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2020-11-24 11:50

#194 共同生活と家事(後編)

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誰かと一緒に暮らすということ。未婚カップルの同棲、結婚後の同棲(これ何ていうの?)、シェアハウスなどでの共同生活など、どのような背景であれ家事がくっついてくる。他者との共同生活は家事と密接に絡んでおり、適切なバランスを保たなければ不満だらけの生活になりやすい。既婚者の話を聞いていると、特にパートナーの家事へのコミットメントの低さに不満を感じている例が多い。圧倒的に女性に多いのだが、つまりは女性が家事をしている家庭が多いということなのだろう。家事への不満をまとめると、①そもそも家事をあまりしない。②たまにやったかと思ったらクオリティが低い。ということらしい。


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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、共同生活と家事、後編についてお話ししたいと思っています。
実はですね、この収録ですね、続けて前編後編撮ってるんですが、
後編をですね、2度撮ったんですが、データがですね、なんか飛んでしまいまして、
この後編、3回目の収録でございます。若干テンション下がっておりますけども、
頑張っていきたいと思います。
一緒に人と住むとですね、家事あるよねと。
で、既婚者のお話聞いてると、結構家事に対する不満みたいなのがよくあって、
中でもですね、そもそも家事してくれないんだっていうのが一つ。
もう一つは家事をやってくれるんだけども、ちょっと満足のいくクオリティじゃなくて、
帰ってムカつくと。そういうこの2つの不満がですね、家事の中にあるというふうに伺っております。
で、生活の中で当たり前にあるものがストレスを与えてくるものになると、
結局ストレスフルな共同生活になりますので、そこのストレスが少しでもなくなればいいよね、
ということで今日のお話をさせていただいております。
で、前編はですね、そもそも家事をしないみたいなお話だったんですが、
そもそも家事をしないなんてありえないよねっていうお話でした。
例えば、毎日洗濯をする人と、例えば僕は週3回ぐらい洗濯をするっていうのがペースとしては
ナチュラルなタイミングなんですけども、毎日洗濯する人が家の中にいたら、
僕はきっとやっぱり、きっとというか事実しなかったんですが、洗濯をできませんよねと。
だって週3回ぐらいしか洗濯機に目を尖らせていない人間と、
毎日毎日洗濯機に目を尖らせている人間であれば、やっぱりそのね、
校舎の毎日洗濯機のタイミングを伺っている人の方がそこの洗濯を回す覚悟が高いですし、
毎日回っているものをタイミング自分がたまたまあったからといって、
毎日やっている人のそれを奪うみたいな感覚になっちゃうというか、
洗濯機を回す覚悟を回さないですよねということで、実はやってる側が、
やれてない側の機会を奪っているというか、タイミングを奪っている可能性さえあるよというお話でした。
とはいえね、それだけだとずっと自分が家事しないといけなくなっちゃうじゃないということで、
相手にもやってもらいたいなと思っている人のために、
言い方があるよねということを今日はお話したいと。
もう一つはそのクオリティが低い、家事のクオリティが低いということで、
むかついているんだけどどうしたらいいですかというところについてお話したいと思っています。
僕自身ですね、一回家事をしなくて大失敗したという話を前回しましたけれども、
その後別の方と同棲したときにですね、その反省を生かして家事をむちゃくちゃ積極的にね、
むしろ自分が主導権を握るぐらいの感覚でやってきました。
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ほぼほぼ自分が家事をするようなスタンスでやってたんですけれども、
ある日ですね、皿洗いをした後にキッチンに来てですね、
真空の周りの水をこんな風に拭き取って、こうしてああしてとか、
急に指導が入り始めたわけですね。
その時にですね、僕はね、もう悟りを開いてましたから、前回の同棲の失敗からですね。
悟りを開いていたので、コンコンとですね、説明をしました。
何を言ったかっていうと、皿の洗い方っていうのは100人いると100通りあるんですね。
