20代の思い出
毎度黙れヤドロクです。お疲れさんでございます。何回聞くの?元気?元気やったらいいねって言ってますけども、今回はですよ、おしかつ2次元ライフラジオ、まこっちゃんがやってますね。ポッキャトークテーマ、20代、第3回になりますからね、これ。20代のジャングアダルト編ですわな。
何があったん?20代のあんたは何があったんですか?って言ってね。えらい勢いで喋ってますけども。いろいろありすぎやわ、20代。何してたんやろうかな。細かいこと言ったらもう終わらへんやん、話1個も。言ってますよ。みんなどんな話しちゃうんやろな。
だいたい一番に出すでしょ、僕。だからわからへんねん。ほかの人にも聞いて、あ、そんな話したらよかったなって、いっつも思う。待ったらええのにな。待たれへん。しんぼうできへん、そんな。全然しんぼうできません。それもうすぐやります。もうすぐやるなら教えたろか、何でか言うたるわ。忘れんねん。
あのヤドロクさん、あのポッキョトークテーマの参加表明されてますけども、お誘いしましてOK頂いておりますけども、いつまで経っても上がりませんがどうなってますか?絶対言われるやんか。もうそんな言われたらええやん。もう怒られんの嫌やんか、そんな、この年になって。あ、すいません。すぐ撮ります。みたいになるやんか、どうせ。そんな台本とかないのにやな、生。そんなのもうすぐ喋ったらできんのにやな。やらへんってどういうこっちゃねんって言って。
いいんまこっちゃねえな、怒られるで。そんなもう、怒られたくないです。特に女子に怒られたくない。もう怒られ続けてきましたから。ええ、もうそん、何があったやん。何があった言われたら困るけども。ええ、もうほんまにあの女性には嫌われ続けてやってきた人生でございます。ええ、寂しい。寂しい人生、何を言わずね。そんなのない別に。そんな、いやあるか。あるか。いや思うねんけどね。20代ね。
まず、20歳の成人式ね。うーん、いや長いこと語ろうとしてるやんと。ええ、わかるよ。聞いてくれたらええやんか、たまには。せやろ。ポッキャートークテーマの時ぐらいしか聞かへんやろ。うちの番組。普段聞くか。聞くわけないやん。挨拶しかしてないねんから。元気ですか言うて。元気です言うたらポチって切ったらええねんもん。うちの番組みたいなもん。せやろ。わかってんねんもん。普段聞かへんの。
せやけど、ああこんな番組さ、いらんねんな言うて。ええ、聞いてくれるのありがたい。関西弁やからうっとしは腹立つわ言うて。ええ、ちょっと怖いわ言うて。怒った反応違うの?この人。怒ってません。何にも。ええ、勢いで喋ってポッキャートークテーマやから。勢いよく喋ってるだけやんそんなもん。せやろ。何もないん中身ないから。わかるやろ。雑談番組やで。雑談に中身あったらあかんねん。あれな。そう思ってます。そんなことない。そんなことないで。勘違いせんと言ってな。
最近初めて頑張ってんねん。友好も楽しいお話ししたいんやで。そういうもんやで。言うておきます。優しいおじさんの一面を出しておきますわ。そんな感じでね。何の話してんねん。20代の話やろ。ヤングアダルト。ええ、20代。だからもう成人式の話からしようかな思って。もう成人式の時何やってたかですわね。ええ、肉体労働者でしたね。その時は。ええ、20代。20歳の時ね。成人式の日ね。
成人式行ったらさ、みんなスーツとかやんか。僕らの時代は土地的なこともあって、京都の南部ということもあるんでしょうけど、都会に近いとこですから、門月袴の人はいてませんでしたね。あの憧れやったわ。門月袴の集団とかを見んのが楽しみやてんけど、そんな人にもいてんがと。
なんか九州の方とか行ったら派手なんでしょう。あんなのがええやんな。楽しそうで。ええなあ思って。あんなのおったいろいなあ思って。ええ、思ってたなあ思って。行って、みんなもうスーツ着てんやん。いや、俺らは成人式やけど、革ジャンで行くしみたいな。イチビンだよ。思ってたね。ええねん、そんなんは出さんで。
