1. 現象のラジオ
  2. #281 無条件の愛と思考停止
2021-02-19 09:52

#281 無条件の愛と思考停止

spotify apple_podcasts

「愛」という言葉を最近聞かなくなった気がする。私や私の身の周りの人たちや私が見ている情報に登場しないだけで、世の中には「愛」という言葉があふれているのかもしれないが。

そんな中、めずらしく愛について語り合う機会があった。

/うえみずゆうきが毎日書いているエッセイ【脳内議事録】もよかったらぜひご購読ください!  https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5  マガジン購読者限定の特典として「サイコパスの裏ラジオ(音声)」を毎月プレゼントしています。

00:01
皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、無条件の愛と思考停止という話をしたいと思っています。 最近僕の身の回りではですね、愛という言葉をですね、あまり聞かなくなった気がしますけれども、
たまたまね、クラブハウスで愛について語り合う機会がありまして、 久々ね、自分にとっての愛とは何なのか、みたいなことを語ったりとか、
誰かのね、愛みたいな価値観というかをお聞きする場面がありまして、そこで思ったことを今日はお話ししたいと思っています。
でまぁ、僕自身が思う愛みたいなところでいくと、放っておけない気持ちとその行いっていうふうに思ってるんですね。
これ何かって言うと、僕自身はおおよそほとんどのことを放っておけるんですね。 割と誰かがどうなってもどうでもいいというかと思っている、どうでもいいって言ったらちょっと
まあ語弊があるかもしれないけども、自分が何とかしなきゃとは思わないっていうのがあるんですね。 まあそれはその人の責任の範囲でやっていることだから、自分は
口出しすることではないというふうに思ってしまうので、その人がそうと思ったことをそれでいいんじゃないというふうに思うということはですね、それの結果起こった不具合みたいなものもその人が選んだことだという認識で、
あんまり介入しすぎないようにというふうに思って、介入しすぎないというか、介入しないということを善としているという価値観なんですね、ベースは。
でもそんな自分が放っておけない、そんな自分がその放っておけない気持ちからアクションしてしまうっていうのは、ある種そこまで合理化を図ろうとしている人間を突き破って非合理な振る舞いをしているということなので、その瞬間自分はその相手に対して愛を持っているんだなということを自覚したりするんですね。
これちょっとね、ノートに書いたら、コメントでね、放っておけない気持ちとおこないとかって言っちゃうと、これは逆に執着とか憎しみでも同じことが言えるんじゃないかみたいなことをですね、すごい建設的な批判を受けたんですけれども、まあ僕の場合ですね、そういうネガティブなものに対しての執着って本当なくて、例えば僕の悪口を言っている人がいるとかなっても、どうでもいいなと思ってしまうので、まあ全無視できるという、この世に存在しないこととして扱うことができてしまうんだけども、
僕の言う放っておけないっていうのは、自分にとって大切な誰かのために何かをしないと気が済まない状態になるっていうことなんですね。これめちゃくちゃ非合理ですよね。相手は別に望んでるわけでもなかったりとかするかもしれないし、僕が勝手に放っておけないと思ってるだけだったりするという、この状態がですね、僕の中での愛の定義というか、愛の状態というかね、感じかと思ってます。
まあ少なからずですね、皆さんその愛を語るときに、コスパでは語らないんじゃないかなというふうに思ったりしますね。コスパでは測れない何かな感じはします。まあ少なくとも僕の場合は、そういう放っておけない気持ちとその行いが僕の愛ですと。
03:10
これはですね、おそらくサイコパスじゃない方なんかからすると、まあ大したことないなっていうレベルの愛だと思うんですね。放っておけない気持ちなんかしょっちゅう起こりますよと。そのおせっかいやっちゃいますよとかっていう人っていうのは、僕のこの定義でいくと、おせっかいやってる人みんな愛出してることになっちゃうけど、僕はもともとそういう性質を持った人が、おせっかいはというのはおせっかいだと思っちゃうけど、
僕みたいにおせっかいをものすごく嫌悪している人間が、考えに考えた末止められずに放っておけないっていう気持ち、これが僕の中で愛なんで、ちょっとだけね前提となる条件というかね、サイコパスかサイコパスじゃないかみたいなところを含めてですね、前提がちょっと違いすぎるのかなというふうに思いますので、僕の場合はこれが愛ですと。
で、そうでない前提の人にとってのそれがじゃあ愛かというと、そんなことないんじゃないかと思うという感じです。なので誰もにとって愛とかじゃなくて、その人にとっての愛みたいなものが本来愛の定義になるんじゃないかと。人類にとって共通の愛とは何かみたいなことは、あえて話してみる価値があるけれども、それを固定化したというか定義化することは難しいんじゃないかなと思いますね。
僕の放っておけない気持ちと行いが、一般的に見れば60点レベルの普通のこと、日常レベルの愛というか、日常レベルの親切でしかないのかもしれないんですが、その時参加されてた方が僕のその愛を聞いてね、ちょっと物足りなさそうだったんですね。それ普通普通ですよねぐらいの感じだったんですね、まさに。
