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みなさん、こんにちは。杉田麻里子と石川由加子です。
Good News for Citiesは、都市・建築・町づくりに関する様々なグッドニュースをザックバランに話す番組です。
Good News for Cities
今回のポッドキャストは、東京大学連携研究機構、不動産イノベーション研究センタークレイト・フォーシティーズが共同で作った雑誌
『Regenerative Commons – 場所と地球がつづくための関係づくり』のインタビューを特別に収録したものです。
ゲストは株式会社草冠代表、茅葺き職人である相良育弥さんにお越しいただいております。
循環する茅葺きを現在に引き継ぐというテーマでお話をお伺いしました。
はい、今回のゲストは草冠の代表である相良育弥さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まず、草冠の活動について、今どんなことをされているかお伺いさせてください。
草冠は基本的には、茅葺き屋根の修復をする職人の集団というので、
基本的な仕事内容としては、既存の茅葺き民家の修復、傷んだものをやり直すというのを主軸にしながら、
茅を使った現代的な取り組み、伝統的なもの以外のものを色々とやったりしています。
あとは、茅葺きに関わる材料となる茅を調達するための茅場というものがあるんですけど、
それが年々減少していっている傾向にあるので、
特に自分たちの目の届く範囲の近畿圏ベースなんですけど、
すすきがたくさん生えている草原はあるんですけど、材料として刈り取っていないというところに関わっていて、
茅を刈り取ってもらって、それを我々が材料として刈り取ることで、
その草原の景観を維持している人たちの活動資金にするとか、
みたいなところを大きな仕事の軸としてやっています。
草原さんはそもそもかわやぶき屋根とか、すすきに興味を持ち始めたきっかけというのは、いつだったんですか?
20代前半の頃なんですけど、たまたま本当に茅葺に出会って、
これは俺のやりたいことの延長線上にあると思って、
この茅葺の世界に入った、弟子入りしたという経緯があります。
当時は何を勉強されていたんですか?
当時は何を勉強というよりも、お百姓さんになりたいなというのがあって、
神戸なんで阪神淡路大震災を経験しているので、
当時中学3年生だったんですけど、北斗の県の世界みたいな、あららみたいな、
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何もかもがリアルがむき出しになったというか、
普通に淡々と濃々と暮らしていた中学生なんですけど、
目の前で本当にビルが崩れたり道がなくなったりとか、
人々が困っていたりとかを見てしまったというのがあって、
それがやっぱり一つの原体験としてあって、
そのまま大人になっていく過程で、
高校生とかは他に楽しいことがあるのですっかり忘れるんですけど、
DJしていたりとか、電気を使って音楽を流したりとか、
いざ自分が成人というか二十歳になって、どうやって生きていきたいかなと思ったときに、
お百姓さんになりたいなというのがあって、
いわゆるそういう非常事態に自分で生きていける力を身につけておきたいというのがあって、
家が神戸敷田区の田舎なので、旗も持っていたので、
おじいちゃんと一緒に米作ったり野菜作ったりみたいなのをしているときに、
たまたまカイブキ屋のアルバイトがあるというのを聞いて、
行ったときに草を刈って屋根を拭いて、
それは将来の肥料にするというその循環のシステムを見たときに、
これは生きていくための知恵が詰まっているなみたいなのがあって、
カイブキの世界に入ったという感じですかね。
今神戸の北区の方というところにいらっしゃると思うんですけど、
地域の中での草冠の役割や役目はどんなところに?
基本は地域にあるカイブキ屋での修復みたいなのをやっているんですけど、
草冠というよりも僕自身が地域の地域活動みたいなのに、
大号本陣とか保存の理事とかをやったりして、
あと例えば村でイベントがあるときに人手が欲しいときに、
野郎どもを連れて行って立て込みをしたりとか、
そういういろんな若い使えるやつらみたいなところも含めて、
地域の中で認識してもらっているようなところがあります。
草冠自身、北区で5つ東京だったり、いろんなエリアでも活動されていると思うんですけど、
そこの住み分けだったり、コネクションみたいなのをどのように考えているんでしょうか。
基本的には自分の生まれた村を主軸にして、
すべてそこに還元したいなというベースのもと。
もう一つは、例えばかよぶきにかかることによって知った伝統的な素晴らしい知恵というのがたくさんあって、
それを少し都市にギフトするというか、
お裾分けするみたいな感覚で、積極的に自分たちが住んでいるところ以外にも行くことによって伝えていくみたいな感じの考え方なので、
基本的には軸があって、行って戻ってという。
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海外に行こうが一回戻るみたいな。東京に行こうが一回戻るみたいな。
中心軸みたいな感じで考えているので、あまり分かれていないというか、
ここにいながらどっちに行くかみたいな感じなので。
お裾分けをしていく。
僕だけが持っているともったいないなというのと、
ぐるっと一周回って伝統的な知恵って現代の中ではある種最先端な部分がたくさんあるので、
