田中 愼一
いくつか回ったんですけども、一番最後に回った宇都宮の場所っていうか、栃木ですね、栃木市のところ。
というのがですね、銭湯。いわゆるお風呂屋さんと、
それからスケボー。スケボーを練習できる練習場っていうのが、
珍しくも一緒になっているような施設なんですね。
銭湯はですね、これ見てもらうとわかると思うんですけど、ググってもらえばわかるんですけど、
金魚の湯っていうふうに引いていただくと出てきますけど、
この金魚の湯って言って、かなり古いね、なかなかいいなと思わせるような、かつての銭湯の建物があって、
その裏に練習場っていうのが2階にあるのかな。
2カ所あって、初めに行ったときはすごいなと思いながらやったんですが、
そこでの実は経験なんですね。
特にそこで、うちの孫である8歳の男の子っていうのはすごくスケボーに凝っていて、
その父親である僕にとっては義理の息子ですけども、
もう2年前からスケボーを始めたきっかけは、息子にスケボーを教えたいっていう気持ちでやってて。
で、そこにスケボーで実際、お風呂屋さんに着いたのがすでに何時ぐらいだった?4時ぐらいだったかな。
田中 愼一
そこから結構3時間から4時間そこで過ごして、まずはスケボーをやって練習してて。
そこにはオーナーというか管理人というか、後でわかったんですが、
そこのお風呂屋さんのオーナーの息子さんがやってて、
それですごくいい好青年っていうことでですね、
ああなるほどなあ、やっぱりスケボーやってるとみんないい人が多いのかななんて思いながら。
初めは我々のやってるのを見てたんですね、1時間ぐらい。
見てるうちに結構ね、うちの孫っていうのは、親からの影響を受けてるのかもしれないけど、一生懸命やってたんですよ、スケボーね。
なかなか集中力っていうものをもっと強化しなきゃって言うんで、スケボーを始めさせたらしいんだけども、一生懸命やってた。
1時間ぐらいやってたら、急に青年の方が、管理者が、本当に自然体で入ってきて、我々の中に。
本当に自然体なんですよ。
スケボー場の管理人ではなくて、そこあたりにいる昔からなじみのあるお兄さんがやってきたって感じでね。
この入り方、僕はコミュニケーション専門で40年以上やってるけども、
人との関係性の作り方の自然体で入ってくる、これにはまずびっくりしたんですね。
当然、自分もやるって。実は年を聞いたら55って言うんでね、びっくりこけて
青年というかおじさんだなと思ったんだけども、全然外見がね、お兄さんなんですよ。
本当に自然体で、じゃあちょっと俺すべってみるって入って、やっぱりすごさを見せるわけ。
すごい上手いって。
僕だけじゃなく、実際やっている孫も、それからその父親も、
即彼に対して共感というか、すごいなっていうところをきっかけに入っていくわけですね。
そこから、1、2時間くらいかな、この人と一緒に過ごすっていう感じで、
一緒にスケボーをやってる仲間っていう意識が自然体にグワーッと出てきたんですね。
なんでこの人自然体でここまで入ってて、
しかも練習している孫もどんどん一生懸命頑張り始めるんですよ。
どんどん上手くなっていくんですね、これ。
本当にね、1時間で上手くなって、2時間でさらに上手くなっていくっていう。
しかもそこに、スケボーをやってるのは孫と義理の息子なんだけども、
実は孫だけじゃなくて、孫を指導してるはずの親のほうも感化されたかたちで、
もう青年というよりもおじさんだったんだけど、
おじさんと孫と義理の父親が、これ3人が一つの舞台で待ってるような。
なんかね、すごいいいなっていうことで、
僕と隣にいた孫の母親と、それからもう一人長女がいるんだけども、見てて。
すごいものを見てるなって感じで。
ちょっとそこを分析してみたんですよね。
そしたら、何がマスケボーおじさんの特徴かっていうと、ものすごく細かい観察力を持ってるなと。
つまり、うちの孫の滑ってる姿の中でどこを修正しなきゃいけないかっていうのを、
的確に把握してるみたいで。
その把握した修正ポイントを修正するときは実はものすごくて、
決して否定から入らないんですね。
それやっちゃダメとか、それダメだよとか、これじゃ無理だよとかじゃなく、
上手いねとか、ここやるともっと上手くなるよとか、
それから、もうできてるんだよとかね。