そこでちょっとその人の愛をちょっとお聞きしたらですね、うまく言語化されてなかったんだけども、親族のために死ねると、老いっ子のために私なら死ねますと、迷わず死ねるということを言って、これはね、僕のなんだろう、ちょっと放っておけないみたいなレベルをちょっと超越せるなと、僕たぶん老いっ子が死ぬって言われ、僕が死ぬことで老いっ子が助かると言うと、僕たぶん助けないですもんね、僕が生き残ると思いますんで、すごい覚悟だなと思って、ちょっと興味深かったので、
掘り下げてみました。で、老いっ子のために死ねるって言ってるけれども、じゃあお尋ねしますけども、あなたには今ね、子供がいないようですけども、もし自分に子供が生まれて、その上でね、まあ老いっ子が死にそうですと、で、まああなたが命を投げ出せば老いっ子の命は助かりますと、もっと言うと、まああなたでないとその子は助けられない。他の誰にもその老いっ子を助けることはできません。
あなたが死ぬか、老いっ子が死ぬか、どうしますかってお尋ねしたらですね、急にね、死ねないって言ってたんですよね。あの、さっきまで、老いっ子のためなら迷わず死ねるって言ってた人は、架空のね、我が子っていうのを想定した瞬間ね、死ねないって言ってたんですよ。で、なんで、そのさっき迷わず老いっ子のために死ねるって言ったのに、その自分の子供がいると死ねないんですかって聞いたら、まあ親っていうのはそういうものでしょっていうふうに言われたんですね。
06:04
もしかしたらこのポッドキャストを聞かれている方も、親っていうのはそういうものでしょって同じように思ったかもしれないんですけども、僕からするとですね、これは理由になっていないというか、社会通念上の正しそうな振る舞いであり、常識的な回答であり、模範回答であるということはよく理解できるんですけども、なぜ、その我が子がいると老いっ子のために死ねないのかっていうことが僕はよくわからないんですね。
というのも、老いっ子のために迷わず死ねた人が、自分の子供が思えたら老いっ子のために死ねなくなるってちょっと意味わかんないんですよね。つまり、一見、迷わず死ねるって無条件の愛を出しているように見えるんだけれども、子供がいると死ねないってことは条件付きですよね。ある条件が変わっただけで急に老いっ子のために死ねなくなるってことは、老いっ子に対する愛がある種合理的に判断されてしまっている、条件で判断されてしまっていて、
優先順位、この人よりこの人の方が愛している、この人よりこの人の方が愛しているみたいな感じで、結局は無条件になっていないなというふうに思いますね。それでいくと、僕の愛っていうのは60点レベルかもしれないけれども、それは妻にしか出しませんとか、友達にしか出しませんとか、そういう誰かに限定しているわけではなくて、自分が愛を出せる人に対しては、それは関係性問わず、
自分が60点の、僕のとおりは100点までなんだけども、一般的に見て60点の愛を出せるっていう人に対しては、僕は関係問わず出しているので、ある種ね、僕の方がレベルが低くても無条件だなと思ったりしたんですね。だから120点の行いができるっていう人も、もしかするとその判断軸が、めちゃくちゃこう、何ていうのかな、条件付き。
若い子が最優先で、老い子は2番目でみたいな、なんかそれがね、ちょっと、何ていうのかな、理由があればいいんですよ。それがね、若い子を最優先する理由っていうのを語れればいいんだけども、そういうものでしょって言う瞬間、思考停止でね、反応してしまっている社会通念の中に埋没して、こうだよね、こうだよねって、ただ反応しているだけで、愛でね、もっと言うと老い子のために死ぬのも愛じゃなくて、ただなんとなく社会的にそうでしょうみたいな、自分にしか助けられないのではないかと。
自分が助けた方がいいよね、親族なんだからみたいな形で、親族とは何かとかね、命とは何かとかね、そういうことをね、もうちょっと哲学しないと、なんか反応しちゃってるだけだなと思ったときに、愛っていうのは一見、愛風に見えるものも意外と愛じゃなくて、社会通念上埋め込まれた美しさみたいなものに反応してるだけだったりするなとも思ったので、そこはね、ちょっとよく考えないといけないなと。
いわゆる無条件って言ったら、ある種考えないというか、条件なしなんで、考えなくても成立するという意味で、思考停止と無条件っていうのが、ある種似て見える瞬間があるけども、決してそんなことはないなと僕は思っていて、僕はよく考えるけれども、その上で無条件になれる部分、無条件になるということをやっているので、考えずに無条件というか、ただ考えてないだけなので、それは無条件の相手よりはただの思考停止なのかなと思ったりもしたわけでございます。
09:02
ちょっと辛辣なことを言っているような気もしますけども、別にその人のことを悪く思っているわけではなくて、愛って何だろうということを掘り下げた結果というか、僕の中で考えた結果、無条件の愛というものと、思考停止というものは全く別のものなんだろうなというふうに思ったという結論でございました。
皆さんの思う愛みたいなものを、ぜひこれを機にちょっと考えてみていただけるといいかなと思います。人類にとっての愛みたいなのを対話をしながら考えてみるのもいいと思うけれども、まずは自分自身の思う愛、自分の愛とはこうでというのはちょっと考えてみると、愛情、自分なりに愛情深い人間になれるんじゃないかなというふうに思いますので、ぜひ一度考えてみていただけるといいかなというふうに思います。本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
09:52

コメント

スクロール