🎙️『”番記者”が明かす‼️』❎『長嶋茂雄監督㊙️仰天・感動エピソード3選⁉️』
2025-06-04 11:38

🎙️『”番記者”が明かす‼️』❎『長嶋茂雄監督㊙️仰天・感動エピソード3選⁉️』

🎙️『”番記者”が明かす‼️』❎『長嶋茂雄監督㊙️仰天・感動エピソード3選⁉️』

おはようございます‼️浜ちゃんです。

今日は”緊急特番”として、ひとつの偉大な人生に、心からの敬意を込めてお届けします。

昨日、プロ野球界の伝説——長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が、89歳でこの世を去られました。

誰よりも明るく、情熱的で、誰よりも努力を惜しまなかった「ミスター」——
その生き様は、僕たちに“夢と希望”という、見えないけれど確かな光を与えてくれました。

今日は、そんな長嶋監督と45年間も親交を深
め、密着取材を続けた僕の30年来の知り合いの元スポーツ報知記者・柏英樹さんから伺った直接伺った3つの「魂が震える実話」をお届けします。

【第1話】

🥢「バットを振る、地下の闇夜。努力を見せない天才

2000年1月16日成人の日、僕が参列したある結婚披露宴。
新宿の京王プラザで行われた、柏さんのご長男・進さんの結婚式には…なんと、長嶋茂雄監督と、金田正一投手、ラグビーの松尾雄治さんというレジェンドが揃ってご出席。

スピーチで長嶋さんはこう語りました。

「今年、我が読売巨人軍が優勝しなければ、私は坊主になります!」

この言葉、次の日のスポーツニュースで大きく報じられ、世の中が騒然としました。
“たった一言”で空気を変えてしまう影響力。ミスターの言葉には、それほどの重みがあったんです。

でも…それはほんの表の顔にすぎませんでした。

かって僕は、長嶋監督と同じ田園調布に住んでいました。距離にして、たったの300メートル。

ある日、長嶋さんは、試合で打てなかった夜、家の地下にある秘密のバッティングルームで、ただひたすらバットを振っていたそうです。

夜中の3時、4時。奥さんがスープを持ってきても目もくれず、バットを振る…振る…振る。

「柏くん、どこが悪いと思う?」

と聞かれても、ラグビー出身の彼には野球の知識がありません!
それでも長嶋さんは言うんです。

「君は僕のバッティングを何時間も見てるんだ、何か気づくだろ?」

それを聞いた樫野さんは、震えながらこう言いました。

「ヘッドが少し下がっているように…見えます」

そのひと言で目を輝かせ、

「そうか!やっぱりそこか!」

と納得し、翌日、見事にヒットを量産。
誰も知らない努力。誰にも見せなかった“泥だらけの天才”。
それが、長嶋茂雄という男でした。

【第2話】

☎️「雨のエラーと…監督の優しさが電話越しに滲んだ夜」

1994年、長嶋ジャイアンツが挑むペナントレース。古巣相手の試合です。
守備固めで加入したベテラン・屋敷要選手。
そのデビュー戦、雨の川崎球場で起きた“悲劇”を、彼は一生忘れられません。

9回裏、フライを見失い、エラー。試合は敗北。
屋敷選手は、悔しさに打ちひしがれ、家で泣き崩れていました。

そんな夜、鳴った電話の主は——長嶋監督本人。

奥さんが慌てて呼ぶと、長嶋さんはこう言いました。

「昨日はお疲れ様。屋敷くんが取れないボールなら、うちの誰にも取れない。気にするな。」

この一言で、屋敷選手は涙が止まらなかったといいます。

そしてその年、日本シリーズでの第2戦。
気魄のダイビングキャッチで、チームを救います。
見事、日本一に輝いたその姿は…
あの雨の日の“電話の温もり”に報いる一撃だったのです。

【第3話】

🏥「脳梗塞のあとでも、“もうダメだ”とは一度も言わなかった」

2004年3月4日アテネオリンピック日本代表監督として期待されていた長嶋さんは、脳梗塞に倒れます。
半身麻痺、言語障害。壮絶なリハビリ生活が始まりました。

でも、柏さんは言います。

「ミスターから“疲れた”“できない”“もうダメ”なんて、
一度も聞いたことがない。」

どんなときも“言葉”ではなく、“姿”で背中を見せる。
それが、ミスターの本当の姿でした。

🎤エンディングに寄せて

ミスターの言葉、生き様、そして努力。

それは、日本中の人々に「あきらめない姿勢」「希望を信じる力」を教えてくれました。

長嶋茂雄監督、ありがとうございました。
どうか今は、天国でゆっくりバットを振っていてください。

いかがでしたか?

