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2022-10-28 45:51

041 半径5メートルの世界をいいものとわるいものに分断させない

今日は拙著『攻撃のないコミュニケーション』から、攻撃とは何か、どうすれば手放せるのかについて話しています。番組でお知らせした執筆講座「書き上げ塾」のお申し込みはこちら→ https://goodvibes.work/kakiage07/

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グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉園佳三
こんばんは、ただいま10月28日金曜日の2時17分ですね。 今日はまあまあ早い時間に始められています。
今日でもう1週間が終わるんですけどね。 なんとなく私は良い1週間を過ごせたかなっていうそんな実感を持っていますね。
なんかこのポッドキャストを始めてからですね。 今日で41話目なんですけどね。どのぐらい経ったのかな?
8月ぐらいかな?7月ぐらいに始めたと思うんで。 もう3、4ヶ月経ってると思うんですけどね。
なんかスコブル、こう自分で言うのもなんですけど、このグッドバイブス力が上がってきてるというかね。
やっぱり毎日ね。毎日か、毎日じゃないか。 確実?週に3回このこういうねお話を40、50分していると、さすがに自分にも染み渡っていくのかな?
そんな感じがしていて。 なんですかね、この忘れないっていうのは結構大事なんですよね。
このグッドバイブスの取り組みっていうのはね。 ついつい忘れてしまう。
ああ今そっかそっか未来のこと考えてたなぁとかね。 あと今罪悪感感じちゃってたなぁとかね。
これを瞬時にこう、おっと今来たなっていうふうに気づけば、早く気づけば気づくほどね。
そのなんていうのかな?平安な方に戻せる確率っていうのかな? それが高くなっていくっていうかね。
泥沼に足を込んでしまうとね、もうこう抜け出すことができないんだけども。
そうここはもう私もあまりお勧めしてないんですけどね。 感情がグワッと湧き上がったり、もう本当に怒りにまみれた時には
それを抑えようとせずにね、もうその機会はここはもうしょうがない。 これを出すんだっていうことで、諦めてまっすぐ行く方がいいと思うんだけどね。
そこに踏み入れずにずっとこう戻れるっていうかね。それも全く無理なくね。
おー危ない危ないみたいな感じ。それがこのポッドキャストをやり始めてからですね。
随分とこう自分でも早くなったなっていうね。 やっぱこう面白いですよね。これがあの私が与えた瞬間に与えられると言ってるやつなんですけども。
まああのもしね、お役に立てているとすればですよ。この番組がね。 私はこの情報というかグッドバイブスの話を皆さんに提供できているんだけども。
それをやりながらですね。一番もしかしたら恩恵をこむっているのはこの私自身というね。 もう非常に面白いことが起こるんですけども。なんか最近ちょっとそれを実感してますね。
だから今週は本当に私は穏やかにそしていろんなことができたしね。
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動きまくれたし。それからなんか新しいこともアイディアとしてね。浮かんできたり。
いろんなその執筆教室とかセミナーみたいなものとかね。そういう中で受講者の方々ととても良いコミュニケーションができたなという感じがしますね。
そうそう。それでそのコミュニケーションなんですけどね。最近なんかあの今年の1月に私が出版した
しかもね。自分でグッドバイブス e-books というところから全部製版というかね。 DTP までやりまして。表紙もデザインして。
本当にソロアルバムのような感じでね。 ソロアルバムじゃないな。全部の楽器を演奏するソロアルバムみたいなね。そんな感じで
Kindle のペーバーバッグというサービスからね。オンデマンド印刷で出版したんですけども。これがもうずいぶん10ヶ月経ってますからね。
結構もうどのぐらいかな。夏の終わりぐらいからあんまり動かなくなったんですけども。やっぱり面白いことにこのポッドキャストをやり始めてから
じわじわとまた売れ始めていてね。それだけじゃなくて、ワントレとかにお越しいただいた方にね。
申し込まれたきっかけは何ですかって伺うと、攻撃のないコミュニケーションを最近読みましてみたいなね。お答えをいただいたりしながら。
そしてあの私の仕事のパートナーの知恵さんがね。私が一旦もう諦めて辞めてしまったコミュニケーショントレーニングというのを復活させてくれまして。
これも今週の月曜日かな。2時間半ぐらいかけて7人ぐらいの方を相手にね。やったんですけどもね。
なんとなくちょっとこの波がまた復活しているというかね。僕の中ではもうなんか次の本みたいな感じが強いんですけども。
面白い流れがありましてね。そんなわけで今日はね。この本から攻撃というテーマでお話ししてみようかなと思うんですね。
まああの最初に一つの大前提として、僕らがその人と関わる時に交わすものってことですね。人と関わすもの。これはもう2つしかないと僕は思っているんですよ。これが攻撃かコミュニケーションなんですね。
