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2022-01-20 08:29

#428 違いが不快なら黙るほかない

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私たちは、ある一定までは話せば分かるのかもしれない。けれど、ある一定以上はどんどん分からなくなるばかり。ある一定でやめておく術を身につけるか、違うことを楽しむか、それとも黙るか。いずれにしても、あなた次第。


脳内議事録】 noteマガジン、認識の解像度を上げるための思索の旅の記録です。エッセイ、音声、音楽などさまざまな表現方法で頭の中を晒します。サイコパスのラジオ、前シーズン以前のエピソードもすべてここでお聴きいただけます。


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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、違いが不快なら黙るほかない、というお話をさせていただきます。 本題に入る前にお知らせをさせてください。
サイコパスのラジオの過去のシーズンをですね、ノートマガジンの方に移動することに決めました。
今配信しているシーズンと1個前のシーズンまではポッドキャストの方で聞けるんですけども、2個前のシーズンはノートのマガジンに移すという風に今後していこうかなという風に思っています。
なので該当するシーズンとしてはシーズン1ですね。 シーズン1はノートマガジンの方に順次移していって、ポッドキャストの方から削除させていただこうかなと思っています。
理由としてはですね、新しくポッドキャストを聞くときに、僕はやりがちなんですけども、古い回から聞くんですよね。
古い回から聞くと、言ったら今日僕がこれを話せるものと、2シーズン前というと2年前とか1年半前とかになるんですけれども、
1年半前とか2年前に言っていることっていうのは、もうまるで人物が違っているとか主張が変わっている可能性が十分にあるんですね。
人間というのは知識を得たり経験をしたり、価値観が変容していく中で、やっぱり主張も変わってくると。
なので、前言っていることと今言っていることが矛盾したりとか、前言っていることが同じことを言っているんだけども、ちょっと研ぎ澄まされていたり、もしくはちょっと変形したりして主張することがあると。
2年前の発言を今聞いて、上水という人間はこういうことを考えているんだと思われても、それ過去の自分なんで別の人ですという感覚が僕は強いので、
ちょっと古いシーズンというのは基本聞けないものとして、今の自分を聞いていただくという感じにしようかなと思って、過去のシーズンはもうマガジンの方に移そうというふうに決めました。
なるべく新鮮な自分を届けたいというような意味合いもあってですね、そういうノートマガジンの方にサイコパスのラジオというのを作ってですね、古いシーズンのエピソードを移すようにしましたということなので、順次シーズン1のエピソードが消えていきますので、もし無料で聞きたい方がいらっしゃれば、今のうちにシーズン1を聞いていただければと思います。
はい、ちょっとお知らせが長くなりましたけども、本題に入りたいと思います。違いが深いなら黙るほかないというお話なんですけども、一般的なのかちょっと分からないですけども、話し合おうっていう人多いですよね。話し合って分かり合おうとする人多いんですけども、話し合えば話し合うほど分からなくなるよっていうことなんですね。
もちろん話さないよりは話した方が分かることもあるし、話すことで分からなくなることもあるというふうに見えるかもしれないんですけども、僕からすると、話していくとだんだん理解度が上がっていくんだけども、あるラインを越えたあたりから話せば話すほど分からなくなっていくっていう感じで山なりの曲線を描くと思うんですよね。
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たとえば動物好きな人がいて、僕も動物好きなんですよとか言ってね。そしたら、僕猫が好きですねって言ったら、いや私犬ですねとか言われるともう違いますよね。その時点で、あ、動物好きって言っても犬と猫で違うんだね。でも僕犬も好きですよ。私は犬は好きだけど猫は好きじゃないとか言われると、動物好きって言ってたけど動物好きの共通了解が得られなかったねみたいなね。
