田中 愼一
そうすると何が起こるかというとね、心配症が起こっていくんですよ。どんどんどんどん心配になってくる。人間。
どんどんどんどん心配になってくると、ますます不安になってくる。
そうするとですね、ますます不安なことがですね、現在の自分の状態をもっと悪くしていくんですよね。
なんかそういう、何ていうか、脅迫観念じゃないけど、物事これからどうなるかっていうものに対して妄想を作りやすいっていうんですか。
そういう時はですね、本で読んだ時に出てきた言葉だけども、先を考えず今を感謝するっていう。
高木 恵子
あ、でもそれすごいよくわかります。そうですよ、私。
別に、そうですよってのも変ですけど、先生にとにかく声を使わないでちゃんと薬を飲んでなさい。そしたらぽっと出ますよって本当そういう風に言われたんで。
田中 愼一
感謝したわけですね。
高木 恵子
じゃあそうしようって。
田中 愼一
そこで素直にそうしようっていう。
高木 恵子
そうしようって。
田中 愼一
僕のことを言うと感謝しようとね、そういうことを教えてくれたんだ。ありがたいなって思って。
高木 恵子
そう、だから先生の言う通りにそうしてよって思って、そうしてました。
田中 愼一
それがやはりね、一つすごい、悟りとまでは言わないにしてもですね。
高木 恵子
なんか田中さん全部そっちの方向に持ってきますよね。
田中 愼一
自分との対話というと、よく自分を研究するわけですよ。
例えばけいこさんみたいな立場に立ったときに、僕がどうするかなって言ったときに、まずさっき言ったように妄想しちゃうんですよ。
例えば先生からね、ぽっと声が出てきますよって言われると、安心する人と不安に思う人が出てくる。
ぽっと言われたっていうのは、うんわかりました、じゃあ声は出るわけですね。
でも問題はいつ出るんですかって話に払われて。
これが3日後なのか、1週間後なのか、6ヶ月後なのか、1年後なのか、え、どうして10年後?って感じで。
そうなったらどうしよう、そうなったらどうしようって先のことばっかり考えてっちゃうんですよ。
そこからどんどん悪い悪循環に入っていくっていうですね、実にめんどくさい性格を持って生まれてるものですから。
そういうところを追求しちゃうんですよ。そうすればますます不安が出てくるっていう。
これ僕だけじゃなくそういう人も多いと思うんだけども、今を忘れちゃうんですね、現在を。
高木 恵子
なんかでも、そうやって心配したり取り越し苦労みたいに考え始めちゃうと、自分が苦しくないですか。
田中 愼一
苦しいですよ。
田中 愼一
だから強制的に料理を作るとかね、そういう努力。
ひろちゃんの場合は自然体で楽しみながら入っていく。
僕は苦労しながら料理に集中しろ集中しろってなりきって入っていくっていうね。
だから逆に言うと、たぶんこの何て言うんですかね、
無理矢理集中しなきゃいけない努力っていうのはですね、
私のバックグラウンドでは非常に重要なことでありまして。
俺はね、けいこさんにちょっと聞きたいんだけど、前から言ったけど、ひとりっ子でしょけいこさん。
僕もひとりっ子で、ひろちゃん違いますよね。
中川 浩孝
私は妹いますね。
田中 愼一
ひとりっ子っていうのは、いろいろ種類がいるんでしょうけど、
ひろこさんと僕とでは、ひとりっ子の特徴がまるっきり真逆に近いかなって感じがするね。
ひろこさん自然体でこう入って。
けいこさんね。
あ、けいこさん。ごめん。ひろちゃんとけいこさんの名前一緒になっちゃった。
自然体でこう言ってる感じは、僕は自然体じゃないんですよ。
あちこちにぶつかりながらこう、なんていうのかな、求めていくっていうんで。
高木 恵子
田中さん、それは多分環境と時代ですよ。
中川 浩孝
時代もある感じ。
高木 恵子
環境、やっぱり田中さんが幼少期を送られてた環境と時代と、
私のやっぱ時代と環境で、もちろん今の若い人たちも全然やっぱ違うじゃないですか。
だからそこですね、環境。
だからその周りのやっぱり環境、どんな周りの大人がいたかとか、
どんなお友達がいたか。環境ってすごい重要ですよね。
大人になったと思ったりするかな。
田中 愼一
そうか。だからひとりっ子だからなんとかっていうのは間違いで。環境だから。
高木 恵子
もともとのDNAは変わりようがないと思うけれど、
でもやっぱり外からのインプットで人間ってすごい変わりますよね。
田中 愼一
変わりますよね。コミュニケーションっていうのは受信、発想、発信って言ってるわけだから、
受信が変われば発想も変わって、発想も変われば発信も変わってくるっていう。
高木 恵子
そうなんですよ。
田中 愼一
まさにそうだと思うしね。
だからなんていうのかな。
まあそうでしょうね。じゃあ僕の置かれた環境がね。
高木 恵子
あと時代?