もうTPOやから、式典やから当時ねまだ。今みたいななんとか会みたいな名前とかじゃなくて、成人式っていう式典やから、スーツ大人になってんから、TPOに合わせたらスーツ着ておいでと。もうややこしいこと言えないなあ言うて。やるんやったら門月ぐらい行けと。中途半端やねん。
いや、ロックバンドバリバリやってますよやったら僕理解できねえ。それはポリシーがあるから。いや俺たちはもうロックだから。スーツとかじゃなくて、これが清掃ですみたいなノリやったら俺もう全然ええよ。全然構え。そうやったらもう全然ええ。そうじゃないのに、なんかちょっとシャニ構えてるというか。みんなスーツ着てんねや。俺デニムと革ジャンで。一番着ないや。
ほんまに。いやそんな嫌いでもないけど。どうでもええけど。そうやけど。俺あんなんがもうね。いや自由やで。自由でええで。そうやけど。当時の流れから言うたらもう今から30年ほど前ですからね。まだやっぱスーツ着とくべき。だから集合写真撮る時代やから。今もあんのかどうか知らんけど場所によってはあるんかもから。
そん中にみんなスーツ着て着物着たりとかワンピースみたいなきちっとした清掃やな着てる中で革ジャンデニム。絶対端っこにおんねん。もうあれが好きじゃない。休んだらええねん。けん円買ったらええやんそれやったら。そうやろ。けん円買うもんおるやん実際。そっちのほうが潔いと思わへん。みんなには会いたいけども自分のカラーは出したいねんみたいな。どこで出してんねん。仕事で出せと思ってます。そういう全意識がありーの。
音楽スタジオの設立
21、バーを経営してましたね。昨日どっか配信で言うたかな。何回もしてるねん僕この話。聞いてへんやろ。どっかでしてると思うねん。トム・クルーズのカクテルっていう映画が金曜ロードショーかなんかでやってて。超クルニーめっちゃかっこええやん。二日後にバーを開けるっていうねん。ほんまに二日後にバーを開けました。犬木の物件を借りて。
お酒を好きですかと聞かれれば好きではありません。飲めますけどね。飲めるんですけど好きじゃない。消毒の匂いみたいなと思ってます。ビールとかもは?と思ってる。苦いやん。コーヒーは好きやねん。苦くても。苦味が違うやん。だからコーヒー豆の苦いのは好きやけど。ビールおいしないかも。炭酸やろ。甘くあれと思ってます。僕は。正直な話。
ウイスキーとかもなんか。はぁやん。何パーやのアルコール度数。30とか40とか50とか。ターキーとかね。ワイルドターキーとかよくかっこええやん。映画の中とか出てくるし。ワイルドターキー50度ぐらいあるねん。半分アルコールやで。はぁやん。火付くやんみたいな。
本当になんかトウモロコシが原料です。知らん。トウモロコシを焼いて食べたいです。それやったらと思ってました。ずっと。バーやって体壊しまして。その後どうなったんかな。
ちょっと大阪に仕事に出ましたね。短い間。戻ってきて楽器屋さんに就職一緒にやろうぜってお世話になった社長さんがいててね。僕が若い頃フラフラしてる頃お前バンドマンやれって言われて。やつ上野先輩に誘われて。そこが八百屋さんやったんですけど。
俺は音楽スタジオ作って楽器屋やるんじゃ言うて。八百屋の一角で楽器屋やり始めて。そこに就職して。そこが本店なんですよ。本店の店長ということで。その頃からもう店長なんですよね。僕あざながずっと。
で、何年かな。24ぐらいの時にその社長が32歳で亡くなったんですよ。もう突然僕は本店の店長やからその野菜の横にエフェクター置いてあるところに朝バイクでずっと行ったら店閉まってんねんねん。普段開いてんのに。
お父さんがだって八百屋さんやってるから開いてんのに閉まってるからあれって思ってバイクでさ店の前にブルーって来て止めたら2階の窓からお父さんが社長のお父さんが顔を出して死んだ。そういうそっからも覚えてないねん僕。そういうことがあって。
