甲子園の秘話の始まり
皆さん、おはようございます。声で未来を変える音声ブランニングコーチの浜田幸一、浜ちゃんです。
今日は8月30日、土曜日ですね。日替わりお過ごしですが、
今日はね、甲子園の話をちょっとしたいんですね。僕、高校野球大好きなんですけどね。
2人の同級生の人生が劇的に変わった、聖地甲子園秘話っていうテーマでお話をしていきます。
本題に入る前にお知らせです。
このチャンネルは、38年間で4,000回以上のセミナー、
10万人以上にスピーチ・プレゼンの指導をしてきた、セミナー講師・講演家の浜田幸一、浜ちゃんが、
話し方で人生を変えたいあなたに向けて、伝える技術、プレゼンの極意、信頼を得るコミュニケーション術を発信している情報番組です。
ですから、スピーチやプレゼンが上手くなりたい方、自分の言葉で未来を変えたい方、成功のきっかけは、話し方・スピーチ・プレゼンから始まります。
いろんなエピソードとかですね、マインド・心構えなんかも話していきますので、ぜひぜひ今日も最後までお付き合いください。
それからお願いですね、いいね、コメント、感想、あるいは質問、何でも結構ですからくださいね。
こんなメッセージとかですね、コメントをもらうとすごくやる気になるんですね。ぜひお願いします。
それから、インプットしたものは必ずアウトプットしてくださいね。
誰かに言うこと、実践することによってですね、身になりますので、どんどんやってください。
ということで、今日も最後までお付き合いください。
あとですね、スピーチ・プレゼンテーションが上手くなりたい方、興味がある方はですね、LINEの無料個別相談からお入りください。
最近ね、何かが、何かいらっしゃってますけどもね、楽しんでいただいてますよ。
さて、今日のテーマはですね、2人の同級生の人生が劇的に変わった成知甲子園秘話という話なんですけど、これ実際あった話なんですね。
今の高校野球はですね、県で優勝すれば自動的に甲子園に行けますけども、僕たちの時は違ったんですね。
川田圭吾のエピソード
熊本県で勝ったらですね、その隣の大分県とやってですね、大分県と勝たないとですね、甲子園に行けなかったんですね。
中九州大会というのがありました。
で、実はですね、その時に運が良かったんですよね。久しぶりにうちの高校が甲子園に出たんですよ。嬉しかったですね。
ずっと狭いグラウンドで練習してたんです。うちは250メートルぐらいのトラックなんですけども、もうボールが飛んでくるわけ。
その中をですね、僕は短距離と長距離をやってたんですけども、走るわけですね。
で、ボールが飛んでくると、危ないって言われるんですね。
もうその声がですね、賑やかなんですよ。何回か当たったことはありますけどね。
そうやって切磋琢磨してですね、片谷甲子園出場、片谷全国大会いきなりですね、それを目指して毎日練習してたわけですね。
そして甲子園にですね、行ったんですけども、その試合、僕はこの島のですね、藤崎大球場というところに実際に行ったんですけども、
マジで感動しました。もうずっと大分県代表に負けてたんで、その瞬間見ることができたのはすごく嬉しかったですね。
野球部と陸上部は仲が良かったんです。野球部が試合がある時には僕たちは応援に来ました。
そして駅伝の時にはですね、その駅伝の応援に野球部のみんなが来てくれたのですごく仲が良かったんですね。
その中で2つ、甲子園でですね、素晴らしい感動的なエピソードがありました。
1つはですね、ショートを守っていた川田圭吾君と言っていたんですね。
彼は九州No.1のショートストップと言われたんですけども、甲子園でもですね、いいプレーをですね、どんどんやりました。
そして全国の舞台になんとですね、隠し玉っていうのをやったんですよ。
相手はですね、愛媛の競合、新浜商業って言うんですね。
で、結局ですね、うちの高校はそこで負けたんですね。
で、新浜商業はどこまで行ったかというと、決勝まで行ったんですよ。
すごいですね、競合だったんだね、やっぱりね。
そこでそのプレーがですね、認められて、彼はですね、その後1回戦では負けたんですけども、全日本に選べたんですね。
いわゆる海外のチームと試合をする選抜チームのショートストップとして選ばれたわけです。
日本代表ですね。
その時にサードを守っていたのが、当時プリンスと言われた東海大相模高校のですね、原辰則元ジャニアツの監督なんですよ。
そして彼はですね、なんと2週間ぐらい原監督と同室でですね、めちゃくちゃ仲良くなったんですね。
その友情は今でも続いています。
原監督がジャニアツの監督として熊本に来た時はですね、必ず川田君がいろんなところを案内していたそうです。
今、川田印刷という社長になってですね、息子さんに社長職はですね、譲って、今はですね、会長になってますけども、たまに会うとですね、その時に話をするんです。
僕は聞いたんですね。川田はあの時はどういう気持ちだったわけ?
