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みなさんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、場についてお話をしたいと思います。
先日、どうせ死ぬ3人というポッドキャストを一緒にやっているムロさんと
3ヶ月ぶりですかね、ぐらいに対面で、いやもっとかな、とにかく結構久しぶりに対面でお会いしました。
僕は福岡に住んでるんですけども、ムロさんは大分に住んでたり、上京するのかな、東京に行くとか行かないとかで、とにかく福岡にいないんで、なかなか対面で会う機会は
ないんですけれども、ちょうどね、福岡で仕事があるということで、ご連絡いただいてお会いすることができました。
よくね、一緒に働いてた頃とかはC社に行ってたんで、今回もね2人でC社バーに行って、C社を過ぎながら
あれこれと雑談をしてたわけですけども、その中でですね、印象深かったのが、会話って難しいですよねっていう会話ですね。
結構僕もムロさんもおしゃべりが好きなんで、そういうバーを自分で作っているというか、そういう場を設けることが多い方するんですよね。
ムロさんで言うと、クラブハウスっていうアプリで、時々ね、部屋を立ち上げていろんな方とお話をしていると。
僕で言うと、ポッドキャストはもちろん、ムロさんもポッドキャストやってるけど、僕で言うとポッドキャストを7番組、8番組やったりとか、
毎朝ね、朝礼と言って、Xのスペースでね、お話をしたりとか、いろんなイベント企画したりとかって感じで、おしゃべりをする機会っていうのがすごく多いんですよね。
そういった中で、例えばムロさんで言うと、クラブハウスだと、誰と話すかも決まってない。来た人と話す。
その来た人と話す内容も決まってないので、その場で話す内容、話し出して初めて何の話をしているかみたいなことが分かってくるという状況。
僕で言うと、多分朝礼が一番近いのかな。誰と話すか分かんなくて、何を話すか分かんない中で、でも話すということは決まっていて、話すみたいなやつですね。
っていうのは結構難しいよねっていう話をしました。
いい悪いとかではなくて、単純に分析として思うのは、会話って本当にいろんな軸で切れるけれども、例えば出てきた言葉に言葉で打ち返すっていうことを良しとする。
その感じを良しとするのか、それとも言葉を発したその人とか、その人から出てきた言葉の意味みたいなことと向き合うみたいな意味での会話、対話っていうのかな。
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そういったニュアンスでも全然変わってくる。
向き合うようなコミュニケーションをしたいのに、出てきた言葉に次が次に連想ゲーム的に話題がどんどん転換していくみたいな、横滑りしていくみたいなことがあったりとか、逆にどんどんそうやって会話を展開させていきたいのに、向き合おうとするとか深掘ろうとするみたいな人がいたりとかっていう感じで、
そこらへんが噛み合わないと、結構お互いに心地よくない感じになったりもするようなと思ったりしますね。
僕でいうと明らかにコミュニケーションイコールとまでは言わないですけども、僕がコミュニケーションを取る場合のほとんど多くの場合において向き合うっていうのはあるんですよね。
仕事とかは別ですよ。情報の伝達とかがあるんでちょっと別ですけど、仕事でも何でもないのに人とコミュニケーションを取るときっていうのは基本的に僕はその人と向き合うってことをとても重きを置いてコミュニケーションをしているので、
わりと会話が横滑りするみたいなことに対して、何ていうのかな、個人的には価値を感じないっていう感じですね。
そういう場であれば場においての価値はあると思うんで、全然僕の個人的な価値観はどうでもいいんですけど、個人としてはやっぱり向き合うってことにすごく重きを置いてるなってことを室野さんとの会話の中で改めて思いました。
そうですね。結構向き合って会話をしたい。
その向き合った会話をするとなると、自ずと深掘っていくから深まっていきやすいんですけども、深い話がしたいとはまたちょっと違うんですよね。
別に深くなくてもいいんだけども、その人とかその人から出てきた言葉という意味ではその人なのかな、その人に向き合っていきたいっていう感覚が強いですね。
だから情報がただただ、情報というか言葉、文字面みたいなものを追ってどんどんどんどん展開させていくっていう会話は、あんまり興味が持てないですね。