多分これしかないと思うんですよね。で2つの違いは何かというと。まあいくつかあるんですけども、攻撃というのは何らかの恐れや不安を感じた時にね。
僕らがそれを例えば言葉とか表情とかね。声とかそういうものに変えて相手にぶつける行為っていうふうに僕は定義してるんですね。
でコミュニケーションというのはこれはもう本当に単純で私が考えていることを相手に伝え、相手の考えていること、まあ気持ちも含まれますかね。そういうものを知ろうとする行為ということですね。これ以外に何の目的もないんですね。
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で面白いことにこの2つはね、共通点もあるんですよ。これがね、まあ幸せを得るためなんですよね。
その恐れや不安を抱いて相手を攻撃している時、何かをぶつけている時というのも、これはゴールはね、とても嫌な感じなんでこれを何とかしたい。
つまり幸せな状態に戻りたいからやってるわけですよね。でコミュニケーションもおそらくだけでも2人で2人以上でね何かをする場合に
考え方とか気持ちとかそういうものが共有できていた方がやっぱり幸せですよね。
そこが全く不明なまま動くというのはね、あまりなんかいい感じではない。というわけで2つともその幸せを求めているんだけども、手段とそのゴールがちょっと違うんですよね。
攻撃は力を使ってますよね。何らかの力を使ってもう一つ自分だけは幸せな状態っていうのを作ろうとするんですよね。
そうだから攻撃している相手はどうでもいいんですよ。むしろその攻撃するということはもしかしたら相手は幸せであるということを諦めているかもしれませんね。
力を使って自分だけは幸せな状態を作ろうとするってこれ攻撃の一つの特徴ですね。だからコミュニケーションは力は使わないです。言葉だけですよね。
もしくは思いが入っているから言葉と思いによって、攻撃は力によってだったんだけどもコミュニケーションは言葉と思いによってゴールも違うんですね。
そこにいる人たちが全員幸せになるためにはどうすればいいかっていう答えを得ようとしているわけですね。本当にそうなるかどうかはちょっとわからないわけですよ。コミュニケーションしている段階ではね。
でもゴールが違う。攻撃は自分だけは幸せでいたいっていうこの状態だけは何としても作りたい。コミュニケーションはここにいる関わる人たちがみんなハッピーになるためにはどうしたらいいんだっていうことを模索しているってことですね。
その模索をするっていうことが多分だけどもそのコミュニケーションのゴールなんだろうと思います。重要なのはね、その結果どうなるかっていうことなんですね。残念ながらですね攻撃が目指しているもの力によってまず恐れや不安を感じこの自分のね恐れや不安を何とかしたいとだからこれを取り除くために私を怖がらせた相手に対して力を使って自分だけは幸せな状態を作ろうとするっていうこの目的はですね。
残念ながら永遠に達せられることはないんですね。これはあのご機嫌な仕事緑の本で書きましたけども私たちはですねえっと自分以外の他のすべての人が不幸で私だけが幸せっていう状態を作ることはできないんですね。
これはもう単純な話でまず家族がいますとただ今後家に帰るとそしたらそのパートナーそれから子供たちがみんななんだかの原因で不幸な状態というかね悩みを抱えて苦悩しているとそんな中でまあ今日私がいい週間を過ごせたらみたいな感じで今日も幸せだって帰れないんですよねやっぱり帰ることはできるんだけどその彼らに会った瞬間にやっぱりどうしたってことになるわけです。
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これを私はね一つ意識と呼んでるんだけどもあなたは私私はあなたなんですねここ完全に切り離して家族だろうとなんだろうと俺は関係ないからお前たちとはって言ってねどれだけ他の人たちが不幸であろうと私一人だけが幸せっていう状態を作れる強者は多分この世界にそういないと思いますねもしかしたらゼロじゃないかもしれないけど僕が知っている限り私がこの60年間で知り合った中にそういう人たちが
一人もいなかったと思います。もっと極端な例を言えばねあのよく週末を描いた映画みたいなのがあるじゃないですか
あそこでその自分以外の79億9999万9999人がこれが全員不幸だとそして世界で私だけがハッピーってこんな状態はありえないですからね
なんかあの本にも書きましたけどゾンビ映画でその地球上で人間なのが私一人みたいなそんな状態
多分僕なんかもう一瞬のうちにも早く噛んでゾンビにしてそっち行きたいってそんな感じに多分なると思うんですよね
だからこの残念ながら自分だけは幸せな状態を作るというのはほぼほぼ失敗します だから幸せな状態を得たいと思うのであればねやっぱり僕は
攻撃ではなくてコミュニケーションを選ぶっていうこれが いい選択なんじゃないかとそう思ってあの本を書いたんですね
要は何がしたかったかっていうとまあこれグッドバイブスのテーマでもあるんだけど 人との繋がりを取り戻したかったんですね
私自身がなんか世の中とか社会とかねそんな大きなことは一切考えない考えていなくて この番組でもお話ししましたけどね
やたら私は人間関係はデストロイしていっていいものだと思った その時の私はね一人だけで幸せになれると多分信じてあったんですね
