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こんにちは、ごりゅごcastです。今日は、一つのことに没頭するというのが、幸福というか楽しさというか人生において大変重要なのではないかということを最近よく思うようになったという話です。
一つのことに夢中になるみたいな感じ?
ちょっと前から、幸福な状態というのは他のことをすべて差し置いて、一つのことに没頭できているのが幸福な状態なんだっていうようなことをぼんやり考えてノートに書いてたりしていたんだけど、
それにつながる新しい発見というか体験があって、
去年2021年の終わり、12月1週か2週ぐらいから、週に2回ぐらいプールで泳ぐようになったんだよね。
で、その原因っていうのが、近所の1回100円で使える超安い筋トレができる体育館が改装中で使えなくなって、筋トレ難民になっていろんな場所のいろんなものを試してみたっていうことだったんだけど、
プールで泳ぐのってさ、普通に音楽聞いたりとか動画見たりとかやれんじゃん?
そうすると、きっとあんま面白くないんだろうなっていうか、
1回、2回とりあえず試してみて、あとそもそも水泳ってめっちゃ運動の効率がいいらしいから短時間で成果が出るなら筋トレの代わりに試してみるのは悪くないかなと思って何回か行ってみたんだけど、
不思議とね、また行く気になるというか、やる気になっていて。
で、なんでなんだろうっていうことを原田さんに相談して話したりしていたんだよね。
で、何が原因かっていうのは?
結局話して思ったことは、水泳だと泳ぐことしかできない、一つのことしかできないから、
結果的に、ながらで、ポッドキャスト聞きながらとか動画見ながらできる筋トレとか、自転車漕いだり、室内のやつなんだけど、することよりも良かったんじゃないかという仮説が生み出されまして。
前は筋トレをするときに、Apple TVでテレビドラマみたいなのを見たりとか、ポッドキャスト音声で聞きながらなんかするみたいな感じで、なんかしながら体を動かすっていうのが基本やった。
そうだね。で、プールに行ってみたら、プールはね、特に最初の時とかはね、泳ぐことに精一杯すぎてさ、当初ではなんかあのポッドキャストとか聞けないけど、まあなんかあの考え事でもしながら泳いでいたらいいのかなとか思っていたんだけど、
泳ぎながら考え事をする余力すらも全く存在していなくて、泳ぐことに必死になりすぎていて、もうそれしかできなかったんだよね。
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なんだけど、なんか結果的に、そのそっちの方が終わって帰ってきて、振り返ってみると、その楽しかったような充実していたというのかなっていう感覚があって、なんかそっちの方がいいじゃんっていうふうに思うようになってしまって。
まあ人間の性質的に、多分そのマルチタスクというのは幻想で、ただ単純にそのシングルタスクを高速にこう切り替えてるだけみたいなことを結構言われてたりするから、その運動とか車の運転とか、あの意識しなくてもできることっていうのは、そっちに頭を使うエネルギー少なくって済むから、
他のことをやりながらでも、そんなに負荷がかからない。でも多分どっかでは、その切り替えみたいなのが入ってて、音声、ポッドキャストの音声で、なんか気になること、どういうことなんだろうって思って考えることと、足を動かす動きみたいなのを、なんか超高速にさ、頭の中でシュバシュバシュバシュバって、こうなんか切り替えてるような感じの動きが実際あるんじゃないかって、
はるな思っていて、だからそのどっちにもその集中できないみたいなのは結構ある気がする。
そう、でもアウトタスクで集中できなかったっていうのと、あともう一個見方を変えて思ったのが、要するに筋トレをしながら音楽を聞いていた、ポッドキャストを聞いていたとか、そのエアロバイクを漕ぎながら動画を見ていたって、
自ら筋トレがつまんないからポッドキャストを聞こうとか、そのエアロバイクがつまんないから動画を見ようって、その自分自身で、なんか筋トレをつまんないものだという、こう無意識への擦り込みみたいなことをしていたんじゃないかっていうふうにも考えられるような気がして。
で、幸いにして水泳は、なんか水中のイヤホンとか存在はするらしいんだけどさ、まあどうやらその言っているところは多分ダメだし、まあそもそも多分まともにポッドキャストなんて泳ぎながら聞けないだろうからさ、そういう環境があったとしても、機材が。
まあどっちにしろそのもうそれしかやられることがなくて、さらにそのハードすぎるから自分の場合、その例えばお風呂に入りながら考え事をするのは結構気分が良かったから、なんかまあそういう感じで泳ぎながら、なんかこう今日明日どうしようかなとか、もうちょっと長い目で見た、こうなんか面白いことができるだろうかみたいな考え事すらもできる余裕がなかったんだけれども、
