00:06
えー、黙れヤドロクでございます。お疲れさんでございます。
元気?
えー、そんなわけでございましてね。
えー、まあ、都内してるから言うたね、皆さんね。
えー、ちょっとこう、急に寒くなったりしてね。
あのー、体ついてかへんわなー、うん。
で、まあ、どうも花粉も多いみたいなこと言うとれません、言うてね。
で、またなんかこう、ちょこっと関東の方で地震あったりとかね、まあいろんなこと起こっておりますが、
まあ本日なんですけどね、まあちょっと小耳に挟んだというかね、
えー、あんまり詳しくはこう、耳に入れたくないというような情報、
まあそんなわけでもないんですけどね。
あのー、実は日本でちょっと増えてきてるというんかな、
まあちょっと今はまた落ち着いてるみたいですけども、
えー、「夫が死んだら離婚する現象の知られざる実態」という記事をね、ちょっと読んだんですよ。
もうね、そんなばっかり目いくねんな、と思うんですけども、
えー、「日本という国や日本人の謎に迫る真相」という本があるんですよ。
「日本の資格」というような論文セーラーになってるらしいんですけど、
まあそういう本の中に書いてあるんが、
まあちょっとね、あの近年ね、死後離婚という現象が顕著になってきてるというようなことをね、
えー、なんかこの何年ぐらいかな、今24年ぐらいでしょ、24年か25年かその辺、
2024年か、この4,5年ぐらいかな、そのちょっと前ぐらいからですかね、
テレビで特集されたというようなことはあるんでしょうけども、
なんかね、死後離婚という言葉がバッと出てきたんで、
まあ亡くなってから婚姻を解消するというようなことなんやろうなと単純に思っとったんですよ。
別に言葉そのものは聞いたことあるなというようなことだったんですけども、
どうもこれが、なんか読んでみたんですよ。
記事をね、その本まで読むそんな頭はないですから、
ややこしいことはもうやめてっていう感じやからね。
これがね、あのね、姻族関係修了届というのがあると。
これのことをまあなんか死後離婚というような言い方をするんですが、
まあだから結局肩割れはおらへんなったから離婚しますということなのかなという、
まあそんなこと必要であるんやろうかと読んでみましたら、
どうもこれがね、本人と離婚するというような形ではないねんな。
これちょっと簡単に言うの難しいんやけども、
親戚関係って親戚やわな。
例えば自分が奥さんやとして旦那が死にましたと。
その亡くなったご主人の親族との付き合いというのは残りますやんか。
もちろんね、戸籍との関係とかもあって。
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この姻族関係を修了するのは届出がいるってまず知ってた。
亡くなったら終わりということはもちろんないよ。
それはおじいちゃんおばあちゃんには変わりないしというようなことあるんやけど、
このお母さんは義理の親ですわな。
この義理の親の面倒を見なあかんという責任というのはちょっと残ってるんやろうね。
たぶんその姻籍関係という配偶者の血族というような言い方にしたらわかりやすいと思うんですけど。
この辺のことがやっぱり責任は残ってるけど、
たとえばね、この義理のお父さんお母さんがものすごい良い人で、
自分ら結婚した当初からいろんなことやってくれて世話になってというようなね、
これは片側が思ってることじゃん。
両方が思ってて世話したって世話されてありがたいなお父さんお母さんと思ってやってきた人が、
これせえへんと思うのよ。
やっぱりね、次世代に対してあれもしてくれこれもしてくれ言うてね、
いわゆる老害ですとある意味ね、
なんか子供やねんからこれぐらいしたら当たり前やっちなことで、
あれもせえこれもせえと、
墓はここに入れというようなことがあったら、
嫁の立場からしたらなんでやねんと。
やってくれることをものすごいやってくれてて、
責任もその代わり背負って言ってねばこれ理解できません。
私たちの持ってる財産も土地も畑も家も何からも、
証券でもなんでもええわ、
もう全部あんたにあげるから、