あとはこうすればこうなるんだぜ。実際自分でやってみせるとか。
まずは褒めから入っていくっていうやり方。
普通は修正するって言ったら否定から入るんですよ。これやっちゃダメっていう。
これやらない。これやるだけで。
ところがまず褒めから修正しろじゃなくて、お前もうできてるよっていうような言葉になって、
それから徐々にやっていくっていう。これが意図的に見えるんです。
意図的というか、僕は感じるんですよね。
そういう中で、どんどん腕が上がってくるし、説明も非常にロジカルで。
その説明がですね、僕スケボーなんかに乗ったこともないんだけど、
もう俺スケボーの名人だと思われる。イメージ上はスケボーやってるんですよ、すごい。
堀米くんと同じぐらいのスケボーの能力があるんだって頭でイメージできるんですよ。
これこう動かせばいいんだ。でも実際やると絶対体ついてこないんだけど。
それぐらいわかりやすい説明と、褒め言葉から入っていくっていう、
この心意気っていうかね、アプローチの仕方っていうのは、
たぶんスケボーのところから培われてる。もう20年やってるって言うんですね、その人ね。
話を聞いてるとね、いろいろな人たちがスケボーを習いに来て。
田中 愼一
イメージで言うと、街の不良少年たちがここに来てみんな更生していく。
人生の重要さを学んで立っていく。それを教え、導いている。
影っていうか、隠れた賢者って言うんですかね。
街中にいる隠れた賢者みたいな感じ。そんなイメージ。
ということで、非常にこの人の存在っていうのが、
前ここでも話した、つまりオリンピックでのスケボーを見たときに、
勝ち負けっていうよりも、すべての人の勝ちに対してみんなが喜ぶっていう、
そういう雰囲気をねスケボーって持ってたじゃないですか。
それを考えたときに、目の前にそういうスケボーの練習で、
うちの孫が、そこに対して入ってきたスケボー20年のおじさんが、
こっちに示してくれた動きとか言葉とか、そういうのを見てると、
やっぱりスケボーのコミュニティっていうのは、
やっぱり仲間を育てる意識がすごく強くて、
その育て方っていうのは非常に上手いっていうか。
たぶんスケボーってメジャーじゃなかったですよね。
どっちかというとイメージですよ。
イメージから言うと、ちょっとストリート的なイメージがあるから、
普通の子どもたちとかそういうイメージではなかったじゃないですか。
こういうふうにオリンピックでも活躍する前は。
それは、その中で独自の仲間を作っていくっていう、
カルチャーというか文化みたいなのが広がってきて。
そこで一言ね、そのおじさんがすごいいいことをうちの孫に言ってもらったのが、
なかなかね、うちの孫は結構性格が特異でですね、
結構面白いんですけど、一方で周りから驚かれるっていう性格もあって。
ただそのときに、そのスケボーの先生がね、
おじさんがですね、とにかくね、君ね、一生懸命やってればね、
友達はどんどん向こうからやってくるぜと。
とにかく一生懸命工夫して、とにかくやってんだってことをやってみろと。
そうするともう友達がどんどんできるぞっていうね、
いうような話が出てきて、
それはね、僕はね、すごい素晴らしい言葉かなと思ってて、
よく僕はこの場でも言いますけども、
人との関係性って、自分の立ち位置ね、自分がどう見られるかって大事だと。
そのためにはまず相手の役に立つってことが基本だっていう。
そうすると相手もこちらと関係をしっかりと作ってくれて、
コミュニケーションっていうのはうまくいくよっていうような話はするんだけど、
このスケボーのおじさんの言ったことってそれよりもさらに深くて、
相手の役に立つっていうことの前に、
そこはあんまり意識しなくても、
自分が一生懸命一つのことに打ち込んでるっていう姿を見せればね、
向こうから声をかけてくるよっていうのは、
一つのね、なるほどなと、もっと深いなっていうのをちょっと感じたところで、
ただそこにね、一言彼が言ったんですね、このおじさんが。
一生懸命やってるってことを見せるってのは重要なんだけど、
お前覚悟がないとだめだぞって。
高木 恵子
すごい。
田中 愼一
つまり、スケボーに対して、俺は本当に覚悟を持ってこれやってんだっていう。
