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2021-03-06 08:44

2021.03.06 【レジェンド語り④緒方耕一】 from Radiotalk

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はい、みなさんおはようございます。 ザボでございます。
この番組 ミドル巨人くんは巨人おじさんザボが 巨人を語る番組でございます。
本日はレジェンド語り第4弾。 尾形浩一語りでございます。
このレジェンド語りコーナーはですね。
私が小学校6年生近辺で活躍してた選手を 振り返り語るコーナーとなっております。
第1弾 ロメイシ 第2弾 ビルガリクソン 第3弾 井上真嗣に続く第4弾 尾形浩一さんのお話をしてみたいと思います。
よろしくお願いします。
尾形浩一 1968年9月2日生まれの52歳。
右投げ両打ちの外野手・二塁手の選手でございました。
1986年 ドラフト6位 福本男業からの入団となっています。
就職を生かした闘類や広い守備範囲が 売りのイケメンプレイヤーでございました。
僕の近所スーパー プラーナって言うんですけどね。
そこでねサイン会を開いてくれたこともあり
これは中学1年生だったんですよね確かね。
それが平日木曜日だったので
母に頼んでサインをもらっていただいたことを覚えております。
色紙とTシャツに頂いたんですよね。
しばらく20歳、20歳過ぎぐらいまではずっと
勉強部屋に吊るしてたです。そのTシャツ。
日焼けしてマッチャッチャになってました。私最後はね。
尾形浩一選手にスイッチヒットになったきっかけはプロ入団後でございます。
入団2年目に二軍で闘類を獲得。
1試合6闘類なんていう記録も達成してございます。
1989年プロ3年目に一軍デビュー。
内外野を兼務し出場機会を増やしていきました。
プロ1号ホームランからラーニングホームランというのも珍しい記録となっています。
出身校が同じ先輩の井上慎二と熊子をコンビとして女性ファンから
ワーキャーの黄色い声援を一心に浴びておりました。
イケメンとしてもお馴染みの選手になっています。
レギュラーセカンドの篠塚が腰の故障で長期離脱した1990年にレギュラーダッシュ。
既定打席に到達を果たします。
この年広島野村健二郎と同数の33の闘類数で闘類王を獲得。
同年の日本シリーズでアキレクス権を故障してしまいまして
それ以降ケガとの戦いが始まることになります。
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1993年にはケガを克服して24闘類を達成して
石井卓郎選手とともに2度目の闘類王を獲得しました。
巨人では大変珍しい複数回の闘類王を獲得選手となりました。
巨人は小型以降18年かけてやっと藤村大輔が闘類王を獲得したのが2011年のことです。
また10年以上闘類王を排出していないジャイアンスとなっています。
なかなかジャイアンスを走れる選手ってそんなにいっぱい出てこないんですよね。
ただ今の主力メンバーでいうと吉川直樹だったり松原誠也だったり
この辺りを走れる素質があると思うので石井卓郎を狙っていただきたいと思いますし
体操の切り札で松田大輝なんていう人が去年ブレイクしましたのでね
これも継続していただけたらなというふうに思っています。
松田大輝は今二軍のキャンプじゃなかったかな?
現在、配信はいつするかまだ決めてないのでね。
キャンプの話はやめておきましょう。
あとはね、岡田選手。
日本シリーズではマンレフォームなお話、当時の監督長島茂雄にミラクルボーイと言われたこともありました。
アキレス腱や腰の怪我の影響もあり、30歳となる1988年に引退を致しました。
引退後は野球開設社や巨人社のヤクルト、あるいはWBCサムライジャパンでもコーチに就任しまして
ご自身の経験を後輩たちに受け継いでおりますよといったところですね。
あと共に害を守った松井秀樹と交流が深く、巨人のコーチ時代には
鈴木孝博に統領の母国を伝授したそうですよといった話もございます。
単純なルックスから熊本のプリンスだったり、マイクを持った統領だったり、
そんな統領があるみたいでね、多くの人に愛される人柄でも知られておりますよというところですね。
あと前広島監督の尾形浩一さんとは漢字が違うだけで同じ発音をする足の速いガイア州つながりである尾形浩一さんでございましたといったところですね。
では主な一軍成績を尾形さん、尾形浩一選手の成績を繰り返してみましょう。
1989年デビュー3年目21歳です。
76試合に出場しまして、221打数68ランダー、打率3割8リン、ホームラン3本打等類が13となってます。
21歳の成績ですね。
レギュラーダッシュをしました。
1990年4年目22歳の年でございます。
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119試合に出場しました。
401打数104アンダー、打率2割5分9リン、ホームラン3本、等類が33等類を獲得してございます。
続いて1993年7年目のシーズン、これが25歳の年でした。
108試合に出場しまして、338打数79アンダー、打率2割3分4リン、ホームラン3本、等類が24となってまして、2度目の等類を獲得。
1994年8年目26歳、この年は113試合と前年の108試合を上回る出場試合数ではありましたが、
打数が174打数と、これが半分ぐらい減っちゃったんですね。
174打数40アンダー、打率2割3分、ホームラン0本、等類が9。
だからこれはおそらく大将とか大守備、大守とか、守備が多分ですわね。
といったことで試合数を伸ばしたのかなといった印象ですよね。
引退になる年、1997年10年目29歳の年は、73試合に出場しまして、86打数18アンダー、打率が2割9リン、ホームラン0本、等類が5といった数字が残されております。
あと言わなかった年は、1991年とか92年とかはケガとの戦いで、なかなか一軍の試合出場に恵まれなかった年だったということです。
といったところで尾形選手、ジャニーズ事務所にいてもおかしくないくらいかっこいい顔のイケメンな選手だったです。
僕がサインをもらった選手としても嬉しく思った選手でございます。
といったところで尾形コーチ語りはこんなところにしておきたいと思いますよ。
はい、お時間でございます。
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では次回でございます。バイチャ!
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