ちゃんと墓とか守りしていって続けていってね、
これは理解できる。
昔はそうやったと思うんですよ。
家徳というものを全部次の代に移すし、
例えば息子が長男、次男でいいんですけど、
息子の代には墓守りと代の供養とというようなことを全部責任を負ってもらう。
代わりに財産を全部あんたに渡すからね。
これは納得で、また孫にそこに移してあんたらやってよ、
というのが続いてきたわけでございます。
家を守る、家徳を守るということが続いてきたけど、
これね、法律の改正もあると思うんですよ。
昔は家徳というのは長男に譲った。
良し悪し言うたってしゃあないんですけど、
一人が家を継ぐという役割を担うために、
これ次男でもいいんですよ。
になったからあなたに全部家の財産というものは渡しますと。
他の人らはそれぞれ好きにいきなさいと。
というようなことで続いてきてたわけがあるわけで、
家徳の相続というやつですね。
こういうことがあったら、
もらってる側もやっぱりそんだけもろたんやから、
守っていかなあかん、次の代に渡していかなあかん。
これは納得できるんやけど、今法律で言うたら兄弟均等でしょ。
お父ちゃんがおったら子供さんにおったら3人に、
奥さんは別として奥さん半分、
残りの第三はこの兄弟に3分の1ずつ、3人おったらね。
っていう法律で平等になってしまう。
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このお母さんが亡くなったらまた兄弟で3人3分割。
これもう長男次男とか長女とか、
兄弟が分け隔てがもうないわけね。
上下がないわけよね。
ひとりだけがお墓の面倒を見て、
お父さんお母さんの老後の面倒を見てっていうのをやってると、
揉めるに決まったんや。
たとえば可愛がり方とか、
面倒を見てるのは長男の嫁が一生懸命老後の介護をしてる。
だけどおじいちゃんおばあちゃんからしたら、
次男の家族可愛いからそこに小遣いやったり、
旅行費出したったり家建てたったりしてる。
自分らはもう家に住んどったらええやないのを言う。
ちょっとたとえば、
家賃が避け取れるような土地を次男にやってしまう。
目の前でこれを嫁が見たら、
何してケツかんねんと。
お父ちゃんお母ちゃん面倒を見てるのは私たち家族やと。
家族も、墓の世話も、ずっと私たちがやっていかなあかんやと。
なんで均等やねん。
僕もこれ聞いてたらね、
相続の法律?こんなのどうなってんのかわからへんけど、
ちょっと不公平やなと。
まあ細かく言うとあるんでしょうけどね、いろいろやり方が。
ちょっとそれはあかんと。
やっぱり平等なんやったら責任も平等やと。
お墓の森も兄弟3人おったら3人が続けていけと。
たとえばこれ1人娘がおったら嫁に行ってしまったら向こうの責任出てくるから、
それは除くというようなことだったら、
この娘は財産持ったらあかんことになるわな、ほんま言うたら。
向こうのもらうからというようなことで考えたらね。
せやけどそんなん関係ないんです、今。
それやったらもう見な。
自分の家のも、嫁に行った先のも見なあかん。
こんな責任だけが追っかぶさってくるようなことを考えたら、
それはね、だんだんなくなってしまったら、
私もそんなんいらんと。
もう隣族の関係は終了したいんですと。
言うのは気持ちわかると。
いうふうに思ったんですよ。それでええんやないかと。
見る責任ないでというようなこともあるんです。
でもね、親からしたらずっと代々自分らも、
そりゃやってきた中なことあるけどね、
今もう時代もちゃうし法律もちゃうわ。
だから僕らも、先亡くなったりしたらね、
もうボスやらに隕石関係終了とどけ、出しとけ。
今自分が縁切ってしまってるから、
そんなん言ってる場合ないけどね。
せやけど、それは教えといたらなあかんなと、
いうふうに思うわけですわな。
だから結局は皆さん何がいいや言うたら、
お墓の森であったり、やっぱりね、責任の部分なんですよ。
隕石関係って親戚で何か報じあるたびに呼ばれるとか、
もうよーけ報じしてるとこありますやんか。
うーん、もう行くたびにお金かかるわ。