そして何をやるにも自力でいけるぞという自信が変な間違った自信があった これは今ねもうずいぶんそれから10年以上経ってますけども
結論を言えばどれもこれも大きな誤解でしたね 私は一人では生きていけないそして私がハッピーであるためには少なくとも私の
身近にいる人たちが みんな幸せじゃなくてはその私の幸せというのはね
完成しないっていうのが身に染みてわかりました そして私が何をするにしてもそれを助けてくれる人ね助けてもらうとかっていうと
まさに何か人に借りを作っていたりね なんか依存していたりみたいな風に取られがちなんだけどそういう意味ではなくてね
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まあ僕らはそんな風に生きるように多分できてるんですよね まあそれがおそらくなんだけど僕の中で全くずっぽし抜けていてね
まあいろんな理由があったんだと思うんですがどちらかというと 敵なんだろうなと思ってましたね
周りの人たちは基本的には心を許してはいけない そしてそのここからね心象が広がっていくんですよね
最初は個人に 向かうんだけどもそこからその個人が属しているコミュニティとか組織
部署みたいなものねチームみたいなものに対して敵対心を持ち そしてその組織全体とかに持ち
おそらくそこからは例えば国とかね それからもう最終的な人類みたいなところまで行くわけですね
自分も人なのにね そうしてどちらかというと人とのつながりを断つというね
その方向というかその選択に向かうわけですね こうして私は全くうまくいかなくなったので
もう薪薬のやり方もう一度この人とのつながりをね 取り戻すしかないと
でそのためにはどうすればいいんだっていろんなまあ模索をしする中でね まあいろんな細かい話はあるんですけども
やっぱりたどり着いたのは攻撃かコミュニケーション買ってとこなんだなあっていうふうに 思ったわけですねまあつまり僕がなぜ人を敵だと思い始めたかというと
やっぱりずっと攻撃の応酬をしてきたからなんですよね それは向こうが攻撃してくるとか私が先手だとかそういうことではなくて
なんだか知んないけど僕らが他の人と出会うとね どうしてもこの恐れや不安を抱くんですよここもまあ
前回というかなあの前の番組でなぜそうなるかっていうのはね お話ししてきたと思うんですけども要は勝手な想像を膨らまし心象を見て
その現実のその人ではなくてねそんな中でも疑心暗記になったり 恐れや不安を抱いたりしてそして
好むと好まざるとに関わらずねこの方法しかないんだっていうふうに僕らは思い 込んでいてついつい攻撃を繰り出す
当然そうすると相手の恐れや不安も増して向こうも同じように私と同じ人間ですからね 自分の身を守るために攻撃という手段を繰り出す
ザ繰り出さざるを得なくなる これを何度も何度もやっていくうちにもう多分嫌になったんでしょうね
人と一緒にいると攻撃しかしねーじゃん攻撃しがし合わないじゃんっていうね 面白いことにここで最初のねその攻撃という言葉
攻撃という行為かここに隠れている 正体というかねここがこう浮かべ上がってくるわけです
なぜじゃあその攻撃のやり取りがそんなに嫌なのかっていうね でまぁこれは単純に攻撃されたらなんか嫌だよね怖いよねとかね
なんか傷つくよねーとかねそれだけの理由で十分な感じもするんだけど 僕はもうちょっとで深掘りしてみたいんですよねここはね
でたどり着いた答えがね攻撃をすると相手が誰であれね 僕らは自分が傷つくんですよここがポイントなんですよね
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攻撃というのは相手に向かおうと自分に向かおうと同じように自分を傷つけると なぜそうか
3つ理由があると思いますね 一つは単純に僕らは人を攻撃すると罪悪感を抱くんですよ
ここもねさっきの空あの攻撃をして相手を不幸にしておいて自分だけ幸せってのは あり得ないっていう話をしたんだけども
こことね同じ理由なんだけども 僕らはやっぱりどれだけひでえ奴だとどんどんだけこいつはもうほんと告白人だと思って
それこそひどいバリゾゴン浴びせたりね 無視したりなんかそいつが嫌だなと思うことをね
とことんやり抜いてやったとしてなんとなく一瞬ちょっと気が晴れたみたいなねそいつが困った顔したり
なんか悲しい顔をしたり苦しい顔をしたりしてるとねほら見ろと お前のねこれ自業自得だぞみたいな自分で攻撃をしておきながらそういう気持ちになり
る瞬間っていうのはなくはないんですよ でおそらくこれはね私が前にお話ししたその夢を見ている状態
これに近いんだと思うんですねポーンとなってるんですね でもこのポーンとなる感じっていうのはその体の反応とともにスーッとこうだんだん収まっていくわけ
ですねこれから正気に僕らは戻っていくわけです その痛めつけた攻撃した相手から離れしばらく時間が経ち
例えば家に帰るとそしてそのまま今日はいい1日だったって寝られる人は僕はあんまり いないんじゃないかなと思うんですよね
そこでやっぱり自分が行ったことに対して本当にあれで良かったんだろうかとあんなに 痛めつけなくて本当は良かったんじゃないだろうかっていうね
まあそもそもこれはまた別の話として絶対的に相手が100%悪いなんてことは僕らの トラブルの中では絶対にありえないんですよね