田中 愼一
こっちこっちにぶつかりながらね、方向修正をしていくっていう。
これ結構なんていうのかな。実は今の仕事もほとんどそっちで。
今いろいろなトップの方とかいわゆるリーダーの人たちのコミュニケーション力、
対話力っていうのを引き上げるような仕事をしてるんですけど、
やっぱりよく話す権というのは、
とにかく自分の思い込みをちゃんとマネージできるようにしろっていうのをよく言うんですよ。
何かというと、けいこさんとかひろちゃんみたいに、
ある程度自然体で自分の心がマネージできる人と、
無理やりね、マネージしていくっていうことで、
そのときの無理やりっていうのはですね、自らをあえて思い込むっていう。
これが実は結構、僕みたいな環境で育った人はですね、
だから何かに遭遇したときに自然体でそれを受け入れるっていう話じゃなくて、
何かに遭遇したときに、これはこういうふうに思わなきゃいけないんだって思い込んで、そこに対処するっていうやり方。
だから自然体っていうのはね、非常にいいんですよ、自然体で入っていっちゃうから。
僕の場合、自然体じゃなくて、あえて自分自身に無理やりに思い込みを作って、そこの事態に対処するっていう。
これがね、ずっと癖になってきてる。
これがですね、実は結構重要だっていう経験したのは、クライシスマネジメントなんですよ。
クライシスっていうのは、トップの人たちっていうのは、クライシスになるとすごい被害者意識を持つんですね。
特に大きな組織のトップってのは。
で、現場の責任にしたり、なんでこんなことが起こったんだって、自分が現場にいないから。
だから自分が現場にいないから自分の責任だってすぐわかるんだけども、人任せだからトップっていうのが基本は。
だからそうなるとやっぱり、クライシスが起こると一番被害者意識を持っちゃう。
その被害者意識から当事者意識にギアシフトしないとですね、そのクライシスをマネジできなくなるんですね、トップとして。
そうするとその時に、じゃあ何をしなきゃいけないかというと、嘘でもいいから思い込めって教えるわけです。
つまり自分の中に思い込みを作って、ピンチなんだけどもその背後にチャンスがあるっていうふうに思い込みを作るっていう。
確かに。
科学的じゃないんですよ。でも思い込みを作ってそこに信じ込むとね、人間って面白いもんね。
人間って思い込み動物だって思ってるんですけど、自体の把握の仕方が変わっていくんですね。
そういうのっていうのがね、結構ね、生まれた環境からずっとそういうぶつかりながら来て、自分に思い込みを作りながら生きてきたのが、
今日でも実はそれがあって、そうするとですね、結構何だろう、悲観的になっちゃうのかな。
田中 愼一
だからさっき言ったように、先を見すぎちゃうっていうか。
先を見すぎるってのはイコール現在を忘れちゃうってことなんですよね。
だからそういうのをやっぱり多分、自分なりにいつも苦労してるから、けいこさんの経験を自分の経験として見たときに、逆に俺だったら不安になるなと。
いつ声出るんだよとかね。
で、けいこさんの場合は声が出るよって言ったときに、あ、ありがたいって思ってるでしょ。
僕が声が出るよって言ったら、いつ?ってこうなるわけですよ。
ここの違いは明確ですよね。
だから多分なんだろう、そういうなんていうのかな。
で、僕の教訓としてはですね、そのときにけいこさんの経験を自分なりに自分だったらどうしようかって考えたときに出てきた知恵がですね、先を考えず今を感謝するってことなんです。
でもそういう言葉をあえて作らなきゃいけないっていう僕の苦悩っていうのをわかってもらえる。
中川 浩孝
まあでもなんかそれもなんかね、自分でそういうふうに思い込んでるだけだっていう部分は私もあるんですよね。
もちろん楽観的だとかいろんな人に言われるときもあるし、
どうしようどうしようになったときとかも、冷静だねとか言われるときもあるんですけど、
それこそそういう自分を演じてるっていうところがあるんじゃないかなって自分で思ってます。
それを言っちゃうと不安になっちゃうから、そうじゃない自分でいようとしているっていう、
多分そういうのがどこかであるんだと思うんですよね。
私はちなみにすごい心配症なんですよ本当は。
