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2022-09-25 10:48

#484 感情は経験により付与された意味に条件づけられている(前編)

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感情をレビューし続けよう。そしたら、もう一目惚れはできなくなるから。


◉脳科学辞典

https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E5%89%8D%E9%A0%AD%E5%89%8D%E9%87%8E


上水優輝

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00:05
皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、感情は経験により付与された意味に条件付けられている、という話をしたいと思っています。
前回、感情は自分で選んでいるのか、それとも自然と生じているのか、みたいな話をしました。
詳しくは前回の話を聞いていただきたいなと思ってるんですけども、その配信後にですね、お友達とこう飲みに行く機会がありました。
友達とたまたまそういう感情についての話になったので、前回話したようなことを話したら、言ってることはわかるけどちょっと難しいと、なかなかできるもんじゃないよっていうことを言われました。
具体的にはですね、ある人に怒ってしまうと。怒ってしまったら、しばらくその相手に対して怒り続けてしまう。
その怒ったことには理由があるんですよ。怒り続けることには、その正当な理由はないよねと。
でも正当な理由はないんだが、怒り続けてしまうんだというようなことだったかなというふうに記憶しています。
お酒を飲んでたので、ちょっと違うかもしれませんが、そんな話だったと思います。
で、その日の夜に、まあそうか、そんなに難しいのかと思って、前回お話した内容の続きを次回話そうと思います、みたいなことをつぶやきました、ツイッターで。
そしたらそれに対してリプライで、今回話そうと思うことのヒントになるようなコメントをいただきました。
偏頭体で瞬時に感情が生まれ、その後前頭前夜で経験などからその感情のコントロールをするそうなので、この前頭前夜の働きをより客観的にできるのが上水さんなのかなと思いました、というふうにコメントをいただきました。
偏頭体とか前頭前夜という言葉が出てきているので、ちょっと何のこっちゃと思う方もいると思うので、日本神経科学学会がやっている脳科学時点でその偏頭体と前頭前夜についてご紹介します。
前頭前夜。前頭前夜は人を人たらしめ、思考や想像性を担う脳の最高中枢であると考えられている。
前頭前夜は系統発生的に人で最もよく発達した脳部位であるとともに、個体発生的には最も遅く成熟する脳部位である。
一方、老化に伴って最も早く機能低下が起こる部位の一つでもある。
この脳部位はワーキングメモリー、反応抑制、行動の切り替え、プランニング、推論などの認知実行機能になっている。
また、工事な情動、動機づけ機能とそれに基づく意思決定過程もになっている。
さらに、社会的行動、葛藤の解決や報酬に基づく選択など、多様な機能に関係している。
思考や想像性を担う脳の最高中枢であると考えられているのが前頭前夜であるということですね。
変動体の方は、大脳変園計の重要な機能の一つは、情動発言や情動行動の遂行であり、これらの機能に最も重要な役割を果たしているのが変動体である。
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感情が発言するとか、感情行動みたいなのが現れていくっていうのが、この変動体が重要な役割を果たしているよねってことで、感情とある種論理みたいな感じで、この部位が分かれているってことですよね。
もっと言うと、もちろんこれの2つは断絶されているわけではなくて、当然その繋がっていて、論理であったり感情であったりっていうのを行ったり来たりするっていうことですね。
で、面白いのがね、これサイコパス、中野信子さんのサイコパスって本だったかな、中に書かれてたんですけども、これ前頭前夜の働きが弱いか、変動体の働きが弱いか、前頭前夜と変動体を繋ぐルートの働きが弱いかみたいな、いずれかの脳の構造的な問題があるというふうに考えられているんですね。
で、いずれかの脳の構造的な問題があるというふうに言われてあって、ある種ですね、サイコパスだなって、このコメント全然サイコパスとか言われてたわけでもないんですけども、サイコパスなのかもしれない、サイコパシーが高いんだろうなってことを改めて脳的な話からも思わされたって感じですね。
ということを踏まえると、先天的なのか後天的なのか一概には言えないけれども、両方あってね、僕はこのような感情の処理をしているんだろうなということが一つ前提としてあります。
感情とかいう抽象的なものだからわかりづらいけど、例えば僕はいつか話したけど、水泳教室に大人になって通ったんですけど、去年かな、通ったんですけど、泳げる気配がなかったと。
なので、やってもできないことはできないっていうことはあるよねと。もちろん30回40回やったら泳げるようになったかもしれないけども、2時間の講義をプロの方から3回受けて6時間講義を受けたけども、それにもかかわらず一向に泳げるようにならなかったっていうのは、やっぱり泳ぐ才能がないということだと思うんですね。
