たすくまの再評価
こんにちは、ごりごキャストです。
今日は、最近改めて、たすくまの使い方をだいぶ見直したというのをやっているところなので、それをまとめたいと思います。
そういえば、ずっと使ってるんやんな、たすくまを。
そうだよ。息子の年齢より長いよ、使用期間で言ったら。
たぶん、使い始めたのは一緒ぐらいのタイミング。たぶん、ごりごさんの方が1週間、2週間早いとかそんなレベルぐらいで、
その後追っかけるようにして、はるなさんも使い始めたんだけど、今はアプリすら入れてないかな。
2014年の7月ぐらいから使っているので、10年を超えていますね、キャリアで言うと。
デジタルソフトウェアとしては、ひょっとしたらApple純正とかそういうものを除いたら最も長い可能性すらあり得る。
何したか、行動ログ残しておくのとか、これの平均時間何分ぐらいかかってるんだろうとか、そういうのを記録して数値で分かるとか、
後から分析できるとかっていうのは、もともと割と好きで、そこにやる気があったりなかったりっていう波は大きな意味ではあるんだけれども、
最近ね、やりたいことがたくさんになったんですよ。
筋トレをするのと、できれば毎日外に出て散歩をすることと、音楽をいろいろやりたいのと、
とはいえ本を読んだりとか、読書メモを書いたりすることはやめてはいかんくって、
一応ちゃんとお仕事もしないと生きていけないので、仕事をしないといけなくてっていうことを全部やろうとすると、
結構ね、何ていうの、時間が足りない、全部足りないでいいのかなという感じがあって、
じゃあまず、実際自分はどれをどのぐらいやれているんだろうとか、
そういうことを分析しようと思うと、やっぱちゃんと記録を残さんといかんよねっていう原点に帰ってきて、
改めて自分の仕事の、自分は仕事というものは何をやっているのだろうかみたいなことを考えたりして、
でもあまりにも細かい記録をつけすぎると、特に仕事中は超めんどくさいので、そこをどうしようかっていう折り合いをつけたりしながら、
やっとやりたいこと、記録のつけ方というのがまとまってきたような感じがする。
タスクシュートへの回帰
なんか自分の場合、そもそもタスクマの使い方が一般的な使い方ではなくて、
多分タスクマってタスクシュートをやる人のために作られたアプリ、iPhoneで手軽に記録が残せるよみたいな感じのアプリだったんだけど、
はるなさんの場合は写真付きの日記みたいな軽いログを残せるツールとして使っていたので、
もともとピッタリ詰まって朝から晩まで全部入ってるわけじゃなくて、気が向いた時だけ記録が入ってるような使い方でずっと使っていて、
今振り返ってみると、2021年の10月31日くらいで記録が途切れている。
あれでも4年前まであったの?
あったと思うよ。使ってたと思う。
たぶん今のiPhoneにする前のiPhoneに変えた時くらいでもなくなったのかな。
理由はあって、タスクマってタスクマの中で見る分にはいいんだけど、
自分の場合は別のツールで日記みたいにして振り返りたくて。
メール送信、エヴァノート送信とかそういうやつだよね。
ずっとエヴァノート送信でやってたんだけど、エヴァノートもたぶん同じ時期くらいに使わなくなったので、
有料を辞めて、見る専用になってたけど、それすらもデバイス数が制限されて見れなくなってみたいな。
どこかにデータは入ってるんだけど、見れないから実質見れないみたいな。
見ないんだよね。見れなくなるよね。
そこから何に変わったかというと、デイワンに乗り換えていて、
タスクマのログも頑張ったところが、2021年の10月31日までは、
タスクマのログがデイワンに送信されている。
そんなことをやっていたの?