スケボーじゃなくてもいいんだろうと思うんですけども、
とにかく一生懸命やってるってのは、一生懸命やるってことは逆に言うと、
覚悟を持って俺はやってるんだっていう、その不屈のものがないと、
それは周りは相手にしてくれないよと。
だからたぶんスケボーの世界っていうのは、
俺はこのスケボーで一生懸命やってるんだっていう姿が伝わらないと、
たぶんそれなりに厳しい世界なんだろうなっていう。
厳しい世界ってのは別にスケボーの世界だけじゃなくて、あらゆるスポーツもそうだし、
我々の人生そのものの仕事もそうだじゃないですか。
そこはね、いいんだけど、やっぱり彼の言ってたポイントっていうのは、
ある程度覚悟を持って一生懸命やる。
覚悟があるからこそ一生懸命っていうのが、周りに伝わるっていう気持ちっていうんですか。
これはね、けっこうジーンとですね、ドシンとね、奥深く入ってきた。
なぜかというと、この場でいろいろ話をしてるとこに、このスケボーのなんて言うんだろうな。
で、結局ね、名前を交換しなかったんですよ。
中川 浩孝
名前も知らないんですね
田中 愼一
じゃあまたね、でそれ終わり。
だから一期一会の世界なんですよ。
で、その一期一会に、一生懸命になってうちの孫を教えてくれた。
でその後、自分は何とかですっていう自己紹介もなく、
こっちが聞いても、いやいや別に名前なんて大したことないよって。
結局交換しなかったですね、名前はね。
田中 愼一
やっぱりそれ重要でしょうね。
なんかすごいね、いい、スケボーっていう一つのスポーツなんだけども、
オリンピックで感じたスケボーに対する共感度っていうのが、
どっから生まれてきてるのかなっていうのが、なんか実体験できた感じがあってですね、嬉しかったですね。
中川 浩孝
前回も堀米さんの話とかもしてた時に、
失敗を恐れずに最高難度の技にやっぱり挑んでいくみたいな話がまさにあったと思うんですけど、
なんかそういう、なんて言うんですかね、
私の今の全体的な話を聞いていた感じっていうのは、
きっとネガ、なんて言うんだろう、減点じゃないんでしょうね。
きっと加点なんですよね、きっといろんなことが。
なんかこれを失敗すると減点って、人間とか、特に日本人の人って、
やっぱり、及第点は取りたいなみたいなところを考えて置きに行くっていうか、
安定した方に行きたいっていうふうに、失敗しないように失敗しないようにっていうふうに考えるんだけど、
そうではなくて、やっぱりかっこいいことができたら、
それが一番認められるっていうか、プラスになるっていう。
マイナスじゃなくて、プラスのことしか多分考えてないのかなっていう感じがすごくして、
現代の生き方にすごい重要な考え方だなっていう感じがしたんですよね。
田中 愼一
やっぱり加点・減点っていう、減点主義っていうのはやっぱりいろいろな意味で、
人の潜在的エネルギーを削ぎます。
そうなんですよね。
やっぱり人間って潜在的に誰もがすごい力を持ってて、
コミュニケーションで限定しても、コミュニケーションっていうものをそれぞれの人が持ってて、個別の。
それを覚醒させてくると、自分流儀のコミュニケーションっていうのが確立できて、
自分内の立ち位置がしっかりできて、人生に対する向き合い方も変わってくるっていうのがあるんで、
それを減点主義から言っちゃうと、本当に潰しちゃうんですよね、可能性をね。
だから、そういう意味で言うと、確かに減点主義のデメリットっていうのを、
という捉え方は間違いなくできるでしょうね、僕が経験した実体験の中から。
それはやっぱり、加点主義の方が重要なんでしょうね。
だから、そういうなんていうのかな。
だから逆に言うと、他のスポーツがかなり勝ち負けを議論している雰囲気を醸し出してきたから、そこと対照的だったんですよね、スケボー。
中川 浩孝
確かに。そういう意味では今回ブレーキンは、今回だけですけど、ありましたけど、あれもハッピーな競技でしたよね。
田中 愼一
あれもハッピーな競技ですね。
中川 浩孝
ちょっと異質だなと思いつつも、でも別にどっちが勝ってもどっちが負けても、すごく見てて楽しいなっていうか、気持ちが良くなるスポーツだったので、あれはすごくいいなと私も思っています。
田中 愼一
しかもブレーキンの場合は、ある意味格闘技なんですよね。