だから事前の準備とかにめちゃめちゃ時間をかけるタイプの人なんですよ。
だから後で心配したくないからすごい前に前もってすごい準備をちゃんとするっていうタイプなんですけど、
それによって実際に近寄ってきたときに心配をしなくて済むようにしておく。
だから本当は多分心配症なんだと思うんですよ。
だからでも心配したくないから心配しないようにいろいろ準備するっていう。
単純にそれをちょっとやり方を変えているだけであって、
心配症な自分を出さないために違うところで変えているというか。
田中 愼一
でもそれは優れた心配症で、僕の場合は心配するんだけど準備しないんですよ。
中川 浩孝
それはダメじゃないですか。
田中 愼一
ダメなんですよ。先延ばしにしちゃうとか思ったら。
中川 浩孝
そういう人もいますよね。
田中 愼一
だから僕なんかどっちかってそういう立派な心配症じゃなくて、もうダメな心配症に近くて。
中川 浩孝
現実にいつ直面するかっていうのを選んで、僕は先にしたいっていう。
夏休みの宿題とか後にやるタイプの人ですか?
田中 愼一
全然後ですよ。ギリギリ当日とかね。
中川 浩孝
美味しいものは最初に食べるタイプの人ですか?
田中 愼一
その時々ですけど、基本確実に最後に食べられるって言うんだったら最後に食べますけど、
確実に食べられないなと思ったら先に食べます。
中川 浩孝
私はもうね、そういうのは何でも先に美味しいものを、後に美味しいものを取っておくタイプなので、
夏休みは宿題をなるべく早くやって、後を楽にしたいとか心配したくないっていう。
食べ物も最後に美味しいものが食べたいみたいな、そういうタイプの人ですね、完全に。
田中 愼一
なるほどね。
高木 恵子
私その両方だ。
食べ物は一番好きなものは最後に食べる。
中川 浩孝
最後に食べるのね。
高木 恵子
だってやっぱりなくならない、環境がなくならない環境だったから一人だし、
親は何でもやっぱり食べたいものを食べていいよだから、絶対残るから、今でも好きなものは最後に食べる。
中川 浩孝
最後に食べるタイプですね。
高木 恵子
宿題は、私ね、別にそんな頭が良かったとかそういうことじゃないんだけど、勉強は好きだったんですよ。
だからそんなに、何て言うんだろう、机に向かうことは苦じゃなかった。
だから、小学校とかって読書感想文とか、絵日記とか、いろんな宿題があったじゃん。
中川 浩孝
大変なだけなんですよ、それ難しくはないんだけど、時間が取られるっていう。
高木 恵子
そう、だからそれ自体は嫌いなことじゃなかったから。
絵日記も本当、夜寝る前か朝、だから前の日の、だから忘れちゃうから、ちゃんとオンタイムにやる。
田中 愼一
そういうふうにね、みんな最近言ってるけど、それなんでしょうけどね。
でもそうか、そういう多様性ね。
中川 浩孝
まあでもそれ考えたら、それこそマネージャーの人が自分のグループのメンバーをどういうふうに扱うかとかも、
相手によってやっぱり全然違う対応をしなくてはいけないですよね。
大変ですよね、やっぱりそういうのって。人によって違うから。
田中 愼一
やっぱり多様だから、それぞれ違った対応をこっちもしないといけないっていうのは事実で
今面白いドラマやってて、不適切にもほどがある。
高木 恵子
面白い。あれ面白いですよね。
田中 愼一
今の世相を非常に反映してて、
多様性の中で、例えば主人公、昭和の代表画みたいなのが来るわけですけども、
やっぱり例えば、昭和の歌謡曲っていうのをね、何が一番いいのかってそれをリストアップすると、ほとんど今は放映できませんね。
中川 浩孝
ほんとですよね。
田中 愼一
こんなこと言ったらもう差別発言ですよとかね。
中川 浩孝
おにゃんこクラブとか全部アウトなんじゃないかっていうか。
田中 愼一
全部アウトじゃないですか。
中川 浩孝
おにゃんこクラブなんてさ、私の高校とか中学高校ぐらいのまさにど真ん中なので、もう全然アウトですよ。
田中 愼一
全然アウトでしょ。ってことはもう昭和史が消滅するっていうかね。
昭和史でのあらゆる表現がですね、全てダメ出し食っちゃうというような形で。
あれは結構面白いですよね。
