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2023-01-21 12:35

#501 生きづらさについて

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生きづらさ、どこまで行っても相対的に見えるけど構造的にどうしようもないことだってあるよね。


▼上水優輝

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みなさんこんばんは、上水優輝でございます。サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、生きづらさについてお話ししたいなと思っています。
先日、僕が別でやっているポッドキャスト、「ゆるい言語活動をすすめ!」という番組にですね、
ゲストにお越しいただいて、生きづらさをテーマに語りました。
そのゲストの方のですね、生きづらさみたいなものを聞いて、
生きづらいだろうなぁ、みたいなことを感じながらも、 自分の生きづらさみたいなものもちょっと考えてみたという感じですね。
なので改めて、 今日は生きづらさ
みたいなものを考えてみたいなぁと思っています。 そのゲストの方の生きづらさ、
例えば、 聴覚過敏みたいなものがあって、
うるさい場所に行くとパニックになってしまうとか、 あとはカフェとかですね、ちょっとした場所で周りの声が全部聞こえてくるみたいな感じで、
まあとてもじゃないけど、いられたものでないと。 なのでノイズキャンセリングのイヤホンが必須であるみたいなね、
ことであるとか、 人の話を主者選択できなくて、全部真剣に聞いちゃって疲れるとか、
ものすごく体力がないから外を歩くだけで大変なんだ、みたいな話とかですね。 またちょっとHSPの傾向があるみたいなところで、
かなりセンシティブに反応しちゃう、みたいなことであるとか。
まあ、なんだろうな、行きづらさってどこまで言っても主観的なものだと思うんですけども、
話聞いててもね、 行きづらそうだなというふうに
思いました。同時に僕はその方の対局にあるなと思って、 全然センシティブじゃないし、
体力は別にないわけでもないし、人の話を主者選択しまくってるし、みたいな感じで、ある種の対局にいるんだけど、
じゃあ行きづらいの対局に行きやすさがあるかっていうと、 そんなことはないなぁと思ったって感じですね。
行きづらさの反対には、また別の行きづらさみたいなものがあるなと思っています。 僕の
行きづらさって言うとちょっと大げさですけども、なんかこう 障害になるというか、
たまに困ることがある、みたいなので言うと3つぐらいあって、 一つが
僕はその嗅覚、鼻がですね、ほとんど死んでるんですね。 なので
食事とか香りとか、あんまり楽しめないんです。 本当に食に興味がなくて、味覚だけで味わってるから、ただ味が濃いければ
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なんかいいみたいになっちゃって、味音痴というか、なんていうのかな、 その
全然料理に興味持てないんですよね。 なんかその食事って、
人によっては毎日3回とか、少なくとも2回とか食べると思うんですけど、 それを楽しめない、みたいなものっていうのは
結構ね、 なんて言うんですか、人によっては
こう、行きづらいんじゃないかな、僕はもうずっと鼻が悪いから、 その食べれない、食べれないじゃないな、あの香りが分からないことに対する
行きづらさ、みたいなもの、要は香りが、なんだろうな、 嗅ぎ分けれた時代みたいのがないので、そのギャップとかもないから、ずっと生まれてこの方ずっとそんな感じだから
そこに行きづらさみたいな感じじゃないんですけども、 香りを楽しんでいる人とか、料理を楽しんでいる人を見ると相対的に見てですね
人生の楽しみを失っているなぁと思ったりはしますね。 2つ目が身長ですね。
僕身長186センチあるんですけども、 身長高いって結構高くていいね、みたいな
風に言われることが多くて 何て言うのかなぁ
確かに
それによる良さみたいなのもあるんですが 一般的にね、その
想像されるような身長が高いメリットみたいなのもあるんですが 一方で高い人にしか分からないことみたいなのはやっぱりあって
いろんなものが低いから、その186センチ用にいろんなものが作られてないから 姿勢的に結構しんどいみたいなので、結構猫背になりがちみたいなのってありますね。
身長高い猫背の人とか多いと思うんですけど、あれっていうのは多分ね、自分の 高さにいろんなものが合ってないから
姿勢悪くなるみたいなのがあるなぁと思うし、その姿勢が悪くなることによって肩こりとか腰痛とか激しくなりがちだなぁと思うし
あと ザ・日本みたいな作りのものだと結構頭を打ったりとか
するんですよね だから
まあ生きづらさということではないけども生活に支障が出るみたいなことは なんだかんだよくあるなぁと思いますね
3つ目 なんですけど
共感性が低いみたいなやつですね 情動的に共感するみたいなことはとても僕は苦手で
認知的にはその理解ができる、認知的な共感はできるので、今その目の前の相手が何を悲しんでいるか苦しんでいるか
喜んでいるかみたいなことは読み取れはするんですけれども 目の前で悲しんでいる人がいた時に
自分はあんまり一緒に悲しくなったりしないし 喜んでいる人を見た時に自分も喜べたりしないっていうか