それをおじいちゃんおばあちゃんとかに教わったものを現代語訳して届けているようなイメージですね。
翻訳家みたいな感覚で東京とか海外とかに行っています。
石川さんの中で、それこそ東京での事例についてお伺いしていきたいなと思って。
石川さんも最近行ったみたいな。
ありがとうございます。
How is lifeっていうのをちょっとご紹介いただけますか。
僕はメインキュレーターとかでもなくて、
依頼があって一緒に作ったりしているんですけど、
まさにHow is lifeっていうすごいわかりやすいテーマで、
これからの世の中をどういう風に生きていくかというか、
生き延びていくかみたいな知恵だと思うんですけど、
そういう中でやっぱり貝吹きとか石積みとかがあったと思うんですけど、
伝統的な農村の知恵っていうのが結構クリティカルに
これからの世の中に活かせるんじゃないかみたいなところが
キュレーターの方々と話しているときにあって、
メインキュレーターのアトリエ1の塚本さんが
貝吹きやりてーみたいな感じで。
とも編みっていう貝吹きの中でも最もカジュアルな
誰でもできるような知恵を使って、
オブジェみたいな、モニュメントみたいな感じなんですけど、
ああいう作物を作って、それを作ること自体も
実はワークショップでやってて、一般参加を募って
とも編みっていう一番簡単な貝吹きの技をその場で教えて、
みんなで編み込んで、それを僕たちがそこに止めていったみたいな。
不審と受け負いって塚本さんがやってますけど、
受け負いっていわゆる、家建てたいなってなったら
業者に頼んで、すべてを任せて、お金を払って作ってもらうんですけど、
不審か、不審の方は自分たちも関わることによって
一つのものを作っていくっていう、そういう関係性が
これから結構都市部においても重要なんじゃないかな
というのが思います。
その話でいくと、前回メッセージさせてもらったときに
自分の中でいくとバランス感があるという話があって、
その中で不審の話とか、頼もし行、私は初めて聞いた。
不審とほとんど意味は一緒なんですけど。
農村特有のコミュニティから生まれた言葉だったり、
真ん中を大切にする感覚っていうことが結構印象的で、
その感覚についてもちょっと詳しく聞きたいなと思いました。
大前提として、村って群れのことなので、
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群れないと生きていけなかった時代っていうのが
ずっとこの戦前戦後ぐらいまであったので、
例えばそのコミュニティの中で揉めましたというときに
もうええわって言って、他に行くとこがないんですよ。
っていう前提のもとになり立っている知恵っていうのがまずあって、
なのでそこで揉めてしまうといわゆる村八部っていう、
家事と葬式だけは面倒を見てくれるけど、
それ以外は関わってくれないみたいなことになってしまうので、
だから基本的に揉め事があったときは、
お互い間を取らないと。
コミュニティ全体がギスギスしてしまったりするので、
常にお互いの言い分の間を取るみたいな知恵がさっき言ったような
頼もしくおとか、そういう不信とか、
そういう関わり方の中で生まれてきたっていうのがあって、
現代においては、例えばもう嫌やってなったら
違うところに移住っていうのはできるじゃないですか。
でも本当に昔って出れないので、
行った先で受け入れてもらえるかどうかわからないという状況がある中で、
揉め事が起きたときに、
コミュニティの中で解決するための知恵っていうのが
さっき言ったようなものになりますね。
佐原さんはその感覚というか、どうやって違ったんですか?
ちょっと考えてみたんですけど、いくつかあって、
一つはね、僕次男なんですよ。
兄貴と弟の間を取り続けてきたので。
真ん中。
真ん中なんですね、存在として。
兄貴の顔色と弟の都合とか気分とかを見ながら、
自分がどういう立場にいたら一番兄弟がうまく回るかみたいなのを考えてきた。
悲しい。
次男棒の定めっていうのがあるのと、
あとはおじいちゃんおばあちゃんとずっと暮らしてたの。
特に晩年10年とか一緒に暮らしてたし、
かやぶきに関わってから、
基本的に十数年くらい前まで、かやぶき屋根のクライアントって
おじいちゃんかおばあちゃんなんですよ。
ものすごい数のおじいちゃんおばあちゃんと付き合ってきたんですよね。
長い時間。
20代の頃とか日本でトップレベルのおばあちゃんのメルトモがいた。
自信があるんですけど。
20代ぐらい付き合ってきた中で、
おじいちゃんおばあちゃんの真ん中を取ってきた人たちの感覚が染みてるんですよね。
気がつけばそうなってたみたいな感じがあるかなっていうのは、
どこで身につけたというか。
次男棒であったっていうのと、
20代の頃を過ごした環境がそういう環境であったっていうのが
結構大きいのかなってなります。
そういう意味では都市ってそういうコミュニティーがあるし、
豪快というか、限定的にあるところもありますけど、
なくなってきている中で、
その感覚を私たちはどうやって獲得していったらいいんだろうなと。
どう伝えているのかあったりしますか。
僕は農村の考えがベースになってしまうんですけど、
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プライベートとパブリックの比率っていうのがすごく面白くて、
曖昧なんですよ、ものすごく。
中部近民家に関わらず古い民家って縁側っていうのがあって、
そこってどっちでもないんですよね。
