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23時15分、11月6日、金曜日、青森県五所川原市、法永寺住職、小山田です。
今日で、181回目の配信になります。
今日はですね、ちょっとこう、昼間はそんなに寒さは感じなかったですけど、
今、夜になってですね、すごく風が強くてですね、ちょっと怖いくらいですけど、
天気予報を見ると、みぞれとか雪マークが、いよいよですね。前回の配信が、
昨日ですね。今日っていうのは、日蓮宗の東北教区の関係で、
東北の6県からですね、お寺さんたちが集まって、
教化研究会議というか、今回のはどちらかというと、
いつもですね、現代の社会問題っていうんですかね、
そういうのに、お坊さんであるとか、
お寺として、お坊さんとして、どういうふうにして向き合っていくのかっていうのが多いんですけど、
その会議というか、研修会がですね、東北6県順番に持ち回りで回ってまして、
今年が青森の担当ということでですね、
僕もですね、その関係で、一応事務局長っていう立場になっているので、
前からですね、準備したりして、昨日と今日2日間ですね、
お坊さんがどういうふうにして社会に貢献していくのか、「僧侶としての社会的責任と社会貢献」っていうのが大きいテーマで、
今回は話題がですね、3つになってて、
1つが自死とか自死遺族ですね、との向き合い方、
それから2つ目がですね、一般的な相談活動っていうのを、
どういうふうにしてお坊さん、あるいはお寺としてですね、
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どういうふうにして向き合っていくのかっていうのと、
もう1つはですね、発達障害ですね、
そういった方々とどうやって向き合っていくのかっていうのを、
東北6県から集まったお寺さんたちと。講義があって、
それぞれのスペシャリストをお招きしてですね、一応講義があって、
それを受けてですね、東北6県から集まったお寺さんたちが、
さまざま、それぞれの地域の特色っていうのもありますから、
そういったことを踏まえながらですね、
いろいろ感じたこと、考えてることなんかをシェアしていくっていうような。
日蓮宗として、宗門として決めるような結論なんかは出なくて、
いろいろ考えたこと、感じたことをみんなでシェアして、
それでまた気づきなんかもあるでしょうから、
それぞれのですね、お寺に持ち帰って、
自分たちで消化させて、そういった、
活動に生かしてくれたら嬉しいなっていうふうに。
やっぱりいろんな気づきっていうのが、
特にですね、僕は発達障害のことについて話をするグループで、
やっぱりいろんな地域のお寺さんたちが集まって、
それぞれのお寺の話の中で、
自分だったらどうするかって考えられて、いい時間でした。
それが終わってですね、今日はちょっと忙しくて、
僕そのままですね、
今日それが昼前に終わったので、中泊町まで行ってですね、
中泊町でお話しする機会っていうのを頂戴してたので。
ですけど、これは前回のStand.FMでも話してますし、
ウェブサイトの方でも一応告知はしてあるので、
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内容に関してはですね、そんな感じで。
タイトルはですね、「相談『する・される』
ということについて」ということで、
「つらさや悲しさを抱えながら生きる」っていうようなタイトルですね。
お題を頂戴してたので、
それに合わせてですね、
どういった話をしようかなと思ったんですね。
結構人数はですね、
集まっていただけてですね、
本当にありがたいことなんですよね。
今回は40人ぐらいですかね、
主催の方も、想像以上に集まってくれたという話をしながら。
僕はその来てる方がどういった背景を持っているのかって、
本当全然わからなくてですね、
どういった話を重点にしていけばいいのかなって思ったんですけど、
それでもですね、やっぱり知っている方たちも来てくれててですね、
中泊町のお寺さんとの新しい出会いっていうのもあったりしてですね。
でですね、
今日はこの話をしようかなと思って。
それがですね、
青森市に渡辺源四郎商店という劇団があるんですよね。
なべげんとか言われてますけど、
その劇団はですね、今年で20周年ということで、
その記念公演ですね、
タイトルが『翔べ!原子力ロボむつ〜めぐりあい時空編』っていうのが、
11月4日ですね、
それが初日だったので、
僕はその初日を見に行ったんですよね。
渡辺源四郎商店の店主っていうふうにして、
