大村さんの学生時代の葛藤
今回は前回に引き続き、ドイツビール職人の大村望美さんをゲストにお招きしております。
大村さん、よろしくお願いします。
お願いします。
お願いします。
アシスタントの谷口菜の葉と、
坂井陽介です。
本日もこの3人でお送りいたします。
前回は大村さんに、現在のお仕事について伺いました。
坂井さん、印象に残ったエピソードはありますか?
ビールかな。
ビールを。
ビールを飲ませてもらって、
はい。
収録の後、ちょっと周りにいるスタッフの皆さんとね、
飲んだりしましたけど、
甘いとか、柔らかいとか、香りがとか、
いろいろないい言葉が飛び出してたんですけど、
僕にはそういうことが言えなくて、
ちょっと反省をしてたのと、
あと、収録の時は大村さん言わなかったけど、
このグラスの仕掛けみたいなこととかも、
この線より下に泡があったらビール返せるとか、
そういうルールみたいなものを言ってて、
なんでそれ収録の時に言わなかったみたいな、
向こうにも反省してもらって、
やったなと思います。
はい。
何でしたっけ、今日は。
今回は大村さんの学生時代のお話や、
どこが転機になったのかなど、
遡ってお話できたらなと思います。
はい。
気になるね。
はい。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
早速ですけど、大学に入学した理由ってありますか。
思い出せる範囲なんですけど、
高校生の時に、英語系の学校に行っていて、
外大科、スポーツが得意で、体育大学科、
絵とかデザインの本も好きだったので、
映画も好きだったので、
芸大科っていうこの三択だったんですよね。
で、私は外国語大学、地元福岡なんですけど、
に行こうかなって決めてる時に、
母がたまたま京都芸術大学のパンフレットを、
なぜか資料請求して、見せてくれて。
で、それ読んだ時に、
あ、言語も体育も自分でやればいいんだと思って。
でも、この芸術は人に教えをこいたいと思ったんですよね。
で、入りました。
っていう、結構真っ当な理由でしょ。
満足げな。
いや、全然満足げじゃない。
なんかすごくワクワクした記憶があります。
あ、ここに行きたいって思って入りましたね。
入ってみてどうでしたか。
楽しかったです。
けど、とか。
やっぱ気づきましたね。
向いてないなって思っちゃったんですよ。
それはどういうタイミング?何年生の時とか。
2回生くらいですかね。
なんか向いてないなって思った理由が、
周りの人たちがかけてる時間と労力とお金を、
私はこれに向けることができないと思ってしまったんですよ。
で、そういうのって顕著にやっぱ出るじゃないですか。
で、それを毎回目にしていると、すごく嫌になってしまって、
辛くなってきて。
そうなの?
はい、とか。
なんか俺、一応大村さんの学科の先生なんですけど、
別にこんな感じなんで、声もドーンとして。
元気そうなんで。
辛くなってる感っていうのは全然、
俺は感じてなかった。
ただ、やっぱり体育会系と芸術系って何となく違うと思うんで、
そこの違いに戸惑ってるのかもしれないっていう感じはあったかもしれない。
そうなると苦しいことから楽しくワクワクしなくなったので、
行かなくなっちゃったんですよ、学校に。
発酵との出会い
学校来てなかったの?
覚えてないんですか?
覚えてないよ。
そう、行ってなくて。
で、行ってないと研究室に何回もありがたいことに連絡きて呼ばれるんですよ。
で、何してんだと、家で。
そんな時間で何してんだって。
で、その時やってたのが発酵させるっていう家で。
発酵させる?
何を?