これはあの交通事故で言うナンパーナンパーみたいなもんでここが0-100になることはまずない よほどのことでない限りね
僕らが少なくともこの日常を暮らしている中ではまずないでしょうね それも知っているんですよ
でもこの攻撃をする時にね僕らがその絶対にやらなければいけないのは これをやっていいんだっていうね一つの正当化というかね
そのぐらい俺は10-0で悪くないんだっていうこの意識がないと なかなか攻撃というのは難しいんでねその時はやっぱり相手の日が100だっていう感じで
怒ってるわけだから それがふっと正気に戻った時にそうでもなかったよねーみたいな感覚がどうしても持たざるを得ないんですよね
そして現実として私はある人を痛めつけたある人に酷いことを言った その人の痛みがわからないような多分生き物じゃないんですね僕らはね
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まあこれが私が一つ意識と呼んでいる一つの側面でもあるんですけどね 私が攻撃をすれば相手が傷つく
その傷つか傷つけてしまった行為に僕は罪悪感を持つ そして私も傷つくってこれが一つの大きな原因ですね
罪悪感持たずに済めばね楽なんでしょうけどねこれは無理な話です で2つ目がこれがまた大きいんですけどもね
先ほど言いましたように僕らはできればその一人で生きていくのではなくてね まあ周りにいる人たちといい関係を結びながらできれば助けたり助けられたりしながらね
このお互いに助け合う中で できれば自分の力だけじゃなく他の人たちの力も借りながら自分がやりたいことを実現したい
ことみたいなことに向かっていきたいと思ってるんですね 多分心の奥底ではそう思ってるんですよ
ででもそれをやるためには周りにいる人たちをね 僕がどんな風に見なきゃいけないかって言ったらやっぱりこの人たちは価値がある人たちなんだっていう
風に多分見なせないとそうはなれないんですよね こいつ全然無価値じゃんみたいな人と一緒に助けてもらうのも嫌だよねとかね
当然助けねーけど俺が何があってもこいつだけには絶対助けてもらわねーみたいな感覚では とてもとてもそんな繋がりは作れないわけですよ
だからここも僕らは心の奥底でね周りに自分が価値あるっていう思えるような人たちが いてほしいなと願ってるわけですね当然そうですよ
例えばその自分がパートナーを見つけたいという欲求ってのはありますよね 愛する人を見つけたいっていうそれはつまり私が見て価値がある人がいてくれたらそれが
叶うんだけどもそうでなければ 見つけることもできないそういうパートナーと付き合うこともできない
仕事も同じですよね どうせ一緒に仕事をするんであればこの人たちは価値マックスだなって思える人たちと一緒に
やりたいんですよね だからいてほしいがいてほしくないかで言えばいてほしいんですよ
ところがこの私が一旦恐れや不安を抱きね自分の身を守るためにこの怒りを相手にぶつける 攻撃をした瞬間にこの相手は全くだけでも価値を感じられない人に変わってしまうん
ですね 全く大切ではない人に変わってしまうんです
そうでなければ攻撃ができないんですよね つまり私は心の奥底で一人今この自分の攻撃によって大切な人を失ったっていうこの思いを
実はちゃんと感じてるんですよ これはまさに身を削るような痛みですよね
本来一つであるはずのねその大切な人自分から切り離してバリバリってこう まさにこう本当に一つであるならば自分の肉体みたいなものをバリバリと引き離してね
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えっとポンとこう放り捨てるわけですからねこれはいらないって言ってね これはまさに文字通り身を切るような本当は痛みを感じているわけですね
まあこういうことはほとんど無意識の中で行われるんだけども なぜか攻撃すると僕らが消耗してしまうのは
さっきの罪悪感とねそして大事な人を失ったと自分の手によって切り離してしまった というこの
悲しさっていうのかな寂しさこれが大きく多分起因してるんだろうなと思います そして最後にねここはまあそのアグリーしていただけるかどうかちょっと微妙なとこ
なんですけどね私は人の本性は愛だと思っているわけです これは思っているというのも確信して今生きてるんですけどもね
前にお話ししたように私たち私は人を憎んでいる時よりも人を愛している時の方が幸せだしね 私がいつも作っているこのコンテンツこの想像クリエーション
これは多分だけども愛でなければ生まれ得ない つまり私たちの想像力というのはこの言葉に
してね定義するのはとても難しい多分不可能なんだけどもね なんか巷で言われているようないわゆるこの使い古された言葉で表す愛というよりは
なんか僕はもう少しスケールの大きなね この本性は愛という時にこの愛というものをなんとなく感じるんだけども
もし私の本性が愛であるならば攻撃というのはその本性に完全に反してますよね これはなぜ反するかというとそれは不安を抱くからです
僕らは平安な状態一切の恐れや不安がない平安な状態の時に多分だけどもこの本性 愛である本性が愛である自分これを私は本来の自分と呼んでいるんだけど
そこに戻ることができるんですね これはおそらくだけどもほんの数秒ほんの数分もしくは数時間