で、借金あって楽器屋をやっててんけど本店は八百屋さんやってはるからそれはもうお父さんらが別にそこではできへん。誰もやる人間ができへんからって言って。もう1店舗支店があったんですよ。奈良の新大宮というところに。そこで支店を開けててね。そこを僕らが借りてることにして社長の借金をちょっとだけ背負って営業を続けさせてもらいました。
2、3年やってたと思うな。やってたね。2、3年やってたな。で、まあいろいろあってね。このいろいろな話のあたりは僕サブスクの中でいろいろ細かく話してるんですよ。もう記憶がね。もう20代の時の話やから今から20年以上前の話やしね。覚えてねんけど辞めて。もうね何したのかな。その前、うん。それ何したんやろな。辞めて。
で、ちょっとの間ね。あれやわ。中古の車売ってた。中古車屋さん。ブローカーやね。ブローカー的な。1店舗は一応あったけど。中古車屋さんをやってね。やってて。で、それやりながら音楽もずっと続けてたんよ。あと何やった。トラックの運転手もやったな。
やってみたいことやりたい人ですから。で、トラックの運転手は向いてないねん。トラックの運転手全然眠たいねんだって。トラックの運転手だって眠たいって何やと思いますけど眠たい人なんですよ。僕。だから向いてないと思って。事故もありましたしね。
で、そこの雇ってる社長があまりにも馬鹿にしてくるから。お前なんかに馬鹿にされてもいいって言って辞めたりとか。あるんですよ。若いからね。当時20代ですから。で、その後、結婚します。突然。突然結婚します。出会いがあるんですよ。やっぱり人間ってね。そんな生活してたって出会う時は出会うんですよ。で、結婚して。
で、元々生体マッサージ師とかね。民間資格ですけどもってたりとかして。結婚して子供もできるからということで。温泉施設のクイックマッサージとかで働きだしたりとかしてたね。で、それも辞めた後。それ辞めた後、音楽スタジオ始めたんかな。
社長が亡くなって10年経った時に、楽器屋とかいろんなものがもう処分しはるっていう話になったんですよ。ずっと倉庫みたいに置いてあってんけど、やっぱり32の息子が亡くなったらやっぱりそれは捨てられへんわな。で、それを処分するってお父さんが言い出して。
僕らもそこに物があるっていう感覚がスタジオとか置きっぱなしだったから。スタジオの物が捨てられるっていうのは僕ら青春をそこで過ごしたもんですから。辛いってなって僕が全部買い取りますっていう形になって。買い取ったって置くとこはないわけよ。
そんなら音楽スタジオやれやっていう話になって。で、もうお金もないわけですよ。一銭もないんですよ僕。子供もおるしね。ないねんけど、すごい気のいい家主さんが俺とこの倉庫使えって言って倉庫を改造し、部屋作って音楽スタジオを始めました。
音楽と人生の経験
そこから13年、4年ぐらいは音楽スタジオを京都の南の京都なべというところでやってましたね。そしてもう音楽ブームくるくると言われてけえへんやないか。その間に子供は3人おりますねん言うて。3人もおりますよ。
やってて、もうこれは音楽ブームあんまけえへんよねって。バンドマンなんかやるやつおらんよねって言う自分に徳島の方に農業手伝ってもらえませんかというようなお声がかかって。じゃあもう一緒のこと家族ごと移住しようと。新規一転やというようなことで移住したという。
そこまでで20年ぐらい今ざっと語ってみたけど、とっくに20代は越えとるんですけどね。1人目の子供生まれてぐらいの時が20代の28、27ぐらいから生まれてるのが1人目が。2人目がちょうど30ぐらいと思うのね。31か。そこぐらいまでかな20代で。
細かい話はいっぱいありますよ。それはもちろんそうでしょう。ざっくりしすぎてコマがいっぱいあるで。持った間に。そんなもう有料版の方でしか語られへんねん。言われへんことの方が多いんやから。ざっくり途中抜けてんねんいろいろ。
と思うんですけど。うちのメンバーはそういう話をね。みんなビジット聞いてくれて。そうかと。いろいろありまんねんなに人っていろいろあるよねっていう話をね。サブスクのメンバーは聞いてくれる優しい人らばっかりですよ。やっぱ人に歴史ありですな。