たくまん作ったり、お味噌作ったり、お肉をジンギスカンとか。
学校行ってないけどさ、やってることはものすごい芸術的なこと。
今はその発酵とかさ、そういうことがトレンドでもあるんで、デザイン系でもね。
だからすごい芸術的なことやってるなと思うけど、
その当時は違ったかもしれないよな、変なやつみたいな。
肉、豆、野菜をいかに保存しているのか、先人たちはみたいなのに興味があって、
ずっとお家でやったんですけど、やっぱりそうなるとペット飼ってるみたいな感じなんですよね、お家に。
うん、わかるよ。
ごめんなさい、それ4話目です。
4話目ですか、確かに。
そうなんですけど、掛かりっきりでお家にいたので、
もう本当に週に1回行くか行かないかくらいになっちゃって、
で、それも2回から3回に上がるときくらいに、
何か提出しないと進休させないとかできないよって言われたんですよ。
で、あ、私そんなにやばいんだと思って。
やばいやろ、それが。
でも、そのときに何やってるのって聞かれて、
たくあんつけてますって言って、たくあんのプレゼンをしたんですよ。
つけたときとつけ終わりの色違うんですとか、お味噌も最初淡い色なんですけど、みたいな。
そういうのをすると、当時家成先生が学科のクラスの先生だったんですけど、
ボソッと、いや発酵いいですよねって言ったんですよ。
それで背中押されまくってしまって、わ、私たぶんこれかもしれんと思って。
この人生かけてできるのって思って、そこからちゃんと学校行くようになりました。
で、で、発酵というか、食べ物の発酵食文化にフォーカスしていきましたね。
家成先生のおかげやんか。
はい、本いただきました。
天気になったってことですね。
はい、そうですね。
よかったね、家成さんに聞いてもらうわ、これ。
喜ぶと思う。
先生もなかなかね、難しい仕事やからさ、何を言ったから結果が出るっていうのは全然わかんないので、
学生、人間なんで。
確かに。
自分がちょっと背中押したとか、嬉しいと思うな。
あと、福祉さんとかすんごい助けてくれましたよ。
え?
昨晩おいしいとか言われると嬉しいじゃないですか。
そうなん、別に助けてる気持ちないよ、それ。
ないけど、だから定期的にやっぱ、そろそろ来ないとあれだよみたいな連絡もくれるし、
なんかそこで、今お肉つけてるんでみたいな話できたり。
そうなんですね。
そんなことやったんですね。
はい、かな。
空間演出デザイン学科の何コース?
空間デザインです。
空間デザイン。
だから格好してますっていうのもプレゼンしたら大丈夫?
うん、そうやね。
作品っていう。
そうやね、なんかデザインなんで。
何かしらしたと思う、ちゃんと。
そうなんですか。
だから結構、メンタル的にはちょっと落ち込んでたってこと?
かなり。
かなりって。
なんかあんまりそんな風にはやっぱり見えませんけど。
落ち込んでたけど、金の力で這い上がってきたわけじゃないですか。
そうですね。
落ち込んでたというか、なんでこんなにワクワクしてないんだろう、自分ってずっと思ってるみたいな。
でも何かどうしていいか分かんないみたいな感じですね。
やる気はあるけど。
でもその向いてないとかっていうのに気づいて進路変更というか、
自分で学校行かないくして家で何かやりだしたっていうところが、
僕はすごい大事なことだと思うんですよね。
なんかこれは違うっていう選択というか決断が遅れれば結構もったいないことになるから。
ドイツへの道
だから気づかせてくれた周りの環境も良かったんちゃうかなと。
とても良かったです。
でも友達はいたしな、たぶん。
友達いましたね。
学校行かないけど、やっぱご飯行こうよってなるじゃないですか。
で、学校終わりのみんなとご飯したんですよ。
へー。
どこどこ集合みたいな。
で、その時に何やってるのとか何したいのとか話をお互いにするときに、
それでビール作ろうって最初になりました。