それが残っているのが2021年の10月31日で、
それ以降はずっとデイワンのエントリーというか、
日記にやったこととか、写真を入れている。
だからどうしても記録が、写真が多いんだよね。
文章で文字で書くとか、カレンダーのイベントがあるとかじゃなくて、
とりあえず写真を撮って、それでログ、日記にしているっていうのが近いので、
相性としてやっぱりデイワンがすごい相性が良かったんだよね。
そこからは自分の場合はデイワンになって、タスクマを辞めちゃったって感じなんだけど、
ゴリゴさんは変わらずずっと使っているっていう。
細く長く使っていて、極論この1年2年ぐらいは、
リピートタスクを忘れないようにするためのツールみたいなニュアンスが非常に強かったんだよね。
よく春名さんがさ、「今日ゴミ捨ての日あったっけ?」って忘れるやん。
あれは毎日タスクマで記録をつけるということが習慣になっていると、
月曜日の朝にゴミ捨てをするっていうタスクが目に入るから忘れずにできるようになる。
とかっていうので、生活で忘れると不便なことを毎日記録をつけることが習慣にさえなっていれば、
忘れる可能性が極めて低いという、卵が先か鶏が先か的な現象ではあるんだけど、
これを記録することを忘れないということだけで大体のことを忘れなくて良くなる。
っていうのが良いツールだっていう。そこに重点を置いて使っていたのが、ここ最近で。
もっと最近になって、この1、2ヶ月、まあ2025からってイメージでいいかな。
2025年になってからは、もうちょっとやりたいことをたくさんやろうとするためには、
何時ぐらいにどういうことを自分はやっていて、その上でどうしたらもっとやりたいこと、うまいこと、いい感じにできるようになるかなっていう。
アナログなアプローチ
多分多数派の、少なくとも創始者のやろうとしていることに近い使い方に戻ってきた。
タスクシュートの原点というか。
1日でやれることには限りがあるので、まずはそのやれることを記録してみて、それはどのぐらいの時間をそういうことをやっていて、
その上で24時間の中でどう塩梅できるのか。するのとできるのと、いかにバランスをとっていくのか。
改めてやってみると、全然嫌な行為じゃなくて、そういうの面白くて、
このぐらいの時間、これをギターの練習、パッドの練習をするためには、どうも自分は最近は朝は練習できなくなっていて、
夜のタイミングが良さそうで、だいたいこのぐらいの時間やるといつも、今日はこんなもんでいいかぐらいになるなとか、
あとは逆に仕事のことで、一番重要なことだけ、まずは何が何でも最初にやろうって思いついて、
それさえ終わったらあとはこれでいいやって、ひとまずやった感が味わえるし、実際に進むので、そういうふうに分けていったりとか、
自分の人生を工夫してパズルを組み立てていっている。どういう表現がいいのかな。
なんかわかんないんだけど、そういう感じのことを再び楽しんでやれるようになってきて、
少なくとも自分の気分としては、非常に良い気分で毎日が過ごせるようになった感じがする。
最近そういう話で言うと、自分の場合はやってることは基本昔から変わらず、朝1日、今日なんかやること3つあげて、
それずっと変わってないんや。
変わってなくて、最近何をどう使ってその3つやってるかっていうと、
今年の1月入ってからだと思うんだけど、無印良品でさ、
なんかウィークリーの日記っていうかカレンダーっていうか、
なんか買っとったの見た。投げ売りされとったやつだよね。
1月も過ぎて入っちゃってるから、投げ売りされてめちゃくちゃ安い。
それぐらいで売ってたやつを何に使うかは決めてないけど買っちゃったっていう悪いくせない。
200円ならいいか。安いから買ったっていう典型的な失敗だよね。
しばらく何に使おうかちょっと考えて、それをそれに書いたりとかしてたんだけど、
ちょうど1日分のところが自分の文字サイズで言うと3行分ぐらい書けるのね。
横長いの?