中川 浩孝
そうなんですよね。
田中 愼一
格闘技のフレームワークなんだけど、全然そこに勝ち負けという雰囲気がなく、お互いがお互いを喜ぶっていうね。
あの文化っていうのは、たぶんね、ある意味新しい。
中川 浩孝
新しいですよね。
田中 愼一
新しいですよ。だからこれだけブレーキンやスケボーが世界的に共感を生み始めてきてるっていうのはすごいですよ。
最近最新号のエコノミストの中で、パリオリンピックが示した新たなオリンピックの方向性みたいな大きな特集記事があって、
そこの一番の写真がね、日本人で優勝したスケボーの。
高木 恵子
ここなちゃんだっけ。開心那ちゃん。
田中 愼一
そうそう。のね、スパーって飛んでいるところ。
ちょうど日の丸がちょっと見えるんだけど、それがグワーって本当にかっこいい写真なんだけども、
グワーって飛んでるところがフィーチャーストーリーになってるんで。
だからそういう意味では、新しいんでしょうね、感覚っていうのは。
オリンピックでも勝ち負けっていうよりも、お互いの勝ちを喜ぶっていう違うものが生まれてきたっていうパリオリンピックでは特に。
田中 愼一
東京オリンピックでもそれはありましたけどね。
でもパリはさらにそれを進めたんじゃないかなっていうような記事でしたけどね。
中川 浩孝
なるほどね。
田中 愼一
だから価値観が変わってきてるんですよ。
高木 恵子
ちょうど今日とか昨日とか、帰国ラッシュでいろいろメダリストの恒例のなんかいろいろテレビに出てコメントっていろいろあるじゃないですか。
このスケートボードの若い子たち、メダリストの子たちが、
司会者から本当みんな仲いいですよねみたいなね、海外の選手とすごく仲いいですよね。
どうやってコミュニケーションとってるんですか?みたいな質問をしてて、結局別に英語が喋れるわけじゃないみたいで、その子たちがね。
で、本当にお互い片言なんです。片言とジェスチャーとあとは、翻訳してくれるアプリ、その携帯に入ってる、あれで、
田中 愼一
言語超えてるんですよ。
高木 恵子
あれで全部、わーとか言ってすごいとかっていうのを、コミュニケーションとってるっていうので、
言語、ランゲージって別に必要ないよね、みたいに、その言葉の壁なんて、
昔よく日本人は英語が喋れなくてなんていうのはいろいろありましたけど、もうなんか関係ないんだなコミュニケーションって思いますよね。
田中 愼一
多分あれでしょうね、仲間意識っていうのがあって、相手の勝利を喜べる意識っていうんですかね。
それがその根幹にあって、そういう気持ちを持ってると、言語はいらないっていう、もうそこだけですよ。
だから新しい、言語は引き続き重要だろうけども、やっぱり新しいコミュニケーションの取り方っていうのが、
そこの比重っていうのはどっちかというと、言語よりも非言語のところでしょうね。
まさに飛び方。見てると個性がみんなそれぞれ飛び方でもあるでしょ。スケボーなんか。あれ非言語なんですよ、やっぱり。
つまり彼らはスケボーで自己表現を非言語でやってるんですね。
その自己表現をした非言語が、周りに対して感動を呼ぶ。
だから言語以上に強烈なメッセージをですね、スケボーとか彼らの滑り方、個々の滑り方、一人一人やっぱりよく見てると違いますよね。
高木 恵子
違いますよね。
中川 浩孝
確かに。そう考えるとなんか芸術ですよね、やっぱり。もう答えがあるわけじゃないから、もう完全に一人一人のパターンが別に全く違うので、そういう意味では本当に正解がない芸術ですか。
田中 愼一
正解がないですよね。
高木 恵子
だからブレーキンもスケートボードもその人の一番のシグネチャーっていうか、この人だったらこれみたいなのがあるみたいじゃないですかね。
だからそれがなんかやっぱり個性の表現になるのかもしれないし。
田中 愼一
僕はブレーキンの技ってあるって、うちの義理の息子に話をしておくと、その技ってどんなもんなんだよとか、評価軸とかどうなのっていうと、
基本的には、大体そこには何が難しいっていう共有認識があって、
みんなやってるから、これこんな動きすると難しいよねっていう、その難しさをやれるようになるところが、技が高まるって話。
だからたぶん見ててわかるんでしょうね。技の難しさが共有すぐできるから。
