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お疲れ様でございます。黙れヤドロクということでございましてですね、毎日何かしらお伝えせんなんなとかね、お話せんなんなと思うとるわけでございますけど、別にメッセージ性があるわけがないわけでございますね。
特に今日なんていうのはもう何もないわけですけど、6月ももう終わりに差し掛かっておりますということで、梅雨時期、雨を降ったり止んだりはしております。
水不足というような声はどこからも聞こえてないんでございますけども、今日は何の話しようかな、何の話しようかなって考えてますとね、雨が降ったりとかしてね、心が沈みますわ。
何言うてのおっさんと雨が降ったぐらいでね、これはもう恵みというんですか、恵みの雨というような捉え方もできるわけですね。
人間というのは心の持ちよ、気の持ちよというようなものでしょうな。何かしら落ち込んでる時やったらやっぱり雨も湿っぽいなと、湿った空気がとかっていう風に行くし、結構心が元気な時っていうのは恵みの雨やなという風にね、ちょっと汚れが腹に流されたんやなみたいなことを言うわけですね。
人間も本当に気の持ちよやなというようなことで日々過ごしているわけでございます。二通り考えてみるというようなことが大事なのかなと思うわけでございますよね。落ち込んでるのが全くもって悪いということではないんです。落ち込むことも必要だと思います。落ち込んで考えて何かしら解決策はないもんやろうかと模索することも頭使うこと。
そうやけど落ち込んでる今現状やけども、これをなんとか明るい方向に考えを向けられへんかと考えることもまた頭の使うことということでね、日々過ごしておりますというような話でございましてね。ふとそんなことを考えておりますと、子供の頃はどないしてたんかなというようなことでございまして、昔話思い出すわけでございます。もう50年近い生きておりますけども、本当にあの一桁の時。
物心ついてる時、2歳3歳とかその辺のことだと思うんです。このところ映画の感想というんですか、そういうのをたくさんお話しいただいたりしてもらえますかというようなことでやってるわけでございますけども、自分と映画との関わり繋がりと言いますとね、僕そんなに映画が好きというような感覚とか、そんな感じで映画を見てるわけじゃないんですね。
私が幼少の頃、3つぐらいの時にね、おじいさんが商売やってましてね、おばあさんとともに市場の中でつけ物ショーなんてやっておったんですが、このおじいさんがね、仕事せえへん男だ。ほんまに仕事せえへん男、今考えたらそうなんですよ。子供の時はわからんのですよ。してるように見えるんですよ。
このおじいさん、気楽な方でございましてね、仕事サボりたいんですね。日々日々サボりたいんですよ。何ともやりがないんでしょうな。せやけど夫婦でやってるわけですから、そんなわけにもいかん。何かしらなりわいを持たなあかんというようなこともあったんやと思うんですが、私が3つ、4つですから、両親も働いておりましたんで忙しい。
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孫の面倒を見る、僕は市場の中の店の中におること多かったんですけども、孫の面倒を見る、じーっと一所に小さい子供おるのは我慢ならんやろうから、ちょっと連れて出てくるわ、ちゅーって自分のサボるついでにね、子供を見るわというのを理由にサボりに行くわけですけど、映画館に行くわけです。
当時、生久野区というところには廃人会館というパチンコ屋さんがありまして、その隣にパレスだという映画館があったんですね。小さい町でしたけど、よく考えたら映画館みたいなのあったんやと思うんですけど、片側がね、いわゆる成人映画っていうのをやってまして、自由はあったんですね。片側は普通の映画をやっておるんですけど、この映画館とは本当に生活が密着しているというか、家から本当に自転車に乗ったらもう何分中なところにあったわけですね。
その映画館におじいちゃんの自転車の後ろに乗ってね、これは荷物運び用の昔の千鳥とかいうようなあれ系のね、自転車ですわ。その平たい荷台にね、足痛い痛いねんけどね、またがらせて、後ろ掴んどけよ、落ちるから言うてね、自転車ぐーっと乗って行ったら映画館に入るわけですよ。
映画館でやってるのはその当時トラック野郎ですね、菅原文太さんのトラック野郎一番好き野郎言うてね、別に好きは言うたことないんやけど、トラック野郎がバーンとやってるんです。ふと一緒に入るんですよ、暗闇になるんです。
ほんで、ガッと見てるんですよ、覚えてないですよ、内容なんてほとんどね、後から見て、あ、こんなんやったなという感じはちょっとだけあるとか言う、よく覚えてるのは菅原文太さんよりも相川経也さんの顔の方がよく覚えてたんですけど、なんかそういうので連れて行かれたら、ふと見たらおじいさんおらへんのですよ。
