ラジオ版、今日もはまようび。私になる、僕になる。食うのも走る人生。
この番組は、浜淵園の61歳のチーフディレクターでトレイルランナーのハタが、
幼児教育とランニングに満ちた毎日の中で、今語りたいと思ったことを気軽にお話しする番組です。
僕の経験や考え、そしてささやかな挑戦が聞いてくださる誰かの心に、少しでも響いてくれたらいいなと思って届けます。
どうぞあれこれしながらお気軽にお聞きください。
こんばんは、12月31日水曜日、2025年の最終日の収録となります。
昨日はやっぱり長くなりましたね。
トライアスロンとかトレイルランニングの起源、起源じゃないな、歴史みたいな、自分史ですね。
自分史を少し紐解いたんですけども、そんな感じで。
前田さんに、昨日お話した前田さんに、トライアスロンからトレイルランニングに移行する人少ないですよねって聞いた時があったんですね。
なんでやと思いますかって聞いたんですよ。
前田さんはそのトライアスロンを終えて、ご自身が走れなくなって、
トレイルランニングの大会を主催して、ノンマーキング、ノンボランティアのレースを数々主催して来られていたので、
トレイルランニングの方に向かわれた人ですね。
少数派なんですよ。
そんな日本のトップトライアスリートがトレイルランニングの方に移行する例は前田さんおいて他にないと思うんですね。
前田さんの場合は選手ではなかったんですけども、僕が知る限りトライアスリートでトレイルランニングをしているトップレベルの選手っていうのはいないですね。
僕のレベルでもトライアスロンの時にお見かけしたなというような方、名簿とかね、いつも選手のリストで探すのですけども、見つかったことがほとんどないですね。ないんですよ。
この前シクロクロスでクラワンカの方を名簿で見つけたんですけども、僕より少し年上の方で会場でお会いすることはできなかったんですけど、
久しぶりにトライアスロン時代の方を見かけたなという感じで、トレイルランニングのレースでは本当に会ったことがないですね。
そして前田さんに、なぜだと思いますかっていうのを聞いたら、前田さんはこう言いましたね。観客いないからちゃいますかって言われました。
トライアスリートは観客がわりと街中、エイドステーションも多いし、人数はトレイラーに比べてね、街を走ることが多いので応援してもらえますよね。
そしてゴールにもたくさん居てはることが多くて、その頃ね、今のトライアスロンはどういう状況なのか全然知らないんですけど、その頃そうだったんですよ。
トライアスリートって目立ちたがり屋みたいな派手好きっていうのが当時からありましたね。
今どうなんだろう。今聞くところによると、見ているとSNSで時々出てくるんですけど、参加量もすごく高くなっているので、
本当にエリートたち、エリートたちっていうのは仕事のエリートたち、そういう余裕のある人しかできないスポーツみたいになってしまっているのかなというふうに思いますが、
つい最近知り合った方に、仕事を通じて知り合った方の娘さんが大学時代にトライアスロン部だったという方にお出会いして、それも久しぶりにトライアスロンと接点があったことなんですけども、
人口的に今何人なんでしょうね。すごく減っている。当時のどれぐらいでしょう。10分の1ぐらい。減っているんじゃないかな。
もうだいたいレース自体がないのでね、というようなことを思い出しました。
今日は2025年のラストで、1年を振り返るということをよくするわけですけども、
今朝の練習はゾーン2で60分のランニングだったんですけども、毎朝掃除しているんですね。
毎朝掃除していると、朝起きて掃除をまずする。そのときに何歩ぐらい歩くかな。
1時間掃除するんですよ。その間に体は起きてきて、筋肉もほぐれてきて、
体使いますから掃除するときにモップ掛けしたり、吐いたり、拭き掃除はしませんけど、吐くことばっかりですけど、
でも体使って足使って、その間にストレッチしたり、準備運動的なことをやったりするので、
60分でだいぶほぐれてから着替えてランニングに出るので、なんとなく体はほぐれている状態で出ていってるんですね。
ですが今日は幼稚園休みなので掃除してないんですね。
掃除せずに朝起きて、いつもは全く食事を取らずに走りに行くんですけど、コーヒーだけ飲んで行くんですけど、
今日はお腹空いてたので休みだし、そんなに時間もあるし、食パン食べてそのままスタートしたんですね。
調子よく走ってたんですけど、今日は暖かかったですよね。暖かかったし、ウォームアップはしますよ。
するんですけど、20分くらいで調子よく、ペースもぼちぼち上がってきて、
20分くらいで右足のハムストリングに急に針がガツンと来て、ガツンという感じで来たんですね。