そうした時に、あいつやったよ。こういう動きでやったんだ。あーって感激。
だから自分が勝つよりも前に相手のパフォーマンスに感激するっていう。
そこはお互いが同じ難しさを共有してるから、みんなが感じている難しさをクリアするわけだから、すげえってみんな思っちゃうんですよね。
そこがね、なんだろう、わかんない。他の例えば柔道とかそこのあれで、それがあるのかなっていうのが、ちょっとわかんないですね、それね。
高木 恵子
本当はあると思うんですよね。だって柔道だってレスリングだって、その型っていうのが一応あるわけじゃないんですか、決まり手とかっていうのがあるわけだから、
やっぱりそれがすごい技とか、その型をいっぱい持ってて勝てる人、柔道の巴投げしかできないメダリストの女性もいるわけじゃないですか。
田中 愼一
だから、たぶんね、わかります。
たぶん柔道のほうも絶対あるはずなんですよ。ただ、共有しにくいんじゃないですか。
高木 恵子
いやもうその勝ち負けに、なんか勝ち負けにすごいこだわりすぎて、もうそういう競技、なんか楽しむっていう領域じゃなくなっちゃったような気がする。
田中 愼一
たぶん楽しむっていうのが根底にあって、出てくるんだと思うんですけど、楽しむっていうのはある程度なんていうのかな。
スケボー見てると、お互いが目指すべきものっていうのはなんか共有化されているような気がしてて。
つまり技っていうのはみんながこうやってるから、これをこうひねってこういうふうにやればいいんだけど、
みんなが共有してるのはそれが難しいっていうのは、みんなが体で覚えてるっていうか。
たぶん巴投げも、周りから見てるとパッと投げられてるんだけど、型通りにやってるだけだと勝てなくて、型プラス自分流儀が入って。
高木 恵子
そうそうそうみたいですね。
田中 愼一
たぶんそうですよね。自分流儀っていうのが逆に言うとスケボーと比べると見えにくいっていうか。
スケボーの場合って、一人で動いてて、その人の一つ一つの動きが見えるじゃないですか。
そうすると、どこに板がどれだけ壁のレールのところに接していたとか、
そっから離れて次のところに展開するとき、どうなっていたかっていう。
柔道とか他の競技以上に何ていうのかな。何か可視化できるっていうか、周りで。
そんなのが何かあるような気がするんですよね。
高木 恵子
私、やっぱりその勝負ごとになっちゃうと、そこの技とかの楽しみしさが、やっぱりだんだん人間ってなくなってきちゃう。
私は今回の堀米くんのコメントがすごく印象的で、もしかしたら東京の時はもっと楽しめたのかもしれないんですよね、彼は見てると。
今回は、最後にもちろんあの大技でできたから金メダル。
彼にしてみれば、やっぱりもうあの技をやらないと金メダルが取れないって分かってたから、
その技に執着というか、その技の達成をしなきゃいけないっていうところですごい頑張ってたから、最後、安堵感っていうか良かったっていう。
今回のコメントって、東京に比べてやっぱ彼はすごいプレッサーの中で金メダルを取った。
田中 愼一
ただ、パリはこれからその新しい価値観での評価っていうのが大事になってるんでしょうね。
楽しんでやり遂げるっていうか、勝つ負けじゃなくて楽しんで。そういうと参加することに意義がありって、誰か昔の人が言ってましたよね。
中川 浩孝
本当はね、そうなんですけどね。
田中 愼一
競争と共生じゃないな。何か相反するものが、絶えず人間というのは相反する。2つの違う相反するもののバランスを取っていかなきゃいけないっていうふうに運命づけられてるのかもしれないですけどね。
高木 恵子
そうですね。
中川 浩孝
でも確かに、スポーツによって1対1だからどっちかが絶対負けてしまうっていう、それこそ柔道みたいなものと、
1人の点数でそれを自分の人と比べた時に自分が上か下かっていうふうに比べられるのとは、ちょっとまたずいぶん違いますね。
田中 愼一
違うでしょうね。
中川 浩孝
レスリングとか柔道とかって本当にだってもう間違いなくどっちかが勝ってどっちかが負けるわけじゃないですか。
でもね、ああいう陸上競技とか水泳とかもそうなんですけど、自分が頑張れ、自分さえ頑張れば勝てる可能性があるわけじゃないですか。