ということもあるよねと。そういう感情を器用にコントロールする才能がない可能性がある。それは先天的にか後天的にかわかりませんけども、先天的な理由であれば結構難しいし、後天的にも行くところまで行くともう今更みたいなこともあって、今更難しいこともあるかもしれないという前提で今日の話を聞いてほしいなというふうに思います。
要は前回の続きであり、結局僕は主張は変わらないと。感情は意味付けによって選べるものだという立場を僕は取ります。
僕自身ですね、実はそんなに感情コントロールが得意な方ではなかったんですね。高校時代のエピソードになるんですけども、当時すごく好きだった人がいてね、菊谷さんっていうんですけども、その子に振られてあまりにもショックでですね、いわゆる感情が傷ついてですね、ベッドから出れなくなったと。
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10日間2週間ぐらい不登校になった時期がありました。もう悲しいし、もう辛くて、とにかくもう何もする気にならないという感じですね。周りからはその時にね、他にも女性がたくさんいるんだから別にいいじゃんっていうような励ましの言葉があったり、当時からバンドやってましたから、このエネルギーをバンドにぶつければいいじゃないっていう感じで、
まあいろんな励ましの言葉をいただいたんですけども、もう気持ちがね、菊谷さんじゃなきゃダメなんだよって僕はなってるから、そういったいわゆる合理的なというか、いろんなね、理にかなったアドバイスっていうのも全く受け入れられなかった。自分の気持ちがもうどうしようもなかったっていうのがありました。
その意味では生まれながらにして、僕はその感情を好き勝手にコントロールしてたというよりは、そういう意味では結構普通に傷ついてたっていうのがありました。
自分の感情を好き勝手にコントロールしてたというよりは、そういう意味では結構普通に傷ついてたっていうよりは、そういう意味では結構普通に傷ついてたっていうよりは、
自分の感情を好き勝手にコントロールしてたっていうよりは、そういう意味では結構普通に傷ついてたっていうよりは、そういう意味では傷ついてたっていうよりは、
一段落して、後からその出来事を振り返るみたいな感じですね。気持ちがもうちゃんと落ち着いた後にレビューする。なんであの時あんな感情になったのかなとか。もちろんなんで相手にあんなことを言ったんだろうとか。
感情も振り返るということですね。自分はどうしてあの時あんな風に傷ついたんだろうとか、あんな気持ちになったんだろうって考えていくと、そのような意味として捉えていたから傷ついたんだなっていうことに気付くわけですね。
それが前回の話に結局つながってくると。どのように物事を捉えているから、その捉えたまなざしがあるからこそそのように感じられると。
じゃあそのように捉えなければまた違った感情が生まれてくるよねみたいなことを自分の経験と結びつけながら、正論だよねじゃなくて自分の経験と結びつけると、確かにあの時このように捉えていたらそんな気持ちにならなかったかもしれないなっていう感じで、
自分の経験とかなり結びつけていくと。レビューしながら理屈の部分と感情の部分を何回もシミュレーションしまくるみたいなことをやるわけですね。
それが多分一定量溜まったというかデータとして溜まったが故に、その後起こってくるいろんな感情を揺さぶりそうな出来事に対して先に理性が働くとか感情を選ぶみたいなことができるようになってきたのかなというふうに自己分析しています。
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好きな人に振られるみたいな、さっきの絶望しましたみたいな話がありましたけども、確かに一時的にはショックかもしれないけども、捉え方によっては一つ区切りがついたとか、また新しいね未知なる可能性が開かれた、恋愛に限らずですね。
そのそこに向けてた意識みたいなものを別のところに向けるという未知なる可能性が開かれたとも取れるわけであって、その恋愛とかその人に振られるみたいなことが果たして必ずしも悲しいことなのかとかネガティブなことなのかっていうとそんなことはないよねみたいなことを俯瞰できるようになってきたってことですね。
なので、僕自身、その好天的に身に付けた部分も大きいと、好天的に感情コントロールするスキルというか、練習を積んでそういったスキルを身に付けてきた側面もあるなと思ってるんですね。
水泳教室に通って泳げなかったから、やっぱりそのどうしようもないって人もいると思うんですけど、あのどうしようもない人ばかりではなくて訓練をするとできるようになる人もやっぱり一定数いるっていうのはこれ事実かと思うので、自然とできてるか自然とできていないかだけじゃなくて訓練によってできる層っていう人たちがいるのかなというのが僕の考えですね。
感情は経験により付与された意味に条件付けられているよねっていうことを2巻にわたって話してきたんですけども、じゃあそんな僕が完璧にできてるかっていうとそんなことはないよっていうことを話したかったんですけど時間がないので次回話そうと思います。
本日は以上です。またお会いしましょう。さようなら。
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