皿洗いの正解とか、皿洗いの合格ラインがどこかって別に法律で定められているわけでもなければ、
何かガイドラインがあるわけでもないわけですよね。
結局は自分が人生の中でやってきた皿洗いのこれぐらいがきれいだよねとか、
こういう洗い方が普通だよねという思い込みなわけですよね。
それは神がいるとかいないとか、その次元と結局同じになってしまって、
ただやり方が人それぞれあるよねって済めばいいものを、
自分のやり方がこの世の真理であるかのように言ってしまうっていうのが、
多くのコミュニケーションの問題じゃないかなというふうに思ってるんですね。
ただ僕はそのように言いました。
その100通りある中で正解というものがこの世にあるのかと、きっとないだろうと。
もし正解を決められるんだとすると、
それを判断している自分が主観的に自分の思い込みで、
これは汚い、これはきれいだと言ってるだけであって、
それが別の人が評価されたらそうじゃないかもしれないし、
世界70億人とかにアンケートを取った時に、
どっちが優位かってことは分からないよねということを伝えました。
相当理屈っぽくてムカつくんでしょうけども、
でも要は本当にそういうことなんですよね。
皿の洗い方、顔の洗い方、料理の仕方、
いろんなものがですね、
掃除の仕方もそうですよ、掃除機の掛け方だってそう。
全部ね、人それぞれ自分がこんなもんかなっていう感じでやってるわけであって、
それを正解か間違いかっていう判断する姿勢になっちゃうと、
やっぱり自分が神になってしまって、
何だろうな、愚民に対して教えて信税王みたいな状態になってしまってるわけですね。
それではやっぱり言われた側っていうのは、
それに対して決して受け入れようとはしませんよね。
それは誰だってそうだと思います。
やっぱり自分が間違っていると言われると、
ましてや間違っても何でもないことを間違っていると言われて、
責め立てられると、誰もがね、モチベーションが下がると思うんですね。
なので、実は家事をしない人っていうのは、
家事をする人からそういう理不尽な指摘を受けて、
家事をするモチベーションを失った人なのかもしれないんですね。
タイミングだけではなくて、本当は皿でも洗おうかなって思ってるんだけども、
その皿洗いにいちいち言われるから、
もう二度と洗ってたまるかと思ってる人も結構いるんじゃないかと思うわけですね。
何が間違っているかというと、やっぱり神様視点ですよね。
人それぞれ違うんだと思った瞬間、
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相手の洗い方もやっぱりまずは受け止めなければいけないし、
どうしてもその洗い方、そしてそのクオリティに満足いかなくて、
自分の水準まで合わせてほしいっていうことであれば、
指示・命令ではなくて、提案とか、もしくはお願いをすべきなんですよね。
だったら自分のこだわり、自分のわがままで、
このクオリティまで洗ってほしいんですってことですね。
お願い・提案しないといけないですよ。
自分がただそのクオリティで洗いたいだけなのに、
指示・命令するっていうのは、
なんであなたの都合でこっちは怒らなきゃいけないんですかってなってしまうというわけでございます。
これは家事に限らず、子育てにもそうでしょうし、仕事でもそうですよね。
仕事のマネジメントでもそうですよ。
指示・命令で自分のよくわからない正義で指示されても、
もちろん上司・部下という立場設定があるにしても、
そういう上司っていうのは嫌われますよね。
やっぱり相手の立場を尊重しながら提案、そしてお願いをすることによって、
そこまではあなたが言うんだったら、僕はやりますよということで動いてくれると。
人間の真理というものをしっかり考えると、
指示・命令というのはそもそもないんじゃないかというふうに思うわけでございます。
これによってクオリティの問題というのは大体解決しますね。
なぜなら嫌い同士で共同生活をしている人ってあまりいないですよね。
もともとお互いのことを好意を持って一緒に住んでいるパターンというのは多いと思いますので、
やっぱりその相手からお願いされると、答えようかなという気持ちになるものです。
ただ好意を持っている相手からも指示・命令されると、
なんで命令されなきゃいけないんだということで、
皿も洗いたくなくなるしということになっちゃうと思いますので、
やっぱりその提案、そしてお願いするという姿勢が大事なんじゃないかなと思います。
この問題を見えづらくしているのは、やっぱり家事というのはやってる側が絶対的に偉いとされて、