あと介護の負担。やっぱり墓の問題。
このへんってね、今までの日本のやり方と、
今新しい時代になってきて考え方とか責任がね、
変わってきてる時代のやり方とは、
やっぱり差異が出てきてるから、
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ここで一発見直さなあかんと。
でも今のシステムでそれをスポンと切ろうと思ったら、
いわゆるシゴリコンと言われてるような、
隕石関係の修了都道府県というのは、
出してもええんかなというふうに思ってしまいますね。
なにせね、責任を次の第2というのがね、
やることをやってあげて責任を移情する。
これはありです。
これを拒絶する。
やることやってもてんのにいらん言ってる子がおったら、
これはこれで問題だね。
やることだけやってもて、
シュッと逃げやがったってことになるわけです。
これは親からしても、
ここの競技っていうのはいるなと思うんです。
でも、やることやってくれ、
はんやったわ、
タイムやりますぜと。
これは細かくここの擦り合わせっていうのは絶対いるんですよ。
これもやっぱりね、
生きてる間にやらなあきまえんわな。
僕ら、このチャンネルっていうのはね、
僕の年、似たような年の人から、
上野代の人、ちょこっと聞いてくれたと思うんですけどね、
まあ、もめる前にもういいよ、話しとかなあかん。
大田小屋っていうのはね、
俺ら死んでもいいのにそんな話しやがってってこと言うんやけど、
あとあともめること考えたら真面目に話しとかなあかんぜと。
今こういう問題もあるんやでと。
墓どないすんで、
自分ら死んだら関係あるかい。
いや、たぶん墓そのままになんどうと。
お墓のシステムもどうなんやと。
産骨したりとか永代供養でもお寺預けっぱなしやとか、
それはそれでも別に悪くないと思うんですよ。
もう何もそんなんね、
亡くなった後まであったこうだ言うとあかんと、
いうふうに僕は思ってるんですよ。
これは人の、僕の一つの考え方ですから。
もう亡くなったらもうそこでスパンと、
綺麗に切れたってかまへんと。
ただね、息子や娘っていうのはずっとつながっていってるもんやから、
気持ちの中に残ってりゃもうそれでいいんですよ。
形なんてどうだっていいやないですか。
お父ちゃんあそこで亡くなったけど、
あっちのほう向いて手合わせとこか、
あっちのお父ちゃん元気でやってんで。これでいいわけですよ。
もし僕が亡くなって幽霊になったとしましょう、
あるんかどうかわからんけど、
息子が何もそのお父ちゃんのこと思い出せん。
これが一番寂しいわけですよ。
思い出してくれて、お父ちゃんこんなんやったな、
おもしろいおっさんやったな、言うてくれたら、
まあ気分ええわね。話題に上げてくれとるな、
っちなもんですか。将来かまってほしいタイプですから。
亡くなってもたぶんそれは変わらんのですよね。
だからお父ちゃんこんなんやってんな、
あの人こんなんやってんな、ちょっと話持ってくれてもいいぐらいだ。
お前のおじいちゃんこんなんやってんだ、言うてくれたらね、
僕もいいこと言うなんて、お前かもてくれてくれないかと。
いうふうにやっぱり良くしたろうと思うと思うんですけどね。
やっぱり忘れられるということが一番寂しいことです。
気持ちの中、人の心に残らんということが一番悲しい出来事だと思うんですね。
お墓の形なんかどうだっていいんですよ。
もうその範囲の道端に振って埋めてくれたって、
法律に触れんかったらそれで振りますよ、そんな人はね。
飽きませんよ。
でも産骨とかいうのは要考えてあるなと思うんですね。
公共の公園やったりとか許可さえ出せば、
12:02
海に巻いてもいいですよというような法律できておりますよ、今。
だからそれをできる前に、
うちのおばあさんなんかは大分県の海に骨巻いてくれって言うとあった。
ほんまは許可されてないけど、
まごら、片手に握りしめてね、おばあさんの骨巻きに行ったの覚えてますわ。
まだ法律が許されてないときですからね。
ほんまはあかんのですよ。
でも今はちゃんと届出を出せば、
