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2021-02-26 06:50

#288 とあるサイコパスの見分け方

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とりわけ、他者の「感情と論理を切り分ける力」の高さについて注意深く観察してきた。というのも、観察してきた結果、感情と論理を切り分ける力が高い人にサイコパスらしさを感じることが多いからだ。平時に感情と論理を分けることは、ある程度頭のよい人なら誰もがやっている。ところが、感情が揺さぶられた瞬間、コントロール不能になる。感情が優位になり論理的思考が妨げられる。むしろそれが正常な(大多数の)人間らしい。/うえみずゆうきが毎日書いているエッセイ【脳内議事録】もよかったらぜひご購読ください!  https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5  マガジン購読者限定の特典として「サイコパスの裏ラジオ(音声)」を毎月プレゼント!

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、とあるサイコパスの見分け方、というお話をしたいと思っています。
私自身ですね、サイコパスだなぁと自覚してから、約1年が経ちました。
この1年ですね、他者とのコミュニケーション取り方とか、自分自身との向き合い方みたいなものが
とても変わったなというふうに思います。
世の中にはですね、自分サイコパスだからと開き直って、むやむやたらにですね、
無慈悲な言動や態度を取る人っていうのがいるみたいなんですけども、
僕の場合はですね、どちらかというと、自分はサイコパスで、
情動的にね、人のそういう気持ちに共感する力がないんだという前提に立って、
無慈悲に思われないようにとか、
実際自分が思っている感覚というのは、相手からしたら無慈悲に感じることが多いだろうから、
強気に出て、ひどいことを言わないようにということを、
すごく気を付けてコミュニケーションするようになりました。
それはですね、サイコパスだって思っていなかったら、
自分は普通の人間で、自分が思うことは普通でとかって、
どっか思ってしまっていたと思うんですけども、
サイコパスなんだなって思ってからは、違うんだなと気を付けようって思えるようになったので、
それはね、とても良かったなと。
周りの人にね、ある種優しくなれるというか、
より求めなくなってですね、
自分とは違う見え方、感じ方をしているんだろうなという風に考えることができるようになりました。
それとは別にですね、人間観察をする上で、
この人はサイコパスの度合いが高いか低いかみたいなことをですね、
結構意識して観察するようになりました。
とりわけですね、感情と論理を切り分ける力、
その能力の高さについてですね、
注意深く観察してきたんですね。
というのも、その能力の高さが結構サイコパスらしさを感じさせる
強い要素の一つだと思っているからなんですね。
俗に言うエリートみたいな人たちっていうのは、
合理的に物事を考える訓練を積んでいるので、
いわゆる感情とか論理を切り分けて考える力が高いという風に思うんですね。
じゃあエリートがみんなサイコパスかっていうと、そんなことはなくて、
それは頭の良さで、認識力の高さでそこに持っていっているのであって、
平常時はいいけども、何か心が揺さぶられるような出来事、
例えば自分の恋人に対してとか、子供に対してとか、
自分のコンプレックスについてとかっていう話題になった途端、
感情と論理が急に切り分けられなくなる。
なんかエリートの人とかが何かの番組とかで話していて、
ちょっと感情が揺さばれた瞬間、全く論理的じゃなくなるみたいなシーンって
よく見かけるんですけども、
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まあああいうことですよね。
日頃は感情と論理を切り分ける力があるんだけども、
ちょっと気持ちが動くと、もう途端に論理的な思考ができなくなってしまうと。
これがですね、まあ昔はね、変だなって思ったんですけども、
僕の方が変で、そうなるのが普通のというか、
正常な大多数の人間であるというふうに思うんですね。
僕のようなサイコパスは、たとえ自分のコンプレックスとか、
自分の大切な人について語られてあっても、
感情と論理を切り分けて捉えることができる。
もちろんその度合いは人それぞれあるでしょうけども、
一般的に見て高い水準でそれができるんじゃないかなというふうに思います。
そこの感情の動かなさというか、
その切り分け具合がですね、ちょっと異常なまでに冷静に見えて、
サイコパスっぽいなというふうに感じるわけですね。
実際それはかなりサイコパスの要素の一つだと僕は思っています。
やっぱりデリケートな話題とか危機的状況になればなるほど、
感情論になりがちなんだけども、
それは感情論であり議論ではないなというふうに思うんですね。
で、議論しましょうとかって思っていても、
やっぱり気持ちが動くのは人間なのであれば、
デリケートな話題や危機的な状況で議論というのはできないんだろうなということを
最近は思います。
でもサイコパスにもですね、衝動性が強いとか暴力性が高いとか、
そういうサイコパスも当然いますので、
今日お話しした感情と論理を切り分けてすごい冷静な人みたいなことが
イコールサイコパスということではないんだけども、
サイコパスの一タイプとしてですね、そういう人がいるよっていうお話でした。
実際そういう感情と論理を切り分けて、かつ衝動性も暴力性もない人っていうのは
あんまり犯罪者にはならないと思うので、
意外とこの社会の皆さんが働いていたり生活している中に
意外と紛れ込んでいる可能性が高いというふうに思います。
そういう人がね、周りにいたら、
ちょっとこの人サイコパシーが高いんだな、
ちょっとサイコパス寄りなんだなっていうふうに思って
差し支えないかなというふうに思います。
ただね、だからといって犯罪者とか怖い人、
怖いかどうかみんなが決めることだけども、
だからといって悪いことをする人とは限りませんので、
ただサイコパシーが高いんだなと、
そのまま受け取っていただけるといいかなというふうに思います。
感情と論理をきれいに分けることができると、
怒るとかいうことはないですね。
だからすごくね、精神衛生上いいなと自分では思っているんだけども、
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一方で前々回お話ししたみたいに、
人が傷ついているとか、
人が感情的になっている理由が全くわからないので、
そういった意味でですね、
弱みでもあるというふうに言えるかもしれません。
決してね、人を傷つける人たちではなくて、
人を傷つける人たちではなくてって大変だね。
歩きなく人を傷つけている人たちなんだなというふうに私は思うので、
ぜひね、サイコパスっぽい人にですね、
サイコパスを自覚してもらってですね、
気をつけてもらうっていうのがいいんじゃないかなと、
僕は思っています。
本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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