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2021-01-04 11:44

#235 家庭とシステム

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家庭にシステムは必要なのか?必要だとしたらどのレベルの抽象度で設計するのか?そこに、どのレベルの責任を求めるのか?勝ち負けのない関係性の中で、ゴールのない関係性の中で、私たちはどれぐらいのシステムを必要としているのか?こんなことも「面倒だ」と考えたくなくなる人間は、家庭にシステムを持ち込むべきではないだろう。そんなシステムはどうせ機能しないから、つくるだけ時間の無駄だ。/サイコパスのラジオは、サイコパスがサイコパスの視点で語るラジオです。斜め上の視点に触れたり、サイコパスについての理解を深めるきっかけとなることを目的としています。/パーソナリティ:うえみずゆうき /【脳内議事録】というマガジンをやっています。https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5 【脳内議事録について】「本音は傷つく、高くつく。」毎日更新のエッセイ。認識の解像度を上げるための思索の旅の記録です。うえみずゆうきの考えたことのすべてがここにあります。ご自身の考えと対比させながら、人生観を磨き上げていくきっかけの1つにしていただければ幸いです。マガジン購読者限定の特典として「サイコパスの裏ラジオ(音声)」を毎月プレゼント。ぜひ購読ください!

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みなさんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、家庭とシステムという話をしたいと思っています。
家庭生活って、結構その会社とかと違ってですね、別にプロジェクトでもなんでもなかったりするじゃないですか。
まあそういう意味ではね、だってね、好き同士がこうなんか一緒に暮らしたいわねって暮らしてるわけじゃないですか。
まあそうじゃないパターンもあるでしょうけど、まあどっちにしてもね、その暮らすということ自体は別になんか、そんなにプロジェクトでもなんでもないと思うんですよね。
まあ昔なんだろうな、本当に生きていくのも難しい時代とかだったら、もしかすると生きるっていうことがプロジェクトになってたのかもしれないんですけども、
このご時世になってくるとね、まあ生活方法とかもあるし、正しくね、そういったものの情報があれば、まずその生きていくってことはできるような最低限、そういった環境にはあると思うんですよね。
そう考えると、家庭っていうのはどうしてもね、目標みたいなのを定めにくい部分があって、
別に目標向かっていくプロセスでもなんでもなく、生きている以上みたいな状態になっちゃうので、結構ね、不具合が起こっている家庭も多いのかなと思うんですよね。
実際、陸日とかも高いじゃないですか。あれって、なんだろうね、突き詰めると一緒に暮らす必要があるっけとかいうことなんだと思うんですけども、
やっぱり、何らかのビジョンに向かってとか、何らかのシステムの中で収まっている共同体としてとかっていう、何か共通点がないと、確かに最終的にはね、一緒にいる意味ってあるっけみたいな話になるんだろうなというふうに思ったりするわけですね。
で、結構あるあるなんですけども、結構些細なことがすれ違いになるみたいなのは、結構ね、夫婦とかっていうのはあるのかなと思ってて、僕の友人でもですね、なんだろう、この間聞いたのは、
テレビが好きで仕方がない夫と、テレビが大っ嫌いな妻がいるということで、そういう夫婦のお話なんですが、夫からするとね、テレビが好きでしょうがないから、四六時中テレビをつけていたいと、大画面でね、リビングのテレビをつけて生活したい。
でも妻はね、テレビ大っ嫌いだから、音を聞こえるのもあれだし、何なら音がなくてもテレビの点滅、光がチラチラするのも嫌だということで、いわゆるテレビがついていれば妻は不機嫌だし、テレビを消せば夫が不機嫌みたいな状態になるわけですよね。
で、じゃあ部屋にこもってテレビ見ればいいじゃないっていう簡単な解決策もあるんですが、そうするとテレビ大好きすぎるから引きこもりみたいになりますよね。じゃあ引きこもりなんだったら一緒に暮らす必要あるっけなみたいな、一般的に引きこもり過程のテレビのドキュメンタリーとか見てると、部屋の前にご飯用意しておいてみたいなのがあるじゃないですか、あんな状態になっちゃいますよね。
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なので部屋にこもってテレビ見てもらうのもちょっと問題が起こるよということで、それはないと。
じゃあリビングで100歩ずつ見ていいけど、じゃあヘッドフォンつけて無音で見てくれってお願いするとするじゃないですか、そしたら確かに夫の部分は解決されるし、妻も光の方を見なければ音もない、光もないからもういいでしょってことで、中間で音ってそうすればいいんじゃないかってのもあると思うんですが、そうすると今度夫からしてみるとね、ヘッドフォンつけて見るもんじゃないと。
いわゆる寝転がってお菓子食べたり、おもむろに冷蔵庫に飲み物取りに行ったりとか、トイレに行ったりとかっていう感じで、そういう身体的にもダラダラしたい。そこまで含めてテレビなんだっていう、テレビの画面から映像とか情報とかが飛び出してくるよっていう機能の話じゃなくて体験価値の話まで言及し始めると、テレビという体験は結局ヘッドフォンじゃダメなんだということが起こるわけですね。
そうなってくると二人の理解って完全にすれ違っていると。僕から言わせれば一緒進めないねって話なんだけど、でも一緒にいるみたいな、よくわからない状態になっている家庭って意外と多いなと思うんですよね。
そんな中で思うのは、テレビについて何かルールを作るとか、家庭のルールを作っていくみたいなことっていうのは、そういうルールとか家庭のいろんな決まり事みたいな、ルールよりも上位の決まり事みたいなのもあったりすると思うんですけど、そういうのを総称して今回はシステムという呼び方をしています。