建築的によく内でも外でもない空間、
曖昧な領域っていうふうに定義されているんですけど、
本当にフラッと来た人が、
玄関に入って座敷に上がるほどの用事じゃないんだけど、
ちょっと顔見に来たって言って縁側に座って、
家の人もお茶でも出しながらちょっと縁側でコミュニケーションを取って、
都市部においては会いましょうとか、
会議しましょうって言って大義名分ありきで会うじゃないですか。
人の日常が自然に触れ合う空間がセットされているっていうのがあって、
田んぼのあぜとかもそうなんですけど、
田んぼって家が遠かったりすると、
いちいち帰って休めないんで田んぼのあぜに腰掛けて休むんですけど、
ものすごい長いベンチみたいなイメージなんですよ。
何してるの?何作ってるの?みたいな感じで、
10分、15分ちょっと話して、
またじゃあ俺も仕事行きに行くわみたいな、
お互いの日常がごくごく自然に触れ合える、
公共でもなくて私的な空間でもない場所がたくさんセットされているっていうのがあるので、
例えばこのバイソンギャラリーなんかでも道沿いにベンチを置いて、
通り過ぎない人が腰掛けれるとか、
みたいなプライベートとパブリックを少し曖昧にしていくというか、
都市部においてはプライベートはプライベートで、
パブリックはパブリックなんですけど、
その間のちょっとグレーな部分っていうのを都市の中にセットしていくと、
もうちょっと変わるんじゃないかなっていう。
そこは多分お二人の方が考えていくといろんなアイディアが出ると思うんですけど、
プライベートとパブリックの比率を空間によって変えていくみたいな。
もちろん家も奥に行くほどプライベートになっていくので、
そこを分けるんじゃなくて、階層的にグラデーションで考えたらいいんじゃないかなと思います。
何か複数のものが合わさったバランス感覚みたいなところでいくと、
人間と自然の間のグレーなところというか、合わさるところで
リジェネラティで繋いでみたいなと思っていて、
今回テーマがリジェネラティなので、
かやばという活動を、かやぶきの活動をされる中で、
リジェネラティを意識されることとか、
相原さんなりのリジェネラティって何だったか聞いてみたいです。
なるほど。かやぶきをやっている以上、デフォなんですよ。
別段意識していないレベル。無意識の層に落ちているようなレベルなので、
改めて考えてみると、なかなか難しいテーマだなと思ったんですけど、
でも、かやぶきの持っている本質的な部分を横文字で一回抽出して、
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よくあるじゃないですか、サスティナブルもそうじゃないですか。
かやぶきもサスティナブルはデフォなんですよ。
パーマカルチャーとか、マインドフルネスとか、マクロビオティックとか、
もともと日本に伝統的にあったもの、特にパーマカルチャーなんかも、
日本の有機農業をオーストラリア人が学んで、持って帰って体系化して、
また戻してきたのがパーマカルチャーとか。
マインドフルネスとかって禅の迷走じゃないですか。
それをシニコンバレーの人たちがそうやって置き換えて、
今日本でやっているっていう、何て言うんですかね。
結構歯がゆいんですよ。
今、いちがいが入っています。
唯一輸出できたのがコンマリの断捨離じゃないかな、ぐらいの感じなので。
なんて言うんですかね。これは多分明治とか戦争の影響もあるんですけど、
自分たちの生まれたときにもともとある知恵を、
自分たちが再解釈して発信すればいいのに、
外から発見される機会が多すぎるっていうのがあって、
僕よく下向いて歩こうって言うんですけど、
上とか前じゃなくて下向いた方がいいよって言って。
自分の住んでいる足元に、おじいちゃんおばあちゃんの何でもない知恵に
ものすごく大事なものというか、
数千年間蓄積されてきた一番いいものがあるので、
それをだからさっき言ったような翻訳するような形で、
やっぱりこの半世紀以上か、70年ぐらい、戦後でそういう思考体験が
アップデートで止まっているので、
70年分のタイムラグを埋めるようなアウトプットを
今生きている若い世代がやっていくと、
すごい素敵な国なんだろうなって思うんですよ。
なので、かやぶきをもう一回現代に
70年のタイムラグを埋めてアップデートしたらどうなるかというのを
実践しているみたいなだけの話かなというのがあります。
本当に今回ご質問、インタビューさせていただくにあたって、
かやぶき建築とかその取り巻く仕組み自体がリジェネラティブになっちゃうと思って。
それをだから置き換える。
例えばかやぶきがすごくいいってなったからといって、
かまどでご飯炊いて、薪でお風呂入っていって
できますかっていったらできないじゃないですか。
でもそのかやぶきの持っている本質的なところを維持しつつ、
内装は現代人が住みやすい形にしたらいいし、
もちろんWi-Fiも完備したらいいしみたいな。
70年間空いちゃっているかわからないですけど、
もし順当にアップデートしていっていたらどうなっていただろうかというのを
逆算して考えているみたいなだけなので、
みんなにとっては70年空いちゃっているので
突然現れたみたいな価値観に見えるんですけど、
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僕的には結構地続きで。
時代ごとに変わっていっていたとしたらどうなっていただろうというのを
実践としてやっているみたいなだけですね。