僕は株式会社げんしょうという会社を1年前から経営していて、前回もお話ししたんですけども、存在としての講演というミッションを掲げてですね、コミュニティみたいなことを少しテーマにしながら活動していこうというふうに決めたわけですけれども、
そう考えるとですね、さっき話した自分の趣味・趣向みたいな話、対話が好きだみたいなことに必ずしも限定する必要はないなっていう気が最近はしてるんですよね。
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思想フレを増やそうとかって思想フレンドですね。思想レベルのすごく深い、自分の中の価値観の深いところをさらけ出して、会話ができる友達をたくさん作ろうみたいなのは個人の満足度としてですね、人生の満足度として大事なので、そこは追っていきたいんですけども、
そこにばかり固執せずに、それはそれで追いながら、会社としてはですね、もう少し広くですね、言葉みたいなものに必ずしも依存しない、もっといろんな多様な可能性みたいなことを考えていきたいなと思ってるんですね。
特にコミュニティとかっていうときに、すごく狭い、何らかの形で結局狭くなっちゃうんだと思うんですけども、何らかの形で閉じていくっていうのはあると思うんですけども、その閉じ方が言語能力みたいなスキルみたいなものに、スキルって言ってるのかな、特性っていうのかな、特性に依存しない。
なるべくそこが多様であるみたいなね。目指すところは多様でないけども、目指すところは多様でないって言ったらおかしいな。多元的な価値を認めることができる世界っていうね、ビジョンなんで、多元的な価値を認めるっていいことだよねっていう価値観の人が、っていう意味で閉じてるっていう意味かな。
それをゼとするみたいな人が集まるってみんな閉じてるんだけども、それ以外の言葉が得意な人、苦手な人とか、踊りが上手い人、下手な人、歌が上手い人、下手な人なんでしょうね。とにかくいろんな得意不得意があってもいいんじゃないって思ってるって感じですかね。
ってなると、やっぱり言葉のキャッチボールにあまり偏りすぎると、結果、言葉が使うのが得意な人とか、もしくはその言葉の使い方が噛み合う人ですね。自分と噛み合う人ばっかりになっちゃうっていうので、それはちょっと避けたいなと思ってるんですよ。
自分の活動をいろいろ並べてみて、ちょっと座標に置いてみたんですよ、マトリックス上に。どういうマトリックスを作ったかというと、2種類のマトリックスを作って、
一つは、まず1個の軸が、より言語的であるか、言語依存的であるか、言語依存的でないかっていう軸。
もう1個の軸が、いろいろ考えたんですけどね。同期してるか同期してないかとか、対面かオンラインかとか、いろいろ考えたんだけど、そうじゃなくて、情報量が多いか少ないかみたいな感じですね。
おのずと対面のほうが情報量が多くなるんで、対面である確率が高くはなるんだけども、必ずしも対面では限らない。情報量が多い、少ない。言語依存的であるか、そうでないかみたいな縦軸、横軸を置いたときに、
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僕がやってることの多くって、言語依存的で、かつ情報量が少ないのほうかなと思ったんですね。情報量が少ない、ポッドキャストを情報量が少ないと言っていいのかちょっとわかんないですけども、対面で会って話すとか、動画でおしゃべりするとかに比べると、情報量がどうしても少なくなってくるよねということかなと思ってますね。
で、朝礼とかもね、基本的には通話なので、言葉だけでやり取りをすると、アイコンタクトとかですね、うなずきとか、そんなものは見えないので、声で全部表現しないといけないというので、情報量が比較的少ないかなと思ってます。
基本的には言語依存的で、情報量が比較的少なめなもの、Xの投稿とかも含めてですね、そういうものが多いなと思ったんですよ。偏っていると。
で、実際、去年はイベントとかをいくつかやって、対面でお会いするという機会があって、情報量が多いような場みたいなのもいくつかあったかなと思うんですが、言語依存的な回だと、情報量は多いんだけど、結局、目立つ人と目立たない人みたいなのがはっきり分かれちゃって、
目立たないからよくないって言いたいわけじゃないんだけども、目立たないことであんまりコミュニケーション取れないまま終わっちゃったみたいなこともあってですね、やっぱり言語依存する場があってもいいんだけど、それだけじゃだめだなっていうふうに感じてると。