横長くない。ほぼ日のウィークリーと同じ。
ああ、あのぐらいの横幅の。じゃあでも1行である程度文章になるのか。単語以上の。
そこにじゃあタスクを書こうみたいな。今日1日にやりたい3つを書いて。
3個しか書けないからちょうどいい。
3個しか書けない。もちろん3個終わったら追加でやること考えて、
そういうのはオブシディアのデイリーノートだったり、デイワンのノートに書かれたりはするんだけど、
基本的に3個やったらもうOKみたいな、すっごいゆるゆるでずっともうここ何年もやってきているので、
それをアナログでやって書いて、ペンで消すっていう超アナログなことをやっている。
あれだよね、ライフハック的に良いよね。その3個しかやったらあかんぐらいの言い方ができて、
一番重要な3個しか書いたらダメで、それしか取り掛かったらいかんくってぐらいの言い方をしてしまえば、
タイプによるんだけど、それでうまくいく人はいそうだよね。
仕事とか業務内容とかにもちろんよると思うんだけど、もっと細かく書きたいとかさ、
もっと数をこなしたいみたいな意欲がある人は頑張ってくれって感じで、
自分はそんな意欲もそこまでないので、1日3個できたらOKっていうので、
朝一に3個埋まるときもあれば、2個しか思いつかないときは2個だけ書いて、
3個目は空白だったり、途中で1日の途中で書き足したりとかはいろいろしてるんだけど、
消すの気持ちいいからさ、終わったみたいな感じで達成感。
どうしてもデジタルツールってそのあたりが、感覚が薄くなるっていうの。
チェックは入るんだけど、消した。
音とか消えた動きとかそういうのに力を入れてるのが最近ちょっと出てきつつあるかな、そういうのも。
ただまあやっぱりアナログで、手触りがないからね。
書くのが好きだし、普段からiPad miniとApple Pencilはもちろん持ち歩いてるんだけど、
プラスアルファはちっちゃい筆箱みたいなのに、ボールペンと万年筆と何本か入ったやつを常に持ち歩いている。
生活空間の1階と仕事場の2階をその筆箱ごと移動してるって感じで。
俺それとね、違うんだけど、そういえばね、今システムとして確立して非常に気に入っているのが、
まずできれば1日の最初に一番重要だと思ったことを一つやります。
基本毎日同じこと。
その次が、思う存分気になることをちゃんと終わらせる時間みたいなやつを、制限時間、無制限で用意するようにしていて、
気になりうることを全部潰せるようなリストというのを常に作ってアップデートしていて、
例えばまず写真ライブラリーを見て、オブシディアンだったり何だったりで保管しておきたいとか整理しておきたい、やっておきたいことがないかっていうことを確認して、
タスク管理の重要性
カレンダーで1週間分の予定を見て、この日に何かあるなっていうのを知った上で、
そのためにどういうことをしないといけないのかなっていうのをちゃんと書き出しておく場所があって、そこに書くことを書いておいて、
ついでに細かな事務作業で、これやっとかんといかんかったんだって思ったら全部終わらせてっていう、
気になることをすべて理論上はすべてさらえるようにしているシステムっていうのに、
思う存分時間を使うようにしたら、それ以降気が散りにくくなった。
まあまあ、やっぱりあれもしなきゃこれもしなきゃって考えてると気が散るし、
今っていろんなものから注意力というかアテンションがいろんなところに行っちゃうから、
それをいかに防ぐっていうか防御するかみたいなところも結構重要になってくるから、
まあその自分がやりたいだけその満足するまで。
平均するとね1時間ぐらいになるんだよね。その気になることをすべて潰すということによって。
でもそれがその1時間で済むのがすごいなと思うけどな。
自分の場合だとさ、そういうことをやり始めると多分ファイルの整理とか日記の整理とか、
ああそこはだからね、そこはね今気にならないんだと思う。それで言うと。
それやるとさ、もう時間が無限に溶けていくみたいな。
うん、そこはな気になる。多分なんかね細かな話なんだけどね気になる判定とは違う場所にある。
それはどっちかっていうとねやりたいこと判定に近くって。
じゃあどっちかっていうとニュアンス的には仕事系のってことなんかな。
なんかね、散らかっているものを戻すで。
はるなが言っているやつっていうのは、片付いてるんだけどもっといい片付け方をしたいっていうイメージで。
どうなんだろう。自分の場合さ、その手帳とか日記とかもさ、あの散らかってる状態のまま放置してるから。
そうだね。物理はなんであんな恐ろしい散らかりで平気なんやろうってマジで思うね。
でも俺やっぱね、それで言うとやっぱだから全部そういうのがすごく嫌だから、それをちゃんと片付けてしまう場所を決めておいて、
ここにしまうっていうことが全部できてからじゃないと気になってしまうっていう表現が現実界で例えると近いのかもしれない。
まず郵便物を取ってきて、一個一個郵便物の中身を確認して、
変装しないといけない、今時少ないんだけど、物があったら全部それを変装しておいて、いらん物全部ゴミ箱に捨てて、
みたいなことを後でやろうと思うと嫌だから、もう思う存分やろうって割り切ったって感じ。それのデジタルバージョン。
で、その時にあれここの本棚が乱れているなぁは、やらなかないんだけど、そういうのは土日にしかあまりやらないようにしようかなみたいに、
半ば無意識にそういえば区別できているかも。っていうのを作ったりして、そういう感じでルールっていうか、
思う存分やるタイムを作ったのは結構自分的には一番今効果があったものだった。
それもタスクマンに記録されてる。
記録による充実感
仕事を準備するっていうタスクがあって、具体的に何をやるかというのをオブシディアンの中にノートで書いてあって、
それを上から順番に心行くまで眺めながら修正しながらやりながら、全部終わったなって満足できたらおしまいにする。
それは毎日同じノートを見るの?
