帰ったと思うんですけど、
高校にはしなかった気がする。
そこから結構
えはらさんっていう人がいるんだみたいになって、
その時えはらさんはまだテレビとかも出てない時代だったんですよ。
そうなんだ。
だからいろんな本を読むようになって、
スピリチュアルっていう言葉を知るようになって、
それの通りに、
その言葉の通りに生きてたら
そこからも、
スピリチュアルがこう言っててみたいなことを
結構言ってた時代でしたね。
へー。
これその前段で、
人生最大の低迷期。
あまり人が経験しないことを
一気に経験したって書いてるんですけど、
これは言える範囲で言ったらどういうことがあったんですか?
そうですね。
被害者が不快にならないぐらいのレベルで言うと、
警察沙汰になったぐらいの被害者になりまして、
なので、
普通の高校生では経験しなかっただろうなっていう
事件に巻き込まれたみたいなイメージで。
30:01
へー。
結構それはなんか、
気持ち、
精神的に残るぐらいのものだったってことですか?
そうですね。
今、いまだに
夜の道を一人で歩けなくて、
なので、
誰かと一緒に歩くのは全然抵抗ないんですけど、
夜道を一人で歩けないっていうトラウマは
いまだに若干残ってる部分はあります。
その辺もその後の
高校生活とかにも影響があって、
こういう時にスピリチュアルに出会ったみたいな感じですか?
そうですね。
なんで私ばっかりこんなことになるんだろうとか。
そうですね。
でも、なんで私ばっかりこんなことになるんだろう
は思ってなかった気がするな。
それも幼少期から
そんなもんだで受け入れてた気がする。
私の人生って、
ある程度、
どちらかというと中レベルではなく
低レベルだろうみたいな感じがあって。
なので、もっと運気良くなったらなとか、
生命判断とかも趣味でやってたのも、
そこにいいことが書いてたら
それを励めに生きてたみたいな感じの
低迷期をずっと生きてきた部分があったので。
なるほどですね。
私の人生はこんなもんだろうなっていう感じで
受け入れつつも、
でもそれをどん底から
上へまで引き上げてくれるみたいな感じの
イメージとしてスピリチュアルの言葉があったみたいな。
そんな気がしますね。
なるほどですね。
割と最近のラジオで
コーチング受けたことで
自分の人生ってこんなもんだよねっていうのが
取り除かれたみたいな
そういう話をしてたと思うんですけど
結構割と昔からそういうのがあったってことなんですね。
そうですね。
むしろそのコーチング受けるまでずっとそう思ってましたね。
そんなもんだろうとか
人気者にはなれないとか
人の脚光を浴びるみたいな人にはなれないとか
学生の時ってグループ分けみたいなのあるじゃないですか。
段階みたいな感じで
人気者たちがいるグループと
普通のグループとちょっと比べのグループと
みたいな感じで
33:00
そういうところでも自分は下の方だなと思ってたというか
でも上の方には興味や関心はあって憧れはあるけど
でも自分はそうはなれないだろうみたいな感じの思い込みを
ずっと30何年間持ってたみたいな
そういうとこはありますね。
結構なんか僕とかは最近の花さんから入ってるから
最初の段階からもう
市中睡眠コーチングとかと出会ってる状態の花さんしか見てないから
キラキラしてるし
地域働いてる状態なわけなんですよ。
それとなんかその
自己評価みたいな
もののギャップがあるなっていうのを
最近のいろいろ見てる中で感じて
僕とかの目線で言ったら
別に花さん
旦那さんとの関係性の中で
会社辞めるかどうかとかそういうのあったじゃないかな
僕もなんかとっくに辞めつつも別にいいんじゃないかなみたいな感じで
思ったりとか
もうなんかその昔からの流れっていうのを
知ることで
それだったらそうなるよねっていうのが
辞めつくというか
嬉しいですね
そうですね、ほんと最近は全然そんなことで悩むことが全くなくなったので
そういえば昔そうだったなっていう感じで今
