1. ミドル巨人くん ぶらんにゅ〜
  2. 2021.03.12 <レジェンド語り⑥..
2021-03-12 12:01

2021.03.12 <レジェンド語り⑥香田勲男> from Radiotalk

00:14
はい、みなさん、おはようございます。
ザボのミドル巨人くんでございまーす。
この番組、ミドル巨人くんが巨人、おじさんザボが巨人を語る番組でございまーす。
さあ、と言ったところで、雨傘番組収録でございます。
えーっと、残りわずかになってきたので補充ということで。
えー、1989年ぐらいに、僕が小学校6年生ぐらいの時にジャイアンスで活躍した選手、レジェンド語りとして喋ってみたいと思いまーす。
えー、レジェンド語り第6弾、広大サオ特集でございます。一つ、よろしくお願いします。
えーっと、今が何時だ?11時半ぐらい。
えー、3月7日23時30分ぐらいですけれども、
本日の9時前ぐらいに、えーっと、クラブハウスの方で高梨雄平選手がね、えー、番組やってらっしゃってて、うん、これを聞きながら、えー、ノートを書きました。
このノートを読み上げていきたいと思います。よろしくお願いしまーす。
はい、えー、この広大サオ選手ですが、えー、去年のね、えー、年末、
ポッドキャスト番組、タイガースキャストセカンドシーズにおきまして、クイズ大会が行われましてね、でー、
トモロ若旦那様からですよ。お前もクイズを遅れこと、この野郎と、バカ野郎と、何やってんだよと、
いう風に言ってもらったので、えーっと、高田さんのね、クイズを出しまして、うん、おかげさんでね、タイガースキャストオリジナルタオルをゲットいたしました。
トモロさんありがとうございました。とても大事にしてます。ちょいちょいビニール袋から出して、えー、ぴらぴらぴらぴらとめくってからまた元に戻すみたいなことをしてますよ。
一切ね、何かを拭いたことはないです。うん、とても大事にしてます。できれば洗濯したくないと思ってます。
はい、まぁいっか、という感じです。このクイズ会は、タイガースキャストの368回と369回、
ね、チェケラーでございますよ。僕のクイズは368回で読まれたはずでございました。ね、千年さん、トモロさん、どうもありがとうございました。タイガースキャストの皆様、どうもありがとうございました。
チーム千年の皆様、どうもありがとうございました。僕もチーム千年セピアという枠組みでいるつもりでおりますのでね、今後ともぜひ可愛がってやってくださいねと言ったところで、今日もね、配信後にはノートにアップします。
03:06
タイガースキャストセカのシーズンと、それからツイッターのアカウント、ノートに載せてございます。ぜひフォローの方よろしくお願いします。
てなことでございまして、高台さんを特集でございます。高台さんは1965年5月29日、長崎県出身のプロ野球選手でございます。右投げ右打ち投手。
サセボ工業出身。1983年ドラフト2でジャイアンツに入団してございます。まだまだドラフトが、なんだろうね、ウェーバーじゃない時代ですよ。
全部競合を被ったら、くじ引くタイプのドラフトですね。この年のドラフト2位で、後にヤクルトに入ります池山選手をですね、ジャイアンツは外してしまいましたね。
これの外れ2位で、高台選手を獲得してございます。高台さんのプロ、初当番は高卒2年目、1985年6月9日、タイ中日線名古屋球場でが、初当番でございました。
翌1986年にプロ初勝利。しかしですよ、この年にオフにですね、右肩の手術を受けることとなります。
怪我でね、投録抹消になっちゃうわけですね。練習性扱いと言った形になります。今で言う育成契約になりますね。
当時ですよ、金鉄からの遺跡選手、ベテラン保守の有田修造さん言うわけですよ。
素晴らしい同志だと、絶対に一軍で使い続けれべきと高い評価を致しました。
鈴木景次に愛された有田さんにね、そういう風に言ってもらったそうですよ。
連れて歩くならなしだ。受けるのは有田。みたいなね、そんなことを言った鈴木景次さんですね。
1989年対金鉄戦との日本シリーズ。1個人3連敗後の4番手と先発投手として先発した高田選手。
このゲームで決め玉かスローカーブが決まり、完封勝利で徳田割に足をかけた状態で首に留まり、ロッテより弱いなんていう発言もあった。
こんなシリーズでして、ここから4連勝と逆転日本一と輝いた日本シリーズを大きく貢献した高田さんでございます。