具体的にこの暮らしの中で今失われてしまったかやぶきの仕組みみたいなのを
どうやって今デザインしようとしているとか。
ものすごく単純に、うちもちょっと立て替えたいなと思っているんですけど、
かやぶきもいろんな段階があって
伊勢神宮みたいな超高級なバチバチのかやぶきもあれば
How is lifeであったみたいな。
になわらを使って自分たちでできるラフなやり方があるので
そのラフな方のやり方で自宅をちょっと作ってみたいなと思って。
お米を食べて作っている以上笑って手に入るので
農業の副産物として出てくる藁を使ってラフに屋根を吹いて
2,3年おきにコンスタントに吹き替えていくみたいな。
中身は現代的な作りの家を作ってみたいなというのがあって。
よくかやぶきに住むとなったら
退職したサラリーマンが蕎麦屋するみたいなイメージあるじゃないですか。
そういう古臭いものではなくて。
極端に古いみたいな。
あれは昔のかやぶきそのままを使っているので大変なんですけど
現代人にとって一番無理のないかやぶきのやり方というのを
ちょっといろいろ考えている途中でもあるんですけど。
そもそもかやぶきという屋根という仕組みを
構造としてあまり理解できない方もいらっしゃるかなと思って
どんなものなんでしょうか。
今それこそ2,3年ですかねという話でしたけど
もっと長いスパンのものもありますか?
ありますあります。
冒頭で一番簡単な編み方に
いろんな種類の編み方があるのか
ちょっとそこらへん聞いてみたいです。
そもそもかやぶきというのは
なんていうんですかね。
すすきとかよしとか稲藁とか小麦藁とか
いわゆる農村の生活の中で身近に大量に手に入る植物を利用して
自分たちの住まう家の屋根を作るという技術があって
しかもそれは屋根を作るためというよりも
今みたいに化学肥料がホームセンターとかで手に入らなかった時代に
自然の有機物をいかに多方の肥料にするかというのが重要な課題だったので
将来の肥料を頭の上で作っていますみたいな。
ついでにその間の自分たちの生活を雨風から守ってもらうみたいな
知恵としてあって。
おかいことか?
おかいこさんの作るためにかやぶきのエネルを使ったりとか
というのも伝統的にあって
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例えば一番高耐久な素材でいくとススキとかヨシって言われる固い草なんですけど
だいたい20から30年くらいの寿命があります。
一世代に1回みたいな感じです。
さっき言ったような稲藁とかを使うと
すごい柔らかくてそんなに強くない草なんですけど
だいたいでもしっかり拭けば7年くらい持つし
ラフに拭いたらほんと1年なんですけど
そうやってラフに拭いてコンスタントに拭きかえるというのは
コンスタントに土に返すという考え方なので
来年の肥料を今植えて作っているみたいな
そこの循環のサイクルの輪っかの大きさって結構調整できるんですよ。
ミニマム1年でマックス30年って感じなので
結構階層的にいわゆる瓦みたいに
やってしまえば何十年持つとか
割れたら1枚だけ交換というものじゃなくて
もうちょっと有機的な存在としてかやぶき屋根はあるというか
建築だけで考えるとちょっと分かりにくいかもしれないですけど
そういうものを
確かにその後の肥料とかも考えて
つながっているということですね。
そうそう。ただ一本の落葉紅葉樹を人工的に作ったみたいな
落ち葉って落ちて次の肥料を作るじゃないですか。
あれに似てて
やがてハラハラと地面に落ちてきて土を肥やしてみたいな
まさに人が手を加えることで自然に土地や地球が良くなって
しかもかやぶきが面白いのが草を買って屋根を拭いて土に返すというのは
環境に対して負荷が欠けていないのと
人が関わることでより良くなっているんですよ。
生物多様性の面から見た場合なんですけど
人が手を入れないと日本の自然って草原から次松とかが生えてきて
林になっていって森になって最後極双林という神社の珍珠の森みたいな
薄暗いビリジアンの森になるんですけど
極双林って実はそんなに生態系豊かじゃなくて
上緑樹なんで冬になっても葉っぱが落ちないので地面がずっと暗いんです。
下草とか中低木っていうのがいなくなって環境のレイヤーが結構極端になっちゃうんですけど
かやぶきみたいに草を刈ると常に芽吹きの状態をキープできるので
毎年大ギャーと生まれるみたいな
人間でもそうですけど一番フレッシュな状態を人工的に保つことによって
スミデみたいなタンポポみたいな背の低い植物も花を咲かすことができるし
ススキの成長に合わせて万葉集に出てくるような秋の七草とかも
一緒にその環境の中で育ったりすることができたり
あとカヤネズミっていうススキ草原に
ススキ草原に依存したような生物が暮らすことができたりっていうのがあって
田んぼなんかも本当そうなんですけど
日本の自然って人間が関わる方が実はよくなるというか
24:01
自然が自然単体で到達できない領域に
人間が関わることで行くことができるっていうのがあるので
なので積極的に人間が自然に関わった方が
日本の実は人間にとっては心地良い環境になるし
自然にとっても自分たちじゃ到達できない領域を作ることができて
多様性が生まれるみたいなところがあります。
なるほど。それを聞いていると本当に完璧なシステムなんですね。
いや、完璧なんですよ。完璧なんですよ。
なんでここまで減ってしまったのかみたいなところと
今田舎の方にかやぶき、もともとかやぶきだった家庭の上に
トタンポがあってきれいみたいなのが目立つのがあって
それはなんで起こってしまったんですか?