やってない奴は勝つとされる、そういう方々の見方によって起こっていると思うんですね。
ただこの2回で見てきたように、やらない側もやらないんじゃなくて、
やるタイミングを相手に奪われている可能性もあったり、
もしくは指示・命令をされてやる気がうせている可能性があると。
そう考えると、ある種そのやる側やらない側という立場設定が生まれてしまっているのも、
実はお互いがやっているコミュニケーションのせいでそうなっているようになって、
お互いのそもそも持っている本来の素質であるとか、人間の問題ではなくて、
お互いのコミュニケーションの問題であったりするというところに
帰結するのではないかなというふうに思うわけでございます。
これは本当に難しいことですよね。相手にもタイミングがあるんだと。
どれくらい自分は毎日洗濯機を回したいんだという時に、
自分は回したいから回しているんだというテンションになれればいいですけど、
なかなか難しいですよね。どうしてもそこは洗ってほしいと思ってしまうというのは
人間心理だと思いますので、やっぱりそこは提案型でですね、
週3回もし回すようなタイプだったら、うまいこと週3回ぐらい回してもらうと。
そうすれば自分がやっていたことが半分になるわけですから、
いいじゃないかと思うわけでございますよ。
なので自分がね、普通毎日洗濯機回すでしょとか、
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普通皿洗いってこうでしょとかっていう、
普通っていういわゆる、何回か前で話しましたけども、
自分の常識という宗教にとろわれてしまって、他人の宗教をですね、
やっぱり侵してしまってるわけですよね。そこのやっぱりその謙虚さというか、
相手の宗教をちゃんとリスペクトしつつ、でもこの共同生活は
うちの宗教のこのやり方にちょっと合わせてほしいんだと。
それってすごいことじゃないですか。
違う宗教の人に自分の宗教に合わせてくれっていうのに、
指示命令ってありえないですよね。やっぱりそこは提案、
そしてお願いをして、自分はもうこの期間は日が沈むまで
ご飯が食べれない宗教だからってことを言ってね、
理解してもらうことはやっぱり大事じゃないですか。
断食するんだってことをね、理解してもらうことは大事じゃないですか。
それをなんか指示命令して断食あなたもしてっていうのは
ちょっと難しいことだと思いませんか。
そこをこの2回でお伝えしたかったことでございます。
共同生活をするとですね、やっぱり生活レベルっていうのは
かなり無意識レベルで思い込んでいること、
自分のやり方がある種絶対的に正しいと思い込みがちなので
かなり意識的にですね、自分はそういうやり方をしてるけども
相手はそうじゃないかもしれないし。
でも自分のやり方をどうしてもやってほしいっていうときには
自分のわがままですから。
そこは提案、お願いをするという姿勢を身につけていただけると
いいんじゃないかなと思います。
これから共同生活をしようと思っている方、
すでにしている方もぜひ参考にしていただければと思います。
一緒に住むのがちょっと怖いとかいう方いらっしゃると思うんですけども
要はここの部分の怖さがほとんどだと思います。
お互いのカルチャーの違いに気づくっていうのが
やっぱり一番怖いこと、一番揉めることだったりすると思いますので
その時にそれは何で揉めるかというと
自分のカルチャーが正しいと思い込んでいるから揉めるのであって
違うカルチャーがあるよね、どう調整していこうかっていう
そういう多様性というか違う宗教をリスペクトする姿勢があれば
乗り越えていけるんじゃないかなと思います。
多くはそういった基本的なマインドの問題というか
認識の問題かと思いますので
ぜひこの2回のお話を参考にしていただいて
それぞれ家事をしない人はいないんだと
タイミングがあるんだということ
クオリティが低い高いって言うけど
それは自分から見た一方的な思い込みの評価であって
高いも低いもないんだと
ただ自分の方に自分のクオリティに合わせてほしい
みたいな場合はですね
提案そしてお願いをするという
謙虚なコミュニケーションスタイルを取ってください
というお話がございました。
本日は以上でございます。
ちょっと変なテンションになっておりますけども
これは同じ話3回するのでちょっと間引いてきましたけども
本日は以上でございます。
またお会いしましょう。
さよなら。
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