へー。
やっぱ飲んでご飯食べてると、とりあえず乾杯ってビール飲んでて、
で、やってることとか話すと、
なんでビール飲んでるのに作ったことないんだろうと思って、
学校だよなこれみたいな感じから始まりました。
へー。
友達との交流を。
酒場で。
めちゃくちゃ変やろ。
思わんやろ普通に。
なんでビール作ったことないんだろうとかって思わんから普通の人。
作るとかの発想にならない。
買うもんやからね。
そうですね。
まあそうかも。
でもお家でお味噌とか買って、買ってなかった環境で育ったのでお家。
実家が。
あ、実家がね。
それも素晴らしいね。
お米とかも作ってたし、
ていうので、やっぱ学生お金なかったので、
節約しないとってなると、
売られてるものって絶対に誰かがかつて作ったので、
多分できない。
コストがかかってるもんな。
そう、できないわけないじゃんみたいな感じです。
で、そのビールも、
わ、このビジュアルのいいシワシワ。
できないわけないじゃんと思って。
いや、できなかったじゃん。
そうなんですけど。
卒業制作ではね。
で、まあ卒生でビールをやったと。
はい。ノンアルコールビールを作ったんですけど。
それはなんとなく俺も覚えてます。
飲めって言われてたしか飲まなかった気がします。
飲んでないです。
うん。
なんかそういう人が作ったもの嫌いなんだけど。
で、まあそれで卒業していって。
はい。
で、それで何したの?ってとこから行きましょうか。
発行がやっぱ好きだったので、
ビール関係に進もうと思ってたんですよ。
うん。
で、発行系ってなって卒業したんですけど、
就職先がなくて、そのビール関係の。
はい。
まあ大きい会社しかないもんね。
はい。で、納代出てないしとか利経じゃないっていうので。
で、なると、よし、じゃあ本売いこうみたいな。
気持ちになって。
どうせ無理なら、本番見て無理だって言われてから諦めようと思って。
で、ドイツに行くっていうのを決めてたので、
その間無駄にしたくないから、
できるだけ行った先でも面白いと思えるように生活できるように、
発行食系のレストランに調理として2年間働いて。
どこの?
福岡です。
あ、福岡帰って。
福岡帰って。
じゃあ2年後にドイツに行こうって決めてたってこと?
そうですね。決めてました。
やっぱお金も食べないといけないし、言語も必要だったので。
はい。
卒業して2年くらいは働きました。
じゃあ結構計画的に。
そうですね。計画的に。
で、2年経って。
2年経って。
なんかそこに間に恋がなかったでしたっけ?
恋?
前話聞いたときに。
あ、恋ありましたね。
そうそう。そんな話もするんですか。恥ずかしい。
恋物が好きな世界。
恋物。お店、レストランの、今独立されたんですけど、方と、
年もあと24とか5とかだったので、結婚したい。その人と結婚しようかなって思ったんですよ。お付き合いして。
青村さんが?
はい。で、ちょっと年上の方だったので、30手前くらい。6個上くらい。年も年やし、みたいな。
お前が心配せんでええよ、そんなこと。
そう。
その仲、大好きだったので、ドイツ行かんと、ここのお店に就職して、結婚して福岡に住もうかな、みたいな時期もあったんですけど、
ドイツへの渡航と語学学校
やっぱちょっと、情熱が勝ちました。
ビールへの興味がね。
はい。
じゃあそれで、そんな好きだったけど、別れて。
はい。でも結局フラれました。集中しちゃうと、集中しちゃうので。
そうなんですね。
だから俺はビールには勝てねえってなったんやろな、その人は。
なんでその愛そっちにあんのにこっちにないの、みたいな感じになった。
分かるわ。
分かるんですか。
俺すごいそういうこと言われた。
私も結構それでフラれます。
そうですね。それでフラれますよね。
まあでもそれは結構転機ではありますね。でなると、結構ボロボロに泣くんですけど、