ということで、今日は緊急特番でした🙌

また、明日8時08分にお会いしましょう。

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サマリー

長嶋茂雄監督の感動的なエピソードを通して、彼の偉大さや選手たちとの絆が語られています。盤記者の柏秀樹さんの体験を基に、監督の人柄や指導方法が明らかになります。また、長嶋監督の前向きな姿勢が多くの人々に影響を与えていることも示されています。監督としての日本一や、逆境を乗り越える力についても触れられています。

長嶋監督への導入
皆さんおはようございます。音声ブランニングコーチの浜田幸一、浜ちゃんです。今日は6月の4日、水曜日ですね。
とても福岡県の柳川がいい天気ですけども、皆さんどこいかがでしょうかね。さて今日はね、ちょっと趣向を変えて、戦後最大のスーパースター、長嶋茂雄監督がですね、89歳で亡くなりましたね。
そこで今日はね、ちょっとそのツイート版をやりたいと思います。僕はもう小さな子供の頃はね、小学校の頃は本当大したかった。
大監督と長嶋監督が現役時代でね、頑張ってですね、戦後の日本をですね、本当に盛り上げてくれたんですよね。
多分長嶋監督の現役時代はですね、知らない人が多いと思いますけども、今日はですね、それをおいてもですね、素晴らしいエピソードをあらします。
ということで、今日のテーマはですね、緊急特番、盲視者が語る長嶋監督の行典感動エピソード3選、というテーマでお話しします。
それでは本題に入る前にお知らせです。このチャンネルは38年間で4000回以上のセミナー、10万人以上にスピーチプレゼンの指導をしてきたセミナー講師、講演家の浜田光一浜ちゃんが、
話しかけて人生を変えたいあなたに向けて、伝える技術、プレゼンの動き、信頼を得るコミュニケーション術をですね、発信している情報を番組となります。
ですからスピーチプレゼンテーションが上手くなりたい方、自分の言葉で未来を変えたい方、成功のきっかけは話し方から始まります。
あと成功のマインドなんかのエピソードもね、お話ししますので楽しみにしておいてください。ぜひ最後まで聞いてくださいね。
記者との親密な関係
よろしくお願いします。それからね、いつものお願いです。いいね、コメント、感想くださいね。
質問でもいいよ。ものすごく励みになるんですね。やる気になりますので、僕自身もね。ぜひよろしくお願いします。今日の発信はね、力が入っているよ。
長島監督の現役時代、燃える男Mr.はね、もう長島監督の代名詞だったんだけども、知らない人がいると思いますけども、最後までしっかり聞いてください。
感動的なエピソードをお話ししますからね。それでは早速いきますよ。
盤記者は語る、長島監督行天感動エピソード3セットだけども、実はですね、長島監督の盤記者はですね、45年間やった方がいらっしゃるんですね。
柏秀樹さんと言います。この方はですね、スポーツ法治で長島監督の盤記者ですね。専門に取材する人ですね。
僕はこの方と30年以上の信仰があるんですね。素晴らしい方です。
もともと青山学院大学でですね、ラグビー部の師匠をやられたんですけど、それを変わってですね、スポーツ法治で長島監督の盤記者だったわけです。
盤記者っていうのはね、奥さんとか家族よりも一緒にいる時間が長い人だよね。ずーっと取材しますからね。
どんだけ親しいかというとですね、2000年1月16日ですね、KOプラザホテルでですね、ある披露宴がありました。
それはね、柏さんのご長男のすすむさん、柏すすむさんの披露宴だったんですね。
そこに、大長島、それから彼ら、それからラグビーの松尾裕二さんとか来てたよ。
KOプラザホテルだったんだけど、すっごい祭典でした。僕もその披露宴に参加したんですけども、もちろん主人は長島監督のスピーチなんですけども、
なんかね、振動の本当はですね、親御と言わなきゃならないんですけども、たまたまですね、その年、2000年っていうのは応援対決が実現した年だったんですね。
つまり、長島監督はジャイアンツですね。それから大監督はダイエー・フォークスの監督でですね、その年に日本シリーズで激突するんですけども、その時の話ですね。
