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みなさん、おはようございます。
声で未来を創る音声ブランディング講師の浜田幸一浜ちゃんです。
今日は12月21日ですね。
今日は僕は楽しみなんですね。
全国高校歴年というのがあるんですけども、熊本県代表として母校が出るんですね。
ですからテレビでしっかり応援したいと思います。
後輩の発信地から思い出したいと思います。
さて、基本のテーマですけどもね、
『同級生、柔道・山下泰裕くんの車イス姿に涙、それでも彼は世界一!』というお話をちょっとしてみたいと思うんですね。
本題に入る前にお知らせです。
このチャンネルは、38年間で4,000回以上のセミナー、10万人以上にスピーチ・プレゼンを主導してきたセミナー講師・講演家の浜田幸一浜ちゃんが、
話し力で人生を変えたいあなたに向けて、伝わり技術、プレゼンの動き、信頼を得るコミュニケーションにつつを発信している情報番組です。
スピーチやプレゼンが上手くなりたい方、自分の言葉で未来を変えたい方、成功のきっかけは話し方、スピーチ、プレゼンから始まります。
いろんなエピソード、心構え、マインドなんかも話しますので、ぜひぜひ今日も最後までお付き合いください。
それから、いいね、コメント、フォロー、感想、質問、何でも結構ですからね、どんどんくださいね。
コメント、メッセージをもらうとすごくやる気になるんですね。
それから、インプットしたものは必ずアウトプットしてください。
インプット3、アウトプット7ですよ。
そして、声に出して誰かに言うと必ず身についていきますからね。
そして、実践してください。
あと、スピーチ、プレゼンが上手くなりたい方、興味がある方はですね、無料個別相談やってますので、LINEの公式からぜひお入りください。
柔道家としての軌跡
さて、今日のテーマですけどね、高校の同級生、柔道の山下康二君の車いす姿に涙、それでも彼は世界一という話をしたいと思います。
実はですね、柔道の山下康二君はですね、ちょうど日本オリンピック委員会の会長をやってました。
今はもう辞めたんですけどね、前会長なんですね。
プレッシャーも大きかったと思います。
彼と僕はですね、高校の同級生なんですね、熊本で。
1年半一緒にですね、同じ釜の召し上がりですけども、同じ教室で過ごしたわけなんですね。
高校2年生の夏に東海大学高校に転校したんですけども、1年半でした。
彼の姿を僕は知ってるんですね。16歳で来ましたけども、天下無敵でした。
柔道ではね、もう敵がいなかったよね。
中学生同士でやるのは危ないということでですね、大変な選手だったんですけども、もちろん高校1年生のインターハイ全国大会で重量級で優勝しました。
そして、一緒にいる予定だったんですけども、彼はもうちょっと強くなりたいということで、東海大学高校に転校して、
それからですね、ロサンゼルス1980年ですね、これで無差別級で涙の金メダルを取りました。
なぜかというと準決勝で右足を負傷したんだよね。
そしてもう歩けないような感じだったけども、決勝ではですね、エジプトのラッシュワン選手っていうのは見事抑え込みでですね、1本を取って世界一に輝きました。
本当はね、その前のオリンピック、1980年のオリンピック、モスクワで彼が金メダル確実と言われたんですね。ところがね、政治の話ですよね。
ソ連がですね、アフガニスタンという国に進行したという理由でですね、当時の自由主義諸国ですね、日本とかアメリカはですね、ボーイコットしたんですね、オリンピックを。
そこで絶対に優勝すると言われている選手がですね、あと1人いたんですね、セコ・トシヒコ選手、マラソンね。
セコ選手も次のロサンゼルスまで行ったんですけども、残念ながらメダルに手が届きませんでした。
山下君はね、一応メダルを取ったんですよ。
その後終わってね、僕はすぐラッキーだったんですね。
神奈川県の小田急線の鶴巻温泉駅というところのお寿司屋さんで彼とですね、僕の知り合いのメンターである音楽の瀬戸龍介さんと3人でやったんですね。
そこでオリンピックの話を聞きました。今じゃ考えられないけども会ってくれたんだよね。
そして、あのメダルを取った時にはどういう気分だったって言ったら、もうやっと取れたっていうのはね、気持ちだったんですって。
抑え込みに入った時の話をしてくれました。30秒で1本なんだけどもね。
とにかく無我夢中だったって。地球がなくなろうと、世界がなくなろうと、このオリンピックの会場がなくなろうと、絶対に話すもんかと思って数を数えたそうですね。
当時は30秒で1本でした。ですから、1、2、3と。渾身の力をですね、もう込めながらやったらしいんですね。