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なんか何もできなくってそれしかできないということが結局一番幸福なことなんではないかってやっぱ思えてきて、まあその点で水泳というものがその有酸素のゆっくりした運動なんだけどさ、やっぱ特に自分がまともに習ったことがなくて下手くそだから、まあ超ハードで他のことを全く余力がなかったおかげで気づけたことなんだけど、
まあこれによってなんかね本当に前まで筋トレさ行きたくねーなーって、でもあの健康のためにそのぐらいやっておかないと長い目で見てロスが大きすぎるから行こうという本当にこう、まあだからやっぱ不幸なこととしてしょうがないからやっていたことだったんだけれども、
なんかね水泳行くのはね、また行きたいなーって普通に思えるようになっていて、まあどこまで続くかというのは全然なんともわかんないんだけれども、その少なくともそのぐらい大きな変化がある、自分にとってその意外な出来事だった。
まあそういうのが見つかったっていうのはすごい良いんじゃない。はるなの場合は、楽しいっていうのもあるけど、ずっとフリーランスで家の在宅で仕事をしているから、体を動かす機会っていうのが多分一般的な人、会社とかに通勤している人に比べて多分10分の1以下なんだよね。
特にはるながインドアというか動かなくても全然平気派の人で、ずっと家にいても全然苦痛にならない。多分6時間こたつ中とか大丈夫じゃないですか。
多分その同じ部屋で同じような姿勢でいても、全然精神的には苦にならないんだけど、肉体的にはちょっとやっぱりやばくて、体がバッキバッキになるっていうのがあるから、もう多分3年か4年ぐらい週に1回1時間バランスボールの教室に通っていて、
それはもう決まった時間決まった場所で先生がいて教室をやっているから行かなきゃっていう気持ちもあるし、それプラスでもやっぱ体を動かしてて楽しいっていうのもあって、
ある時からこれ1時間何もせずにバランスボールで運動するんじゃなくて、ポッドキャストも聞けばその1時間でめっちゃ聞けるやんと思って聞いてた時期があるんだけど、
なんかね、どっちつかずになる。バランスボールを100%楽しむのも難しく、ポッドキャストの音声を100%楽しむのも難しくっていうので、最近はもう運動中に聞くのやめちゃって、運動中はバランスボール用の流れてる音楽に合わせて弾むみたいな。
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そっちに集中するようにやり方が変わったんだ。
その中でやってるうちに考え事をゼロにする、頭は白にするっていうのは難しいので、なんとなくはその前後にやってた仕事のこととかを考えてたりとか、家のことを考えてたりとかはするんだけど、
でも基本はその体を動かすことに集中するっていう風にまた戻って、今はなんかを聞きながらとかはしてない。
ポッドキャストを配信している我々としては、流れで聞くなって言っている行為自体が大いなる自己矛盾を含んでいるような気がするし、さらに言えば自分もそういうことを言っておきながら、お皿洗いはどうしようもなく耳が暇というか手持ちぶさたなので、
ポッドキャストを聞いたりとかいうこともしているので、やっぱりはっきり真っ二つに白黒割り切れるほど単純なものではないんだけれども、
なんかその音楽じゃないや、運動をするみたいな、特にあれかもね、ひょっとしたら自分が嫌だと思っていて、やるために負荷がかかる行為というものはそのことのみに集中した方がいいのかもしれない。
極論多分お皿洗いも、お皿洗うことに専念した方が幸福なような気もするんだけど、そこはまだやっぱりできていなくて。
例えば家事で言うと、お皿洗いとか洗濯してる時とかは、別にそれが楽しくってやってるわけではなくて、没頭したいわけではないから、割とポッドキャストとの相性もいいのかなっていうのを思っていて、
あと自分の場合、車の運転も移動手段なだけで、運転すること自体がその快楽というか楽しんで、ドライブが好き、運転が好きっていう気持ちで運転しているわけではなく、
A地点からB地点に行くために車を運転して行くっていう手段、目的だから、その間にポッドキャストを再生して聞くっていうのは全然アリだと思っている。
ただ、例えば趣味のニットソーイング、ミシンやっている時にポッドキャストを聞くとか、バランスボールで体を動かしている時にポッドキャストを聞くみたいなのは、なんかちょっと違うなっていう、そこまでダメとかそういうのではないんだけど、どっちつかずになるような気がして、最近はしなくなっちゃう。
ちょっとね、春名に言われて思い出したので言うと、バランスボールの時間が決まっているのがいいって言ってたじゃん。それはね、筋トレにはなかったけど、プールには存在しているというのもそういえばあって、プール行っているところが毎時50分から0分までは強制休憩タイムなんだよね。