それは単純に戦争に負けたっていうのが
いろいろ考えていくと大きくて
こういう生活、こういう文化を育んでいたから
アメリカに負けたんだみたいな
っていうのがおじいちゃんおばあちゃんの話を聞いていると
コンプレックスとしてあって
要するに自分たちの培ってきたものを一回否定することによって
アメリカ、欧米に追いつけ追い越せっていうのが戦後の高度経済成長期なんですよ。
おじいちゃんおばあちゃんたちに話を聞いていると
かやぶきに住んでいることが恥ずかしいっていうのがベースにあって
お金があったら河原にしてたとか
ハウスメーカーの家にしてたとか
お金がなかったからうちはかやぶきのまんまやねんって
こんな汚い家さわらしてごめんなみたいな
っていう考えがベースにあったので
いろいろ話を聞いていくとやっぱり
戦争に負けたことによって
このままじゃダメだっていうので
一回否定して欧米の文化を取り入れることによって
高度経済成長で今の日本があるっていう
でも逆にその結果今また一つ行き詰まってしまってる
みたいなところもあると思うんですけど
やっぱり一回圧倒的に負けてしまった経験があって
自己否定が入っている中で
かやぶきこんな家に住んでたから負けたんや
っていう話になったわけでしょ
文化住宅ってわかります?昭和の頃だったら
なんなんそれっていう話ですよ。僕からしたら
いやいやかやぶきの家のほうが文化住宅やろうと思うんですけど
やっぱりそういうことなんですよ。考え方としては
そんな万俗みたいな家に住んでたらダメだから
そういうちゃんとした文化のある家に住みましょうみたいな
生活改善運動っていうのが1950年とかにあったんですけど
そうやって自分たちのやってきたことを否定していった歴史がある中で
高度経済成長のGDPの上昇とかやぶきの減少で
多分綺麗にクロスしてると思うんですけど
なのでやっぱり1950年代とかの映像を見ると
まだかやぶきがたくさんあるんですけど
そこからやっぱり田中格衛のせいじゃないですか
今ピーですけど
日本列島改造論っていうのがあった時に
やっぱりなくなっていったんじゃないかなというのがあります
アフリカに行った時も思ったのが
土の住居に住んでたのが普通だったんだけど
それが恥ずかしいものっていうのは全然近代的なものとして
27:00
お金ができたらコンクリートのモダンな家を建てることが
出すシンボルになってしまう
まだ土の家に住んでるのダサみたいな
いやまさにまさに
メンタリティーが生まれてしまう
同じです同じです
それを今新しい世代の若者とか建築家とか
メンタリティーをそもそも変えていこうみたいな
いやそうです。僕もおじいちゃんおばあちゃんのメンタリティーを変えようとして
頑張りましたけど間に合わなかったというかね
寿命がやっぱり
恥ずかしいまま死んでいったおじいちゃんおばあちゃんいっぱい知っているので
でもなんか死んでしまったけど
あの世から見ているという前提でいくと
今貝吹がこうやって少し注目されてきているっていうので
専属用しているみたいなとこがあって
なので多分どの国のどの文化も
一回通らないといけない道だと思うんですよ
アフリカもそうなんですけど
でもなくしてしまった頃にあれってならざるを得ないというか
キープしたまま次にはいけないし
でもその次にいこうとするときに
もともとの思考とか知恵とか
レビストロスの野生の思考もそうですし
吉本隆明のアフリカ的段階についてみたいなそうですけど
もともとあった知恵はたぶんそのまま
現代においても使えると思うので
そこをどうアップデートして社会実装できるかというのが
結構これからの社会が
特に都市部が心地よくなるヒントなんじゃないかなと思います
草冠自体は結構若い方も
仕事に入るから全国からいろんな方が来ていると思うんですけど
彼らの感覚というのはどういうところに引かれて皆さん来ているんですか
うちも20代がほとんどなんですけど
何で来たかみたいな話をすると
例えば建築を学んだ子が課題で
コンクリート南海建てのビルとかを描きなさいというときに
でもこれ将来全部ゴミになるねんなとか思っちゃうと
線が引けないんです
建築したいけど困難したいわけじゃないっていうので
悩んで調べた結果貝拭きに行き着いた子が
完璧やんってなって家に来るとか
あと税物多様性とか環境に対して興味のある子が
そういうのに関わった職種に就きたいというので
建築した結果貝拭きに出会って働きに来てくれたりとか
今の世代そういう感じの考えがベースで来る子が多いですね
昔は箸にも棒にもかからん僕みたいなやつが
こんな仕事しかねえわみたいな感じでやってた職種なんですけど
今はある種リテラシーの高い若者が集まってきてるなってのがあって
面白いです
ノリ君と話してたんですけど
彼今姫路にいるじゃないですか
姫路でも貝拭きをちょっとやってみたいみたいなことを言ってて
この間リサーチしたら近くに貝場を見つけたんです
本当に?
