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2021-05-08 07:38

#358 私にとってそれは正しい

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互いに面白がりたいならば、私の正しさを相手に理解してもらう以前に、相手の正しさを私が理解しようとしなければならない。今から、私から始めるのだ。相手の正しさを、きちんとグローブに受け止めよう。/シソフレ(思想フレンド)募集中!【秘密結社S.A.B】の活動はこちら https://bit.ly/2P3pujF /うえみずゆうきの活動を応援していただける方は、ぜひnoteマガジン【脳内議事録】をご購読いただけると嬉しいです! https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、私にとってそれは正しい、という話をしたいと思っています。
僕はですね、朝食を食べません。 毎日ですね、朝と夜に1時間ずつぐらいはですね、半身浴をします。
コーヒーを飲みたいだけ飲みます。 スマホはですね、もうほんとめちゃくちゃ小さいスマホを使っていて
自分でも使いづらいなぁと思いつつ、それをあえて使っています。 ファッションのこととか考えたくないから、もうサムウェイを着て、頭は坊主に借り上げています。
これらは私にとって全部正しいと。 全部正しい。
でも一方で、その一部、もしくは大部分、全てっていうのは、誰かにとって、そして皆さんにとっては
おかしいでしょと、いうこともあるかもしれない。 例えば朝食を食べない、わかります、自分も食べませんって人は結構な数いるかもしれないけども
ファッション気にしたくないから、もうサムウェイ、いいよね、サムウェイだよねって共感した人っていうのがどれぐらいいるのか。
コーヒーを飲みたいだけ飲む、飲みたいだけとかやめた方がいいでしょって思う人もいるだろうし、自分も飲みたいだけ飲んじゃうんですよねって言う人もいるかもしれない。
こんなものはね、僕にとって正しいだけで、誰かにとっては正しくない、むしろ間違っている
っていうことなんですよね。 一方で休日を言えば何か特別なことをしたいなぁとか
やっぱりブランドもののアイテムが欲しいなぁとか スマホは最新のものに限るよねとか
35年ローンを組んで家を買いたいなぁとか 僕からすると全部間違ってるんですよね
全部間違ってる。 今こうやって全部間違ってるっていうことによって、もし
休日は特別なことをしたいとか 35年ローンを組んで家を買った方とか聞いてたらすごく嫌な気持ちになったと思うんですよね
なぜならそれはそういう人にとって正しいのであって、僕からしたら間違っているという、ただそれだけのことなのに
僕にとってそれは間違っているっていう、ただの僕にとっての話をしてるんだけども あなたは間違っているって言っているように聞こえてしまうことがある
というふうに思うんですね それは意識的に僕にとってはこれが正しくてって言っていても
僕にとってとしか言ってないにも関わらず あなたたちみんな間違ってますよって言っているように受け取ってしまう人もいるし
もっと言うと、僕はないんですけども 自分が思っていることを無意識で正しいと思ってそれがそうじゃない人間間違って
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るって思っている人が一定数いるなぁって思うんですよね 例えば昨日聞いた話でこれは差別主義者だなぁと思ったんですけども
ムツゴローとかを食べる人っていうのはもう癒しい人だって言ってた人がいて 全くムツゴローを食べるという食文化と癒しいということは因果関係が
ないというか ムツゴローを食べるということは私にとってそれはとても嫌なことだ 難しいことだ
とても食べるものだと思えないっていうことはいいと思うんですけども それを食べている人を野蛮人だとか癒しい人だとかって言ってしまうのは
自分のそのムツゴローを食べないということが 正しくてそうでない人は間違っているという善と悪をですね決めつける姿勢だと思うん
ですよね これが
ほとんどの争いを生んでいるというふうに思うしそうですね 感覚をまず身につけていかなければいけないそれは自分の発言レベルでもそうだし
受け取るレベルでもそうだと思うんですね さっき言ったみたいに僕が僕にとって正しいこと言っているだけなのに
しかもそれはちゃんと僕にとってっていう言語化した上で言っていることでさえも なんか否定されたとか思っちゃう人がいると
そんなことを言い出したら 坊主を否定されたりサムエを否定されたりコーヒーを飲みすぎることを否定されたり
朝食食べないことを否定されたって思うことは簡単にできるんですよね できるんだけども別に否定されたと思うことはできるというか実際否定されてる
こともされる場面とかもよくあるんですけどもそれは なんだろうその人にとって正しいことを言っているんだなって受け取ればいいだけなの
ね 否定された自分はなんか悪だと言われてしまったってことに怒る必要もないというか
ああなるほどこの人にとってはそれが正しいんだなと受け取れば このように
まあそうそう怒ることなんてないんじゃないかなとか 思ったりしてしまうんですよね
じゃあ 違う人同士っていうのはコミュニケーションできないのかって言うと
決してそんなことはないと思うんですよね 朝食食べないのが
正義だっていう玉をしっかりとグローブでキャッチすればいい それは共感する必要もないし自分は朝食食べるんだでいいんだけども
朝食食べないんだよねって玉を受け止めずに朝食は食べるべきでしょって玉を投げ返す人がいると
これがねやっぱり 違う者同士まあっていうか全ての人は違うんだけども
その違う者同士がコミュニケーションする上での一番の課題だなと思うんですね 言葉のキャッチボールとかって言いますけども
言葉のキャッチボールが できてないって思うんですね
まあ自分は朝食を食べるんだよねって玉が飛んできたら僕はそっちキャッチしますよ この人は
朝食を食べることを大切にしているんだなっていう玉をちゃんと受け止める その上で僕は朝食食べないんですよねこういう理由でっていう玉を投げる
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っていう感じでお互い自分にとっての正しさを自分にとってはこれは正しいんだよね 自分にとってはこれは正しいんだよねっていうのをちゃんとグローブにね
玉を収めながらキャッチボールすれば 違うっていうことはそんなに危険なことではないんですよね
息合戦のようにね もう自分の正しさばっかり投げ続けてる人 相手の正しさを全部避けるみたいなね
そういうコミュニケーションが 結構多くて
嫌になりますよね 全ては
私にとってそれは正しい でもあなたにとってそれは間違っている
あなたにとってそれは正しい でも私にとってそれは間違っているという中に生きているんだという感覚
まずこの感覚を身につけるというか それを身につけなければ
大抵のコミュニケーションはうまくいかないんじゃないか 大抵のコミュニケーションは我慢大会みたいなもしくは
息合戦のように相手を倒す 相手をやっつけるためのものになってしまうんじゃないかなというふうに思います
今一度ですね自分の正しさみたいなものを見つめ直してみて それが
自分にとってただ正しいだけであるということですね 再認識する そういう時間をとってみるというのはとても大事なことかなというふうに思います
本日は以上です またお会いしましょう さよなら
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