すぐに止まって、破裂することなく肉離れになることなく終えて、歩いて引き返してきたんですけど、
ちょっと痛みは残っているんですね。
これが今まで繰り返し怪我してきたので止められたんですね。
この23年、今年もしているので、1年通して怪我がなかったというとして、
もうここ7,8年かな、5,6年、6,7年か、全然なくて、ずっと怪我ばっかりしてたんですね。
そこに2023年まで、20年くらい、19年くらいから、コロナからか、19、20、21、22、23、この5年間はずっと怪我をしてきました。
それはどうしてかというと、仕事が忙しくて、幼稚園団体の仕事を込めてやってたんですね。
自分しかできない仕事で、やりがいを持ってやっていたことなんですけども、
それは幼稚園の仕事以外の幼稚園団体の仕事でやっていて、忙しくて、一番削る時間というのは自分の睡眠とケアの時間になるんですね。
もちろん練習も少なくなるのですが、忙しくてケアに行けずに、何週間もケアに行けずに、練習もあまりできずに、その状態で疲労が少しずつ溜まってきて、
練習量、パフォーマンスを取り戻すために、練習をちょっと時間ができたときにスピードアップするとか負荷を上げることによって筋膜が損傷するということを繰り返し繰り返し、
半年に一回とかやっていたんですね。
レースに出てもDNF、ほぼ100キロ以上のレースはほとんどDNF、ほとんどということもないか。
ずっとあれは出ていたので、年一本ギリギリ首の皮一枚つながるという形で年一本ぐらいは乾燥して、そしてUTMBやTDSにはエントリーできる状態には保っていたんですけれども、
ようやく200台に乗ったっていう感じで、
一節によると100マイルを完走するには月間300走る。
月間300走って1万メートルかな。
月の登る距離、登る高さですね、累積標高は1万メートルって言われてるんですけども、
それには届いてないんですね、今。
届いてないので、2026年は届くような走り方をしないと目標としているトル130は難しいだろうなというふうに今思っているので、
来年は300を目標に質量を高めていきたいと思っているんですけども、
それでも去年よりかは50キロぐらいは月平均で増えているんですよ。
練習時間は396時間で17%アップ。
累積標高は74,866で29%アップ。
だから月1万だから12万、12万メートル上がらなくちゃいけないんですけど、74,000しか上がってない。
やっぱり登りは平日、山がない、山というか坂がないので、
僕が住んでいる町は全くないので、マンションとかでもないので階段トレーニングもできないし、
平日のトレーニングはもっぱら登りはトレッドミルですね。
トレッドミルを15%に上げて歩くか、10%で走るかというメニューなんですけども、
週末ですよね、週末山行って。
もうなかなか月間1万メートル上がるっていうのはちょっと難しい今、今年の状態、状況なんですけど、
これは来年はそこも目指していかないといけないところですね。
けがを2月、そうそう3月に徳島マラソンにエントリーしてたんですけども、3月23日に。
ところが今年はトレールを走る練習とマラソンを走る練習というのはもちろん違うんですけども、
走り方も変わってくるし、体へのダメージも変わってくる。
トレール調子良かったんですよ、今年初め。
1月の石部隊120は練習も足りてなかったので、
2024年中の最後の方は練習ができてなかったので、
1月の石部隊は3周しないといけないところ2周でギブアップの形でした。
ですが徐々に練習していって、2月の30キロ全通時では、
たった30キロなんですけども、
昨年よりも20分短縮して、ベストよりも40分短縮した。
逆か、昨年より40分でベストより20分短縮したんです。
たった30キロだけで調子良く行ってたんですけども、
そこから徳島マラソン2月から3月にマラソンに移行するときに、
スピード練習でペース走してたんですけど、
肉離れはしてしまったんですね。
軽く、軽くですね。
この仕組みを僕は編み出して、この業界でうちは強くなったと思っているくらいですね。
スタッフたちもそのことは本当に大きいというふうに思ってくれていて、
特に合宿の一番最初にする自己紹介タイムっていうのがあるんですけど、
自己紹介タイムに今となってはスタッフ数だいたい毎年40人ぐらい参加するんですけども、
全スタッフ60人ぐらいですが、ご飯、台所スタッフとお掃除スタッフを除いたスタッフで、
あとトントンスタッフを除いて、トントンスタッフというのはお昼寝のスタッフ、お昼寝専属スタッフなんですけど、
その40人で4時間自己紹介をします、ずっと、8つのお題で。
それはまた機会におきたいと思います。
それをするのもスポーツチームと同じだからという発想でやったんですね。