本当に鬱草として誰に手をつけてないようだから
30:01
行政かなんかに聞いてみたら
なんかドドドって
本当そうです
つまり行政からちょっとそこはメンテナンス費の関わり
そうです
目をつむりたいし
雑草なんです行政からしたら
だけど彼がカットすることで綺麗になる
ドドドになるし
彼も材料が手に入る
これやんと思って
コンセプチュアルアートに近いんですけど
ちょっと見方変えると全然違うものに見えるみたいな
貝場についても教えてください
どうやって貝場の材料を取れるものなんですか?
どうやって
すごいざっくりした質問ですね
もともとは農村の生活の中で必然的に生まれてくるというか
例えば牛を飼ってた時代に
牛に毎日餌をあげるために草を
毎朝飼ってあげるんですけど
その時に選択的にススキは刈り取らずに
置いておいて貝吹きに使うとか
将来の肥料を確保するために
そういう草原
ハラっていうんですけど
ハラッパのハラなんですけど
そういう貝吹きの材料の貝であり
有機肥料としてのススキが手に入る場所を
キープしておくとか
みたいな作法があって
今はそういう風にやっているところはほとんどないんですけど
貝を専門に刈り取っている業者とかがいるので
静岡県の御殿場の自衛隊の演習場とか
あれ永遠ススキ草原なんですけど
そこで刈り取って出荷してくれているのと
あと熊本県の阿蘇の外輪山という火山の周りですけど
あそこも草千里って有名なんですけど
あそこもススキが生えているので
そこでススキを刈り取って出荷してくれているという
かや屋さんが今いるって感じですかね。
全国に今は出荷しているっていう。
そうですね。昔はだから自家用のかやを
自分たちで調達していたんですけど
今は専業化している
ある種のむちゃむちゃ現代的な流れに沿っているんですけど
専業化した業者がいて
それを出荷しているというのと
坂森に関してはさっき冒頭に話したみたいな
近畿圏で潜在的にススキ草原が生えて
観光地になっているところがあるので
そのススキを刈り取ってもらって
刈り取っているみたいな感じなんで
半分ずつぐらいですかね。
なんか前回お会いしたときにススキって
でも街中に結構生えていて
生えています。
ひよくな大地じゃなくて結構過酷な
それこそ線路の脇とかでも
生えているようにするという話があって
面白いなと思って。
日本の植生の中のパイオニア植物なので
例えばどこかをガサッと造成したら
先に生えるのがススキなんですよ。
ススキが生えて少しずつ土地を作って
次松の木とかが生えてきて
少しずつ土壌を作っていくための
切り込み体調みたいな。
どこだったっけ。岡沢諸島か。
火山が噴火した後の荒れ地に
今ススキがめっちゃ生えているんですよね。
ススキの根元に溜まった土に今
寒木っていう松みたいな木が生えてきて
33:02
極双林に映るスタートの景色が見れるっていう。
日本の火山の国じゃないですか。
火山と地震の国の土壌に最も適した植物。
勝手に水もあげないし
肥料もあげなくても生えてきてくれるから
カイブキアネに使ってたっていうのがあって
そういう生命力があるから
都市化した部分でも線路の脇でも
道路の脇でもどんどん生えてきて
それが今さっき言ったように雑草扱いになって
処分されちゃってるみたいな状況があります。
でもそれこそ材料というか宝として見たら
街中のいろんな空き地で
そこに生えてるっていう宝があるみたい。
高速道路ののりめんとかもそうなんですけど
中央道とか走ってるとたまんないんですよね。
うわーめっちゃ生えてるみたいな。
買ったらすぐ出荷できるのにみたいな。
本当なんですよ。
雑草なのか材料、マテリアルとして見えるのか
っていうのが知ってるか知ってないか
っていうのがそこだけなので
そういう風に都市部でも空き地に生えてる
スズキを集めれば面白いと思うし
東京の茅場町なんかもともと茅場なので
ただ今茅場町に茅がないと思うんで
茅作るプロジェクト?
面白いと思います。
もしくは本当に探せば少しぐらいあるかもしれないし
なるほど。
こちらにも何か使い用ってあるんですか?
例えばこの編んでたりしたり?
