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2021-03-01 06:29

#291 サイコパスだからって優しくないわけじゃない

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共感性はインプット、優しさはアウトプットだと私は考える。いわゆる共感(情動的な共感)は、誰かの感情というインプット情報に対する反応である。サイコパスの場合、相手の感情に対し、自身の感情はほとんど動かされない。ただし、情動的な共感はできなくとも論理的な共感はできる。気持ちこそ動かないが、理屈では目の前の人の感情が理解できるのだ。論理的共感というかたちのインプット情報を元に、自分の頭で考えて優しい何かをアウトプットすることはきっとできる。/うえみずゆうきが毎日書いているエッセイ【脳内議事録】もよかったらぜひご購読ください! 
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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、サイコパスだからって優しくないわけじゃない、という話をしたいと思っています。
今日はちょっと告知をさせてください。 3月13日土曜日にですね、第3回仮面読書会、秘密結社サブ主催仮面読書会をですね
開催いたします。 3月13日夜8時半からズームで行いますので、概要欄の方にURL貼っておきますので、そちらからですね、気になる方はちょっと概要を見ていただいて、気になれば申し込みいただければと思います。
サイコパスだからって優しくないわけじゃない、というお話をしたいんですが、 プロフィールにですね、僕のサイコパスって書いていると、やっぱりですね
サイコパスのイメージが皆さんそれぞれありますので、まあ大多数はですね、殺人鬼みたいなイメージがあったりとか、パワハラ上司みたいなイメージを持たれているようなので、やっぱり怖いとかいうふうな印象を持たれることがあるんですね。
で、基本的にはそのいろんなサイコパスがいて、いわゆるマイルドサイコパスみたいに言われる人もいてですね、僕は多分その部類に入るんですが、
衝動性とか暴力性がない人もいて、なんでサイコパスと言っているかというと、共感能力がない、情動的に共感する能力がないからなんですよねってことを
大体説明をして、あ、そうなんですね、安心しましたとか言って会話をするんですけども、やっぱりね、あの会話の端々でですね、サイコパスなのに優しいですね、みたいなことを言われたりすることがあるんですね。
それに僕はちょっと違和感があるというか、もちろんそう言っている方に理解しないじゃないかって言いたいわけではなくて、何に違和感があるかというと、
共感性がないことと優しくないことは別にイコールじゃないよねっていうことなんですね。
共感性、何かに共感するっていうのは、何か起こっているものを解釈するというか、捉えていくインプットのところを指している、共感するってことはインプットのプロセスだと思っていて、優しさっていうのはアウトプットだというふうに僕は考えているんですね。
誰かが悲しんでいるっていうことに対して、自分も悲しくなってきたっていうのはまさに情動的に共感している状態だと思うんですけども、僕は誰かが悲しんでいるという人がいたときに、自分が悲しくなることはないんだけども、なんで悲しんでいるのかなという論理的に理解することができると、
こういう理由で、これぐらい悲しいんじゃないかなっていうことを頭の中で理解する、気持ちは理解しなけれども頭で理解するというようなインプットをしているんですね。
その処理を踏まえて、じゃあどういう声かけをするかっていうアウトプットっていうのはもちろん自分の頭で考えてできるので、厳しくないアウトプット、それはアイデントで優しいって感じるようなことかもしれないんですけども、優しいアウトプットっていうのはできるんじゃないかなというふうに思っているんですね。
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なので、共感しないから嬉しい言葉を使うとか、共感しないから死ねよとか言うかっていうと、そういうことではないと。共感しないんだけども、状況を理解して、論理的に理解して、その状況の人にどういう言葉をかけた方がいいだろうかっていうことを自分なりに考えてアウトプットしているので、必ずしもそんな厳しいことを言ったりはしないよねと。
だから共感性がないことと優しくないことはイコールではないよねっていうことを今日言いたかった。すごくね、たったそれだけの話ではあるんですけども、とても重要なことだなと思っていて、その共感性がないから優しくないわけじゃないよってことです。逆もまたしっかりで、じゃあ共感性があるってことは優しいのかっていうことを考えていきたいんですけども、共感性があるがゆえに人が凶暴になることってありますよね。
例えば、自分の大事な人が何かひどい目にあったからといって、それを共感してというか、感情移入して過度に自分ごと化した結果、全然関係ないのに自分が相手に報復しようとする人とかいますよね。
俺がやり返しやるよとかいう人いますよね。あんなのも、共感したがゆえに自分ごと化してしまって報復に出ようとするけど、あなたは誰だという話なんですよね。共感してしまったがゆえに部外者が勝手に暴力的になっているとかっていうことも起こったりするので、共感がむしろ凶暴さを生むことだってあるなと思うし、
社会レベルで見たときには、いわゆる大衆が感情がヒットアップしていく過程とかっていうのは、まさに共感が共感を呼んで、論理的には明らかに矛盾したり間違っているけども、共感が共感を呼ぶことによって暴走してしまうということが起こったりすると。
これは共感が生んだ結果だと、共感のなせる技だというふうに思うわけです。だから、共感できないから優しくないわけでもなければ、共感するから優しいわけでもない。共感しないのに優しいパターンもあれば、共感するのに優しくないパターンもあるということなんですよね。
だから、共感と優しさをくっつけてしまうと大変なことになってしまうというふうに思いますので、これらは全くの別物であるということをよく理解していただけるといいんじゃないかなというふうに思います。
特にね、これを聞かれている方でサイコパスだなと自分のことを思っている、サイコパスだなというかサイコパシーが高いんじゃないか、自分は気持ちで動くよりももう理屈で動いてしまうなという人は、決して自分が優しくないなんていうふうに思う必要はないし、論理的にインプットしたもの、処理したものを優しくアウトプットすることができると思いますので、優しさを発揮できると思います。
そして自分はサイコパスなんかじゃないよって思って聞いている方も、自分は共感できる人間だから優しいんだなんていうふうに勘違いしてはいけなくて、共感するがゆえに暴力的になってしまっている、共感するがゆえに誰かに厳しくなってしまっている可能性があるということですね。
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今一度見つめ直していただいて、共感性と優しさは決してセットではないということですね。改めて理解していただけるといいのかなというふうに思っています。
説教みたいになりましたけれども、サイコパスだからって優しくないわけじゃないよというお話でした。本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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