暮坂峠の作業場、梅雨の端に位置する六月の午後、中島は軽トラの荷台に腰かけ、風に吹かれながらマイクに向かっていた。晴れてはいるが冷たい空気が肌を刺し、パーカー一枚では少し寒い。収穫はいつもより少なく、注文分と市場分を調整し、バケツを洗い、伝票を書き終えてようやく一息ついた午後四時——その静けさの中で、ずっと昨夜から胸の奥でくすぶっていた問いが浮かんできた。「なんで農家やってんのか」。
都内のベランダで鉢を並べていたころの話を、中島はゆっくりと手繰り寄せる。植木市で苗を買い、枯らしてはまた育て、花が咲けばひとり喜んでいたあの日々。植物はただ面白く、楽しかった。ところが今は、その命を刈り取ってお金に換えることを生業にしている。新品種を試すことは今も楽しい。けれど出荷し、換金し、利益率を計算するあたりで何かが重くなる。農業の過酷さを、彼は言葉を探しながら、しかし誰かに告げるでもなく、虫の鳴き声のようにログに放り込んでいく。
それでも、と中島は続ける。マルシェでお客さんに「綺麗」と言ってもらえる瞬間のこと。個人の花屋数軒と箱を送り合い、意見を交わしながら、山で拾った枝を一本混ぜてみる楽しさのこと。このモヤモヤは妻には話せない——正論で返ってくるのが目に見えているから。同じように土地も資産もなしに花農家を始めた先輩に、ぶつけてみようと思っている。就農初年度、売上九十四万円で「辞めよう」と思っていたことも、今日また思い出した。
来週末のマルシェに向けて、セダム・オータムジョイのステッカーを作った。緑とピンクの間、一割二割だけ花開いたあの色が好きで、それをスマホにも貼っている。売れたら嬉しいし、売れなければ布教物にすればいい——どちらに転んでも構わないと、中島は少し笑う。仕事は終わった。今日は娘と畳の部屋でゴロゴロしながら本でも読もう。メンテナンスも大事だ、と彼はひとりごちて、録音を止めた。
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サマリー
農家の中島は、収穫量の少なさや利益率の低さから「なぜ農家をやっているのか」という問いに悩んでいた。東京でのベランダ園芸時代はただ楽しかったが、今は命を刈り取ってお金に変えることに重さを感じている。しかし、マルシェで顧客に喜んでもらえたり、花屋と意見交換したりする喜びもあり、そのモヤモヤを抱えながらも、来週末のマルシェに向けたセダムのステッカー作りなど、前向きな活動も行っている。妻には話せない悩みだが、同じ境遇の先輩農家には相談したいと考えている。