もうね、話したんですけど、名調の話になって、長くなりましてね、やめましょうかって長島監督が言ったらですね、長島、頑張れ、まだ大丈夫だ、そうですかって言ってですね、日本シリーズに関する意気込みを入れたんですね。
そして最後にこういう風に言いました。今年、我が読売ジャイアンツ、巨人が日本シリーズで優勝しなかったら、坊主になりますって言ったんですよ。
そしたら当時、朝露でですね、ロングヘアで茶髪の女性がいたんですね。岩本明美さんというレポーター、めっちゃ有名な人がですね、それを聞いてですね、即座に携帯で言ってました。
スクープです、スクープです、今長島監督が披露宴で、今年日本一にならなかったら坊主になると言いましたって言ったんだよね。
そしたら、しゃっかりもう次の日のスポーツ新聞やですね、ニュースやそれが流れていた、ほんと伝説の人ですよね。それだけ柏さんは長島監督と親しかったわけです。
感動エピソードの紹介
それではですね、柏さんから聞いたですね、あの日の情報、お話、エピソードをお話しますね。3つお話しますよ。
1つ目はね、長島監督の家はですね、田園町風に見えました。田園町風3丁目ですね。実は僕はその時じゃないけどね、田園町風4丁目に住んでたんで、距離がね300メートルくらいかな。
そこにね、長島監督の家には地下室があったんですって。そこでね、腕ないと帰ってきて、ジジイらが帰ってくるでしょ。
で、漏れなくですね、バンキ社の柏さんも来るわけです。そしてね、ずーっとバッと振ってるんですって。3時間でも4時間でも。
で、奥さんがですね、スープとか食事を持ってくるんだけども、もうガン無視してですね、ずーっと真剣にバッと振ってるんですって。
で、柏さんは何をやってるかというと、ずっと付き合わされるわけですね。家にも帰りません。
ミスターが言うんですって、長島監督が。柏さん、俺の毒が悪いんだ。言ってくれ、柏君。
いや、監督じゃなくてね、長島さん、僕は野球のこと分かりませんから、アドバイスできませんよって言ったら、何言ってるんだ。3時間も4時間も僕のバッティング見てるんだろう。なんかあるだろう。
仕方がないんで。そういえば、長島さん、バットのヘッドが下がってますね。
あ、バットのヘッドが下がってるから、よしよし、ちょっと上げようって。また振るんですって。そして一言、よし、お疲れさん。
もう、2時か3時だよね。柏さん、また行って、朝グラウンドに行くわけ。そうすると、元気のいい長島さんが来てるわけですよ、9時くらいにはね。
そして、ちょっとバッティングをカンカンカンってやって、あ、よし、とか言ってですね、もう上がるわけですね。
そして本番ではまた打ちまくるわけですよ。そうすると、長島はやっぱり天才だ、じゃないんだよね。
そういうのをずっと地下室で練習して、感触をつかんで、いい感触でやるから、そういう努力は見せないんだよね。
長島監督は、自分で言っています。私ほど、球界で練習した人はいませんって言いますけど、本当にその通りだよね。
で、2番目のエピソードはね、1994年、長島監督が、監督として初めて日本一になった年です。
その年にですね、屋敷カナメっていう選手を、横浜ベイサーズの前身は太陽ホエーズって言うんですけども、そこから取ったんだよね、外野手。
新足高田のね、すっごくね、浅黒くてヒゲがあってかっこいい選手だったんだけども、その選手を取りました。
そして1994年ですね、4月12日、横浜スタジアムでですね、フルス、太陽ホエーズって言ったんですけど、横浜ベイサーズに勝ったんだよね。
そのチームとやったわけです。9回雨が降ってました。風雨だよね。そしてカクテル復興戦が横浜スタジアムであるんだけども、
守備固めに9回の裏、屋敷選手がですね、まあ守備についたわけです。で、そういうところで球飛んでいくんだよね。
それをね、まあ、見失って目測をですね、万歳してエラーしたってわけ。本当はエラーじゃなかったんだよね。
この選手っていうのはですね、ロバート・ロースという選手が打った球なんだよね。
あの公式は2ベースだったんだけども、それがショックでもう帰ったんだよね。泣きながら帰ったんですね。
長嶋監督にせっかく取ってもらったのに、もう期待に応えられなかった。
そしたら次の日にね、長嶋監督から電話がかかってきたんだって。