墨田藁っていう昔の墨を入れる田藁は
スズキで編んでたりとかするんですけど
でもほとんどがそういう
ラッピング系の素材って藁の方が主なので
スズキは主に屋根ですね。
なるほど。
メインとしては。
ありがとうございます。
これ多分中島さんからの質問だと思うんですけど
こういう今の仕組みみたいなものを
継続的に担保するために
行政の政策とかについて
可能性もしくは課題があれば聞きたいです。
もうちょっと勉強してほしいなっていうのが
常に行政に関してはあるんですけど
例えばさっきの茅場の話でいくと
そういう行政の管理している土地に生えている
いわゆる雑草として見られているスズキを
借りたいというときに心よく承諾してくれるとか
そこに対するまず理解があるかどうかとか
大きな面積がいったりするので
公共の管理の場所っていうのが多いので
河川とかもそうですけど
それに対して貝吹屋根っていうものを
維持するための材料を調達するための場として
私的な利用ではなくて
文化に関わっているような活動として
ちゃんと認識してもらうっていうのがあったり
例えば貝吹きを新築しやすくするために
36:00
法律の緩和措置は今
国会議員さんたちとか行政ととったりしているんですけど
法律でダメなところが多いんですよ
新築ができないっていう
都市部においてはなかなか難しいですね
燃え広がるから
そう、屋根と壁って燃えてはいけない
それで作りなさいっていうルールがあったりするので
なかなか新築は難しかったりするんですけど
郊外に行くと建てられたりするんですけど
例えばそういうのを建てることに対するバックアップ
一番いいのは
新築で貝吹きするときは補助出します
っていうのもそうですし
例えばそういう環境に配慮した
本当の意味で環境に配慮した
貝吹きとか土壁とか使った家を建てたら
固定資産税は50%免除しましょうみたいな
そんなんでいいと思うんですよ
なのでそういう変なものというか
特殊なものではなくて
もっと長いタイムスパンで見たときに
この国土にとって非常にクリティカルなものとして
ちゃんと行政が評価して
それに対する行政ができる措置っていうのは
お金のことしか基本的にないので
あとは広報的なところもありますけど
そうやって環境に配慮した空間に住むことに対する
国民のリテラシーに訴えかけるようなことがいいかなと
昔家電エコポイントとかあったじゃないですか
家電買い替えたらエコポイントつきますよって
意味が分からんっていう
全然意味が分からんっていう
そういうんじゃなくて
本物をちゃんと行政が見分ける力っていうのを
ちゃんとつけてほしいなっていうのがあるので
行政的にはさっき言ったような
心よくそういう場を提供してくれたり
安定資産でとかを免除するみたいな
行政的な措置の関わり方ってあると思うので
そういうことをしてくれればいいなというのと
あとは温かく見守っておいてください
グダグダ言うなとか
みたいなところがあるかなというのがありますね
ありがとうございます
今挑戦してみたいこととか
将来の夢
今できてなくてというか
将来的にこういった風景が見れたらいいなって
あったりしますか
それはさっきも言ったんですけど
買い向きを現代に
70年くらいのタイムラグをアップデートしたときに
何が一番クリエイティブかなと思ったときに
法のカスタマイズなんですよ
ドランダとかヨーロッパに行くと
法律のカスタマイズをして
新築が今2000棟とか建てたりとかするんですよね
面白い買い向きを作ったり
今僕が東京でやってるようなことをやるっていうのも
大事なんですけど
単純に買い向きを選びたいと思った人が
選べる状況がないので
選びたいと思ったらストレスなく
選べる状況に持ってこうと思うと
法の緩和措置を取らないといけないというので
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挑戦し続けているところでもあって
少しずつ状況は良くなってきているので
5年以内ぐらいには多分実現できるんじゃないかな
という段階までは来ていたりするので
挑戦してみたいことというか
挑戦していることはそういうことですかね
将来の夢でしたっけ
将来の夢は別に毎日充実しているんで
見たい風景とかあるんですけど
最終的には自分がその実践者として
静かに暮らしたいっていう
今はやっぱり知ってもらわないと
なくなるし始まらないので
切り込み体調的客寄せパンダ的に
あちこちに行って話したりとか
何か分かりやすい表現をしたりとか
してるんですけど
最終的には自分がそういう買い向きの家に住んで
淡々と暮らしているみたいなのを
見たいですね自分で
それの連続がつながっていって
新しい集落の風景みたいなものができたら
それはそれでいいなと思うんですけど
まずは僕一番好きなのは家のソファなので
本当はあまり出張行きたくないんですよ
アウトドア派ではないので
実は結構潜在的にインドアなので
家のソファでゴロゴロしてゆっくり本読むとか
っていう時間が全くないので
夢としてはしょぼいかもしれないですけど
そういう風にしたいなというのがありますね
ありがとうございます
中嶋さんの方から何かありますか?
質問と逆させていただいた中で
追加でお伺いしたいなということがあって
ホームカスタマイズとかっていう話で
おっしゃる通り市街区域だと
災禍とか豪火とかっていうところで
どういったことができるかと思っていて
そういう都市空間で仮説的に
建築物って1年以上経っていると
仮説じゃないという仮説的だと思うんですけど
そうやって2,3年で引き換えていったり
いわゆるコンクリートで50年60年で
ずっと同じ状態っていうようなものではないと
抜け道じゃないんですけど
できたりするんだろうなっていうことを
思いながら伺っていたんですけども
おっしゃる通りです
公共空間とかいかがでしょうか?
