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2022-09-29 08:02

#485 感情は経験により付与された意味に条件づけられている(後編)

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感情をレビューし続けよう。そしたら、虫も克服できそうだから。


◉感情は経験により付与された意味に条件づけられている(前編)

https://anchor.fm/psychopath/episodes/484-e1oav5i


上水優輝

https://note.com/y_uemizu/n/nd7a29906ddd7

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00:05
皆さんこんばんは、上水優輝でございます。サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、前回に引き続き、感情は経験により付与された意味に条件付けられているという話をしたいと思っています。
前回、そして前々回とですね、感情は自分で選んでいるのか、それとも生じているものなのか、みたいな話をしてたんですけども
僕としては、感情というのは自分自身が選んでいるものなんだと、自分自身の経験などによってそれがそういう意味であるというふうに
決めたもの、そういったフィルターで見るがゆえに生じているということですね。ということは、そのフィルターを変えれば出てくる感情というのは変わってくるよねと。
フィルターを変えることによって意味が変わるから、意味が変わるということは感情が変わるよねっていう、そのような話をしてきました。
で、前々回はそれをそうだと思っているって話をしたら、それはなかなか難しいというフィードバックが友人から返ってきて、そして前回お話ししたのは、改めてじゃあどうやって自分は感情をコントロールしてきたのか、感情が起こった出来事
みたいなものを後々振り返ってレビューすることによって、なるほどあのように自分は捉えてからあんな気持ちになったんだなぁとか。
あの時にこんな風に捉えてたら、こういう気持ちになったかもなって感じで、過去の自分の経験をケーススタディとして意味をですね捉え直すとか、感情をシミュレーションし直すみたいなことを何度も何度もやるうちに、何度も何度もというのはいろんなケースでやるうちに、いつの間にか感情が発生しそうな出来事が起こった時に瞬時にですね、ある種どのような眼差しでそれを見るか、それによってどのような感情を選ぶかっていうことを主体的にできるように
だんだんなってきたよっていう話をしました。でちょっと時間切れで、その自分は別に完璧にできてるわけじゃないんだよって話を最後にしたいなと思ってたんですけど、もうちょっと時間がなかったので今回に先延ばしました。
まあ恋愛とかですね、僕はもうそんな感じになってるんで、多分恋愛もできないですね。一目惚れもしないし、一目惚れそうになるというか、素敵だなって思うことがあっても、一瞬の気の迷いであるということがもう自分の中で処理されてしまうので、
一瞬の気の迷いでない運命だという意味を選ぶこともできるけれども、それを選んで身を滅ぼすことも分かっているので、そういう意味を選ばないということをしていると。
なので意味を選ぶことによってそこで起こる感情を選び、一目惚れにしないというようなことをやっていると。一目惚れに限らずですね、いろんなことが感情としょっぽおりそうな時にそれをかなり制御できるようになってきているというのが現状ですと。
一方、僕もできないことがある。簡単に感情を選べないことがある。なので、友人からね、そんな簡単に選べないよってフィードバックをもらったのに通ずる対象というのがあって、それが僕の場合、虫なんですね。
03:01
昆虫ですね。気持ち悪いと。これは別に昆虫好きな人もいますよね。昆虫捕まえてる人もいるし、昆虫見てかっこいいとか可愛いとかと思う人もいるわけだから、それこそどのような眼差しで昆虫を見るかでしかないのに、
僕はとても気持ちの悪いものだと思ってしまっている。それは何でかっていうと、過去にですね、小学校低学年ぐらいかなまでの間に、すごく虫について気持ち悪い体験をしてきた。
気持ち悪いというか嫌だなと思う体験をしてきたので、虫を見るイコールその嫌な感じが早期される。自然ともう出てくるって感じで、即座にこの偏頭体が働いちゃうということで、