でも僕は大人しい少年でしたから、じっとそのトラック野郎を見るわけですよ、じいちゃんおらんわって言っても別になんのことないわけですよ。よう考えたら、映画オーバーって出てきたらじいちゃんおるんですよね。なんでやねんって。トイレでも行ってんのかな、長い運行やなと思いながらね、過ごしてたんか何考えてたんか何も考えてなかったんかわからんのですけど、ふと大人になったときに考えたら、あれ隣の成人が見に行ったんやなというようなことがあったり、
生活に根付いとるなと思いながらね、何を根付いてるのかわかりませんけど、成人が見に行ってたんやなと思うのがね、なんか達者なおじいさん、若かったと思うんですよ。僕が7つの時に官力祝いしてますから、僕が3つと言いますと50代、僕と今の年齢と4、5歳上なだけなんですよね。そう考えたら、まあまあ若いなと。
で、元来の遊び人ですから、まあそれはもうそうやろうというようなことで。で、そのまま映画終わったら、どこ行くんやったら店には戻らんわけですよ。一番風呂行くわけですね、銭湯の。当時いくのこの中にはもう銭湯、僕が覚えてるだけでも4つ5つ軽くあった、もっとあったと思うんですけどね。まあ自分らの行く範囲という中には、もう4つ5つあったんですよ。
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それの一番近く、今も残ってるんかな、あるんか忘れましたけど、安楽湯という銭湯がありましてね、いくの国。そこの一番風呂に絶対に孫と一緒に行くというようなことで。で、まあそうやけどおじいさん、僕思い出すのは、いつもおじいさんに体洗ってもらうんですよね。もう足の差から、今でも感触を思い出すというようなことがあるんですけど、お風呂入って一番風呂入って、また店戻る。言うてる間に、まあ店終わる時間になるわけですよね。
小一時間以上お風呂におって、そこから帰るわけですよ。もう夕方ですわな。晩飯時の、まあちょっと客の多い時間帯に戻ってくるというようなことを毎日ほど繰り返しているわけですよね。
ときにはそれが、映画屋の隣の阪神海岸のパチンコを売って、玉拾ってこい、言うてね。落ちてる玉を小さいながら拾ってて、おもちゃが飾ってある棚があるんですけど、欲しいなと思いながら、何も言おうとおじいちゃんには言わんとね、玉だけ拾ってきてね、お菓子もろて、というようなことだったと思います。
そんなおじいさん、このおじいさんもね、本当に遊びになることには変わりないんですけど、昭和期、前期ですかね、日本にやってきてというような子も、こういう子供の頃やってきたから、文房というんですか、文字は書けなかったですね。だからどこ行くのもね、僕連れて行ったんですよ。
それこそ小学校に上がってからなんかっていうのは、電車乗るにしても役所行くにしても僕を連れて行った。何でかというと名前が書けるんですよね。名前ぐらいは書けるようになっとったと思うんですけど、そのほかの住所とかは8日間わけですよ。
書け、というわけですよ。僕は一生懸命その住所を覚えて書いてたと思います。これは結構年がいってからでも、僕が中学校ぐらいになってもおじいさんに言ったら、九州なんですけど区画整理のところの役所に行って書類書かんな、一緒に行ってくれって言ったら、
あ、そのとき思い出したんです。そうやじいちゃん、字書かれへんわ、言ってね。思い出して自分が代わりに書いたというようなことが思い出されるなって。これは、まあ初等教育が云々というような時代ではなかった時代に日本に来てますから、これはまあそれはしゃあないなと思うようなことなんですが、
まあそれに悪びれるというか、恥ずかしいという意識は一切なかったですね、本人に。まあまあだからどこ行くにもちょっと遠い福井の親戚が居るところに訪ねてく妹さんがおったんですけど、訪ねてくれたら電車に用乗らんですよ。なんで書いたら字が読めんのですよね。
だからまあじいちゃんこっちやれ、あっちやれと言って、小学校低学年の頃からじいちゃんばあちゃんの手引いて出かけとったというようなことがあるわけです。今思い出すと悲しい思い出ではないんですが、時代というんですか、まだそういう人がたくさんおったなというような時代なわけですよね。
そんなおじいさん、まあ破天荒な方ですから、若い時は家族、嫁さんおっても子供おってもほったらかしで1年ぐらい旅に出たりとかね、結構若い時あったらしいですけど、1年ぐらい行って帰ってきたらひとさしぶの先に亡くなっとったみたいな話がね、結構ありますけど、これも僕はおじいさんからは工場で働いとってプレスキーに挟んだ言うてずっと聞いとったし、大人になってからですよね、親戚のおじさんからアホなこと言うな言うてね言われたのは。
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なんと事情わかるやろ、言うてね言われたの。そんなおじいさんですわね、破天荒やな言うてね。そのおじいさんと僕顔がものすごいウリふたつなんですよね。若い頃の自転車にまたがった写真見ますと、今の僕そっくりです。
