1. 現象のラジオ
  2. #203 35歳になりました
2020-12-03 12:13

#203 35歳になりました

spotify apple_podcasts
12月3日で35歳になりました。/サイコパスのラジオは、サイコパスがサイコパスの視点で語るラジオです。斜め上の視点に触れたり、サイコパスについての理解を深めるきっかけとなることを目的としています。/番組の感想や質問は、ハッシュタグ「#サイコパスのラジオ」をつけて、ぜひTwitterでつぶやいていただけると嬉しいです!今後の番組の参考にさせていただきます。/パーソナリティ:うえみずゆうき https://note.com/y_uemizu/
00:01
みなさんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、35歳になりました、というお話をしたいと思っています。
12月3日ですね、僕誕生日で、35歳になりました。
厳密にはですね、この収録してるのが12月2日の夜なので、まだ誕生日に来てないんですけども、
これが配信されている明日は、誕生日ということでね、35歳になりました、ということなんですけども。
今日はね、以上です。誕生日だよ、という報告でした。
それで終わるのもなんなんで、今日はね、あんまテーマを決めずにというか、だらだらフリートークというか、
ちょっと一人ごと喋ってみたいなと思うんですけども。
そうですね、誕生日、年を取るってことについて、僕自身は結構ね、意識してます。
気持ちが年を取ってどうだなとか、そんなの全くないんですけども、結構せっかくの節目なので意識はしています。
35歳はこんな風にしたいなとか、36歳はこういう風にしたいな、みたいな感じで、
一つの節目としてその1年のテーマみたいなものを、その年のテーマみたいなものを決めてやっていくっていう感じかなと思ってます。
で、たまたまね、自分が12月生まれてるのもあるんで、年間の目標と絡めやすいっていうのもあるんだろうなと。
例えば、6月生まれの人とかって、どこを起点にして1年間って考えるのかって結構むずいなと。
1年の1月1日から12月31日に考えるのか、自分の誕生日を基軸にするのか、
分かんない、別に会社の機みたいな感じで、自分のどこが機種でとか、どこが期末で、みたいな感じで合わせるのかって感じで、
自分個人の機種、期末、みたいなものを決めていくという意味では、僕は割とその誕生日を1つの基準にしていたします。
なので、割とそういう意味で大事にしている日かなと。
あんましその、何だろうね、僕は人に何かをしてもらうことは苦手で、
例えばおめでとうを1つ言われるのもあんまり得意ではなかったりするので、
あとは何でしょうね、身近な人からもプレゼントをもらったりとかね、
そういうのもあんまり嬉しいんだけども、リアクションに困るというか、あんまし苦手です。
何かされるのは苦手かなという感じです。
で、この35歳をどういう年にしていきたいかみたいなのは、
僕はどっちかというと、年末年始にまたここでお話ししたいなと思いますので、
今日はそういうお話はせずに、35年間をずっと振り返ってみると、
とても僕は病弱な感じで、基幹死前足といって小さい頃特有の前足みたいなやつにかかっていたので、
幼少期からかなり入院生活を送りまくって、体が弱かったと。
03:03
高校ぐらいにはほぼほぼ完治したんですけども、それぐらいまでだんだん治っていく過程で、
保育園なんかほとんど休んでて、ほとんど休んでると人間関係が作りにくくてですね、
保育園に行って人と話すようになったなと思ったらまた入院してやってるから、
あの頃ってみんな記憶しないじゃないですか、子どもたちって。
だからちょっと入院して数ヶ月、また戻ってくると全く知らない人みたいになったりって感じで、
知り合ったはずの人がまた添えになっていくっていうのを結構小さい頃から感じていて、
それぐらいいう感覚も僕をサイコパスにさせた一つの要因な気もしているというか、
人は完全じゃないというかね、ちょっとすぐ記憶を忘れちゃえば添えになれるんだなと思ったりすると、
当てにならないなみたいなことをすごく感じていました。