理屈で考えれば大したことない。例えばムカデとかスズメバチとかは別ですけども、危険生物とは別として、大して危険じゃない虫っていっぱいいるじゃないですか。バッタとかね。
えーと、わかんないけど、ハエとかさ。トンボとか。別になんじゃないわけじゃないですか。なんじゃないのにいると、きもいなと思ってしまう。セミとかもそうですよね。気持ち悪いなと思ってしまう。
これはもう理屈じゃなくて感情が動いているっていう状態なので、感情をコントロールできていないということなんですね。
で、これも前回話したことに結局通ずるんですが、僕は虫をレビューしきってないってことなんですよ。
小学校低学年ぐらいまでにその体験にもうある種トラウマ的になっちゃってるから、レビューすることもせず、なんならそれ以降虫に接することをとにかく避けてきたと。
なので経験値も溜まっていかないし、経験がないってことはそのレビューするケースも少ないと。
僕がレビューできるケースっていうのは遠い30年ぐらい前の記憶なのか妄想なのかわからない恐怖体験をレビューするしかなくなってしまうので、なかなかレビューしようにもしきれないところがあって。
僕がもし虫を克服する、虫を見ても何の感情も起こらないようにするためには、例えば天海大島に移住したいとか言いましたけども、
例えば移住して虫が身近にいる環境に行って最初は絶叫する、パニックの落ちる、毎日泣いているみたいなことが多分起こるわけですけども、その経験を重ねていくうちにというか、その気持ちが収まる度にレビューすると。
でもあの気持ちって本当に起こす必要があったのか、あの時の虫って本当にキモかったんだろうか、本当に怖かったんだろうかっていうことを何度も何度も経験し学習していくことによって、レビューすることによって、
別に大したことないねと、大したことあるやつと大したことないやつがいるよねと、大したことあるやつはなんで大したことがあるのか、みたいなことが分かってくると、そんな感じで虫っていうデータが溜まってくることによって感情を選べるようになると。
気持ち悪いと思うこともできるけども、可愛いと思うこともできるし、面白いと思うこともできれば、食べ物としてみなすこともできるかもしれないということで。
まあ何が言いたかったかと言うと、経験をし、その経験データからしっかりと、なぜそのような感情が起こったのかっていうことを理屈で考えるってことですよね。
06:00
感情が起こっているときは難しいんだけども、感情が起こった後、静まった後に、でもどうしてそんな風に思ってしまったんだろうっていうことを考えると、どうしてそう思ってしまったんだろうっていうほどの、
絶対的なものはなくて、単純にそのような眼差しで見ていたからそのように思えたというだけでしかないということに、だんだん体が慣れてくる。
レビューし続ける中で、だんだん言ってることは分かるけれども、なかなか難しいんだよねっていうのから、当たり前になってくると。
レビューし続けることによって、いやそうでしょとその頭で考えている方が現実になってくるというか、感覚として身近になってくるということで、
だんだん克服できそうだなというふうにも思っています。なので今僕は虫が苦手だなんだとか言ってますけども、
本当に克服しようと思えば多分できるんだろうなというふうにも思っている。それは3回にわたり言ってきた、
感情は経験により付与された意味に条件付けられているっていうことなんですね。
ぜひね、感情を選べるかもしれないと思っていただいた方はですね、自身の感情が動いた経験をしっかりレビューすると、レビューし続けると、
一定量データがたまったら、案外これなんかサイコパスのラジオで言ってたやつっぽいぞとなるかもしれませんので、
ぜひ試してみていただけるといいかなと思います。 ただね、何度も水泳の話いたしましたけども、
泳げない人はいくら頑張ってもやっぱり泳げないという側面はあるかと思いますので、みんなやればできるんだみたいな根性論ではないということだけはですね、
あらかじめご理解いただいて、面白半分でですね、その感情をレビューするみたいな習慣を取り入れてみてもらえると、もしかしたら感情コントロールがすごくうまくいき始めるかもしれないという、
そんなお話でした。本日は以上です。またお会いしましょう。さようなら。
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