多様性の社会でどう生きていくのか、コミュニケーションをとっていくのかっていったときに、
結構皮肉っぽく面白く、結構本質とついてるなって感じがあって。
中川 浩孝
面白いですよね。
田中 愼一
しかも、この世界って受け手側優先ですよね。
そうすると、自分はその意図は一切なくて、
なくてもその表現したことが相手に伝わったことが相手がね、え?って思って。
ドラマに出てきたでしょ。いや、期待してるからって、その期待すること自体がパワハラになってくるわけですよ。
中川 浩孝
そうですね。
高木 恵子
そうなんですよね。
田中 愼一
そうするとね、非常にコミュニケーションが難しくなってくる、これから。
要は、メッセージっていうのはね、基本的には伝わってなんぼの世界だから、
自分が話してる内容よりも、相手に伝わった内容っていうのをどう把握していくかっていう。
だから単に言葉選びの世界じゃなくて、
だってね、期待するっていうのが、相手の受け取り方がそれによってプレッシャーを受けるとなったら、
じゃあ期待っていう言葉はもう捨てるのかっていうと、
そうするとまた一方の方でね、いや、期待するよって言われてこそ元気になるって人もいる中で、
高木 恵子
そうですよね。
田中 愼一
だから言葉のもはや問題じゃないんですよね。
中川 浩孝
そうですね。
田中 愼一
だからそうなるともっと深くコミュニケーションっていうのは、
多くの人は結構言葉の問題っていうふうに片付けてるわけですけども、
そこには言葉ではカバーしきれない、もっと大きな世界である非言語っていう世界もあるし、
だからそういうことを考えていくと、やっぱり唯一の方法論っていうのは、
コミュニケーション的に言うと、どうやって相手を知るかっていう。
つまり相手の立場に立てるかっていうか、
相手の気持ちに立って考えられるか発想できるかっていうのがやっぱりこれから鍵になってくるってことでしょうね。
そこがしっかりある程度していると、こちらの発信も間違った発信っていうか、
っていうのを最小化できるってことだから、
いかに相手の立場に立つかっていうのはこれが本当に重要な話だけども、
思うんですけどね。
最近の小学校でのいろんな話を聞くと、
自己中心的?自分をもて自分をもてっていう個性尊重っていうのが、
変な形で自己中心的なっていう相手視点に立った個性というよりも、
自己中心的な個性っていうのが増えてくると、
やっぱりますますこのダイバーシティの世界が進化する中で、
いろいろとコンフリクトが起こっていくんでしょうね。
だからそこがなんとなくドラマ見てて、
これから住みにくい世の中になっていくんだなっていうのは、
みんな思ったんじゃないかと思います。
中川 浩孝
なんか実は私もう一個ポートキャストやってるって話したことあると思うんですけど、
そっちでちょっと話してた内容なんですけど、
男女であったりとか年齢であったりとか、
採用の時にそういうのを聞いちゃいけないとか、
それをされなよってされてちゃいけないっていう、
もちろんそれはその通りだし、私もそうだなと思うんですけれども、
そういうのを排除していけば排除していくほど、
個性が逆に消えていくんですよねっていう話をしていて、
じゃあその人の個性って何だろうって言った時に、
女性らしさ男性らしさ分かんない、それは例えば田舎らしさ分かんないですけど、
例えば方言であったりとか、年齢による経験であったりとか、
そういうのをどんどんどんどん消していくと、
じゃあこの人のらしさって何だろうっていうのが、
どんどんどんどん消えていってしまう。
結局仕事の能力のところなのかわからないですけど、
むしろ個性が消えていく、
多様性とは全く真逆の方向にいっているっていうような気がするねっていう話をして、
確かにそれはそうだなと思って。
だって将来的に例えば男か女か分かっちゃいけないから、
写真というかビデオ会議もやりませんとか、
じゃあ声で分かっちゃうから、声も分からないようにしてロボット化して、
じゃあ例えば面接しましょうとかってなっていったら、
もうその人の存在さえいるのかどうかさえよく分からないみたいな状態になりかねないじゃないですか。
そこって多様性って、本当は多様性を理解するってことは、