感じたことは絶対にあるはずです 僕も間違いなくこれを感じたことがあるから本性は愛だと確信できるんだけどもね
これに真っ向から反してるわけですよ 当然だけどもねそうかな魚というのは水の中を泳ぎます
水の中で暮らしてますよねこれが彼らの本性ですよ 水の中で生きる生き物これが丘に上がっていれば多分苦しい
反対に僕らは水の中で暮らせない 陸の上でしか暮らせないそれが水の中に潜れば苦しい呼吸ができなくて苦しい
ですよねこれが多分本性に反する行為ってことだとまあ単純に言えばね例えるならば そういうことだと思うんですね
だからおそらくその僕が誰かを攻撃している恐れや不安を抱いてね これは多分夢を見てみながら本性を忘れて相手を攻撃している時
多分だけどこの空気のない水の中に多分潜っているんですよ 本性に反したことをやっているこれが3つ目のまあでかいですよね
攻撃すれば自分が傷つくというねこの理由の最後の一つなんですけどもね まずはねその手放せるかどうか結果は別として僕らがその部屋をこなって日々
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行っている攻撃にはねこのようなまあ副反応ってかなぁ僕は副反応じゃなくて まさに反応だと思うんだけどもね
こういうデメリットがついて回るんだってことを認識しておくことは悪くないと思いますね これだけで多分私たちはねそれほどその損をするものにそうやすやすと手を出さないと思うん
でね だから第一歩はやっぱり攻撃とは何かとなぜ攻撃をすると自分が傷つくのか
ね自分以外の人を攻撃してもなぜ自分が傷つくのかっていうここをしっかりと 捉えておくとですね抑えておくと
なんとなくそう簡単にはやっぱりこの手段は選べないなとね まああの人生の中にはねこれを使うしかないみたいな場面がゼロとは言いません
本当はゼロだと思う私は思ってるんだけどね思ってるんだけども じゃあそれが本当頭でわかっていたとしてもね
それを完全にゼロにできるかって言ったらそれはとても難しいと思います だから
これを全く使わないとかね何があってもこれをやってはいけないみたいなそんな原理 原則はどうでもよくてなんとなくだけども
私の半径この3メートル5メートルぐらいの暮らしの中に罪悪感と一緒ですよね ここにこの攻撃を持ち込む必要があるのかっていうところからまず始める
なぜならばそれをやるとここまで自分が傷つくからですね しかも元々はね自分の身を守る恐れや不安を感じて自分の身を守るために相手を
攻撃していたわけですねつまりこれは安全幸せが欲しかった ところがこの道にはないっていうねここも重要なポイントなんですよね
この家まあなんていうのかなもう本当にある結果だけを変えればいいっていうねもう 幸せとかそんな安全とかどうでもいいとこの結果は絶対に変えなければならないっていう場面に
直面したらもうそれは仕方ないのかもしれないんだけど もし本当にねその恐れや不安を抱き自分が安心したい安全を得たい
そして結果としてできるだけ幸せな状態で痛いと思うのであれば この道にはその答えがないというその結果はないという答えですことですよね
でまぁここからそのどうやって攻撃を手放すかっていうね 具体的な方法に入っていくんだけどもまぁここはこの番組でもそのお話ししたね怒りの
メカニズムとかねそういうものをまあ使っていろいろこう トライしていくんだけども今日はねなんか僕らを自然と攻撃に向かわせる
こう僕らに攻撃を強いるある考え方にね スポットをちょっと当ててみたいと思うんですよね
それはどういうことかというとこの世界を良いものと悪いものにすぐに分断してしまう っていうそういう考え方ですね発想というかね
これはやりますよね多分僕らをやってると思うんですよ これはいいこれは悪いこの人はいいこの人は悪いこの組織はいい
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ここの組織が悪いとかね なんというかこの良いものと悪いものをはっきり区別しておきたいっていうね
そういう願望欲求みたいなものなんですよね じゃあなんでそんなことをするかというとね多分これも恐れや不安に僕らのね
恐れや不安に関係していると思うんだけども 安全な場所例えばねそれから信頼できる人心を許してもいい人みたいなことを
見分けたいわけですよ その反対にそうでない人とそうでない場所があるように僕らは感じているのでね
だから良いものと悪いものをはっきりさせておけば 自分が安心していられる場所安全な場所かな
これが確定する感じがしますよね ここが曖昧であやふやなのはとてもやっぱり怖い
これはあの本当のことはわからないの話で 似てますよね
何かその良いのか悪いのかこの本当のことがわからないのはこれはやばいよと だからやっぱり分かった状態っていうのを作ろうとして僕らは一つ一つ
人だの組織だのそれから場所なの環境だのそういうものに良い悪いというラベルをね はっきりとくっきりと貼っておきたいわけですよね
まあこれはだから自分の身を守るため自分の安全を確保するためでもあるわけです ただこれをやるとですねえっと自然とね
まあいいものができるのはいいんだけども悪いものも生まれていくんですよ 僕の認識の中でね私はこれを悪いと見ているっていうこれはつまり何を