もうメガネかけてますけど、メガネ外すと全くおじいさんと同じ顔なんですよね、体型も含めて。身長も僕よりちょっと低いぐらいだと思うんですけどね、遊びに偉いとこにいてもだなと思うわけでございますけど、嫌われてるかと言ったら嫌われてる人ではなかって、明るいコミュニケーション能力の高いおじいさんやったと思いますね。遊びには長けてたというようなことでございます。遺伝中な後輩ね、というようなことでございましてですね。
おじいさんを知ると自分がわかる。おばあさんを知ると自分がわかる。おばあさんの話なんかもたくさんあるんですが、このおばあさんも黒人です。いろいろあるんですけど、その思い出っていうのはまたぼちぼち何回も同じ話をよそでしてますけども、また何か思い出したら話したいなと思うわけでございます。
おじいさん、破天荒なおじいさん、こんなおじいさん、みなさんいたかんちゃうかなと思うわけですよね。2代さかのぼる、3代さかのぼるというようなことがあれば、どこか身内に1人は破天荒な人がおってね、昔はこの辺の山は全部うちの山やでって言うて、だけどな、1人おじいさんが放灯息子で打ってまいよって言うのよく聞きませんか。身内に1人は絶対おるんですよ。
あのまま持っとったらな、高速道路通ったのに、みたいな山いっぱいあるわけですよ。各うちの父方っていうのもそんなんがあったやろし、母方っていうのもそう言いますね。昔の辺っていうのはほんまに山なんて二足さんも売れたでしょうな。今なんかもそんな値段高いと聞きませんね。山肯定管理が大変上がってるようなキャンプのYouTuberとかね、結構聞きますわな。いろんな話ありますなということでございます。
幼少の頃のことからいろいろぼちぼち思い出しますと、そんなに破天荒でもないような生き方してきてる自分ではつもりなんですけど、環境がちょっと人と違うというような部分があったかもしれないなと思うわけでございます。でもこれをドラマチックに話しますと、ドラマチックになっていくわけですよね。
これがぼんぼんどこにもあったことですやろうというと、そうかもしれないなというようなことなんですよね。自分がどう受け取るかどう感じるかどう感じるように持っていくかというようなことのほうが重要なんやなと思うわけでございます。
人に話すときにドラマチックに話せるやろうかというようなことを考えますと、そんなにドラマチックじゃないことでもドラマチックにできるんちゃうかなと。これは能力かもわからないなというふうに思うわけでございます。
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自分にはそんな能力はそんなにないわけですけども、もうちょっと劇的に話すこともできるんちゃうかなと思うんですけどね。
じいさんが隣の成人映画のほうに行ってたというのをもうちょっと描写細かく言うでもいいような気もするんですけど、あんまり言うと下世話の話になりそうな気もしますしね。
何よりも、昔を思い出すというようなことというのは、頭の運動というんですかね。こんなことあったけどこれどうやったんかなと今考えますと、ああいうことかというようなことが結構あるわけですよね。気づきというんですか。
これも過去を遡るということが大事なのではなくて、自分が認識していることは見る方向が違うから違う答え出てくるんちゃうかというようなことが多々あってですね。
今日々過ごしてたらそれできへんのですよ。今やから。今自分が思ってることやから。なかなかこれを客観視できへんのですよね。これは僕の能力が低いからですよ。これできる方もおられるんですよ。
それを過去のことを振り返ってもう一回考え直すと、これちょっとわかりやすいわけですよね。自分の置かれた身の上、自分の置かれてる環境を今考えたらどなんやったんかっていうのは面白いなと思うわけです。
幸せだなと感じることもやっぱり多いわけですよね。その多幸感というんですか、幸せな。いうのに包まれる時間も必要というか、結構恵まれとったなというような思いもあります。
また肌と違う目線で見たら、これは幸せということとはまた別で、あんまり異様ない環境やなと思うようなこともできるわけですよね。
こういうことしてみたら面白いなというようなことということなんですね。家におってもそんなことできますよねと。
よくよく昨今ね、まあ昨今というか僕らは若い頃から言いますけども、自分探しの旅に出るということっていうのは、僕は否定派なんですよ。
家におって自分を見つけられへんやつは、どこ出て行っても見つけられへんと思ってるんですね。これは極論ですね。
全部が全部ということではないんです。環境を変えることによって見方を強制的に変えるから、自分を見つけられるんやと言われれば、まことにそういうことやとも思います。
