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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、コスパ&タイパという話をしたいと思っています。
昨日ですね、久しぶりにライブを、バンドのライブを見たんですね。
自分が古典を開いていてですね、絵を展示してあったんですけども、
その古典の最終日というか最終夜ですね、最後の夜にクロージングパーティーということで、
バンドのライブが行われていたんですね。そこに僕も遊びに行って、
僕がライブハウスでバリバリやってた頃の、ちょっと若い世代の子たちって感じ、
10年ぶり、十数年ぶりにライブを見たみたいな感じで。
僕はですね、そういうライブを見ると、プロ、アマ、問わずですね、
ついステージ上の人たちの目線というか演者目線でライブを見てしまうというか、
演者の感覚を想像しながらライブを見てしまうんですね。
それは多分、何というか、自分が音楽を始めた頃からずっとそのように音楽を聞いてきたし、
そのようにライブを見てきたから、多分オーディエンスとして全身全霊オーディエンスになりきるみたいなことができなくて、
常にその研究対象じゃないけども、こういう感覚なんじゃないかな、
みたいなことを想像しながらライブを見てしまうということで、
なんていうかな、演者側の気持ちになりきってしまうんですね。
そういうライブの見方っていうのがどれぐらい一般的なのかちょっとわからないですけども、
全くそのように見てしまうと、客席に居ながらステージ側の目線で客席を見ているみたいな感覚になるんですね。
そういうライブの見方が楽しいかっていうと、全然楽しくないんですね。
音楽を音楽として聞けないみたいなのが結構しんどい、むしろしんどいですね。
これも僕個人の性格の問題なのか、それともずっとバンドをある種物心ついた頃からやっていて、
そのやる側の視点みたいなので、どう吸収するかみたいな音楽の聞き方しかできないみたいな、
そういう結構強いみたいなところでしょうがない問題なのかもなと思っています。
なのでね、ライブはあんまり好きじゃないですね。それは僕の問題で、ライブはあんまり好きじゃないと。
一方でね、ライブを見ると、またバンドをやりたいなーみたいな気持ちになってくるんですね。
その人たちが音を奏でているみたいなところで、自分がそっちに意識を持っていくんじゃなくて、
自分自身が音を鳴らしたらもっと気持ちいいし、もっと臨場感があるわけですから、またバンドしたいなーとか一瞬思ったりするんですよ。
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前のメンバーとも仲はいいですから、あの人とあの人呼んだらこんな感じでできるなーとかって感じでね、
頭の中で浮かんでくるんですけれども、そこでね、ブレーキが上がるんですね。
とはいえ、しんどいなーって思ってしまうと。
最近ね、コストパーとかタイパーとかっていう言葉で言われたりしますね。コストパフォーマンス、タイムパフォーマンスね。
若い世代がすごいタイパーを意識していると、動画とか映画とかもね、倍速で見たりとかして、
時間帯効果みたいなものをすごく意識しているよね、みたいな。
それがね、結構、あまり良くないことだと言ったら変だけども、タイパーもいいけど、そうじゃないとかってあるよね、みたいなことを結構ね、大人たちが言っているみたいな構想をよく見かけるんですけども、
よく結構ね、これ考えてますね、コストパーもタイパーもね。
確かにコストパーとタイパーみたいなものしか考えられないっていうのは、
世界を見る眼差しが貧しいなとも思ってしまうんですけれども、
払ったお金に対してリターンがどうだとか、払った時間に対して効果がどうだ、みたいなことばかり考えてるっていうのは、ちょっと貧しいなと思うんですが、
それを考えられない、コストパーが考えられないとか、タイパーが考えられないっていうのはまた別の問題だなとも思うんですよ。
何が言いたいかというと、結局はコストパーで考えるのがヤバい、タイパーで考えるのがヤバいとかじゃなくて、
総合的に考えればいいじゃないって僕は思うんですね。
少なくとも20代前半の頃の僕は、コストパーとかタイパーを考えることもできなかったんですよね。
そういう頭がなくて、ただただバンド活動に熱中したと。
結果、すごく無駄とも思える、今考えた無駄とも思えることもたくさんやったし、
それが時を経て、今、なんだかんだ納得のいく形で、次の生き方というか、自分の生き方みたいなものにうまく戻ってこれてるというか、
構築できている感覚があるんですね。
だからこそ、タイパーではない頃の経験というのはすごく貴重だったって言えるんですけども、
もしも今ぐっちゃぐちゃになってたら、コストパーとかタイパーとかもっと考えてやるべきだったなと思ってたと思うんですね。
だから、コストパータイパーを、市場主義もダメだし、コストパータイパーじゃないよね?もやっぱダメだと思ってて、
両方というか、それだけじゃなくて、いろんなことを考えて、その中にコストパーとかタイパーというパラメータがあるよねっていう、
そういう考え方をしないといけないのかなって思うんですね。
コストパータイパー無視して何かに熱中すると、
そういう部分にこそ、その無駄っぽいものにこそその人らしい中身を作っていくというか、
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ある種、合理的ではないから、その人ぐらいしかやらないことになりやすいと思うんですよね。
コストパータイパーを無視した経験こそが、その人の中身を作っているとも言い換えられるかなと僕は思っているんですけれども、
一方でコストパータイパーを無視し続けるには、経済的な豊かさとか、
自分が置かれている環境ですよね。
例えば家族がいるとそんなことも言ってられないとか、子供がいるとそんなことも言ってられないとかもあるかもしれないし、
という環境に大きく作用されるよねと。
コストパータイパー無視できるだけの環境がどれぐらいありますかということなんですよ。
そう考えたらやっぱりコストパータイパー度外視して何か熱中しろとか、
もしくはコストパータイパーが全てだよね、ではなくて、
コストパータイパーだけを基準に選ぶなということが重要。
いろんな基準を考えて、いろんなパラメーターをしっかりと考えて、
総合的に検討すると。
これについてはコストパータイパーをある程度度外視してやる。
これはコストパーが大事だ、これはタイパーが重要だ、みたいな感じで、
すごく整理していくという、自分の頭で考えるということが、
やっぱりとても重要だなというふうに改めて思ってますね。
なのでコストパーとかタイパーという言葉が、
タイパーとかコストパーがあったかというと、
ちょっとね、軽蔑の対象になりがちなぐらい、
タイパータイパー言ってんじゃないかっていうふうに、
若干あるかなと僕は感じてるんですけども、
コストパーもタイパーも大事でしょって思うし、
コストパーやタイパーだけじゃないでしょって思うと。
なのでどっちかというと、いろんな軸で、
自分の頭で考えろってことを僕は言いたい。
で、その自分で頭で考えることがどうしても難しい場合にのみですね、
うだうだ言ってればいいんじゃないかなということをね、
思う今日この頃でございます。
コストパーもタイパーも大事でしょって思うし、
コストパーもタイパーも大事です。
そしてコストパータイパーだけではありません。
本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。