こんなん僕は細かくざっくり言うてもこれぐらいあるんですけど。みんな同じように聞いてある人にもいろんな人生があるやんか。別に仕事なんか他に書いてないです。僕は一個の仕事で頑張ってきてます。言うても生活の中にドラマがあるやんか。そういうもんやなと思うわけですよね。
だからそこから僕は何も変わってないんですよね。二十歳過ぎていわゆる社会で成人と言われる流れのところからいろんなことありましたけど。途中二回死にかけてます。十日町海洋で出血して。出血死にかけてますね。二回ぐらい。気づいてないうちに血が出てんの。
だから二回死にかけてる。だからトータル三回なんですけど。一回目はね。一回目が21歳のときやからね。バーやってるときに倒れたのが一回目ですわ。二回目が音楽スタジオやってるときかな。
いつも先生にストレスかかることあるんじゃないですか。あるように見えますか先生。あるようには見えませんねって言われる。でも何か悩んでるんでしょうね。それは僕にも分かりません。わからないことを悩んでるのかもしれませんよ。わーって笑うみたいな。毎回どの先生にあたってもその話をします。
ピロリ菌の薬を飲んだらマシになるんちゃうか。飲んだらほんまそっから一回もならへん。何の話。
いやだから僕が今回のそのポッキョキャストでね。いつもの口調と違うそれはもうポッキョトークテーマですから普通の喋り方で喋ってますけども。皆さんにお伝えしたいのはね。ピロリ菌の薬をちゃんと飲んで胃が痛いとか言うなよっていう。飲もうぜっていう。
あの逆にピロリ菌を調べに行ってくれって人おるんですよそういうので。気に入ってないって言われて悩んでる人もいまして。行ってほしかった逆にみたいな。分かる。それも分かるわって。それが原因やったらそれで胃の痛みがあるわけやから退治すれば僕みたいにマシになるっていうのは絶対分かりきってあるんやけど。そうじゃない人は困るよねって言ってもともと違う原因でなってる可能性があるっていうことやからね。ピロリ菌いっとくべきやなーって。
本当に僕ね胸やけとか胃が痛いみたいな十二指腸というか胃というかその辺が痛いとかほんまになくなった。若い時からずっとそれ持っててんけどほんまになくなった。ありがたいことやと思わへん?
そうやね。だからみんなピロリ菌の検査行って薬飲みんや。ちょっと胃とか痛いんでマシになるね。プロの人から言うたらそんな簡単にいくもんちゃいますよってあるかも分からへんけど。僕はそれでマシになったから。中には僕と同じようにマシになる人いるんじゃないかなと思います。
青春時代の音楽活動
ポッキャトークテーマどこ行ってん。だから20代とかって僕はなんか一個のとこに働いて頑張ってる人めちゃくちゃ尊敬はするんですよ。やっぱり好きでもなくても頑張って一個のとこで長く生き続けれるっていう辛抱があるから僕全く無理なんですよね。
やっぱ上司とかでこいつを思ったらそこで嫌になるんですよね。人としてやっぱダメなんですよ。そこがね。やっぱ尊敬できる人とか大好きな人と仕事したい。仕事の内容は僕より好み無いんです。何でもいいんです。別に。何が好きとか嫌いとか仕事に無いんですよ。結構普通にやるんですよ真面目に。
ただ人間関係、上司とかがもうこいつあかん思ったらもう全然我慢できない。それからでもものすごい良い人やったりとかかっこいい人やったりとかね尊敬できる人やったら俺もう仕事きつかったら全然いけるんですよ。そこがねちょっと違うかもしれない。
みんな自分の好きなことを仕事にとか仕事の内容とか何が得意で不得意でみたいなことをみんなやっぱ話の中心にはそういうのになってるけど僕全然関係ないです。下手やっても構えん別に。それストレスじゃないんですよそんなことは。できへんわー言うのでもできへんわー言うだけなんですよ。