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プールの中に危ないものが落ちてないかとか、スタッフの人が一回全員上がって、上がらせて中をチェックしたりとか、検査薬で検査したりとかする時間が毎時間1時間前に10分ずつあって。
それのおかげで、それは自分にとってそれもまた良くない要素だと思っていたんだけど、そうすると例えば何時40分に着くと、10分泳いでから10分休憩させられて、残りまた次50分とかっていうすごい中途半端な時間配分になってしまうのが嫌で、
0分から泳ぎ始められるように30分くらいから準備をして向かって現地で着替えてってやると、大体そんなもんだけど、っていう強制的な時間の区切りができて、それもまた行きたくねーなー度を下げるっていうか、何かをやっている最中にパッと切り替えて次のことにするのって難しいじゃん。
そこがその後10分遅れるとそのやろうと思っている量ができなくなるから早く行こうって思えるようになったっていうのはなんかねそれもまた良かった要素な気がする。
ある程度、そういう教室とか時間が決まったものっていうのは強制力が働くというかさ、なかなかこう続かない?同じことを続けられないみたいな人は、そういう強制力を最初は使ってもいいと思う。
まあそれによって今は習慣化できて、おとといよし今日もプール行くぞって言ったら休館日でやれんかったりして残念な気持ちになって帰ってきたりとかもあったんだけど。
それはゴリゴさんが1日おきっていうのかな、月水金とか花木土みたいな感じで1日おきで行こうとしていて、毎回その決まった日とか決まった曜日固定では行ってないからね。
時間だけはその決まっているんだけども曜日とかが決まってないからそのたまにそういう休館日とかに当たる。
そこは今の生活サイクルが1日おきに子供のとかご飯のとかっていうのを交代になっているからさ。
曜日で合わせるとむしろサイクルがずれて自分の場合嫌だからさ。
そこはもう仕方がないなっていうのでちゃんとカレンダーから今後の休館日は外すようにはしたんだけど、そういうふうにすることでだいぶ楽しくなった。
あと素晴らしかったのがアマゾンで調べたら水着とスイムタオルと帽子とゴーグルとそれを入れる簡単な袋と全部セットで3000円ぐらいで買えたんだったかな。
体育館、普段行っていた筋トレの場所が2ヶ月ちょいぐらい休みの見込みだったから、例えば3000円で買ってつまらなかったとしても10回ぐらい使ったらもういいと思えるかなぐらいの金額で道具が揃ったっていうのもでかかったかも。
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どっちにしても体育館のジムにしても今行っている温水プールなんだけど、そこにしても市営ではないけど市営に近い部分があって、
体育館は市営だね。
かなり安い金額で入れるんだよね。プールなんかもその買い費みたいなのはなくて、1回大人だと300円とか400円か。
1回400円10回券を買うと300円とかで、まあまあ良心的というか、必要最低限の設備は全然整っているから十分使えるし、長期休暇中とかは子供と一緒にプールに入りに行くみたいなこともしてたり。
それはたまたま住んでいた市町村に良い設備があって、さらに運が良いことにそれがすごく近くにあって、あれも俺が生まれた頃はなかったものでさ、
ごみ処理場ができてからだから20歳以降ぐらいの勢いなんだよね。
っていうのでたまたま運が良かったとかっていうのはあるんだけど、それをたまたま有効に活用できて満足できていて、それは本当にラッキーだったけれども、
1回300円で月に仮に30回行っても1万円なわけでしょ毎日。
まあだいぶお得だねというのも含めて、水泳に限らず何かをやるときにやっぱ同時に複数のことをやってしまうというのが実はつまんねえなって自ら思ってしまうことなんじゃないのか。
そこが自分の中での一番大きな発見というかそのだったんだけど、そういうのなんかつまらんなって思ったときにそういうやり方を変えてみてそのことだけやってみると意外と熱中すると楽しく感じられるかもしれないよっていうのが一番言いたかったことです。
だんだん大人になってくると時間がないとか、より効率的にみたいな思考になりがちだけど、
実はそうじゃなくてもう一個のことに集中してやった方がより幸福度は上がるんじゃないかみたいな感じかな。
そうだね去年から自分の場合はそのあんま効率という言葉をできるだけ考えないようにというか効率が良いということが正しいわけではないっていうのは去年から意識していることでその一環でもあるのかもしれない。
ということで今日は筋トレをやめてプールに行ってみたらすごい幸福感が上がって楽しくなったよっていうお話でした。
本当はこれとつなげてその最近めっちゃ好きな漫画っていう話をしようとしたんだけど時間がなくなったんでまた次回やりたいと思います。