同時くらいに、ドイツ、並行して探してて、お仕事できるとこないかなとか。
お願いしてた人から連絡きて、結構大丈夫っぽいよ。
なんやそのフォワッとした。全然信用できへんけど。
全然来ちゃえば、みたいな感じで言ってくれたので。
それも実家の前の最寄り駅で、遠井さんっていう友達がいるんですけど、大学時代からの。
泣きながら、どうしようって。行くかなどうしようみたいな。電話しながら。
でもなんか、行くって言ってたじゃん。昔からみたいな。
なんで迷ってんの?くらいの気持ちで言われたときに、確かにと思って。
しわしわ気づいたときから、私行くって決めてたわと思って。
で、2018年の春に行きました。ドイツに。
最初の半年は、言語ができなかったので、語学学校に通って、
できるようになったつもりではいたんですけど、やっぱり使い物にならないので、
そんな大学人が学校で覚えたような言葉って。
職人への道のり
職場を探してはいたんですけど、職人になりたくて。
全部文前払いだし、言葉も通じなかったので、
1年間ワーフリーに切り替えて、これをとりあえず使おうと。
で、カフェとか販売員さんで、お客さんとできるだけしゃべるようにして、
若者の友達を作って、やっていきましたね。10ヶ月くらい。
結構すごいね。冒険者って感じ。
冒険者。
だって、道がないじゃん。
前に女性でね、日本人でね、ドイツに渡ってビール職人になったって人が、
100人とか200人おるっていうわけじゃないところに行ったわけですよね。
で、文前払いされて、結構すごいよね。
すごいのかな。まあ、勇敢ではありますよね。
勇敢。
ワーフリーに切り替えたときに、
ドイツって教育システムで、アースビルディングっていうのがあって、
所存するの、手工業バージョン。
職場を見つけたら、そこで3年間修行して、職人見習いになれて、
で、雑学の学校にも通えるっていう、
そのデュアルシステムっていうのがあるんですけど、
それを知ってたので、とりあえず職場を探そうと。
履歴書を持っていくっていうのを並行してやっていて、
結構序盤で、私が修行したところに出会いまして、
私、ここのビールが一番旨いと思って、
ここしか嫌だみたいな気持ちになって、
そこに履歴書を持って行ったんですけど、マイスターに。
最初英語でインターンみたいなのさせてくれて、1週間くらいお試しみたいな。
で、毎日働きたいです、ここでみたいな。
言い続けたんですよ。
ただ、最初は真顔で、そのまま一生英語喋るなら、どこでも無理だよって言ったんですよ。
で、確かにって思って。
で、お手紙で、今日から混輪剤、皆さん、私に英語で話しかけないでください。
全部ドイツ語でいいです。
この、私の先輩が5個下くらいの若者だったので、
彼に言ってるように、私にも喋りかけてほしいし、やらせてくださいって言って、
それを毎日手紙を、いろんなことを書きました。
でやると、じゃあ来週来るって言われて、来週も来るって言われたので、ぜひ来ますって言ったんですけど、
最終日に、毎日またその、働かせてください、ここでみたいな。
ただ、今年は無理って言ったんですよ。
来年ならいいよって言われて。
で、多分それは、マイスター的には追い返したかった後日なんですよね。
今年って、その時何月なの?
基本的に、6月くらいに始まるんですよね、学校が。
なので、6月に、もう今年、来年度までの一人の見習いがいるとか。
2019年くらいかな。
なるほど。だから、6ヶ月後ならいいよってことか。
いや、もうまるっと1年後です。
あ、1年後。
まるっと1年後ならいいよみたいな。
で、多分追い返したい後日だったんですよね。
で、それが私万に受けたので、毎週行きました。
ちなみに、お金はもらえるの?
あ、もういらないですって言いました。
最初の2週間はインターンなので、お金は出ないんですけど、見習い中は出ます、お金が。
でも、いらないって言ったの?