ずっと保育園に馴染めなかったんで、小学校低学年ぐらいまでね、
陰キャの極みじゃないですけど、スクールカースの底辺においてたんですが、
偶然ね、小学校の3年生のクラス外で学年リーダーみたいなカリスマと仲良くなって、
そこから急にスクールカースの頂点にバーンと上がって、
これもまた僕のサイコパスを作っているというか、
あんだけ底辺で虐げられた人間がトップと繋がった瞬間、
ちょっとイケてる集団みたいな、イケてる中の一人みたいになっちゃって、
小学校高学年の頃なんかは自己肯定感の塊というか、調子に乗りまくってましたよね。
という感じで、底辺から頂点までじゃないけど、あくまで小さな社会ですが、
底辺から頂点までみたいな感じで、一つの村というか、一つの集団の中で、
別に自分自身が何か変わったつもりはないけども、
見られ方が変わることによって待遇が変わるということを結構感じてきたなと思います。
中学校に入ると、急に先生が小学校の先生と違って、
急に刑務所の監修みたいな感じで、すごい高圧的な先生方で、
特に自分が所属したサッカー部の先生なんかも最上級みたいな感じで、
いわゆる大罰を受けまくっていたという感じでしたね、小学校のサッカー部は。
そこで結構体育会系みたいなものが大嫌いになって、
大嫌いというか苦手になってですね、
未だに体育会系の人と関わるのは苦手意識があるというか、
あんまり喋りたくないなというか、
喋ってもうまく話せない自分がいるなというふうに思っていますね。
そうこうして、中学校卒業して高校に入るとね、バンド活動をすると。
バンド活動をするとね、当時まだバンドみたいなのがすごくイケてるみたいな時代でもあったし、
モテるんですよね、バンドをしているだけで。
自分がどうかじゃなくて、バンドをしているということでモテるということで、
やっぱりどう見られるかで評価って変わるなということをすごく感じてきました。
06:01
高校時代もイケイケでですね、
TEEN'S MUSIC FESTIVALっていうね、今もう無くなったと思うんですけども、
シーナリンゴとかね、あいことかが確か出てて、
ショートって有名になっていたみたいなのがあるんですが、
僕はですね、その同じ台じゃないけどね、違う台で僕が出場して、
九州大会の4位まで入りましたね、ゼップ福岡というところでライブしてとかって感じで、
結構ホントイケイケで小学校で高校卒業しました。
調子に乗ってですね、このままプロになれるんじゃないかという感じで、
高校卒業後もバンド活動してたんですけども、
まあ、なんだろうな、風当たり強いですね、
フリーターバンドマンになった瞬間、高校生バンドマンと見られ方が違うので、
高校に行った時にですね、人権がないような待遇をされまして、
やっぱり社会的な属性で見られ方が変わると、
この社会は何か歪んでるなということをすごく感じてきたと。
だから僕はね、単純にサイコパスというだけじゃなくて、
やっぱりその社会的な見られ方で、
上にも見られるし下にも見られる経験をどっちもしてきたなと思っていて、
割とね、そういう意味ではあんまりそういう上下でものを見ないというか、
みんな違ってみんないいじゃないけども、
割とね、ある意味で言うと全員自己責任と思ってるんですけども、
どんな待遇というかどんな環境にいても、
その人をリスペクトするというか、その人を尊重するということは比較的得意かなと。
いわゆる差別的な考え方がかなりない、
フラットな多様性の極みみたいなところは、
ここまでの成人するまでの間に培われたのかなと思っています。
で、結局今の自分になってきたのは27歳だと思っていて、
27歳で何があったかというと専門学校に行き始めたんですね。
作業料奉仕という資格を取るために専門学校に行き出したんですけども、
そこで初めて勉強したんですよ、バリバリ。
バリバリ勉強して、社会に出てからの約10年近くの間、
高校卒業から約10年の間、
フリータバンドマンという旅にかなり強いてあげられてきたので、
自己肯定感が下がりまくってたんですけども、
下国上の海水の陣で専門学校で頑張ったので、
学年出席とか100点とか連発しまくってたんですよ。
それで小さな動物園の中ですけども、
100点とか学年とか取ると自己肯定感上がっていて、