インタビューを受けてる感じですね
でその後ね高校
高校の時にお寿司屋さんでアルバイトして
そこで接客とか
販売とかに興味を持ち出して
で僕の専門学校に行くみたいな
感じだと思うんですけど
ここで販売技術とかそういうのを
学校で習ったんですね
そうですね
私の家系自体は
全員飲食店で
父も母もお姉ちゃんも全部飲食店関係だったんですけど
お姉ちゃんも高校卒業してから
もうその時にアルバイトずっとやってて
長年勤めてた感じだったので
そこで社員になってほしいみたいな感じがあって
結局すぐ飲食店で働きだしたんですよね
なのでそういう感じが
当たり前と思ってたんですけど
接客の仕事をしていく中で
なんかもっとちゃんと
接客を学びたいと思ったんですよね
その時に
接客もそうなんですけど
電気屋さんとか行ったら
36:00
むっちゃ説明してくれるじゃないですか
商品説明
例えば空気清浄機で迷ってたら
こちらのメーカーはどんな特徴があって
こっちはこういう特徴があってみたいな
それとそれと比較して
今お客様が必要なのってこちらと思いますよ
みたいなご提案をしてくれるっていうのがあって
当時関西に住んでたので
大阪の人とか商売上手な人すごいたくさんいたので
そういう自分の口とか
自分の知識で
それを活性にするというか
お客さんが一番欲しいものを提案できる人って
かっこいいなって思うようになって
それができる人になりたいって思って
その販売士コースっていうのがある
専門学校に行ったんですよね
結構あれなんですね
販売士コースって人数少ない感じだったんですね
すごい少なかった
販売士コースしかもその当時奈良に住んでて
大阪に住んでたので
しかも大阪でも奈良に近い南波とかじゃなく
梅田とかだったので
結構北の方まで行く感じだったけど
でも販売士コースってそこしかなくて
関西圏でそこしかなかったんですよね
でも販売に関する知識とか
接客の知識とか
あとマーケティングとかそういうことを学べるっていう
当時は唯一学べる専門学校みたいな感じで
っていう感じだったので
学校で学びたいと思って
それで決めた感じですね
これが結構今にも生きてる感じですか
そうですねむちゃくちゃ生きてますね
電話対応とか全然平気なんですけど
専門学校の時に電話応答を学んだりとか
ビジネス的な基礎知識みたいなことを
専門学校で学んだのがあって
結構今の人たちが嫌がりそうな
ビジネス的なお作法みたいなのは
全然抵抗なくやれるのは
この時があるなっていうのが
結構この後
販売のお仕事とかもするじゃないですか
営業の
多分その辺が楽しめてるのも
その辺の基礎もあったりとか
もともとの素質的なところとか
そういうのもあるんですねおそらく
あったと思いますね
専門学校行った時に
一番最初オープンキャンバスみたいな感じで
説明をお聞きに行ったんですけど
その時も確か私一人だけだったんですよね
販売士コースの興味を持っていた
39:03
大阪専門学校にいろんなコースの人がいて
一つのコースで一人の講師がいて
何人か生徒さんがいらっしゃる中
販売士コースだけワンツーマンで教えてあげて
でもそこにも全然周り見てないので
興味はなくって
その中で教えてくれた人が
コンビニに入った時に
一番奥の方にあることが多いじゃないですか
雑誌って手前
今はだいぶ少ないんですけど
ガラス張りの方に新刊が見えてたり
昔はそういう配置が多くて
その理由って知ってますかって聞かれたんですよね
その当時高校生でもあり
なんでだろうみたいなことを思ってたら
飲み物とかって一番多くの人が買っていくものだから
飲み物一番奥にすることと
あとは新刊を今週発売だよみたいなことを
表に出すことで
ちゃんとお客さんをお店に呼び込んで
一番お店の奥まで誘導させて
その途中に期間限定の商品とかを置くことで
手に取らせてみたいな
そういう仕組みでできてるんだよって話を聞いた時に
やっべーこれ面白いと思って
結局