しているかって言ったら僕の心が悪いものをこの世界に作り出しているってことなんですね これなんか逆のように見えるんですけどね
もともとは外外からやってくるその外的な要因こいつが悪かったから私はそれを悪いもの と認識したっていう順番に僕らは捉えてしまうんだけども
これは残念ながら 僕らの心が作り出す方が先なんですよね
一回そういう経験をしたというのは事実かもしれないんだけどもそれが本当に良いもの なのか悪いなものなのかわからないんですよね
でもそれではとても安心していられないのでやっぱり心の中でこれは悪いっていう風に意思決定 するわけですこれ意思なんですよね
つまり僕らはねその認めがたいとても受け入れがたいことなんだけどもやっぱり自分の意思でね 悪いものを作り出しているんじゃないかとこれはもう私が自分の心にこう手を
当ててね やっぱりそうかなぁと感じるものでもあるわけですね
でそうするとこの悪いものっていうのは攻撃してもいいものなんですよ うんそうですよねこの悪いものは私の幸せそして安全安心を妨げるものであるから
まさに先ほどその攻撃のメカニズムのところでお話ししたね恐れや不安を抱く存在 これはある意味その堂々と攻撃していいものなんですよね
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まあとはいってもそれをやれば罪悪感を感じるんだけどもね 罪悪感を感じる量がより少ないものになりますよね
悪いものだからね まあまあちょっとは自分もちょっと痛い思いをするけどもこれは叩いていいものだっていう感じ
なんかこれってあの今ね例えば炎上とかワイドショーでこう叩かれる芸能人とか見ていると まさにそのあここにまた一つ悪いものが作られたなぁって感覚がそのなんとなく分かっていただける
と思うんですよね 僕ら安心して叩きますもんねこれ叩いていいんだってみんな言ってるよ車高たとこみたいなね
これがその悪いものを良いもの世界をね良いものと悪いものに分断した後に作られる 悪いものそしてそれは攻撃してもいいものなんですよね
攻撃が正当化される悪いものっていうものを作り出すわけです 面白いことにこれがまだねいろいろなその僕にとって
まあメリットというかねその裏のメリットですよねその偽りの自分が喜ぶメリット 本来の自分ではなくてね
恐れや不安を抱く偽りの自分が喜ぶメリットがここにありましてね これも確か罪悪感の会でお話ししたと思うんだけど僕らはその
2種類のね罪悪感に対する対処をするんですね あーやっちゃったなぁまずいのこの罪悪感を感じてるっていう時に一つは自分を責める
ということね 自分に罪を見て自分を責めて落ち込むというこれが一つのパターン
だからもう一つはここに抱えきれなくなってこの外にこの罪悪感を投げるっていうね これがもう一つの対処法ですね
これはそもそも俺が悪いんじゃないよねこいつがこういうことをしたから俺はそういう ことをする羽目になったんだよねって言ってこの罪悪感を外にぶつけるっていうね
これはどちらも多分私たちはやっているしこの人によってねこの傾向というのがこう違って くるんですよねどちらかというと自分で抱えがちな方と
それからやはりどちらかというとそれを外に投げがちな方っていうのがやっぱりいる これはなんかやっぱり個性とかね性格とかその育ってきた環境とかそういうもので
変わってくると思うんですがね 私はどっちなのかな前者かな
まあぶち切れタイプといえどもそう簡単にそう安々とはいきませんからねどちらかという とであの
官人袋の尾が切れたみたいな感じで爆発するタイプだったんでそれまでずっと自分でその 罪悪感を抱え込んでいたんでしょうねそしてそれが溢れる時が来るんですよ
これは何かコップがあってねやっぱり容量が決まっていてそれぞれの人の音 またちょっと例えば私だと1リットルの罪悪感の入れ物みたいなのがあって
抱えて抱えてようやくその1リットルを超えた時にもうこれは抱えきれないって言うんで 外にぶつけにかかるっていうね第2の対処法を選ぶんですね
でこれにこの悪いものがもう絶好のターゲットになるんですよ これがまたさっき言ったその叩くってやつですよね自分の持っている罪悪感を相手にぶつける
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っていうね これの受け皿にこの自分が作り出した悪いものはなってくれるわけですね
そしてもう一つこれもこの番組のねえっと恐れや不安と思いのどちらを原動力にするか みたいな話でお伝えしたんだけども
僕らはねその怒りや意気通りを原動力にするってやり方を多分だけども幼少の頃 から覚えてきてるんですね悔しさをバネにするって言うじゃないですか
忘れちゃいけないぞその悔しさをってそれがなきゃお前努力できないぞわかりました 絶対に忘れませんみたいな感じでリベンジのために何かを頑張るみたいなね
でこれをやるためにはやっぱり仮想の敵っていうのがいてくれたら高都合なんですよね これにも使えますよね
この悪いもの自分が作り出した悪いもの でこのまあいろんな様々もろもろの音理由で作り出したこの悪いものがいてくれる限り
僕らは多分だけども攻撃を止めることはないんですよね もうしかもこれを多分日々作り出してるんですよ
リアルタイムにね何か相手と話しているしたら相手がまあ自分のまあなんていうのかなこう むかつくようなことが気に入らないことをポンというその瞬間におっこいつ悪いものじゃん