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喜ばしいことだなというふうに思うことができるんだけど、理解することができるんだけど
気持ちまで嬉しくなるかというとそんなことがないみたいなところで これは割かしですね
行きづらいポイント高いなと思いますね 良い面を見ると確かに悲しいとか苦しいみたいなものを目の当たりにして自分が
苦しくならないし悲しくならないっていうのはその負のメッセージみたいなものを受け取りにくいってことで
行きやすくも見えなくはないんですが 確かにそれはそうなんだが一方でそれを人手なしとかね
いうふうに見られたりするっていうので ただただその感情が伝播しないだけなんだが人に興味がない
無関心で冷酷な人だと見なされたりもするし まあ実際見なされるというかそのように感じられるということはそうなんだろうし
かたや喜んでいる人がいた時に喜びを分かち合いたいんだが あんまり自分は喜べないというか喜べない違うな
認知的には喜んでるんだけど感情的に一緒に嬉しくなったりしないみたいなことが起こって
それも結局相手のことに興味がないからだとかいうふうに見なされてしまう これはね
割と行きづらいなぁと僕の中では思ったりしますね それに通ずるんですけども多分目の前の何か物事に入り込むとか
感情引入ですねまさに入り込むときには感情引入するんだと思うんですよ人間というのは 感情引入しづらいので
状況にかなり入り込みづらいと だから映画を見たりとかしてもあんまり入り込めないし
人と会話をしていてもよほどその なんだろうなぁ
よほど自分の関心とか自分の感覚とリンクしないと入り込めない あんまりその人の感覚みたいなもので一緒に感情が伝播してその感情に入り込めると
できないので自分の感情に直に刺さるものじゃないと入り込めないという意味でめちゃくちゃこう ずっと引いてるみたいなね
感覚はありますね これは割と行きづらいなぁと思っています
そんな感じですね 僕はその鼻が効かないこととか
身長が高いはそこまで行きづらく最近はねもうなんていうの大人になったんで 別に
頭打たないところを進めばいいし環境をそのように整えればいいから 身長の部分はだいぶ解決されますがやっぱり共感性の部分とか鼻の部分
嗅覚の部分というのは あるからず
考えてみると行きづらいなぁと思ったりしますね で
ただ考えてみると行きづらいんですけど日頃から行きづらいなぁと思ってるかというとそんな ことないと
つまりやっぱりその行きづらさみたいなものは 時と場合によると思うのでさっきも言いましたけど
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悲しいみたいなことが映ってこないってことは自分は別に その負のエネルギーを受け取りにくいという意味ではある種の生きやすさがあるわけだし
一方で 喜びみたいなものが分かっちゃいないと喜べるポイントで自分の喜びがプラスの感情みたいなものも
早期されないみたいなのはなんというか
なんて言うんですかね まあ行きづらいのかなと思ったりするし
一長一短だなぁと思いますね でそれが一長一短でない場合みたいなのがこうもっと構造に埋め込まれたもの
例えば ものすごい都心部に住んでいて
さっき言ったように聴覚過敏みたいなのがあったら人がうじゃうじゃいるいるもううるさい のに耳がもう過敏で行きずそれも行きづらいよねって感じですよね
だからうるさくない場所でしか暮らせないみたいな感じでかなり制限が加わるというのは まあ大変ですよねっていうことですよね
その時にねやっぱり行きづらくない環境を選ぶみたいな 選択肢があるとか行動できるみたいなことがまあその行きづらさを解消し得る
まあ方法だなぁと思うんですけど一方でその行きづらさを回避するという選択をするためには それを選べるだけの行動力とかその意思を持つとか
その行動する勇気を持つとか 取捨選択するだけのその知能を持ったか
もしくはそれを選ぶための経済的なものとか 社会的なものとか文化的なものを持ってないとそれができなかったりするんで
やっぱり構造的に 埋め込まれた行きづらさみたいな
避けられないある種避けられない行きづらさみたいなものは 人それぞれ
あるというか 度合いが結構違うんだろうなぁというふうに思ってね たまたま今の時代が行きやすいとか今いる環境が行きやすいとか
与えられている所条件が行きやすい人 相対的に見てね行きやすい人と相対的に見て行きづらい人が
どうやらいそうだなっていうことを まあ
最近はこうねそのお話を通じて 思っていますね
幸い僕の行きづらさみたいなものは なんだろうなぁ 確かに食の部分とかはどうしてもないんですけども
ある程度ですね その中でもじゃあ楽しめる食べ物を自分なりに楽しむとか
別にそこを重視しないであるとか 共感性にしてもそういう共感的な
冗談的な共感性が求められる強く求められる仕事をしないとか そういう極端なに近い距離間で人と接しないとか
いろいろ工夫をすることでですね まあそこまで行きづらいとまで行かないようなバランスは保っているなと思うので
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まあ調整が効く人はね ある程度調整しながら生きていけばいいんじゃないかなというふうに思ったりはします
がなかなかそうもいかない人もいるんだなということですね 改めて思った
今日この頃でございます特にあの 救いようない話でしたけども
こんなところですかね本日は以上ですまたお会いしましょう さよなら
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