やってみると本当にありがたい。そのシステムってすごくありがたいなと思います。
それまで広告業界にいて、次から次にというか複数の仕事が基本的に走っているので、区切りがないですよね。
4つの仕事終わって打ち上げみたいなのも、知っている人もいるのかもしれないけど、僕らは全然そんなことしている暇なくて、
次から次に仕事が複数走っているので、これ終わったって裏にA仕事、B仕事、C仕事みたいなのがずっと走っている。
Aが終わったらB、Bが終わったらCみたいなのが延々と毎年毎年ずっとあるので、休む暇なしっていう感じで、
逆にそれでだらだら仕事してしまうみたいなところもあったとも言えるかもしれないですけど、
幼稚園は1年間頑張ってまたリセットする、気持ち新たにして1年間頑張るっていうことは、僕は好きですね。
1年間駆け抜けるっていう。
もちろんプロ野球みたいにシーズンとシーズンの間が何ヶ月とかないので、
今2日しかないんですけどね、シーズンとシーズンの間は30日と31日しかないわけで、厳密に言うと。
実際は子どもたちが全員来るっていう期間はもうちょっと間が空くわけなんですけども、
気持ち的にはそうやって区切りをつけるっていうことっていうのは大事だなと思いますね。
大事だし僕は合ってるなと思います。
働きすぎですよね、日本の人たちって働きすぎ。
もうちょっと休みも区切り。
日本人にとってこの年末年始っていうのは区切りのときになると思うんですけど、
今年も4日までが休みで5日から仕事ですよね。
我々も5日から仕事でミーティングがボンボン入ってくるんですけど、
5日はあんまりないかな。
入ってきますけど、普段できない仕事を5日から始めるっていう感じかな。
あっという間ですよね、休み。
あっという間なのでそこで切り替えてっていうこと。
切り替わらないですよね。
仕事は動いているのでずっと、この休みを経ても。
休みの前に一旦区切ってみたいなことじゃないから。
一般の仕事ね、一般の仕事は。
幼稚園の場合はここで夏休み、冬休み、春休みっていうのに一区切りずつあって、
子供が来てるとはいえ、若干、仕事の密度っていうのは下がるチームもあるし、
ナーサリーはずっといるわけですけども、
ナーサリーチームはずっと同じ密度とは言えるかもしれないけど。
ナーサリーチームはその分いろんな行事とかは少ない。
そういうことで波っていうのは少ないですね。
波の高さ低さはそんなに少ない。
上下が少ない。
幼稚園は上下が多いんですね。
休みの間にリセットしてもう一回頑張ろうっていうふうにできる。
3月、1月、2月、3月ってもうあっという間に過ぎるので、
それはその感覚は一般、それまでの仕事、コピーライターの仕事とは全然違ったなというふうに思いますね。
僕の場合はシーズン、とはいえそれまでカタログ、
2シーズンのカタログ、春夏シーズン、秋冬シーズンのカタログの仕事をしてたのでメインで。
この時期っていうのは要するに秋冬ですね。
来年の秋冬のカタログが過去に入ってくる1月、2月。
で、全然忙しく、最後の出港する仕事が入っていたので大変忙しいのですけど、
だから3月の経日から走り始めるってよく言われていましたけど、
羽田さん、経日から走り、3月、虫みたいな、春になったら練習に行くなって。
それまでずっと冬眠して仕事してるんですけど、冬眠してるなとよく言われてたんですけど。
ということで、やっとそういう体制で仕事とランニングを両立して生活できるようになったのが、
この61歳の年だったということですね。
今年はなかなか区切りの年、区切りという意味で言うと年的にも区切りなんですね。
なぜかというと、51歳の時に認定子供になったんですよ、立て替えて。
で、10年です、なんですね。
51歳の時に認定子供になるっていうことを、41歳の時には全く想像もしてなかったんですけども、
41歳の時に何をしてたかっていうと、ニュージーランドに研修に行かせてもらって、3年目か、2005年ですよね。
2005年にニュージーランド初めて行って、もうその頃って毎年海外研修行かせてもらってたんですよ、まだ余裕があったというかですね。
学ぶことも多かったし、僕は業界に入ったばっかりだったし、妻上さんも行ってきていいよって言ってくれたので、
そこで毎年毎年蓄積してたのも大きかったですね。
やっぱり外で見てきた外国がいいなと、ヨーロッパがいいなとか、ニュージーランドがいいなというふうに聞いて実際行くけど、
いいところももちろんあるんだけど、日本の幼児教育が世界と比べて、
なんかチープでしょうもないことやってるなみたいなふうに見えたかって言ったら、そうでもなかった。
今では日本の幼児教育ってめっちゃいいやんっていう、我々は思ってる。
それは言えるのは、やっぱり見てきたから。