だけどもう上司がええ人やったらもう全然できへんかったよ。音楽なんかそうやわね。亡くなった社長なんていうのは僕大好きで自分は長男で一番上やったもんでお兄ちゃんがいてないわけ。そのお兄ちゃんもお姉ちゃんもいてないから八つ上のお兄ちゃんができた感じと言うんですかね。それで僕そのお兄ちゃんかっこよかったわけ。
青春時代をバブルで過ごしてるから服とかもなんかブランドのやつ着るし当時ね今はあんまり気にしてないけど当時かっこいい思ってたしジーパンもねジーパンっていうデニムかもう僕がなんかその辺でこうだしょうもないの履いてたらもうめっちゃ怒られてん。
でリーバイス履けってかっこ悪いって言うて今考えたら別にそのかっこ悪いこともないのかもわからんけどでもねそういうだけじゃなくて自分が履いた当時僕も細かったからね自分が履いたデニムをいっぱい持ってるわけリーバイスを洗い替えでそれをもう5,6本持ってきてこれ履けバーンって渡されるの絶対それ履けよって。
かっこええやんそれって言ってこれやっぱり音楽僕音楽なんかそんなに好きじゃなかったけど今は好きですよ大好きですけど当時音楽に全く興味なかったんやけどこの人と一緒になんかやりたいって言うのでずっとバンドやってたしバンドに興味なかったけどその兄ちゃんとおりたいと思ってやってたな音楽イベントだってその兄ちゃんが音楽イベントやるって言い出したから手伝えわかったって。
何にも知らんねんけど手伝ってたしいくつやろ俺18から24ぐらいだからそんな長くないのよね17の終わりからやなから24ぐらいまでやからたった6年か7年の話なんですけどね僕の人生を大きく変えた人ではありますね。
だから本当に30人ぐらいで亡くなっちゃってるんでその後生きてたらどうやろうなとかいろんなこと考えたし自分が音楽スタジオやった時も考え深かったというかありましたよね。
もともとドラマーやったんですけどその兄ちゃんは俺自分でバンド組むなよって他のバンドに入ってたんですよ自分でバンド組みたいなんでなんて言うて聞きますよねなんでなんて言うて目立てへんやんけドラム言うてえドラムで新しいバンドやんの違うの言うて違う俺ギター弾くって弾いたことないんですよ。
そんな俺も初心者やとほなお前お前も初心者やからバランス取れるやんけって言うて一緒にバンド組んだ長いこと組んでたよ亡くなるまで組んでたしずっと一緒にやってましたよコミックバンドみたいなバンドになりましたけどね本人はかっこいいのやりたいんですけど僕らに技術がないもんでちょっとコミックバンドみたいなバンドでしたけど楽しくやってましたよ。
俺も音楽ライブの主催の方が多いから年間何本やってたんやろなぁお店やりながら年間何十本もライブをやってでその兄ちゃんは何も動かないんですよもうやるぞ言うてお前人呼んでこいって言われてやつも先輩ですからね
で色んなとこに電話かけたりとか言ってバンド出ませんか会場借りて会場借りにも行ってね何本何本かかる言うて言うてお金も払ってくれますよもちろん主催ですからで機材を借りに行くの大きな機材をね持ってる方がおられてその人に借りに行かなあかん言うて借りに行くの朝トラック乗って行け言うて免許取り立てですけど僕トラック乗って朝5時ぐらいに借りに行って
で運んで設営して自分で全部積んでですよ当時の機材重たいね何十キロってあるスピーカーとかも全部一人で積んでで会場行って一人で会場開けて荷物下ろしてである程度の設営場所大体決まってるから置いてんでその頃に兄ちゃんが来て線つないで行くんですよ
そういう青春時代高校在学中にはもうやってたんでだから
高2の学際高3の学際高2の学際な僕高2で辞めてるから高2の学際は僕在学生やったけどバイトとして入ってますね
あのライブイベント自分とこの学校の営業をして取って仕事を本郷機材持ってってスタッフとして働いててた忘れて忘れてたわそんなこともありましたねそっから後輩の文化祭のバンド演奏の仕事もだから営業をかけてうち先生知り合おるから入らせてもらってたりとか