やればできるんだなという自信をつけたのが27歳だったかなと思っています。
自信をつけて学ぶことが楽しくなってくると、
めちゃくちゃストイックになってくるというか、
学ぶのが楽しいから学ぶ以外の時間を削減したいと。
遊びとか無駄じゃねみたいな、ちょっと偏った、
逆にエリートみたいになってくると急に。
なんちゃってエリートみたいな感じでめちゃくちゃ勉強しまくってたんですね。
その時に結構友達付き合いとかも変わったというか、
いわゆる仲がいいからいるとか一緒にいるとか、
09:00
この人のこと好きだから一緒にいるみたいな軸から、
一緒にいて意味があるかないかという考え方をし始めたんですね。
そんな考え方をしていくとほとんど意味のある人っていないから、
メリットでメリットと言ってもいいかもしれないですね。
自分にとって有益な情報があるかとか、
自分がその話をしていて何か新しい気づきを得られるような、
議論ができるような相手かとかという感じで、
メリットでメリットで結構人間関係を見るようになってしまっていて、
あんましね、一人でいることが多かったですね。
一人で過ごすことが多かった。
それまでのね、そこがターニングポイントで、
それまでの人生というのはずっと自分は誰かと接して、
誰かの中で適応して生きていかなければいけないという思いが強かったんですけども、
一人っていうのを徹底してみたときに、
いわゆる孤独っていうのを徹底してみたときに、
なんかね、開けたんですよね。
全然、むしろすごく心地いいわと。
これはサイコパスだからとかいう、またサイコパス連発しますけど、
結局そういうこともあるんだろうけど、
とても心地よかったんですよ、一人っていうのは。
で、一人になって時間もできて、好きなことができるようになってくると、
今度隙間がいっぱいあるわけじゃないですか。
だから勿論学びにほとんど当てるんだけども、
この人と会いたいなとか、この人とは議論したいなとかっていう、
いわゆるどうしてもそういう人ってポツポツといるわけですよ、
すごく少ないんだけども、いるわけですよ。
そういう人と出会ったときに、いわゆる隙間がいっぱいある、
僕は予定がガラゲだから、
そういう人ともタイミング逃さずに関わることができたかなと思っていて、
やっぱり一回一人になったことによって、
人間関係がある意味一旦リセットされて、
そこで本当に付き合いたい人とだけ付き合うっていう感じで、
今の生活は、それからだから5,6年経つんで、
今の生活は本当に関わりたくない人とは関わっていないというか、
仕事で一部関わらざるを得ないみたいなことはあるのかもしれないんですけども、
プライベートとか、
今身の回りにある人間関係はすごく素晴らしい人に恵まれているなと思っています。
なので、27歳以降というのは、
僕はですね、よく言っているんですけども、
年々ね、年々人生が良くなっているなという感じがしています。
年々人生が良くなっている。
それは、やっぱり一人にね、
おかしいと思うことについては、
ていうか自分が違和感を感じることについては、
ひたすら考えてきたということなんですね。
ひたすら考え続けてきた結果が今があるということで、
その考えていく最初の頃は悶々とするし、
苦しいしっていう時期は続いたんですけども、
なんかあるラインから、そもそも27歳くらいから、
どんどん苦労自化するじゃないけども、
プラスになっていって、
プラスになってくるとですね、どんどんプラスになる一方で、
人生ね、どんどんどんどん良くなっているかなという風に思いますので、
皆さんもね、皆さんもってちょっとおかしいけども、
考えてね、考え続けるということは、
僕の中でとても大事にしていることでございます。
35歳になりましたんで、
なりましたんでって違うね、
なったけども、変わらずね、
このポッドキャストとか、
脳内議事録というエッセイをね、
35歳も毎日書いていけたらいいかなという風に思っていますので、
ぜひ、僕のこと嫌いじゃない方はですね、
また1年間応援していただけると嬉しいなという風に思います。
12:02
35歳になりました。
さよなら。またお会いしましょう。
12:13

コメント

スクロール