畑澤聖悟さんが作・演出をされていて、
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ふざけてるようなところがあるんですけど、
なんかとってもそれがメッセージとして伝わってくるところがあって、
ここ数年はですね、結構一生懸命通ってますね。
なるべく見に行くようにしてて、
今年もですね、あと何回かあるんですけど、
一応はですね、全部見に行くつもりで予定してますけど。
ちょっと話が戻って、
今回のこの『翔べ!原子力ロボむつ〜めぐりあい時空編』っていうこと、
この劇はですね、
2012年ですね、
つまり東日本大震災の翌年に東京での初演ですね。
随分話題になったようですね。
その後、高校生の子たちが演じる版とかが、
全国大会で上演されたりして、
その後もですね、40人を超える演者での上演とか、
あったようですね。
今回ですね、この20周年ということで上演されるこの劇はですね、
4人版というのと10人版というのがあって、
僕が見たのは10人版ですね。
『原子力ロボむつ』ですね。
これって、つまり形を変えながらですね、
語り直されてきた。
舞台はですね、青森県内の架空の町なんですよね。
で、その町長さんが主人公で、
その町長さんがですね、
その町のですね、過疎化であるとか、
案じてですね、
町の未来、将来っていうのをすごく心配して、
その財政に関してですね、
すごい心配してですね、
核のゴミの受け入れを決めるんですよね。
それは本当に、町の将来を憂いて決めたことなんですけど、
もちろん、それには反対する町民たちがいて、
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なんてことしてくれるんだと、
本当に安全なのかとか、
いうふうにして責められるわけですよね。
すごく責任感が強い町長さんでですね、
そういう意見に対してですね、
一応その核のゴミに関しては、
一般的には無害になるのは、
10万年後っていうふうにして言われてるわけですけど、
その町長さんはですね、
分かったと言って、
自分が責任を持って、
本当に安全かどうかっていうのを、
見届けるっていうふうにして約束しちゃうんですよね。
それも現実的には無理な話で、
そういった反対派の町民と言い合いになるんですけど、
町長さんは本当に責任感強くてですね、
本当に冷凍睡眠ですね、いわゆる
コールドスリープに入るっていうことを決めちゃうんですね。
実際にその冷凍睡眠ですね、
このコールドスリープに入って、
1000年後ぐらいがですね、
台本も売ってたので僕も買えばよかったんですけど、
買わないできちゃったのですごく不満ですけど、
最後のほうは、
あと5万年あるのかっていうような感じで、
5万年ですね、
5万年後までを描いているような。
さっきもちょっと話したんですけど、
核のゴミ、放射能の強いものっていうのは、
無害になるまで、安全になるまで、
10万年以上かかるっていうふうにして、
言われているわけですよね。
一方ですね、人の寿命って、
たかだか80年か90年かとかっていうような話なわけで、
それ考えるとですね、
町長さんは何回冷凍睡眠、
コールドスリープしなきゃいけないんだろうっていう話になるわけですよね。
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だけど、実際はですね、
青森県は受け入れているわけですよね。
六ヶ所村はじめ県内は、
核燃料を作り変える工場とかですね、
一時的ということで預かる施設、
他にもですね、原子力に関わる様々な施設があって、
それを長い時間かけてですね、
少しずつ受け入れてきたわけですよね。
そのことっていうのは、
青森に住む人だったら誰でも知ってることで、
でも僕らって普段ですね、
それを意識せずに暮らせちゃってるわけですね。
関係ないっていう感じで、
目をそらして生きてるわけです。
正直に言えばですね、
もちろん僕もそうで、
意識せずに暮らしてるわけですよね。
原子力の良い悪いっていうのは置いといてですね、
この受け入れたっていう事実っていうのは、
もう動かせないわけなんですよね。
その電気を使って暮らしてる、
動かせない事実の上で生きてる。
劇を見ながらですね、
僕が受け取ったのは、動かしがたい事実を、
僕らはその中でどうやって生きていくのか、
感じながら見てたんですけど、
大切な人と、事実っていうのは、
受け入れるっていうのはどういうことなんだろうな。
受け入れるっていうのは、
それから目をそらして生きることなのか、
それを全くなかったことにして、
全く考えずに。