男女とかそういう性別とか全部忘れるってことなんだけれど、
それを確率的にやろうとすればするほど、
個性が結局消えるっていうのが問題だよねっていう話をしていて、
その通りだなというふうに思いましたね。
田中 愼一
そこは多分ね、いろいろ思うんですけど、
個性っていうものが、
今ちょっと言った自己中心的な個性と、
相手視点的な個性っていうふうにあえて色分けしていくとですね、
ここは議論なんですね。
これ多分、何千年って議論されてるテーマにぶつかると思うんですけども、
自分って何者かっていうね。
自分の個性って何かってそこまでいっちゃう。
すいません、僕は今、仏教哲学っていうのに昔から凝ってて、
仏教哲学の中での立ち位置っていうのは、
もうこれ間違いなく個性尊重なんですよね。
多様性っていうものをものすごく受け入れている発想、哲学なんですね。
宗教の話はしてませんよ。僕はあくまでも哲学として見てるんだよね、仏教は。
その哲学の中に、これはある意味言うと、
ギリシャ哲学にも共通してる部分もあるんだと思うんだけども、
結局、仏教では自我という言葉があって、
がですね、我。
この我っていうものをどう扱うべきなのかっていうので、
さっき言った、自己中心的な我なのか、
あるいは相手視点に立った我なのかっていうのを結構明確に分けてて、
基本的な理念、なぜ仏教の哲学かと唱えてるのが、
相手視点に立ったその個性っていうものがあるんだ。
それはなんでそういう相手視点に立つことが重要かというと、
所詮人間は周りから生かされてるっていう基本的な理念が発想があるんですね。
つまり社会的動物である人間というのは一人では生きていけなくて、
周りとの関係性の中で生きていく。
そうすると周りとの関係性の中で生きざるを得ない宿命にあるのであるならば、
自己中心の個人、我よりも相手視点の我っていう、
その背後にはその個性でさえも実は周りとの関係性の中で作られていく。
さっきけいこさんが環境って問題言いましたよね。
環境の一番でかいのは周りの人たちとの関係性なんですよね。
多分そういうことからすると、これからの多様化っていうのは、
個性っていうものが一体何なのかっていうのをやっぱりしっかり見極める。
例えば仏教哲学ではそれはどっちかというと、
相手視点に立った個性っていうのが実は本当の個性なんだという議論をするわけですね。
だから我という字、つまりもともと仏教哲学は、
なんで人間が苦しむかっていうと、やっぱり自我っていう我があるからだと。
その我をなくせば苦しみは減るっていうことで、
例えば座禅を組んだりして、我を無我にするわけですね。
無我っていうのは我をなくすっていうことで、
ある意味消極的な苦しみの取り方っていうふうになるんだけど、
さらにその無我から基本的には大我っていう言葉が出てくるんですね。
大我と大きな我っていう。
この大我っていうのはどっちかというと、
人間っていうのは一旦自分の我というものをゼロにし、
そうすると次に新たな我っていうものが見えてくるっていう。
いわゆる自分が今持っている我っていうのは小我って、
自分自身の、自分の宇宙の中にクローズした我っていうか我っていうんで、
それが苦しみのもと、それをゼロにするっていうのが、
一つの仏教哲学の禅っていうか、禅宗なんかはそれを持ってるんだけど、
ゼロにすると苦しみがなくなる。
でも苦しみがなくなるだけじゃなくて、さらにもっと大きな我を作るっていうか、
大我って言うんですけどね。
そうすると人間は単に苦しみがなくなるだけじゃなくて、
そこにはもう少し喜びとか、さらにもっと積極的な姿勢っていうんですか、
っていうのが出てくるっていう。
なんかこういう流れがあるんですね。
だから仏教哲学の流れっていうのは、まず自分の我というものと向き合って、
そこが実は苦しみの源だったっていう発想。
じゃあどうそこの我っていうのをなくすかっていう道筋を経て、
さらにはその我っていうのをなくした段階で次の世界が見えてきて、
そこはよりオープンな宇宙というか、
身体っていうのは宇宙というふうに捉えるんだけど、仏教哲学は。
そのよりオープンに周りとの関係性の中で生きていく我っていう感じですか。
っていうような思考回路、発想を展開させるんですよ。