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2021-01-02 11:56

#233 少なからずきっと誰かに影響していたいんだろう

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小さい頃、川辺で水面に向かって石を投げ、波紋を広げるという遊びをやっていた。石が水面を跳ね、波紋がいくつ連鎖するか。そんなことで興奮した。波紋がまったく広がらないとつまらなく感じる。こんなの一体何が楽しいんだと冷めてしまう。そういう感覚は、大人になった今でも変わらない。少なからずきっと、誰かに影響していたいんだろう。

/サイコパスのラジオは、サイコパスがサイコパスの視点で語るラジオです。斜め上の視点に触れたり、サイコパスについての理解を深めるきっかけとなることを目的としています。/パーソナリティ:うえみずゆうき /

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みなさんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、少なからずきっと誰かに影響していたいんだろう、というお話をしたいと思っています。
小さい頃ですね、川で、なんていうんですか、水面に向かって、石を投げる、横向きに投げて、
ぴょんぴょんぴょんって石が跳ねていく、そういう水面を。で、波紋が広がるみたいな。
伝わりますかね。そういう遊びをね、田舎だったからなのか知らないですけど、やってましたね。川に石を投げるみたいな。
で、いくつ波紋ができるか、4連鎖したね、5連鎖したよ、すごいよね、みたいな、そういうことで盛り上がってたんですけども、
あれって、1回投げてポチャンってなっちゃうと、つまらないですよね。
波紋が広がらないと、つまらないと。そういう感覚っていうのはね、今のこのデジタルの、デジタルじゃなくてもアナログでもそうなのかもしれないですけども、
特にデジタルのね、今のこの世の中、その感覚っていうのが結構あるなぁと思ってるんですね。
で、まあその石を投げたという、自分の一つのアクションが、その水面で波紋が起こっていくと。
いわゆる自分のアクションと、そしてその波紋が起こっていく、その結果とっていう、それをね、ある種自分の影響力と見たときに、
そもそもそれをしたい動機というかね、影響したい、波紋広げたいっていう感覚の底に何があるのかなと思ったら、
大体3つかなと思ってますね。1つは、実際自分は子供の頃みたいに、ただ、なんかわかんないけど、ただ連鎖したい。
4連鎖いったから5連鎖させたいみたいな、単純な好奇心というか、なんかよくわからないけど、もうそれ自体をやりたいっていう感覚ですよね。
楽しいみたいな。で、次に証人欲求ですね。5連鎖できたぜみたいな、そういうドヤりたいみたいな、認められたいみたいな気持ち、証人欲求ですね。
3つ目は、なんか社会課題みたいなものを別に自分がね、感じていて、それが広く社会に伝わって欲しいから5連鎖させたい、6連鎖させたいっていうことで、連鎖することがいわゆるその
社会課題の認知とか、共有、そして解決に向かっていくための土台として必要だから、その影響力が必要なんだ、みたいなことで、ある種その波紋をね、
影響力と捉えた時に、それをなぜその影響力を持ちたいのか、みたいな動機がね、単純に楽しいとか、証人欲求とか、課題意識の共有とかね、
そういうところにあるのかなと思っています。で、その3つね、一見なんか、これはしょぼくて、これは崇高でって見えてしまうかもしれないんですけども、
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優劣はないですね。どれも結局、ただ波紋を起こしたいという、動機はね、さておきね、その動機はさておき、波紋を起こしたいっていうことは、
どんな動機であっても、結局はその個人のね、好みの問題というか、
もっと言うと、個人の偏見の問題なので、優劣はそこにはないですね。なぜなら、
全部ね、自己満足ですよね。その波紋が起こったらいいなということで満足する自分の話だったりするので、何が動機だろうと、
所詮、所詮とか言っちゃいけないね。自己満足なので、優劣はありませんと。自己満足で波紋を起こしているということになるんじゃないかなと思います。
で、デジタルでその、何だろうね、そのデータが残るっていうところがね、やっぱね、
またこの、川に石を投げて波紋を起こす時と違うのは、やっぱデータが残っていくってことなんですよね。
川に石投げて、100回投げたとして、100回分のデータって取ってないですよね。でも、自分が例えばツイッターでなんかつぶやいたら、アナリティクス見ればね、
どのツイートが一番インプレッションがあってとか、で、どうだったらこうだったらみたいな、フォロワーが今月何人増えて、
先月と比べて何パーセント多いですよみたいなことは、勝手に分析、別に見なければ別に分析できないっていうか、することもないんだけども、見ればね、
そうやって自分の履歴が見れてしまう、データが見れてしまうという世の中で、こうなってくると何が起こるかっていうと、
データを見ない人ね、まず。見ないでずっとそのただただ石を投げる人。で、もう一人はそのデータを見て、こういうのがニーズがあるのかとか、こういうのはニーズがないんだなとか、
こういうのはちょっとこういう結果が起こるんだなってことをデータから学んで、どんどん改善していく人っていうね、2種類に分かれると思うんですよね。
で、後者はどんどんPDCAが回っていくから、例えば石を投げる、水面に石を投げるという意味では、どんどんフォームが改善されたりとか、選ぶ石が改善されて、
5連鎖だったのか6連鎖7連鎖みたいなのが起こっちゃうみたいな感じで、すごいね、クオリティが上がっていくと。
で、一方ただ石を投げている人っていうのはずっとね、1連鎖2連鎖だった、次全然ダメだったみたいな感じで、
改善されない、なんかただのランダムでね、そのやるくじ引きみたいな感じでやっちゃってる人がいると、ここの差ってでかくて、