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そういったことを、例えば仏教だと、
よく「諦める」っていう言葉を使いますよね。
それは決して目をそらすことでも、
投げ出すことでもなくて、
そういった事実っていうのを事実として、
偏りのない目で見るっていうことですよね。
そこから初めて、
自分でできることっていうのが見えてくる。
事実ですね。
現実的に青森にはそういう施設があって、
事実ですね。
それを明らかにして見た時に、
初めてできることが見えてくるっていうことで、
じゃあ実際に果たしてそれが受け入れているって言えるのかっていうことですね。
そういったことがですね。
あとはですね、その劇自体が、
10万年、5万年っていう長期の視点で描かれているので、
じゃあ僕らっていうのはその10万年後の人たちに、
一体何が残せるんだろうなというふうにして。
その劇でもですね、
その町長さんがコールドスリープに何回か入って、
目覚めたその世界ですね。
言葉が通じないんですよね。
何かわからない言葉。
それは結構笑いが起きてましたけど、
でも実際そうですよね。
例えば源氏物語とか1000年前のものですけど、
それだってたかだか1000年前のものを、
僕たちはそれを読めるかって言ったら読めなくって、
何か訳がないと。
だから全然現実的な話で、全く言葉とか文字とかも違うって想像できるわけですよね。
これがたぶんですね、元ネタがあると思うんですよね。
たぶん2010年ぐらいのドキュメンタリー映画で、
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『100,000年後の安全』っていうドキュメンタリー映画があって、
これがですね、フィンランドの放射性廃棄物処分施設の話なんですけど、
このドキュメンタリーの軸になっているのが、
その核っていうのは10万年以上経てば、
安全レベルに到達するっていうことになっていると。
じゃあその10万年後の人たちに、
ここに放射性廃棄物処分施設があって、
ここを掘らないでくださいと。
ここにすごい危険なものが埋まっているので、
近寄らないでねっていうのを、
10万年後の人たちにどうやって伝えるかっていうような話だったと思います。
ちょっと話がずれちゃいましたけど、
実際ですね、10万年後ってなかなか想像できないですけど、
やっぱり使う言葉も違ってくるでしょうし、
文字なんかも全然違ってくるでしょうしっていうのは容易に想像できて、
その中でそういった人たちに何が残せるかというのは、
何が残せるかって、やっぱり物語として残すっていうのが、
そうするとですね、この前ちょっとStand.FMでも話しましたけど、
クリストファー・ノーラン監督の『オデュッセイア』とか、
これはですね、2700年前、それ以上前の話で、
それがですね、言葉あるいは信仰なりとして残っていて、
それが残ってるから映画にもできるっていうことがあるわけですよね。
物語だからっていうと、思い出すのは法華経もそうですよね。
2000年というような話になってますけど、やっぱり法華経も物語としてですよね。
その物語が運んでくるのって何かっていうと、
やっぱりその時代に、その時代の人たちが、
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どういった気持ちでいたのか、心ですね。
ということを考えるとですね、今回の『原子力ロボむつ』ですよね。
これもその物語の一つだって考えられるわけです。
2011年に僕らは東日本大震災というのを経験して、
その翌年に生まれて、15年経った今も、
新しい役者さんとかお客さんで語り直され続けている。
そこにやっぱり風化させないっていう、風化させたくないっていう
強い意思を感じるんですよね。
でまた、見る側にとっても動かしがたい事実っていうのを明らかに見て、
それを引き受けて、迷いながら生きる。
物語っていうのは後世に残って、
そういう意味ではすごく、後の人たちにとってすごい大切なものなんじゃないかな
っていうふうにして考えたりしてましたね。
ということでですね、だらだら話してたらもうすでに26分オーバーになっちゃってるので、
そろそろ終わりにしたいと思います。
明日から秋田市でですね、「東北四県生きる支援フォーラムin秋田」ということで、
明日明後日で開催されるんですが、
僕は明後日ですね、ちょっとお話しさせていただくと思って。
雪がちょっと心配ですけど、なんとか気をつけて行ってきたいと思います。
それでは今日はこの辺で終わりにいたします。
皆さん、さようなら。