計算されるがままに動いてたんだ自分って思って
それをやる側になりたいってすごい思ったんですよ
へー
今でもネットとかで
動線とか考えるじゃないですか
無意識にポチるにはどうしたらいいかとか
どんな言葉だったら反応するのかとか
そういうのを考えて誘導していくのを作るの
今でもすごい好きで
それは専門学校の時に学んだことも結構あるなと思って
そうなんですね
すごいめちゃくちゃ考えてますね
当時から
なんか好きだったんですよね
分析とか仕組みとか考えるのが
高校卒業する時とかは
ほとんど何も考えてなかった気がするけど
でもなんかその
今の話を聞いて
ハナさんのサービスとか
見てる情報とかのリンクあるじゃないですか
はいはいはい
あれが多分それめちゃめちゃ反映されてるんだろうなっていう
あー確かに
見ていくとどんどん見ていっちゃうんですよね
プロフィールに至ったのもそうですけど
はいはいはい
確かにここの年表にたどり着いてるのが
だからこれがもう考え抜かれて
そういう設計になってんだなっていうのを
思ってますね
わー嬉しいですね
42:02
体系的にやってきてるっていうのも大きいですね
それ学校で
そうですねそれをやってきてるから
多分今無意識にそれがやれちゃうレベルになってるのが
多分当時の知識とか
そういうのがあるんだろうなっていう気がしますね
全体美しいですもんその作りが
わー嬉しい
多分見てる人も気持ちよく
回遊していける状態になる
はいはいはい
それがなんか僕は
どうぞどうぞ
そこに至るまでに
若干ブロックがあったときもあって
はいはいはい
当時って人とのつながりをしたくて
SNSを始めてた部分がありつつ
誘導するのってどうなんだろうみたいな
思いがあったときに
今ほど
商品ページこちらですみたいなことも
全然書けなくて
っていうブロックはあった気がしますね
へー
やっぱりなんかさっきの話もそうだけど
今のだいぶ仕上がってる話しか
僕は見てないから
はいはいはいはい
当たり前なんですけどね
やっぱり試行錯誤してるのってみんな
上手くいってるように見える人だって
試行錯誤してきてる
と思うんですけど
うんうんうん
やっぱそういう風になんか
ご本人のね口からそういうのを聞くと
あーはなさんもそうだったんだ
みたいな
いやー嬉しいなー
なんかそういう風に
最近たぶんはなさんの情報をね
見始めた人とか受け取り始めた人は
この話聞いたことによって
同じように感じてる人もいるんじゃないかなっていう
嬉しいですね
ほんとSNS
じゃなくそのネットで発信し始めたころって
なんかこういうことを伝えたいけれど
まだ全然
自分が整ってない状態で
なんかそこに対する葛藤が結構
あった気がするんですよね
なのでその仕上がった状態で
出会えてるって言ってもらえるのが
すごい嬉しいですね
あー
そうですね
もう初見から
すごい人だなっていう印象ですね
正直
いやー嬉しいな
1年
ちょっと前くらいのたぶん
尚人さんとの対談ではなさんを知って
はいはいはい
そっからはなさんの
そういう発信する情報とかも
あったりとかっていう感じになったと思うんですけど
まず肩書きが
最強のパートナーですからね
そうそう
45:01
そうですよね
その時は何か分かんないけど
そうそう
いつからこう名乗ったかな
うーん
2年前とか3年前
2年前くらいの気がするな
うんうん
最初の頃はね
HSS型
HSPSSとか
うんうん
なんかこの繊細なんちゃらかんちゃらの花
みたいな感じの肩書きだったんですよ
はいはいはい
それがなんかいつしか
なんかはなさん最強ですねって言われるのが
一番嬉しいなって気づいた時があって
うんうん
じゃあもうそれで習っていこうと思って
一番呼ばれたい言葉を並べた感じがあります
あーそういう感じなんだ
うんうん
確かにこの経歴
なぞっていくと
最強じゃんこの人ってなりますね
なにこの
能力ありすぎじゃないみたいな
いやー嬉しい
いやー嬉しいな