人を負かす必要はないっていうか、そのブレーキンとかもちろんそういうアートに振った方の、
新体操とかも多分そうだと思うんですけど、自分がやろうとしたものをきちんと超えられるものができたかっていうことか、相手を倒すっていう、
ちょっと2つやっぱりスポーツの中でも結構異質なものが2つ全然違うものが混じってるんだなっていうのは今話していてちょっと改めて感じました。
田中 愼一
確かにそうですね。相手を倒すか倒されるかっていう柔道レスリングと、そうじゃないやり投げとか、いわゆる自分がどれだけやれればいいかっていうのはちょっと違うし、
多分両方とも自分との対話をやらなきゃいけないと思うんですね。
ただその自分との対話をどういうふうにやってるかってやり方が違うかもしれないな。
相手と勝ち負けを競う競技とそうじゃない競技とでは自分との対話のやり方、方法論っていうのは違うんでしょうね。それ面白いですね。
でも我々のビジネスの世界っていうのはどっちなんですか。
中川 浩孝
どっちなんでしょうね。私はどちらかというと自分が頑張ればいいっていうふうに考える方ですね。
相手を負かせる、相手を負かすではなくて、自分たちが一番素晴らしいことができれば他の人たちがたまたま自分たちがたまたま勝てる。
そういうふうにどちらかというと考えてますけど、違う人もいるでしょうね。自分の競合会社をぶっ潰そうみたいな感じの考え方をしてる人もいるんでしょうけど、私は違いますね。
高木 恵子
なんか私はフリーになってすごく思うのは、やっぱり企業人の時は、やっぱ最終的に企業人だから儲けなきゃいけないじゃないですか。
利益を出して社員に給料を払ってあげてっていう、どうしても最後は自分がやりたい仕事とか自分のやりがいよりも、本当はそこが一致して得るのが一番ベストなんだと思うんだけれども、
でも最後の最後どっちか取れって言われたら、やっぱり企業なんで、お金を優先しますよね。お金というか結果、やっぱ成果っていうところにどうしても追われてた気がするんですよ。
でも今フリーで自分で仕事をしてるから、負荷も収入も別に自分だけでコントロールすればいいから、正直やっぱ自分がある程度やりたい仕事で自分の達成感で仕事をしてる感覚がすっごいありますね。
そこがすごく大きく違うなっていうのはあるから、仕事の仕方でも、もちろん企業にいながらでも全部ね、自分のスキルとか達成感とかでお仕事できてる方で、それがイコール会社の業績にもつながるっていうので、全部うまくいってる方たちもいっぱいいらっしゃるとは思うけれども、
どうしても形にはまるというか、ある程度、何かのルールというか決まりごとがある中でやらなきゃいけないときのほうがちょっと大変さはあるんじゃないんですかねっていうのはちょっと思いますよね。
田中 愼一
自分の場合は、ある意味期間が長いんですけどね。
3つの要素が絶えずあって、倒す、稼ぐ、それから達成するっていう、この3つの要素があって、何が違うかっていうと比率が違ってて、時代によって。
例えば27年かもうすでに、立ち上げたときっていうのはもう倒す一方ですよ。
周りを倒すこと以外何も考えずに、その次に稼ぎが来て、それから達成する、自分でやりたいことを達成する。
これの比率は、倒すほうに比重があって、次に稼ぎがあって、次に。
それがだんだん大きくなってくると、倒すことは相変わらずなんだけど比率が変わってくるんですね。
稼ぐ比率がもっと大きくなってきて、達成するも少しずつ大きくなってくる。
こっちの今の段階どうなってるかっていうと、やっぱり一番多いのは達成する。
稼ぐっていうのは、自分たち一番守る上でも稼がんといかんのね。
稼ぐってことは引き続きやらなきゃいけないんだけども、最後の倒すっていうのがほぼなくなったですね。
20年前は周りをとにかく倒していくっていうね。
本当にね、規模の比較っていうんで、あそこを抜いた、ここも抜いた、次にこう抜いた、今ナンバーワンじゃんって感じのね、やり方でどんどん倒していって。
そうすると結果として稼ぎも入ってきたんだけども、今そういう気持ち、倒す気持ちほとんどないですね。
立場が変わったからってことも大きいと思うんですけどね。
高木 恵子
そうなんですよね。
田中 愼一