最初は、やらせてくれって言って。
見てくれって。
私を。
私を。
で、決めてくれって。
そんなやってもないのに、無理って言わないでくれって言われて続けてきたので、日本で。
で、毎週通うと、後半、3ヶ月くらい続けたんですよね、最初は。
したら、お給金出すし、ちゃんと週1くらいで来る。
週1くらい。
樽詰め、瓶詰めの作業の時、人手がいるんですよね。
その時、来るって言ってもらえて。
で、それで通いだすと、その半年後くらいに、契約書書こうかって言われて、来年来ませんかって。
国家資格取得の挑戦
まだ来る気あるって言われたので、是非って始めたのがきっかけですね。
少年漫画みたいな。
少年なんだ。
少年漫画みたいな。
うん、すごいな。
かな。
すごいね。
が、始まりですね。
で、その後3年間、そこで働きながら、年に2回、4ヶ月くらい座学の学校で、ドルトムンとサッカーが強いところ。
の学校に州があるんですけど、西の方の。
その全部の生徒が、ギュッて集まって、一緒に勉強するっていう。
で、通いました。
すごいね。
すごいですね。
面白い。
よかったです。
これ、勇気づけられるね。
勇気づけられますね。
心も病みますけれど、やっぱり。一瞬。
その、ちなみに契約書書きますかって言ったっけ?
はい。
その時の給料ってどれくらいなんですか?
それで生活できるの?ドイツで。
職種によります。その、手工業、アースビルディングって、すべての職業にあって、パン屋さんでも花屋さんでも美容師さんでも。
いや、あのビールのその大村さんのことが聞きたいんですけど。
パン屋さんとかすごく安いんですよ。200ユーロとか月。
私のビール比較的高くて、なんか700ユーロくらい。なんかまあ10万ちょっと。
10万もいかないくらいですか。
それで生活できるの?1ヶ月。
できません。
ってことは?何をしてたの?
その時は。
アルバイトみたいなこと?
アルバイトしてたし貯金してたので、最初の1年はどうにかなりましたね。
で、1年ごとに100ユーロずつ上がるんですよ、ドイツって、そのアースビルディング。
なので、次の年800ユーロとかだと、もう結構進める。
へえ。
だからバイトしながら、その見習いを3年間みたいに。
やりました。
やったってことね。
おお、すごい。
だから朝、朝早いんですよ。6時くらいに始まって、まあ2時半とかに終わるんですけど。
朝そこのビール見習い職にして、で、午後時間があるので、アルバイト。料理とかワインとか興味あることのアルバイトして。
へえ。
なんか楽しそう。
楽しかったです。
すごい。
ハードやけど、楽しそう。
なんかすごい充実だったなって思います。今もしてるんですけど。
うん。
あんなに生きてるって思ったことあんまないかもみたいなと、人生の中で3年間。
かっこいい。
めっちゃ生きてます、みたいな。
めっちゃ気づけられます。このお話。
何の話?もうやるの?
いや、ビール職員っていうか。
ドイツ行っちゃいましょう。
この人すぐドイツ行っちゃいましょうとか言うからね。
ビール作っちゃいましょう。
そう。行っちゃいましょう。
情熱だけじゃないですよね。本当に計画的に。
そうですね、確かに。
すごい。
うん。でもまあ、情熱がまずあるよね。
うん。
うん。それが下地としてしっかりあるんで。
燃えたぎるくらいの情熱があります。
うん。ちょっとみんな顔が見る、顔っていうかな、姿が見る声だけしか聞こえないのがちょっと残念ですけどね。
うん。輝いてます。
太陽で。
そうそう。
西日も合いまって。
今ちょっと太陽でピカーンて輝いてるみたいな。
その3年後にみんな国家資格を取るんですよね。
で、職人になれるっていうのがドイツのルールだ、ルールというか決まりなので取りました。
試験と受けて。
取れた?
取れましたね。
その頃にはもうドイツ語はもうバッチリ?
いや、全然。全然全然。
その国家資格の問題は?
ドイツ語です。だからもうドイツ人しかいないので、学校に。
うん。
で、20代、若くて16歳、15歳くらい。で、年上で32とか。
うん。
みんなドイツで教育を受けて育った方々。
うん。
なので手加減とかないです。
最初申請して、辞書持ってっていいですかっていうのをお願いして、あともう一個書き写す紙をもう一個持ってていいですかっていうのをやらせてもらいました。
いいよって?