そういう流れがあったんですね
うーん
そうですね
でそこで勉強して
専門学校で勉強して
うんうん
ホテルはこれUSJだから大阪ですか
うん
あ、そうですね
大阪の方のホテルで
一番最初の就職先がそうでしたね
USJのオフィシャルホテルで
その当時は多分
今ほど盛り上がってない時で
多分あの
ハリーポッターができる前ぐらいだった気がします
一番低迷期だった時ぐらいじゃないかな
ほんとまだUSJができて
高校の時ぐらいにできたので
多分3年も経ってないか
4年目とかそれぐらいだったと思います
うーん
これホテルはどれぐらい勤められたんですか
ホテルはね2年ぐらいだったんじゃないかな
うーん
うーん
その時はフロントやったり
そうですね
経理をやったり
あ、そうですそうです
もともと母規の専門学校だったので
就職としては
経理事務という形での就職だったんですけど
はいはいはい
最初ってやっぱり現場の業務を学んでから
経理の仕事してほしいという感じで
うーん
なので1年か1年半ぐらいはずっとフロントで
結局したり
お客様の荷物持ってお部屋まで誘導したりとか
そういうことしてましたね
うーん
そこからあれなんですね
当時交際されてた
現在の旦那さんと
そうですそうです
恋愛だったから
近くに
一緒に住む感じなんですか
これは
あ、そうですね
旦那さんと大阪の専門学校で出会ったんですけど
はいはい
当時は大阪で一緒に住んでたんです
同棲してて一緒に住んで
旦那さんが
48:01
四国が実家なので
四国の方に戻るわということで
一時は遠距離してたんですけど
うーん
毎週末高速バスで帰って
会いに行くみたいなことをしてて
はいはいはい
だんだんと
その当時ホテルで就業もあったので
遠距離の交通費とか全然
気にならなかったんですけど
でもやっぱりもうちょっと
一緒におりたいよねみたいな
話から
旦那さんの
家が
二世帯住宅みたいな感じで
結構広かったんですよ
部屋が余ってるから
もし四国に
引っ越してきたとしても
その家が決まるまで
住む家が決まるまでの間は
全然
家に住んでくれていいよっていうのを
旦那さんのお母さんが言ってくれてた
へー
そうなんだと思って
じゃあ行こうかなみたいな感じで
うーん
辞めて四国に行きましたね
その当時から
あのー
ご両親に会ったりとかは
もうしてたっていうことですね
結婚する前から
旦那さんの二世帯住宅に
住み込んでた
嫁っていう感じになりました
結婚も決まってないのに
そっか
結婚も仲良かったんですか
仲良かったのはありますね
すごい
可愛がってくれてたから
結婚してくれてたっていう感じがあって
へー
当時から
すごい丁寧な
対応してくださるというか
娘のように可愛がってくれるお母さんで
はいはいはい
後々
結婚してから聞いたんですけど
その当時に
えーと
旦那さんのお母さんが
そう言ってくれてたのではなく
旦那がお母さんにそう言ってたらしくて
へー
なので旦那さんのお母さんからしたら
旦那の
彼女が
家が決まるまでの間
うちの家にやってくる
みたいな感じのニュアンスだったらしいんですよ
へー
それは私は旦那のお母さんがそう言ってくれてるよ
っていう風に聞いてたので
そうなんだ
若干話が違うじゃんあったんですけど
そんな感じで
飛び込んでいったからこそ
その時のギクシャクした感じ
やっぱり最初気遣ったりとかするんですけど
はいはいはい
それがあるからこそ
今結婚してから
今もその家にずっと住んでるんですよね
あーそうなんですか
今は本当に全然気遣わなくなったのは
その当時の
しんどかった時期があったからかな
長いですもんねそう考えたら
長いですね
そうですね
21
22歳くらいから
住んでて
51:01
途中で島に行ったりとかはしてた
うんうん
そっからずっといますね
うんうん
偽ってるというか
そっか
それで四国に移住して
そうそう
OLをしたんですね
四国に
そうですね
花のOL時代を過ごしました