っていう風に作り出しそこからはもうこいつには攻撃も罪悪感も全部投げていいんだと しかもこいつのこのムカつくこの感じを俺は原動力にするんだみたいな感じで生きていれば
ですね 基本的に攻撃がなくなることはないですよね
だからここに立ち帰ってねそっかとこの世界をね 2つに分断しちゃダメなんだなといいものと悪いものにね分けてしまった瞬間に私は
この攻撃というのを手放せなくなる仕方ないですよね いいものは私にとって安全をもたらしてくれるところ
いいものは私が心を許していい相手 その反対側にある悪いものはこれは叩かなきゃいけない
まあそのあってくれるから実はねこれ面白いんだけどいいものと悪いものの両方を 作り出すからこのいいものというのを見つけられるんだけども
だから実はその悪いものが貢献してくれてるんですよねこの発想の中ではね でも僕らはその悪いものを消そうとしますよね
ここ自分の周りから抹消しようとする これってよく考えると
なんか僕らはね多分一度や二度は経験したことがある あの子供の頃にやったことと実は似ているんですよね
自分の身近にとても大事な親がいるとね 子供にとって親というのはもうその生きていくためには欠かせない大事な存在
存在ですよねさっきのその価値マックスの話で言えば親ほど価値の高いもの存在はない わけですよ子供にとって
でもこの親がねとてもじゃないけどそのムカつくこととかね 勉強しろだろうね遊んじゃダメなのね
おもちゃは買ってくれないだろうねいろんなその自分を苦しめるようなことを言う そういう行動を取るこの時に
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お母さんなんかいなくなればいいって言うじゃないですか まあそんなことを言ったことがない人も大勢いると思うんですけどね
なんとなくだけど消えちまえみたいなね お母さんなんかいらないお父さんもいらないみたいなことを言うじゃないですか
この時僕らは間違いなく悪いものを作り出してますよね 目の前にいるお父さんとお母さんはいらないほど悪いもの
これなんですよこれが僕らが作り出す良いもの悪いものの正体なんですよね ずっとで実は確定してるわけじゃないんですよ
自分にとって不都合だなってこいつなんか俺にとって嫌なことしてくれるなっていう その瞬間にそれまでいいものだったものが悪いものに変わるっていうね
ここが厄介なんですよねそうするとどうなるか親はいなくならないですよ でもこの血のつながりもない普通のね私と他の人たち
私がこの攻撃をしてすればいなくなりますよね そしていなくなった後にまさにさっき言った通り大切なものを失ったっていうことに気づくわけですね
まあでも僕らはそれを認めるなんていうのかなそれを認めるのも多分で怖くてね ずっと悪いものにしておくっていうことしか多分できないんだけども
本当はやっていることはとても大切なねつながりを持つ そういう価値ある人を悪いものとして自分が作り出した悪いものとして排除している
そのつながりをブチブチ切ってまさに私がやってきたデストロインですよね でここでも実はね大きな矛盾があることに気づきますよね
もともとはその良いものと悪いものを区別して安全な場所を確保したかったんですね ところがこの悪いものを作り出すことによって私たちは余計その幸せとかね
安全から遠ざかっているんですよ これはもうその仕組み上そのななぞるを得ないんですよね
だとしたら今までね辿ってきたこの道をねグーッと巻き戻してね 一体何が起点だったんだろうと何かこのお菓子のやり方の始まりだったんだろうっていう
風に辿ってみると やっぱり世界を良いものと悪いものに私の心の中で分断させたっていうことがそもそもの始まり
だったっていうことがわかりますよね であのこの世界にはねその私が鏡の法則というを読んでいる仕組みが働いて
ましてね 要はこの世界を良いものと悪いものに分断するというこの視点は必ず自分に帰ってくるんです
よ つまり私の中に良いクラザのと悪いクラザのがいるっていうこの発想をいつもいつも持ち続けるの
ね 同じなんですよこれ結局世界をそのように見るということは私もそのように見ることに必然的に
なってしまうんですねこれがやっぱり一つ意識なんですよ だから私の中に悪いもの私の中にどんな悪いものがあるかっていつも気になるじゃない
ですか 自分の中にある良くないものですよね
でこれをやっぱり攻撃して排除しようとしますよね これはやっぱりどちらに向かってもいい結果は多分だけどももたらさない
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だからこれをやめるということですそもそもこうやってね自分を振り返った時に自分の 中にパッとすぐ良いものと悪いものが浮かぶじゃないですか
でもそのこの私の中から悪いものだけ ぐっとね取り除いて厳選して取り除くなんてことはできないんですよ
つまり私たちというそのこの人間はね まあこのあるある視点から見れば良いものと悪いものが混ざり合ってできている
まあそういう生き物ですよねでも多分僕はこの視点がちょっと違うんじゃないかと思う これを良いとか悪いとか自分たちで決めつけて判断解釈をするからね