何年か前に、もう10年ぐらい前かな、フィンランドから行政の教育職の人たちが来日して、
で、我々と勉強会と懇親会をするというような企画があって、天ヶ崎であったんですけど、
そのフィンランドの人たちがいうことには、最近フィンランドでは幼児教育の現場でとても大事なことを発見したんです。
これだということがわかった。
僕はそれまでにフィンランドに行ってたので、フィンランドの幼児教育を見ていたし、
教育省みたいな人たちとの懇談もして、話を聞いたりとかしていたので、フィンランドに2回行ったんですけど、そのときまでに。
で、フィンランドの人が来てくれて、お話をして、すごいことを見つけたというか、これが一番大事だというのがわかった。
何だろうと、何々とまた前のめりになって聞こうとしたら、教師は子どもと遊ぶことが一番大事だと言って、
すごく自信ありげにプレゼンテーションをしてくれたんですね。
すごく肩透かしを受けた。
それって日本でずっとやってきてることやんって。
今もずっとやってること。
それ一番大事にしてることやんなっていうことだったんですけども、
それほどやっぱり幼児教育。
それは、僕はだから、ヨーロッパ行ったときに先生が、もうひどいという言い方はしないけど、極端なところでは、
ドイツだったかな、日本から見に来てるこういう視察のスタッフ、日本の現場のトップリーダーたちが見に来ているっていうところの縁ですよ。
なんかハリーポッターの人形のレゴみたいなやつで遊んでいる子どもたちとか、そこに何のストーリーもない感じで遊んでるんですね、ただ。
先生たちはそこの近くにいて、机に座ってですよ。椅子に座ってるんじゃないですよ。
机に腰掛けて、よく外国ではよくある姿じゃないですか。
机に腰掛けてワイン飲んでるという感じ。
仕事中、今何中なんて子どもは前で遊んでるんですよ。
そういう縁もあったし、一縁だけですけど。
ただそれを日本の幼児教育の現場のトップの人たちが見に来るっていうところで見せる意図って何やったんやろうなっていうのは考えてしまうわけなんですけど。
そのフィンランドの人の話を聞くまでに、ヨーロッパに行って、先生が確かに先生は遊んでないなと思ったんですね。
よく見せられたのはサークルタイムですね。
先生たちが子どもたちを輪にして、先生が輪の中に入って、今日は何したとか、語り合ってる、問いかけてる姿をよく見ましたね、サークルタイムっていうの。
それは日本にも導入されましたね、ここ20年ね。定着しましたよね。
そういうのは見たけども、一緒に日本のようにワイワイ言うて遊んでる姿ってなかったですね。
せいぜい縄跳びしてる、縄跳び大縄回してるとか、ボール蹴ってるとか、それも別にゲーム性のある遊びをワイワイ言いながらやってるっていう感じじゃない遊びですね。
探究してるとか好きでしたけどね。何か調べてるみたいな。
そんな状態、状況だったので、僕は日本の幼児教育は世界に誇れると思うんですね。
そういう遊びを通して、遊びの中から。
ただ遊びが大事っていうのは、日本人だけが言ってるわけじゃなくて、欧米の研究者も言ってるんですよ。
言ってるにもかかわらず現場見に行ったら先生たちは一緒に遊んでないっていう姿を僕はその頃当時見に行って事実として見たことです。
今は分かりません。今は分からないですよ。
そのときたまたまだったのかも分からないですけども。
でもそのフィンランドの人の大事なことを見つけたっていうそのプレゼンテーションとつながったんですよね。
自分が見てきたこととつながったんです。
我々はやっぱり幼児教育の中で子どもたちと共にあるっていうことを大事にしているし、
共にあってそこでこれどうしたらうまいこといくんやろうなとか、
なんでこうなってるんやろうなとかっていうことを互いに問いかけ合いながら、
主に先生が問いかけるわけですけど、遊びながらいろんなことを学んでいくっていう、
そういうスタイルが好きかな、好きだなっていうふうに思っているし、
そこを大事にして遊びをとことんやり続けたいなと思っています。
今年、仕事の振り返りはまた年度末って言いましたけど、
今年新たにやったこといろいろあるんですけど、
一つには新しいスローガンを作りましたね。
今、遊びの話をしているので、その流れで皆さんに紹介するわけですけども、
プレイワイルド、グロウフリーっていうキャッチフレーズを作りました。
ワイルドに遊び、自由に育てっていうことなんですけど、
そのフレーズを作って、毎年やっている公開報告のときに披露してTシャツを作りましたね。
Tシャツを作りました。
こういう我々の大事にしていることをキャッチフレーズにして訴えていくということも、
浜与ならではのスタイルで大事にしていきたいし、
それを社会に訴えていきたいですね。
幼児教育の大事さとして。