ずっとホテルの仕事とか
飲食店のアルバイトとかしてたので
シフト制が当たり前で
平日の夕方5時に
終わって
土日職が休みっていう仕事が
ありえなかった
あーはいはい
両親もそういう働き方だったので
それが当たり前と思ってたのが
一般的な普通の
休みっていう
平日5連勤だけで
土日職休みっていう
すごい素晴らしいんだと思って
むちゃくちゃ楽しかったですね
その仕組みというか
働き方自体が
うんうん
テニス習ったりヨガに通ったり
そうなんですよ
平日の夕方とか平日の夜に
何かができるって
しかも自分のために時間を使えるっていうのが
感動で仕方なくて
そっかはいはい
みんなこんな感じだったのっていうのを
その時にじわじわ知り始めて
そっか
そっか社会を知ったんですね
そこで
もうそれまではね夜10時まで働くのが
当たり前みたいに思ってたので
もうプライベートなんて
お客様大事みたいなところで
ずっと過ごしてきたので
自分を大事にするっていうのを
知ったのは
元この時でしたね
うんうん
そっかこれも
何年くらいですか
3年か4年くらい
勤めた気がしますね
そっかじゃあこの時はもう結構
いい思い出というか
うん
そうなんですけど
なんか高校のその
ホワイト企業ではあったんですよね
はいはい
ホワイト企業だったからこそ
うん
多分会わなかったんだと思うんですよね
うーん
それで
職場の人にもすごい可愛がってもらったんですけど
はい
経営事務っていうこと自体が
あんまりあってなかったのか
うーん
結構無言でパソコンカチャカチャするような感じの
はいはいはい
仕事するみたいな感じで
最初は周り見えてないから
全然自由にやれてたんですけど
はいはい
何年か勤めていくうちに周りを見る
わかるようになってきて
はいはいはい
思ったあたりから
多分その環境に
引きしていない自分っていうのが
置きぼりになってしまって
はいはいはい
なんかノリとテンションでうまくいかなくなっちゃったんですよねきっと
54:01
うーん
それぐらいの時に適応障害になったので
うーん
多分その一般のホワイト企業
っていうこと自体が
自分の本質とはちょっとずれてしまったんだろうな
はいはいはいはい
うーん
それからなんか僕も公務員やってたときの
うんうん
流れとすごい似てますね
あーなるほどなー
うんうんうん
最初の頃はなんかこういうもんだと思ってやってたんで
はいはいはい
ストレスとかそんななかったですけど
うんうんうん
それこそ同じようにパソコンずーっとガチャガチャやってるっていう
うんうんうん
僕もどっちかというとやっぱりコーチやってるぐらいなんで
コミュニケーションが好きじゃないですか
うんうんうん
一言で言うとやっぱり向いてなかったんだろうなっていう
あー
人と接するほうが向いてたっていう
そうですね
うんうんうん
だからこの適応障害になった流れのところで
うんうん
自分のやりたいことをやれないと
病気になるらしいって書いてあるじゃないですか
はいはいはい
めっちゃわかると思って
あははは
いやー
ほんとねーこれは
病院の先生に言われたときに
はい
えーそんなことあると思って
はいはいはい
ほんと当時って病気とは無縁と思うぐらい
ずーっと元気で
えーと精神的に落ち込むことはあったとしても
うん
目が明るいので
そんなに気にしてなかったというか
はいはいはい
自分が精神的な病気になるなんてみたいな時だったので
うんうんうん
なんかそれを聞いたときに
またまた先生みたいなことを言ってましたね
あははは
明るい
うーん
どうなんだろう
でもみんなそうなんじゃないのかなこれ
いやすごい思いますね
あのー市中睡眠とかしてても
はい
やっぱりそのー
そこに市中睡眠に来られる方って
はい
何かしらぶつかったタイミングで来てくれる方がいらっしゃるので
はいはい
やっぱりその過去に適応障害になった方もいらっしゃったりして
うんうん
それまでは全然そんなことないと思ってたけど