よその音楽系の会社がイベントのPAって音響さんやってるところにうちのが現場近いからってうちでやらせてくれって頼みに行ったりとかして営業かけてやらせてもらったりとか結構やってましたよ
僕がだから音楽スタジオを辞めるまではそこの学校の文化祭の音響は僕がやってましたね有名な学校なんで名前は出せないですけどそしな君の出身校ですねそこの音響は僕がやってました何年やったのかな結局途中からですけど
4,5回やったんじゃない4,5年はやってるんじゃないかなもっとやったかな最初はね僕も加減がわからんから外注出したりしましたけど5,6年以上やってると思います結構ね毎年ねちょうどそのイベントの日が毎年ジナの誕生日やったりとかねなんかそんな覚えてますわだから日付を
でその高校の卒業生のライブとかを担当したりとかしてよそに会場借りてあげてこっちで全部段取りしてみたいなこともやりましたしねなんかいろんなことやってますよねでもほぼ音楽が仕事もいろいろやってますけどほぼ音楽がやっぱり20代を駆け抜けてるなぁそう考えたらずっと音楽は辞めてないですもんね
そんなに好きじゃなかったとか僕音楽好きになった20,24,5ぐらいから社長が亡くなってからです音楽を大好きになった
そんなことありますよね
水に真面目な話を持てない人間にはいろいろあるという話をしてるだけですよ暗くなる必要はないんですよ別にね
20代の音楽経験
だからヤドロクさん音楽ってめっちゃ音楽やってる人みたいにねヤドベスとか言うてますから言うてますけど今でも一番好きなのは音楽ではなくてそれをやってた人たちが好きやしいい先輩もおったし
あかんやつもいましたよめちゃくちゃあかんやつ名前言うたろか言うぐらいほんまにいてますよもちろんバンドマンやのに人を脅したりとかする人もいっぱいいましたしねすごいなぁといういろんな人を見ましたよ面白いですね
ちょっと思い出し思い出しだって20代なんで20代の頭って30年前なんですよ30年前から20年前の間ぐらいの話で思い出したらいろいろ出るでしょうけどね
今まさに20代を駆け抜けてる人だってだから要は覚えといたりもちろんポッドキャストみたいなことをやっておこうがええよ残るもんだってこんなことあって言うといた方が
僕らバンド演奏はね映像残ってたりするけどMCまでは残ってないもんねとかラジオ配信みたいなのはしてなかったし一番古い映像でもUstreamやからもうないもんなニコ動にもちょっと上げてるとかありましたけど
そんなんやもんね十何年前わからへんがもうもう20年近前かそれでもねそうそうだからそんなんがあったなー言うてだらだらしゃべってますよね
だし30分ぐらいでいいんちゃうそれは僕がトークテーマやからあんま長かったらみんなもう鬱陶しいやろ分かってないおっさんの話なんか聞きたないわ
もう若い変わらしい子の話が聞きたいねん言うて言うでしょそら言うてたわラジオにゃーにゃーにゃーもう言うてたわそうやって若い女の子がいいですって言うてたわ
いつか俺はもう金山町を攻めに攻め入ってやると思ってますけどもラジオにゃーにゃーさんちゃんをこちら側に引き込んで金山町を攻め落としてやろうと思っておりますけどね
怒られるでほんまにそんな感じでございましてあのー推し二次ね推し勝つ二次元ライブラジオまごっちゃんこんなんでよろしいかポッキャトークテーマもう20代来いねえ言われへんことしかないわ
これでも言うた方やで僕20代の話言える話だけをチョイスしたらこうなる感じ間中抜けばっかりですけどもその間の中抜けの話来いのを聞きたければどうぞもうねあの僕のスタンドエグエムのサブスクを申し込んでくださいと
ただね先行基準がちゃんとありまして申し込みしてから断られる場合もあるんですよねこれが悲しいとこでね入りにくくしてるってAIに聞いてもなんで入りにくくするんだみたいなそれはもう話の内容に問題があるからですよっていう話でございましてね
まああの人に人生いろいろあるなというようなことでございましてヤンガーなると20代約6そういうふうに過ごしておりましたということでございます