この日本シリーズ第4戦は方の手術を執刀した上部博士、それと高田さんの奥さんと一緒に
06:02
富士寺球場で観戦した、富士寺?違うな、東京ドームだ。東京ドームで観戦したといった感じ、いったそうでございますよ。
翌1990年既定東急回数に達成いたしまして10勝を上げました。 セリーグ制覇に大きく貢献いたしましたといった感じです。この年がキャリア杯と言えるでしょう。
ここから徐々に成績は下降戦をたどっていきますと、自分がローテの柱と並んだと勘違いしてしまったのが失敗だと高田さんは後にそう語ってございます。
この年の先発ローテーションジャイアンス、桑本柱に加えて宮本和友、高田勲、あと木田勲なんて人も出てきた。
たしか平成2年、3年かな?平成3年ぐらいのローテーションだと記憶してございます。そしてね、1995年から近鉄に移籍することになります。
1997年には9勝を上げるといった活躍を見せてございます。 1999年にはリリーフとして55試合に当番、抑え役なども務め5勝8敗8セーブを記録してございます。
当時最下位のチームの中でもしっかり存在感を示したと言えると思います。 2001年の近鉄優勝にもしっかり貢献しましたが同年11月21日に引退を発表いたしました。
引退後は投資コーチなどを務め、近鉄とかジャイアンスとかで投資コーチを務めました。
2012年にはフジテレビ1プレ野球ニュースの開設を経て、韓国のベアーズの投資コーチ。 この時は元近鉄の石山さんがこのチームの監督だったそうで、そのつてもあって投資コーチに就きました。
2014年からは阪神タイガーズの投資コーチに就任。 昨年もやってたかな。2021年からは再度プレ野球ニュースの開設者へとつきますよといった感じです。
現役年数は16年。手術を受けながらも長命の選手寿命だったと言えると思いますよといった感じですね。
時代としては、近鉄阿波野ですとか、日ハム西崎ですとか、西武渡邉久信ですとか、この辺りのトレンディーエースが流行ってた時代のピッチャーでした。
ピッチングフォーもそれによく似てたような。 軸足のつま先を上げて、
09:02
その時にグラブと投げる手の輪っかを作りました。
左足、左膝をその輪っかの中に通す、そんなピッチングフォームだった。 投げ終わった後にすごく伸びやかに
右足をサード方向に伸ばす。
華麗なピッチングフォームだったと記憶してございます。
主な成績でございます。まず巨人時代、1988年には先発11試合に投板、93.2リングを投げました。4勝3敗1セーブ。
防御率2.59。1990年、130.1リングを投げまして11勝5敗。防御率2.90。
1993年は100リング投げまして8勝7敗。防御率3.51。
金鉄に移籍後です。1997年107.1リング投げて9勝4敗。
防御率3.69。1999年55試合投板99.2リング投げまして5勝4敗8セーブ。
防御率2.44。引退したシーズンは2001年。
36試合に投板しまして47.2リングを投げまして2勝3敗1セーブ。
防御率3.97。36歳での引退でした。
背番号、巨人の時代は48番、金鉄は12番だったと記憶してございます。
僕の印象、持った印象、前歯がやや長く長い高田さん。ゲームセンター嵐の主人公の嵐くんよく似てるなというふうに思ってます。
これもノートに載せてます。またご覧いただけたらと思います。
ウリは切れ味鋭いストレートとスローカーブのコンビネーション。とても好きなピッチャーだったんです。
またね、いつかジャイアンスに帰ってきていただけたらなぁなんていうふうに思っております。
といったところでお時間でございます。私ザボンラジオトークのほかに
ポッドゲスト番組、ベースボールカフェ、期間中制、スタンドFM、ザボンフリースインガーノート、ザボンダブンダブなど配信作品多数ございます。
サブスク、登録、いいねお願いします。皆様からのメッセージ、コメント、マシュマロレビューなど知った激励応援メッセージ受け取るなど
首を長くしてお待ちしております。よろしくお願いいたします。あとツイッターでございます
ZABO、あとマークB、数字の960122、ザボン、そしてインスタも始めました。
同じザボンという名前でね、やってございますよ。ぜひフォローよろしくお願いします。ではバイチャ!
12:01

コメント

スクロール