さっきのね、そのデータを見て改善を加えている人っていうのはやっぱりどんどんね、プロみたいになっていくんで、
じゃあ例えばツイッターに例えるならば、プロみたいな人のツイッターでやっぱ集中してますよね人がね。
で、プロじゃない人のツイッター、ザ素人みたいなツイッターっていうのは、僕もそっちに入るんですけども、
完全に埋もれちゃいますよね、プロみたいな人のツイートに比べて。
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で、そうなるとだんだん、いわゆるツイッターのプロに人が群がり、アマチュアには人が全くいないみたいな状態で、
だんだんね、こう観客と演者みたいな関係になってくると、プロがやってるのを演者が、演者がやってるのを観客が見るみたいな構造になってしまってるなということで、
まあね、なんだろう、みんなそれぞれ楽しめばいいのに、なんかね首都中じゃないですけども、
そういう関係になってしまってて面白いなぁと思うんですよね。
でまあ、これって僕はまやかしだと思っていて、デジタルってデータが蓄積されていくから、すごい分かりやすいところでいくと、
フォローとかね、フォロワーとかね、そういう数字ってわかるし、何リツイートされたかとかわかるわけじゃないですか、そうやって数字で残ることによって、
あたかもね、揺るがない何かがあってすごいみたいに思われがちなんだけども、
実はね、水面に石投げるのと変わらないんですよね。1回例えば5連鎖、6連鎖しても、次投げる時はまたね、確かにそういう実力あるかもしれないけども、
永遠にその実績が通用するかってそんなことはないんですよね。
マイナスの面を考えるとわかりやすいんですが、例えば炎上した人とかね、
すごい炎上するんだけども、じゃあ翌年に同じようにその人が嫌われ続けているかっていうと、
よくわかんないですよね。例えば2019年にすごい叩かれていた芸能人とかが、2020年にはYouTubeでバリバリ活躍しないとかするんですけど、
それって視聴者が心変わりしたのか、それとも2019年の記憶がもうないのか、それとも全く違うそのパイを取りに行った、
違うその視聴者がファンになっているのかとかっていう理由は全然わかんないんですけども、
その炎上がなかったかのような感じになっているんですよね。つまりいろんなものが瞬間的であるということなんです。
何が言いたいかというと、丸くなりましたけども、石は投げ続けないといけないんですよ。
石は投げ続けないといけない。その投げ続ける石をプロになりたい人は、いわゆるデータをしっかり見て日々改善してということだと思うし、
データというか、別に自分を振り返るだけでもいいかもしれないけども、とにかく過去をちゃんと振り返って改善を加えていく人はプロを目指せばいいし、
プロを目指さないにしても波紋を起こしたいのであれば、毎日石を投げ続けるしかないと。
一回ね、石を投げておしまいっていうので、やっぱり影響できないよねって思いますね。
少なからず影響していたいなって自分が自覚するのはどういう場面かっていうと、例えばこのポッドキャストもそうだし、毎日書いているブログもそうなんですけど、
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例えばね、視聴者数0人だったら毎日続けてないと思うんですよね。よく言いますけども、やっぱり1人でも聞いてくださっている方がいるっていうことがやっぱりやりがいに繋がっているし、
なんかそういう感じなんですよね。ゼロ、やっぱり石を投げてポチャンって、全然連鎖しないんだったら投げても面白くないなって思うんで、
1回でも波紋が広がって連鎖したみたいな感じが起こると、自分がやっていることとかって楽しいなって思えるんですよね。
これ不思議なものでね。それはさっき言った、例えば少なくとも僕の場合は社会課題とか課題意識ではないので、子供みたいにそれが楽しいっていうのがメインで、
少なからず、少なからずじゃないな、ちょっとだけね、もしかしたら承認欲求というか、何だろうな、ゼロは嫌だな、寂しいな、みたいなのもあるのかもなという気がしています。
何だろうな、ゼロでやれる人ってやっぱりすごいですよね。僕もなんか、
続けるっていうのをやったのは結構、さやこぱさんのラジオとかブログが初めてに近いんですけど、やっぱね、ゼロじゃなかったってことが大きいし、何でゼロじゃなかったかってやっぱり毎日一緒に投げ続けたから、何だろうなというふうには思っているんですね。
なので、プロになりたい方は日々改善して高みを目指していただければいいんですけども、そんなんじゃなくね、
ないけども、少なからず影響していたいって思う人は、なんかね、やっぱり一心を投げ続けてくださいというお話でした。
で、何だろうね、その、よくね、一般的なニーズのあることやれよとか、何だらかんだとかってビジネスっぽいなんか、
主張がね、いろいろなところで行われてますけども、僕からすると、そんなものはね、しょうもないと、しょうもないことじゃないか、僕からすると面白くないと、やっぱり自分が投げたい一心をね、投げて、
それで、波紋が1個起こる。それでいいんじゃないかと思うので、皆さんね、自分が投げたい意思って何だろうって考えて、そしてその意思を毎日投げ続けるっていうのをやってもらえたら、
何だろうね、満足度高いと思いますよ。これはね、僕がこの1年、たまたまブログとポッドキャストを続けてですね、実感していることなので、
なんかね、続けるっていうことの、なんか喜びみたいなのを2021年、なんか一つでも感じていただけると、あの、なんかね、僕は嬉しいなと思います。本日は以上でございます。ちょっとまとまってないですけどね。
少なからずね、誰かに影響していたいんだろうなーっていう気持ちが、きっと誰にも、誰しもね、あるんじゃないかなと思います。思いますよ。本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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