言ったら、いやもう、はまだ必死で何も覚えてないって俺は。とにかく勝ちたい。その1年でやったんだけども、その時のことは後でテレビで見て知ったけども、覚えてないって言うんですよ。無我夢中だったって言うんですね。
まあ一つのプレーですけども、やっぱり真剣にやっていたんですね。この話を聞いてね、また感動しました。
平井正秀の奇跡
もう1人はですね、平井正秀君ですね。彼はピッチャーで素晴らしいピッチャーだったんです。入ってきた時にはね、九州大会で優勝して、その時の優勝ピッチャーにもなったんですけども、その後肩を壊してね、本当控えに回ったんですね。
2年生のピッチャーがですね、投げたんですけども、彼はずっと補欠っていう感じですよね。
でね、ここで奇跡が起こったんですよ。甲子園で新居浜商業線でですね、もう2アウト、ランナーなし。その時にですね、彼は勇気を振り絞って言いました。
尾形監督、代々出してください。尾形徹というですね、27歳の青年監督だったんですけども、言ったんですね。
しばらくのしばらくがあってですね、よし平井けん、代々平井!という大きな声がですね、甲子園球場にこだましました。
そして彼はバッターボックスに行って、ちょうど頃だったかな。それでゲームセットになったんですけども、彼がね、こういうふうに言ったんですよ。
浜ちゃん、俺はあの一言で人生が変わった。あの時勇気を出して、その一言を尾形監督で言ったんだったら、俺の人生が変わった。
あの一言で、それから卒業して営業の仕事をやったけども、本当にね、あの第一歩、あの一歩、あの一声で俺の人生が変わった。
もうね、勇気が出た。その後の人生にものすごく役に立った一言だったということを彼は言ったんですね。
その後ですね、彼は廃品回収の会社の社長になりました。
今はですね、息子さんがやってるんですけども、残念なことにですね、彼は納婦拘束で倒れて車椅子生活をずっとやってたんですね。
最後はですね、肺癌になって3年ほど前に亡くなったけども、いつも電話で言ってくれていた言葉があります。
ハマちゃん、体は気をつけんといかんばい?な?と、いつもね、車椅子になって納婦拘束で倒れた彼が言ってくれるんですよ。
その言葉はね、今でも僕の頭の中にですね、鮮明に残っています。どうでしょうか。
そして聞いたらですね、ダマ君っていう同級生がいたんですよ。最近一緒に会って飲んだんですけども、
平井に言ったのは俺よ。平井って、お前ここ行け。監督に俺が言うてやるけん。監督、代々出してくださいってお前言わんといかんよって、ダマ君が言ったそうです。
素晴らしい友情ですね。ダマ君も控えだったんですけども、キャッチャーとしてですね。
自分がやっぱ甲子園に出たいよね。でも平井君を優先したんですよ。本当にいい話ですよね。
何を言いたいかというと、一つの言葉、一つの言葉で人生が変わることがあるということなんですね。
ですから僕もスタンドFMやってますけども、一生懸命喋ってます。特にマメったりとかですね。
噛むこともいっぱいあるけども、それでも全力投球で話します。それはあんまり関係ないことなんで、はっきり言ってね。
僕は講演研修の仕事やってきましたけども、一生懸命喋る、話すということがですね、誰かの心に刺さり、それから誰かの人生を変えることがあるということを僕は言いたいわけです。
ですから皆さんも配信されておりますけども、心を込めてですね、自分の言葉で一生懸命配信してみてください。
そうするとね、いいこと起こりますよ。奇跡も起こります。人生も楽しくなります。
ということで今日はですね、2人の同級生の人生が劇的に変わった聖地甲子園ヒワというお話をさせていただきました。
どうだったでしょうかね。いいね、コメント、感想、それからインプットしたものは必ずアウトプットしてくださいね。僕にも感想をくださいね。
ということで今日も最後までお聞きいただきまして本当にありがとうございました。
今日もね、暑くなりそうですからね、睡眠補給をしっかりして明るく楽しく元気よくお過ごしくださいね。
それではまた明日8時8分にお会いしましょう。