産骨というのは許されてるらしいですから。
場所も決まってるのかもわかりませんけど。
なんかそういうことがあってね。
やっぱり心の中に自分のおばあさん残ってるんです、僕の場合は。
いつでもおばあさんのことを思い出します。
だからこれが一番大事でね。
お墓に行くこと。
お墓行きたいですよ、僕はね。
大分県にあります。大分県大分市にお墓がありましてね。
いつでも行きたいな、おばあちゃんと思うんやけど、
別にそこに行かれてもね、心の中におばあさん残っておりますよ。
だからいつも思い出して、
おばあちゃんこんな言うとったなとかね、
おばあさんから聞いたひいじいさんの話であったりとかね、
自分の父親の話であったりね、
その父親の兄弟の話であったり、
いろんな話を亡くなる前に聞いてますんで、
そんな思い出して、おばあさんこんな言うとったなとかね、
おばあさんの幼少のころの話聞いて、
なんぼ泣いたかわからへんし、
それを思い出してもいまだに涙が出てくるんですけど。
このあと僕がどうこういうことではなくて、
子や孫がこの番組を僕のデジタルタトゥーとしてね、
ゆい言として聞いていただければ、
そういうおばあさんがおったんやなというふうに覚えててくれる。
こんないい人がおったんよというようなね、
お父ちゃんは最低やったけどおばあちゃんはいい人やったんやなと思ってくれたらいいなと思う。
悪いのも残っていくんですよ。
もちろんね、あのおばあさんこんなやった、
あのおじいさんこんなやった最低や、
思い出には残ってるからまあええんかなと思うけど、
嫁さんからしたら、
例えばボスからしたら、
うちの親なんていうのはもう、
どういう思いがあったかというのは僕にはわからへんし、
僕がもしふと亡くなってそこにね、
面倒見るおいてきたりとかしたら、
それはもう見ることないと思うんですよ、当たり前に。
僕も今見る必要ないと思ってますから。
だからもうすぐに、
僕が亡くなったらもうすぐに、
隕石関係終了お届けを出しなさいと。
書いていったのかと。
もう病床でね、
病床で死ねたらええですわ。
病院のベッドの上で、
隕石関係終了お届けを出せ、
言うて亡くなる思ってますよね。
全て切れ、言うてね。
記憶にさえ残ればええというような感じはありますね。
おもろいじゃないですか。
まああの学6代目、
関西で有名な6代目諸角師匠ですね、
諸角手鶴部師匠の師匠ですけども、
亡くなる前の最後の一言が、
ババしたいっていうセリフやったみたいな話を聞きますけど、
あれぐらいまあやっぱり面白いことというんですかね。
お父ちゃんの最後の言葉は、
隕石関係終了お届けを出しに行けっていう言葉やったと。
言うても悪ないんちゃうかなというぐらいね。
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これを人間関係の規剥さえと言ってしまえばそれまでですけども、
責任だけを負わすというような風習と言うんですかね。
人間というのが増えてるということだと思うんですよ。
責任だけじゃなくて恩恵というものがちゃんとあれば、
その責任というのは代々つながっていくものだと思うんですけど、
恩恵なくして責任はないんです、やっぱりね。
というふうに思います。
お父ちゃんお母ちゃんが残してくれた土地、電波塔、建物があるから、
私らが家賃払わないでなんとか生きていけるなというふうに、
これはありがたいなと思うんやったら、
お墓の面倒ぐらい見たろうが、年に2、3回行きゃええか。
ちなことで、そのまま隕石関係を続けるということは可能でしょうし、
いやそれでも私は耐えられへんと。
あんなけいじめられたら、私はなんで面倒見なあかんねんと死んでまで言うてね。
みんなあの人らと同じ墓入るの嫌やわ、言うてね。
思わんやったら終了を届け出すという考え方もあるんやろうなと思うんです。
これはね、各各おのおの個人個人、全部ちゃうもんやと思います、思いっていうのは。
でもね、一回やる前に誰とに話して聞いてもらうということは大事なような気がしますね。
ほんまにええかと。
なんかね、別に書類上のことですよ。