で、2宿、3宿ってパッと見た時にですね、1本それまで渾身の手があったんですって。それが寸分の悔いもなかったって言ってましたよね。
事故とその後の挑戦
そういうことをお話ししてくれました。その山下君がですね、2年ほど前にですね、温泉に行って、そして気を失って2メートル下の崖に落ちてですね、けいずいって言うんですよね。
それを損傷してですね、それから入院したっていう話を聞いてたんですよ。ただこんなにひどいとは思いませんですね。でも彼はですね、出てきたんです。
等身大の自分の姿を見せたいっていうことでですね、昨日ネットニュースに出てきたんだよね。すごいなと思ってね、もう涙が出ました。
ほとんどね、左手以外は動かないんですって。首から上は動くんですけど、ほとんど動かないんですって。ですからね、着替えをするのでも2人がかりで30分以上かかるんですって。大変だよね。そういう姿でも彼は出てくれました。
山下君はね、高校時代も一生懸命でしたよ。英語の時間なんかね、右手に辞書、左手に教科書を持ってですね、もう先生にですね、どんどん質問してきました。
先生はこういうふうに言いましたけど、辞書にはこう書いてありますけど、どう違うんですか。もう山下康弘君、独演会が始まるんですね。
なんで山下君そういうふうに頑張らないと聞いたら、いや、柔道で世界一になりたい。だから帰ったらもう勉強する気力がないから、この授業中に覚えてしまえば問題ない。
頭良かったです、やっぱりね。集中力もあるよね。そういうふうな感じでした。優しさもあったよ。野球部の練習は厳しいから。
プラッシーというね、当時オレンジジュースみたいなのがあったんですけども、野球部の平井君というピッチャーがいたんですけども、
サムラニスを置いておくわけ。平井、あそこにプラッシー置いておくから、お前飲んでくれよとかね、そういうところもあったんですよ。
それから、なんかね、オリンピック終わった直後だったのに色紙が欲しいって僕が言ったらですね、色紙を送ってくれました。
それから、なんとですね、会話は熊本で行われた結婚式の平井にも呼んでくれました。本当嬉しかったですよね。
僕はやっぱり今でもチャレンジを続けているのはですね、やっぱり安井の君との出会いが非常に大きいんですね。
僕のイメージではですね、怪我をしても勝つ。骨が折れても勝つ。絶対に負けない男。不屈、最強、無敵。皆さんもそう思いませんか?思ったんだよね。
でもね、その人間的な弱さを見せてくれたよ、彼はね。等身大の自分を見てほしい。そして、障害者の生活を見てほしい。そういう気持ちでね、出てきたわけですよ。
そして、東海大学で講義をした。本当すごいなと思うんですよ。
彼がすごいのはですね、そのような状況になってもですね、体が動かなくても前進してるんですね。立ち上がれなくても前進してます。
そして、彼の生き方はね、1ミリもずれてないですよ。僕はそういうところにね、やっぱり同級生として感動するんですね。素晴らしいな、やっぱりと思いました。
生き方の重要性
人生の価値っていうのはね、金メダルを取ったとか強いとか無敵とか関係ないんだよね。それもあるけどね。生き方で人の心を打てるか。今でも彼は世界中の人にですね、勇気と希望を与えてますよ。
そういう生き方、在り方がね、僕はすごく素晴らしいと思うんですよ。ですからね、彼ら今も昔もこれからも世界一ですよ。柔道家、世界一の人間など、僕はですね、誇りに思っています。
だからね、今このお話を聞いているリスナーのあなたがね、今思うように動けない。結果が出なくて自信が失いかけている。そういう時にはね、この話を思い出してくださいよ。
体が動かなくても前に進んでるじゃないですか。そういう姿、そういう人もいるっていうことだよね。
彼がね、こういうふうに言ってるんですよ。いいことも悪いことも、幸運も不運も、いろんなが起こってのことが人生だってことです。もう一回言うよ。
いいことも悪いことも、幸運も不運も、いろんなことが起こっての人生だ。前向きに捉えてますよね。
本当に僕はですね、同級生として一緒に同じ時代を生きている人間として尊敬してます。素晴らしい人間だと思います。そして勇気をもらっています。どうでしょうかね。
ということで今日はですね、高校の同級生柔道の山下康生くんの車いす姿に涙、それでも彼は世界一だという話をさせていただきました。いかがだったでしょうかね。
ちょっと今日は力が入ったけどね。これで今日の話は終わりなんだけども、いいね、コメント、フォロー、感想どんどんくださいね。
インプットしたものは必ずアウトフットしてください。
今日はですね、日曜日ですね。最後まで聞いていただきまして本当にありがとうございました。これから全国高校の駅伝で後輩を応援します。
ということで今日も一日明るく楽しく元気よくお過ごしください。
では明日また8時あちゅうにお会いしましょう。