まあ理解は進みましたよね。彼女は犬が好きだったと。僕は猫も犬も好きで、猫の方が好きだっていう話をしたんだけども、彼女はただ単に犬が好きだっていうことを動物が好きだという言い方をしたんだなということが理解できたと。
ただお互いの共通了解として動物が好きだというのはちょっとなんか、僕の言う動物が好きだはもうちょっと広いけど、彼女の言う動物が好きだは犬が好きってことは動物が好きってことでしょってなっているみたいなすれ違いが起こってくるんですね。
じゃあ別の人と話してですね、僕猫好きなんですよって言ったら相手の人が私も猫が好きですねって言って、まあ共通了解も得られたし、お互い猫が好きってことは理解できた。話を進めていくと、猫のどんなとこ好きですかって言っていくと、私は猫の自由な感じが好きで、僕も猫の自由気ままな感じが好きですね。猫の顔も可愛いよね。顔可愛いですよね。
肉球も可愛くてですね、肉球か僕も可愛いと思います。そうやってね、お互い理解しあえてるなと思うんだけども、そしたらその人が言うわけですね、私は肉球好きすぎてね、肉球を舐めるんですよって。僕からしたらもう意味がわからないですよね。猫の肉球を舐めるってどういうことですかみたいな。
ここで理解しあえてた2人が全く理解不能なものに見えてくるってことなんですよね。猫可愛いと思ってたし、猫好きだと思ってたし、肉球自分も好きだと思ったけど、肉球舐めるのはちょっとわからないなっていう風になってくる。
これがある一定のラインまでは猫好きだな、猫のこういうとこが好きだなって感じで理解とかいうグラフでいうと理解度が上がってくるんだけども、肉球舐めるあたりから理解度がガクンと下がってきて、もうちょっとこの人のこと理解できないなっていう風になってくるということなんです。
ちょっと変な例を出しましたけども、この今の猫の例みたいなことがありとあらゆることに起こってくる。自分の恋愛観を語るにしてもそうだろうし、自分の料理について語る、自分の人生観について語る、ファッションについて語る、何に語ろうとこの曲線っていうのは必ず起こってくると思っていて、
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どっちかっていうと、分かり合うことが目的であればその曲線のマックスきたあたりを見極めてこの辺で止めとこうって止めるっていうテクニックが必要になるだろうし、止めないのであれば結局その山なりの曲線は避けられず、もうマックスいったあたりからあとは下がり続けるしかない、どんどん分かり合えなくなっていくという道をたどるしかないんだけども、
ここから先は今度マインドの問題で、違うということを面白いと思えるから。肉球舐めるってどういうこと面白いねって興味持って、到底理解できない別の文化みたいなものを興味深く好奇心を持って楽しく聴ければいいんだけども、
肉球舐めるとか不愉快な、これは野蛮人だ、こんな人と今会話してる、自分は危険だ、みたいな感じで違うことが不快になる、怖くなる、不安になるみたいな人はですね、やっぱりもうある一定のラインで黙るしかないんだろうなというふうに思うんですよね。
だから話せば話すほど分かり合えるとか話せば話すほど理解できるっていうのは幻であるということをですね、肝に銘じてコミュニケーションした方がいいんじゃないかなというふうに思っています。
ある一定ラインまではやっぱり理解は進むと思いますので、そういう意味ではね、話すこと自体が悪いとは思わないし、最初から黙るのがいいとは思わないんだけども、分かり合おうと思うんだったらやっぱり見極めっていうのがある種の見切りみたいなものがとても重要であるという悲しいお話です。
で、悲しいなと思うのであれば違いを楽しむという方向に意識を持っていくと、違いを不快なものとは思わずに、なんていうかな、面白いなって思って接することができれば、それはまあ確かに寂しいコミュニケーションではなく、話せば話すほど、噛めば噛むほど味が出る鶴目のようなコミュニケーションになっていくというふうに僕は思うわけでございます。
違いが不快なら黙るほかないんだけれども、違いを楽しめればベラベラベラベラ喋って、それが喜び楽しみに繋がるよねという、そんなお話でした。本日は以上です。またお会いしましょう。さようなら。
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