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現在もやっていることの延長でもあるんですけど
陶芸家の濱田翔二さんが言っていたことで
農村で健やかに暮らして
そこで生まれるものを都市に送り続けたい
みたいなのがあって
なんていうんですかね
いろいろと今悩んだりとか
本当にこれでいいのかなって思いながら
都市に暮らしている人って多いと思うんですけど
そもそも検索してヒットするとか
街を歩いててそういうものを目にするっていう
きっかけが少なすぎると思うんですよね
なのでそういうギフトをもっと
街の中に多くたくさんいっぱい
セットしたいというか
ギフトを送り続けたいなっていうのがあるので
先ほどおっしゃったように
仮設物的な扱いにして
もっとたくさんの場で
買い向きに触れてもらえるようにするとか
仮想であったら
内装制限とかもかかっちゃうんですけど
重機っていう形だと
その辺関係なくなってくるので
買い向き屋根とか買いの壁とか
内装難しくても
重機としてポンと一つ
自分の好きな店にそういうものがあって
これ何だろうみたいなとこから
買い向きに出会っていったりとかするので
もっと今よりも多く
都市に住みながらも
そういうものを
買い向きとかの息吹を感じれるようなものを
送り続けたいとか
セットし続けたいみたいなのがありますね。
ありがとうございます。
自分自身もできるじゃないかと思って
まさに。
社会化調整区域だったので
素晴らしい。
できるということを
聞いていただいて
調達するときに
そういうカフェとか
温かく持ってほしいとか
文化的にこうやってるんだっていうことについて
思うんですけど
結構そういう
大きくは
カヤの業者さんに
何千束お願いしますみたいな感じで
注文して
発送してもらうというか
送ってもらうというのがあるんですけど
それをやってると
例えばカヤが取れなかった年とか
もしくはカヤの注文が殺到したときに
手に入らなくなってしまうので
近畿圏の
45:00
いわゆるカヤの流通に乗っていないが
カヤとしてたくさん生えている場所に
声をかけて
そこの地域の方々に借り取ってもらって
我々が現金で買い取るみたいなのと
もう一つは
現代においてあまり使われなくなった
カヤの一つとして
稲藁があるんですけど
稲藁って
日本で一番栽培されてるのに
一番使われてないカヤなんですよ
栽培面積は実は
鈴木とかよりはるかに大きくて
125万ヘクタールかな
25万ヘクタールとかなんですけど
あんなに
お米を食べている以上
手に入るカヤなんですよ
それを
最近都市部で内装とかにやっているのは
ほとんど稲藁なんですけど
今
貝吹職人たちが
カヤとしてあまり見直していない稲藁を
カヤとして
近隣の若い有機農家さんたちが
結構多いんですけど
こだわってやっている人は
ちゃんと稲木干しをして
天日干しして
お米を作ったりするので
そうすると藁が手に入るんですよね
農協と契約している人は
コンバインで刈り取って
藁も刻んじゃうので
藁が手に入らないんですけど
そうやってこだわっている農家さんたちの
現金収入源として
稲藁を買い取るというのと
そうやってこだわった稲藁を使って
クリエイティビティを持って
新しいものとして
作っていくというやり方で
この3本ですかね
やり方としては
これはリスクヘッジも兼ねているんですけど
既存の流通に依存するというのは
現代社会がやっていることと同じなので
そこにあまり重ねらないというか
思考停止しないようにして
いろいろと試していっている
というところですかね
さっき戦争に負けたというのは
この中で
お米の作り方が一番影響しているというか
そこをそういうふうに
米農家だけに
はい
本当に儲からないですね
びっくりするでしょう
本当に
そういった
ですです
あとですね
すみません
いいえ
どんどん聞いて
何でも聞いてください
カフェとか
そうですね
可能なんですけど
何だろうな
去年まで借り取ってなかった場合
生えたりするので
使いたいなと思ったら
一回除抜をして
リセットするという段階を経て
次の春以降に生えてくるものは
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使えるという感じですかね
あとは河川なので
河川事務所というのは
結構国交省のことが多いんですけど
とちゃんと話をして
いわゆる公共の空間なので
こういう理由で使ってもいいですか
という手続きは必要なんですけど
もともと伝統的に
荒川とか玉川とか
そういうところの
茅は使っていたと思うので
もう一度除抜して
手入れをしてあげると
きれいな茅が生えてくるので
一年はかかってしまうんですけど
もしくは現状国交省が
河川管理で借り取りしている可能性もあるので
茅としてではなく
手入れとして買っている場合は
結構きれいなものが
今も生えているんじゃないかな
というふうに思います
可能性はあります
私もほとんど建築学科なんですけど
すごい可能性があるし
現代的だしというところで
いろいろやってみたいという風に思います
はい、じゃあ大丈夫です
ありがとうございます