うん
初めて体調崩して
自分にもそういう一面あったんだみたいなことに気づく方
結構多いイメージあります
うーん
うん
やりたいことあるけどできないって結構きついですよねやっぱり
そうですね
なんかそれがもろに
私の場合は体に出ちゃった
そのめまいとかっていう感じに出ちゃったので
うーん
そっから
あれですもん
うんうん
全然また違った
姉妹移住っていう
そうですそうです
でこの時の
適応障害になった時のやりたいことが
うん
57:01
旦那さんと一緒に
脱さらして
うん
自分たちで起業しようみたいな
うん
感じが強くって
うん
でそれが結構私が思いつきで話してたんですけど
うん
でも旦那さんが意外と乗り気になってきてて
はいはいはい
であいよいよ本当に実現するかもっていう気持ちが高まった状態だったので
はいはいはい
その今のホワイト企業とのギャップが激しくなりすぎて
あーわかる
それで体がついていかなかったんだなって思いますね
めちゃめちゃわかりますねそれ
うーん
なりますよね
気持ちが高まりすぎてね
気持ちの方はもうそっちになっちゃってるんで
そうそうそうそう
体がついてきて
現実は違うみたいなね
あそうそうそうそう
いやーわかるなー
仲間身に移住して
農家をやったんですもんね
花農家
そうですそうです
でこの時に
うちのお母さんが
高校の時に再婚したんですよね
はいはいはい
でうちのお母さんにとっても
それが転換期だったなって今思うんですけど
はいはいはい
それまでずーっと飲食店で働きづめの人だったんですけど
うんうん
えっと
その当時の
その時に再婚した旦那さんが
島で農家をしている人で
へー
でその島にいてた
お父さんが
大阪にたまたま来た時に
うちのお母さんのお店に来て
普通の飲食店だったんですけど
そこでうちのお母さんに
一目惚れしてくれたらしい
そこから文通が始まり
はいはいはい
じゃがいもを食ってきたりとか
グラジオラスっていう
でっかい花を食ってきたりとかしてて
へー
それでうちのお母さんの心を射止めて
再婚することになって
へー
私が高校の時に
人生波乱だった時に
うちのお母さんが再婚して
島に行ったっていうのも
一つ要因
要因ではないんですけど
若干ずれてるのでプラスに当てたんですけど
はいはいはい
っていう部分もありながらで
なので私たちが
島に移住しようと思ったきっかけとして
うちのお母さんが
移住してるその島
で
その島に来て住むのもいいんじゃない
っていううちのお母さんの提案もあって
うーん
ていうのもありましたね
結構お母さんも
自分の人生
自由に生きたいタイプの
そうそう
今思うとね
今思うとほんと自由に
生きたいんだろうなって
気がしますね
そのDNAちゃんともらってるなって
あー
1:00:00
私なんか働くお母さんでは
あったんですけど
働くことがすごい好きなお母さんではあったんですけど
なので
そのもともとは
三好島出身で大阪に来て
っていうのもあったと思うんですけど
でもその移住とかに関しては
なんか
そこまで抵抗なくというか
そういう意味でのアクティブさはあるかなという気がします
うーん
いやーなるほどなー
1時半ぐらいまで
今までですもんね
そうですね
いやーほんと夢中になって話してた
そうですねなので
濃いですね人生
いやーそうですね
今で多分26歳ぐらいまでですね
全然まだまだ
まだまだ
まだ半分ぐらい
そうそう
いやーこれ本当に最初話してたときもね
1時間ぐらいでお話難しかったら
前半後半みたいな感じ
そうですね
またそこ別撮りしましょうみたいな話してましたけど
いやまさかここ
25、26ぐらいまででここまで来るとは
この後もね
島に移住した後に
出版されたりとか
はいはい
その辺も
本当にもう島での話はね
これはまだあんまり出してないですね
あっそうなんですね
そうそういつか出したいと思って
島暮らし
島暮らしが多分一番長かったので
長く農家として続けた