ご主人との婚姻がなかったことになるわけじゃないんですよ、実はこれ。
だからご主人の、たとえば残した財産だったりとか、年金であったりとか、
こういうものはちゃんと残るんですよ。
ただただ親戚関係だけを止めるというようなこと。
ただしね、おじいさんおばあさんがものすごく資産家やった場合、
これ切ってまうと、なんか相続の絡みで云々あるんちゃうかなというような。
まあそれも悲しいあれもありますわな。
まあそんなことするやつには一戦もやらんということは通じるのかどうかわかりませんよ。
まあ子供らには異流軍中のが残るのかもわかりませんけども。
なんかそのへんのややこしいことありますからいよいよ調べてね。
あなたの子のしゅうとめさん、炭素の中に1億ほど置いてまえんが、
そのへんいよいよ調べながらや。
だからね、簡単になんでも決めたわけまえん。
プロのところに相談しに行って、何が自分にとって一番バランスとれるかですよ、これは。
損する得するちゃいません。
バランス。
やっぱりやってもたもんはね、恩義に感じるという心は人間忘れたわけまえん。
これは大事なことだと思います、ぼくも。
親から育ててもろたという本人と違ってね、
よその家で育った奥さんがよその親の面倒を見ていくこと、
これしっかり見たる人も中におるんだ。
若いとき、結婚したとき、義理のお母さんに助けてもろた優しいしてもろたという人は、
あんな女はやっぱり面倒を見はるんです、これ。不思議なもんで。
不思議じゃないわ。当たり前なんや。
普通の人間で考えたら当たり前なんですよ。
好きやね、私義理のお母さん用意してくれはったん。
ぼけても、今私のことわからへんねんって寂しい顔しやがる。
こんなん一番美しいですわな、みなさん思えませんか。
だから今しゅうとめという立場になってる人、
18:00
しゅうとという立場になってる人、やっぱり嫁さん大事にせなあきまえんで。
関わらんというやり方もあると思うんですよね、あんまりね。
迷惑かけるから関わらんというやり方ももちろんあると思いますけども、
やっぱり嫁さん来たときに何々ちゃんええがなあ言うてね、
褒めたってね、頼むわなあ言うてやっていくのも一つのやり方、
起源とっていくのも一つのやり方だっせ。
それでもそれを御義に感じる人がおるなら、
それはその子、自分の息子が見る目なかったという考え方もありますし、
その子本人が性格とても悪かったというようなことにもなりますよ。
逆もまた叱りですね。
うちの旦那もええ人やけど、
シュートシュートめがほんま最悪やと。
もう言い方ですよ、最悪や。
あんやあれ、最悪やと思ってる場合もあるじゃないですか。
だからこれはいろんなパターンがあるのでね、
ちゃんと自分がやってもうたこととかしてもうたこと、
あんまり御義でがましかったらまたそれはそれで考えもんねんな。
私これもやったったのに言われたら、目の前で言われたらなんじゃこいつ思うもんね。
なんぼやってもうてても、このへん人間関係ってのはだいぶ大事なことやから、
どこのポジションに自分が心を置くかということは大事なことですな。
絞り込んというような言葉からね、
連想したら亡くなった後やからもうあんたのことなんか知らんわい。
私はよその男のとこ行くんじゃ。
こういうことではないというようなことなんですよ。
あくまでご主人の親戚関係を止めるというようなことっていうのはね、
やっぱり生きにくかったり顔出しにくかったりね。
知らん人やけど、亡くなった誰々の嫁さん親戚やから呼ばんなとか、
そういうのも縁に気使われるという部分があったりもしますから、
まあ考えようというんですかね。いろんなことありますね。
あとお墓のお墓盛り渡し要請はというのもあるんでしょうし、
全然もうほぼおったことないようなおじいちゃんおばあちゃんのお墓を
自分の子供に面倒見るのもちょっとなとかね、
お墓入れようというのも微妙やなとか、
この距離感みたいなものもありますわな。
だから要は生きてる間に、これはまあほんまは嫁仕留めのほうから、
息子夫婦やったり娘夫婦を集めて、
これどうしていくか、家をどう続けていくか、