そこまでせんならんかというような部分もあるんですよね。想像力の欠如ちゃうかと思うときもあるわけでございます。
頭の中でガーッとこねくり回すことをまずやってから海外に出て行く方がええんちゃうかと思うんですよね。
でもそれで言うと、何も見つけんまま海外旅行行ってる人と、自分探しの海外旅行行ってる人どっちがええねん言うたら、自分探しに行ってる人の方が好ましいんですよ。
何も考えんと贅沢するためだけに海外行ってる人よりは、そっちの方がいいわけですよね。
人間っていうのは絵かげなもんですな、と思いますね。自分を探すというのは難しいことですね。
アイデンティティーという言い方をしてもいい、アイデンティティーを見つけに行くという言い方をしてもいいと思うんですが、
身近なところで見つけられるものというのは、母親父親おじいさんおばあさんのことをよくよく思い出して考えると、見つけやすいんじゃないやろうかというようなことなんでございますね。
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アイデンティティーと言いましても、生きる意味とか、なぜそこに生きてるのかという捉え方を僕はしておりますが、
そういうことがあればいいなと思うわけでございますね。聞く人によっては、何言うとのおっさんと思うんですけど、ない頭を絞って考えた結果なんですよね。
賢い人はもうとっくに到達して飛び越えて違うことを考えてあるわけですよ。
そうやけど、やっぱりみんなみんな賢いわけじゃないわね。僕らみたいに頭の出来の悪い人間というのは、どのように考えたら頭悪い人間でもスッと入ってくるやろうな、飲み込めるやろうなという考え方を皆さんと共有していただかなきゃというようなことだと思うんですよ。
僕らなんかはだから古いことをもう一回考える、思い返すということで、自分の考えをちょっとずつ変化させようかなというようなことが結構多いわけですよね。
納得させることがまず大事。自分を納得しないわけですよ。ほっと考えたもんやったらなかなか納得できないんですよ。
だけど考えていったら、こういう考え方したら自分もグッと飲み込めるなというようなことがいっぱいあるわけですよね。
そんなこんなでずっと自分と睨み合いというんですか、悪たほうが負けや言いながら自分の過去と睨み合いするわけですよね。
あれは何も考えても無理やいうようなこともあるわけですよ、中にはね。
自分もこれが悪い、こういう考え方が悪いというようなものを気づくことはある。悪いけど変えられへんこともある。悪いと思ったからふと変わることもあるということで、それが自分を探しちゃうんかなと思うわけですよね。
だから本を見ないと自己啓発はできないって言ってる人はちょっとどないかなと思うところはありますよね。
そんな難しいことちゃうんちゃいますかって本をぽっと開きますとだいたい当たり前のことが書いてあるわけですよね。
それぐらいはみんな言われるの分からんのよな、この本を買うことでそれに気づくということもあるんでしょうね。千何歩払わないのよなとかね、だいたいそういうことを考えてもらうわけでございます。
頭悪いからそういうふうに考えてもらうわけですよね。お金があれば僕もそういう本、こう出ると思うんですよね。お金がないから自分で考えるしかないと。
たらずっちを脱穂するしかないというようなところから出てくるわけでしょうな。何言ったんやろうなと思うんですけど、そんなことですよね。
古いおじいさんが映画をふっとね、エスケープして隣の成人映画の映画館に入って見て、孫が映画終わる頃に合流するという知恵のあることやなと思うわけですよね。
なるほどなと思う。やったのかとは思いませんけども、今時ね、真横の繋がったところで成人映画やってる映画館なんてもうないですやろな、田舎にってあるんやろか。
なんかそんなふうに思いますね。よく考えたら成人映画ってなんや、あれもあってね。見たことあるかい、日活ロマンポルノとかでしょうね。見たことないんですよね。
もう世代的にはね、いろんなコンテンツがある時代に生まれてますから、当たり前にそんなんはもうあんまり見るあれやなかったんですね。
一所に成人映画と言われてもピンとはけえへんし、だけど僕らの上の世代になるともう成人映画の女優さんの名前をグッと覚えた方が結構多いんですよね。
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これが時代のちょうど変換期に僕はおったんやなと思うんですよね。そんなことを思ったりとか、成人映画のところから違うことに話が発展していくというんですか。
そんなものはありますよ、というようなことで。過去を振り返るというのはね、自分がやってもらったこと、過ちをもう一度考えるということも必要ですが、違う角度から見るというようなことも面白いんじゃないかなと思う今日このものでした。
ぐちぐち言うてますと、また隣のほうから、向こうのほうから、黙れ、やどろく、と聞こえてきそうです。