ただ人間がやっぱりある程度年を経ていくと、徐々にどっちかというと自分が達成したいことっていうものが、より明確に感じられるようになってくるっていうことは流れとしてあるのかなと。
高木 恵子
そうですよね。
田中 愼一
だからそういう感じで。
中川 浩孝
参加することに意義があるのことね、ちょっと調べてたんですけど、面白いです。参加することに意義があるって最初に言ったのはクーベルタンじゃないんですって。
何かセントポール大寺院に集まった選手を前に司教が述べた戒めの言葉でした。
でそれをでもクーベルタンはこういうふうに考えていたっていうのも書いてあって、オリンピックの理想は人間を作ること。
つまり参加までの過程が大事であり、オリンピックに参加することは人と付き合うこと。
中川 浩孝
すなわち世界平和の意味を含んでいると考えていたクーベルタンはこの言葉に感動し、引用してその言葉を使うようになったみたいな話をしているので。
田中 愼一
人と付き合うこと。
中川 浩孝
付き合うこと。
田中 愼一
人と付き合うってすごくいいですね。まさに本当に僕が経験した仲間意識っていうかね。
中川 浩孝
そうですよね。本当にそうです。
高木 恵子
だってね、世界中から来るわけですもんね、オリンピックはね。
田中 愼一
しかも言語を超えたコミュニケーションが発生して、それが実際見てる側にも伝わるっていうことはますます人との付き合いっていうか、
っていうものが強化されて、まさにその司教さんがおっしゃった方向に、
今の今回の特に東京とパリを比べたとき、あるいはその前のね、今までの比べたときを考えると、
だんだんその言葉、参加することに意義ある言葉っていうのが現実化してきてますよ。
中川 浩孝
そうですね、より現実化。
田中 愼一
なるほどね。それは、そうか、オリンピックの見方が少し変わりますね、これからね。
高木 恵子
あと今回そのパリね、あの開会式の件をひろさんもすごいっておっしゃってたけど、
今回パリでそのメダリスト選手の人たちが、次の日とか、そのなんかパブリックのところに、なんて言うんですかね、
こう出てきて、そのいろんな人と、あの一般の人とすごく本当写真撮ったり、
その交流を持てる、なんて言うんですか、スペースっていうのかな。
時間、なんかそういうのを設けてたらしいんですよ。だからあの、なんか今までって結構そのもう選手、もう観客席でしかね、
そう観客席からしか選手のその競技を見れなかったっていう観戦がその、
そう確かあのメダリストか、とにかくその選手と、メダリストかな、メダルを取った人たちは次の日かなんかそのなんとかっていうそのスペース会場に行くと、
あのまあほんとランウェイみたいにステージがあって、そこをこう選手が歩いて、そこで写真撮ったり拍手したりみたいなのができる時間帯がちゃんと設けられてて、
そうするとコミュニケーションというか、もっと間近に見れますよね、選手に。
そうでおめでとうございました直接も言えたりとか、なんかそこでその選手とそのまあ一般客の交流の場があったみたいですよ。
それなんかテレビで見てすごいと思って。
田中 愼一
それを聞くとやっぱりなんかその国から、個人、インディビジュアル、一人一人っていうところの流れが感じて、
今までのオリンピックっていうのは国のためにやる。
高木 恵子
戦い、そう国の戦いでしたよね、なんかね。
田中 愼一
国の戦いで、まあもともと戦いの代わりに競技やろうって言い出したのはまあ原点だと言われてるけど、オリンピックの。
いわゆる国同士のね、国の権威を競うっていうね。
だからこれ僕の気のせいかわかんないけど、今回のオリンピックで日本の報道を見てると、
東京のときはね、今オリンピック金メダルいくつ、銀メダルいくつ、銅いくつって、
今でもその報道っていうのはあるんだけど、
前はなんか表みたいなのができて、絶えずその表で今いくつ取りましたっていうのが目立ってたような気がするんですけどね、東京オリンピックのときは。
それがね、あんまり今回目立たないなっていうのはありますけどね、あんまり目立ってないなっていうのがちょっと印象で、
より個人にフォーカスを当てるっていうか。
やっぱりオリンピックの民主化ですかね、よく言われる。
つまりどんどん一人一人の、個人のところにオリンピックが降りてきたっていう感覚ですかね。