屋敷君、って奥さんがね、電話取ったらしいんだけども、本人に代わって。屋敷君、昨日お疲れ様。
長嶋監督の成功と教訓
監督すいません、というふうな重要なところでエラーしちゃって。いやいや、いいんだよ。君みたいに名刺が取れないんだから、うちのね、下手くそな選手は誰も取れないんだよ。
大丈夫、気にしないで、というふうに言われたそうです。その言葉を胸にですね、やっぱり恩返しするんだよね。
今度は1994年の日本シリーズ、これセーブでやったんだよね。第2戦でですね、やっぱり守備固め、9回の裏に。
そこで勝てたんだけども、ヒットを打たれたらもう同点、逆転される場面で、守備固めに入りました。
2アウトね。そこへまた飛んでくるんだよね。それを既悪のダイビングキャッチでですね、同点にするのを阻止して、それが元でですね、4勝2敗でセーブ、ライオンズで勝って、長島ジャイアンツは初めて日本一になったんですね。監督として日本一になりました。
そういうようなことってあるんだよね。このモチベーションのかけ方、めちゃくちゃすごいと思いませんか?
3つ目のエピソードはですね、2004年のことですね。実はこの年、アテネオリンピックのですね、監督に来ましたんですね。気合が入って絶対金メダルを取るぞーと思ったんですけども、長島ジャイアンツ監督はですね、濃厚足で倒れちゃったわけ。もう下半身まして、言語障害も残って大変なひどい濃厚足だったわけです。
当然、アテネオリンピックの監督はですね、星野監督からだったかな?に譲ってですね、リアビル生活に入るんですけども、ものすごかったって柏さん言ったけども、泣き言をね、一切はないんですって。もう一度行こう!もう一度行こう!前だ!つって、倒れたら普通、なんで俺がとかですね、なんでこんなにひどいリアビルなんだとか、もう苦しくて辞めたいっていうらしいんですけども、長島監督は一言も泣き言を言わなかったそうです。
長島監督、濃厚足になって大変だったんじゃないですかって言ったら、いやいや、僕はリアビルをやってる理由っていうのはね、まだオリンピックもあるし、世界選手権もあるし、WBCもあるしね、僕には夢がたくさんあるんですよ。まだまだやりたいことたくさんある。だからリアビルなんてね、大したことないんですよ。僕はまだやりますよ。いつまでも明るいミスターだよね。
逆境を乗り越える力
この前向きな言葉、前向きな言動、前向きな行動力がですね、スポーツ、野球界のみならず、たくさんの人を引きつけた理由でもあったわけですね。その方がですね、本当に残念ながら8月89歳のね、生涯を閉じたんですけども、僕はね、すごくやっぱり尊敬するんですね。
で、実は柏さんもですね、今年の4月かな、亡くなったんですよ。そして、うちの師匠、箱田忠明、カリスマ講師も長島監督の大ファンで長島ジョークを言ってたんですけども、今年のね、実は1月18日、亡くなったんです。
ですからね、なんか長島監督が呼んだような気もするんだよね。今頃3人で天国でね、野球団結でもしてくれたらいいなと僕は素直に思うんです。
で、最後に何を言いたいかって言ったらね、やっぱり何があっても、めげずに、諦めずにね、戦い続けるというような明るく楽しく元気よくいくということ。これをね、長島監督は、後ほど背中で教えてくれたよね。
だから僕たちもね、これから日本を良くしよう。歴史のある伝統のある日本。みんなでね、力を合わせて、声の力も合わせてですね、いい日本を作ろうじゃないですか。というのが僕が言いたいことです。
今日はね、ちょっと力が入って噛んだりしましたけれども、いかがだったでしょうかね。いいね、コメント、感想、質問、何でも結構ですがくださいね。
インプットしたものはですね、必ずアウトプットしてくださいね。コメントもください。待ってますよ。
今日もね、最後までお聞きいただきましてありがとうございました。ちょっと今日長くなったけどもね。
あとスピーチプレゼンテーションが上手くなりたい方はね、無料で個別相談もやってますので、ぜひ公式LINEからお入りください。
ということでですね、今日も一日明るく楽しく元気よくお過ごしくださいね。
それでは明日、また8時8分にお会いしましょう。いってらっしゃい。
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