うん、いいよって言います。
でも確か最初の1回目の試験で、何かが点がすごく悪かったんですよね。
うん。
なんか機械の説明を書くかなんか、なんか記述が多くて、ドイツってそのマークシートじゃなくて。
で、ドイツ語も拙いので書いてるのが。
ヘルス達が理解できなくて採点ができないと。
うん。
で、別に呼ばれたんですよ後日。
で、黒板があって、何が得意って言われて、何で説明するのが得意?ボディーランゲージですか?みたいな。
絵ですか?画像ですか?みたいな。
私、絵ですって言って、黒板に直で説明じゃなくて、マシンの絵書きました全部。
へー。
だら、じゃあその説明してくださいって言われて、機械の説明とかを絵をしながら、言葉伝わなかったんですけど。
で、言われたら、なんかわかってんね、みたいな。
ギリギリ合格みたいな感じですね。
なんかでも優しい。優しいね、その人が。
そっち側で。
柔軟性がある。
ありますね。
で、その修行したところも、手工業系の、機械化が全然入ってない職場だったので、
学校の先生達は、どこの浄土所で来てるか、どんなやつがいたか、どんなマイスターかって皆さん知ってるんですよ。
なので、アジア人がいるってのも知ってたし、女の子がいるってのも知ってて、
先輩達からもどんなやつかってのは聞いていた。
なので、卒業するときに、とりあえず緊張するならビール勝ち込んでから来なさいって言われて。
勝ち込んで。
勢め勝ち込んで来いって言われて、学校のマイスターに、実技のマイスターがいるんですけど。
に言われて、そこで修行してる子達は、わかんないことないと思っている。
他の大手の機械とかやってる人たちよりも、肌勘で見てるから、修行ちゃんとしてるから。
っていうのをわかってもらってるって思って自信持ってやりなさいって言われて。
絶対に謙虚な姿勢になるなと。
ビール職人への道
できるって思って自信持って受けなさい。
何を言われても、あなたはできますって言ってもらえたんですよ。
だからもう勝ち込んで絵描きました。
受かりました。
で、資格が取れた。
取れました。
で、やっと見習いが終わって、一般人、職人としてのお給金がもらえる。
それが2020?
2020…
2年とか1年とかですかね。
そうですね、19、20、21、22ですかね。
22年に、もう最近ですね、結構。
結構最近ですね。
で、もう職人と。
それ、ドイツ語では?
ゲゼル。
ゲゼルになったと。
はい、なりました。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
すごいね。
これでゲゼルになった頃に、僕はビールをいただいて飲みました。
うん、たぶん。
確かに。
で、ビールのことも教えてもらったと。
で、激マズのビールを作ったって。
そうです、そうです。
で、修了したところで雇ってもらえたんですよね。引き続き職人として。
未来への計画
何ていう会社ですか?それらは。
ヘラーズって言います。
ヘラーズ。
ヘラーファミリーがやってる、そこも5人くらい。
30年くらいの若いところだったんですけど。
同じように、手工業で一番老舗に挑戦したいなと思って、1年、2年間働いたのかな、職人で。
で、その後に、一昨年か、今のところに転職しました。キャリアアップしました。
すげー。どうすんにゃろうね、こっから先。
前回くらいに、日本に帰ってこないの?みたいな話もちょっと差し込みましたけど、そういうことは全然考えてない?
考えてはいますね、未来は。2027くらいの未来までは考えてます。
え、そうなの?
はい。
俺そんな考えたことないよ。
計画マンなので、私。
すごい。
計画するの好きなの?
好きなんですよ、自分の人生を。
で、今2027年は何してる予定なの?選択肢は一つなの?
いや、全然3個くらいあります。
ちょっと教えてよ。
1個は今、オランダビールに興味があって、ドイツビールにも浸ってるので、私は。
あと、他に隣国にいろんなビール文化があるので、一旦オランダ語勉強して、オランダ行こうかなって最近思っているのと、
2027の時点で、オランダのビールで働いてる可能性がある。
目標に。
それから?