そこで考えたのが、一つ、減少の晩餐会ということで、何回前かな、結構数回前、1か月前ぐらいかなに配信したんですけども、減少の晩餐会っていう料理をね、レンタルスペースを借りて、僕が招待してですね、10人ぐらい集まって料理を作って、何を作るかから一緒に考えるんですけども、何を作るか、そして一緒に作って、食べて片付けてみたいなちょっとした半日のプロジェクトをですね、
一緒にやると、言葉だけじゃない、もうちょっとすごい情報量の多い中でですね、その人とコミュニケーションが取れるという、これ取れるんじゃないかという仮説のもとですね、そういった企画をやったりとかしてますね。
やったりしてますねって言っても、これからなんですけどね、4月に1回目、今ちょっと予定してるんですが、やろうかなと思ってます。
そんな感じで、今言った情報量は多い、少ない、言語依存的、言語依存的でないみたいな軸で、またまんべんなくというかね、場作りみたいなものをして、場作りだけではないですよね。
言語に依存しなくて情報量が少ないってなると、場じゃなかったりもするかもしれないですね。
場っぽくないものもあるかもしれないですけども、なるべくそこをまんべんなく企画していくっていうのをやってみたいなと思ってます。
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もう1個マトリックスがあって、言語依存的であるかそうでないかっていう軸はそのまま、で、もう1個の軸がですね、オープンかクローズドかみたいな軸ですね。
例えば朝礼とかになると、オープンですね。
誰でも、Twitterアカウントを持っていて、僕のことを知っていれば誰でもたどり着けるという意味ではオープンであるということで参加できますと。
リクエストをさえ送っていただけたら、どなたでもおしゃべりしていただけることができるという感じで、比較的オープンな活動もあれば、晩餐会とかはクローズドの最多のもので、僕の完全招待制というシステムを取ってますと。
こんな感じでですね、クローズドかオープンか、言語依存的かそうでないかみたいな軸でもいろいろ企画していきたいなと思ってますね。
もうちょっと例題出すと、朝礼は誰でもおしゃべっていただけますよっていう話を今しましたけども、これが聞かれてるわけですよ。
リスナーさんというか、そこに場に人がいるから、例えば僕が一対一で話をしていても、結局一対一じゃなくて聞かれている会話としての一対一だから、
オープンであるがゆえの会話に干渉してくる部分っていうのがあって、まさに現象だなと思っているんだけども、聞いてる人はいるかいないかで、たぶん話す内容とか話し方とかも変わってくると思うんですね。
この辺もだから上手に使い分けて、クローズの場だからこそ話せるよねっていうこともあれば、オープンの場だからこそ話せる話し方とか話の展開ってあるよねみたいなことも意識しながらですね。
話って言っちゃってるから言語に依存してるけど、言語じゃないものも含めてですね。
オープンだからこそのみたいな、クローズだからこそのみたいな、その差がうまく、その特徴の差みたいなのがおのずとあると思うんですよね。
最近ちょっとやってないんですけども、15分のべしゃーりっていうことでですね、朝礼と同じ時間、朝6時10分から6時25分の15分間、
全く同じ枠で、その15分のべしゃーりっていうのは予約制でZoomをつなぐんですよね。
だから聞かれてる人がいないと、誰が申し込んだかもわからないから、僕とその人が話してることを誰も知らないっていう状況なわけなんですよね。
っていう、ある種クローズドな、セミクローズドと言いますかね、申し込み制で、申し込みできちゃうんで。
そういうセミクローズド的な場、セミクローズドっていうの?違うな。
募集はオープンだけど、場はクローズドって感じですね。オープンな募集、場はクローズドって感じで。
15分のべしゃーりとかだと、15分なんだけど、結構ね、人が聞いてたら話せないだろうなみたいなことを相談していただいたりとかすることもあったりするんで。
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やっぱりそこの、場のそもそもの構造的なものが持つ力っていうのがあるなと。
そのここに、おのずとコミュニケーションが引っ張られるよなっていうのがあるんで、なんかその辺の多様性みたいなのも持っていきたいなと思ってます。
ちょっとバラバラ話しましたけど、伝わりましたかね。
僕自身、個人の話でいくと、すごく対話的なコミュニケーションが好きで、その人と向き合う、もしくはテーマに向き合うことで、