本当のことはわからないのにしようとするからこの二律っていうかね 二律二律相反するような概念を両方持たなきゃいけなくなるわけですね
だからあらゆる物事良いとか悪いとかたったこの2つの基準で判断しないという習慣をつける それはそのまま自分に返ってくるのでね
自分に対してもこれは良くないとかねこの私の部分のこの部分はいらないとかそういう見方 もおそらくだけどだんだん和らいでくるんじゃないかなと思うんですねこれはまさに一石二鳥ですね
なんというかこの上手い言い方が見つからないんですけどね真ん中を見るみたいな感じ 中央をいつも見据えるような感じ
もしその悪いものそして良いものみたいなものがね極端にガッと自分の中で触れたら これをすっと感化するようなこの感覚なんですよね
これを日々小さなところからねまあ自分から始めるのもいいのかな この私のこの部分を悪いとみなすこの見方は多分間違ってるよなっていうこんな感じで
自分発信でねそこから少しずつ少しずつ身近な人に広げていきながらね まあ例えば家族なりパートナーなりね自分の子供なりをこうそういう真ん中を見るような目で見てね
まあちょっとこれもなかなかふさわしい言葉が見つからなくてどんずばではないんだけど なんとなくだけど清濁合わせ飲むみたいなそんな感じかな
名もあれば案もあるよねとこの2つが組み合わさっているのが僕たちでっていうふうに ここ分担させないように頑張るっていうねものの見方っていうか
これも結構その習慣だったりトレーニングが必要だと思うんだけども これによってもしね
僕らがその攻撃ではなくてコミュニケーションの方を選べるような機会が増えていったとすれば それはおそらくだけども幸せの道につながっているはずです
そして僕がね取り戻したかった人とのつながりこれもそのいわゆる集団行動とかね 国のためとかね会社のためとかそういうものではないんです
私からつながる私という個人からつながるつながりですね 私の意思でつながっていくつながりと言ってもいいでしょう
これは決して人から強制されるようなもんではないし 何かその全体主義とかね集団行動とかも変なルールを強いられるものではない
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私が幸せに生きていくために必要なこの私から発せられるつながりっていうのを取り戻せるんじゃないかなと思うんですね
攻撃を手放してコミュニケーションにシフトする そのためにはこの世界自分自身あらゆる人それをいいもの
そして悪いものに分断させないっていうね これがなんか私がこの攻撃のないコミュニケーションでお伝えしたかった本質というかね
答えだなっていう感じがします 実はですねこの話はね私と佐々木翔吾さんでやってるもう第7期になるんですけどね
半年間で一冊を書き上げる書き上げ塾という執筆講座がありまして エフトさんとやってるやつは1ヶ月サイクルなんですけどこちらはね半年かけて一冊書くというね
しかも書籍本を書き上げるというかなり大きな講座なんですけどね ここで最初の講義で私はこの話をするんです
攻撃をしないでくださいと文章の中でね そういう本もあるんじゃないかと思うんだけど私は私の書き上げ塾では
文章で攻撃をするというのは基本的に封印していただきます なぜならばおそらく僕らが書く本というのはある種の問題解決なわけですね
何かに困っている人悩んでいる人ね道に迷っている人そういう人たちが多分読者対象 なんですよ
そこに自分たちがね僕らの筆者が経験してきたことをその解決策として提示するというね 多分小説であろうとエッセイであろうと私が書いているようなその少しハウツー気味の本で
あろうとねそこは変わりないと思うんですね ここに攻撃はいらないなぜならばそれを読む人たちがね
求めているのは安心安全平安そして幸せだからです そこに攻撃を混ぜてはいけない
だからもしその書こうとしていることに対してね 自分の中にまだ行き通りとか怒りとかそういうものがあるんであればね
そこをしっかりと解消してからじゃないと多分僕は書けないと思うんですね つまり
だからこそその書くという行為を通して自分が癒されていくんです そして癒されていくその自分のプロセスの音それを綴ることによって
それを必要としている読者はそこから安心安全平安幸せ みたいなものをほんの少しかもしれませんけども得ることができるとだから書き上げ
宿の一番最初の講義でこの話をするんですね攻撃をしてはいけないというね そうだそのこれも告知入ってますけどね
ちょっと自然につなごうかなと思ったんですけどねまあいいや 11月の半ばぐらいかなから第7期が始まります
まだ募集しておりましてえっと定員がねあと2名かな そのぐらいは残っていますので継続の方もいらっしゃるんでね
結構今回はサクサクと埋まりましたのでもしこれトライしてみたいなと思う方がいらっしゃい ましたら早めにお申し込みくださいよろしくお願いします
45:09
おっしゃじゃあ今日はですねもう一つしかないですね 攻撃を手放すこれがまあゴールなんですがその前にですね
今日は自分のその半径5メートル自分が暮らす半径5メートルぐらいかな この世界の中に
この世界をか良いものと悪いものに分断させないようにしていい1日をお過ごし くださいありがとうございます
45:51

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