特に子育てとかしている方っていうのは、僕子育てしてないからちょっとわからないんですけど、子育てしている方なんかっていうのは、どうしても子育てが夫と妻だけだったら何とでもなったことが、子供を放置できないわけだから、急にプロジェクト感が出てくると。
プロジェクト感が出てくると役割分担が起こったりとか、こういう時にはこうしようみたいな対策を考えたりとかっていう感じで、結局システムみたいなものを家庭に導入しないといけなくなってくるんですよね。
全くシステムがいらない状態に、全くではないけども、限りなく少ないシステムの状態っていうのは何かっていうと、どっちかが働いてどっちかが全部子供のことをやるみたいになってくると、システムはいらないですよね。子供のことはあなた、仕事のことは私、お金のことは私、子供の家族の健康とかそういうことはあなたみたいな感じで、
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人で完全にスパッと分かれてたりとか、別会社みたいになっちゃうと、逆に責任の所在がはっきりしてるからいいんだろうけど、今の家ってそういうことではないと思うから、結構一緒にやりましょうっていうスタンスの時代になってきてると思うので、
かなり家庭の中にどうシステムを構築するのかみたいなことがすごく課題になっているんじゃないかなっていうのが僕の思っているところですね。実際、会社とか入ると入り方がいろいろありますけどね、例えば正社員とかで入るとやっぱその労働基準法とかいろいろあるじゃないですか、
結婚した時に家庭にどんなシステムがあるのって考えたら、大したシステムないんですよね。離婚自由になる5つの項目、配偶者に不定な行為があった時、配偶者から悪意で行き去された時、配偶者の生死が3年以上明らかでない時、配偶者が強度の精神病にかかり回復の見込みがない時、その他婚姻を継続し難い重大な自由がある時、結構究極の5つみたいな状態になってるんで、
テレビの騒音がうるさい時が、こういう継続し難い重要な自由になるかどうかっていうと結構難しいじゃないですか。皿の洗い方が気に食わないっていうのが継続し難い重大な自由になるのかっていうと難しいんですよ。
そう考えるとね、家庭っていうのはほぼほぼシステムがない状態。どうしようもない時に一応法律があるけども、どうしようもないっていう本当にどうしようもないみたいなやつ以外は結構自分たちで解決してくださいっていう状態になってるんですよね。
てなると、僕が主に、結婚してる人はもう遅いのかもしれないんですけども、やっぱり一緒に意味を作れる関係かどうかっていうことはすごく大事で、話し合ってね、例えばテレビの例でいくとお互いテレビを全く違う見方をしてるわけだから、その二人が個人としてはそれでいいんだけども、夫婦として家庭としてそれでいいのかっていう議論ができないと、
結局ね、我慢大会みたいな生活になっちゃうと。我慢大会するために結婚したんだっけみたいなことになってる夫婦って意外と多いんじゃないかなと思うので、そういう不具合についてはやっぱり話し合う。話し合うこと自体が意味があるんじゃなくて、話し合ってね、ちゃんと納得のいく、二人が納得のいく、全員が納得のいく答えが出せるか合意形成ができるかっていうそういう力っていうのがね、すごく重要だなと思いますね。
それはやっぱり片方じゃできない。一緒にお互い歩み寄ってお互い頑張って自分の何が引っかかってるのかってことを言語化したっていうことをお互いに言われる関係じゃないとそれは作っていけないので、家庭の中にシステム作るっていうのは会社みたいに例えば何だろうな、権限がはっきりしてるものと違うじゃないですか。やっぱりお互いね、半々権利持ってますじゃないけども、強い弱いっていうのが段々できてきて、尻に敷かれてる旦那みたいなのをよく見ますけども、
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本質的にはないじゃないですか、上下関係というのは。だからルールを作るとかシステムを作るときに、完全に民主主義的に決めていかなければいけない状況っていうのはね、めちゃくちゃハードモードなんじゃないかなと思いますね。
実際離婚も何ですか、ほぼほぼ半分くらいでしょ、多分半分くらいの人が離婚してるっていう、デート見ないとわかんないですけども結構な人は離婚してたりすると思うんで、やっぱり家庭っていうのは相当人間としてというか、鍛えられる共同体としての場みたいなのはあるのかなと思ったりするところですね。
僕の感覚からいくと、なるべくシステムというかルールが少ない方がいいっていうのが僕の考え方で、ルールでガチガチにしてしまったときに、生活を維持するためのチームでしたっけみたいな、そういうちょっとつまんないものになっちゃうので、もっと動物的にというか自然体でいられるみたいなところでいくと、システムというのは限りなく少ない。
自然体でいくて回る家庭ってのは何なのか、みたいなことが実はいいんじゃないかなと思ってるし、それは子育てをする人なんかからすると切れ事だってことになるんだろうけども、理想としてはそうだよねというお話でした。
だから家庭の中にシステムを作るっていうことは、片方が一方的に押し付けるルールとかありますよね。ゴミ捨ては当番制でこうでこうでって、一見合意形成したようで相手は全く納得してなかったりするから、全然その当番の日にゴミ出さないとかありますよね。
だからちゃんと合意形成するっていうことがいかに大事で、いかにそれを私たち日本人がね、10代の頃学生時代にやってないかってことなんですよね。
いきなり結婚していきなり合意形成しようってことはむずいので、結構ね、結婚ってこれからの時代ね、結婚生活って結構ね、大変だなってやっぱり思いますね。
そこでいきなりコミュニケーション、密なコミュニケーションをとって合意形成していく必要があるってことだから、結構ね、結婚っていうのはコミュニケーションを訓練するすごい場である、すごい共同体であるということをですね、肝に銘じてこれから結婚される方はですね、してみるといいんじゃないでしょうかというお話でございました。
本日は以上でございます。またお会いしましょう。さよなら。
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