その人のことを理解したり、自己理解を深めたり、テーマについての理解を深めるみたいな、深めていくこと、新たな視点を発見することに喜びを感じていますと。
ただ一方で、株式会社現象としては、それも一つの価値でしかなくて、もっといろんな価値がこの世界にはあるから、
その多元的な価値を認めることができるコミュニティみたいなものを醸成していくというか、そういった関係性みたいなものが築き上げられていくことで、
もっと広い意味で、知らない視点、知らない価値、知らない世界みたいなものを知って、自分の価値観を広げていくようなコミュニティになればいいなと思っていて、
それをやる上では、あんまり対話みたいなところにこだわりすぎず、いろんな場を設計していく必要があるなと思っていると。
そのときに、言語依存的であるかそうでないかという軸だけでなくて、情報量が多いか少ないかとか、オープンであるかクローズであるかみたいなことも意識しながら、
なるべく多様な場をつくって、参加しやすいものから参加しづらいもの、話しやすいものから話しづらいものとかいろんなものをやりながら、
いろんな角度からいろんな人たちとコミュニケーションしていきたいなというのが思っているところです。
抽象的な話かなと思うんで、具体的なところで言うと何をするのかというので、まず4月から始めたいなと思っているのが、さっきも言いましたけど、一つは減少の晩餐会ですね。
福岡で第1回目も予定していて、すでにお声掛けさせていただいている方もいて、そちらはまず1回目の日程も決まっているので、実施したいと思っています。
1回やってみて、課題も見えてくると思いますんで、4月やったあと6月、そこからは毎月みたいな感じでできればいいかなと思っています。
毎月1回祭みたいなところを目標にしてやっていきたい。福岡だけじゃなくて、東京の開催も考えてますんで、東京の方も夏とかになるのかな、お待ちいただければと思います。
他には、浄水公園ですね。上水公園と書いて浄水公園という企画をやろうと思っています。
これは暖かくて晴れているとき限定なんですが、週1回3時間公園にいます。
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主に天神中央公園がメインとなると思うんですけども、天神中央公園を中心に週1回3時間レジャーシートを敷いてただいようと思います。
1人でいる時間は普通にピクニックワークではないですけども、パソコンを開いて仕事をしたりとか、本を読んだりとか、ボーッとしたりとかしてると思うんですけど、誰かが来たらおしゃべりしたり、
YouTube大学、僕がやってるやめた話を聞かせてくださいというYouTubeチャンネルなんですけども、出たいとかいう方がいらっしゃればやめた話を聞かせてもらったりとか、
とにかく自由な感じで、3時間とにかく公園にレジャーシートを敷いているというのを週1回やろうと思ってますんで、
何でしょうね、別にしゃべらなくてもいいんですけど、一緒に時を過ごすみたいなことをできたらいいかなと思ってますね。
これは週1回、4月からやっていきたいと思います。日程は僕のノートの方で月間スケジュールみたいな感じで告知していこうかなと思ってますんで、ノートをぜひフォローしていただけると嬉しいです。
あともう一個は、15分のべシャーリーという、朝6時10分から6時25分、これからは毎週土曜日かな、毎週土曜日の朝6時10分から6時25分の15分間、
ワンオンワン、もしくは誰かもう1人連れてきてもいいので、3人でZoomでお話をするというやつですね。
こちらは申し込みフォームがありますので、概要欄のほうに貼っておきます。
ぜひ申し込んでいただけたら、クローズドでお話できる機会になるかなと思いますんで、ちょっと朝礼みたいに人に聞かれている場で話すのはちょっとなって思う方は、
よかったら、この15分のべシャーリー、お申し込みいただけたらいいかなと思います。
という感じで、4月から晩餐会、減少の晩餐会、浄水公園、15分のべシャーリーということで、それぞれ場作りを始めていきたいなと思っています。
それらは定例でやれるものなので、まず定例でやれる場みたいなものをある程度作ってからですね、
単発のいろんなイベントみたいなものをまたやっていきたいなと思ってますんで、いろいろ今後活動の幅を場作りという意味で増やしていきたいなと思ってますんで、
期待してお待ちいただけると嬉しいなと思います。
そしてね、いろんな企画にご参加いただけると何より嬉しいです。
コミュニケーションできたらと思ってます。
本日は以上です。
またお会いしましょう。
さよなら。