なので
仕事をこれまでやってきた中で
一番長くやってきた仕事になるかなって気がするので
はいはいはい
その辺りのこともいつか
コラム的な感じで出したいなと思いつつ
でも全然形にできてなかった部分ではあるので
そっかそっか
じゃあまだねはなさんファンも
知らない話が結構聞けるかもしれないですね
あっそうそう
全然少ないと思いますね
じゃあちょっと次回
その辺も詳しくね
お話聞かせていただこうかなと
いやーむちゃくちゃ嬉しいです
まさか話せる日が
来るなんて
いやーでも本当にね
この後もこのね
年表を見ていくと聞きたい話がね
本当にたくさんある
わー
嬉しいですね確かにこっからさらに
あれかもですね
これから
働き方を変えたい人とか
それこそ生活の
場所を変えたい人とか
そういう方には
参考になるというか
自分自身の
島での経験とか
起業してみてどうだったかというのが
お伝えできる
内容になるかなという気がします
本当ですね
どちらかというとこの前半は
はなさんの本当にルーツというか
はなさんのベースとなる部分
こういうのがあって
そういうところが繋がってるんだとか
そういう部分だったなと思って
たぶんね
はなさんファンはあれですよね
1:03:00
いやーこの話聞きたかったよ
って言ってると思います
あー嬉しいなー
もう本当に感謝します
引き出していただいて
いやー面白いんだよなー
いやー嬉しいなー
本当に
いやー嬉しいなー
今回なんかそのね
何聞こうかなーとかって言って
年表振り返って
聞きたいポイントをチェックしてたんですけど
この作業やってる時に
なんか僕
これ好きだなーと思って
はいはいはいはい
なんかこうやって自分が
この人いいなーと思う人の
こういう人生についてインタビューするって
なんかいいなーっていう
はいはいはい
いいですね
今度きなこさんと対談するときも
これやりたいなーと思ってるんですけど
あーむっちゃしてほしい聞きたいきなこさんの
だから
これ結構
僕としても楽しいし
たぶんラジオそのチャンネルのね
ラジオ聞く方は
その方のことが好きで聞いてるから絶対
確かに確かに
なんか知りたいなーいうことだろうし
それは嬉しいな
ちょっとこの活動やっていこうかな
いやーむっちゃいいと思います
インタビュー
しかもインタビューされる側としては
はい
自分のことを話すにあたって
結構年表とかにも
詳しくは書いてるんだけれど
そこには書き切れてなかったような
当時の思いとかが
やっぱり
聞かれると浮かんでくるというか
っていうところがあるので
これむしろなんか
コーチングの中でも
何かっていうことでいいんだろうなという気はしましたので
引き出し
引き出すのがすごいお上手だなと思いました
そうなんですね
うんうん
もう花さんの場合これ年表もまとまってるんで
うん
インタビュー自体めちゃめちゃやりやすいですね
これは
こんなにちゃんと
ちゃんとまとまった年表を持ってる人
たぶんそんなにいないと思うんで
確かに
人生年表を持ってる人まず少ないですよね
そうですね
いやー確かに
振り返ってまとめたいって思ったんだろうな
っていう気がします
本当にね面白い
要所要所でたぶんね
共感を生むポイントがあるんだろうなっていう
いやー
ありがとうございます
またちょっとね後半戦ということで
どっかでタイミングを
ぜひぜひ
お願いしたいです
お願いします
はいありがとうございます
はいありがとうございました
はい
今回は第1弾ということで
インタビューしていただきまして
ありがとうございます
はいありがとうございます
こちらのラジオね
ここまで聞いてくれたよという方いらっしゃれば
いいねボタンとかすごく励みになりますので
ぜひぜひよろしくお願いいたします
1:06:00
お願いします
はい
ではではそしたら里根さんまた第2弾で
またお会いしましょう
はいお待ちしております
ありがとうございます
ありがとうございます
はい