それから、日本に帰ってきて、独立が働き続ける。
そういうことだよな。それもいいよね。
なるほど。そんなこと考えてるんよね。
考えてます。
いや、計画マって素晴らしいですね。
奈良ちゃん苦手なの?
苦手ですね。
本当?得意そうやけど。
こんなにもう、できない。
本当?
学生に向けて、勇気づける一言というか。
勇気づける一言。
最近は自己肯定感という言葉が生まれて、それが低いとか言われてるみたいで、
全然、本当は興味ないんですけど。
病みやすいというか、景気が悪いというか。
景気が悪い。
景気が悪いっていうの。
手振れみたいな。
そういう学生が多いなとか言われてるんですけど、
そういう人たちに向けて、
大村さんは自己肯定感って高い?
それドイツ語で言うと?
ドイツ語にある?その言葉。
ない。
なんだろう。
ないならいい。
ないのか。文章でしかないんですかね。
自己肯定感。
ジェルプストフィア・ターウェンとか。
ターウェンがね。
そういう人が多いと言われてるけど、
高いの?なんか高そうやけど。
高いかどうかは分かんないですけど。
高いほうなんじゃないですかね。肯定。
私はいいぞって。
好きって思います。
みんな好きやと思うけど、自分のこと。
好きすぎて嫌いになってるだけな気がするんだけど。
なんか高いってことは、何かと比べてるってことですよね。
低いってこと。
それがいらないのかなと思います。
工房の話になるんですけど。
前回お話ししたように、
全ての工房に活躍できる温度帯があるの。環境が。
それってエールとラガーでも違うし、
エールの中の工房によっても違うから、
自分が発酵うまくできないかもし出せない時は、
自分が悪いのでもないし、材料が悪いわけではなくて、
環境が悪いのかもしれない。
で、あの人はあったかいとこで生き生きしてるけど、
あなたはもしかしたらラガーかもしれないから。
なので、自分を知ることがすごく大事だなと思います。
で、ちゃんと落ち込む。
ちゃんと落ち込む。
どうやったら自分のことって知れるんやろう?
わかんないです。私もわかんない。
でもまあ、家におったら知れんよな。
知りました。発酵かわいいって。
じゃあわかった。携帯ずっと見てても知れないよね。
知れないかもしれない。
自分で動かないとね。
でもわからんな。
なんで下がるんですか?
肯定感ってなんですか?
だから、俺いい。私いいと思うかどうかじゃない。
へこんだらダメだと思うんですか?
たぶん、そうですね。
へこまなきゃ。
へこまなきゃいけないってことですね。
ちゃんと病んだほうがいいと思うんです。
で、なんで病んでるんだろうは不健康じゃないですか?
確かに。
なんで私病んじゃってるんだろう?なんでできないんですか?
というよりかは、病んでるな、くらいの気持ちで。
で、いい。客観的に見るみたいな。
すごく。
いいですか、長田ちゃん。
刺さります。年代に。
はい。
ありがとうございます。
若くて傷つきやすい子供たちにとって。
すごい、さっきの過去のお話とかも受け付けられました。
今のお話はすごい。
さて、そろそろお時間になりました。
今日はドイツビール職人の大村さんを招きし、
大村さんの学生時代についてお話ししていただきました。
次回はメインテーマである発行とデザインについて、
高井さん、次回はどういった話になりそうですか。
その言葉の通りの話になるんちゃうかなと。
このラジオの裏テーマに、
自然とか人と自然との関係性をもう一回見つめ直してもいいんじゃないってことがあるんで、
それに関わってくるっていうので、僕も実はすごい興味がある。
実際に近藤毎日生きてる大村さんの言葉でね、話で盛り上がれたらなと思います。
楽しみです。
大村さん、本日もありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。