毎日同じノートを見る。それは大事なことだと思ってるんだけど、デイリーノートで仮にテンプレート化すると、
テンプレートを直すのがめんどくさくなるんだよね。そうするとずっと同じものが繰り返し表示され続けて、
気になることとかやりたいこととか日々変わるんだけれども、
そのテンプレートファイルを作ると、それを修正するのがめんどくさいから同じままになって、
だんだん今の自分と合わないテンプレートになってくると、そこに書いてあることをやらなくなってただのゴミとかすっていう現象が起こるので、
常に同じノートを必ず開くようにしていて、それを随時修正しながら使うっていう風にやっている。
これは本筋と外れるネタだけど、なのでデイリーノートのテンプレートというのは今100%完全に空にしていて、
何一つ書かれることがなくなったし、その方がいいんじゃないかと思うようになってきた。
なんならそこにデイリーノートにはこれを書くみたいな項目を書いておいてもいいかもしれないけど、
自動化しない方がいいことの代表格なんじゃないかなって今思っている。
という感じで、やりたいことがいっぱいあったら記録することが逆に時間がかかっても大事なんだよっていうのが一番言いたいことなのかな。
それはすごいわかるかも。
今年、ソーイングをちゃんと時間をとってやりたいなって思って、
ノートをもともとノートに書いてたけど、結構しっかりめに書くようになったらめちゃくちゃやるようになった。
そしてなんかやれてる感も味わえるよね。そっちの方が。
記録自体もともと嫌いではないというか、むしろ好きな方だから、それをちょっと意識的にしっかりめに書くと、その分ちゃんと時間と心に余裕を持って取り組めるようになったみたいな。
心に余裕を持ってでかい気がするね。取り組めているという感覚は、なんか贅沢に時間を使わないと取り組めている感覚が味わえない。
記録という、一見すると余分にかかっている時間をかけていることが取り組めている感につながるのかもしれない。
記録ってタスクマンにしろ、紙のノートにしろ、オブジェリアンでノートを書くにしろ、
無くても別に困りはしないというか、無くてもなんとなくできてしまう。
少なくとも無くても何の問題もなく生きていける?
明日は来るし、過ごしていけるからいいんだけど、書いておくことで、多少時間はかかるけど、時間と手間かな?
手間はかかるけど、それ以上に多分メリットはあると思って、私たちは何十年もずっといろんなツールとか書く場所とかは変わり変わりしつつも記録し続けているみたいな。
手間はさ、実はさ、脳内整理のために必要な手間だからさ。
時間はもちろんかかるんだけど、手間は惜しんだらいかんというか、その手間のおかげで整理されているんだぞっていうのは大事なことな気がする。
という感じで、別にタスクマガを使うといいよとかそういうニュアンスでは別にないんだけど、
時間に沿った記録をつけやすいツールってやっぱ案外ないから、そういう意味ではなんだかんだそのタスクシュートという仕組みがやっぱり素晴らしいなというのは改めて思った次第です。