続けるのもここで解散するか、解散って。
まあまあいろんなやり方でお墓を枝に預けて、
お墓なくしてしまおうかとかいろんな考え方があると思うんですけど、
その整理はやっぱり必要だと思いますよ。なかなかせえへんでしょう。
やっぱり僕らの世代ぐらいがもう年寄りになったときには、
それやっぱりしていかなあかんと思いますわ。
僕らが財産も何もないし、もう迷惑かけるだけやから、
なんか延命治療とかあったら息子には言うとあるんですよ、
すぐスイッチ切れって。
ああ言うて、足に引っ掛けてコンセント抜けって言うとあるんですけど、
ピッピーになってるやつ止めてまえって言ってるんですよ。
そんなことになったらもう生きてる意味もない世界にいるって言うとあるんですよ。
もうすぐ迷惑かけるだけやと。
お墓もいらないし別に。
産骨も手前だせんで放っとったらええねんって。
風化するって言ってますけども、それは大げさに言っておりますが、
息子らの考え方でどうにでも好きにせえと。
21:02
おまえら決めた決定でええがなって言うだけのことでね。
もう死んでおらへんわ、もう文句も言い終わらへんわと。
夢になんか出えへんで、いちいち言うてね。
言うてあるんで、そんなもんは。
言うてる、言うたと思うんですけどね。
たまに思い出してくれへん方は夢に出るでしょうね、僕の場合はね。
お笑いに上げてくれと。
親父こんなんやったなあって言ってくれたらそれで消えへんですよ、僕は。
なんかハッカー来られても、ハッカーにおらんわ、だいたい僕。
なんとなくハッカーにおらなあかんねんと思うし。
お仏壇で毎日ご飯あげてくれたら、かまわれすぎてしんどいってなるから。
気使うわ、言うてね。
毎日ご飯ちょっと組んで、お水やらあげてもって、お花こうやって飾られてて。
そんなんされてみぃ、もう気つこってしゃあない。
しんどい。
たまにでええねん。年に何回かね、言うて。
あとは、生き残った人間が兄弟ね。
僕なんか兄弟と仲良くできへんかったから、兄弟仲良くしてくれたらええな、
面倒見てくれたらええなと言うのとね、
うちのザ・ボスが生き残ってるやろうから、
お母ちゃんよみだってくれよと言うのがあったら満足ですよ。
僕なんかいつあんち行ってもええんだ。
そんなもんはそれさえわかっとったらね、
長生きして迷惑かけるぐらいだったら、
外におばあさんのとこ行ってね、
おばあさんにいろいろ怒られようかなと思ってます。
早めに怒られて早よ離脱したいんですよ。
絶対怒られるからね、行ったら向こうに。
何してんねんお前、言うてね。
怒られると思うんです。
でもまあおばあさんに怒られるんやったら、
それはうれしいこっちゃなとね。
おじいさんにはいろいろ、
生きてる間に言われへんかったことをおじいさんに言おうかなと。
ひいじいさんに、大垂れひいじいさんに、
いろいろ聞きたいなと。
ほんまどうやったんとかいう話も含めて聞きたいなと。
おじいさんにも会いたいですね。
おじいさん、酒飲みすぎて亡くなってまいましたけど、
ほんま何が嫌で、何がどうやったん、
というのを聞いてみたいなと思ったりね。
亡くなった大田子と南山のおじいさんの弟とかね、
ガダルカナル南方のほうで亡くなってますが、
その時どういうふうに考えたんかとかね、
そんなお話も聞きたいなと思うんですよ。
だから亡くなってからの楽しみっていうのは結構あるんですよね。
おばあさんとともにちょっとフラフラ旅に出たいなと、
いうふうに思いますよね。
向こうにそういう世界があるならば、
昔のようにね、おばあちゃんの手を引いて、
鶴橋の駅から電車に乗った頃思い出して、
ちょっと旅に出たいなと思うようになってきましたな。
あと20年ぐらいはかかると思うんですよ。
普通で行けばね、そうやと思うんですけど。
この絞り込んという話、
それぞれ人には思いがありますよって、
絞り込んしようがしまいが、
僕はいいと思います。好きなやりながれと、
いうふうに思っておりますんでね。
そのへん皆さんもどうお考えになるか、
考えなきゃいけないんでね。
そんなふうに思います。
お疲れさんでした。